やべぇ……ログインと周回以外やってねぇ……!
朱鳶が電話の着信音で叩き起こされたのは、まだ日も昇らぬ早朝の時間帯だった。
せっかく昨晩に帰ってきたばかりだったが、後ろ髪を引かれつつも実家を出る。
そして碌な説明も受けないまま、向かわされた場所はルミナスクエアのど真ん中だった。
薄暗い曇天の下、本来なら人々で賑わう通りを、今は治安官だけが行き来している。
「ここは……HIAの施設?どうしてこんな場所に……。」
朱鳶はパトカーから降りる。
既に周囲一帯が封鎖されており、看板やコーンがあちこちに敷設されていた。
治安局の車両や人員も、いつにもなく集まっている。
一体何があったのだろうかと、朱鳶は首を傾げた。
するとそこへ少女の見た目をした知能構造体——朱鳶の部下であり先輩でもある青衣が姿を現す。
「来たか。朱鳶よ。」
「先輩、これはどういうことですか?こんな街の真ん中に封鎖線を展開するなんて……まさか立て籠もりでも?」
「にゅーすとやらを観てみるといい。きっと公表されているだろう。」
朱鳶は携帯端末を取り出し、検索アプリを開く。
すると検索するまでもなく、トップページにこう書いてあった。
『ブリンガー氏、行方不明か!?』と。
それを前に、朱鳶はギョッと目を見開いた。
青衣は淡々とした口調で言葉を続ける。
「本日午前3時、十四分街の裏路地に事故車があると通報を受けた。車両番号を照合したところ、ブリンガー氏の所有であることが判明。だが同氏には連絡がついていない。」
「まさか誘拐と……?」
「上はそれを前提として動いている。ちなみに犯人からの声明や身代金要求は来ていない。」
「しかし、ブリンガー氏の捜索とHIA施設の封鎖に何の関係が?」
「そう、それが本題だな。」
その時、青衣の背後から1人の治安官が走ってきた。
同じく朱鳶の部下——ヤマネコのシリオンであるセスだった。
「青衣先輩!医療班から連絡です!」
「経過は?」
「今のところ命に別状はありませんが……このままでは、重篤な神経障害を患う危険性があるとのことです。」
「そうか……ご苦労。引き続き周囲の封鎖を頼む。情報統制にも限界があるからの。」
「はっ!」
セスがその場を離れると、青衣は未だ困惑した様子の朱鳶に向き直る。
朱鳶は嫌な予感がしてならなかった。
「まさか先輩……まさかですが……。」
「お主の思っている通りだ。1時間前、HIAのスタッフによってブリンガー副総監が発見された。この建物の中で、フルダイブ型のシミュレーターに繋がれた状態でな。」
「嘘でしょう……回線の切断は?」
「不可能だった。技術班によると、無理に切ろうとすれば、ブリンガー氏にどんな影響が出るか分からないそうだ。」
思わず朱鳶は頭を抱えたくなった。
選挙直前の大事なこの時期に、最有力候補者が拉致され、シミュレーターに監禁されている。
その目的は言うまでもないだろう。
「……政敵の排除、ですか。」
「まだ分からぬが、少なくとも世論は大荒れしている。
「選挙そのものを妨害する意図があるなら、敵は思想犯でしょうか。」
「あるいはただの愉快犯か……それより、だ。」
青衣は肩を落とす朱鳶に、現場の情報が収められたタブレットを押し付ける。
「お主の尊敬する人物がこうなってしまったことは心苦しい。だが、捜査と私情は切り離せ。激情は視界を曇らせる。いいな?」
「……はい。」
青衣に続いて朱鳶は建物へ足を向ける。
するとその時、封鎖を越えて敷地に入ってくる1台のバンが目に入ってきた。
車両側面には、ホロウ事務無害化対策局こと『H.A.N.D.』の文字が。
「どうやら客人が到着したらしいの。」
「まさか彼女達も捜査に?」
「うむ、だがむしろ今回のような事例には適任だろうて。」
バンが停止すると、後部のハッチから複数の人影が降りてきた。
周囲の治安官が揃って目を向ける。
長い狐の耳に一振りの打刀——虚狩りこと星見雅だった。
彼女を先頭に、月城柳、浅羽悠真、蒼角が続く。
そして最後に降りてきた5人目の人影を、朱鳶は思わず二度見した。
一見してH.A.N.D.の一般職員に見えたが、朱鳶にとっては覚えがあり過ぎた。
雅と同じくらいの小柄な体躯に中性的な顔立ち、黒い髪は以前よりも長く伸びている。
更にはその足元に1体のボンプがいた。
見た目はH.A.N.D.の識別色と装備が施された執行機関仕様だったが、目の色が赤ではなく黄色で、ウサギ耳のセンサー類が民生品となっている。
朱鳶はわなわなと拳を握り締めていた。
「朱鳶?」
「先輩、先に行っててください。私は少し挨拶してきます。」
「……うむ、旧交を温めてこい。」
ツカツカと歩いて行く朱鳶を見送りながら、青衣はこの事件の複雑性を察した。
⬛︎
柳から見て、今日の雅はいつにもなく機嫌が良さそうだった。
その証拠に普段よりも狐の耳が立っており、足取りも軽い。
こんな状況にも関わらず……いや、こんな状況であっても、といったところだろうか。
世間のイメージとは裏腹に弩級のマイペースっぷりを持つ上司に、柳は心の中で溜め息をついた。
「課長、現状を把握していますか?」
「分かっているとも。新隊員を迎えた上での記念すべき初任務だ。それで誰を斬ればいい?」
「はぁ……では、その新隊員に聞いてみるとしましょう。」
柳は眼鏡を光らせると、スズツキとイアスの方を向く。
H.A.N.D.仕様の両名はビクリと肩を震わせた。
そして恐る恐るといった風に口を開く。
「ええと……今の目標がVR内に閉じ込められたブリンガー氏を救出して、そのままH.A.N.D.で身柄を確保すること……みたいな感じですか?」
[敵に先手を打たれているから時間との勝負ってこと?]
