鮫と石竜子は知っている   作:ミトコンドリアン

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二ヶ月以上期間を空けたバカがおるらしい。
…アタシだよっ!!!!!!!

私生活が激忙しいせいで筆を取れていなかった、そして別の小説に時間も取られていた私です、ミトコンドリアンです。すーぐ風呂敷広げちゃうのが私の癖。

お気に入り3094件、評価もありがとうございます。これのために生きてるまであります。

さて、今回もスランプから脱するための番外編。書いてる間にゼンゼロ本編がだいぶ進んだので、趣向を変えてIFルートでございます。今後もいくつか書く予定。

では、どうぞ。




幕間:【IF END No.1】“雲嶽山の修羅”

 

 

「…………いきますよ、老师(ろうし)

()はよせと言っているだろう。…来い」

 

 涼しく乾いた空気の漂う、山中の広場。綺麗な石畳の敷かれた円形の広場は、歓談や集まりを楽しむ広場でなく…修練場、と称した方が適切だろう。そこには男女が向かい合って立っていた。

 

 男は若く、まだ17ほど。同性が見ても頷くほどの初々しい美少年。眉目が整っており、背丈はそこまで高くなく、体格も華奢。しかし、七分にあつらえた道着からはまるで爬虫類のようなしなやかな筋肉が覗き…否、まるでというのは違った。この少年はまさに爬虫類、黒曜のような鱗が生え揃ったトカゲのシリオンであった。

 

 対して女は妙齢の女性、20代後半ほどか。佇まいは静かだが、しかし男と対峙するにあたってその静寂を自らの気迫で切り裂いている。こちらも目を見張るほどの美貌を備え、構えを取る男に楽な姿勢で対峙している。

 

 二人の間に風が吹く。かさかさと落ち葉が地面を這い音を立てている。それ以外には虫の音ひとつしない、涼しい空間。しかし静寂が耳をつんざき、両者の気迫が擦れ合う音すら聴こえてくる気がして…

 

 男が動いた。

 

「…………シィッ!!」

 

 破裂音。鉄杭を壁に打ち込むような衝撃音。その瞬間的ながら激しい音が修練場に響いた。しかし、二人とも丸腰、銃砲の類は所持していなかったはずだ。ならば仕込み武器か?

 

 いや…違う。その音は今まさに、少年の身体から響いていた。…男が拳を振り抜く度に…()()()()()()

 

「…」

 

 その動きを見てとった女はゆらりと左手を構えた。手の甲から肘にかけてのラインを、少年が振り抜いた拳の延長線上に添えるかのようにし…次の瞬間、そこから黒と金の()()が飛び散る。この間、わずか0.02秒の出来事であった。

 

 何が起こったのか…それは、彼らの次の動きを見ればわかるであろう。10秒ほどの間、断続的に破裂音が響き、黒に金の混じった墨が石畳を汚し…女が動く。

 

「良い“遠当て”だ。神気集結…!」

 

 流れるような身のこなしでぬるりと少年に肉薄した女は、流れるように腕に纏わせた黒金の奔流を、押し出すように少年に向けてぶつける。少年がそれに対して選んだ択は…相手と同じものであった。

 

「凝…!」

「ほう…やはりか」

 

 こちらも腕を構え、女と同じ墨汁の   しかし、その色は黒と()であった   防壁にて受け止める。しかし、こちらは受け流すのではなく、地に足をつけ強かに弾き返すような感覚。女は感心したように言葉を漏らした。

 

「やはり、お前さんの受けには、っ!目を見張るものがある!」

「そりゃあんた、にっ!鍛えられてますからね!」

「ここまでとは思ってもみないさ。まるで山を押す感覚だ!しかし、()呼びは止めろと言ったが、()()()もそれはそれで認めん…!」

 

 軽口を叩き合いながらも、至近距離で墨汁を纏った打撃を打ち込み合う二人。貫手や鉄山靠、延髄蹴りに肘打ちなど、二人とも好きに、そして気まぐれに選んだ打撃を打ち込むも、受ける方はまるで修練用の木人のように確かな反作用を返した。少年が仕掛ければ女は逸らし、女が動きをかければ少年はしかと弾き返す。これぞ柔と剛の対決と呼ぶに相応しいと、これを見れば誰もが納得するはずである。

