気が付いた時、私は暗い森の中にいた。
「――お父様……」
呟きに応える声はなく、目の前に父はいなかった。
ぼんやりとした視界でそれを認めて、今度は周囲を見渡した。
「森が黒い……? 一体、何が……」
父に何かをされて、私は眠りについていたようだ。
どれ程の間眠っていたのだろうか。
未だ青々としていた筈の木々は黒と灰に染まった呪われた姿に変じ、あれほど騒がしかった森は張り詰めるほどの静寂に包まれている。
聞こえるのは風の音だけ。
いつもなら賑やかな程の、生き物たちの声も何も聞こえない。
なにより眠る前にいた筈の人々も樹者でさえも消え失せているような静寂であった。
「……っ! 誰か、誰かいないの!」
当然、叫ぶ声に反応するものはいない。
生存者も、恐らく森の生き物たちでさえ、あの化け物共に殺されたのだろうか。
「……誰か……」
囁くその言葉に反応する者はいない。いるはずがない。
ああ、そうだ。周囲を見れば嫌でもわかる。
我が家は滅んでしまったのだ。
父はそれを悟り、私をこうして封じたのだ。
どうして、と返ってこない問を呟く。
私一人が生き残って、なんとなると言うのだろうか。
父は何故こんなことを……。
「……行かないと」
それでも、「生きろ」とあの人は言っていた。
ならば、その言葉には応えなければならない。
「何があったのか、確かめなきゃ」
腰帯から短刀を引き抜き、くるりと回して逆手に握る。
この様子では、周囲は間違いなく樹者で溢れている。
接ぎ木もない私が生き残れる保証はないに等しい。
父が何を考えて――いえ、
彼に勝てる算段があったとは到底思えない。それほどの瀬戸際だったし、現にこうして、森は呪いに包まれている。
何故彼は私を眠らせたのか。そして何故今こうして目覚めたのか、確かめなければならない。
そう思っていたのだけれど。
森の中の探索を始めてしばらく。襲い掛かってきた樹者を数体切り裂いたところで、『それ』はやってきた。
「――この音、まさか……!!」
空から飛来したその矢に気付くことは容易かった。
だってそれは、いずれは私が継ぐはずだった
その性能も、技も、見て覚えてきた。
星弓の一矢が、咄嗟に避けた私の直ぐ側に着弾した。
撃ってきたのは屋敷からだろう。
躱した私の代わりに、倒れていた樹者が巻き込まれ潰れていた。
ほんの一瞬、父がまだ生きていたのかと喜んだが、違った。
今の一矢は樹者ではなく私を狙っていた。
それに父の視力なら私の顔が見えた筈だ。それでも狙ってきたということは……。
「……っ」
どうやら、事態は最悪を想定した方が良さそうだ。
即ち――お父様もまた樹に呑まれたということを。
「お父様、どうして……」
それはつまり、この国が本当に滅んだことの証明でもある。でなければ彼はとっくの昔に討伐されている筈なのだから。
国も、家も滅んでしまった。その絶望に膝から崩れ落ちそうになるのを、必死に堪えた。
――大丈夫。まだ私が残っている。
私が生き残ればこの国も我が家も潰えはしないのだから。
「ご安心を、お父様。あなたの仇は私が討ちます。この家も国も、私が取り戻してみせましょう」
まずは、あなたから。
黒く変わった森は少し混乱するけれど……生まれてからずっと暮らしてきた森の中を、私は全速力で走り出した。
***
森の奥へ消えていった女性――詩乃を追って坊は森を駆けていく。
地面を蹴飛ばし枝を掴んでどんどん加速を続ける。
道中には矢に穿たれ折れた木々や倒れた樹者が幾つも見える。
だがそいつらはどれも微かに動いており、放っておけば再び立ち上がり動き出すのだろう。
樹者同士でいくら殺し合っても数は減らない。だからこそ赤桜の解放をしなければならないのだとキュウたちは確信を得た。
『酷いですね……』
『相手は樹者だぞ? まあ、無残ではあるが……』
キュウと葉月は限界高度まで上がり、矢が飛来する方角と、先を行く詩乃の探索を行っている。
菖蒲家の家臣団は機動力に優れ、森の中を誰よりも素早く駆け抜けるという。
土地勘のない坊では直ぐには追いつけず、音を頼りに進んでいた。
それでも狙撃されている人間の速度はどうしても遅くなるらしい。
そのまましばらく走っていくと。
『……!! 坊様、あれを!』
葉月が指さした先。
そこには黒い木々に浸食された集落跡があった。
門は朽ちたのか打ち壊されたのか崩れ落ち、その向こうには建物の跡が幾つか覗いている。
どれもが半ばから折れた、見るも無残な破壊痕だが、ギリギリ集落という形は保っている廃墟。
その中心、広場にあの詩乃という女性が立っていた。
彼女の眼前には、分厚い体躯の巨大な樹者がいた。
氷魚と比べれば2回りも小さいが、それでも見上げるほどの巨体。
恐らく門扉だった金属塊を右手に握っており、片側だけのそれは、長い年月のせいで削れたのか悍ましい短刀のような形状になっている。
一方の詩乃は走っている途中で襲撃されたのだろう。右肩を押さえ、そこからは血がにじんでいた。
『ありゃあマズいな。狙撃も来るぞ!』
「……!!」
木々を切り開いて作られた集落は、遠くからでも良く見えるだろう。
その上詩乃は手負いの身。樹者を相手にしたまま星弓の回避なんて不可能だ。
それは相手も承知の上だろう。案の定。坊は飛来する矢の音を聞いた。
「――詩乃!!」
「……っ!?」
だから、坊は叫ぶとともに全速力で駆け抜けた。
びくりと震えて振り返った詩乃へともう一度声を張り上げる。
「矢は、任せて!!」
坊は素早く飛び出すと、矢を切り裂かんと地面を思いっきり蹴って跳躍するも、坊は直ぐに気が付いた。
――届かない!
