話の展開的にわかりづらくて申し訳ないのですが、セイア含めてアリウス関連のキャラクターは原作と過去が変わっているため、結構言動が違う感じになります。
その変わった過去はのちの展開で描写しますが、一応ご理解のほどよろしくお願いします。
「『死体』ってこれか……」
狭い路地の中央で、私はため息を吐く。てっきりあの慌てようだから人でも死んだのかと思ったが、幸いな事にそうではなかった。
「これ、亡くなってるって事っすよね……」
「生きてはいないわね、間違いなく」
イチカが青い顔で呟く。口元を手で押さえ、いかにも気分が悪そうだった。
イチカだけでない、他の生徒もそうだ。死体から目を逸らしたり、青い顔をして右往左往したり、挙句臭いで吐きそうになっている子もいる。
「あっ、吐いた」
部員の一人が腐敗臭に耐えられなくなって嘔吐してしまう。情けない、こんな有様で武力組織の構成員が務まるのだろうか。戦争になったらこんな物じゃ済まないのに。
まだ人間の腐乱死体とかならこの反応も納得がいく。それでも私としては不満ではあるが、部員たちが育ちの良いお嬢様である事を差っ引けばその辺りで妥協もできた。
だが、目の前にあるそれは人の物ではないのだ。
「たかが猫の死体で何を騒いでるのよ……」
私はもう一度ため息を吐く。確かに腐って蛆が湧いてるし、蠅がうるさい。結構暖かくなってきたから臭いも酷い物だ。よりにもよってこの猫は日当たりのいい場所で大往生を遂げたせいで、温められて腐敗が進んだのだろう。
けど、ただの死体ではないか。友人のそれでもなければ、家族のそれでもない。そもそも人ですらない死体。それに私の部下は怯え、涙を流しているのだ。
一人ずつぶん殴って叱責してやろうか。私は本気でそう思った。
正義実現委員会はトリニティ総合学園の生徒と領土を守り、場合によっては他校に攻め入る必要のある組織だ。それが民間人以下の醜態を晒している。そんな有様で有事の際に勇敢に戦えるのか?
かつて皇帝であった私ならそうしただろう、いや殴るどころか銃で撃っていた。しかし今はトリニティの中隊長だ、パワハラ扱いされる行いは避けるべきだ。
「落ち着きなさい。生き物はいつか死ぬのよ、ならこの死体も珍しい物じゃないでしょう」
私は努めて笑顔で、周囲に落ち着くよう促す。だが効果は薄い。部員たちは目の前にある死の存在に囚われ、正気を失っているのだ。
呆れたものだ、これは早急に対策を練らなくてはいけないかもしれない。
今この瞬間も捕虜の拷問惨殺を平然と行う、あの
「ねえ、そもそも何でこんな物みつけたの?」
埒が明かないので、私は先ほど伝令に来た部員に状況を尋ねた。彼女は私への情報伝達を行う判断が出来ただけあって冷静で、端的に状況を述べた。
「はい、スケバンたちの追跡中に痕跡を探っていた所、異臭に気づいた部員が居まして。一応はガスや生物兵器である危険性もあったので、捜索して発見いたしました」
「ガスや疫病で一般生徒に被害が出るのは避けたいものね。よくやったわ」
「はい!」
私が褒めてやると彼女は嬉しそうな反応をした。彼女は良い軍人になる。名誉欲に富み、実直で冷静、そして素直な受け答えができる。必要な物が揃っていた。
そして私は別の見どころのある生徒に声をかける。
「イチカ、誰も近づきたがらない様だし手早く処分しちゃいましょう。ゴミ袋と適当な枝でも持ってきなさい」
「……はいっす」
イチカはよろめきながら行動を起こす。元気がない、才能のある子なのに少し残念だ。
そしてイチカが持って来た袋と棒を持って私は死体に近づく。そして改めて猫の死体をよく見てみた。
目立った外傷は無い。病気か寿命だろう、猫らしく適当に彷徨っている内にその生を終えたのだ。
