リョウ虹要素ありです。
「あ、猫」
日曜日の雨の日。
コンビニに行こうとして、山田リョウは子猫を見つけた。
そいつは、小さくて、やせ細っていて。
今にも死にそうに見えた。
思わず、抱き上げる。
洋服が濡れてしまった。
よく見えないけれど、汚れてしまったかも知れない。
けれど、かまわないと思った。
そのまま、虹夏の家に向かった。
「虹夏、開けて?」
「え、リョウ? もー、こんな時間にどうしたの?」
「ちょっと緊急かも」
「え、なに?」
がちゃっ。
虹夏がドアを開けてくれる。
「これ。猫。拾った」
リョウがその猫を差し出すと。
「えぇ~!?」
虹夏のびっくりした声が響いた。
※
「リョウ、どうするの?」
「どうしよう」
「考えてなかったんかい!」
思わず突っ込む虹夏。
リョウはいつもこうだ。
考えなしというか、感覚的に動く。
しかし、そういうところが、素直とも言えて、嫌いではない。
だいたい感覚的に決めたことの方が正しい時も往々にしてあるわけだし。
「しょうがないなぁ」
ため息をつきつつ、スマホを取り出して、検索する。
子猫の育て方。
まだ育てると決めたわけではないけれど、とりあえずこのまま放っておけるわけがない。
今この子が死んじゃわないようにしなくちゃ。
「雨で濡れてるし、まず体を拭いてあげよ。リョウ、このタオル使っていいからお願い」
「うん」
「私、その間にミルク作ってくる。部屋の温度も上げるね」
虹夏がキッチンに立つ。
手際よく、ホットミルクを作る。
家族の食事を作るので、料理は手馴れていた。
調べると、子猫にミルクを与えるときは、スポイトで与えるべきらしい。
「どこかにあったかな」
案外スポイトなど、普段の生活では使わないものだ。
少し探して、ようやく見つかった。
※
「ひゃぁ~、飲んでる、可愛い」
スポイトでミルクを与えると、子猫はそれをごくごくと飲んだ。
こんなに小さな体のどこに吸収されていくのだろうというほどに飲む。
「虹夏」
そんな子猫を見ていてリョウがつぶやいた。
「ん? どうしたの?」
「私もお腹すいた。ミルクほしい」
「おい」
思わずずっこける虹夏。
まったくこいつは。
リョウと子猫を見比べる。
「似たようなもんだなぁ」
ため息をつきながら、立ち上がる。
「なんか作ってあげるから。その間、子猫見といてね」
「うん。ありがとう。虹夏好き」
調子いいなぁ、と思いつつ。
リョウが好きそうな食材を使った料理を考えている自分がいる。
というか、頻繁にリョウが晩御飯をねだるから、自然に彼女が好きそうなものが作れそうなラインナップが冷蔵庫にそろっている。
まぁ、別に嫌じゃないけどね。
虹夏は心の中でつぶやいた。
※
「さ、できたよ」
簡単に作ったホイコーローを机の上に置く。
「お、おぉぉぉ」
リョウが無表情のまま感嘆の声をあげた。
「虹夏さまぁ」とか拝んでくるのを無視して、虹夏は子猫に目をやった。
「寝てる?」
「うん。さっきからぐっすり」
子猫は、リョウの膝の上ですやすやと眠っている。
なんだかちょっとホッとした。
眠れるということは、どこかがいたかったり苦しかったりはしないのだろう。
「その子、まだ目もあんまり開いてなかったよね」
「目?」
「うん」
「そうなのかな、たぶんそうかも」
「なんか、目がちゃんと開いていない子猫はまだ生まれて間もない証拠なんだって」
「へぇ」
リョウはわかったようなわからないような返事をするが、これはいつもの彼女のスタイルだ。
「この子さ、どこにいたの?」
「えっとね」
もぐもぐとホイコーローを口に含みながらリョウが言った。
「コンビニに行く道あるでしょ、あの小さな路地」
「細い方?」
「そう」
たぶん、公園に挟まれた遊歩道のことを言っているのだろう。
そこは昔水路だった場所で埋め立てられてできた小さな道だ。
一部の人が近道として使うだけで、人通りも少なく、街路灯もないので薄暗い。
「なんか、そこに、ビニール袋に包まれて置いてあった」
「は?」
虹夏は絶句した。
ビニール袋?
