「――これが、あの日、この都で起きた出来事だ。元より腐っていた大赤桜のその最後。そして大赤桜を浪費し続けた人間たちの最後だ」
全てを語り終えた灰猫は、そう告げた。
「そこから先の事は、お前らも知っての通りだ。お前の兄に殺された役人が溢れ出た澱みに染まり樹者となった。そいつらが他の人間を殺して……都はこんな有様に変わった」
「……」
『……そんなことが……』
御屋形猫が語った赤桜の国崩壊の真実。
それは簡単に呑み込めるような話ではなく、キュウたちはただただ黙るしかなかったが、当の坊本人からすれば至極単純な話であった。
「……僕のために? 僕を助けようとして、こうなったの?」
今までは『何故かわからないけど崩壊してしまった国を治す』ために戦ってきたけれど、どうやらそれは自分が原因だったらしい。
ここに至るまでに戦って解放してきた接ぎ木の衛士たちも、名もわからない樹者たちも皆、自分のせいで樹者になったのだとしたら……。
暗い感情が坊の精神を支配していくのだが、
「ん? 違うぞ?」
「……え?」
悲壮感を漂わせた坊へ、しかし御屋形猫はあっさりとそう言った。
頭の中で膨らんでいた悲しみが、ばっさりと切り捨てられ、坊は目をぱちくりさせる。
「そうなの?」
「ああ。お前はただのきっかけだと言っただろう」
くるりと動いた灰色の尻尾が、周囲の暗く沈んだ根を指し示す。
「大赤桜は既に澱みが限界まで溜まって腐っていたんだ。もしあの時澱みが溢れなくても、次かその次にはこうなっていた。だから、こうなったのはお前のせいではない」
『いやいや、慰めるの下手すぎるだろ!?』
思わずキュウが声を張り上げた。
この巨大猫が言いたいのは、大赤桜に澱みが溜まり、それが溢れ出たの
確かにこいつは『この国が何故滅んだのか』を教えると言ったのだ。
ならばその答えは明確だ。
――大赤桜に溜まり切った澱みが遂に決壊し、都を吞み込んだのだ。
樹者という存在が現れ、この国中に溢れたという事の原因は、確かに坊にはない。
だが、こと坊の視点となると話は変わる。
『何が起きた』ではなく、『誰がその犠牲になったのか』――まさしくきっかけの部分が、坊にとっては何よりも大事なのだ。
それに。
『実際にこいつの兄貴は封を解いて樹者になったんだろ。なら澱みが限界でもそうでなくても、兄貴が樹者になる結末は同じじゃねえか』
「……ああ、そういうことか。それは違うぞ、虚ろの男」
キュウに詰められても、御屋形猫のぶすっとした表情は変わらない。
「本来、澱みを吸い込んだ当主は樹者にはならない。その手前の段階というべきか、動き出さない樹の塊に変わるんだ。奴らはそれを樹骸と呼んでいた」
「……じゅがい」
聞いたことのない言葉に首を傾げる。
「身体が樹のような見た目の結晶体に変わるのだ。あくまでただの結晶体。当然動くことはない」
「それが普通なの?」
問いかけに御屋形猫は頷く。
「大体は死にゆく当主が澱みを吸うからだろうな。限界を迎えた身体に澱みが溜まることでそういった変化をするらしい。恐らくは当時の役人どもも樹骸化することを期待していた筈だ。じゃなきゃ奴らも部屋の中になんて入らないだろ」
『……確かに、そりゃそうだな。坊の、いや、その兄貴の死に顔を拝もうとした連中には丁度いい報いだろ』
そこはわかった、とキュウは頷いてから再び問いかける。
『ただ、じゃあなんでこいつの兄貴は樹者になったんだ?』
「そこは分からん。そいつも言った通り、樹者なんて存在は儂も初めて見たんだからな」
長い赤桜の国の歴史と共に生きてきた御屋形猫でも知らない、樹者という存在。
そんな奴らが大量に現れたからこそ、この国は滅んでしまったといえる。
「ただ恐らくは、あまりにも長い間溜まり切った澱みが一気に注がれて、本来ゆっくり変わっていく筈の身体が急激に変化したことが原因……なのかもしれない」
『……そうか。樹者ってのはアンタらも良く知らない存在なのか……』
澱みが溜まり切っていたこと、まだ歳若い少年がその澱みを限界まで吸ったこと――恐らく複数の条件が偶然重なったことで、この悲劇は起きたのだろう。
故に何が原因はなにかと聞かれれば、返せる答えは1つだけ。
「溜まっていた澱みによってこの国は滅んだ。それが事実だ」
『……どのみち、この国はこうなっていたという事ですね。それが大赤桜を無理やり生き永らえさせた私たちへの報いなのですね……』