この日当たりのいい場所で横になって死んでいるのだから、もしかしたらお気に入りの昼寝スポットで死ぬことを選んだのかもしれない。だとしたら中々悪くない死に方をしたのではないだろうか。
「まあ、カッコ良い死に方じゃない。お疲れ様、頑張ったわね」
観察を終えた私は少しの間猫のために祈り、死体をゴミ袋に放り込んだ。首輪もないし見るからに薄汚れていたから飼い猫ではないだろう。そう思いながら私はゴミ袋の口を縛った。
「業者にこれ、渡しておきなさいよ? 生物の死体って適切に処理しないと面倒になるんだから」
そう言って部下にゴミ袋を渡す。いい訓練になるだろうし、上官である自分がこれだけ動いてやったのだ。後は部下の仕事である。
私は戻って仕事を再開しようと歩き出したが、イチカがついてこなかった。
「何をやっているの? 帰って業務を再開するわよ」
イチカが私を見る。彼女はまだ青い顔をしていて、怯えている様だった。
私を見る目は、まるで異星人でも見ているかのようだ。感謝こそすれど嫌悪を向けられるの心外で私は思わず文句を言ってしまう。
「あなた、それじゃ将来やっていけないわよ? 別に死体なんて珍しくも何とも無いでしょうに」
イチカはその言葉に狼狽した。眼を見開き、困惑したように眉を寄せる。
「珍しく……無いんですか? 生き物の死が?」
「はぁ、当たり前でしょう。別にいつもその辺で死んで───」
そこまで言って、私はふと自分の失態に気が付く。
もしかして、こちら側では生き物はあまり死なないのか?
てっきり私はトリニティが清掃が行き届いている衛生環境の良い都市なだけだと思っていたが、実態は違うのか? 清掃の業者や行政における公衆衛生の部門があるくらいだから、そうに違いないと確信すら抱いていたのに。
思えばそうだ、アリウスの貧民街では腐乱死体どころか生きたままネズミにかじられて死ぬ奴も居たくらいに、死者とこれから死ぬ者が珍しくなかった。だが此方では一度もそんな物を目にしていない。
治安のいい悪いや、清掃の有無などとは別に、根本の水準が違うのかもしれない。
「とぼけてないで帰るわよ!」
これ以上何か話してもぼろが出るだけだろう。私は大声でイチカに命令し歩き始めた。
まだまだ学ぶことは多い。いけ好かないお嬢様だらけの学校とは言え、栄達を目指すには何とか合わせて生きていくしか道はないのだ。
帰ったらセイアにでも聞いてみよう。また一つため息を吐いた。
†
「ヒヨリ、あれは本物か?」
サオリは双眼鏡を除きながら、傍らに居るヒヨリに質問する。双眼鏡には1.5km先に居る桜色の髪をした長身の少女が映し出されている。これが今回の偵察対象だった。
「多分、蒼森ユミさんで間違いないと思います……おそらくですけど」
「どっちなんだ、はっきり言え」
「まともに面識があるのは姫とお前だけなんだぞ」と呆れ半分にサオリは言う。まともに姿を見た事が無い自分たちでは、彼女が本物の蒼森ユミであるか判別できないからだ。
「うわああああん、酷いですよリーダー! 最後に会ったの10年近く前なんですよ? まともに顔覚えてる訳ないじゃないですかぁ」
「だとしても私たちよりは詳しいでしょ」
ミサキが呆れながら言う。どちらにせよ、現在この場に居るサオリ、ヒヨリ、ミサキの三人の中ではヒヨリが一番ユミの事を知っている。それはヒヨリの出自に関わる理由だった。
「従姉が蒼森ユミの近衛で、その縁で何度か会ってるあんた位しか判別できないでしょ。だからこの編成なんだし」
つまり、他人の空似か本人かの判別である。かつてアリウスを荒らし回ったかの暴君張本人なのか、ただの出自の怪しい生徒なのかでアリウス側の対応も当然変わる。
