「うっそぉ…」
「うぅぅ……ごめんなさい…」
「白守進!早くしなさい!カノンの尊厳を死守するのです!!」
ウェディングの声が木霊する。
進は呆気に取られ、カノンは俯き頬を赤く染めている。ウェディングに至っては普段の冷静さを削ぐ勢いで焦っていた。
事の経緯を説明しよう
先に風呂を上がった進は、部屋でカノンたちが現れるのを待っていた。中に少しだけ厚着をし、浴衣を着て待機するだけだった。カノンの浴衣姿を妄想して鼻の下を伸ばしていると、そこにタイミング良く二人が登場。足音が聞こえてきたのでそちらに目をやると……なんと、浴衣をうまく羽織れていないカノンとウェディングが立っていたのだ!!隙間から顔を覗かせる微少な肌の面積と、チラリと見える下着とおぼしき布。その姿に進は声を上げることは愚か、反応をすることもできず暫く見つめることしかできなかったのだった。
そして今、カノンは進にすっっっごく恥ずかしそうにしながら浴衣を着させてほしいと頼んでいた。そこに繋がるのが冒頭のやり取りである。
「尊厳を死守って、おまえなぁ!そう易々と今カノンに近づいて触れるかよ!」
「貴方それでもカノンの彼氏ですか?困ったときはお互い助け合うのが道理と言う奴でしょう。」
「そ、それはっ!そうだけどさ……む、無理無理無理!やっぱ無理だってば!俺の心臓が持たねぇ…!」
「意気地無しにも程があります!こうなれば私自らがやるしか……」
そういってウェディングは自身にも半端に着られていた浴衣がはだけぬよう抑えていた手をほどき、カノンの帯へと手を伸ばした。
「う、うわぁぁぁ!!!!やめろぉぉ!!」
咄嗟に目を覆い隠す進。鳴り止まぬ心臓の鼓動音に頭が痛くなるのを感じながらも、口を開いて言い放つ。
「ゼニスだからって何でもして良い訳じゃねぇだろ!す、少しは恥じらいを持て!」
「煩いですね。何を狼狽えているのです。たかだか私の裸体を貴方の目の前に晒しただけで?恥じらいを持てと?理解できません。私の存在価値はカノンを護れるかどうかにあります。それ以外何もないと言うのに一体何故……?」
「……カノン、もしかして結構ウェディングってトラブルメーカー?」
「…………」
目を覆い隠していた手を退け、顔を見て質問する。対するカノンは、この状況に未だ恥ずかしさを感じつつ気まずそうに目を逸らした。何も言わないのは恐らく、ウェディングを傷つけないためだろう。進の質問にウェディングも気になっているのか作業の手を緩めているのだ。尚更言い出しにくい筈だろう。
(あー……何となくは分かった。)
だが、その黙秘の意図は十二分に伝わったようだった。
こうなればもう腹を括ってやるしかない
突然進はどこか覚悟を決めたかのような様子でウェディングを呼び止めた。再び作業の手をやめるウェディング。相変わらず凶器とも言える肉体を表に出している。ギリギリ奇跡のバランスで大事な部分は見えていないが、見えるようになるのも時間の問題だろう。進は一息吸うと、大きく吐きウェディングの目を見据えてこう言った。
「良く聞け!お前の体は正直とんでもないくらい魅力的なんだぞ!!本人は分かんねー知んないけど、はっきり言って今のカノンの姿も!お前の姿も直視できねぇんだよ!」
「……?はい?私が?」
「あ…うぅ……」
巻き添えをくらうカノン。呆然としているウェディングを更に畳み掛けようと、進は言葉のレパートリーを増やすことにした。
「ぐぬぬぬぬ……ここまで言ってもきょとんとしやがるか…!ならもっと聞かせてやるよ!いいか?先ずウェディング、お前は胸がでかい!」
「「?!?!?!?!!」」
「女性ってのはな、それだけでもう男からしたら大変魅力的に見えるんだぞ!そのくせ体型はスラッとてしてるし、何より滅茶苦茶美人!そんな!お前がっ!今どんな格好してる!?」
プライドなどとうに捨てた。ウェディングに対し怒涛の畳み掛けを見せる進。そして、肝心の本人はというと……
「…………」
「…はぁ、ここまで言っても無反応かぁ。……悪かった。ちょっと頭に血が昇ってたみたいだわ。そもそも、ゼニス相手にこんな俺の一言で感情が理解できたらある意味やばいよな。それにウェディングだって悪気があってやってる訳じゃないし、何より俺の都合だけを押し通して困らせるなんてのがあり得ねぇ。」
