お気に入り2265件、ありがとうございます。ほんとここまでくるとは…。
さて、今回で雑多な話は最後、次回からメインストーリー三章に入っていこうと思います。筆が乗って13000文字くらい書いちゃいましたが…では、どうぞ。
そこは、一言で表すならば………混沌、であるか。新エリー都にこれほど似合う言葉はないと思うが…今だけはそれが恨めしい。
無数の照明が交錯し、内臓に響くほどの音響と共に踊る人々は、少しでもバランスを崩せばぐるぐるに絡み合ってしまいそうなほどに密集している。しかし、その集団の中心ではひときわ煌びやかなダンサーが軽快な身のこなしで人々を魅了し、数々の視線を身体一つで受け取っていた。
さて、皆様もうお分かりであろう。僕は今、高校生が縁のない場所殿堂入りと名高い…クラブ、とやらに来てしまっている。どうしてこうなったのか。簡単である。
件の人物は若き社長。頻繁に僕を利用される人で、金払いもいい。そして何より、“クロウラー”の仕事ぶりと…僕自身を気に入っていらっしゃるご様子だった。
依頼を無事に終え、サインやら何やらを終えた後、彼は急に言ったのだ。
『時にyou、nightclubなんかに行ったことは?』
『…ありませんが、それが何か…?』
『I see…じゃあ、このworldで生きていくなら、youもexperienceしておくべきだね。さ、togetherしようぜ』
『は!?いや、まだ僕未成年だし、ちょ、力つよっ…!』
本気で抵抗して怒らせても今後の仕事が不安なので、そのまま彼に連れられるまま、こんなところに来てしまっている。音と光と煙草と酒の混ざった香りでクラクラする。来るんじゃなかった…。
僕は踊り狂う人々を避けて、クラブの中のバーカウンターに座って時間を潰していた。烏龍茶片手に、ただひたすらに社長さんの帰りを待つ、が…先程何人かの女性と一緒にVIPルームに入って行くのを見たので、戻ってくるのはしばらく後になるだろう。
そして、僕を不快にさせる要因は他にもあった。それは…
「ねえねえそこのキミ、独りかな〜?」
これである。香水臭い、ガラの悪い女性がたまに寄ってくるのだ。普通の男子高校生ならドキッとするシチュエーションであろうが…僕は知っている。
声をかけてくる怪しい人についていったが最後、犯罪に巻き込まれると朱鳶さんが言っていた。僕には特別な智慧があるから分かるんだ。だから、寄ってきたら冷たくあしらう。
一言二言冷たく当たれば、興味を無くして去って行くのは楽で助かった。本来ならば僕なんかに女性は寄ってくるはずないのだが、これがナイトクラブの魔力か、それとも行きの車内で社長秘書に無理やり撫で付けられたこの髪の毛のせいだろうか。…まあ、前者であろう。
いつもなら前髪があるはずの額に空気が当たって落ち着かない。音に腑を揺らされ、光で目をやられ、鼻腔を酒と煙草の香りで犯され…ただ座って社長の帰りを待つ。すごく、すっごくつまらない…ッ!!!!!!!!
それに、任務が終わってからまだ何もお腹に入れていない。ナッツやツマミでは腹は膨れないし、早く帰って何か食べたい…。
ちびちびとウーロン茶を舐めながらぼーっとしていると…また、隣に誰かが座ってきた。
「ボウヤ、独り?」
「ボウヤ、って…これでも成人してますよ。じゃないと入れないでしょ、ここ」
そちらを一瞥すると、声の主は猫のシリオンの女性だった。背中の開いた服を着ていて、そこから黒い毛並みが見える。顔も猫寄りで、ヒトよりも猫の成分が強いようだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。どうせこの人とは関わり合いなんて持たないのだから、また適当に受け流そう。
「でも、それならボウヤ…たぶん成人したてでしょう?それなのにここに来るだなんて、勇気があるのね」
「…知り合いの社長さんに連れてこられたんですよ。そんなに高級なんです?ここ」
「ええ。ここにいるのはお金に余裕のある人達が殆どだと思うけれど…」
「じゃあ、僕はひたすらに場違いってことだ…」
目を合わせずに適当な受け答えをして、相手が話しかけてくるまで喋らない。これを使えば大抵の人は離れていく…エレンから学び取った方法だ。しかし、この人は物好きなようで…ひたすらに受け身な僕の隣に座り、話しかけ続けてきた。
