早速アリ夏のネタバレ要素が入っていますのでご注意ください。
私は背筋を伸ばしてベッドに座る。広い部屋だった。ミネの寝室である。
質実剛健を身上とするミネの寝室。それだけ聞けばやれ医療品だの、やれ火器類だのが陳列されていそうな場所を想像してしまうが、実際は違う。
ほのかに感じるアロマの香りと、目に優しい色合いで埋め尽くされた、育ちの良いお嬢様の寝室である。
まあ一角は想像通りに医療品で埋め尽くされているが、それにさえ目をつむってしまえばお上品なトリニティ生らしい部屋だ。本と埃しかない私の部屋とは大違いだ。
「姉様の髪もだいぶ纏まるようになりましたね」
ミネが私の髪を器用に纏めた。こちらに来てからというもののミネの熱心なヘアケア講座が毎晩開催され、その成果は着実に私の髪質に表れていた。
正直戦場に出れば一瞬で帳消しになる物に心血を注ぐ心境は理解できなかったが、私の髪を見てニコニコ笑うミネは可愛らしいので良しとする事にした。
「もっと熱心にお手入れをなさったらよろしいのに、綺麗な桜色が勿体ないです」
「そう? 結構居るじゃないこの色」
「私は珍しさを言っているのでは無く、姉様に似合う色だと言っているのです!」
ありきたりな色じゃないという私に、ミネは両手をギュッと握って自説を主張する。何かを強く表現するときに握りこぶしを作る癖は小さい頃から変わらないミネの癖の一つだった。
その仕草のかわいらしさと、今のミネの姿の成長ぶりに私は思わず笑みをこぼしてしまう。
「何を笑っていらっしゃるのですか、私はこんなにも真剣なのに」
ミネは少し不機嫌になってしまう。怒っているというよりは落ち込んでいるという方が近かった。
「ちがうのよ、確かに私がお洒落に興味が薄いのはあるけれど。別に馬鹿にしたわけじゃないわ」
本当に、この可愛い妹は私の事が大好きなのだ。さすがに可哀そうになった私はミネのフォローに入る。
「ただ、昔と変わらず私を大切に想ってくれてる事が、何より嬉しかっただけよ」
「姉様……」
私はミネの頬を撫でる。大きくなったものだ。なにせ
16歳の立派な高校生の姿に。
「私からすれば少し前の話だけれど、あなたからしたら長い時間よね。9年だもの。人生の半分以上の時間を経ても、私を忘れないでいてくれたのね」
「忘れる訳がありません。初対面の時の事も凄く鮮明に思い出せます。あの木陰の下で姉様に初めて会った日の事を」
「あの日のあなたは本当に可愛らしかったわ。ちっちゃくて、元気いっぱいで、天使みたいだった」
初めて会った日、つまり交渉に来た私がトリニティにも蒼森家が存在すると知って「当主に会わせろ」と当時の百合園にゴネた三日後の話だ。
いや、今思えば相当に酷い事をした物だ。百合園家からすれば数百年前に追放した過激派の、その最も武闘派の組織の長と密約を交わしている場面だったのだ。そこで急に密会の参加者増やせと暴れ始めたら困ってしまうだろう。
結果論だが正解だった。蒼森と百合園の関係は強固なものになったし、私は『家族』という得難い存在を手に入れたのだ。
しかし姉の心妹知らずというべきか、私の感慨をよそにミネはまた不満げに顔を逸らしてしまう。
「姉様は小さい頃の私ばかり褒めるのですね、まるで大きくなったら可愛らしくないみたいに」
「まさか、そんな事ないわよ。可愛らしい天使が美しい女神に成長したわ。私の語彙がまだ成長したあなたに追い付いていないだけ」
再会して1ヵ月、色々分かった事がある。その一つは意外にもミネは自分の身長にコンプレックスがあるという事だ。
昔から可愛い物好きのミネだったが、168cmという高めの背丈はガーリッシュな服装や振る舞いを難しくしているのだろう。特に果断に富む、言い換えれば短気な所のあるミネだ。周囲から可愛くない存在として扱われる事も多かったっだろう。
だからこそ、心からこの可愛らしく美しい妹を愛する私こそ、可愛がってやらねばならないのだ。
「それっ!」
「姉様⁉」
私はミネを抱きしめてベッドに押し倒した。そうしてしばらくゴロゴロと転がった後、私の翼でミネを包んでやる。ちょうど腕と翼で上半身をすっぽり覆う要領だ。