特段、なにかを言うということはしなかった。少しヒートアップしてしまった頭の中にある思考を、一旦冷静になり整理する。こうなればもうなるがままにいくしかない。
そう己に暗示をかけ、進は無理やりカノンの帯を結ぶことにした。その為には近づくしかない。高難易度の挑戦にクラクラしそうだが、どうにかやり遂げなければならないので進は漸く歩を前へと動かした。
(結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ結ぶだけ)
煩悩は一切無い。この調子で距離を縮め背後に回るだけでいい。あとは簡単だ。そう、簡単なのだ。決して彼女らの身に纏っている浴衣に生じている僅かな隙間に視線などやってはいけないが、気を付けるのはそれだけだ。しかし……
「…くっ……」
背後に進が立った次の瞬間、カノンの隣にいたウェディングが弱々しい声を上げながら、進から完全に背を向けるように動いたのだ。
「?」
妙な違和感を抱くも、それをずっと気にするわけにもいかないので再び進は目の前のやることに意識を戻す。
「ふゃっ…!あ、ご、ごめんなさい!変な声でちゃったのだわ…」
「お、俺の方こそすまん!わざとじゃないんだ!」
一から作業を行いたかったので、進は先ず浴衣をキチンと羽織らせ下着が見えないようにしようと試みた。だが、その際に進の手がカノンの地肌に触れてしまったらしく、お互い大焦りしてしまう。
そんなハプニングが有りながらも、進の丁寧な説明と手慣れた動作により順調に事が運ばれていき
「ありがとう!助かったのだわ。此が浴衣かぁ、不思議な肌触りなのだわ。それに、意外と暖かい!」
「ま、冬だしな。季節に合ったものを用意するくらい当たり前だぜ。どう?感想は。」
「今までに無い感じで面白いのだわ。なんだかこの着心地も癖になりそう。」
「へへっ、そうか!純粋な別世界の住民の評価ってやっぱ新鮮だし興味深いわ。」
「そう?」
「あぁ。」
終わってみればなんとやら。先程の緊張感がまるで嘘のように思える位に、二人の会話は充実していた。さぁ、あとはウェディングだけだ。カノンに練習としてやらせてみてもいいがそろそろご飯が来る頃だろうし、呑気にしては居られない。そう思い進は暫く待たせていたウェディングに対し申し訳なさそうに
「悪い、寒かっただろ。次巻いてやるからこっちこい……よ…?」
声をかけたつもりだった。
変だなとは思っていた。ちょくちょくウェディングに向けても、ここ覚えとけよー!と言いながら説明していたのに返事ひとつ返されなかったのだ。それを、まぁウェディングだしなで済ませていた。だが、それは大きな間違いだった……のかもしれない。
「何やってんだ?」
「っ!い、いえっこれはそのっ……」
それは、さっまで進の前でも堂々と立っていたウェディングの姿ではなかった。何故か腕を胸の上で水平に組み体を少し(進から見て正面の方向に)斜めに反らしている。少し押し潰され強調されている二対の凶器を、まるで進に見てほしくなさそうに必死に隠そうとしているようにも見える。
「……?」
何をしているのか全く分からない。何故取り乱す必要があるのだろうか。
(もしかしてあれか?俺がカノンに急接近したから怒ってるのか?なんだか目も俺を睨んでいるように見えるし……ウェディングってたまに感情的になる時あるもんなー。いくらゼニスと言えど、感情を抱かない訳じゃない筈だし今回もその類いの反応って事かもしれないな。)
そこそこの考察をする進。此方を蔑むような目に、進を避けようと体を反らせるその仕草。この態度は、自身の不快感を表に出すときによくしているものだった。要因としては、進がさっきまでかなり躊躇していたというのに、その割にはすんなり事を済ませていた事実にあるのだろう。普段のウェディングから考えるとこの考察はかなり的を射ているように思えた。
