菖桜の解放を終えた坊たちは、真っ先に今日これからの食糧確保に動き出した。
前回の玉塚領では空腹かつ疲労状態の坊が樹々を跳びながら追いかけるという離れ業を見せて何とか捕まえたが、今回はその苦労も必要ない。
「接ぎ木はこんなことするための力じゃないのよ……?」
『飯が食えなきゃお前ら2人とも戦えねえんだ。戦をするにも飯は重要だろ!』
「そうなんだけど……納得いかない……」
そう言いつつも腕を変化させて放った詩乃の星弓が鳥を。坊が氷魚の拳によって猪をそれぞれ狩ることに成功。
そして2人で川を探して処理を済ませながら水分も補給。
ここまでして、ようやく一息つくことができた。
最初こそ黒く澱んでいた流れも、いつの間にか記憶のままの清流に変わり。
どこに潜んでいたのか、鳥たちや虫の声が遠く響く森の中で、詩乃は冷たい水に手をくぐらせる。
「……本当に、驚くくらい奇麗に元通りなのね」
『驚きますよね。あの動物たちは一体どこにいたのでしょう』
今も水の中には魚影が見える。
彼らはあの黒い樹に侵されて尚生き延びていたのか、それとも水底で眠っていたのだろうか。
『それは詩乃、アンタもそうだろ? 俺等と違って生身のアンタが、何百年も眠ってたってのにこうして生きてるんだ。それと同じなんじゃねえのか?』
『確かに。詩乃様はどうやって眠っていたのですか?』
「……私は、お父様の力によって封じられたの。ほら、あなたたちを連れて行った洞窟があるでしょう? あの入口部分で時を止められてたみたい。でもあれは、星弓の……接ぎ木の力とはまた別のものだと思う」
星弓を継いだ今だからわかる。
この接ぎ木の力はそういった類のものではない。試してみたけれど長い時を超える封印の力なんてものは使えなかった。
では父はどうやったのかと問われれば、1つだけ思い当たることがある。
それは――。
「赤桜の力なら、可能なのかもしれない」
「赤桜の?」
坊の問いに詩乃がこくりと頷く。
「私が父から受け継いだのは星弓だけだけれど、本来五家の当主は接ぎ木に加えて、赤桜の――五家桜の管理者も引き継ぐの」
玉塚家当主なら玉桜。菖蒲家当主ならば菖桜。
当主がそれぞれの管理者となり、その力を用いて地方を治めていた。
あの時、菖桜は浸食されつつあったが文吾はその力をまだ使える立場だっただろう。
だから詩乃を封じることができたのだ。
「2つの五家桜を解放したのは坊君、あなたよ。もしかしたらあなたもできるようになっているかも」
「僕が……?」
坊が自身の腕を見つめた。
ちなみに2つ目の赤桜の解放で、再び彼の身体――正確には装備に変化が起きていた。
彼の腕と足を覆うように赤桜色の手甲と具足が現れていたのだ。
坊の動きを阻害しないように最低限、しかし樹者の剣戟なら受けても問題なさそうな程には硬い。
しかも鞘と同じように外したいと思えば花びらに戻って外れてくれる。
試してはいないが、この様子なら破壊されても自動で修復してくれるだろう。
このまま5つの五家桜全てを解放すれば全身甲冑にでもなりそうだ。
接ぎ木も装備も増えて、坊の中にある力は確実に増している。
確かに今なら何かできても不思議ではない。
「試してみて。赤桜の力をぎゅっと固めて、流れを止めるの。そうすれば、相手の時間も止められるかも」
「……うん」
目の前に立つ赤桜の樹に向けて坊は両手を向けて集中する。
時を止める。
その思考に合わせて身体の奥から力が溢れ、呼応するように赤桜装備が光り輝く。
ある一定まで力が溜まった瞬間、腕から思考が力に溶けて放たれた。
赤い光が腕から迸り、樹へと到達する。
途端に、風に揺れていた樹はぴたりと動きを止めた。
揺れ動く樹々の中でその1本だけが風に揺れることなく止まっている。
「おおー」
『なんだありゃ、あの木だけびくともしてねえ……』
「……本当にできちゃった」
全員で驚いていたら、樹は再び動き出した。今の坊に止められる時間は僅か数秒程度の様だが、それでも、その力はあまりにも強力だ。
『つまり、動物や自然が元通りなのは赤桜の力で時を止めてたってこと……なのか? にわかにゃ信じられねえが』
「……確定はできないけど、恐らくはそういうことだと思う。でも、それをしたのはお父様ではないと思うわ。流石にお父様1人、菖桜1本ではこの国全てを封じることはできなかったでしょうから」
誰かが大赤桜に働きかけ、それに各地の赤桜が呼応して、守れる周囲の自然や動物を守ったのだろう。
『でも、それなら人も止められていそうですけど、玉桜の時も人が目覚めた事はなかったでしょう?』
「……そこは流石にわからないわね。もしかしたらまだ私たちが見つけられていないだけかもしれないし」