「あら、わたしはボウヤのこと、場違いだなんて思ってないわよ?」
「…嘘ですね。ボウヤ呼びでわかりますよ」
「あら、怒った?かわいいわね…」
頬を撫でようとする彼女の手を制する。初対面だぞ、ふざけてるのかこの人は。
その後も冷たい態度を取り続けるも、彼女はいつまでも僕に話しかけてきた。もう面倒くさくなってすべて無視し始めても、彼女は「拗ねてるの?」やら「横顔も凛としてて可愛いわね」やら言ってくる。呆れ返るほどしつこい…。
うんざりしながら烏龍茶のグラスを傾ける…が、中身がなくなった。おかわりを頼むため、バーテンさんに声を掛けようとすると…隣にいた彼女が、人差し指を僕の口に押し当てる。
「…なんですか」
「烏龍茶ばっかり飲んでて、飽きない?…わたしが奢るわ」
「…結構です」
「遠慮はいらないわ。…あなた、カルーアミルクを。彼にもお願いね」
「ちょ、結構ですって…!」
僕が取り消そうとするも、彼女はいいからいいからとそのまま注文を通し…僕の目の前に、乳白色のカクテルが出されてしまったのだった。どうしよう…捨ててしまうのも、流石に失礼な気がする…。
うんうんと悩みながらグラスと睨めっこをしていると、横から彼女がまた声をかけてきた。
「それ、飲みやすいやつだから…。ボウヤでも楽しめるわよ」
「……………わかり、ました。頂きます」
彼女の推しに負け、本当は未成年なのにも関わらず…ちび、とグラスに口をつけた。舌の上にミルクの甘みが広がる……アルコールはあまり感じられない。え、これ本当にお酒…?
「甘いでしょう?」
「………ええ。確かに飲みやすい」
「…気に入った?」
彼女の問いに返答することなく、もう一度グラスを傾けた。やはりアルコールが入っているようには思えない…。いつの間にか、グラスは空になっていた。
「あら。ボウヤ、意外といけるクチね…じゃ、次行きましょっか」
「え、ちょ、まっ…」
「ツインズ・スリングをふたつお願い」
静止むなしく、またまた目の前にグラスが。彼女の方を睨み付けるも、くすくすと笑うだけであった。諦め半分に、僕はまたグラスに口をつける。
しゅわ、と炭酸の清涼感と共に、ライムやレモンの酸味と…さくらんぼ、だろうか?不思議な甘みが広がってゆく。少しだけ顔が熱くなってきた気がする。
「も、もういいです…」
「ピンクレディー、お願いね」
「えと、もう…」
ふわりとした口当たりと甘い味がする。喉が少し熱くなった気がした。
「え、えっと…」
「アレキサンダーで」
チョコレートケーキのような味がする。お腹あたりがぽかぽかしてきた。
「イエローパロット」
トロピカルな味がする。なんだか気分が良くなってきて、まわりの音が滲むような気がする…。
「キッス・イン・ザ・ダークを…」
あまくてまろやかだ。あたまの中がぽやぽやしてきた。
「ビトゥウィーン・ザ・シーツで…あと、チェイサーも一杯」
あまいかおりがする。からだがふらふらする。せかいがくるくるまわってる…。
「すっかり出来あがっちゃって…いけない坊やね…」
みずをのんだかのじょがぼくをだきおこした。あしにちからがはいらない。かおにふわふわしたものがあたっている。
「やん…お顔、お胸に抱かれて気持ちいい?ふふ…それじゃあ、お外出ましょうか」
あしがふわふわして、あるいているのにあるいていないみたいだ。そのまますこしうごいて、からだにひんやりしたかぜがあたった。
「…こんなに酔っちゃって…もう何もわかってないのね。かぁわいい…♡」
からだにまきついたうでのちからがつよくなった。そのままどこか、くらいばしょにあるいていった。
「つよ〜いお酒とも知らないで、どんどん飲んじゃって…面白いくらいに引っかかってくれたわね♡」
せなかがなにかかたいかべにあたった。
「今日はツイてるわ♡美味しいお酒も飲めたし、こんなに可愛い子もわたしのもの…♡さ、苦しいでしょ?ボタン外してあげる…♡」
くびもとがなんだかすーすーする。
「ふうッ、フウッ、可愛い…♡んー、すん、すん、いいにおい…はあっ、はあ、れるぅ………♡」
あったかいかぜがくびにかかった。ざりざりぬめぬめしたあったかいなにかがくびにあたった。おなかのしたになにかがぐいぐいあたる。