どうせ、馴れ馴れしくカノンに触れるとは……もっと配慮をして下さい!なんて思っているんだ。でもしょうがないだろう?異性だと言っても、恋人同士なのだ。緊張はしても普段の距離が距離なので気付いたら打ち砕けているなんてよくあることだ。
「あー…まぁあんま気にしないでくれよ。ウェディングも分かってるだろ?カノンは確かにとんでもないくらい可愛いけどさ、これでも恋人なんだぜ?人間慣れてくれば少しずつ態度も変わってくるもんだ。それはお前も同じだろ?」
兎に角、今のウェディングには落ち着いてもらうことが一番だ。冷静になって考えさせて、納得してもらう。頭でっかちな部分もあるウェディングだが、決して馬鹿ではないのだ。さぁ、後は返事を待つだけだ。時間をかけてゆっくりと理解を得よう。そう思ったその時
「…っ……そういう、訳では…っ?今私はなんと…?ち、ちがっ!おかしい…!そんなつもりではないのに…!理解、出来ません……」
突然ウェディングが小声で何かぶつぶつ呟き始めると、なにやら一人で困惑し戸惑って混乱しだした。流石に進の脳がキャパを越えてしまい、呆然としてしまう。そこにカノンが声をかけた。
「進、ちょっと鈍感だと思うのだわ。」
「え?」
「うーん……ウェディングの為にもあまり言わないでおくけど…もう少し慎重になってみて?貴方から見るとウェディングは最早身内のような存在なのかもしれないけれど、それでもウェディングだって───一人の女の子なんだからね。」
「ちょ、なに言って…って…」
呼び止める前に、カノンはそそくさとその場を去る。疑問を解く暇もなく、進は目の前の問題に直面するしかなかった。
(一人の、女の子……)
カノンの言葉が何度も何度も頭の中で反芻する。
単純に考えると、ウェディングは女性であるのだと言っているように聞こえる。
いやまて、一人の女の子……?
(さっきまでの俺、何をしてた?ウェディングの変化に俺が関係しているのは確実な筈…………あっ?!ま、まずったかこれ!?ヤバい、気付いたかもしれねぇ!これが本当なんだったら…俺は…!)
微かな引っ掛かり。僅かな疑問。それら全て、点と点が繋がった気がした。その結果、進は冷や汗をかき直ぐ様行動すべきだと考えた。
「ウェディング…あぁ言った手前悪いんだが、少し落ち着こう。」
「っ?あ、え、えぇ…?分かりました。」
「ほら、大きく息を吸ってー…吐いてー…吸ってー…吐いてー…」
そう言って進はウェディングの背中を優しく擦る。合図に合わせてウェディングも深呼吸を繰り返し、何とか何時もの調子に戻すことに成功した。
「すぅー……はぁー…ふぅ、すみませんでした。迷惑をかけてしまいましたね。」
「いや、謝るのはこっちの方だ。」
「はい?」
「あー……なんて説明すべきかな。まだウェディングは自覚してないのかもしんなけどその…お、俺がさっきお前の体云々って言ったろ?」
「え、えぇ。まぁそうですね。」
話の全容が見えず首を傾げるウェディング。
「そういうのってさ…………あーくそっ、言いずれぇ……まぁ何て言うの?こう、マナー違反というか常識がないというか…兎に角、あんま言っちゃいけないこと言っちゃったんだよ。」
「な、何故いきなりその様なことを私に…?といいますか、そもそも何を理由に言ってはいけないと…?」
「うーん、一言で言うとデリカシーが無さすぎたってことだな。絶対に駄目!って訳でもないんだが、基本的にあんなこと女性に言ったら不快がられるのが普通なんだよ。だから、謝るのは俺なんだ。すまん。」
「不快?そんな思い、私はしてなど…………っ!」
進の説明を否定しようと思ったその時だった。どこか、心当たりがあるような気がしてさっきまでの己を振り返ってみたら、確かに妙な感覚がしていたのを思い出したのだ。
(確かあの変な気持ち悪さに襲われたのは……白守進が私の胸を大きいと言った時辺りでしたか…?し、しかし…そんなことでこの私が不快な思いをする訳が……やはり分かりません。肉体とは、意識を動かすための只の塊。そこをどう言われようが意味など発生しない筈です。だと言うのに…どうして私はこうも妙な気持ち悪さに襲われるのです?それに何故───少しだけ、嬉しいと感じてしまっているのですか?)