 

「お前さんもここまでになった!まだ若造だが既に…おっと!」

「いいや、まだ老师からは学ぶことが残ってます、よっ!!」

「ハハ、やる気があるのは良いことだ…ほれ、もっと強く揉んでやろう!」

 

 次第に二者の動きが激しさを増していく。打ち込む打撃も剛性を増し、床を汚す墨汁の飛沫も範囲を広げていく。人同士の肉弾戦からは決して発してはいけない、空気を裂く破裂音のスパンも激しさを増していき…がく、と、少年の左手がいきなり身を持ち崩した。

 

「無茶をし過ぎたな。お前は内傷を溜めすぎるきらいがある…と!前から!言っているだろう!!」

「ぐ、あ…!!」

 

 その隙を見逃さなかった女が、防御の崩れた少年の左手を掴み、引き寄せ…言葉を投げつけながらいち、に、さん。引き寄せざまに脇下の体側に一発、背中側にひねり潜り込んで一発、そして自らも体を捻り、振り向きざまに柔らかく握った裏拳を両鎖骨の境目に一発。強かに打ち込まれ、少年は苦悶の声と共に膝をつく。荒い息をし、顔から玉のような汗を垂らして石畳にてんてんと灰色を作っていく。そして少しの間を置いてから、未だ掴まれたままの左腕が持ち上げられている先を見る。

 

「頑健に弾き返して敵の体幹、そして精神を崩し反撃の時を窺うお前のやり方。考え方は可笑しくない。だが、お前さんは昔から我慢強い、だからこそ我慢しすぎるきらいがある。だから“引き際”を見誤るなどするんだ」

「フゥ………、ゼィ……」

「そもそも、お前さんは後の先に向いていない。昔から言っているだろう…どちらかというと先の先向きだ」

 

 地面に膝をつきながら見上げた女の顔は、少年のようにあからさまに汗をかいてはいないが、若干汗ばんでいる…ような気がする。それに気がついた少年は、やはり未だ遠い領域に彼女はいるのだと実感する。あおるような時点で見上げているせいで彼女の豊かな双丘に阻まれて顔の下半分が見えていないまま、悔しいのか楽しいのか複雑な感情を視線に乗せて彼女に目を合わせた。

 

「だが、やはり弾きの技法は良かった。…良いセンスだ」

「良い…センス……」

 

 ハハ、と渇いた笑いを持って女の言葉を受け止めた少年は、息を整え終わった頃にそのまま握られた手を支えにして立ち上がる。自分より背の高い、彼が師と仰ぐ女に向かってもう一度、しっかりと芯の通った言葉を投げかけた。

 

「では儀玄(イーシェン)老师、もう一度手合わせ「だめだ」うおっ…なんでですか」

「ハア、空気を読んで喰らってやるくらいしたらどうだ」

 

 彼の言葉に渾身の()()()()で返した女…儀玄は、それが避けられたことに対して不服そうな顔でため息をつき、続ける。

 

「今のでもう朝から8回目。昼だぞ、流石に腹が減る。…それにまた老师などと、それは似合う年齢になってから呼んで欲しいものだな」

「……………確かに、老师はお婆ちゃんになっても様になるでしょうね」

「やかましい」「うぇっ…喰らいませんよ!」

 

 彼女はまた空振った人差し指の()()を感じながら、踵を返して修練場を後にする。少年もその後に続き、二人で山道を降り始めた。

 

ーーー

 

 自らの居城へと足を進めながら、ふと儀玄は振り返る。いきなり振り向いた師を怪訝な目で見つめる少年の存在がしっかりと感ぜられ、誇らしいような、そんな気持ちに襲われた。

 

 儀玄が彼…クラウスを弟子に取ったのは9年前。旧エリー都陥落の、あのゼロ号ホロウの大災害の丁度2年後。綺麗な身なりをしている癖に、ふらふらとその辺を歩き回っていた少年が気になって、彼女自らが声をかけたのだ。

 

 彼から話を聞くに、自らはあの“ヴィオレンツァ”の出であると。しかし当主であった父は他界し、母も同じくして息を引き取り…大災害で侵食障害を患い、もはやマトモな人として生きられぬ状態“だった”彼には利用価値などなかった。傀儡として裏から家を牛耳るのにも使えぬ小童は、ヴィオレンツァに連なる家を転々と盥回しに遭い…気づけばこんな所までやってきていたそうだ。

