さて、今回なんと18000字近く行ってしまっております。
楽しんでいただければ幸いです。
時は放課後。今日は仕事を一つも入れていない。予約しておいたケーキも受け取って、最高の気分で帰宅した。玄関のドアを開けると…リビングから漏れ出す光とテレビの音声。一瞬でなんだか微妙な気分へとグレードダウン…。少しため息をついて、リビングへと入っていく。
「あら、おかえりクロウラー…。お誕生日おめでとう、でいいかしら?」
「まさか貴女にも祝われるとは思ってませんでしたよ…」
リビングには、ちゃぶ台のそばに敷かれた座布団に遠慮なく腰を下ろしているジェーンさん。片手には淡い金色の炭酸入りの飲み物。
「仕事帰りに駆けつけ一杯とは良いご身分で。ハイボールですか…買ってきたんですか?」
「ええ。ウィスキーとソーダ水ね。余ったのは冷蔵庫に入れてあるから」
「…未成年ですよ、僕」
くつくつと笑う彼女の頬はほんのりと赤い。
「ハア、貴女に合鍵の場所教えたの、悪手でしたかね」
「あら、酷い…別にいいじゃない、減るものでもないんだし」
「僕が出てる時もここを拠点にしてたりするでしょ…!」
「察しがいいのね。だって、ここ居心地が良いんだもの」
ラフな部屋着で、すらっとした長い脚をうんと伸ばしながら彼女は言う。朱鳶さん以外まともに上げたことのない家も、すっかり彼女の根城と化してしまった。…強く突っぱねて色々バラされるのが怖いので、もう受け入れるしかないのだが。
冷蔵庫を開け、買ってきたケーキを仕舞う。そして、視界の端に映るウィスキーボトルとソーダ水を他所に、袋に包まれ、調味液に漬かった大きな鶏肉を取り出した。
「あら、それって…」
「フフフ…ご名答!この日のために用意した七面鳥です!!」
そう。近くのお肉屋さんで2日前に見つけた、下処理済みの七面鳥である。昨日、解凍のため冷蔵庫に移し、今朝調味液に漬けてから家を出てきたのだ。これから常温に戻し、ジャガイモや香草を詰めてオーブンで焼く。もちろん調理にとても時間がかかるが、この後の予定も何もないし…こんなご馳走、時間をかけてでも作る価値がある!
「というわけで…酒飲んでるってことは、この後は仕事も何もないんですよね」
「…もしかして、ご馳走してくれるの?」
「ええ。今日は気分がいいので!」
意外そうに言うジェーンさんに、快く返事をする。彼女は少し固まった後、一度目を逸らし…こちらに向き直った。
「じゃあ…遠慮なく、ご相伴に預かろうかしら。七面鳥食べるの、意外と初めてかも」
「さいですか。きっと気に入りますよ!」
ーーーーー
「ご馳走様。とおっても美味しかった…」
「お粗末さまでした…や、良かったですよ、上手く焼けて」
誕生日の豪華な晩餐も終わりを告げ、食器も片付け終わってしまった。日もすっかり落ち、時刻は夜遅く…ジェーンさんは満足げにため息をつき、お酒をちびちびと嗜んでいる。
「キミ、結構凝った料理も作れるのね」
「男ってのは、凝った料理か大雑把な料理のどちらかしか作れない生き物なのです…!」
胸を張ってそう言うと、彼女は愉快そうにくすくすと笑った。そしてグラスを置き、ちゃぶ台に横向きに頭を預けた彼女の様子は、ひどく安心しきっている。そんな彼女の頭頂部を見つめながら、僕は口を開いた。
「…誕生日、いつ話しましたっけ」
「学生証に書いてあったのを覚えてたってだけ…。今日ここに来たのも、仕事終わりに偶然近くに来たから」
「そうでしたか。………でも、ちょっと嬉しかったですよ」
僕の言葉を聞くと、彼女は意外そうに続ける。
「…キミの口からそんなコト聞けるなんて」
「別に、貴女はそんなに悪い人でもないってわかりましたし…今日祝ってくれたのは貴女で三人目です」
「三人目?」
「ええ。最初は朝に叔父から…メールでですけどね。その次は、お隣さんと出る時に鉢合わせて、その時にですね。普段ならお隣さんも呼ぶんですけど、仕事で帰りが深夜になるそうなので。もう帰ってはいるでしょうが、今から呼ぶのも流石に迷惑でしょうし」
「なるほどね…お友達とかは、祝ってくれたりしないの?」
ジェーンさんの疑問に、少しだけ俯きながら答える。
「や、クラスメイトに誕生日は教えてないですし…
「へえ…女の子の友達がいるんだ」
「ええ。隣の席なんです。…まあ、最近は話すことも少なくなりましたし、僕もあんまり積極的な関わりは控えてるんです」
興味があります、とでも言いたげなジェーンさんとの会話を続ける。
「それは、どうして?」
「…たぶん、彼氏ができたんですよ、その子。だから、他の男と一緒に居たりすると彼氏さんが嫌がるでしょうし」
「そう…。別に、その辺りは人それぞれだと思うけど?」
「まあ、少し距離を置き始めたのは彼女からなので、この予想はあってると思います」
ジェーンさんは僕の話を聞いて、少し考え…にま、と笑みを浮かべる。
「…好きだったの?その子のこと」