詩乃も樹者も飛び越え飛来する矢を両断しようとしたが、このままでは高さが足りない。
だがその瞬間、背に括られていた花の鞘が解け、宙を藻掻いていた坊の足元に浮かぶ足場を作り出した。
そこに足が触れ、沈むことも散ることもせずに坊の重さを支えきり。
足場を再度蹴って坊は樹者を飛び越え――目的の高度までたどり着いた。
「――ふっ!」
空中で右腕を思いっきり振りぬく。
眩い輝きを放ち緋太刀が放たれ、飛来した巨大矢へと激突した。
「――――っ!?」
ぢっ、と何かが擦れるような音の直後、空気の輪が弾けて坊の身体は真下へと叩きつけられた。
着弾地点から地面が捲り上がり、木と土の小さな爆発が起きる。
『坊!?』
「……平気!」
舞った噴煙は直ぐに晴れ、中から坊が現れる。
身体は無傷。赤く揺らめく緋太刀にも欠けた所はないようだった。
そして先ほど変化を起こした桜の花弁たちは、しれっと元の鞘の姿に戻っている。
「……?」
理解は追いついていない坊だが、直ぐにそれは片隅へと追いやり、周囲の音に耳を傾ける。
音は聞こえない。
どうやら大丈夫らしいと、坊は安堵の息を吐き出した。
「……それ、緋太刀……?」
呟く声に振り返ると、緑髪の女性――詩乃がこちらを呆然とした表情で見つめていた。
樹者は彼女が倒したのだろう。背後で黒い霧を上げながら倒れていた。
震える指が、変化した坊の右腕を指している。
「あなた、一体……」
襲撃と衝撃の連続だった菖蒲領。
今度は滅んだはずの国にいる生者同士の交流が始まるのだった。
***
詩乃に案内され、坊たちは少し離れた場所にあった洞穴へと身を潜めた。
火を起こすと気付かれるからと、魔剣を突き立て明かり代わりにして、挟むように坊は詩乃と対面する。
彼女は持っていたらしい応急処置用具で右腕の止血を行いながら、坊の方をちらと見る。
「……それで? あなたは何者?」
「えっと……」
ここならば狙撃は届かないと断言し、無防備に治療を続けている彼女はやはり葉月の言う通りこの菖蒲家の次期当主・詩乃なのだろう。
それはいい。むしろ本人だというのなら、当初の予想通り彼女は何らかの力でこの時代まで生き延びた生存者なのだから。
いいのだが、それとは別に坊には困ったことが起きていた。
『おーい』
『詩乃様! ……聞こえていないようですね』
どうやら、彼女にキュウや葉月は見えないらしいのだ。
試しに周囲を飛び回って話しかけているが、何の反応もない。
目の前で動いても眼球がピクリとも動かないので、演技でもなさそうだ。
それだけならば別にいいのだが、声が聞こえないということは、2人がいくら説明しても無駄だということで……。
『坊、いいか。俺らが今から言うことをそのまま言って聞かせろ』
「……うん」
『大丈夫ですからね、わからなかったら繰り返しますから!』
手厚い介護に頷く坊に対し、何も見えないし聞こえない詩乃が首を傾げる。
「うん? 何、急に。なんで頷いてるの?」
「あ、えっと……それ、吸魂の魔剣っていうの。知ってる? あ、知ってるか?」
「……何その口調。吸魂の魔剣? いえ、初めて聞くけれど、それが?」
「こいつは、玉塚の家の呪物殿にあったんだ。坊……じゃなくて。僕と、俺……じゃなくて、キュウがそこに居てな」
「呪物殿……キュウ? ちょっと待って、一体何が……」
混乱し始める詩乃に、坊がふにゃりと笑いかける。
「あ、そっか。キュウは見えてないんだもんね」
「……っ」
「順番に教えるね。えっと――」
何故だか震える詩乃を余所に。
彼女の背後に浮かんで必死に身振り手振りしている2人を眺めながら、坊は自分の言葉も交えてこれまでについて話をしていくのだった。