御屋形猫に連れられ、一行は根の穴倉にある一際大きな屋敷へと辿り着いた。
所々ひび割れ崩れた扉に彼がみゃあと鳴くと、鈍い音を立ててゆっくりと開いていき、そのままするりと入り込んでいく。
『なんだここ、でけえな……』
『以前はどこかの大店だったのでしょうか。……一体、いつの時代のものなのか見当もつきませんが』
「この模様、はじめて見るね」
ボロボロに崩れた扉には赤い染料で模様が描かれているが、今はもう掠れて殆ど読み取れない。
長い歴史を持つこの国も、時代に応じて建築様式に変化がある。
葉月も知らないのなら相当に古い時代のものなのだろう。
「おい、早くしろ」
『はいはい。……中もボロボロなんじゃねえか、これ』
御屋形猫に急かされて中に入ると、想像とは違って明るい光が出迎えた。
どうやら崩れて囲炉裏のようになった広間に火を焚いているらしく、その周りには数匹の根猫が座り込んでいた。
「戻ったぞ」
彼の一声にみゃあみゃあと鳴き声を返し、猫たちは入れ違うように外へと出ていった。
『あの方たちは?』
「見張りだ。いつもは儂が、そうでなきゃ今みたいにして守ってるんだ」
「守る? ……何を?」
答える代わりに火へと御屋形猫がふっと息を吹きかける。火が花弁のように舞い上がり、建物の中へと散っていく。
火は建物のあらゆる場所に設置された灯篭へと飛び込み、建物中へと灯りを広げる。
「綺麗……どうやったの?」
「なんだ。覚えてないのか。本当に忘れてるのだな」
火の花弁の1つが、坊の前へと降りてくる。
それは坊の掌の上で、猫のような姿になったかと思うと、うんとひと伸びをしてから散っていった。
「長生きした根猫は風を操る。火はその応用だ」
「……『音と匂いを風で知り、根を渡りたきゃ風に乗る』」
「なんだ、覚えてたじゃないか」
「……思い出した。昔、教えてもらった」
昔、10歳になる前の事。
お玉に連れられて、坊は根の奥にある別の住処に行ったことがあった。
そこにいた老猫に教えられたのだ。
都に来てから、色んな事を思い出す。
やはり自分はここに暮らしていたのだと、坊は改めてそう思った。
「その調子で全部思い出してくれよ。話す手間が省ける」
『……なあ、アンタ。これなんだよ』
今度は上から、キュウの怯えた声が降ってくる。
彼は灯りで照らされた建物内部を見ていたらしい。
見上げると、彼のすぐ横で震えている葉月もいる様だった。
「……どうしたの?」
「丁度いい。お前も見てこい」
「……? うん」
頷いてから、花弁の足場でキュウたちと同じ高さへと上がる。
この大店は吹き抜けになっており、コの字状の回廊が複数層に渡って広がっているようだった。
「あれ? 壁?」
火の明かりに照らされたその奥は、しかし直ぐに壁に行き当たる様だった。
人が1人も通れないくらいの狭い廊下だったのか――その考えは、よく見れば違うと直ぐに分かった。
壁があるのではない。回廊には箱状の何かがぎちぎちに詰め込まれていて、壁のように見えていただけだった。
そこにあったのは――。
「……人?」
分厚い木の籠に封じられた多数の人が眠っていたのだった。
「……」
『……これって……』
「見たか。ならば降りてこい」
目を離した隙に焚火の前に座り込んでいた御屋形猫が呼んでいるので、降りて皆で火を囲む。
お玉も直ぐ傍に座り込んでくれたので、坊はその腹を撫でた。温もりを感じて、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻す。
そう自覚するほどには驚いていたらしい。
そんな坊を余所に、キュウは苦々しい顔で口を開いた。
『おい、アンタ。あれは一体何なんだ?』
「見たのだろう? 人間だよ」
『そりゃ分かる。なんで人があそこにいるんだって聞いてるんだ。しかも、あんな――』
あんな奇怪な姿で。
キュウが口にしなかったその言葉は坊にも理解できた。
そして、あれが『何なのか』までも。
「あれって、時間を封じてるの?」
『は? おい坊、それって……』
「分かってるじゃないか。その通りだよ」
ぶすっとした顔でそう告げると、御屋形猫は尻尾を振るった。
上方に散らばっていた火が集まってきて、篝火の中に消えていく。
途端に明るかった上層は闇の中に沈んでいった。
「あれはこの国の人間だ。あの時、逃げ惑った連中をここに連れてきて時を封じたのさ」
つまり蓮爺や若菜達と同様に、多数の人々が時を止められて眠っているようだ。
「御屋形猫がやったの?」
「儂が? 根猫にそんな力はない。やったのは本物の御屋形様……お前の父親・桜武だ」
「お父様……」
「奴のことは覚えてるか?」
「……あんまり」
