大分は、温泉の国だ。
日本一の源泉数と湧出量を誇り、湯布院温泉や、ジブリ映画の舞台のモチーフの一つとなった竹瓦温泉など有名な温泉宿が軒を連ねる。
小野町春香は、その中に名を連ねる由緒正しい小野町旅館の若女将だ。
そんな彼女が、高校生と女将の二足の草鞋を履きながら、さらに三足目の高校野球の監督という草鞋に足を突っ込むこととなった。
理由は町おこしだ。
小野町旅館のある町も、少子高齢化の波が押し寄せてきている。
それに対して、いくつかの町おこしプロジェクトが企画され、その中の一つが、地元レインボール高校の野球部支援だった。
有望な生徒を集め、設備もそろえ、そして監督も招聘していたのだが
「まさかぎっくり腰とはなあ」
野球部の部室。マネージャーの鎌倉から一通りのレクチャーを受けた後、春香は小さくため息をついた。
まさに新一年生を迎えようとしたその直前、用意されていた監督が重篤な椎間板ヘルニアで離脱。
どうしたものかと町内会の年寄り達が、世間話だかなんだかわからない寄合を開いた結果
「そういえば、小野町さん所のはるちゃん、今年からレインボール高校に入るんだって」
そんな一言で、どういうわけか春香の手に、野球部監督というボールが飛んできたのだ。
窓から外、グラウンドを見る。
そこでは新入生達が、練習がてら一打席勝負をしていた。
マウンドの少年が、アンダースローで投球。それを―――
「ですわっ!!」
快音。バッターボックスの少女がバットを振り抜く。
ヒット性のあたりは、打球を外野の奥に運ぶ。派手な化粧と髪色をした1塁手の頭上を越えた打球を、猫耳が生えた外野手の少女が追う。
「ようやったお嬢!神田はもっと気合入れろ!なぁにが神田ースローや!」
気炎を上げるのはキャッチャーだ。ポニーテールにまとめた奇麗な銀髪を振り乱して檄を飛ばす。
それを見て、春香は小さく笑う。
「樋口先輩は相変わらずだなあ」
ちなみに、先輩とはいうがあくまであだ名で、実は楓も1年の新入生だ。
樋口楓。彼女も1年目の新入生であり、春香とは古い知り合いだ。
だが、1年とは思えないよな、ぐんぐん人を引っ張っていくパワーがある。
それこそ自分よりも彼女の方が―――
パシン
と、春香は弱気になりそうな自分の頬を、両手で思い切り叩いた。
不安はある。自分が率いて、彼らを勝たせられるか?
旅館の仕事と監督業をちゃんと両立できるのか?
不安は多い。だけど立ち止まってたって前に進まない。
それならもう割り切って思いっきり楽しんだもの勝ちだ。
「監督、上級生たちもそろったよ」
1年の美兎が呼びに来た。
いつもの優しい表情だが、どこか少し気づかわしげだ。
そんな彼女に春香は、力強い笑顔を返して、暗い部室から外へと踏み出した。
勢ぞろいしている仲間たちを前に、大きく声を挙げた。
「みんな!全力で楽しんで、本気で勝ちに行こう!」
でろーんさんに叱られたいだけの人生だった。