父の訃報を聞いた時、私は深い悲しみに浸ると同時に、微かな喜びに打ち震えていた。
これで彼女と結ばれることができるかもしれない、と。
恥ずべき感情だ。
由緒正しき玉塚の家に生まれた我が身。国の繁栄のためにこの身を捧げる覚悟は子供の頃から持っていたし、損なった事はない。
ただ、家の格を落とさぬ為に決められた相手と結ばれなければならないことだけが、私の心を苦しめた。
私は、彼女がいいのだ。
幼い頃からともにいる、向日葵のように温かに笑う彼女が。
だからあの日、国の崩壊が始まった時、私の中に喜びという感情が微かに浮かんだ。
ああ、これで私は自由になれた、と。
役目を捨てるつもりはない。
御屋形様にいただき、父や祖先が受け継いできた我が家の接ぎ木で、最後の時まで戦い抜いてみせよう。
ただ、その時私の隣りにいるのが彼女であるならば、それでいい。
死にたくなどないさ。
だが、どうせ死ぬのだ。
それなら好きな人を守るために、この命、使い果たしてみせようではないか。
それがこんな私でも持つことができる、ささやかな望みなのだ。
さあ、全て斬り伏せよう。
せめて明日も、彼女と共にいるために。
***
結局、坊は葉月と別れ1人で玉塚の屋敷跡を進んでいた。
『……まさか、移動できないとはなあ』
あの後何度か試してみたが、葉月はあの場所から動くことはできなかった。
やはり地面に刺さっていたあの赤い枝が彼女を魂として生き延びさせていたようだ。
接ぎ木と同じく坊が持っていくことも考えたが、そもそもその接ぎ木ですらどんな原理なのかわかっていないのだ。
下手に動かして葉月が消滅することは避けたいと、結果彼女には待ってもらうことにした。
大まかな場所を教えてもらって、今はこの玉塚の家の当主である藤緒を探して屋敷に入って探索中である。
葉月と違って、藤緒は見張りのために屋敷の中や周辺を移動している筈だ。
これは巨人の行動からの類推だが、間違ってはいないだろう。
「……ふっ!」
屋敷の中、廊下の突き当りから突如現れた異形――樹者を切り伏せる。
首を断たれて崩れた樹者は灰に変わり、その残骸から赤い光が浮かび上がって坊へと吸収されていく。
『その光も、赤桜の力みてえだな』
「そうみたい」
坊が元気になると言っていた光も、それが赤桜の力だというのなら納得ができる。
樹者が取り込んだ力を取り返しているのなら――こうして彼らを倒すことにも意味があるのだろう。
もちろんそのために全員を探して倒して回る、なんてことは時間の無駄なのでやらないが。
今は裏口から屋敷へと入り、正面玄関を目指して進んでいる。
葉月曰く、藤緒――玉塚家当主がいるならば屋敷の正門周辺だろうということだ。そこが迫りくる樹者への防衛地点になっていたらしい。
屋敷の中は灰と埃が舞って薄暗く、気を抜くと陰から樹者が現れる厄介な迷宮と化していた。
その代わりに雨風の影響が殆どないせいか、あらゆるものの保存状態が非常に良い。
探せばまだ使える物がありそうだ。
『これなら食料の方も期待できそうだな。獣でも捕れたら楽なんだがなー』
「みんな、消えちゃうもんね」
獣たちも樹者になっているせいで、倒すと消えてしまうのだ。
倒せば坊の力も増えるし死骸の処理もいらないのだが、この点だけは不便である。
『でだ、坊』
「ん?」
『これから戦う藤緒の対策を考えねえとな。緋太刀っつったか。間違いなく使ってくるだろ』
氷魚の巨大化する拳から生まれた樹者があの巨人なら、巨大な剣を作るという緋太刀が作る怪物は一体どんなものなのか。
『剣相手だと坊の着てる服じゃ心もとないからな。どっかで甲冑でも見つけられればいいんだが……』
「うーん……」
『なんだ、嫌か?』
「動きづらいのは嫌」
『あー、お前速いもんなあ。甲冑じゃ邪魔か。でも全部避けるってのも無理が……』
そんなことを話していると、ふっ、と視界に影が差した。
『……あ? なんだ?』
窓へとキュウが視線を向けると。
そこには横に長く膨らんだ、大きな影があった。
窓の向こう。
赤い光がぼうっと浮かび上がった。
『――は?』
「――――っ」
坊が剣を掴んで咄嗟に屈みこむと同時。
壁から生えた真っ赤な剣が、廊下を真横に一直線に切り裂いた。
『――――』
紙一重で剣閃の下に潜り込んだ坊の視界が、壁の外にいる者を捉えた。
背丈は巨人というには小さく、2mを僅かに超える程度。
狼の顎のような、鋭い枝が並ぶ顔の空隙からは赤灰色の光が漏れている。
剣は右腕と一体化しているようで、肘から肩に向かう部分はてらてらと光沢をもった黒い樹に覆われている。
それは、まるで甲冑のようで。
『出やがった!』
長身痩躯の樹剣士が、崩れた壁面から坊へと一歩近づく。
坊も魔剣を引き抜き、赤と青の剣が対峙する。
『坊、また時間を稼げ。俺が弱点を――』
そう告げようとした、その途中。
剣士の姿が消え、赤い軌跡だけがキュウの視界に映し出された。
『へ?』
金属の激突音が背後から鳴り響く。
今の一瞬で、距離を詰め、攻撃を加えていたらしい。
――はっや……嘘だろ?