 

 お金の入った袋だけを持たされて、門から蹴り出されたんです。と、諦めたように笑っていた彼を見て、()()ヴィオレンツァもそこまで堕ちたか、と世の無常に思いを馳せていると…隣にいた一番弟子が叫んだのだ。

 

『あんまりですこんなことって!!うちに来なさい!!!!!!』

 

 どうしてそこにつながるのか、当時の儀玄は不思議に思ったものだ。一番弟子の起こした気まぐれの情けに、最初は断ろうとしていたクラウス坊も、ごねにごねる一番弟子に根負けして一晩泊まっていった。しかし、翌朝になって彼を泊めた部屋に入れば、そこにはいくらかのお金と共に“おせわになりました”と書かれた紙が。おそらく窓から抜け出したのだろう。

 

 もぬけの殻の部屋を見て、一番弟子も二番弟子も残念そうな顔をしていた。二人とも、あのぐらいの子供が路頭に迷うのは心苦しいであろうし……自分も少し、昔を思い出したものだ。暫く置いてやっても良いというのに、出て行ってしまわれたのでは行方もわからない。追いかけることもできなかった。

 

 さて。そのように分たれたのでは、今彼がここにいる理由にはならないではないか、と抗議しているあなた方の意見も尤もだ。この話には…続きがあるのだ。

 

 それからひと月ほどが経って、儀玄と一番弟子は自分らの一門の復興資金のため、ホロウ調査の護衛として雇われていた。ホロウの中を進み調査員の露払いをするうちに…()()に出会った。

 

 石竜子だった。黒曜の鱗に緑の脈が混じった、凄まじい邪気を放つ二足の石竜子。それが眼前で飛び跳ね駆け回り、自らより何倍も大きな侵食体を圧倒していた。ただ身体の赴くままに蹴り、殴り、爪で掻き…瞬く間にそれを組み伏せ、空気を震わせるほどの雄叫びを、勝鬨を上げたのだ。

 

 まだ若かった一番弟子は、それに体がすくんでしまった。物陰から石竜子を観察しながら、手で一番弟子を庇う。アレを相手取って…勝てはする。しかし無傷でいられるかどうか。儀玄は石竜子がどう出るのか、未だ侵食体の残骸の上にいた石竜子の様子を窺っていると…不意に、その石竜子の頭が()()()。まるで編まれた糸が解けるように、頭の部分が解きほぐされたのだ。そして、その中から現れたのは…あの少年の顔、だった。

 

『…ああ、そんなことって…!』

 

 一番弟子がそう漏らしたのを今でもよく覚えている。大災害では同じように多くの子供が犠牲になったことは当然の事実だが…知った顔の少年がああもなってしまったら、やはり良い気分ではいられない。この時は、もう完全にクラウス坊は“やられて”しまったのだと儀玄は思っていた。…それが当然だろう。エーテルの侵食を逃れられるものなど、この世に存在しないのだから…。

 

『…いただきます!』

 

 明るい少年の声がした。何処からだろうか。………それは、目の前の石竜子の化け物が発したのだと儀玄たちが気付いた頃には、少年は動いていた。

 

 ばき、ぼり、むしゃむしゃ。狩り殺した侵食体の残骸を、まるで巨大な砂糖菓子に齧り付くように貪る。溢れ出した液状のエーテルを長い舌で舐め、啜り、喉を鳴らして飲み…舌鼓を打っている。

 

『ああおいしい、おいしい…ピリッとして、幾らでもいけちゃう…!』

 

 香辛料の効いた食事にかける言葉を、あろうことか侵食体の残骸にかける少年の背を見ながら…儀玄はある考えに至っていた。

 

 アレには、未だヒトとしての意識が残っているのだ。アレは…まだ救える。そう考えた儀玄の行動は早かった。物陰からゆっくりと身体を出し、わざと足音を立ててこちらに気づかせる。勢いよく振り向いた少年の顔色がさっと蒼くなった。

 

『………久しいな、クラウスの坊、だったか』

『…シェアッ!!』

 

 言葉をかけた瞬間、少年は一瞬にして儀玄の眼前へと踏み込んできた。大きく開かれた掌が私の頭へ向けて振り下ろされ…

 