「ハッ、ハッ、ハッ、れろ、れっろ、じゅる…♡」
ざりざりがくびからほっぺにあがってきた。みみとか、くちびるにもざらざらこすれる。おまたのしたからなにかがぐいぐいからだをもちあげてくる。
「フゥ〜〜〜ッ………♡くち、ひらいて…♡」
あごがつかまれた。くちのなかにつめたいくうきがあたる。
「いいこ…♡じゃあ、いただきます………♡」
くちのなか、あったかいかぜが……………
「そこのお二人、楽しそうね…アタイも混ぜてくれる?」
ーーーーー
「…………う゛、お……?」
頭の中に反響する痛みで目を覚ました。瞑っていた目を開く。
「…知らない天井だ」
昔映画で聞いたこの言葉を、自分が使うことになるだなんて思わなかった…が、肝心なのはそこではなく、なぜこんなところにいるのか、である。
上体を起こすと、寝ていた寝台…パイプで組まれた簡素なものがキシキシと音を立てた。きょろりと見回せば、くすんだ色の壁紙に冷たいフローリングに、棚に置かれた備品の数々…とてつもなく古くて安いアパートの一室、と形容するに十分であった。
「なにここ…なんで…?」
痛む頭で考える。確か僕はクラブに連れて行かれて、そこで女性に絡まれて…酒を飲まされたんだったか。なるほど、初めて感じるこの頭の痛みは“二日酔い”というものらしい。
しかし、酒を飲まされてからの記憶がすとんと抜け落ちているのが厄介だった。これではなぜ僕がここにいるのかわかりやしない。恐らく酩酊状態にあったのだろう。
困ったなあ、とむず痒い首元を掻きながら考えると…違和感に気がついた。
それに、だ。この部屋は僕の部屋ではない。すなわち他人の部屋である。他人の部屋で寝ていたということは、ここに招いた部屋の持ち主がいる。この格好も、酩酊していた僕を部屋の主が剥いたのかもしれない。それに、なんだか…
「胸の辺りがなんとなくべとべとする…」
首元から胸の素肌にかけて粘着質な不快感を感じる。それになんだか酸っぱい匂い…なるほど、これは吐瀉物か。拭き取られてはいるようだが、少しだけ残ってしまっているようだ。
なんにせよ、僕は安心した。裸で寝ているのも、酔って吐いたせいで汚れた服を、介抱してくれた人が脱がせてくれたのだろう。変な理由で脱がされたわけではなくて安心である。
さて、疑問が解決したところで、この部屋の主を探すとしよう。見ず知らずの僕を介抱してくれたのだ、きっといい人にちがいない。できる限りのお礼はしたいところだ。
まず、この部屋の中には僕以外見当たらない。すると、向こうに見えるドア…トイレかシャワールームだろうか?きっとあそこにいるのだろう。耳をすませば、ザーッ、とシャワーの音が聴こえたので、やはりそこだろう。部屋の主がシャワーを浴び終わるまで、適当な場所に正座して待つことにした。
起きたタイミングがちょうど良かったか、幸いにも水音はすぐに止まった。シャワールームの扉が開く音がして、しばらくすると…脱衣所から出てきたのはひとりの女性。
「フゥ……あら、起きたのね」
気持ちよさそうに息をついた彼女は、首にかけたタオルで額を拭いながらこちらを見た。切り揃えられた黒髪からグレーの毛並みをした耳が覗く。そして彼女の背中側には、ゆらりと揺れる細長い尻尾が見えた。この部屋の主、僕を介抱してくれたであろう相手を前にして、僕は…自らの
「…どうしたの?」
落ち着いた声色で問いかけてくる彼女に、僕は上擦った声で返す。
「ふっ、服、ちゃんと着てください…っ!」
そう。一瞬、ほんの一瞬で僕はそれから目を背けた。彼女は、その…下着以外、何も着ていない状態であったのだ。幼少期に母のものぐらいしか見たことがないため、びっくりしてしまった。でも一瞬見ちゃった、失礼だと思われる…!
しっかりと目を覆い顔を背ける僕に向かってだろうか、彼女はくすりと笑い、揶揄っているような楽しそうな声色で言う。
「あー、ごめんなさいね…まだ寝てるだろうと思って、ついこのまま出てきちゃった」
「そ、そうですか…とにかく早く何か着てください…」
「はいはい、わかりましたよ〜っ…」
クスクス、と密やかな笑いが聴こえてきた。そしてそのすぐ後に聴こえたのは、着擦れの音…なにもここで着替えなくっても…!
