地道に完結目指して投稿するので、お付き合い頂ければ幸いです。
アーティカ視点
最初は、ただこの飢えを満たすものが欲しかった。
庇護者である母を失ったその日から。無性に感じる空腹を、とにかく埋めたかったのだ。これが物理的な意味での空腹ではないとは当然分かっている。そんなこと分かってる。何かが足りない。そんな虚無感だけが、常に胸の内で叫んでいる。言い表すなら、空腹という言葉がしっくりくるだけ。語彙が足りない?スラム育ち舐めんなよ。誰かを殺すことで、そこら辺のゴミ漁りから、山ほど高い飯は食えるようになった。泥水を啜っていた過去を思いながら、ワインを浴びるように飲んだ。それでも。
ただ、何で埋まるのか。この虚しさだけは、どうしても。どうしても、何で埋まるのか分からなかった。今も、なお。それだけが、どうしようもなく、私を…俺を苛立たせるのだ。
どっかの国の人は、空だけは平等に人に与えられると言った。大きな空を眺めれば、悩みなど消えると。確かにそうだろうさ。空腹で空の色が見えない者が、恵まれた奴らの世界には存在しないだけなのだ。
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轟冬美視点
戸惑い。それ以外の感情は今の私にはない。
本当なら、今頃私はとっくに生徒達のテストの採点を終わらせて、家で夏雄やお父さんに料理を作っていたはずだ。二人は食事中も別々に食べる。私は夏雄と一緒に食事を摂って、私が作り置きをして居間で待っていると、夜の22時から24時の間ぐらいにお父さんが帰ってきて、黙って食事を食べて、黙ってお皿を洗って、黙って寝る。
夏雄は顔を合わせないようにしてるけど、お父さんは別に気にしていない。…気にして、いなさすぎた。夏雄を避けている訳でもないけど、一緒に食べようともしなかった。…家族が一緒にご飯を食べるものって、思ってたのは、私だけだったのかな。夏雄が一度だけ、頼みこまれた私に折れて、夕食を作ったこともあったっけ。もう何年前かも覚えてないけど。
確かあの時は夏雄も珍しく、お父さんも一緒に居間でご飯を食べようとしてたっけ。
「…味が濃すぎるな。どうしたんだ冬美?」
「いや、今日は夏雄が作ってくれて…。」
「…要らん事はするな。お前は学業に専念すればいい。」
その一言で、夏雄は黙ってお父さんを睨みつけると、鼻息荒く立ち上がって居間を出ていった。結局あの日は一晩帰ってこなかったっけ。
……………あれ?私何考えてるんだっけ。というか今何してたんだっけ?
現実逃避の過去回想から我に帰る。
すると、目の前にあの女敵の顔があった。心配そうにこちらを見つめている。…その心配げな視線に、また記憶の中の何かが引っ掛かって、無性に懐かしさを覚えて、次に困惑が訪れる。
その女性は、美しかった。スラリと通った鼻立ちに、長いまつ毛が繊細に上を向いている様はまさに海外女優。艶かしささえ感じさせる艶のある唇に、見るからに潤いで満ちている肌。
…当たり前と言わんばかりにスタイルも凄まじい。黒いシャツの下ではち切れんばかりに胸が自己主張している。
羨ましい…。
いや、じゃなくて!
私は混乱で容姿を謎にベタ褒めしていた思考を他所に放って、目の前の女性を眺める。
彼女は私の方を不安げに眺めて、膝に乗せていたスープ皿をそっと持ち上げると、微笑んで話しかけてきた。
「…寝起きで喉の調子悪い?温かいスープを作ったんだ。…良かったら飲んでくれ。大丈夫?飲める?」
そう言ってじっとこちらの反応を待って控えめな言葉をかけてくる。状況が分からなくてさらに思考が、ミキサーでシェイクされたかのような衝撃を受ける。非日常すぎて現実味がない。全身がふわふわと浮いているような気分になる。
そんな私の様子を見て、その敵は黙って曖昧に微笑むと、スープ皿をベッドの脇のサイドテーブルに置いた。そして一呼吸置くと、上品な茶色の皮と木で作られた、アンティーク調の椅子から立ち上がり穏やかに私の頭を安心させるように撫でながら、語りかけた。
何だろう。…何で?安心感がふわふわとした私の体を包んでいく。
「まあ無理もないね…しばらく寝てな。スープが冷めちゃったら言ってくれ。また温めるから。」
その謎の優しさに困惑と安堵感が心を包んで、私をかき乱す。…そして一つの合理的な考えが私の頭をよぎった。もしかして、お父さんが私を見捨てたのは単なるメディア向けのポーズで、水面下でこの敵と交渉しているのではないのか?