「え?…………………うーーーん…………たぶん、そういうのではないと思います」
「でも、なんだか寂しそうよ、キミ」
「………まあ、結構仲も良かったですし、遊んでて楽しかったですから…寂しくないってのも嘘になりますね」
あくまで友愛ですよ、と付け加える。すると彼女は、なにやら更に笑みを深め…口を開いた。
「じゃあ………キミも彼女とか作ってみたら、寂しくなくなるんじゃない?」
「…それ前にも言われた気がします」
「あら、そう…。でも、アタイもやっぱりそれがいいと思うわ」
ちゃぶ台に肘をつき、手を組んでそこに顎を乗せながら、彼女は両の瞳で僕の眼を見ている。彼女の背後にゆらゆらと揺れる尾が見える。いつも付けている金属の装飾が外れており、先は細く柔らかそうだ。
「みんな簡単そうに言いますけどね…ポンと作れるような物じゃないですからね?ましてや、僕なんかを好いてくれる女性なんていませんよ」
「……それは、君の“事情”も加味して?」
「ええ。
「……」
僕の言葉を聞いた彼女は、目を細めこちらをじっ…と見ている。その視線は、どこか僕の内側まで見透かされてしまいそうで…すこしたじろいだところに、彼女はこう言った。
「アタイは…アンタといると、結構楽しいし、安心するよ?」
「…なんすかいきなり」
また冗談が始まったか?と彼女を見るも、そこに冗談めかした雰囲気は感じられなかった。彼女はそのまま続ける。
「だって…毎度毎度、仕事に連れ出しても文句ひとつ言わないし」
「そりゃあ貴女に弱み握られてますから」
「晩御飯をご馳走してくれることもあるし」
「そりゃ、夜にせっかく僕んちいるんですし…」
「シャワーもベッドも、なんだかんだで貸してくれるし」
「たまにフラフラでここに来るアンタをほっとけるほど、僕は非情になれませんよ」
つらつらと続ける彼女に返答を続けた。彼女はいつの間にか、僕の隣に移動してきている。
「…………アタイね。あんまり、人に気にかけてもらうの、慣れてないのよね」
「…そうなんですか?」
「ええ。だから…キミが色々世話してくれるのも、ちょっと嬉しかった」
「な、なんですかまた…やめて下さいよ、小っ恥ずかしい…」
珍しいストレートな感謝の言葉に、嬉しさ半分恥ずかしさ半分で、顔が少し赤くなる。それを見たジェーンさんはまた意外そうな表情をした。
「あら…いつもなら、微妙そうな顔で流すのに…」
「…………やめてくださいよ、いじるのは」
「…よく見ると、ちょっと可愛い顔してるのね…」
ひゅる、と手首に彼女の尾が巻きついた。彼女の言葉に、僕は返答できなかった。
「…もしかして、満腹だからかしら?あんまり冷たくないのって」
「…かも、ですね………」
「アタイの前でお腹いっぱいになって、安心してくれたの?」
「………………たぶん、そう、かと」
彼女の頭が左肩にもたれかかってきたのに、僕は何も言えなかった。嗅ぎ慣れてしまったシャンプーの香りのはずなのに、どこか違う、蠱惑的な香りが鼻腔を掠める。
「…ほら、こんなにくっついても嫌がらないなんて」
「………………」
「………寂しかったんでしょ?」
「………」
彼女の細い右手の指が、僕の左手を絡めとる。指の間に指が差し込まれ、手のひらをぴったりと密着させ握り込まれる。
「…あの、これ以上は…」
「………………アタイは、かまわないわ」
密かに漂う酒精の香りを言い訳にしようとする。
「貴女、酔ってるんですよ。こんなこと絶対…本心じゃないでしょ」
「アタイ、お酒は強いの。お仕事でいっぱい飲んでも、翌日に引きずらないくらいには」
ぐぐ、と体重をかけられ、いつのまにか床に敷かれたラグに背を預けていた。天井に電灯が見えたが、その光はすぐに覆い隠された。ジェーンさんはもう片方の手も僕の手と絡める。僕はそれに抵抗できなかった。
「…あんたとなら…仕事以外でも、安心できる」
「…………………未成年に手を出す気ですか」
「バレなきゃ構いやしないわよ…」
満腹だからなのだろうか。安心しきって、なぜだか抵抗する気持ちが失せていく。僕に覆い被さる彼女の体重を感じる。手のひらから彼女の温もりが伝わってくる。だんだんと、彼女は僕に近づいてきている。
「後悔しますよ」
「もう君のことは大体知ってるから、心配ないわ」
「僕が言いふらしたら、貴方だって無事じゃいられないんですよ?」
「アタイが握ってばっかりだったから…これで、やっと対等ね」
彼女の上体が完全に倒れ、彼女の頭が僕の頭の横に来た。見慣れた天井を見つめながら、以前感じたことのある朱鳶さんの重みとは違う重み、温もりを感じるのはなかなかに奇妙で、そして緊張する体験であった。心臓の鼓動が早まる。
「さっきから言い訳ばっかりだけど…はっきり拒否はしないのね」
耳に息がかかるほどの距離でジェーンさんは囁いた。初めての体験にぞわ、と背筋に何かが走る。
「そ、それは、その………」
「…君も、ホントはきちんと男の子なんだ」
股下に柔らかい何かが押し当てられる。これは…腿?