「確率の低い話だがな。奴は9年前に死んだはずだ。それが今になって現れるなど、そんな事あり得ないだろう」
サオリはシニカルな笑みを浮かべた。蒼森ユミはロイヤルブラッドにも、アリウスの教えを受け継ぐ教会にも敵対して被害を振りまいた悪魔である。周囲に恨まれた彼女が五体満足で生きているとはサオリには思えなかった。
仮に本物だったとしても、今度こそ地獄に送ってやれば良いのだ。そんな事を考えながらサオリは双眼鏡を覗く。
「うっ……だんだん本物に見えてきました。というか本物だったら大変じゃないですか⁉ あの『英雄』がトリニティに居るんですよ? ただでさえ戦力差があるのに勝てる訳ないじゃないですかぁ」
「違う!」
サオリはヒヨリの言葉を否定する。その口調はかなり強い物で、ヒヨリは怯えて「ひいっ!」と小動物めいた挙動で縮こまる。
「奴は単に卑怯な手段を使って成り上がっただけだ。自らの野心のために周囲に負担を強い、破滅に導いた暴君だ。英雄などではなく破壊者だ。そんな奴が居て何が変わる」
サオリは奥歯を噛みしめて、遥か先に居るユミを睨んだ。まだ本物か分かっていないが、容姿が似ている時点でサオリは不快に感じていた。
蒼森ユミは悪魔だ。サオリたちはそう教わった。教会の教えを否定し、ロイヤルブラッドの権威を貶めた、平和の破壊者だと。
だがそれ以上にサオリはユミを恨む理由があった。
「もし本物だったなら、私は仇を討たなければならない」
「……アズサさんの故郷の話ですよね」
スクワッドの一員である白洲アズサは帝政アリウスの侵攻で故郷を焼かれた。それにより妹分がまともな生活を歩めなくなった事を、サオリは恨んでいるのだ。
怒りに染まるサオリとは逆に、ヒヨリは悲しそうな顔をする。何もチーム内で必ず境遇が一致しているとは限らない。ヒヨリの出自を考えれば当然の事だった。
「ヒヨリ、一時とはいえ奴の組織に拾われた恩があるのは分かる。だが冷静に考えろ、あの戦争狂が孤児を集めて何をする気だったと思う。どうせ自分の野望を叶えるための先兵にするに決まっている」
ヒヨリの従姉は専制政治を行う権力者の近衛兵、いわば特別待遇を受ける立場だった兵士なのだ。その特別待遇には血縁者の厚遇も含まれていた。
実際にヒヨリは親族が皆行方知れずになった後、少しの間だが帝政アリウスの運営する孤児院に居た。ヒヨリにとってユミは恩人でもあった。
熱くなるサオリと落ち込むヒヨリを見て、ミサキはため息を吐いた。
「はぁ、今回の任務は写真の撮影と偵察であって、仲間内で議論をする事じゃないと思うんだけど。そこはどうなの、リーダー」
「っ! すまない。少し冷静さを欠いていたようだ。撤収するぞ」
冷静さを取り戻したサオリは、周囲の痕跡を消して撤収の準備を始める。ミサキもそれを手伝う。だからだろう、二人の耳にはヒヨリの声は届いていなかった。
「じゃあ『今の状況』は違うんですか……」
ヒヨリは俯いたまま、絞り出すように呟く。
孤児を集めているのも、侵略の先兵にしているのも、今と何も変わらないではないか。
『あなたの従姉はとんでもない勇者だったわ。私の部下に勇者は沢山居るけれど、ほんの数m先の相手に散弾を撃ち込む砲兵は二人と居ないもの。……本当、惜しい奴を亡くしたわ』
ヒヨリは従姉の死後、ユミと何度目かの再会をした時に言われた事を思い出した。笑顔で従姉の武勇伝を語り、その後に結構な額のお金と菓子を渡してくれた。
ユミは確かに戦争狂で、従姉を死なせたような物だ。だがヒヨリにとって今のアリウスの大人が善でユミが悪だとは思えなかった。
少なくとも、ただ自分の機嫌で生徒を死に追いやり、従姉を『侵略に加担した悪魔』と罵る奴らに比べれば、あの人の方がずっとマシなのではないか?