胸が大きいという言葉だけじゃない。魅力的、美人。この二つのワードが変に意識させてくるのだ。別に、ここに来るまでの人生で、全く言われたことがない訳じゃない。美人なんて良く言われてきた。なんなら今日だってちょくちょく唯に言われたりした。だというのに、今回の言葉は別の言葉だと錯覚してしまうほどに響いてしまっていたのだ。
「ほんと、悪かったな。」
「!」
思考の海から現実へと戻されるウェディング。
「も、もういいですから。貴方の思いは十分伝わりました。だから謝るのはやめてください。それに……」
「?」
「その…あまり悪い気はしませんでしたので、気負う必要はありません。」
「え?なん…ど、どういうこ「もういいですから!それよりも早くこの浴衣を何とかしてください!!貴方のせいで暖まっていた体台無しです!」わ、わかったって……」
言われるがまま進はウェディングへと近づき作業を開始した。それを眺めていたカノンは密かに思った。
(ウェディングって、もしかしたらかなり複雑な心を持っているのかもしれないのだわ。ふふっ、でもウェディングのあんな姿始めてみた。なんだか少し可愛いのだわ。)
風呂から上がるだけでこの始末。これは明日の進の故郷巡り、骨が折れそうだとカノンは一人そう考えるのだった。勿論、自分含めてだが。
グツグツと、水が泡を立て何個も何個も割る音が鳴る。その周囲にはほんのり甘い匂いが立ち込めていた。
「い、いい匂いすぎるのだわ…!」
「ここまで食欲がそそられる事は今までで初めてですよ……!」
「あぁ、同感だ…!」
三人が一斉に声を漏らす。一同の視線は机の上にあるとあるものに集中していた。その正体は
「お客様は今回癒白庭堪能コースとなりますので、今夜はこのすき焼きをお召し上がり頂くことになっております。」
「はいはい!知ってます知ってます!やべーマジでこれ食えるのかよ!」
「ふふっ、流石旅館仕事を昔手伝っていただけはありますね。」
仲居さんが言うように、進は昔この旅館で手伝いをしていたことがある。といっても、出きることは限られていたため雑巾がけや荷物運びが主だったのだが。因みにこの事実はもう既にカノン等に報告済みである。
「っと申し訳ありません。進様は今お客様でございましたね。軽率な対応を取ってしまいました。」
「いやいいですって!気にしないでください!それよりもカノン達ももう待ちきれないって感じですし早く用意しちゃいましょうよ!俺も手伝いますんで!」
進の言葉を聞きブンブンと首を縦に降るカノンとウェディング。特にウェディングはほんの少しよだれを垂らしていて尚更我慢できないといった様子だった。先程の件のせいで感情のリミッターが少し外れたのかもしれない。兎に角、進は少しでも早く食べたかったので手伝おうと体を動かそうとしたのだが
「お気遣い感謝致します。しかし、我々はお客様を癒すことが目的なのです。幾ら進様の申し出と言いましても、此だけは我々にやらせてもらいたいのです。申し訳ありません、進様のお気持ちを無下にしてしまう様な発言をしてしまって。」
キリッとした目付きでそういう仲居さん。その他にいた仲居さんらも皆同じような目をしていたのを見て、進はこの人たちが本気で仕事をしていることを思い出した。進は『なら、お言葉に甘えさせてもらいますか!俺らは楽しみに待っときます!』というと、それ以降食卓の席から動く気配を見せなくなった。こうして次々と食材が運ばれていき、土鍋だけしかなった少し物悲しかった机が賑やかなものへと変容していった。
「何かあれば部屋に備え付けてある電話をかけてもらうと直ぐに参ります。では、一時のお食事をお楽しみくださいませ。」
そういうと仲居さん達はは部屋を後にした。残ったのは、ご飯の入った炊飯器と追加の野菜。少しの刺身にデザートのシャーベット、その他調味料等があった。それに目を見張るはやはり、追加で入れる用の牛肉だろう。綺麗な紅色からは新鮮の二文字が頭に思い浮かぶ。すき焼きとは焼いた肉を鍋に移して味をつけるのが一般的なようにも思うかもしれない。今回の場合だと、元々調理された具材プラスに別々のものが用意されているが、それは自分達で調理する必要があるらしい。旅館のスタッフに頼めば変わりにやってはくれるものの、時間がかかるため今回の進らはそんな選択を取ることはなさそうだった。