正直、顔もほとんど覚えていない。
知っているのはあの夢の中で聞いた声と、とっても大きくて温かい、それこそ赤桜のような安心感だけ。多分出会えばわかる。それほどの存在感があった。
「そうか。……本当に何も知らずに、ここまで来たんだな」
ふと、御屋形猫の声色が変わった。少しだけ、優しくなった気がした。
「……?」
「お前が起きる前に、そこの虚ろに聞いた。お前は大赤桜を治せと頼まれたんだろ? それは誰にだ?」
「……多分、お母様だったと思う」
彼女も顔をよく思い出せないけれど、一番記憶に残っているから分かる。
「そうだ。あの日、澱みが大赤桜から溢れ出し、お前の母はお前を連れて西の果てまで逃げたのさ。残った父親は戦い、最後は生き残った民たちをここに封じた。この道中にあった家、あの中には他にも人間が眠っている」
『建物の数、沢山ありましたけど……ひょっとしてあれら全てにですか?』
「ああ」
『ええ……? 一体どれだけの人が……』
「さあな。数えたことがない」
家屋の数は、10を軽く超えていた。
その中全てに、あの人を封じた箱が詰め込まれているのだと彼は言う。
この建物だけで20人近くはいるだろう。つまり少なく見積もっても、ここには百を超える人間が封じられているということだ。
『つまり、坊の親父は自分ごと民を封印して、守ろうとしたってわけか』
「ん? 違うな。人間を封じたのはその通りだが、奴――桜武はここにはいないぞ」
『そうなのか? ならその親父はどこに行ったんだ』
「決まってる。大赤桜だ」
キュウの問いかけに、御屋形猫ははっきりと告げた。
「あいつは逃がせる人間を外に逃がし、残った連中をここに封じてから、大赤桜へ向かった。元を断つためにな」
『……元ってのは?』
「無論、大赤桜の破壊だ」
『はあ?』
困惑と驚愕が入り混じった声を上げ、キュウは浮かび上がって御屋形猫に迫る。
『ちょっと待てよ。坊は母親に大赤桜を治せって頼まれたんだぞ? それが、どうして父親の方は大赤桜を破壊すんだよ。おかしくねえか?』
「別にどちらも間違ってはいない。父親も母親も、子どもを助けようとしただけ。ただその相手が違っただけだ」
『あ? 何言って……』
「それって、兄様のこと?」
『……っ、そいつは……』
坊の言葉に、キュウは何故か怯み、御屋形猫は大きく頷いた。
「そうだ。お前の双子の兄だ。両親と違ってあいつは澱みに耐えきれずに樹者になったのさ。……ここまで来たお前らならわかるだろ? この坊やの双子が樹者になったら、どうなるか」
『『…………』』
多くの樹者を見てきた2人は何も返せなかった。
特に、樹者になった接ぎ木の衛士たちの強さは常軌を逸していた。勝って、ここまでやって来られたのが奇跡だと思うくらいには。
それを打倒してきた坊がもし樹者になったら……。想像もしたくない事態である。
「当然、多くの人間が倒れたさ。この国が誇る強者連中も皆やられた。だから父親は大赤桜を壊して兄を元に戻そうとしたんだ。そして弟のお前を連れて逃げた母親は、お前を封じて大赤桜を治して兄も父も救おうとしたのさ」
「……僕なら、兄様を倒せる?」
「他に誰がいる。双子の兄を倒せるとしたら小僧、お前だけだ」
父と母、そして兄。
坊の家族はたしかにここにいて、葉月の言った通り本家の人間であった。
そんな兄が、樹者になってしまった。
それを知り、坊ははっと顔を上げた。
「もしかして、さっきの樹者……」
『空の間で襲ってきた奴か? 猫に乗って、坊を落とした……』
「ああ、そいつが仁桜だ。根猫の方はお玉の姉、お鈴だな」
背後のお玉が悲しげに鳴いた。
そうか、兄がいるならその相棒もいるだろう。
2人は樹者になっても一緒のままで、暴れ回っているらしい。
「……そっか」
父に母に兄。夢で見た彼らは、ちゃんと実在する人物であったらしい。
そしてこの国が崩壊したというその日、ここで戦っていたのだ。
今はもう暗く沈んでしまった都の奥底で、1人残った坊は見えない根の向こうにあったという自分の家を探し求めた。
『……長老様』
今度は葉月が口を開いた。
その声は震えているように聞こえて、坊は視線を彼女へと移す。
『今のお話ですと、御屋形様は仁桜様を救いに向かったのですよね? ……ですが、坊様はその仁桜様に襲われました。それは、つまり……』
「ああ、その通りだよ。あいつは、桜武は負けたのさ。自分の息子は殺せなかったのかもしれないな」
『そんな……それって……』
悲壮に顔を覆う葉月。
その言葉の意味は、坊にもちゃんと理解ができた。
『――――』
ぐるぐると鳴いたお玉の尻尾が頬に触れる。