「はい、もう目を開けていいわよ…ちょっとくらいでも見ようとしないなんて、真面目な子なのね」
彼女からの言葉にぴく、と肩を震わせ、恐る恐る目を開けた。少しの眩しさを感じた後、彼女の姿がはっきりと見える。Tシャツに…所謂ドルフィンパンツだろうか、ショートパンツを履いている、いわば部屋着のような格好をしていた。
彼女はそのまま僕の前まで歩いてきて、腰を下ろした。石鹸の芳香がふわりと香る。こちらを見ている彼女に、僕は頭を下げた。
「あの…介抱していただいてありがとうございました。なにかお礼をさせてください」
「ええ、どういたしまして…。お礼は後でいただくわ。アタイはジェーン。坊やは?」
「坊や…?えと、クラウスです。クラウス・ヴィオレンツァ…ジェーンさん、とお呼びすれば?」
「好きに呼んでいいわよ?そういうの、アタイは気にしないから…」
口元に両手先を当て、彼女は笑みを浮かべた。フランクな人だ。怖い人でなくて安心した…。
「でもキミ…真面目で優等生です、って顔つきなのに、あんな所で潰れるまで酔っ払うなんて。慣れてなかったのかしら」
「…エヘ、お恥ずかしながら。仕事の関係で、お得意様に無理矢理連れられて来たもので」
「そう…。強く断ることも大事だと思うわよ。酔いつぶされたのだって、どうせ勧められるまま飲んじゃったからでしょう?」
酔いつぶされた…あれ、変だな…。酔い潰れてしまったのなら、介抱するのはあのネコのシリオンの女性のはず…。
「あの、ネコのシリオンの人と飲んでたはずなんですけれど…彼女はいまどちらに?」
「………………貴方…………もしかして気が付いてないの?」
訝しむような彼女の言葉に、ただ首を傾げた。気がついていない、とは?そんな僕を見てか、彼女は額に手を当て、呆れたという様子でため息をついた。
「お酒じゃないみたいなあまーいお酒で初心な子を安心させて、どんどん度数を釣り上げて、潰す…その後にやることといったら一つしかないじゃない」
「…なんですか?」
僕の純粋な疑問に驚いたような表情を浮かべたジェーンさんは、目を細め…左手人差し指と親指で輪っかを作り、右手の人差し指をそれに抜き差しした。
「………????」
「待って、なんで伝わらないの…?」
何を表すハンドサインだろうか、と考えている僕を、ぎょっとした様子で見るジェーンさん。一体何がおかしいって言うんだ…。
「キミ…外、路地裏の奥の方で
「え…え、あっ、ひえっ…」
漸く理解が追いついて、さっと血の気が引く。もしこの人が来てくれなければ、僕は今頃ここでないどこかで好き勝手に
「ほ、ほんとにありがとうございます…」
「別にいいのよ。アタイも
「ん、手間?」
「こっちの話よ。なんにせよ、キミも無事で済んだんだから…良かったじゃない」
くすくす、と小さく笑う彼女につられ、僕もくすくすと笑ってしまう。
「あの、改めてなにかお礼をさせてください。貴女は僕の恩人です。僕にできることなら
「へえ…なんでも、ね」
最上級の感謝を述べると、彼女は僕の眼をじっ、と見つめながらそう言った。その様子に少しだけ違和感を感じ…それはすぐに、驚愕へと変わった。
「その“なんでも”には…ホロウでの仕事も含まれる?」
心臓が跳ねた。ゆら、と彼女がいつの間にか近くに来て、僕の肩に寄りかかってくる。女性の身体特有の柔らかい感触を感じるが、今はそんなものを気にしていられない。
「え、あの、なんでもとは言いましたけど、ホロウに許可なしで入っちゃだめなんじゃ…」
「へえ…でも、
冷や汗か額を伝う。彼女は懐からスマートフォンを取り出し、すわすわと操作して…一枚の写真をこちらに見せてきた。開かれた、ぼくの財布。そこから取り出されている一枚の紙切れ…
『クロウラー ホロウの荒事お任せください』
「キミ…普段は素直な真面目くんなのに、裏じゃあこんなことやってるのね…いい事知っちゃった♡」
ジェーンさんの手が頬を撫でた。まずい、まずいまずいまずい…。
「それに、サイフの中に学生証まで入ってて…未成年飲酒なんて、いけないんだあ〜」
揶揄うような、愉快そうな声色で、僕の周りをするすると回りながら彼女は言う。まずい、身分まで…!