「ん~…!美味しそうなのだわ!でも…私、すき焼きなんて初めて聞いたな。これって食べ方とかあるのかしら?」
「さぁ、私も初めて知りました。只の鍋料理ではないのですか?」
「あ、マジでか。そうだなぁ~…まぁそこまで食べ方は変わらない気もするが……一つだけ特殊?な食べ方があるかもしれないぞ。」
「ほぅ、興味深いですね。それは一体どのような食べ方なのです?」
カノンとウェディングが目を輝かせながら進のことを熱い眼差しで見つめてくる。進はそれを意に介すことなく、自然な動きで机の上にあった卵を手に取った。
「これだ。」
「……?卵がどうかしたのですか?」
「すき焼きってのはな…」
そう言いながら進は手にもった卵をコンコンと叩きヒビを入れ、目の前にあったお椀に黄身を落とした。慣れた手付きで黄身を箸で潰し、チャッチャッチャッと音を立てながらかき混ぜていく。あっという間に黄色い液状と化した黄身を見て、進は『よし、こんくらいでいいかな。」と呟くと箸を鍋の方へと伸ばした。
「いいか?すき焼きはな、鍋の中の肉や野菜を卵に一回つけて食べるんだ。ほら、こんな風にな。」
進は鍋から取り出した白菜や糸こんにゃく、そして肉を先程かき混ぜた卵に浸し、大きな口を開け豪快にその中へと放り込んだ。
「……ゴクン、っはー!やっべぇ、めっちゃうまいぞこれ!何時は眺めてみることしかできなかったすき焼きを…まさか今度は俺が食えることになるなんて夢に思わなかったぜ!お前らも早く食ってみろよ!」
興奮した様子でカノンらに早く食べろと促してくる進。二人は初めて食べるものに対し少し戸惑いつつも、進の真似をして同じように食材を口にした。
「!?お、美味しいっ!!こんなに美味しいの初めて食べたのだわ!!!」
「何ですかこれは…!かなり甘い味だというのに全くしつこくない!寧ろスッキリとした後味に食欲が更にそそられるとは…!!食材のそれぞれがそれぞれを尊重し合いお互いの要素を一切邪魔してない調理さばきも見事ですね。」
二者ともが同時に目を見開き、驚きと歓喜に打ち震えている。絶賛の言葉とその感想に進はしみじみとしながら語った。
「だろ!?いやぁ、やっぱ母さんが厨房に行ったらここまでになるんだなぁ。流石調理長といったところか。」
「ケーキの時も思ったのだけど、唯さんの腕はなんだかレベルが違うような気がするのだわ。これは相当修行をしたに違いないのだわ。」
「同意します。ゼニスともあろうこの私ですら内なる何かを動かされたかのような衝撃を受けたのです。正直普段の唯の振る舞いからは考えられない味ですね。人は見かけによらないとはこの事ですか……」
もはや絶句にも近い反応を示す二人。それほどまでにこのすき焼きはおいしかった。寒い時期というのも関係しているのだろうが、それでもこの美味しさは異常だとも言えるだろう。
その後も一同はあれが美味しい、これも美味しいと言い合いながら食事を楽しむのだった。
「ふぁ~……疲れたなぁカノン。」
「そうね、でも明日はここら辺を歩き回るのでしょう?」
「そうだな。俺がちっちゃい頃から行ってたオススメスポット巡りとでも言うべきか…兎に角、楽しみにしててくれ。」
「ふふっ、わかったのだわ。」
「二人とも、もうそろそろ床につきましょう。明日も早いですから、しっかりと寝ないといけませんよ。」
夕食を終え、布団を敷き歯も磨いた。後は寝るだけなので雑談に花を咲かせていたのだが、時間がそろそろ危うくなってきたところにウェディングが声をかけた。
「だな。んじゃ言った通り俺が左端、カノンが真ん中でウェディングが右端に寝るぞー。」
綿密な話し合いの末決まった寝る位置。誰もが納得する形に決定したのは良いのだが、如何せん進は胸の高鳴りが止まなかった。表では平気そうにしているが、そんなことはないのだ。只、男ともあろう者が恥ずかしまくるのは情けないと思い表情に出さないよう意識しているだけである。