「………本気で、言ってるんですか?」
「ここまで来て、まだ揶揄ってると思ってるの?もうそんな範疇は超えていると思うのだけれど」
「…僕の“あれ”も、受け入れてくれるんですね?」
「気をつけてれば表に出すこともないと思うけれど」
彼女は僕の首筋に顔を埋め、ぐい、と唇を押し当てていた。
部屋の天井を見つめているうちに、思考に靄がかかっていくような気分になる。ジェーンさんの体温が伝わり、僕の中に確実に蓄積していっている。体温の恒常性が乏しい…変温動物の性のせいで、頭が茹る。
「じれったいわね…いい?もう、いいかしら」
のぼせ上がった脳みそで返答を精一杯考え…ゆっくりと、目を閉じた。
ジェーンさんの頭が離れていくのがわかった。そして一度上体を起こすと、また彼女は上体を倒していく。しかし、今度はそのまま、僕の身体に沿って…
彼女の香りが近づいてくる。熱源が顔にゆっくりと近づいてくる。酒精の混じった、不思議と甘い香りのする暖かな風が顔にかかる。そしてそのまま、距離がゼロへと…………………
「もらいっ」「え?」
彼女の言葉の後に、謎のシャッター音が聞こえてきた。驚いて目を開けると、してやったりと言わんばかりのニヤけ顔でこちらにスマホのカメラを向けるジェーンさんの姿…。
「プッ、くす、くすくす…わぁい、クロウラーのキス顔貰っちゃった〜♡。保存しておくことにするわ、サンキュークロウラー♡」
唖然としていると、すわすわとスマホを操作しながらくつくつと笑い、ジェーンさんはこちらを煽ってくる。………さては謀ったな!?!?
「ちょっ、やめてください!消して!」
「え〜?こぉんなに可愛いのにもったいないわよ〜」
「これ撮るためだけにあんだけやったんですか!?」
「キミねえ…こういう仕事してるなら、ハニートラップの耐性くらいつけておきなさい。今回は勉強代ね」
「なっ、んなろーっ!!」
かあっと顔が熱くなり、スマホを奪おうとジェーンさんに飛びかかるもぬるりと身を躱される。言い合いになりながらどたばたと追いかけっこを続け、馬鹿らしくなったので僕から諦めることにした。
「ハア…ほんと…ほんと僕がバカみたいじゃないですか…ッ!」
「まあまあ、今回は相手がアタイだったのが悪かった、って思えばいいと思うわよ」
「負けを認めるのとニアリーイコールすぎませんか…?」
フォローしているのか煽っているのかわからないジェーンさんの言葉に呆れていると、彼女は続ける。
「それに……受け身じゃなくて、キミから来てくれたら…ホントにアタイはどうなっても構わなかったわよ」
「ハイハイ、お上手ですねネズミさんはねえ…!」
つい、と彼女に背を向け、冷蔵庫の方へ向かう。こんな気分を取っ払うには甘い物に限る…そう。まだ誕生日のご馳走は残っているのだ!
扉を開け、紙箱を取り出した。なんと苺ショートケーキをワンホールである。こんな贅沢、誕生日くらいにしかできないから!
「…ケーキありますけど、要ります?」
「怒ってるのにケーキはくれるのね」
「……………要りますかっ!!」
「くすくす、はぁ〜〜い」
まだ揶揄ってくるジェーンさんに構いながら、ケーキを机の上に置いた。お皿も用意して…蝋燭に火をつけるためのライターを、廊下の倉庫に取りに行こうとした。
ピン、ポーン…………
この時間帯に滅多に鳴ることのない我が家の呼び鈴が、訪問者の来訪を告げた。はて、宅配便など頼んでいたつもりもないし、この時間に来るわけがないのに…不思議に思いながら、廊下についた小さなモニタで呼び鈴のカメラ映像を見ると、そこには…
『…クラウス、まだ起きてたんだ』
「え、エレンっ…!?」
気怠げな表情に声、ゆらゆら揺れるサメのしっぽ…間違いなく、同級生のエレン・ジョーが、インターホンの前に立っていた。
「な、なんでこんな時間に!?」
『後で話すから…まず入れてよ。外、寒いし』
「ぇーっと……………わ、わかった」
返事をしてぷつ、と映像を切る。まずい、なんたってこんな時に…!?どたばたとリビングに戻り、ジェーンさんに呼びかける。
「ジェーンさんっ、ごめんなさい、少しの間ベランダに出ててくれませんか!?」
「いいけど…こんな夜中に、どなた?」
「件の同級生ですよ!あんたといるとこを見られちゃ互いにまずいでしょ…!?」
「別に玄関先で追い返せばいいじゃない」
「相手が上がり込むつもりじゃなきゃ僕だってそうしてました…っ!!」
ずいずいとジェーンさんを押し、ジェーンさんは仕方ないといった様子でベランダに出た。外に追いやるのは心苦しいが、互いの名誉がかかっている…!