「何から何まで真っ黒…これ、もしバラしたら、キミもう学校なんて居られないね。それどころか、結構長い間檻の中で過ごすことになるかも…」
「う、ううっ…」
にやにやと、意地の悪い笑みを浮かべるジェーンさん。不味い。今は相棒もいないから
「あ…あの…がっこう、学校にだけは言わないでください…」
「こんなに悪いことをしておいて、まだおねだり?随分と図々しいじゃない…」
冷たい目線が僕を射抜いた。
「お、おねがい、お願いします!学校にだけは!お願いします!」
床に手と頭をつけ必死で懇願する。絶対に、退学だけは…!
「ダメに決まってるじゃない…ぜんぶキミの自業自得。いい社会勉強になった、とでも考えてみれば?」
「…そ、そんな…………」
彼女の冷たい言葉に、全身の力が抜けてしまう。
「…ホロウ…いけないなら……
「それはつめたーい塀の中、床の上で考えればいいわ。お金に目が眩んで、真っ当に生きることを放棄したら、結局こうなるんだから……」
「お、お金…?」
お金…お金のためなんかじゃ…。
「ちがう…お金じゃなくて…ごはん、ごはんをたべなきゃ…」
「…………日々のご飯代くらい、普通のバイトで十分じゃない」
「ちがう、ちがうんです………
くら、と眩暈がした。それと同時に気がついた…狂おしいほどの飢餓感。
「…おなか、すいた」
「………待ちなさい。アンタ、どうしたの…!?」
開いた口の端からぼたぼた涎が垂れている。腹の虫がぐるぐるのたうって、お腹の中がからっぽでくるしい…。
飢餓感の中で目に入ったのは、部屋の隅にある古い冷蔵庫。…
「ッ、大人しくして…っ!?」
「ハアッ、ハアッ、おなかすいた、おなかすいた、おなかすいた!!!!!!」
立ち上がってそっちに行こうとしたら、ジェーンさんが僕の行手を阻む。容赦なく蹴りを入れてくるジェーンさん…いいや、こいつはもう…
「落ち着きなさ、うっ…!」
組み合いになり、これ幸いと邪魔者を突き飛ばす。邪魔者は勢いよく床に倒れた。これで食べ物のところに行ける。駆け寄って扉を開けると、ほぼ空っぽの冷蔵庫の中、ひんやりした冷気の中に見える、ラップのかかった野菜炒め…!
「は、はぐっ、ぐぁつ、ぐぁつ…」
箸も使わず、冷えたまま貪る。一瞬で平らげた。まだたりない。
「どこ、どこに、おなかすいた、おなかすいた…」
「…………なによ、これ」
冷蔵庫を閉め、他の食べ物を探す。近くの戸棚を手当たり次第に開けたら、カップ焼きそばとコンビーフ缶をみつけた。
「ああっ、“ある”のがいけない!“ある”のがいけない!」
カップ焼きそばの蓋を全て開け、乾いた麺にかじりつきばりぼりと咀嚼。フリーズドライの具材と、油の分離したソースも袋から直に口に入れた。コンビーフ缶に齧り付き、顎の力でねじり切って開いて、あとは中身を流し込んだ。
「はあっ、フウッ、ふうっ、おなか、おなかすいた…あ。」
「…………ッ!」
次の食べ物は、と周りを見渡した。未だ床に倒れたままこちらを見る邪魔者が目に入る。
…………………涎がまた湧いてきた。
「え、…あ、あっ」
その瞬間、さあっと飢餓感が引いていく。そして、気づきたくないことに気がついてしまった。
「そ、そんな、なんで」
さっき確かに、僕は、この人のことを…。
「う、うぅ、あ、ああ…」
へた、とその場に崩れ落ちた。自分がしでかそうとした事にひどくショックを受けてしまった。涙が溢れて止まらない。
「う、ご、ごめんなさ、ぐすっ、ごめんなさい…」
ぐずぐずと鼻を啜る。手の甲で涙を拭うも、涙はまだ止まらない。
「がっこうに、がっこうにはいわないで…」
床の上に力無く上半身を倒し、懇願する。ジェーンさんが立ち上がり、こちらに歩いてくるのを感じる。そして、彼女は僕の前に座り、僕の肩を掴んで上体を起こし…
「ハァ…だいぶ面倒なの掴まされちゃったかな…ほら、落ち着いて。大丈夫だから…」
頭が柔らかく温かいものに包まれた。少しして、僕は彼女の胸に抱かれているのだ、と気がついた。
「アタイもちょっと意地悪しすぎたかしら…ごめんなさい。ほら、もう大丈夫…」