すぐさま剣戟の音が続き、廊下を奥へ奥へと移動していった。
『……坊、待て!!』
突如始まった戦闘に、キュウは慌ててついていくのだった。
***
迫りくる敵を斬り伏せる。
奴らはいくらでも湧いて出てくる。
今も、愚かにも我が家に踏み入った輩を始末せんと剣を振るう。
この家の安寧は、私が守るのだ。
だから、斬って、斬って、斬って――それから?
それからどうするのか?
私は一体、何のために戦っているのだったか?
彼女と一緒にいるためではなかったか?
ならば何故、隣には彼女がいない。
おかしい。どこにもいない。
どれだけ進んでも、奴らを斬っても。
あの笑顔がどこにもないのだ。
探さなければ。奴らに害されるその前に。
***
接ぎ木は、赤桜の力を身体に宿して一時的な超常現象を起こす。
拳の巨大化、国を縦断する大弓、そして鉄をも両断する剣。
その力を持って、この国は外敵から身を守ってきた。
それほどの力をもってしても、この国は滅んだ。
一体なぜかと云えば。それは当然の事ながら……接ぎ木の衛士が樹者になったからである。
『――――!!』
玉塚の赤い剣――緋太刀が、鋭く数度瞬いた。
一瞬の静止の後、軌跡の全てがバラバラに切り裂かれて散っていく。
恐ろしい速度の剣閃。
だが坊はその内自身に及ぶ2つだけを、正確に魔剣で防いでみせた。
勢いよく弾き飛ばされた坊が廊下を転げまわる。
その手に握られた魔剣から、青い光が飛び出した。
『無事か、坊!』
距離が離れたことで強制的に魔剣に戻されたキュウが叫ぶ。
あまりに速すぎて、奴を観察しようとしても全く追いついていない。
今も、廊下の奥から閃いた赤い光が一直線に坊へと突っ込んでくる。
甲冑武者の右腕の肘から先が変化した分厚い剣が突き出され、坊が咄嗟に屈んで避けた。
『――斬る』
後ろの壁に大穴が開き、長い間埃を被っていた調度品が破片となって飛び散った。
余波だけで棚が吹き飛んでいる。
このまま戦っていたら、建物の方が持たないかもしれない。
「ふっ!!」
屈んだ状態から飛び上がるようにして振った坊の左腕が、樹剣士の空いたわき腹に激突する。
着弾の瞬間、手が赤く輝き――樹皮を纏った巨大な拳に変化した。
接ぎ木・氷魚の拳。
今度は樹剣士の方が吹き飛び、真横の壁をぶち抜いていった。
「……大丈夫っ!」
ばきりと、樹皮の砕ける音がしたが、それが大した損傷を与えていないことを坊は知っている。
もうこのやり取りも数度目。
樹剣士の剣戟を坊はことごとく避け続け、坊の攻撃は樹の甲冑に阻まれる。
「はっ……はっ……」
千日手のような状況だが、坊の方は着実に疲労が溜まっていっている。
今も追撃をせずに荒れた息を整えている。
このままでは限界がきてしまうから、その前に倒す手段を見つけたいのだが……。
――全っ然、追いつかねえ!
巨人とは違い、樹剣士はあまりにも速くキュウでは視認が難しい。
こうして吹き飛んだ相手に近づいて観察するくらいしかできていない。
坊の一撃は脇腹の甲冑を砕きはしたが、それも既に修復が始まっている。
更に奴は既に起き上がった膝立ち状態で剣を構えていた。
もし坊が追撃をしていたら、間違いなく迎撃されていただろう。
油断ならない相手だ。
あれを倒すためには、甲冑を破壊してから剣を突き立てる必要がある。
キュウが目で追えない速度の相手に2連撃を叩き込む。そんなこと一体、どうやればいいのか。
『――斬って、斬って、斬って……』
『……こいつも喋るのか』
兜の奥から、掠れた声が漏れてくる。
氷魚と違い、こいつは随分とお喋りらしい。
言ってることは同じことの繰り返しなのだが。
『……どこにいる?』
『あ?』
掠れた声が響いたときには、剣士の姿は消え、剣戟の音が鳴り響いていた。
『だから、速すぎるんだよ……』
そう呟いた直後、キュウは剣に引き戻されていった。