三人が布団の中に潜り込む。少しでも耳に意識をやってみれば、カノンの息遣いが鮮明に聞こえてくる。隣で今彼女が寝ているのだと思うと、ドキドキと心臓が煩かった。だが、それでも人間睡魔には勝てないようで進は段々と目蓋が閉じていくのを感じていた。そしてとうとう眠ってしまったのだった。
この間、僅か5分
なんと呑気なものなのだろうか。カノンが進が寝たことに気がつくと、もう少し緊張感を持ってくれても良いのにと少し落胆してしまった。ウェディングも目は閉じているがまだ全然寝ていないようで、呼吸が完全に均一化されていない。
「…………」
正直、寝れない。それは眠気がないから寝れないと言うわけではなく、心のどこかがモヤモヤを抱えている気がしてどうしても意識が落とせなかったのが理由だった。
「ねぇウェディング、起きてる?」
「はい、どうかしましたか?」
何となく落ち着かなくてウェディングに話しかけるカノン。
「えっと、あのね…いや、やっぱりなんでもないかも……」
「?ならば早く寝ることをお勧めします。私はある程度寝なくても平気ですが、貴方は人間なのですから。体を壊したら折角の旅行を楽しめませんよ。」
「楽しめない、か…………ウェディング。やっぱり聞いてほしいのだわ。」
一瞬の間のあと、何かの覚悟を決めたのか真剣な声音で語りかけるカノン。すると
「……なら、少し外でお話ししましょう。会話をすると進が起きてしまうかも知れませんからね。幸い、この部屋にはベランダが存在しています。座れる場所もあった筈ですのでそこで。」
珍しくウェディングが進を気遣っての提案をした。普段ならカノンがするようなことをウェディングがしている異常事態に誰も疑問を持つことはなく、そのまま二人は移動した。
「それで、聞いてほしいこととは?」
率直な質問にカノンは狼狽えることなく、しかし感情が抜き取られたかのように淡々と答えた。
「私、隠せてたかな?」
「……少なくとも、彼が気付いている様子はありませんでしたね。尤も、憶測でしかないですが。」
「…っ、うっ…ひくっ……」
「カノン……」
溜め込んだものが一気に流れ出すようにして、カノンは静かな嗚咽混じりの泣き声を上げた。最近泣いてばかりな気がする。あんな修羅場を乗り越えてきた筈なのに、どうしてこんなに涙が出てしまうのだろう。なぜ押さえることができないのだろう。そんな疑問を抱きながらもカノンは泣き止むことができなかった。
「あーあ…駄目だなぁ私。考えないようにしてたのに、場の雰囲気を乱しちゃいけないって思っていたのに。今日の……進の楽しそうな顔を見たらやっぱり我慢できなかった。」
「無理もないです。あんなショッキングな話をされて動揺するなと言う方が無理な話ですから。寧ろよく進を前に労いの言葉を掛けれましたね。私はそんなカノンのことを誇りに思います。恥じることはありません。」
「ありがとう…」
静寂が訪れる。虫の泣き声が、星と月明かりに少し照らされただけの暗黒の空間に響き渡る。
「愚痴になっちゃうけど……少しだけ聞いてくれる?」
「勿論です。」
「…私、廻田遊喜と母親が許せない。部外者が口を挟むべきでないことは分かってる。進も今の状況に満足してるようだし、余り気にしていないのも多分本当なんだと思う。抱いちゃいけないって分かってるっ!前に進んでいくしかないんだってわかってる!!……でも、止まらないの。この真っ黒な感情が、ソイツらを地の果てまで追って手を下せって訴え掛けてくるの…!」
感情はやはり複雑だ。あの温厚なカノンを二度もこんな気持ちにさせるなんて、もはや理屈では説明できない。憎しみの抱きかたによっては、ゼロ計画時のカノンを越えている可能性もある。
こんな時、進ならどうしただろう。カノンが困っていたら直ぐに手を差しのべ、物の数分で解決してしまう。そんな彼の思考を読み取り想像してみるが、そんな高度なことをウェディングができる筈もなく……
「…そうですか。」
と一言当たり障りのない言葉を掛けることしかできなかった。
「どうしよう……どうしようどうしよう…私、このままじゃ純粋に旅行を楽しめない…!どうしてもあの話が頭に過っちゃう…!うぁっ…ひっ、ひぐっ……いや、いやだぁ…こんな素敵な時間を楽しめないなんて、ぇ…っ……」