彼女はとんとん、と僕の背中を叩く。とめどなく流れる涙も、自然と落ち着いてきて…少し、眠くなってきた。
「う、う…。ごめんなさい…」
「ハア…大丈夫。誰にも言わないって約束するわ…」
「…………よかっ、た…」
安心感からか、急激に瞼が重くなる。そのまま、僕は彼女の腕の中で意識を深い闇の中へと落とした…。
ーーーーー
あの日から1ヶ月が経った。僕はあれから仕事を減らし…そのぶん、ジェーンさんに
『アタイが呼んだらすぐに来て。電話も2コール以内、家に押しかけても文句は言わないで。そして、アタイとの関係は誰にも言わないこと…いい?』
『…だいぶ条件多いですね』
『アタイ、キミの“人生”握ってるのよ?隠し通しといてあげるから、これくらい安いじゃない。それに、お金じゃなくて食欲のためにやってるんでしょう?』
『………イエス、マム』『あら、その呼び方意外といいかも…』
色々なことをやらされた。やれジェーンさんの掛け持ちしてる“副業”のための買い出しやら、自宅をランドリー付き宿(朝食も出るよ!)のように使われたり。そのお陰で、食器も箸も歯ブラシも、タオルですら彼女用が用意されている。最近ではシャンプーの銘柄まで指定されてしまう始末である。…お金が勿体無いので、自分も普段使いし始めたら髪質がとても良くなって、複雑な気分になったのは内緒である。
それに、だ。こんな風に実質彼女の家事手伝いをしているのだが…何も彼女の“副業”は、普通の街中だけでは終わらない。
「今よクロウラー、ぶち抜いて」
『GRAAAAAAAAAAR!!!!』
「ギャーッ!ば、ばば化けも「だしゃあっ!!!」そげぶっ!!!」
とある共生ホロウ内部の建物の壁をタックルでぶち抜き、横に出てきたギャングの輸送車のボンネットを殴り、止める。何事かとぞろぞろ降りてきた暴徒たちも、僕にかかれば一瞬である。
まず一番体のでかい暴徒に襲い掛かり、首根っこに噛みつきしっかりと固定。そのまま身体をひねり、暴徒を縦横に振り回し、地面に擦り付けるように弄ぶ。
「うわなにをするやめくぁwせdrftgyふじこlp!!」「ひいッ、こっち来るなガマールぅうううう!!!」
動かなくなった暴徒を他の暴徒に放り投げ、一気に二人吹き飛んだことを確認すると、銃を乱射している暴徒に向けて四つん這いのまま駆けていく。一メートルほど前で前転、腕と身体のバネを駆使して跳躍し、銃の暴徒を蹴倒し、踏みつけてマウントをとり、脚を大きく上げ…
「や、やめろ、やめ「フンっ!!!!!」ごぺぷ!!!!」
暴徒のヘルメットはストンピングにより無惨にも砕け散り、破片が顎の外れた顔面に幾つか刺さって血塗れだった。
「ギ、ギールまで…!お、おのれっ、よくも俺の弟分を!ただじゃおかねえ!」
1人だけ残った、散弾銃を担いだガタイの良い暴徒が啖呵を切る。
「お前みてえな卑怯な奴は俺が正面から“解らせて”やるぜ…っ!」
暴徒が動いたのを見てすぐさまサイドステップ。先程までいた場所を、硝煙の香りのする鉛玉が通り過ぎた。初弾を避けられた暴徒は、更に引き金に指をかけた。銃身の延長線上から外れるように身体の軸をずらし、またもや回避。弾の再装填をするであろう隙はここだ。一気に踏み込み、暴徒の元へ跳び、渾身の後ろ回し蹴りを…
「掛かったなッ、阿保があっ!」
叫んだ暴徒が背負っていた釘バットを手に取った。それが蹴りの軌道上に差し出され…瞬間、紫電が空気に走った。違法改造スタンガン付きのバットだ。痛みに一瞬動きが硬直し…暴徒はそこを見逃さなかった。
「喰らえやあっ!!!!」
ばふぉ、と銃声がした。自分の身体が宙を舞う。暴徒が土壇場で、しかも片手でリロードを済ませ、こちらに発砲したのだ。脇腹が抉れ、
「おのれ、このトカゲのエーテリアス風情がよ…!死に晒せや…ッ!!!」
引き金に指がかけられた。寝転がったまま様子を伺っていると、それにゆっくりと力が込められ…
「はい、おしまい。」「こ゜ッ………」
