坊と魔剣と崩壊王国   作:穴熊拾弐

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第9話 玉塚邸③

 

 

 

 

『ふじお様。これからあなた様におつか()する、はづきともう()ます。いろしくおねがいいたします!』

 

 初めて会った時、彼女は幼く、小さく、嚙み倒していた。

 私は笑いを堪えるのに必死で、それから何を話していたのかはよく覚えていない。

 ただ、彼女はしっかりと覚えていたらしい。

 根に持たれ、それから事あるごとに引き合いに出されたものだ。

 

『藤緒様。こんなところで何をしてらっしゃるのですか。また休憩と称したおさぼりですか? ……べ、勉強? 嘘でしょ、まだやるの……? ふ、ふふっ、熱心なことですね。今度の五家総会で噛まないよう精々お気を付けくださいね?』

 

 噛んだのは私ではなくて彼女だ。

 恐らく恥ずかしくて記憶を捏造したのだろう。

 なのに自信満々にそう言ってあざけ笑う彼女が滑稽で、愛おしくて。

 

『なっ……何を笑っているんですか? 折角あまーいお汁粉を作ったというのに。そんなことを言うのなら食べさせてあげませんからね! ……え? 一緒に? 全く、仕方がないですね。少しだけですよ?』

 

 彼女――葉月は従者として私に仕えてくれていた。

 母が年の近い者がいいと、連れてきたのが彼女だったのだ。

 最初はただの従者と主。その関係のはずだったのだけれど。

 私たちは、周囲の想像よりも気安い間柄になってしまっていたらしい。

 

『藤緒様。……なんですか、起きていますよ、勿論。私はあなたの従者ですから。それくらいにしてお休みになさってください。お身体を壊しますよ? ……眠れない? ああ、明日は衛士様たちとの顔合わせですからね。神童と期待されるのは、お辛いですか?』

 

 神童と呼ばれ持て囃された私は重圧に耐えきれずに潰れそうになっていた。

 そこを支えてくれたのが彼女だったのだ。

 

『私からすれば、あの時挨拶を大笑いした失礼な子供……いえ、主様なんですけれど。仕方ありません。いつもの歌を歌ってあげますから、寝室に行きましょう? あなたが眠りにつくまで、一緒にいてあげますよ』

 

 それから私は、彼女がいる時だけは安眠できるようになった。

 やましいことなど何もなかったのだが、婚約者のいるこの身では外聞が悪かったのだろう。

 15の歳になる前に、彼女は私の従者から外され、顔を合わせることは殆どなくなった。

 

 ……2人で逃げてしまおうかと、どれだけ考えたことか。

 この狭い国でそんな事をしても無駄だということはよくわかっていた。

 それでも私は事あるごとに彼女の顔を見に行ってしまっていたのだが。

 

『藤緒様。貴方は次期当主となるお方。もうこんな小娘に関わるのはおやめください。……本当は、お暇をいただきたいのですが……って、違います! 結婚など、するわけが……ですから、もう私の事はただの家令とお思いください!』

 

 遂には彼女本人からそう告げられてしまった。

 本心でないことは目を見ればわかる。ただ、自分がそれを指摘できる立場にないことは、それ以上に理解している。

 私はこの国を治める桜下五家の嫡男であり、いずれは接ぎ木の衛士として民の前に立つ人間なのだから。

 

『それでも、私は貴方の傍で、貴方をお支えし続けます。……いつか、この身朽ちる時まで、永遠に』

 

 私の傍に居続ける限り、彼女は誰とも結ばれることなく、独りのままだろう。

 離れることが互いのためだとも理解していた。

 それでも彼女を傍に置き続けたのは、私の我儘であり、抱え続けなければならない罪であった。

 

 私が玉塚の当主であり続ける限り、彼女は私の傍に居てくれる。

 ならば私は戦い続けよう。

 この身で、この剣で。たった2人きりになろうとも。

 

 だから、葉月。

 お願いだから。後生だから。

 もう1度だけ、私の前に姿を見せてほしい。

 

 

***

 

 

 赤い緋太刀を青の魔剣が受け止める。

 もう数十度を越えた激突に、吸魂の魔剣も緋太刀も欠けることなく無事なまま。

 

 床を駆け壁を跳ねながら移動をする坊と、魔剣から顔だけを出しているキュウは、先ほどから奇妙な声を聴いている。

 

『――斬る。どこに? 斬る。見つける』

「……誰を?」

『――斬る』

 

 坊の問いかけには、赤い剣閃が返ってきた。

 それを魔剣の腹で滑らせて逸らすと、お返しに相手の横腹を切り裂いた。

 