窓を閉め、シャーーーッ!とカーテンを勢いよく閉じた。これで外は見えないはず。満を辞して玄関へと向かい、鍵を開け…
「…だいぶかかったね」
「う、うん、ちょっと散らかってたから…」
突然の訪問者、彼氏持ち(推定)の同級生を、深夜に家に上げたのだった。
ーーーーー
もう慣れてしまった冷たい空気、夜の闇の中。アタイは徐に、懐から小箱を取り出した。そこから一本抜き取って、箱にとんとんと先を叩きつける。
とん、とん、とん、と規則的に音がする。その音をぼんやりと聴きながら…冷たい風を浴びながら、アタイは先程のことを振り返る。
もし…もし、あのまま流れに任せて彼を
最初は揶揄うだけのつもりであったのだ。彼は揶揄った時の反応が、普通の時と満腹の時でだいぶ違う。その違いを楽しむのが半ば趣味と化してしまい、これまで
身体に触れてみたり、寝台に潜り込んで抱き枕にしてしまったり、歯ブラシや私物を勝手に置いたり…。その度に彼から睨みつけられたり、嗜められたり、はたまた動揺して赤面されたり。一緒にシャワーを浴びる提案をして揶揄った時は赤面しながら怒っていて新鮮だったな、と振り返る。
しかし…今回のような…受け身で、まるで“貴女になら何をされても良い”とまで言うかのような態度は初めてで…内心動揺した。そのせいで判断力が鈍ってあんなことを…。
ごまかしが効いて本当に助かった、とひとりごつ。とんとんと叩きつけていたものを口に加え、懐中の百円ライターを左手で風から守り…しゅぼ、という音と共に火がつくと、吸気と共に火が煙草に移っていった。十分に炙り終えて、ライターを再び仕舞い、右手で煙草を取って…深く、深くため息をついた。吐き出された紫煙が夜闇に溶けてゆく。
ベランダに肘を掛け、ただ俯きながら右手の煙草より立ち昇る細い煙を見つめていた。フィルターに薄くついた皺をぼうっと見ていると…ようやっと、あることを自覚した。
最近…他の
貴女がよくいるせいでお隣さんとの食事の機会が減った、と文句を呈されることもあったが…不思議と優越感を感じていたのはなぜだろう。弱みを握って、都合よく使っているくせに。
そして、都合よく使われているくせに…彼はアタイを放置するでもなく、ましてや嫌うわけでもなく…そう、自然に。ごく当然のように、まるでそうするのが当たり前とでも言うように…ご飯の支度をし、シャワーを貸してくれて、洗濯にアイロンまでやっておいてくれる。
自分に気があるのか、とも思った。だから一度聴いてみたら、今までに見たことがないくらいに顔を顰められた。そして、こう言われたのだ。
「僕は僕のことが好きな人が好きなんですよ。…
…思えらくは、先ほどの彼は…本当に自分が“受け入れられた”と思っていたのかもしれない。こんな悪い大人にいいように使われているのに、少し優しくしただけで…少し一緒に過ごしただけで、自分はこの人に“悪い面”も受容してもらえたのだ、と。
湧いてきたのは罪悪感だった。健全な…とは言い難いが…男子高校生の家に上がり込んでは世話をさせ、仕事に連れまわし…挙句、勇気を出して
…わるい気持ちに襲われている時ほど、煙草の煙がまずいことはない。煙を吸ったのは2、3口だけで、あとは燃え殻になってただ冷たくなってゆく。随分と考えていたのだろうか?時間の死骸が、掌の中にあった。
それに気がつくと、夜の風がなんだか湿り気を帯びているような気がした。空を仰げば、月が雲に覆い隠されるところであった。大きな雲だ…一雨降るだろうか、と憂い、部屋の中の彼が早めに対応をしてくれることを願った。
携帯灰皿に残骸を押し付け、放り込んだ。彼のことを思い浮かべ…これからの接し方も考えなければならないな、とひとりごちる。今までの関係は、正直とても…“良い”ものであったのが残念だ。
夜の冷たい空気を紫煙がわずかに残る肺いっぱいに吸って…そして目一杯伸びをして…………ふと、隣のベランダを見た。
「ジェーン…?なぜ、貴女がそこに……………????」
見知った顔………職場の上司、特務捜査班班長…朱鳶がベランダの仕切りの向こうから、ひょっこりと顔を出しているのと目が合った。
彼女の目は、疑いと焦燥…そして絶望、怒りが滲んでいた。専門知識があってもなくてもすぐに分かる事であろう。ゆっくりと携帯灰皿をしまい、ゆっくりと両手を上に掲げ…
「…待って班長、これは違うの」
ベランダの仕切り越し、肩から上を乗り出しながらの尋問が幕を開けたのだった。
ーーーーー
「…紅茶でよかったかな」
「ン。気ぃ効くじゃん、サンキュ」
突然の訪問にも関わらず、彼女…隣の席のエレン・ジョーは何食わぬ顔でどっかりと座布団の上に座った。そんな彼女の前に紅茶を差し出すと、彼女は嬉しそうに尾を揺らす。
「あの、エレンさ…こんな夜中に来て大丈夫なの?親御さんは?」
「保護者には許可取ってる。それに、夜中だからこそ、だから」
そう言うと、彼女は紅茶のカップを傾け始めた。一口飲んで、卓上の角砂糖をひとつ、ふたつと入れていく。そんな様子に僕は焦れてしまって、つい急かすような物言いをしてしまう。
「で…こんな夜中に何の用なの?自分が連絡見逃してたなら謝るけど」
「………そんなんじゃないよ、連絡せずに来たし。でも、大事な用だから」
「そっか。ならその大事な用ってのはなんなのさ」
「……」
彼女は何かに悩むような表情でこちらを見ている。…そんなに話し難いのだろうか?彼女の向かい側に左足から腰を下ろす。
「…まあ、言いたくないならそれでもいいよ。落ち着くまでここにいるといい」
「………クラウス、そんなに優しかったっけ?」
「失礼だなあ、僕だってそれくらいの甲斐性はあるよ!それに、最近ちょっと話す機会少なくなったけど…」
「まだ友達、でしょ?…まあ、エレンがよかったらだけどさ」
「……………そう、そっか。…わかった」
何が分かったのだろうか。彼女は何かを決めた様子で、持っていたカバンの中に手を入れた。そしてそこから何かを取り出すと…ばむ、とちゃぶ台に勢いよくそれを置いた。
「…封筒?」
そう。それはごくありふれた茶封筒。厚みもそこまでない、ごく普通のものだ。
「これが大事な用?」
「うん。………中身、見なよ」
「わかった、お手紙か何か…?」
彼女に促されるまま、僕は茶封筒を手に取った。茶封筒の封を丁寧に切り、中身をつまんで引き出し…………
そこには、ひとくくりのディニー紙幣の束。
「……………へあっ!?!?!?!?」
取り落としそうになるのを慌てて立て直し、手の中の札束を見つめる。厚さ1センチほどの、これは…一万ディニー紙幣の束か!?