どこから出したのかわからない声を上げ、暴徒はうつ伏せにばったりと倒れた。それによって、暴徒の背後に脚を振り切った姿勢のジェーンさんが姿を現した。
「お疲れ様“クロウラー”。お陰で負担が軽くて助かるわ」
「僕がほぼ全員のしたんですけど…?美味しいところだけ盗み食いしちゃって…」
「仕方ないじゃない、アタイがやるより
「…別組織との内通が、ですか?」「勘のいい子は好きよ」
ジェーンさんと軽口を叩き合いながら、先程止めた輸送車の貨物部の錠前を破壊、こじ開けると…中には細長い金属タンクが所狭しと詰め込まれている。
「エーテル精剤の違法採掘ですかぁ…これまた真っ黒な」
「ええ。これは上に報告しなくっちゃ」
一本引っ張り出すと、タンクの横に取り付けられた青と紫のグラデーションのメモリが最大まで貯まっている。どうやらこの暴徒たちは、違法にエーテルを採掘・精製して売り捌いているようだ。しかし管理は杜撰、質も悪い。薄利多売で満足していたのだろう。僕が引っ張り出したものは劣化のせいで蓋が緩み、中身が漏れ出している。たぷたぷと中の精剤が揺れている…。
「ジェーンさん、これもらっても?」
「あー…別に大丈夫よ。中身はぜんぶ漏れ出してた、ってことにしとく」
「やったぁ!じゃ早速…
手で蓋を開け、タンクをゆっくりと傾ける。ざぶぁ、と音を立てて流れ出てくるエーテル精剤を…口で受け止める。
「ごっ、ごっ、ごっ…………」
「…未だに慣れないわ、それ。キミほんとに人間…?」
「
ごくごくと喉を鳴らし嚥下する。舌の上、喉奥でパチパチ弾けて気分最高。先程えぐれた腹の傷もみるみるうちに治ってゆく…。
「うめ、うめ…あっ、もう終わりかぁ…」
「…そんな物欲しそうな顔しても、これ以上は誤魔化せないわ」
「そうですか…まあ、八分目まではいったんで、今日はもう大丈夫ですよ」
ふりふりとタンクをゆすり、最後の一滴まで飲み干した後、しっかり輸送車の中に戻した。腹が満たされて幸せな気分だ。ジェーンさんは僕を待っていたのか、タンクを戻してすぐ話しかけてきた。
「よし…今日はこの辺りで引き上げましょう。もうじき治安局も来るわ」
「了解です。…今日はそのまま帰りますか?」
「いえ、泊まっていくつもり」
「わかりました、ごはんは何にします?」
「今日は…アタイ、お魚の気分かな」
「じゃあ何か煮付けますか…カレイとか!」
そんなたわいも無い話をしながら、建物のスキマを通り、ビルとビルを渡り歩き…僕たちは、ホロウから出るのであった。
「…今日こそは最後までソファで寝ますから」
「別にいいって言ってるじゃない。一緒に寝たって、アンタにアタイを襲っちゃうような勇気、ないでしょ?」
「だからって寝てる隙にソファからベッドに運ぶのは…起きた時毎度心臓が止まりそうになるんですよ!」
ーーーーー
「そういえば…エーテルって、一体どんな味がするの?」
「ホロウによって違います。今日のはなんとなく…コーラっぽいジャンクな感じでした」
ーーーーー
…クラウスの売春を目撃してから、何ヶ月か経った。あれから必死にお金を貯めて、目標額にも近づいてきた。しかし…その間にも、彼はどんどん汚されていったようだった。
最初に気がついたのは、クラウスとすれ違った時だった。いつもは大手の、よくCMが流れるフツーのシャンプーの香りがするのに…ある日から突然変わってしまった。
「え?あー、ちょっと気分転換になるかなって思って変えてみたんだ」
その事を訊くとクラウスは、どこか疲れたような笑みで銘柄をスマホで見せてくれた。後でしっかり調べてみたら、それは少し値の張る女性用のものだった。
彼と会って話すたびに、知らない誰かの香りがする。海に垂らされた一滴の血液にすら反応するサメのシリオンであるが故に、それを一層感じてしまう。
それに、気掛かりなのが…普通身体を売るような行為をしているならば、匂いがコロコロ変わってもおかしくは無い。しかし、
そういう商売の上で、そんなことは滅多に無いだろう。一日のうちにいろんな人と関わって、より多くお金を稼ごうとするはずだ。しかしそれをしていないとなると…余程、その相手にお金をもらっているのだろう。その人とだけ会っても充分なほどには。