『誰か生き残りがいるのでしょうか。……そうあって欲しいですね』
「本当にね。あ、そうそう。それで、この後についてなんだけど」
詩乃は先ほど言えなかった、古書殿を調べたい旨を伝えた。
「きっと、あそこもお父様が封じたのだと思う。さっきの解放であそこの封も解かれた筈だから、調べておきたいの」
『いいんじゃねえか? 坊も都攻略に向けて準備が要るだろうし、直ぐに戦うわけでもねえだろ』
今回は相手が星弓――遠距離射撃の使い手だからということもあったのでいきなりの討伐戦となったが、次は巨大な都の攻略となる。
しばらくは時間をかけて探索することになるだろうとキュウは見込んでいた。
『なあ坊、構わねえだろ?』
「うん、いいと思う」
「本当? ありがとう……!! 調査が終わったら、必ず私も合流するわ」
そう約束を交わして、血抜きを終えた一行は菖蒲邸へと戻っていった。
そのまま坊たちは地図を広げて作戦会議をしながら食糧の調理を進め、詩乃は急いで古書殿へと向かっていった――のだけれど。
「いや――――っ!!!?」
部屋で再び火を起こしていた坊は、響き渡る詩乃の悲鳴を聞いた。
『なんだあ!?』
『この声、詩乃様ですね……!!』
「――行こう!」
慌てて剣を担いで、声のした古書殿の方へと駆け出した。
既に呪いは解放されたのだから樹者はいない筈だが、一体何が起きたのか。
急ぎ坊がたどり着いた先、固く閉ざされていたという扉は開かれており――そこには、
『……はあ!?』
『あら、まあ……』
呆然と立ち尽くす坊たちの視界の先で、詩乃はその人影と親し気な会話を繰り広げ始めた。
「――詩乃様! よくぞご無事で……!!」
「……蓮爺? それに若菜まで……どうして? だって、みんな……」
およそ十数名の人が古書殿の入口付近に集まっていた。……より正確には
全員半透明ではなく、しっかりと足で地面に立っている。どうやら全員、ちゃんと――その言葉が適切かは分からないが、生きているらしい。
そして皆一様に目に涙や笑顔を浮かべて詩乃と親し気に話しているということは……。
『まさか、本当にいたってのか? 動物みてえに封じられてた人間が……』
「皆元気そうだね」
『……見覚えのある方がおられます。皆さま間違いなく、菖蒲家の人たちです』
葉月がそういうのならば事実なのだろう。
あそこに立っているのは詩乃と同様に、過去から数百年の時を超えた生き残りたちなのだ。詩乃の話では古書殿の入口は固く封じられていたというから、きっとあの中で時を止められていたのだろう。
それをやったのは間違いなく――。
「文吾様です」
彼らの代表、蓮爺と呼ばれた白髪の老人がしわがれた声で告げた。
彼は周りの人たちに支えられなければ立てない程に、泣き崩れてしまっていた。
「お父様……?」
「……あの日、私たちは逃げ遅れて屋敷の中に立て籠もっていました。そこに文吾様が現れて、我々をここに封じたのです。『私を信じて、従ってほしい』と、そう仰って」
「そう、あなたたちもお父様に封じられたのね……」
「はい。私たちにはもう、逃げ場はありませんでしたから。あのまま立て籠もっていても、いつか見つかって殺されていたでしょう。それを文吾様が助けてくださったのです」
確かに面々を見れば老人だったりまだ幼さの残る女性だったりと、戦えそうなものは殆どいない。唯一装備の整った2人の男も、身に纏った鎧は所々欠けて薄汚れている。
恐らくは戦いの途中で文吾が助けて連れてきたのだろう。
「そのまま私たちはこの古書殿と共に封じられました。そして今、目覚めたところです」
「……そう。皆、最後までよく戦い抜きました。そして、この古書殿を守ってくれて、ありがとう……」
震える声で詩乃が頭を下げた。
――お父様、あなたは本当に……。
きっと彼は古書殿ではなく、そこで眠る彼らを守り続けていたのだ。
赤桜の国が、そこに生きた人々の血筋が決して滅びないように。
そしてそのために詩乃を眠らせたのだろう。
「私たちは何もしておりません。全て文吾様のお陰です。そうだ、文吾様は……他の者たちは一体……」
「それは……」
詩乃がちらと、坊の方を見て、悲しそうな、誇らしそうな笑みを浮かべた。
「ゆっくりと話すわ。安心して、もうこの領内に樹者はいないから。先ずは皆で休める場所を作りましょう?」
そう優しく告げて、未だ困惑する人々を誘導し始めた。
離れた位置からその様子を眺めていた坊たちも、安堵の息を揃って吐き出した。
『なんとかなったようですね……』
「だね。ご飯の準備、続きしよう?」
『そうですね。急いで食糧を準備しないとですね』
「うん!」
こうして、慌ただしい作業が始まるのだった。