情けないのと申し訳なさでカノンの心は最早ぐちゃぐちゃだった。
(罪な男です、白守進は。)
カノンに危害を加えたり、仮に泣かせたりするものがいるのなら、ウェディングはその者を絶対に許すことはないだろう。そんな彼女が心のなかで思ったことがこれだけだった。そこに今の状況の異常性が詰まっている。
泣き続けるカノンに対してどうして良いか分からず何時までも愚痴を聞き続けているウェディング。しかし、次の瞬間そこに現れてはいけない人物が現れた。
「どうした。」
「「っ!!」」
声の主の方に二人は顔を向ける。そこには
「はっ、おいおいなんだその顔。誰だよ、俺のカノンにこんな表情させたやつはよ……なんてな。」
白守進がいた。
皮肉混じりの冗談を言うのは正に彼らしい行動とも言える。呆気に取られている二人は、静かに近寄ってくる進から目が離せなかった。すると
「ぁ……」
ポン、とカノンの頭の上に手をのせる進。
「ほんと、ほんとにありがとな。」
「っ!あ、あぁ……ずず、むぅ!」
思わずカノンは進に抱きついてしまう。
「うおっ、と!なんだ?随分と大きな甘えん坊さんじゃねぇか。」
「だって、だってぇ!」
「ハァ……マジで、お前みたいなやつ世界中探してもいないだろうな。優しいよ、ほんとに。」
「優しいだけじゃっ、うくっ…駄目、なの……」
「いいや?カノンが俺のことを強く想ってくれてるって事実だけでも滅茶苦茶元気もらえるけどな。」
「でも、辛かった過去は変わらないのよ?簡単に忘れられる訳もないのに……何より進が可哀想すぎて…!……ごめんなさい、当事者でもない人間が可哀想だなんて烏滸がましいわよね…」
辛い経験をしたもの同士、分かることがあるのだろう。同情されるという行為は、時に相手に恐ろしいくらいの精神的ダメージを負わせることがある。その事が分かっての会話だった。
「んー……さっき来たばっかだから会話の前後はわかんねぇけどさ、そんな状態じゃこの後の事も全然楽しめないよなぁ…どうしたものか。」
進の言う会話の前後というのは、内容そのものを指している訳ではない。カノンが泣いている理由だって、こうなった原因だって大方察しがついている。その上で、カノンがどういった相談をウェディングにしていたかが分からないのだ。
だと言うのに、進が案じた事はカノンの悩みに直結していた。単純に心配してくれて呟いた言葉が、奇跡的にカノンを今苦しめているものをどうにかしたいという意味を孕んでいたのだ。いや、奇跡ではない。最早必然ともいえる偶然だった。
「カノンはさ、今どう生きてるんだ?」
「え?どう、生きてる……?」
突拍子のない質問に困惑するカノン。質問の意図が分からず返答に迷っていると、進が口を開きこう言った。
「もっと簡単に考えてみてくれ。頭に思い浮かんだ言葉を率直に口に出すだけでいい。」
「率直に…」
「そうだ。過去のことを踏まえた上での今でもあるかもしれないけどな。」
人によって今を生きている時の考え方は違う。今起きたことが過去となり、その過去の出来事が今の人間を変える要因になるかもしれない。それは常に起きている事であり、それによって考え方は目まぐるしく変化する。
要は、今の進はかなり難しい質問をしているということだった。だが、それに対する答えをカノンは既に持ち合わせている。いや、カノンだけではない。誰しもが別々の答えを持っているのだ。逆に、無い者はいない。
「私は……」
少し考え、間が空く。そして次の瞬間、カノンは口を開き告げた。
「楽しく生きていると思う…のだわ。」
「そりゃなんで?」
「……昔の私には何もなかった。いえ、無くなってしまったといった方が正しいかもしれない。大切なものが争いによって奪われ、そしていつしか世界の無を望んでいった。そこからルピコ達と対峙して、理解しあって…色んな事があって今がある。今の私には貴方のような大切で尊い存在が居て、こんな素敵な経験もできている。だから私はそれを…楽しいなって思ってるんだと思うのだわ。」