『おっと。…何をするつもりだった?』

『な!…くっ、は、離して…!!!』

 

 そのコースに腕を差して受け止め、そのまま抱き止める。両腕と身体をいっぺんに拘束し、蹴りでの暴れは半身になって右脚を少年の股に差し込むように位置取ることで不可能にする。受け止めた腕には濃いエーテルの力場が形成されていた。

 

『何を、するつもりだった?言わなければ…少し痛い目を見てもらう』

『えっ………、……………そ、その…』

『さん、にい、いち…『ひっ、わ、分かりました言います!』そうか。何をするつもりだった?』

『………脳みそいじって、忘れてもらおうと…』

 

 少年がそう宣うのを、儀玄は更に問い詰めた。彼が言うに、今までも自分の素顔を目撃した人間の記憶を消してきた、と。エーテルの部分的な軽度侵食で記憶を弄り、そこだけ忘れてもらうのだ、と。それを聞いて、儀玄は少しの関心を覚えた。故に、訊いてみた。

 

『エーテルの操作をそこまで精密に?どうやって?』

『………え、感覚でわかります、けど…………』

『…ほう。成程、成程………』

 

 儀玄は彼の返しを受け、とても高揚したのを覚えている。儀玄はこの日、天性の“術法”の才能を持つ人間を見つけたのだ。これは、磨けば光る。我ら雲嶽山の頼もしい仲間となってくれる。そう結論づけた儀玄の行動は早かった。少年を拘束したまま一方的に声をかける。

 

『お前さん、やはりウチヘ来るといい』

『…は?』

『愛弟子たちも寂しがっていたぞ。…おい福福、そろそろ出てきてもいい』

『え゛っ…は、はい…』

 

 物陰からするりと、少し怖がりながら出てくる一番弟子を見て、少年が儀玄の腕の中で声を漏らした。少年は震える声で私の提案に返した。

 

『…無理、です』

『ほう。その心は?』

『僕は…………ヒト、じゃないので』

 

 確かに、エーテルをそのまま貪るような存在がヒトなわけがない。ただ……あの時一宿一飯を共にした少年は、確かに一人の人間だったであろうに。

 

『エーテル食べないと死んじゃうし、お腹空きすぎると暴れちゃうし……むり、です。人と一緒にいたりなんかしたら、ダメだ』

 

 儀玄の腕の中でクラウス少年が発する言葉は、悲しみと諦念に塗れていた。この少年は世捨て人になるつもりであったのだ。未だ若いその身体には大きすぎるものを、彼は背負わされていた。

 

『だから嫌です…あの、脳みそは何もしませんから、離してくれませんか?』

『……………………ならん』

『え゛』

 

 儀玄は激怒した。必ず、この少年の背負わされたものを取り払ってやろうと決意した。儀玄の行動は早かった。くるり、と抱え上げたクラウスの身体を回転させ、自らの胴体にクラウスの背があたるように…つまり、後ろ抱きの体勢に。そして…首に腕を回し、一気に締め上げる!!

 

『少し、寝ろ』

『ゔっ!!お゛、ぅ゛え゛ぁ゛…………』

『え、えあーーっ!?おっお師匠様何やってるんですかぁ!?!?』

 

 ほんの少しばかり暴れたクラウスだったが…ちょっと絞めてやるだけで、ぱたりともがくのをやめた。意識を失ったクラウスを肩に抱えて…雲嶽山へと連れ帰ったのだった。

 

ーーー

 

「…あの時は死んだと思いましたよ。もっと優しくできんもんですかね」

「アレぐらいしなきゃ、お前さんは大暴れしただろうからな」

「…………否定はしません」

 

 天がとっぷりと濃紺に満ちて、半分ほどが黒く歪んだ月が大きく浮かんでいる。自室の窓際に小さな机と椅子を備えて、月光の下に語り合う。

 

「…改めて、ありがとうございます」

「なんだ藪から棒に」

「………僕の体の事です。その…()()のことです」

 

 そんな事を言いながら、目の前の弟子は自らの手を見つめている。それを月光に透かすように掲げ、目を細めてから握り、緩める。そんな仕草を観察しながら、猪口からひとくち含み味わう。

 