『――っ!?』

「ふっ!」

 

 壁をたたん、と細かく蹴って身体を回し、傷跡へと魔剣をもう一度叩き込む――その直前に、樹剣士の左腕が割り込んで防がれる。

 樹の割れる硬い音が響くが、腕も腹もどちらも表層を砕いただけだ。

 既に横腹は再生が始まっている。

 ほんの一瞬時間を与えてしまうだけで、奴は傷を回復してしまう。

 巨人の時のように関節を狙う暇もない。

 

 どうにかして奴の動きを止めなければならないのだが、その時間を与えてくれない。

 

 ――俺に物が触れりゃ、罠でも仕掛けられるってのに……。

 

 元盗賊だからこそ使える技もあるのだが。

 基本見ることしかできないキュウは、せめてもと必死で頭を働かせていた。

 どうすればこの怪物を止められるか、と。

 

 ――考えろ、考えろ……!

 

 間違えれば坊は死ぬ。

 綱渡りの謎解きが始まった。

 

 とはいっても、考えることは少ない。

 相手は玉塚家最後の当主、藤緒。緋太刀の接ぎ木を与えられ、この国の最期の時までここで戦い抜いた傑物。

 今や化け物と化し、恐らくは邸内の樹者を殺して回っている彼は譫言のように3つの言葉を繰り返していた。

 

 斬る。見つける。そして、どこにいる。

 

 それだけだとただ樹者を探して殺して回っているだけだが、キュウと坊だけは別の可能性を知っている。

 中庭に取り残された、何故か未だに残り続けている1人の魂を。

 

 ――賭けてみるか。

 

『坊! こいつを中庭へ誘導しろ!』

「――え?」

 

 驚いた直後に閃いた緋太刀を弾いて壁まで吹き飛んだ坊が、一瞬だけ顔を出したキュウへ視線を向ける。

 

「……いいの?」

 

 困惑したその表情は、葉月の事を心配しているのだろう。

 あの無差別な剣戟が彼女の宿る枝を切り裂けばどうなるかは、坊も理解している筈だ。

 だが、他に当てもない。外れていたとしてもこのままでは坊は死ぬ。なら少しでも可能性がある方に賭ける。それがキュウの盗賊としての生きざまであった。

 

『いい! 俺を信じろ!』

「……うん!」

 

 坊が樹剣士を蹴飛ばし、距離を開けて走り始めた。

 すぐさま後を追いかけてくる赤い光が、廊下脇から現れた樹者の頭を一撃で削いで見せる。

 少しでも遅れれば今度は坊がそうなるだろう。

 

『来るぞ来るぞ! 走れ!』

「――っ!」

 

 幸い、防ぐだけなら問題ない。

 迫りくる緋太刀を防ぎ続けながら、キュウが指し示す方角へと飛び跳ねて進んでいく。

 

 なんとか逃げ切った坊は中庭へと到達する。

 窓を蹴破り飛び出した坊に、空中に浮かび上がったキュウが指をさす。

 

『そっちだ!』

「うん!」

 

 開けていて障害物のない中庭では、今までみたいに飛び跳ねて避けることはできない。

 坊は剣を背負い、全速力で走り抜けていく。

 そして当然の如く、それを赤い光が追ってくる。

 

 迫る坊と巨躯を見て、浮かんでいた女性――葉月が姿を現した。

 その顔は驚愕に染まって、慌てふためいている。

 

『え? ちょっと、な、なんですかあ……!?』

 

 答える余裕はない。

 樹剣士――藤緒が剣を構え、今にも坊の背に振りぬきそうなその瞬間。

 坊は屈みこんで高く飛び上がり、葉月を飛び越える。

 

 一方、葉月の視線では。

 駆け込んできた坊が飛んで消えた先に、巨大な黒い甲冑武者が走り込んできており。

 その顔が驚愕から恐怖に移り変わる寸前。

 

『名を呼べ!』

 

 キュウの言葉を受けて、坊が叫んだ。

 

「――葉月!!」

『……はい!?』

『――――』

 

 ぴたりと、樹剣士の動きが止まった。

 その切っ先は葉月の鼻先寸前。

 同時に足元の枝から立ち昇った赤い光が、彼女の顔を強く照らした。

 枝か接ぎ木かその両方か。何かしらの力によって開けた視界の中、葉月は藤緒を、そして藤緒は葉月を確かに認めた。

 

『――藤緒、様?』

『――は、づ……』

 

 片や魂に、片や異形になったとしても。

 決して消えることなくこの世界に残り続けた2人は、直ぐに相手に気が付いた。

 