ヒヨリの心をその疑問が支配した。
「おいヒヨリ! 何をしている」
「あっはい! 今手伝います」
サオリの言葉に、ヒヨリは我に返り動き出す。
心に疑問を抱えたまま。
†
美しい装飾が施されたカップを傾け私は紅茶を飲んでいた。
正直な所、安物との味の違いが分からない。何となく良い物なのは感じるが所詮そこまでだ。紅茶好きの妹が居る以上、どうにか味が分かる様になりたいのだが今のところ上手くいっていない。
「やあ、待たせたね陛下」
そうして待っていると、このセーフハウスの主であるセイアが入室してくる。
「悪いわね、わざわざ時間を作ってもらって」
「私たちは陛下の要請には可能な限り答えるつもりだよ。どんな些細な事であってもね」
そう言いながらセイアは私の向かいの席に座る。改めて小柄な少女だと思う。ミネは9年前から大きく背を伸ばして印象を変えたのに、セイアは幼い日の印象を強く残していた。だからか、病弱な彼女に負担をかけるのを申し訳無く思ってしまう。
「じゃあ早速本題に入るわね、なんでこっちでは生き物って中々死なないの?」
私はモモトークでも相談した疑問をぶつけてみた。アリウスに居た頃は病死や餓死も含め、普通に銃撃戦に巻き込まれて死ぬ生き物をよく見たのだ。
銃撃戦の頻度でいえばこちらの方が上なのに、そう言った死骸を見かける事は殆どない。人の死体など皆無だ。人間同士は無暗に殺し合わないとは言え、動物が死なないのはどういう理屈だろう。
「中々死なない、の基準をまず定義しようか。アリウスでも銃撃が一度や二度命中しても死なない事は多かったのだろう? ならば別に条件は変わらないと思うけどね」
「何か違和感があるのよ。どこか、こう。死が排除されているというか……」
私は思っていた事を口にする。生き物の耐久性が違う訳では無い。なのにアリウスでは生き物は簡単に死んでいた。
こちらでは生き物の死に関わる存在がことごとく排除されているような印象を受ける。散弾で死んでひっくり返っている鳥も、轍の傍で潰れている犬も居ない。
生があれば死がある。あってしかるべき物が存在していないような違和感。それをこちらに来た時から少なからず感じていた。
「……あなたが育った場所特有の問題と言う線はないかい? 少なくとも私は今までの人生で生物の生き死にで何か変化があった様には感じていないよ」
「内戦下という過酷な環境がそうさせたのではないかい?」とセイアは言う。確かに栄養不足による疫病の蔓延は、アリウスの歴史では頻発した出来事だった。だが、そう言った『合理的な理由』でこのような不自然が起こっているとは私は思えなかった。
「おかしいのよ、ここは。生き物がこれだけ居れば、それだけ死が存在して当然なのに。どうしてか情報が無いの? どうして何も死んでいないの?」
ここに来る前に色々調べてみたのだ。インターネットにも、本の情報にも『死』の概念に関しての情報はある。だがそれまでだ、実体験としての死。つまりペットや友人、家族の死がどこにも無いのだ。
私の動揺を見てか、セイアは少し悲しそうな顔をした。その次は深刻そうな顔をして少し考え込む。
そして不思議な色彩をした目で私を見ると、覚悟を決めたようにセイアは言う。
「陛下、どうか怒らないで聞いて欲しい。あなたは偉大な人物だ、だからこれからする話は臆病だとか弱さだとかの話ではないと理解してくれるかい?」
「はぁ? いきなり何よ」
セイアがいきなり話し始めた前置きに私は困惑してしまう。
だがセイアが真剣である事を私も察して、大人しく続きを待った。
そしてセイアは端末を取り出すと、私に画面を見せた。
「思うに陛下は、
画面に映されているのはPTSDの解説。戦争や災害などに遭遇した人間が発症するもので、辛い体験のフラッシュバックや長い間悪夢にうなされ続ける事を指すらしい。
「前から思っていたんだ。悪夢の頻度が多すぎる上に、症状は悪化傾向にある。トラウマのフラッシュバックもあるのだろう? 死の不在が気になるのもその一環なのではないかい?」