恐る恐る数を数え始める。いち、にい、さん…と、途中まで数えたところで、黙っていたエレンが口を開いた。
「それ、百万ディニーあるから」
「ひ、ひゃっ、ぉ…………」
絶句してしまう。震える手で慌てて封筒に札束を戻し、エレンにそれを突き返して問う。
「な、なな、なんなんだよこれ!なんでこ、ひゃ、ひゃくまん…!?」
「うん、百万ディニー。
「た、足りるってなにさ!?」
当然のように言う彼女の言葉に、さらに混乱が加速した。足りる、とはどういうことだろうか。彼女に貸していたお金も利息ゼロ、たった500ディニーが百万に化けるほどの暴利なんて闇金業者だってしない行為だ。お金を返したりする目的ではなく…僕になにかを払っているのか?
僕の問いに、彼女は少しだけ言い淀み…僕の目をしっかりと見つめ、毅然とした態度で言い放った。
「これで、クラウス…あんたを
「…か、う?」
かう?kau、cow、飼う…買う?
「え、な、なにいって…」
「…惚けるんだ」
エレンの表情が暗くなる。そしてその場を離れ、こちらににじり寄ってくる。それに対応して僕も後退りし…リビングの棚に背中がとん、とついた。
「お金あげれば……
「…それ、は」
まさか、そんな…いつ
「……どこで知ったの」
「何ヶ月か前。夜中見かけたから後ついてったら、繁華街の方で話してたの、聴いた」
「なっ…なんで尾行なんか!そんなこと許されると「それ、
非常にまずい。最近ジェーンさんに弱みを握られたばかりだというのに、今度は同級生にまでバレてしまうとは思ってもみなかった。しかも、何ヶ月か前ということは…バレたのはジェーンさん以前か?
「…っ、誰にも言ってない?」
「安心して。別に言いふらそうとか、脅そうとかじゃないから。…ていうか、お金持ってきてるんだから…わかるでしょ?」
「…………
びくびくしていたが…どうやら彼女は、僕に仕事を依頼したいようだ。しかし、こんな大金…イチ高校生である彼女がこんなもの用意して、一体何をさせるつもりだ…?
「…そんな、自分を道具みたいに」
「使うも遣うも一緒だよ。…やんなきゃ生きていけないからさ」
「……そっか」
「そうだよ。……じゃ、何して欲しいの?
変に格好つけてそう言ってみると、彼女は微妙な…怒りと悲しみがないまぜになったような顔をした。
「…お金、これあげるし…欲しかったらまたあたしが働いて稼ぐから…もう、こんなことはやめて」
「それは…」
口を開いて出てきた言葉は、僕にこの仕事をやめてくれ、とのこと。…彼女なりに僕のことを心配してくれているのだろうか。それもそうだ、ホロウレイダーの仕事などまともな高校生には危険がすぎる。しかし…僕の場合は、ホロウに入ること自体が
「なに?…できない、っての?」
「………」
「なんで?…足りなかった?」
「そ、そういう問題じゃなくて…」
「遠慮してるならいいの。友達、でしょ」
ずい、と封筒を押し付けながら彼女は仕事を辞めることを迫ってくる。しかし、辞められないし止められないのだ、これは。それに…
「…ごめん。
ジェーンさん。彼女の事があった。家に上げて家事炊事をしてやって、すっかり友人のようであるが…弱みを握られている以上、いきなり足を洗うなどとぬかすことはできない。申し訳ないが、断るしか…
言葉を返すと、彼女は驚いたように目を見開き…表情に怒りの色が混じる。
「………………とられた」
「え?」
何かを呟くと、彼女は急に立ち上がり、つかつかと歩き出し…勝手に寝室へと入っていく。
「ちょ、勝手に!」
追いかけて寝室の中に入ると、彼女はシーツがしわくちゃのままのベッドの前で立ち尽くしていた。…ジェーンさんが使ったあとのようだ。意外と寝相が悪いんだよな…。
「…………ヤな匂いだ」
「え?」
急にエレンにそんなことを言われ、僕は困惑と少しのショックを受けた。自分の体臭ってそんなにひどい…?と、呑気なことを考えていても、それはすぐに塗りつぶされる。
「わかるの、サメってさ。水槽に一滴でも血が垂れたらわかる。だからアタシも、鼻は利くほう…」
ゆっくりと、僕の後ろに回り込むように歩くエレン。それに対応して僕も身体の向きを変えていくと、いつの間にか位置関係が逆転して…僕がベッドに背を向けて、彼女が扉側に立っていた。
「部屋に入っただけでわかった。だって、あれからも、これからも…わかる」
彼女は言葉と共に、部屋に脱ぎ捨てられたTシャツや短パンを指差した。…これもジェーンさんが脱ぎ散らかしたものだ。洗濯カゴに入れろとあれほど…!!