「え、ど、どういうこと? 段ボールとかじゃなくて?」
「うん、ビニール袋。こう、上がくくってあってね、でも、猫が暴れたのか、上がちょっと開いてた。そこから雨が入って、ちょっとしたプール状態」
「うぁ」
ビニール袋っていうことは、人為的だということだ。
そんな状態で捨てられたのか、あるいは誰かが野良猫をいたずらにビニール袋に入れたのか。
人のいい虹夏には、ありえない発想だ。
「ひ、ひどい」
「でもこいつ、運がいいよ」
「そ、そうだね、今はもう安全な場所だもんね」
「あ、そういう意味だけじゃなくて」
「ん?」
「あと一つ、ビニール袋あったから。そっちは動いてなかった」
「なっ!」
虹夏は叫び声をあげた。
「もう一つ!?」
「う、うん」
思わず立ち上がった。
「な、なんでそのこと先に言わないの」
「だって、もう動いてなかった。さっきも言ったけど」
「馬鹿!」
パーカーを羽織って、傘を持ち、家を出る。
慌ててリョウの言っていた遊歩道まで走る。
雨はまだ降っていた。
空から降り注ぐ雨が、重力の重さが憎い。
やっと遊歩道にたどり着くと、中腹ほどの片隅にビニール袋が二つあった。
一つは開けられて、雨に濡れてべちゃべちゃになっていて、中の不在を表している。
それはリョウが連れて帰ってきた猫が入っていたものだろう。
もう一つの方は、上が閉じられていた。
ピクリとも動かない。
とんとんとんとんと、その小さなビニール袋に雨が降り注ぐ。
その音が奇妙にリズミカルに聞こえて、なんだか気持ち悪かった。
「虹夏」
見ると、リョウが追いかけてきていた。
「それ、開けてもだめだよ」
「なんでさ」
「だって」
リョウの言葉を聞かずに、虹夏はそのビニール袋を開ける。
「リョウは、いつもそうじゃん、最初から距離取って、あきらめようとしてる、だから」
開けて、後悔した。
そこに横たわっている猫は、死んでいた。
いや、死んでいることは予測がついていたのだけど、その子猫の遺体は損傷していた。
首筋あたりがえぐられていた。
「そっちの。カラスが突っついていたんだよ」
「リョウ、知ってたの?」
「うん。一応、開けたから。死んでたから、もう一回閉じた」
ほら、見て。
リョウがビニール袋の横を指さした。
そこには、鋭角なくちばしで開けられた穴があった。
「ここから、突き刺されてる」
「…………」
「雨が降ったから、途中でやめたんだよ、カラス」
たぶんだけど。
そう呟いてリョウが視線を動かして、民家の壁の上を見る。
そこには確かに、真っ黒なカラスがいて、こちらをうかがうようにして、首をかしげていた。
虹夏はぞっとした。
「これさ、埋めてあげようよ、ちゃんと」
虹夏は、ようやくそれだけつぶやいた。
「……いいけど。雨だから、今すぐは無理だと思うよ?」
「うん」
結局、その子猫の遺体も、持って帰ることになった。
家までの道すがら、虹夏は訊ねた。
「ねぇ、猫の遺体のこと。最初は話さなかったのって、わざと?」
「ん」
リョウは、一呼吸おいてから、うなづいた。
「一度、開けたんだよね」
「そうだね、開けて、確認して、もう一度、閉めた」
「なんで?」
「だって……虹夏のダメージ、大きいと思ったから」
「……そっか」
虹夏は、怒りが消えていくような気がした。
リョウは、こういうやつだ。
別に頭が空っぽなわけじゃない。
「死んだ方も。持って帰ったらさ」
「うん」
「絶対に虹夏、傷つくじゃん」
「うん」
「そういうの、放っておけるわけないって知ってるし」