「責任の所在を求めたいなら、大赤桜の管理方法を決めた大昔の人間たちだ。お前らでも、桜武たちでもない」
『いや、そりゃそうだけどよ……』
要は坊に責任がないと言いたかったのだろうが、あまりにも言い方が下手すぎる。
ちらと坊へ視線を向けると、彼は自分の胸元を見つめるようにしながら、ずっと何かを考え込んでいるようだった。
「…………」
『……坊様……』
坊を待ち、皆が口を閉ざした。
僅かな風の音だけが響く中、坊が「でも」と顔を上げて御屋形猫に問いかけた。
「僕のために、兄様は入れ替わったんだよね?」
「ああ、そうだな」
「なら、もし入れ替わらなかったら、兄様は生きてたのかな」
『……坊様』
ぽつりと漏れた問いかけに、葉月が思わず口を押さえた。
それでも御屋形猫は、ゆっくりと応えを返していく。
「もし……そんな事を考えても意味はないが、仮にお前らが入れ替わってなかったら、代わりにお前が樹者になっていただろうさ。そしてこの国は同じように崩壊していた」
「……そうなのかな」
「そうだろ? でなきゃお前の兄は樹者にはならなかったさ。そいつは封の制御もできないような未熟者だったか?」
「……違うと思う」
自己犠牲のために死ぬことを選ぶような人ではなかった。彼はちゃんと、生き延びようとしたのだと思う。
だからこそ坊は思うのだ。
「でも、ちゃんと僕が澱みを受けて、樹者になってたら、この国は滅びなかったかもしれないんだよね?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
それでも「もし」を口にする坊に、御屋形猫は淡々と、けれど優しさの籠もった声で言葉を紡ぐ。
「お前が樹者になっていたら、お前の代わりに兄を逃がした母親――和泉は逃げ切れなかったかもしれない。仁桜が呪物殿で目覚めても、ここまで辿り着かなかったかもしれない」
その問答には意味がない。だってそうはならなかったのだから。
暗にそう告げる御屋形猫に、坊はゆっくりと頷きを返した。
「……そうだよね。ここにいるのは――皆が生き残らせたのは、僕なんだもんね」
国は滅び、皆死んだか樹者に変わった。
そんな絶望の状況の中、生き残った人々が必死になって繋いだ先に、自分はいるのだ。
ならば、ちゃんとやり遂げなければならない。それが今の坊にできる、唯一の恩返しなのだ。
ぐっと拳を握りしめて、坊はしっかりと頷いた。
「……大丈夫、僕、やるよ。兄様もお父様も、僕が解放する」
「そうだ、それでいい。それに忘れるなよ。ここには、桜武が守った人間が沢山いるんだ。あいつらを目覚めさせるための場所を作るのも、お前の役割だ」
「あっ、そうだった」
自分のことばかりですっかり忘れていた。守らなければいけない人はいるのだ。
「ふん。精々頑張ってくれよ」
鼻で息を鳴らして御屋形猫は立ち上がった。
「今日はもう遅い。残りはまた明日だ。……しっかり休めよ」
「うん。御屋形猫様、ありがとう」
「……ふん。お玉、任せたぞ」
『――――』
長老が去っていき、坊たちはその場に残った。
途端に広がった静寂が、耳をつんと刺激する。
「……凄いこと、聞いちゃったね」
寄り添ってくれるお玉の身体を撫でながら、坊がぼそりと呟く。
『坊様――』
言いかけた葉月を、キュウが静止した。見れば、首を横に振っている。
黙ってろと、そういう事らしい。
「ねえお玉。さっきの話を聞いてね? 少しだけど兄様のこと思い出せたんだ」
最初、目覚めたときは空っぽだった記憶だけれど、キュウに出会って旅をしているうちに色んな事を思い出してきていた。
母のこと。頬に触れ、使命を伝えてくれた。抱き上げて歌ってくれた子守唄は、思い出してからは眠るときにずっと思い出している。
お玉のこと。多分一番長く一緒にいた友達だ。家族が屋敷に帰った後は、いつもそばにいてくれた。
父のことはまだあまり思い出せていない。御屋形猫は父のその後は話してくれなかった。多分、明日教えてくれるのだろう。それを聞いて、思い出せるといいのだけれど。
そして――兄のこと。
「兄様ね、いつも僕に優しかった。周りの人に貰ったものをくれて、外で見た事を教えてくれて。……僕、兄様のこと、好きだったんだ」
――朱為、これ食ってみろ。美味いぞ。俺の大好物なんだ。お前もきっと気に入るって思ってさ。……好きか? よし! 次は別の好物持ってきてやるからな。