確かに最近は寝るたびに悪夢を見てはいるが、その程度大したことではない。
記憶のフラッシュバックといっても、似たような場面に遭遇すれば思い出すのは普通だろう。セイアの考え過ぎだ。
生き物が死なない不自然さも今までの環境との相違から来る違和感だろう。別に問題はない。
「ふっ、何を言い出すかと思えばそんな事? ミネもそうだけど心配しすぎよ。悪夢なんて別に実害はないのだし、フラッシュバックとやらも平気だし問題ないわ」
「そうか、陛下がそう言うのなら信じよう。だけど忘れないで欲しい。PTSDは辛い状況の真っ只中に居て発症する物ではなくて、安定した状況になってから襲ってくるんだ。必要ならミネを頼ってあげて欲しい」
私の想像よりあっさりセイアは引き下がった。てっきりミネみたいにあれこれ言ってくると覚悟していたのだが、そこはセイアの冷静な性格の面目躍如だろうか。
セイアは紅茶を一口飲んでから結論を口にした。
「つまりだね、陛下が気にしている死の不在は、ストレスと環境の変化による違和感だと私は思う。陛下の今までの人生と、今の生活は全く種類が違う。その大きすぎる変化があなたを混乱させているに過ぎないのだと思うよ」
血みどろの内戦の中で皇帝として生きる人生と、戦争の無い平和なお嬢様校の生徒としての生活。その差異が私を混乱させ、必要以上にその差を感じさせているのだとセイアは言いたいのだろう。
「そういうものかしらね」
私は正直納得していなかったが、この小さな賢者が出した答えなのだ。少なくとも他に納得のいく手がかりがない以上この回答に反論するのは無益な事だ。
しかし昨日に続いて今日も密会をして大丈夫なのだろうか。そう思わないでもないが、そのためにこのセーフハウスなのかもしれない。
「しかし話は変わるけど、随分立派な隠れ家を持っているのね。木の葉を隠すなら森の中という事かしら」
「下手に簡素な建物にすると郊外ならともかく、この辺りでは逆に悪目立ちしてしまう。一般生徒でも背伸びすれば手が届く程度の建物が一番目立たないからね」
「この大豪邸が一般生徒でも手が届くとは、トリニティ総合学園の財力おそるべしかしら」
「まあ内装はその限りではないがね」
そう言ってセイアは笑った。その表情の変化はごく小さい物で、笑っている事に気づかない者も多いだろう微かな笑みだった。だがそうした笑みだとしてもセイアは案外笑う子なのだ。
座り心地の良い椅子、高価な茶器、凝った装飾。どれもこれもアリウスではとても手に入らない物ばかりだ。かつて絵画や内装に凝っていた部下が居たが、彼女が見たら嫉妬で気が狂うのではないだろうか。
「しかし便利な物ね。快適に過ごしながら居場所を隠せるだなんて。あなたの事だしセーフハウスは誰にも見つかっていないのでしょ」
セイア程の知性の持ち主が作成した隠れ家なのだ。トリニティにも優秀な生徒は多いが、セイアよりも知性の優れた生徒は中々居ない。だからこそ、半ばセイアをおだてるつもりでの発言だったが、彼女は首を横に振った。
「いや、恥ずかしい事に見つかってしまってね。流石にこのセーフハウスではないが居場所を割られてしまった事はあるよ」
「へぇ……随分賢い子なのね」
驚いた。そんな事がありえるのだろうか。
セイアの頭の良さは幼少期から傑出していたのだ。子供の頃のセイアが哲学書やら論文を読んで周囲に質問し、周りを困らせていたのは私には記憶に新しい。
今も学年で成績トップを独走するセイアに迫る知性の持ち主がこのトリニティに居る。正直言ってかなり興味を惹かれた。
「誰、その子。できる事なら身内に引き込んでおきたいわ」
何だったらその捜索能力を活かしてアケミ追跡に一役買ってもらう。そんな私の考えは、セイアの言葉によって覆される。
「それなんだが、多分難しいと思うよ。彼女は天才だがあなたのように栄達を望むわけでも、争いを好む訳でもないからね。凡人として日常を送りたいのさ。きっとどんな条件を出しても断られるよ」
「そんな馬鹿な……」