「覚えてる? 昔はこうすると翼で全身覆い隠せてしまったのよ? それがこんなに大きくなっちゃって……」
「そう……ですね……」
思ったより反応が悪い。やっぱり大きくなった系の話はまずいだろうか。話題を切り替えて別方向から試すことにする。
「私ね、ミネが初めてだったのよ。血がつながってる誰かに会えたのは。かなり遠縁で、髪や目、耳の形だって違うけれど、血がつながってる。その事が私には何より嬉しかった」
なにせずっと見せつけられ続けたのだ。あの『血の結束』によって団結した連中を。極端な身内びいき、裏返せば家族には無制限の愛情を注ぐあの
羨ましかった、妬ましかった。どれだけ戦いに勝っても、どれだけ政争で蹴落としてもそれだけは手に入らなかったのに。ここに来てようやく手に入ったのだ。
「あなたが私の世界一よ、ミネ。誰よりも愛してる」
そう言って頭を撫でてやる。子供の頃と同じだが、あの頃から変わらず私の家族なのだ。だったらなぜ対応を変える必要があるだろうか。
「はい、姉様」
ミネは抱きしめられた姿勢のまま、素直に頭を撫でられている。
機嫌が直ったみたいで良かった。やっぱり好きな人には笑顔で居て欲しいものだ。
「ふふっ、こんな話を何度もして話して悪いわね。あんまり繰り返し言う話でもないのに」
「いいえ、嬉しいです」
ミネは微笑む。いい子だと思う。言うなればただの不幸話なのに、この子は親身に接してくれて、時には涙まで流してくれる。
そんな健気な妹を、私は最後にもう一度強く抱きしめてから抱擁を解いた。
「姉様? どうかされたのですか?」
不思議そうにするミネ。私はベッドから降りて言った。
「じゃあ私は向こうで寝るわね。眠り浅いし、途中で起きてミネを起こしちゃうかもしれないわ」
嘘である。実は『
「じゃあ、ゆっくり寝るのよ? おやす───」
「させません!」
ベッドから跳ね起きるミネ、そして掴まれる両腕。万力の如き握力で抑えられた私の二の腕は悲鳴を上げる。
「痛い痛い痛い! 私が非力なのは知っているでしょ!」
いや悲鳴を上げているのは私か。そんな事が脳裏に浮かびつつも、のんきな思考とは裏腹に私の身体はベッドに引きずられてゆく。
姉妹の筋力差の前には10cmの身長差など無意味なのだ。
「姉様はまたそうやって私を煙に巻いて、夜更かしをして体調を崩すおつもりなのでしょう? この前だって、徹夜が原因で胃が悪くなってご飯を残したではないですか!」
「あれは脂がきつかったのよ! アリウスじゃ豚と芋しか食べてなかったからそれが原因で───」
「問答無用!」
私の身体は宙を舞う。これでも最前線で戦い抜いた身である、それ相応の体重はある。だが盾を地面に突き刺す剛力を前にしては羽も同然だ。
ベッドに着地した私の身体は跳ねる事無く着地する。さすがはトリニティの名門家具職人の手がけたベッドだ。
「今日という今日は逃がしませんからね。姉様が寝るまで私も寝ませんから」
「全く、私に似ず頑固な子ね」
「そっくりだと思います。何度言っても睡眠を疎かにするような『頑固さ』は特に」
有無を言わさない態度でベッドに入ってくるミネ。こうなったらミネはテコでも動かないだろう。大人しく寝るしかない。
私が眉をひそめてため息を吐くと、隣から少し不安そうな声が聞こえてくる。
「……姉様は私と寝るのがそれほどお嫌なのですか」
私は悲しいです。と言わんばかりの表情にさすがの私も参ってしまう。
私はミネを軽く抱き寄せて言った。
「そんな訳ないでしょう。さあ、姉妹仲良く一緒に寝ましょうか。昔みたいに」
「はい!」
そうして私はいつもよりだいぶ早い時間に睡眠を取る事にした。
ミネは私を逃がすまいとしたのか、それとも私に甘えてくれているのか、がっちりとホールドしてくるので私は逃げられないまま、その体温を感じつつ眠りに落ちていった。
子供の頃から思ってたけど、体温の高い子だな。
最後に思ったのはそんな事で、起きれば忘れてしまうような事だった。
†
「姉様……」
ミネは小声で言う。それは半ば義姉が眠りについたのを確認する仕草のようで、慈愛に見た表情と共にどこか母親がするそれを思わせた。