「衝動を老师が抑えてくれるおかげで、僕は今の今まで暴れていませんし…潘さんに福福姐姐(ねぇね)、それに釈淵哥哥(ぐぅぐ)ともよく付き合えています」

「フフ…あやつらにとっても、もうお前さんは家族だろうな」

「そう、ですね…そうだと嬉しいです」

 

 本当に嬉しそうに、しかしささやかに微笑する弟子。彼も黒い徳利から自分の猪口に()()()()()()()()()()()()()を注ぎ、くいっと煽る。通る酒精が喉を焼く感覚がするのだろう…少し眉を顰めて机に伏し、猪口を眼前まで持ってきた彼はなんとなしにそれを眺めている。

 

「エーテルの補給は確かに大事なんですけど…やっぱり()に溶かすのはよしたほうが…やっぱり直接エーテルを食べた方が」

「それはいかん。“向こう側”に寄ることになるぞ…。それに、お前さんと一緒に色々吟味して、それが一番マシな味だと言ったじゃないか」

「…まあ、確かに…侵食された食い物よりマシですけど」

 

 エーテルを摂らねば存在を保てない。そんな彼の体質に難儀して、私と他の弟子達も巻き込んで色々試行錯誤したのは良い思い出だ。普通の食べ物を侵食させたものは“どっちつかずで美味しくない”と吐き戻し、色々試して酒にたどり着いたのだ。…この際、命の問題なのだから年齢はさておくとする。

 

「フフ、なんだ?それともまた玄墨から流し込んでやろうか?」

「…………冗談でもやめてくださいよ。あれとっても苦しいんですから…!」

「ハハ、わかったわかった」

 

 ぷんすかと怒りを露わにする弟子の様子がおもしろい。エーテル補給の試行錯誤の最中、私が術法と玄墨を利用して直接流し込んではどうか、という意見が出たため試したのだ。結果としてはできたのだが………

 

『お゛、く、ぅ゛え゛あ゛ごッ、プ、れぇお、あ゛……!!!!』

『お、お師匠様…これダメなやつじゃないですかぁ…!?!?!』

 

 喉奥に指を突っ込み、それに玄墨を沿わせてエーテルエネルギーを送り込むたびに、抵抗するように指の間を舌が暴れる。嗚咽と共に唾液がぼたぼたと口から溢れて地面に落ち、私の指をぬらぬらと汚していったのを覚えている。見ていた福福がまるで見てはいけないようなものを見たかのように指で目を覆い、しかし間から気まずそうにチラチラと見ていたのを覚えている。

 

 その時のクラウスは、苦しみから心拍が上がったのか上気した頬に、涙に潤んだ眼で苦しげにこちらを見つめていた。…その、つまり…なんか妙な気分にさせられる光景だった。だからあの時に“二度としない”と約束させられたのだ。何故か福福の奴とも約束していた。なぜ?

 

「………………なんすか、じっと見て」

「…他意は無い」

「そうですか」

 

 彼の酒精に赤らむ顔を眺めていると、それに気づかれたので誤魔化す。あの少年が今ではその面影を残したままに美少年へと成長したのだから、これからが楽しみだなあ、と、他愛のない事を思うなどする。

 

 鼻筋が通っていて、目はぱっちりと開いている。まつ毛は男にしては長いし、唇も薄くしっとりとしているのが見ただけでわかる。手に取ってひと撫ででもしたいぐらいには愛らしい顔が、酒精に少し蕩けている。潤んだ上目遣いでこちらを見つめてくる弟子を見ていると…やはり、こいつは女好きのする奴だな、などと思ったりするのだ。

 

「…お前さん、()()()()はまだ見つからないか」

「…………………修行なら老师とが一番ですが」

「違う。コレのことだ、コレ」

 

 右手の小指を立てて軽く振ってやると、素直に蕩けていた顔が一気に顰めっ面になる。ぶはー、と溜め息をついて不機嫌そうな声をあげた。

 

「老师…貴女はサシ(一対一)で酒が入るといつもそれですね。そんな人でしたか?あなた」

「何、こんなに良い男の子(おのこ)だと言うのに、なかなかそう言う話を聴かんからな」

「そんなの作る暇あるわけないでしょお?」

 