――朱為、お前お玉たちの住処がどこにあるか知ってるか? この樹の下にでっかい根っこの洞窟があってさ、そこにはこーんなでっかい根猫がいるんだぜ? 凄いよな! 今度一緒に行こうぜ。お父様には俺が言っておくからさ。
坊が寂しく思わないように、会うときはいつも笑わせてくれた。
鬱陶しいとも思わず、沢山の愛情をくれた。
だから、解放してあげなければならない。
「戦うまでにはもっとちゃんと思い出したいな」
戦うことはもう覚悟している。
ただ、せめてちゃんと兄弟として戦いたい。
兄が自分のことを救ってくれたように、今度は自分が兄を助けるのだ。
そのために全力で戦うと、坊は決めた。
「兄様とお鈴を倒して、大赤桜を壊す。それが僕のすべきこと、やりたいことなんだ」
『――――』
「……うん。頑張るよ。一緒に戦おう」
『――――!!』
みゃあと叫んだお玉と、坊は手を合わせて誓うのだった。
途端に、キュウが近づいてきて笑みを浮かべて頷いた。
『……よし、じゃあ今日は休むぞ。んで、明日は作戦会議だ。どうやってあいつを倒すか考えねえとな』
「うん! ねえキュウ、また……」
『話せってんだろ? 俺の英雄譚をよ。任せな。きっちり準備してるぜ? お玉も楽しみにしてろよ』
『――!!』
『英雄譚じゃなくてただの犯罪自慢でしょう?』
『なんだよ。前はお前も盛り上がってたじゃねえか』
『それは……そうですけど! 今はこの後の食事の方が……?』
坊も立ち上がって明日に向けて休みに向かうのだった……が。
『あっ!』
歩き始めて直ぐに、葉月が声を上げた。
「どうしたの?」
『そういえば、坊様のお弁当……落としてしまいましたよね?』
『……あ』
「……ほんとだ。ない」
仁桜とお鈴に落とされた際のどたばたで、坊は詩乃たちから貰っていた荷の一部を落としてしまったのだ。
どうやらそこに食事が含まれていたらしい。
『また飯の心配かよ……』
「あれ、おいしかったのに……」
『この根の中じゃ、流石に獣はいませんよね。どうしましょうか……」
まだ赤桜を解放していないこの地では、新鮮な食糧は見込めない。
再び降ってわいた問題に頭を抱えていると、お玉がみゃあと鳴きだした。
『――――!!』
「あっ、お玉が知ってるって」
『本当ですか、お玉様!』
『……なあ、さっきから疑問だったんだが、お前、こいつの言ってることわかるのか?』
「ううん。何となくそうかなって。……ほら、ついて来いって。行こう!」
歩き出したお玉に連れられ、大店の裏手に回っていく。
そこは膨らんだ根が壁のようになっていて、奥に向かうにつれて狭まっている。
『ついて来いって、行き止まりじゃねえか。この先に何があるんだ?』
遂には坊でも両手が触れてしまうくらいに狭まった。
不思議に思っていると、お玉がその隙間をするりと抜けて消えてしまった。
「お玉?」
慌てて後を追って隙間を覗き込む。
どうやら先は広がった空間に繋がっており、お玉が消えていった左手側は洞穴のような構造になっている様だった。
『穴、みたいですね。どうしてこんな所に……』
穴といっても根猫が2匹は入りそうな大きさだけれど。
3人で覗き込んていると、先に中に入っていたお玉が丸まった背から顔を覗かせた。
『――――!!』
「ここにご飯があるみたい」
『なるほど、ここは食糧の保管場所なのですね』
外敵の心配なんてなさそうだが、隠すならば丁度良い場所なのだろう。
笑みを浮かべて中へと入っていった坊だが、その表情はすぐさま固まった。
そこには明らかに根猫たちの食べかけだろう、獣や魚の死骸が積まれていた。
「……」
『……』
『……そういや、こいつ、猫だもんな……』
坊たち人間とは、そもそも食事の仕方がまるで違う。
お玉たちは長い時間野生として過ごしてきたのだ。もう飼われていた時の食事をする筈もなかった。
一様に口を閉ざした坊たち一行。
だがお玉は久しぶりに再会した主に「たっぷり食べて!」と秘蔵の食材を勧めてくる。
『こんなもん、食えるわけないだろ!!』
『――――!!』
思わず叫ぶキュウに、お玉は何を!と鳴き声を返した。
実際いくら頑丈な坊でも身体を壊しそうな代物ではある。
坊も葉月も何も言えずに固まっていると、そのまま坊の食い物はこうだ、人間の食い物と何が違う、と言い合いが始まり――。
「――さっさと休めと言ってるだろうが!!」
遂には御屋形猫の雷が落ちて、その日は強制終了するのであった。