セイアに迫る知性を持っていて野心が無い? そんな意味不明な事があるわけが無いだろうに。何かしらやりたい事があり、欲望を持っているはずだ。
そうなればその知性を総動員して目的を達成するだろう。私はそうだったし、周囲に居た人間はみんなそうしていた。
あっけにとられる私を見て疑問を察したのか、セイアは回答をよこした。
「誰もが君のようでは無いという事さ。ほとんどの人間は夢を諦めるし、それほど欲望を持ち合わせていないし、逆境に遭遇すれば心が折れるんだよ」
「能力があれば欲望は沸いてくる物だと思うけれど。できる事が多ければやりたい事は加速度的に増えていくわ」
「世界一速く空を飛べる翼があっても、地を歩いていたいと思う変わった鳥も居るという事さ。その翼で羽ばたくことを望んだあなたとは違う選択をしたという事だね」
才能を活かさず、向いていない方向へ好き好んで向かうという事か。別に例を知らない訳ではないが、そんな事できるはずが無いだろう。才能とは呪いなのだ。
「そんなご立派な翼を持っておいて、周囲が放っておくかしら」
「そういう事だ。あなたを含め、彼女の持つ知性はどうしても周囲を誘惑してしまう。それが一番の問題なんだ」
セイアはため息を吐く。なるほど、どうやらその子はセイアが面倒を見ている生徒なのだろう。
才能はどうしても誰かを引き寄せる。誰もがその才能のおこぼれに預かりたいと願うし、利用して栄達を掴もうとするものなのだ。
何なら単純にその才能の輝きに魅了されて、一方的な好意を向けてくることもある。逆もまたしかり勝手な嫉妬が山のように飛んでくるのだ。普通の人生など送れるはずがない。
そう考える私に、セイアは私に問いを投げかけた。
「現状のまま放置すればあの子は壊れてしまう。だが才能に向き合えと説得するのは私には不可能だった。もしあなただったらどうするんだい?」
「向き合わせるわ。逃げて何になるの? いつか才能に向き合う日はやって来るんだから、早いに越したことはないじゃない」
そうだ。どれほど嫌っていようが、いつかは才能の方から『私を使え』と押し掛けてくる。それが天才の宿命だ。
人間は周囲より上に立ちたいという本能があるのだ。そんな人間が必ず周囲より上に立ち成功を掴めるチケットを使わずに居られるはずがない。
あるいは何かしらの窮地に陥った時、天才はその才能を行使するだろう。その勝利のチケットを生涯一度も使わずに居られるはずが無いのだから、早いうちに覚悟を決めておくべきだ。
私の答えに、セイアはため息を吐く。
「あなたはやはり苛烈だね。だからこそ乱世で覇を唱える事ができたのだろうが。彼女とは全く真逆の人格だよ。だが……」
セイアは考え込む。あれこれ試案し、どうするべきか悩んでいるのだろう。だが数分もしない内に結論を出した。
「一度、あなたと会わせてみるのも良いかも知れないね。逆の思考回路を知って学びになる事もあるだろう」
「あら本当、それは嬉しいわ」
「あまりしつこく勧誘しないでおくれよ。あの子に嫌われるのは少々堪えるんだ」
意外だった。セイアはミネ以外にあまり友達が居ないと思っていたが、思ったより関係が深いのかもしれない。
セイアは嫌味で少しその知性を鼻にかける所があるが、案外面倒見がよく心が広いタイプなのだ。再会してからあれこれ話し合って、その事は強く感じている。特に友人には甘いタイプだ。
だからこそ、この同盟者の意思は尊重するべきだ。
「わかったわ。私こそあなたに嫌われるのは堪えるもの。だから勧誘は一度きりにするわね」
「そうか、なんだか面と向かって言われると気恥ずかしい物があるね」
セイアが少し頬を赤く染める。意外と赤面するタイプなのだ、新発見である。今度また赤面させてからかってやろう。
話題を入れ替えようとしたのか、セイアは早速その人物の紹介に移る。
「そうだ、まだ名前を言っていなかったね。彼女は浦和ハナコ。今年入学の一年生だ」
「へぇ、一年生。意外だったわ」
一年生でセイアに迫るとなれば、後の成長が楽しみである。
何としても手に入れて覇権の手掛かりにしよう。私はそう思い、口説き方を考えた。