それに、最近…彼は私のことを避けるようになった。
『クラウス…今度の休み、ヒマ?』
『え、あ、うーんと…ゴメン、今週は無理…』
このやり取りを何度もした。いつも彼は疲れたような笑みでそう言うのだ。…もうお分かりであろう。彼の今のお得意様は、相当な束縛癖があるらしい。きっとこんなふうだろう…
ーーーーー
『私以外に買われないでくださいね…お金はいっぱいあげますから』
『わかっ、わかったから、もうやめて…』
『嫌です。こっちはお金を払ってるんですから…ッ、ホラ、もう一回です。土日もずっとしますからね…ッ!』
『えっ、明日は友達と約束してて…』
『そんなものすっぽかしてください。私との時間のほうが大事でしょう…ッ!それとも、もうお金要らないんですか…?』
『え、それは、その…』
『要るんでしょう?なら言うこと聞いてください…♡』
ーーーーー
「えれーん…えれーん…?…エレン・ジョーっ!」
「え、あっ」「全く、授業中だぞ、ぼさっとするな!…さて、ここの解法は〜」
先生のお叱りを受けて我に返った。ネガティブな想像をするとすぐにこれだ…。
しかし、特定の相手ができてしまった…これは非常にまずいことである。もし、私がその相手より多くの報酬を提示できなかったなら、“私が買う”こと自体出来なくなってしまう。そして、それほどまでにクラウスを気に入っているということは、私が買うのが遅すぎたが最期…。
ーーーーー
『ねえクラウスくん…今度は、
『えっ、そ、それはダメです!僕はまだ未成年ですし…!』
『へえ………まだ、そんな事を言っていられると思ってるんですね』
『え、何……うっ…!』
『身体、動かないでしょう?お薬を盛らせていただいたんです。さ、私も今日は
『や、だめ、抜いて…ッ』
『ダメですっ、しっかり奥で果ててくださいね…ッ!!!』
『あ、あ、あ、あぁ……………ッ!』
ーーーーー
「じゃ、ここの答えは…今日は14日だからエレーン……………やいエレン・ジョーっ!」
「…あっ」「またかキミ!ここのこ・た・え!」
また想像に耽っていたせいで、数学教師の怒りを買ってしまった。お叱りを受け、適当に返事をして席に着いた。
この日最後の授業が終わった。すると、隣の席の生徒…件のクラウスが、心配そうに話しかけてくる。
「エレン、具合でも悪いの?集中できてなかったみたいだけど…」
誰のせいだと思って、と言いかけた。
「うん…ちょっと風邪気味でさ…」
「そっか。帰ったら安静にしなよ?」
そう言って、また彼は手元の本に目を落とす。日頃の会話も、これほどまでに短くなってしまった。
「クラウスはまだ帰らないの?」
「まだ少し読んだら、かな…」
「そう…じゃ、さよなら」
「うん。さようなら、エレン」
にこ、とはにかむ彼の顔。この可愛らしく、愛しい顔が…夜な夜な預かり知らぬ所で、どこの誰かも分からない女に歪まされているのを想像して、拳を握りしめた。
教室を出て、つかつかと昇降口へ向かう。…そして、そのままバイト先へ。
今日は、給料日であった。今日のバイトを終えれば、給料が支払われるのだ。そして、あたしの計算が正しければ…今日の分で、
そしたら、あとは簡単だ。明日、私は彼を“買う”のだ。
彼の、一年に一度の誕生日に。
【To Be Continued…】
クラウス:姓はヴィオレンツァ、名はクラウス。ネズミに巣を作られるわ妄想の中で好き勝手されるわ、散々である。ジェーンのことは友人だと思えてきた。
ジェーン:わるーいネズミのお姉さん。クラウスは素直に従ってくれるので扱い易いと思っているし、人間的にも良い人間だと感じている。クラウスを部下兼友人として見ているが、揶揄うと面白いので揶揄う。ベッドにも引き摺り込む。
エレン:あっ、エレンが助走をつけだしたよ!かわいいね!
ーーーーー
…………感想、評価よろしくお願い申し上げます。
私は、最悪の状況にするのが大好きです。
次回、乞うご期待。