「特にベッドなんか…………ああ、イラつく…」
「ど、どうしたんだよエレン…なんか変だよ」
彼女はよた、とこちらに一歩踏み出した。さっきと同じように僕も一歩下がると…
「変?………はは、そっか、変、か………
ふざけんな!!!!!」
彼女の姿がぶれる。驚愕の次に感じたのは、なにかがぶつかってくる感覚と…背中に感じる、慣れたベッドの感触。
「なんで…なんでなんでなんで!!!!」
そして…僕の上に馬乗りになった、エレンの姿が見えた。
「香水の匂い…女物の高いやつだ!それにシャンプーだって高いのに変えてた!!そんな匂いが、なんでベッドにこんなに染みついてるの!?」
「え、な、なに…?」
「惚けるな!」
僕に馬乗りになったまま彼女は僕を怒鳴りつける。しかし、その怒りは…僕ではない誰かに向けて。
「さぞかしここで
「は?何言って」
「………………気持ちよかった?」
「え」
「春なんて買うクズに
胸ぐらを掴みながら罵声を浴びせかけてくる彼女の言葉を聴いて、僕は…深刻な誤解が起きていることに気がついた。
「何が先約だ、お得意様だ!!年増のくせにクラウスを買い占めて、自分専用なんだってシャンプーまで変えさせて!洗面台に歯ブラシなんて置いて…!燕飼っていい気分になって…!!!」
「…どうせ今晩も来る予定だったんでしょ?誕生日ですらそんな女に身体中穢されるわけだ!」
押し倒した僕を揺すりながら彼女が捲し立てる。
「…エレン、待って。誤解だよ、僕はそんなこと」
「は!?さっきまで認めてたじゃん!!」
「それはそうだけど、僕は
「嘘だッ!!!!!」
ばち、という破裂音と同時に、目の前に火花が散ったような感覚がする。遅れて、頬に走る痛み…頰を張られたと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「痛っ…なんてことするんだ!」
「クラウスが嘘つくから!!!」
「何を根拠に…!」
「首…
「はぁ?そんなわ、け………」
彼女の言葉で、先程起こったことを思い出す。もしや、ジェーンさんに肩に顔を埋められた時に…!?
「ハッ、やっぱ心当たりあるんじゃん…!」
「ち、ちが、誤解だよ!」
「………そんなにお金受け取るのが嫌?そんなにやめるの嫌なんだ」
彼女の声が鎮まる。依然として胸ぐらを掴まれたまま、彼女は訥々と言葉を続ける。
「穢されたね、クラウス。わかった。わかったよ…じゃあ、
「は?な、なにいって…」
エレンはそんなことを言った。そして、手に一層の力を込め…
僕の部屋着を引き裂いた。
「え、な…っ!?」
「クラウスさあ…酷いよ。なんでそんなことするの?」
服の破片を投げ捨て、座った目でエレンは言う。
「もう、あたし、クラウスのこと………犯すしかなくなっちゃった」
エレンが、僕に急接近する。凄まじい速度。僕は咄嗟に反応できない。瞬きする暇もなく、呼吸する暇もなく、僕の視界の中で、彼女は、その表情を変えないまま………僕の半開きの口に、彼女の唇を重ねた。
「ん、む゛…!」
「ンッ、ん、ぢう…………」
僕の唇と彼女の唇が交互に重なる。ファーストキスの衝撃と困惑のまま、彼女は僕の唇を喰み、舌でなぞり…そのままそれを僕の口内に滑り込ませた。
「ん゛!ぅ゛、んむ゛ゥ………!」
「ン、ふ、ちぅ、れろ、ふぅ…………」
ざらついた肉が僕の口の中を這い回る。それは僕の舌の根を探り当てると、思い切り絡みついて擦り合う。舌も唾液も、あらゆるものを啜り出さんと、彼女はさらに吸いつきを強めた。友人ゆえに、舌を噛みちぎって抵抗などもできず、僕は彼女にされるがまま唾液の交換を続けさせられた。
「ぢぅ、じゅる、じゅるるる…ぷは。どう?クラスメイトとのディープキス。あたしは美味しかったけど」
「ぷはっ、はあ、はぁ………な、なんで」
彼女との間に幾本もの銀の橋をかけたまま、彼女の質問に質問で返した。彼女は少し苛立った様子で続ける。
「…こんなの、ごまんとやったよね。じゃ、次は下も触ろっか」
「な、そ、そんなのだめ…!」
下半身へと伸びる彼女の手を静止しようとして、ベッドの上で揉み合いになる。シリオン同士、男性である僕の方が有利になるはずであるが…彼女の力は想像を絶するものだった。
ばちん、とまた破裂音。
「ああっ…!」
「大人しくしててよ…!」
今度は左の頬を張られる。それでもなお抵抗を続けると、彼女は何度も何度も頬をぶつ。そして遂には、僕の首根っこに手をかけた。
「頼むからッ、素直に受け入れてよッ………!!!!!」
「ゔ、ぁ、うぅ、ぐるじ…っ!」
彼女の腕を掴んで抵抗するもびくともせず、どんどん気道を圧迫する力が強まっていく。喉の締まる感覚と、鬼気迫る表情のエレンに…僕は恐怖を覚えてしまった。
「や゛め、ぇれ゛ん、やめ゛て……!!」
「だいたいさ、ヘンだよクラウス…!初対面の誰にでも体を許してるクセに、なんであたしはダメなわけ…!?だったらこうするしかないじゃん…!」
興奮状態のエレンに言葉が届くことはなく、視界が暗くぼやけてきた。そのまま意識が暗黒へと落ちる…と、いうところで彼女の手の力が弱まった。
「かひゅ、かひゅっ、はあ、ハア…ぅ、あっ!?」
「フフッ…なあんだ、ぴーぴー文句言う割に
ぐい、とエレンの膝が僕の股座に押し付けられた。
「命の危機感じたら、カラダも反応するんだってね。…じゃあ、ヤろ。」
「ま、まって、やめて…」
「すぐに今までのことなんか塗り潰してあげるから」
上気した肌、荒い呼吸に欲望を宿した瞳で、彼女は僕を見下ろしている。そこに今まで親しかった友人の姿はなく…ただ恐怖しか感じられなかった。
「…たぶん、好きだよ。クラウス…好き。だから…言うこと聞いてよ…」
こんなことをしておいて…好き…?僕のことが…?