自分の思ったことを言語化するのがこんなに難しいのかと内心焦るカノン。ちゃんと言いたいことは伝わっているのだろうか。大雑把に言いすぎたかもしれない。勿論、楽しい以外にも幸せな気持ちがあったりのびのびとしている部分もあったりすると思っている。だが、それらを色々ひっくるめて出た言葉が楽しいだったのだ。不安が若干残りつつも、進の返事を待つ。
「ふーん、でも昔は辛かったんだよな?俺からしたら大切なものをいっぱい失うなんて想像したくないし、一生引きずると思うんだが。それでも楽しいのか?」
「っ、今でも時々悲しくなることはあるのだわ…でも私はルピコ達から学んだの。何時までも下を向いてちゃ駄目なんだって。辛いことがあっても、必死に足掻いて生きなきゃ駄目なんだってことを。」
思い出すはあの光景だった。ウェディングと戦う鬼丸の表情。絶望的な状況下でも絶対に諦めないプリンプリン。そして僅かな希望に縋り全力で挑むプレイヤー達の姿。誰もめげず、弱気にならず頑張っていた。それに、カノンを守るために戦っていた進も同じように頑張って……
「あ……」
「気付いたか?」
「…えっと……」
「俺とお前は似てる部分がある。それはどっちも過去が悲惨だってとこだ。一方は大切な存在を失い、一方は理由の無い理不尽が体に襲いかかってくる。カノンは主に精神的なダメージが大きく、俺はどっちかっていうと身体的なダメージの方が大きかった。でも、そんな違いは些細なことでしかないんだ。全く別の人生を歩んでいたとしても、絶望の度合い加減が違うとしても……例え他人の過去の方が辛いと思ってしまっても。」
「……」
「確かに俺の過去はひでぇよ。今でも思い返す度にムカついてくる。けどさ、俺からしたらそんな過去よりお前の方がよっぽど酷いし可哀想だって思うんだよな。」
「えっ…ほ、ほんとに?」
「あぁ、だってあの頃の俺は大切なものなんて無かったからな。その後に大切な存在……まぁ言ったらお前のことやーあとは…母さんとかだな。今のところ大切な存在ができてから一度も失ったことがないから、多分今失ったらヤバイと思う。」
「進……」
「でもさ、そんな辛い経験したカノンが今何て言った?楽しいって言ったよな?俺だったら一生引きずるようなことを経験しておいて楽しいって言ったんだぜ?率直に思って出てきた言葉が楽しいなら、本当にそう思ってんだろうな。……なら、その逆があったって良い。だろ?」
進の鋭い言葉にカノンは静かに頷いた。
「俺も色々あったが、母さんから沢山学んだんだ。カノンがルピコ達から学んだみたいにな。だから今のカノンみたいに俺も今楽しく生きてるよ。過去を気にしてないまではないけどさ、俺もカノンみたいに乗り越えてきたから今があるんだ。だから………心配すんな。考えるだけ無駄ってやつだぜ。」
そう言うと進はニッと笑みを浮かべた。
「…ふふっ、そうなのかもね。」
気付けば涙は止まっていた。後ろめたい感覚も消え、なんだかスッキリしたような気分だ。
(白守進のこう言った部分は尊敬しますね。的確に相手の不安要素を消し去っていく話術。本人自身の感受性の豊かさ。メンタルをケアする上で大事な要素を兼ね備えています。……ゼニスである私には到底真似できない行為です。)
二人の行く末を見守っていたウェディングはそんな感想を抱く。カノンの保護者として、ウェディングも負けるわけにはいかなかった。
「んぅ…もっと近づいて良い?」
「お、おう……」
「えへ…やった。」
場面は変わり再び布団の中。カノンが横で寝ている進にモゾモゾと近づき腕に抱きついていた。
「んー…♪すすむって、あったかいんだぁ……安心、する…のだわ……」
「そ、そうか?」
「…………すぅ…すぅ……」
「って寝てるし。」
カノンの体温を直に感じている進は中々眠気が来ず、心臓もバクバクなりっぱなしである。
「…だぁいすきぃ……すす、むぅ…」
「っ!?あー、くそっ……心臓にわりぃよ…」
そう呟き頭を抱える進。その頬は赤く染まっており、温泉に入っているときよりも熱くなっていた。
「……」サッサッ
そこにちゃっかりウェディングもいた。二人の空間を妨げることはできないが、なるべく近くで寝たいので触れるかどうかのギリギリまで近づいていた。
白守進に関してのメモその4
廻田家はセキュリティシステム面での事業で主に成功している