その寝顔が安らかな物である事にミネは強く安堵をする。ユミは信じられない程の胆力と精神力の持ち主だが、割と頻繁にうなされるのだ。
それは起きている時の逆境への強さに対する揺り戻しのようで、酷く苦しそうに息を切らす様はとても見ていられないような物だった。
強い人だ。ミネは姉をそう思っている。幼い頃は単に漠然と凄い人なのだと思っていたが、長ずるにつれて姉の成した事の大きさを理解できるようになり、再会してそれを強く感じるようになった。
「もっと、頼ってくださっても良いのに……」
だが同時に、視座が近づくにつれて弱さも理解できるようになった。
孤独で、独りよがりな人だ。誰かを駒として扱うのは上手なのに、本心をさらけ出すのは信じられないほど下手。まるで弱点を見せたら殺されると思っているかのようで、ミネはもどかしい気持ちだった。
ミネは既に、姉の犯した罪も、人を大勢死に追いやった事実も理解できる年齢である。
その事に何も思わない訳ではない。だがユミの部下であった外交官やアツコ達から聞いたユミの生い立ちを知れば、そのような道に進むのも理解できたし最善だったのかもしれないと割り切る事は出来た。
だからこそ、ミネは自分が傍に居るべきだと思っている。
姉は幸い自分には多少なりとも心を開いてくれているし、自分を愛してくれているのは疑いようのない事だ。であるなら、姉の『英雄』の面ではなく『人』の側面に触れられる自分なら、もう一度姉が道を踏み外す事を防げるのではないか。
「みんな、あなたを心配しているのですよ」
会議中セイアが耳打ちしたのは「この後の陛下を頼むよ」との内容だった。ユミは非情な面を持つ人だ、だが責任感も信じられないくらい強い人でもある。
最高権力者であった自分が、敗戦の責任を負うべきだと思っているに違いない。臣下たちの非業の死や、大切に育てるつもりだった孤児たちの末路を悔やんでいるに違いない。
ミネもセイアも、そう思ったからこその連携だった。
「たとえ英雄でなくたって、姉様は私の姉様なのですから」
10年前、ユミと初めて会った日の事を、ミネはよく覚えている。
夏に差し掛かる頃合いで、木陰で遊んでいた日の事である。誰かが近づいてくるのに気が付いて、人形に包帯を巻く手を止めた。
大きな背丈をしていて、数人の部下を連れていた。既に散ってしまった桜を連想させる髪がまず印象に残った。日の光を跳ね返してとても綺麗で見入ってしまった。
次に髪と同じ色のまつ毛に縁どられた瞳は、片や晴天を思わせる空色、もう片方は夜の闇を思わせる暗い濃紺で。
そんな特徴的な人が急に近づいてきて言ったのだ。
「見つけた」と。
それからは優しくて美人で面倒見の良い姉として接してくれた。
そんな日々を過ごし、当然の帰結としてミネはユミに懐いた。ユミが帰る事になって大泣きし、再び会えた時には大喜びして一緒に遊ぶ。
だがそんな平和な日々は続かなかった。9年前のあの日、ユミの部下が血相を変えて外交官に状況を伝えていた。
「生還は絶望的」 幼いミネはその意味を理解できなかったが、周囲の反応から状況が良くない事を察した。
いつもニコニコ笑って、ユミの色々な話を聞かせてくれていた外交官が「笑えない冗談だ」と言い放って、悪い足を引きずりながら部屋に引きこもったのを見た。
それからはあっという間に事態が変わって、状況を飲み込めないままアリウスの人々との付き合いは終わった。
あの優しい姉の死という事実を受け入れられないまま、ミネは放り出されてしまった。
本当に死んでしまったのかという恐怖と、まだ生きているかもしれないという淡い希望。その二つが長い事ミネの心を蝕んでいたのだ。
だからこそ、ミネは思う。
「もう、手放したりしませんから」
ベッドで穏やかな寝息を立てる姉の手を握り、ミネは決意を再確認した。
†
「こんにちは副委員長。今日はどんな要件かしら」
翌日、ハスミに用事があると呼び出されて私は副委員長室に向かった。まさか演習で食料を分け与えた事がいきなり効力を発揮したのだろうか。
そんなバカげた事は中々無いだろうと思いつつ、やはり期待はしてしまう。
私の才能を見抜いたのだろうか。であるならば見る目のある少女だ。私が偉くなっても重用して恩返しをしてあげよう。