 ――この世界が終わるまで、私と一緒にいてくれるか? 葉月。

 ――はい。この身朽ちるまで……いえ、例え朽ちたとしても、共に。

 

 いつか交わした約束。

 互いの手が伸ばされ、触れ合う、その直前。

 

「ふっ!」

 

 四阿から飛び降りた坊が氷魚の拳を藤緒へと叩きつけた。

 

『――――!!』

 

 ばきりと背中側の樹皮全てが砕け、藤雄は無防備にもその全身を晒した。

 そのまま追撃を受ければ必死の状況。だが彼は決して逃げることはせず、潰れなかった左腕をただただ上へ――葉月と向けていた。

 

『坊、やれ!』

「――うん!」

 

 その無防備な首筋へ、坊は着地と同時に剣を突き立てたのだった。

 長大な刃が深く食い込むと同時に魔剣が青く輝き、びくりと身体が震え――藤緒の身体から力が抜けていった。

 

『――――』

『――藤緒様!!』

 

 悲痛な叫び声を上げ、葉月が手を伸ばす。

 だが動けない彼女では潰れた状態の藤緒には届かない。

 それでも何とか触れ合おうと、必死に手を伸ばして声をかけ続けている。

 

 これは彼女が、葉月が望んだ結果である。

 だが、だからこそ、彼女は必死に叫び続ける。

 

『藤緒様!! 私、私……!!』

「……」

『おい、坊?』

 

 剣から手を離した坊が、葉月の近くによるとその足元に屈みこむ。

 顔を上げ、葉月の目をじっと見つめた。

 

「葉月、いくよ?」

『……っ、ええ。お願いいたします』

 

 頷いたのを見て、坊は灰の中に手を突っ込んで両手で枝を持ち上げた。

 葉月の姿が僅かに掠れ――なんとか消えずに残ったようだ。

 そのまま坊がゆっくりと藤緒の前に膝をついて、伸ばした手の上に葉月の枝を置く。

 

 浮かび上がった葉月はなんとか手を伸ばし、その頬に手を触れた。

 

『……藤緒様。お疲れさまでした。もう、これ以上は戦わなくていいのです』

『――はづ、き』

『ええ。私です。私は、ずっとあなたの傍にいますよ。だから、どうかそのままお休みになってください。……そうだ。あの歌を歌いましょう。覚えていますか? 貴方が昔よくせがんだ、あの歌ですよ』

 

 そうして、葉月は歌い始めた。

 旋律だけを奏でるその鼻歌(ハミング)は、ゆったりとした子守唄のようで。

 坊は四阿の椅子に腰かけると、目を閉じてその音色に耳を傾ける。

 

『不思議な歌だな。坊、知ってるか?』

「……」

『坊?』

「この歌、知ってる……」

 

 ふと目を開けた坊が、首を傾げながら呟いた。

 

『へえ。じゃあこの国では有名な歌なんだな』

「……そうなのかな?」

『そうだろ? 眠る相手に聞かせるんだ。きっと子守唄だろうぜ。お前も、母親にでも歌ってもらったんじゃねえか?』

「……お母様」

 

 彼がこの国の人間なのは間違いがないが、過去のことは何も覚えていないという。

 この旅をしていく中で、少しは思い出せるといいのだけれど。

 

 そのまま、葉月はしばらくの間歌い続けた。

 崩れていく頭を撫でながら、葉月は昔のことを思い出す。

 あれはまだ2人が12の歳の頃だった。

 

 ――どうしたんですか、藤緒様。……眠れない? ふふっ。……あっ、失礼いたしました。あの神童と呼ばれた玉塚の至宝が、夜が怖いなどと……嘘です。わかりますよ。私も、実はちょびっと苦手でして。明かりを消して眠れないのです。

 

 幼いころから才を見出され、青春なんて存在しない程に努力を積み重ねられてきた若君。

 友達らしい存在などおらず、ずっと孤独だった彼に、心惹かれてしまったのはいつからだったか。

 

 ――ご安心ください。ここにおりますからね。え? 歌ですか? ……昔良く歌いましたね。懐かしい……。あの頃は、何も考えずに貴方様と一緒にいられました。とっても、幸せでした。

 

 家令に過ぎない自分が彼と結ばれることは、絶対にありえない。

 それは私も彼も十分に理解していた。だからこそ、あんな何気ないひと時を、心の中にしまい込むように大切にしたのだ。

 

 ――いいですよ。では、貴方様が眠りにつくまで歌いましょう。私は、ずっと傍にいますからね。

 

 だから、だからどうか。

 