「やめてくれ」
ーーーーー
「何が
「えぇーーーっ………と、あの、ね?」
「ね?では分かりません。具体的にお願いします」
これは予測していなかった。しくじったな、とジェーンは心の中で後悔する。まさか彼の隣人、話を聞くに非常に親しい相手が…自分の上司だったとは誰も考えないだろう。天文学的な確率を引き当ててしまったのは、何の因果だろうか。
「言えないのですか?しっかりとした大人のはずの貴女が…そんな薄着で、なぜクラウスくんのベランダで煙草なんて喫していられるのか、その理由を?」
「…特に特別なことはないわよ」
目線を意識し、悟られぬように。当たり障りのないような誤魔化しかたをしなければ。
「………アタイは、あの子の“お客様”よ」
「お客様…?……………ジェーン、あなたまさか!?!?!」
「変な勘ぐりはやめて。お客様ってのはね…
「あ、ああなるほど…」
班長が顔を真っ青にしながらこちらを見たが、弁解をすればすぐに落ち着いた。しかし、すぐに怪訝な表情に戻る。
「いや…それは貴女がクラウスくんの部屋にいる理由になりません。それも話していただかないと」
「急かさなくたってきちんと喋るわよ。…アタイ、彼に助けてもらったのよ」
それっぽい表情、それっぽい雰囲気でアタイは嘘をつらつらと並べる。
「アタイの仕事、班長も知っての通りだーいぶハードワークだから…フラフラでセーフハウスに帰ることもしょっちゅう。あの日もそんな感じだったわ」
「……」
「電柱にもたれながらセーフハウスを目指してたら、あの子に話しかけられたの。大丈夫か、救急車を呼ぶかって聞いてきたけど…アタイはそこで起きていられなくなってね。目覚めたら彼のお部屋だった」
「………ほう」
「彼に介抱してもらって、ご飯まで奢ってもらって…申し訳ないからお金を払おうとしたんだけど断られて。バイトでお金はあるから…って。その時に家事代行のお仕事を知ったの」
班長の目を時々みながらペラを回す。まだ誤魔化せている。この調子…。
「お礼を払わずにいるのも癪だったから…アタイ、彼に代行サービスを頼んだわ。しかも、双方に利が出る形で…」
「それは?」
「アタイが彼のお家をセーフハウスにするの。そしたら、アタイが依頼して彼の家にいる間、彼は自分の家で家事とプラスアルファをするだけでお金が貰える…どお?なかなか良いでしょ。ちなみにこれはバイトの規約にも違反してないわ」
「な、なるほど…そうだったんですか」
きょとんとした、しかし納得の見える、先ほどとは違う穏やかな表情で頷く班長からはもう疑いの色は見えなくなった。誤魔化しが聞いてよかったな、と心の中で安堵する。
「最近あまり夕ご飯のお誘いが来なかったのもそういうことだったんですね…では、今日も?」
「ええ。なんと七面鳥をご馳走になっちゃった…彼のご飯は美味しいから、毎日でも食べたいくらい」
「ええ、それには同意しま………………ん?」
ぴた、と班長の頷きが止まる。
「…ジェーン、あなた…任務のためにクラウス君の家ををセーフハウスにしてる、と言いましたよね」
「そうよ、任務終わりの休憩所として。…それが何か?」
班長の顔にまた疑いの色が…それも、先程よりも厚く塗られてゆく。
「知ってのとおり、私は特務捜査班の班長ですから…部下がいつ、どこで、どんな任務にあたっているかは一応すべて頭の中に入れています」
「ええ。大変そうよね、アタイには無理…」
「そして、外部協力員とはいえ、一応あなたの仕事もすべて把握しているつもりです」
「それがどうかし……………待って違うの」
手汗が吹き出す。まずい、非常にまずい…!