ハスミは咳払いをした後こちらに向き直り、改めて挨拶を口にした。
「こんにちは。良く来てくれましたね、ユミ。実はあなたを見込んである仕事を任せようと思っています」
「はい、何なりと」
私は内心ガッツポーズをする。ここで成果を挙げて昇進するのだ。最悪功績さえあればセイアの政治力でどうにかしてもらう方法もある。今はとにかく正義実現委員会で存在感を示すことが大事だ。
内容は何だろう。練兵の指揮? それともゲヘナの機甲部隊への対抗戦術の開発? いや実績が無いのだから他自治区との境界線の警戒とかだろうか。
高ぶる気持ちを抑えながら、私はハスミの言葉を待った。
「実は前からあなたの働きぶりには感心していたのです。指示は明瞭にして簡潔。不測の事態にも全く動ぜず、まるで何年も戦ってきたベテランのような振る舞いです。とてもブランクがあるとは思えません」
ハスミは感慨深げに頷くが、私は冷や汗を流す羽目になる。セイアの用意した
ハスミの感じている事は正しい。指揮官としては13から最前線で戦い詰めなのだからベテランに決まっている。しかもブランクなど影も形もない。
直近まで勤務経験があった事にすると同僚が居ない事を不審がられ、指揮経験が無いと明らかに手慣れた素人という矛盾が発生してしまう。
そのジレンマを解消する苦肉の策ではあったが、やはり不審がられるのは避けられなかった。
「ええ、失望させない働きをすると約束するわ」
私はこの怪しい流れを断ち切りたくて、早く任務の内容を言えと急かすが如く口にする。
ハスミは頼もしさを感じてくれたのか微笑んで次の言葉を口にする。
「ではあなたの任務を伝えます。それは───」
ハスミは大きく息を吸って、重々しい口調で任務を告げる。
「スケバンの掃討作戦です」
「はい」
どうにか疑問符を付けずに応答する事が出来たが、私は内心落胆してしまう。
いやよく考えたら正義実現委員会は軍事組織というより治安組織の色合いが強いのだから何も間違っていないのだ。だが数多くの戦いを制し、栄光を掴んだ身としては正直気乗りしない任務だ。
仕事を選べる立場ではない事は承知の上だが、素行不良の取り締まりなんて功績の挙げ辛そうな仕事である。直接呼び出しての任務だから期待していたのだ。
ハスミはそんな私の様子を知ってか知らずか、会話を続けた。
「今回の任務はかなり難しい物になると思います。なにせ、あの『栗浜アケミ』が現れたという話ですから」
「とんでもない怪力で有名な、あのスケバンの元締めの?」
「そうです。情報としては未確定ではありますが、もし本当なら対処に相当な戦力を要します。ツルギや委員長が到着するまで持ちこたえて貰わなくてはなりません」
なるほど、とんだ大捕り物だ。
栗浜アケミ、直接会った事は無いがその武名は私も聞き及んでいる。やれ戦車を体当たりではじき返しただとか、引き抜いた道路標識でヘリコプターを撃墜しただとか。真偽の程も怪しい情報だが、要はそのような噂が経つ程の猛者という事だ。
しかも大量の舎弟を有しているとの事だ。つまり集団対集団の戦い、私の真骨頂である。
「期待していますよ。これはトリニティの安寧を守る大事であり、正義実現委員会の本領を見せる時です」
「ええ、任せて頂戴。何だったらお二方が出てくる前に仕留めて見せるわ」
「頼もしいですね」
早速準備に取り掛からねば、まずは捜索や情報収集からになるだろうから中隊内のスケジュールを組まなければいけないし、何より弾薬や食料の備蓄の確認からだ。長期戦になった時に物を言うのは残弾と士気である。
私がそんな事を思案していると、ハスミが追加の注文を付けてきた。
「それともう一つ、あなたに同行させたい人が居ます。イチカ、入ってください」
「はい、イチカ入ります」
入室してきたのは黒髪ロングの生徒。何度かハスミの周囲で見かけた子だ。
「どうも、仲正イチカっす。今回の任務でユミ先輩の補佐を担当する事になりました。よろしくお願いします」
「蒼森ユミよ、よろしくね」
監視か。そう思いながらも、私は早速この生徒を気に入っていた。
血の臭いがするからだ。