そうだ…そうだよ!じゃなきゃこの状況の説明がつかない…!敵が価値のない人質をこんな好待遇で迎えるなんて…そんなこと…!
私は見捨てられてなかったんだ!
「私…ッやっぱり…!お父さんに見捨てられてなかったんだ…!」
「見捨てられたよ。」
そんな私の無邪気ななけなしの希望を、心底憐れんだような、悲しげな瞳で部屋をさろうとしたその女の敵は否定した。
「…………ぇ…………え?嘘…じゃあ何でこんな…え…?私をこんな風にする意味…なくない…?」
一瞬の沈黙。そしてその敵…あ、アーティカ…確かテレビの報道でそんな風に報道されてた。画面越しの非日常と、現実がようやく線になって繋がった気がした。私、本当に拉致られてるんだ。
「………ないな。」
「その…何で殺さないの…?ですか…?」
思わずぽつりと声に出してしまう。そして、ハッと気づく。どうしよう…!どうしよう…!もしこれで目の前の敵が私を殺すだなんて言い出したら…!私の青ざめた顔を見て、アーティカは何故か呆れたように、困惑したように呟いた。
「……そう、なんだよな…。何でだ…?正直、こうなったら殺そうとは思ってたんだよな…。」
そして豊満に盛り上がったシャツ越しでも主張する豊満な胸の前で腕組みをすると、暫く唸った後、頭を掻きながらため息を吐いて、まるで、宿題を忘れてしどろもどろになっている私の生徒のように…そう、言い訳する子供かのように、稚拙に言葉を羅列した。
「…あー…憐憫?…は違うか…。同情?…何だ…?意外と動機の言語化って難しいな…。そもそも気持ちなのかこれ?衝動の方が近いような…。」
その光景にまた私は困惑を深める。何を…。演技?でもこんな演技する意味って何…?全てが理解できない。思考がショートする。やがてアーティカは、はっきりと私に言い切った。
「まあどうでもいい。私はやりたいようにやるだけだ。俺が文句なんざ誰にも言わせねえよ。」
そう何故か、『私』と『俺』と一人称を切り替えながら、啖呵を切って彼女は悩むのをやめたようだった。情緒不安定…?やっぱり敵…なのか…?
「………何なの?結局あなたは私をどうしたいの…?」
痺れを切らして私が震える声で尋ねると、彼女は相変わらず私に微笑んで答えた。
「…私は君にいて欲しいと思ってる。それだけだよ。俺は…何がしたいんだ…?まあそうだな。」
「その気になった時に抱かせてくれればいいや。」
そうしれっととんでもない爆弾発言を溢して、ゾッとするほど美しく、魔性の笑みをアーティカは浮かべた。抱く…?抱く!?えっ!?それってそういう意味…?
「そ…そういうのはちゃんとお付き合いとかしてからでしょ!?」
「…可愛いな、ほんとに。」
そう呟くと、アーティカは足を翻して私の側へと戻ってきた。そして、頬を興奮で上気させると、私の唇に、自分のふっくらとした唇を、急に重ねて…ッ!?
「むっ…んぅ!?んん…!!」
「それにエッろい。腰つきと肌のモチモチ感やばすぎるね…♡」
そして、小鳥が啄むような優しいキスを何度も重ねた後、まるで生き物かのように蠢く舌を口内へと侵入させてきた。この人…巧い…!!なす術もなく口内を優しく、かつじっくりと弄ばれる。そしてサワサワと腰回りを撫でられる。体が今度は火照りでゾワゾワする…!