「うん」
「だから最初から、なかったことにした」
「だったらなんで後からもう一匹いたって言うんじゃ!」
「それはほらあれ。虹夏のホイコーローが美味すぎて、口が緩んだ」
「おい」
やれやれと笑う虹夏。
「まぁ、結果的にはこれでいいよ。ちゃんと供養してあげられるしさ」
「うん」
リョウは、大体の返事は〝うん〟で済ます。
でもその余白がなんとなくわかるので、虹夏にとっては心地よくもある。
やがて、家に着いた。
ドアを開けるとき、少しだけためらいが生まれた。
この家の中には今、生きている猫がいて、そこに自分たちは、死んだ猫の遺体を持って帰るのだ。
どこか罪深いような気分がした。
「ただいま」
ドアを開けると、子猫は毛布にくるまれて眠っていた。
しかし、ドアを開けた音に気が付き、ピーピーと変な声で泣き出した。
生まれて間もない子猫は、猫というよりも、小さなモグラか何かのようで、ある種奇怪にも見える。
もぞもぞと動き、小さな腕を伸ばして床のカーペットを掻く。
「……この子、どこに置こうか」
持ち帰った子猫の遺体をどこに置けば良いのか思案する虹夏。
ビニール袋の水滴を拭いて、いったん机の上に置いてから、何か適切ではないような気がした。
死んだ猫なんてどこに置いていいのかわからない。
「どこでもいいよ、雨が止むまでだしさ」
リョウのそんな言葉は投げやりのようでいて、どこか優しくもある。
虹夏はビニールを机の上で開き、猫の遺体を取り出して、バスタオルを広げてその上に置いた。
「あはは、バスタオルは大きすぎたね……」
子猫の遺体は、バスタオルよりもずっと小さい。
けれど、手に持っていると、なぜかバスタオルぐらい大きく感じたのだ。
毛並みを整えて、体をぬぐってやる。
綺麗な毛並みの白猫だった。
生き残った方は、サバトラだ。
「雨、やまないね」
「うん」
雨が屋根を打つ音は、部屋の中にいるとほとんど聞こえないはずなのに、なぜか身体が知っている。
不思議なものだ。
生き残っている方の子猫は、死んだ方の子猫のことなんて、てんで理解していないみたいで、ずっと床のカーペットを相手にガシガシしている。
それは遊びなのか、それとも何か本能的な行為なのかどうかすら見ていてわからないのだけど、リョウがいつの間にかスマホを見ていて、「たぶんそれ、親のお乳を欲しがってるんだね」と言った。
まだ生まれて間もない、親のお乳がなければ生きられないような存在が、一匹はもう死んで、一匹はこうして見知らぬ部屋にいる。
虹夏はちょっと泣きそうになった。
「うーん、もう一回、ミルクあげるか」
もう一度ミルクを温めて、スポイトで子猫の口元にさしてやった。
「ひゃぁ~、やっぱりすごい飲むねぇ」
※
ミルクを飲んだあと子猫はまた眠りに落ちて、死んでいる子猫はもちろん動かないので、部屋が静かになった。
いつものリョウと二人で過ごす時間と同じになった。
「ねぇ、虹夏」
「ん?」
「どこに埋めに行く?」
「あー、そっか、考えなくちゃね」
「このマンションの植え込みは?」
「いや、普通にダメでしょ」
「じゃ、学校の花壇」
「絶対に怒られるし掘り返されるよ……」
「河原は?」
「それだね」
雨が止んだら、河原に一緒に行く約束をした。
「雨、やまないね」
「うん」
「雨の歌、いくつタイトル言えるか勝負しよっか」
「いいよ、負けたら虹夏が服ひとつづつ脱いでいくなら」
「なんでだよっ!」
「雨に微笑みを」
「うぁ、唐突に始めやがった! ぬ、脱がないからね。え、えと、雨に濡れても」