「あなた…………今日、非番ではありませんでしたか?」
空気が重くなる。目の前で仄暗いオーラを滲ませる班長のせいで、重力が強くなったかのような錯覚を覚える。落ち着け、まだ大丈夫、まだ舞える…。
「非番にも関わらず…貴女は彼にお金を払ってまで、彼のお家に上がり込んでいるんですね」
「別に、休日に家事が面倒な時に家事代行を頼むのは普通だと思うけれど?」
「それはそうですが…貴女の場合、まだ高校生の彼の家に上がり込んでいる、という事実は不変です」
絶対零度の視線が、アタイの頭からつま先までをなぞる。
「そんな薄着で…それに、若干の酒精…彼のボディソープの香りもしますね。シャワーも借りてるんですか」
「ま、待って、なんでこの距離で分かるの…!?」
「認めましたね?…………さては、脱いだ下着まで洗わせていたりしないでしょうね」
「流石にそんな、セクハラじみたことなんてしないわ…信じて?」
「へえそうですか。最近彼がベランダで物を干す時、タオルが何かを囲うように吊るされているのも何かの偶然なんですね」
「あんた隣人の洗濯物の内容観察してるの!?」
「職業柄目につくんですよ!やっぱり洗わせてるんですね…!女性としてどう思ってるかとか気にしないんですか!!」
「………それは、その、ねえ?」
言えない…ちょっと恥ずかしそうな彼をからかって遊ぶのが楽しいなどとは口が裂けても言えない…。最近は反応が薄くてつまらなくなってきたから、もっと
「貴女…まさか、そういう趣味があるんですか」
「そういう趣味ってなによ…!」
「そういう趣味に決まってるでしょう!貴女…うら若きすてきな男子高校生を侍らせてッ…!外部協力員とは言え治安局の一員たる貴女がそんなことをしているなんて…!」
「侍らせるって…班長、今日はなんだか様子がおかしいわよ」
落ち着かせようと指摘すると、彼女はわなわなと震えながら続ける。
「…こうもなりますよ………」
「え?」
「お隣の子がいつの間にか家に女性を招いていれば誰でもこうなりますよ!!」
「…さすがに主語が大きすぎないかしら?」
「だって、だって貴女…泊まることだってあるんでしょう?」
「ええ、それが何か…?」
「家族なら構いませんよ。親戚、とかならまあまだ構いません。……一つ屋根の下で、まるっきり他人の異性と酒気を帯びてふたりきり…もうヤることは一つではありませんか!」
「(絶句)」
わなわなと震えながら握りこぶしを胸の前に作り、赤面しながらとんでもないことを言っている班長。普段からはとんと想像のつかない様子だ…。この人はそれほどまでに彼に入れ込んでいるらしい。迂闊だったか…しかし、今更この関係を終わらせてしまうのも勿体無い。仕方がないから家に上がり込むのも控えるか…。
「…班長、あの子のこととても気にかけてるのね」
「えっ…まあ、お隣さんですし…彼は親御さんも家にいないようですし」
「そお。…あなたはあの子の親代わり?その歳で子供を養うような心境になるなんて、ちょっと健全じゃない気もするけど…いいかも」
班長はどうやら、クラウスに対して
「あー…その…子供というより…弟?いや…もっと距離の近い関係を…」
「ん?何か?」
「あっ、な、なんでもないです!」
「そお…。まあ、アタイもこれからはここに来るのも控えることにした」
「そうですか。まあその方が健全でしょう。そうするべきです」
ふんす、と息を吐きながら腕を組んで命令する彼女に、アタイは素直に従うことにした。………頻度を三分の二ぐらいに落とそう。
その後、すこし他愛のない話をして、班長は自分の部屋に引っ込んでいった。そしてさらに暫くして、漸くベランダの窓が開く。
「あら、随分と遅かった…じゃ…」
振り向いて文句を言ってやろう、と彼の顔に目を向ければ…腫れた頰と涙の跡と、破れたTシャツが目に入った。
「……………お待たせしました。入ってください」
暗い声色で、ひどく虚な表情で短く言い放ち、彼は振り向いて部屋に戻る。その後ろ姿を見て、ジェーンは
「…ッ!!ちょっと、アンタ一体何が…!?」
その言葉に振り向いたクラウスは、諦めたように笑みを浮かべた。
「もう、彼女とは関わらないようにしたんです」
ーーーーー
夜の帳が下りきった、人通りの少ない道をエレンは歩いていた。足取りは重く、顔は怒りと悲しみと後悔がないまぜになったような…およそ彼女が今まで感じたことのない感情で埋め尽くされている。
一言も発することなく、手に持った
「エレン…探しましたよ。こんな所で何をやっているのです」
ゆっくりと窓が開き、そこから顔を出したのは、彼女の仕事先…ヴィクトリア家政の執行代理人、実質的な責任者であるフォン・ライカンであった。
「夜中にこんな所まで…明日は
ライカンは大人としてエレンを叱るつもりであったが…彼女の纏う雰囲気が異様に暗いことに気がつく。
「…とりあえず乗りなさい。帰りましょう」
「………………うん」
小さく返事をしたエレンは、バンの後部座席に乗り込んだ。シートベルトを閉めたのを確認して、ハザードを消してゆっくりと走り出す。
車の中のエレンの様子は、普段からは考えられないほどしおらしく、悲しげであった。この世全てを憂うような彼女の雰囲気に、ライカンはたまらず切り出した。
「エレン…貴女にもプライベートがあります。我々がそれに過度に干渉するのはあまり褒められたことではないですが…何か困りごとがあるのならば、いつでも我々を頼ってくれて構わないのですよ」
大人として、ライカンは言葉をかけた。その言葉に、エレンははっとした様子で顔を上げ、少し考えた後…口を開いた。
「あたし…あたし、ひどいこと、しちゃった…」
自らの感情を咀嚼するかのように、たっぷりと間を取って彼女は言葉を紡いだ。そして、ずっと手に抱えていた物体を、ルームミラー越しにライカンの前へと差し出した。
「………………これ、は…!!!!」
黒曜のような鱗が並んだ、半ばから切れた何かの尻尾であった。
【To Be Continued…】
クラウス:好感度メーターの途中にキャップがあり、条件をクリアしないとそこから好感度が上がらない系トカゲボーイ。好感度段階は“たにん”、“しりあい”、“ともだち”、“きになるひと”、“こいびと”、“運命”の7段階で、“きになるひと”と“こいびと”の間にキャップがある。
エレン:あーあ、やっちゃった。可愛くないことするからこんなになっちゃって面白くなっちゃうんだからさぁ…。なお好感度は“ともだち”ランク。
ジェーン:嘘が得意な割に朱鳶がクラウスに向けている感情を見抜けない。好感度メーターの条件を唯一クリアしている。好感度は“ともだち”と“きになるひと”の中間。
朱鳶:隣の子に同僚が粉かけてたのでちょっとキレた。好感度は“きになるひと”、好感度キャップにぶち当たっている。
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少しお待たせしてすみませんでした。
よろしければ感想など頂ければ幸いです。