やがて満足したのか、息もおぼつかない私の頭をまたそっと撫でると、イタズラ小僧のように屈託なく笑って、耳元で囁くように呟いた。
「…少しふざけすぎたか。休んでて。別に何もしなくてもいいから。欲しいものがあったら言ってね。」
「ああ、それと。」
「君のこと好きだし、見捨てないからね。今みたいなのも、嫌だって言ってくれたら…。」
「まあ、できる限り気を遣うよ。」
そして性欲に塗れた魔性の女とは打って変わって、今度は慈悲深い顔で私を見て、去っていった。その顔を見て、既視感の正体に思い至る。だけどそれはあまりにも突飛で。私はまだ現実感がなくて、どうにかしているのだろうか。
「お母さん…?」
あんな異常者を、母と重ねるなんて。
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アーティカ視点
不思議な気分だ。傭兵としての自分なら、こんなことまずあり得なかった。そもそも、轟冬美を、そのまま隠しアジトに連れていった時点で何かおかしかったのだ。
冷静な俺なら、そこらの廃倉庫にでも連れ込んで、エンデヴァーの声明を聞いた時点で、ぶっ殺してバラして街にでも晒してた。それが一番効果的な使い方だった。
女を駒として側に置くことが無かったわけではない。だがそれも、あくまで駒として、だ。耳郎ちゃんと百ちゃんが例えば無個性だったら、歯牙にもかけなかったはずだ。
見捨てることはないが、駒以上の感慨も抱いていなかったはずだ…。
轟冬美には駒としての価値はない。戦闘に慣れてもないし、八百万百のように後方支援で何か出来ることがあるわけでもなし。
完全な欲で動いたわけだ。AFOから直接の依頼ではないとはいえ、奴からいい顔はされないだろう。
だが…
「妙に清々しい気分だな…。」
損得計算もなく、ただ自分の欲求で動く。トガちゃんに唆されて、変になったのだろうか。だがそれがこうも気持ちいいとは…。
そう思案しながら、キッチンへと行ってワインをグラスに注ぐ。妙にワインの色が鮮やかに見える。すると、背後から皮肉るかのような声が聞こえてきた。
「随分上機嫌じゃねぇか?変態女。」
その声は妙に棘を感じさせた。隠しているようだが、燃えるような怒りが見え隠れしている。どうやらトガ達は寝たようだが、こいつは律儀に待っていたらしい。もう深夜なんだから帰れよ…。
「まだ居たのか?荼毘。まさか居座る気じゃねェだろうな?」
そう明らかに邪険にしている雰囲気を出して言葉を返すも、荼毘は気にした様子もない。だが鬱陶しそうに呟いた。
「んなわけねェだろ。もうお暇するさ。これ以上こんな茶番に付き合うのはごめんだ。」
「あ?」
流石に挑発に耐えきれなくなって振り返り、荼毘を睨みつける。何が言いたいんだ?こいつは。少なくとも俺の我儘…轟冬美のことを言っているんだろうが、そこまで致命的な失敗ではない。言われっぱなしにされる筋合いはない。すると、荼毘は呆れたように両手をわざとらしく掲げ、頭を横に振ってこちらを小馬鹿にしたように呟いた。
「…損得計算ならどう考えてもあの女を殺す方がいい。愛にでも目覚めたか?」
「忠告しておいてやる。俺もお前も人殺しだ。んなもんさっさと捨てるんだな。」
「過去は消えない。俺もお前も待ってるのは地獄だ。」
「まあ、天国に相応しい人間なんざいるのか知らねェがな。」
そう言い切ると、こちらが言い返す前に、さっさと手を振って、黒霧の影に飲み込まれて荼毘は去った。…ふん。何が気に入らないんだ?あの野郎。聖人君子が天国に行くなら、この世界はこんな風になってない。死後は知らないが、生きている限り…
「強い奴が全てを手にする。」
力以外に、幸福に繋がるものなんかねえよ。弱者は何も手にできない。生優しく包んでくれる現代社会でも、…少なくとも、個性が発現してからは、それは絶対のルール。
それが曲がることは、進化でもしない限り人間にはない。
「善人が救われるなんて夢幻だ…。」
無償の善意など、何の意味もない。じゃなければ、母が死んでるはずがない。
だから私は、誰にも舐められないように、『俺』を作った。冷酷な殺し屋。それでいいんだ。俺は何もブレちゃいない。ただ自分のやりたいように、依頼ではない範囲でやっているだけ。
そう自分に言い聞かせて、黙ってワインを飲み干した。