「キッス・イン・ザ・レイン」
「雨を見たかい」
「シェルブールの雨傘」
「え、えぇっと、意外に思いつかないな、れ、レインコートとバラ」
「レインコートの歌じゃん」
「いいでしょ別に」
「ま、いっか、じゃぁ城ケ島の雨」
「なにそれ」
「演歌みたいなの」
「リョウは何でも知ってるなぁ……えっと、9月の雨」
「雨のジョージア」
「悲しき雨音」
「雨の日の女」
「雨、雨……えっと」
「虹夏の負け」
「うぅぅぅ、ぬ、脱がないからね」
「うん、いいよ。でもそのかわりさ、なんかちょっとセッションしようよ」
「雨が止むまで?」
「うん」
二人は即興で、雨の歌をいくつか歌った。
部屋の中に、柔らかい音楽があふれた。
観客は二匹。
そのうちの一匹は、物言わぬ遺体だった。
※
雨が止むと、二人は河原まで歩いていき、子猫の遺体を埋めた。
雨上がりの土はぐしょぐしょで、お墓の形を作るのに苦労をした。
※
子猫を埋めた帰り道、二人は会話をした。
「家にいる子、どうしようか」
「虹夏、飼いなよ」
「うーん、ちゃんとお世話できるかなぁ。学校もあるし、バンドにバイトに……」
「いざってときは店長が何とかしてくれるよ」
「お、お姉ちゃんかぁ」
過剰に可愛がりそうだなぁ。
虹夏は苦笑いした。
「ま、とりあえず、しばらくお世話して、引き取り手が見つからなかったらうちで飼うかぁ」
「それが良いと思う」
「他人事だと思ってるでしょ」
「そんなことないよ」
「どうだか。リョウもちゃんとお世話手伝ってよ?」
「うん」
リョウは、心の中でふと思った。
なぜ自分はあの子猫を助けたのだろうか、と。
普段の自分ならば、きっと無視していただろう。
それぐらいには達観した人間だ。
「うーん……」
雨上がりの凛とした空気に彩られた街を歩きながら、あの瞬間のことを考える。
あの時……リョウは、道端のビニール袋を見つけた。
興味を惹かれて、それを開くと、子猫だった。
一匹は死んでいた。
一匹は生きていた。
その猫を見た時に、リョウはふと思ったのだ。
もしも、この猫がいたら……。
「ねぇ、リョーウっ」
その時、虹夏がリョウの肩をつついた。
妙にニヤニヤとしている。
「あのさ、猫」
「うん」
「放っておけなかったんでしょ?」
「……どうかな」
「隠さないでいいよっ。ほら、あれでしょ、リョウってさ、ペルシャ猫みたいだし」
「私が?」
「そっ。だから、あの猫のこと。自分が見捨てられてるみたいで、気になっちゃったんでしょ?」
「……かもね」
「優しいところあるんだからっ」
嬉しそうに虹夏が微笑む。
リョウは、思った。
本当は、違うよ、虹夏。
私があの猫を拾ってきたのはさ。
二人であの猫を育てられたら楽しいだろうなと思ったからなんだ。
ほらこう、私たちって女同士だけどさ。
なんか、あの猫を二人で育てたら、二人の子供みたいな気分になるじゃん。
そんな想像をして、だから生きてるほうだけを拾って、死んでる方は無残に置き去りにしたんだよ。
これって完全に、私のエゴなんだ。
でも、まぁ。
「虹夏には、知らないでいてほしいかな」
「ん、なに?」
「何でもないよ」
ふふ、と笑ってリョウは一歩先を歩きだす。
「ちょっと、リョウなんか隠し事してるでしょー」
虹夏の小さな体がリョウの後を追う。
二人が歩く雨上がりの世界は、奇跡のようにきらめいていた。
いかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。