それを優しく撫でながら、坊は御屋形猫の顔をまっすぐ見つめ、彼の言葉を待った。
そして、灰色の老猫は告げる。
「これで理解したか? お前はこれから、自分の兄と父を殺さなければいけないのさ」
これから、坊がしなければならないことが何なのかを。
***
その日は、根の中の集落にて過ごすことになった。
閉所だからわからなかったが、外は日が沈んでいるらしく、外に出るのは危険だろうとキュウが判断した。
坊は膨らんだ根の上に腰かけ、苔の灯りのみに照らされた根の中の廃都市を眺めている。
その横にはお玉。キュウと葉月の姿はなく、恐らく御屋形猫の所で話をしているのだろう。
きっと2人きりにしてくれたのだと、坊は少しだけ笑みを浮かべてお玉を撫でた。
「久しぶりだね、お玉。……でも、2人だけになっちゃった」
かつていた家族は皆いなくなってしまった。
否、正確には上にいるのだろうけれど、それはもう、本来の彼らではない。
「お鈴も兄様も、お父様も。解放してあげないとね」
今までと同じだ。倒して、解放するのが坊の役割。
『――――』
「お玉も手伝ってくれるの? ありがとう。……大赤桜を治したら、元通りになるのかな」
目覚めてから我武者羅に頑張ってきたが、ここにきてようやく目標がはっきりと目の前に現れた。
今まで沢山の樹者を倒してきたが、今度はそれがかつての家族なのだという。
「……お玉は、お鈴と戦うの悲しい?」
『――――』
「平気? そっか。……僕も同じ。戦うことは平気」
詩乃を見て、一緒に文吾と戦った坊は、家族を解放してあげることの意味を知っている。
だから怯えとか悲しみといったものはない。
ただ、家族と呼ばれた人たちの事を未だ思い出せていないことが辛かった。
「兄様、どんな人だったんだろう。お父様も……もう1回会えば、思い出すかな?」
『――――』
「……うん。頑張るよ。兄様もお鈴も、解放してあげよう」
そう言って笑いあって、坊はお玉の顔を抱きしめた。
――お玉、今日は誰も来ないね。皆、忙しいのかな。
――なんて。今日は式典だよね。綺麗なんだろうなあ……。
――ん? ふふっ、だいじょーぶ。僕にはお玉がいるからね。
坊とお玉はずっと一緒だった。家族と離れた、あの部屋で2人で遊んでいたのだ。
ざらざらごわごわの、けれど温かい毛並み。なぜかとっても大きくなったけれど、大切な相棒だ。
「問題なさそうだな」
聞こえてきた声に振り向くと、御屋形猫がいた。
「その調子でやってくれよ。今となってはお前が頼りなんだ」
「うん。……ねえ、御屋形猫様」
「……ずっとそう呼ぶが、儂はそんな名前じゃないんだがな。まあいい。なんだ?」
「どうして、兄様は樹者になったの?」
「……そうだな。それも話しておかないとな」
彼はぶすっとした顔のまま、すぐそばまでやってきて腰を下ろした。
お玉よりずっと黒ずんだその毛は、よく見ればほんの少し白が残っているように見える。 もしかしたら彼も元は白猫だったのだろうか。
ぼんやりと考えていたら、御屋形猫がこちらをじっと見ていることに気が付く。
「お前のためだ」
「……?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
だが直ぐに、それが先ほどの問いの答えだと思い至る。
そして同時に、全身が震えた。
だって、それはあってはならない答えだ。
「……僕?」
「ああ。そうだ。この国がなぜ滅んだのか。そのきっかけは、お前だ、小僧」
「……どうして……」
自分のためにこの国は滅んだ?
氷魚や葉月、藤緒に文吾も皆、自分のせいで……?
ひゅっと呼吸が狭まる音が自分の喉から聞こえ、視界が暗く深く染まっていき――。
『おい、爺! ものには言い方ってもんがあるだろ!』
『そうですよ。まるで坊様が元凶みたいではないですか!!』
「……キュウ、葉月?」
御屋形猫の背後から魂2人が飛び出して、視界がほんの少し青く明るくなった。
彼らの声と言葉でハッとして、坊の意識がもとへと戻った。
そのまま結局勢ぞろいになって輪になって腰かける。
キュウと葉月に噛みつかれても、御屋形猫の表情はピクリともしない。
「ん? さっき話しただろ。きっかけはこの小僧だぞ?」
『それはそうかもしれませんけれど……』
「いいから黙って聞いてろ。いちいち邪魔されては夜が明ける。……小僧もいいな?」
「……うん。教えて。ここで何が起きたのか」
どうして兄は樹者になってしまったのか。
自分はそれを知らなきゃいけない。
「始まりはお前ももう知っている通りだ。お前の父・桜武と母・和泉の間にお前ら双子が生まれた。全てはそれがきっかけだった――」
そうして、御屋形猫は何が起きたのかを話し始めた。