 んべ、と短く舌を出す仕草が()()()()で面白い。しかし、私個人としては本当に不思議に思っているのだ。まあ、私はそんなことはなかったが…このぐらいの年齢になれば、パートナーの一人二人はできると聞いたのだが。

 

「ホラ、あれだ。お前が稽古をつけた中に良い娘が居たりとか」

「彼奴らだって修行が大事です。僕も彼奴らもそんなこと考えませんよ」

「別に門内恋愛は禁止しておらんのだがなア」

「山門を下り、俗世の色々を薄れさせた奴等です。そういうのは無いですよ、多分」

 

 手酌をしながらかぱかぱ酒を入れるクラウス。なんだつまらん、と私は呟いて、次の愛弟子をからかうネタを探して…ほくそ笑む。

 

「そういったことも、心を磨くのに良いんだぞ?……じゃあ福福の奴などどうだ。瞬光なんかも」

「…エ〜〜〜?」

「なんだその顔は」

 

 鉢割れの猫のような顔になったクラウスは自由な左手のひらを振りながら言葉を紡ぐ。

 

「福福姐姐は…僕にとっちゃ姐姐ですし、あの人にとっても僕は弟弟子でしょ。瞬光姐姐も同じですし…まず、そんな仲になったら釈淵哥哥が怖いです。二人とも確かにかわいい人だとは思いますが、そういう感情は持ったことないです」

「普通の女子はダメ、かといって可愛らしいのもダメか…理想が高いな、そんなのでは一生相手ができんぞ?」

「別にいらんです」

 

 徳利を傾けても中身が出なくなって、振ってぴっぴと雫を猪口に落としながら、クラウスはぶっきらぼうにそう返事した。頑固なものだ。

 

「お前さんは立派だ。青溟鳥を()()()紐解くばかりか、()()()焼き増して書き直した(コピーして改造した)のだからな、ン?」

「………だって出来そうだったから」

「出来ているのが凄いことなんだ。……とくと自覚しろ、お前は立派だ」

 

 そうかな、と生意気にも呟きながら、此奴は指先に登ってきた銀の玄墨で象られた蜥蜴(青溟蛟)に向かって首を傾げた。それに従って蜥蜴も首を傾げるようにして、さっさと彼の袖の中に潜っていってしまう。

 

 この朴念仁は、あまり褒めを素直に受け取ろうとしない。この弟子はあまりにも頑固だった。…だから、一発喰らわせたくなってきた。いつものを言うことにして、私は口を開いた。

 

「じゃあ、相手ができなかったら私が貰ってやる」

「まぁたそんな冗談言って〜!!」

「何を。私は本気だぞ」「うそだぁ〜」

 

 …これを言った時、最初のうちは顔を真っ赤にしてもじもじしていたから面白かったのに。ある日を境に反応がだんだん悪くなってきて、今や軽くあしらわれるようにまでなってしまった。

 

「老师、貴女は美人さんで強くてかっこいいです。僕にゃ勿体ない」

「私がそういった相手を見つけるのはお前さんが相手を見つけた後だ。そうでないと、お前さんが困った時誰が貰ってやれる?」

「……そんなに待ってたら老师、貴女はおばさん通り越しておばあさんになっちゃいますよ」

 

 呆れたように言う愛弟子の赤ら顔の上目遣い。安心しきって酔っ払って机に突っ伏して…無防備な姿を晒している。そんな様子を間近で観察していて…()()()()になってくるようになったのはいつからだったか。そんな気分を紛らわすため、生意気なことをぬかす弟子の頭に手を伸ばした。

 

「おばさんとは随分な言い草だな、生意気なやつめ…!」

「うおわわわわわ」

 

 濡れた鴉羽のような髪に手櫛を入れぐしゃぐしゃとかき回してやると、力の抜けたクラウスの頭がぐらりぐらりと手に従って右は左へ。くすぐったそうに笑う彼の顔は月光に照らされ白く輝き、酒精によって赤が差している。…やはり、女好きする顔だった。

 

「どうだ?参ったか?」

「あはは、降参しますよ…でもそっか、そっかあ」

 

 乱れた髪の体裁を整えながら、クラウスは何かを咀嚼するように呟いている。酒で赤らんだ顔をふにゃりと和らげ、私の目をその縦に割れた双眸でしっかりと見つめながら、続けてこう呟いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「儀玄老师がもらってくれるなら…あんしん、ですねぇ…」