『ゆっくりお休みになってください。私の、大好きな主様……』

 

 そうして、藤緒が完全に灰に還るまで、葉月は歌い続けるのであった。

 

 

 

『――坊様』

 

 しばらくして、葉月が坊を呼んだ。

 立ち上がりそちらへと向かうと、両手に赤い光を手にした葉月が待っていた。

 

「それは?」

『藤緒様の接ぎ木です。これは、あなた様が持っていてください』

 

 そう言って、彼女が浮かぶ光を坊へと差し出した。

 

『この力は、あなた様の目的のためにきっと役立つでしょう。この国の未来を、どうかお願いいたします』

「うん。……任せて」

 

 坊が光を受け取り、眩いほどの赤光が周囲へと溢れ出した。

 氷魚の時と同じく、それは直ぐに収まると、光は坊の中へと吸収されていった。

 

『坊、平気か?』

「大丈夫。ほら」

 

 彼が右腕を前へとかざすと、その肘から先に赤い光が纏い、直後真っ赤な剣へと姿を変えた。

 藤緒のそれと比べると一回り小さいが、魔剣よりも太く厚いその刃は、樹の幹すら楽々と両断できそうな迫力があった。

 

『ほう。これが緋太刀ってやつか』 

『ええ。この力で、玉塚家の当主は多くの敵を屠ってきたのです。その力、どうかお役立てください』

「うん。葉月、ありがとう」

 

 手を元に戻し、坊は頭を下げた。

 

『いえいえ、私は何もしておりません。ただ、これからは役に立って見せますよ』

『あ? そりゃどういう――』

『坊様、もう一度手をお出しください』

「こう?」

 

 頷いて坊が手を差し出すとその手に葉月が触れた。

 その瞬間、何故か魔剣が青く輝きだし――葉月の姿がするりと消えてしまった。

 

「葉月?」

『おい、どこに――』

『ここですよ、ここ』

 

 驚き慌てる坊とキュウだったが、直後2人とも唖然とする。

 何故なら、葉月はキュウと同じように魔剣から顔を出したからである。

 その姿は、キュウと同じ青い半透明。

 

「……」

『……』

『私、考えたのです。移動ができなければお二人を案内することもできないと。ならば、私もキュウさんと同じように魔剣に吸収されればいいのだと!』

 

 自信満々にそう言って、宙に浮かんだ葉月は胸を張る。

 周囲を自由に漂い、くるりと回転すらしてみせ、もう移動の問題は解決したのだと主張する。

 だが、キュウたちが驚いたのはそこではない。

 

『いやいや……お前、話聞いてたか? こいつは魔剣なんだぞ? 吞まれたら最期。長い時間をかけて吸収されてお終いだぞ!?』

 

 慌ててキュウが声を張り上げる。

 普通に死ぬのとは全く異なる。輪廻転生することなく、文字通り消滅してしまうのだ。

 それはこの世界の住人にとって、ある意味死よりも恐ろしい事態な筈なのだ。

 

『お前の主君と、二度と会えないんだぞ!? わかってんのか!?』

『……失礼な。分かっていますよ。ちゃんと、考えたうえでの決断です』

 

 叫ぶキュウに、葉月は彼の目を真っすぐ見つめて返した。

 

『あなた方がいなければ、私の魂も藤緒様の魂も、この地に囚われたままでした。赤桜の力が尽きればそれこそ消失していたことでしょう。それは、魔剣に吸収されるのと何が違いましょうか』

 

 樹者として憑かれ、彷徨う者たちの魂も、解放されることなく囚われているのだろうか。

 だとすればこの数百年もの間、彼らの魂は巡ることなく、この地は澱んでしまっているのだと云える。

 

『そして、それはこれから先も変わりません。この地に巣食う樹者と黒い木々を全て取り除かない限りは。……そうですよね?』

『まあそうなるが……でもなあ』

 

 キュウは数百年の孤独を知っている。

 間違いなく、キュウが先に消滅するから、そうしたら今度は葉月があれを味わうことになるのだ。

 わかっていてそれを課すのは、いくらなんでも忍びない。

 

『心配してくださってるのですね。確かに、あなたはただのコソ泥ではありませんね』 

「そう。キュウはいい奴」

『あのなあ……そういう問題じゃ……』

『もうなってしまったからいいのです!』

 

 手を叩いて話を断ち切ると、葉月は服の裾をつまんで、礼をした。

 

『改めまして、葉月と申します。不束者ですが、私もお二人の旅に同行させていただきます。どうぞ、よろしくおねがいいたしますね』

 

 こうして、新たな同行者が増えたのであった。

 

 

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