 

 …何年間も、下手をすれば十数年間も仕舞い込まれていたものが、私の心の蓋を吹き飛ばし…溢れてきてしまった気がした。

 

「…クラウス、お前さん………今なんて言った」

 

 勝手に口が言葉を紡ぎだした。遠くで弾き飛ばされた錠前が、がらんと地に落ちるのが聴こえる。蓋を封印していたそれが視界の左端に転がっていくのを幻視して…ゆっくり、彼の頬へ手を伸ばし、そっとひと撫でした。

 

「……くぅ……くるるる…」

 

 寝ている。それがわかった瞬間、なぜか安堵のため息をついてしまった。このままでは風邪をひいてしまうから…ゆっくりと彼を抱え上げ、すぐ近くの私の寝台に寝かせてやる。

 

 白いシーツの上に皺を作りながら、黒い鱗が波打っている。無防備に寝顔を晒すクラウスのあどけない顔も横たわっている。…私は懐中から取り出した何枚かの札を傍に置き…クラウスの寝巻きに手を掛けた。

 

 ぷち、ぷち。釦をひとつずつ外してやる。今日はなんだか妙に手が震えた。下まで外しきったら、手を差し込んで開いてやる。顕になったのは、石竜子でなく人の成分を残した腹側の柔肌と…そこに何枚か貼られた()

 

「…………やはり()()が早い」

 

 そうひとりごちながら、黒ずんだ札を指で剥がしていく。術法で肌に張り付いていたそれを音も抵抗もなく剥がしていって、新しいものを貼り付けていく。

 

 腕から寝巻きの袖を抜くと、鱗ばったその肌にも札が貼り付けてある。こちらも剥がして新品に取り替え…脚の方も同様にするため、寝巻きのズボンも脱がしてやる。

 

「………多めにしておくか」

 

 確かな筋肉の重みを感じる、しかし華奢ですらりとした黒鱗の片脚を持ち上げ、また札を取り替えた。全身貼り替え終わると、下着一枚と全身に術法の札を貼り付けたクラウスの身体が横たわっていた。その姿に、今までで初めて…何かむず痒いものを感じたが、なにをすることもなく頭の隅に追いやった。

 

 クラウスの胸に貼り付けた札に手を当て…“術法”を練る。

 

「起…神気終結…急急如律令」

 

 玄墨の柔らかな流れがクラウスの全身に貼られた札の間を廻る。糸を編むように、または線を引くように、力の回路を張り…()()を再構築した。

 

「よし。…………これで、明日どうなっているか、だな」

 

 こきこきと手の骨を鳴らし、続けて目一杯伸びをした。気が済んだら寝巻きを着せてやって、腰をクラウスの寝ている隣に降ろし、自分も寝台に寝そべって掛け布団をかけた。

 

「まあ…毎日これでは、彼女などできんのも納得だな」

 

 クラウスには自室がない。私の部屋で寝泊まりするからだ。

 クラウスには自分の寝床がない。私と同じ床につくからだ。

 クラウスには自分の枕もない。大きな枕を私と使うからだ。

 

 クラウスの身体、その極めて特異な身体に眠る危険な力が、万が一にも溢れるといかん。だから、()()()()()()()()()()

 

「フフ、それは私も一緒か…まあいい。おやすみ…」

 

 深い眠りの底にある彼の顔にそう呼びかけて…私自身も、同じく夢境へと旅立つのだった。

 

 

ーーーーー

 

 雲嶽山に、抜山蓋世の猛虎あり。とは、この門内で大姉弟子がいつかに豪語した言葉である。彼女が薄い胸と低い上背を張ってそう言うと強がっているようにしか見えないが、実力は本物である。

 

 そしてまた、雲嶽山にはもう一つ同じような言葉があった。あることを体験した門下生たちは、こぞって首を縦に振るだろう。

 

「フッ…ハァっ!!灼火…!!」

 

 空気が弾け、火花が散る。黒の墨汁に混じる銀のエネルギーが迸り、三段に分けて放たれた打撃が次々とエーテリアスを屠っていく。

 

「透徹…豪昇竜、迅雷ッ!!」

 

 紡がれる言葉に特に意味はなかった。彼の尊敬する姉弟子が、“かっこいいし様になるからやった方がいいですよ!”とのことで、なんとなく口に出していた。しかし、そのルーティーンはいつしか彼の集中を高め、打撃力を倍増させるお呪いと化していた。

 

「斬空!朧……剛雷!」

 

 エーテリアスをちぎっては投げ、最後に残ったのは襟巻き(タナトス)が一体。一旦体制を立て直し、視覚外からの奇襲を狙ってか、タナトスが身を翻しホロウにその身を溶かそうとし…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は玄墨の残影を纏い、タナトスの襟を掴む。

 

「一瞬……千撃!!」

 

 瞬歩。滑るように、目で追えぬ速さで捉え、握った拳をタナトスのコアに叩きつけ…その身から玄墨を迸らせ、()()()()()()()()

 

 その空間では、彼は()()()()()()()()()()。必中、必殺の格闘を…どこからでも、何発でも、際限なく一息に打ち込める。

 

「抜山蓋世…鬼哭啾々……故!!!!!」

 

 暗闇の中に鳴り響く重たい拳と蹴りの音。どすの効いた少年の声が恐ろしい程に響き渡り、まるで彼が複数人に分身して同時に攻撃しているような錯覚さえ覚えて…いつのまにか、展開された黒銀の世界は折り畳まれ、彼の中へと消えていた。タナトスの姿はどこにもなかった。骸すらも、見当たらなかった。

 

「故………故…………ハァ」

 

 残心をゆっくりと解いて、やわらかく握っていた拳を開いた。ため息をついて首を回して…近くにあった瓦礫の影へと駆け寄る。そこには女性の門下生が一人、心細そうに蹲っていた。

 

「もう大丈夫ですよ」

「…く、クラウス兄弟子…!」

 

 声をかけると、彼女の表情が安堵に包まれた。そう、彼はホロウに取り残された妹弟子を助けに出向いていたのだ。彼が手を差し出すと、妹弟子はそれを引いて立ち上がる。

 

「災難でしたね。…まあ、裂け目に巻き込まれて生きてるだけよくやった方です。修行の成果は出てるみたいだ」

「あ、ありがとうございます…」

 

 感謝の言葉に言葉を使わず手だけ振って返し、ついてこい、と彼は手招きした。ホロウから脱出するルートを辿る間、無言が続き…妹弟子はふとあることに気がついた。

 

 目の前を歩く兄弟子が、何かブツブツと呟いている。耳を澄ますと、それはようやく聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「足りない…まだ足りない、もっと強く、もっと強い相手と…死合って殴り潰して蹴り飛ばしてもっともっと高みへと研ぎ澄ましてこの手が天に届くまで地獄に轟くまで強く強く疾く高く遠く……!!」

 

 この呟きを聴いた者は多い。だが…皆一様に言いふらそうとはしない。それはやはり…彼が()()からなのだろう。ホロウの中で、どんな相手に対しても否応無く振るわれる暴力を恐れたのだろう。

 

 雲嶽山に、渇驥奔泉の修羅が棲む。

 

 顕になるまで…あと少し。

 

 

 【To Be Continued…?】




【ルート分岐条件】葬式にルルガー・ヴィオレンツァが参列しない クラウス・ヴィオレンツァを雲嶽山が拾う 衝動を抑えつける方向で対処してしまう

雲嶽山クラウス:ほぼ豪鬼なトカゲ美少年。たぶんもう暫くすれば儀玄や虚狩りに比肩する強さになる。心細さや寂しさ、化け物の自分への嫌悪は雲嶽山の皆のおかげで薄れている。しかし迸るアドレナリンと好きに満たさず節制を強いられる食欲を満たすことができていないため、近い将来破綻する。ちなみにこの√でも隙だらけである。

儀玄:拾ったトカゲの坊が600族に進化しそうでびっくりしている。クラウスのことは福福達と同じぐらいには気に入っているし、無防備な姿を晒されるたびにムラっときている。それは最近自覚した。

近い将来、愛弟子を己が手にかけることとなる。

福福:クラウス!チャーシューまん食べに行きませんかー!かわいい姉弟子。クラウスに技名言う文化を仕込んだ。

ーーーーー
いかがでしたでしょ〜か。
もしよければ感想、評価よろしくお願いします。
では、また次回。次こそ本編進めたいな!
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