「ふむ……どうやら浅羽隊員よりかは頭が回るようですね。」
「ええっ!?月城さん、そりゃ無いですよぉ!」
喚く悠真を他所に、柳は言葉を付け加える。
「おそらく敵もパールマンの居場所を察したのでしょう。それで大規模な尻尾切りに走った。きっと今頃も都市のどこかでせっせと証拠を燃やしている筈です。」
「なら、ブリンガーよりそっちを追った方がいいんじゃないんですか?救出なんてのは他の部隊にでも任せて。」
「それは新隊員……スズツキ隊員の仲間に期待しましょう。彼らの方が自由に動けます。」
フロントを抜けて、施設の奥へと進んでいく。
目的のフルダイブ型のシミュレーターは一般向けとは違う本格的な訓練機だ。
よって治安局や軍が使うために関係者エリアに位置している。
だがその手前に差し掛かった時、背後から大きな声が響き渡った。
「雅!」
聞き覚えのあるそれにスズツキは肩を震わせる。
振り返ると、すぐそこに朱鳶の姿があった。
「朱鳶か、久しいな。どうした?」
「どうしたもこうしたもないわ。また何かを企んでいるの?」
「失敬な。私は公務を遂行しているだけだ。」
「ふぅーん……。」
朱鳶は雅からスズツキへ視線を移す。
「お、お久しぶりです……。」
おどけるように手を振るスズツキだったが、朱鳶の硬い雰囲気は崩れない。
「……いつの間に新しい隊員を?」
「ああ、すまないな。私が先に引き入れた。」
雅は表情をそのままにしながらも、新しい玩具を見せる子供のように満足気だった。
対して朱鳶は何かを言いかけて、すぐに口をつぐんだ。
間を置いて言葉を続ける。
「雅、教えてちょうだい……スズツキ君がいるってことは、何か大きなことが動いているの?ブリンガー副総監の命に関わるような何かが……。」
「それは言えん。お前であってもな。」
「そんな……。」
朱鳶は助けを求めるようにスズツキの方を見る。
対してスズツキは柳の顔色を伺うように口を開いた。
「その……少なくとも僕たちの目的はブリンガー氏の救出です。朱鳶さんにも手伝ってもらえると助かるかも……です。」
「その通りだ。協力してほしい。」
雅はジッと朱鳶を見つめる。
そして結局、根負けしたように朱鳶はひとつ息を吐いた。
「……現時点で副総監の生命に直接の危険はありません。しかし、容体は時間の経過とともに悪化しています。猶予はありません。」
「承知した。行こう。」
一行はブリンガーの囚われたシミュレーションルームへと足を向けた。
⬛︎
まるで病院のような白い壁と床が広がっているシミュレーションルームの中。
ブリンガーはシートに横たわったまま、頭に装置が被せられていた。
そこから幾本ものコードが伸びており、背後の大きな機材へと繋がっている。
治安局の医療班及び技術班からの説明を受けたスズツキ達は、眠り姫と化したブリンガーの前で唸っていた。
「ブリンガー氏の意識は深層状態で固定されている……やはり、外部からの切断は危険ですね。ただ、唯一の救いが彼個人のログアウト機能に制限がかかっていないことでしょう。」
「えっと、月城さん、まさかそれって……。」
悠真の苦笑いに柳も軽い笑みで返す。
「ええ、そのまさかです。我々もダイブします。VR内でブリンガー氏を確保し、彼を覚醒させます。そして彼自身にログアウトしてもらう。それが最も手っ取り早い方法かと。」
「そうなっちゃいますよねぇ……まあ、本物さながらとはいえ、所詮はシミュレーターですし、いつもの任務よりかは気楽ですね。」
「ああ……それについてですが……。」
柳は隣の朱鳶に視線を送る。
「本来なら、死亡判定と同時にログアウトされる仕組みとなっています。擬似的な痛みを確実にカットするためです。しかし現状、システムが書き換えられており、その機能がありません。」
「眠らされている副総監を死亡判定として、勝手にログアウトさせないためですね。」
「はい。死亡判定を受ければアバターは行動不能になります。しかし意識の接続だけは残り、痛覚信号も遮断されません。自らログアウトするか、こちらで切断させない限りは。」
朱鳶の説明に悠真とスズツキは顔を青くした。
「あ、あ〜……つまり、死んでも死にきれないってこと?」
「そういうことになります。」
「はあぁ……そりゃまあ、いつもとあんま変わらないけどさぁ……。」
頭を抱える悠真だったが、雅はいつも通りの表情で頷く。
「うむ、承知した。朱鳶、早速準備を頼めるか?」
「分かりました。装備とスタッフを手配させます。」
雅がゴーサインを出すと、朱鳶は技術班とHIAスタッフを集めてダイブの準備を始める。
5人分のシートと、イアス用の接続端子が用意される。
スズツキはシートの上に横たわると、頭にヘルメットのような装置を被せられた。
暗い視界の中で待機していると、頭上から朱鳶の声が聞こえてくる。
「スズツキ君、シミュレーターの経験は?初めてなら気分を悪くするかもしれません。」
「いえ、訓練として触ったことなら何回もあります。ただここまで大規模なのは初めてですが。」
「それなら大丈夫ですね。」
スズツキの頬に朱鳶の手が触れる。
「また貴方みたいな子供に任せてしまうなんて……ごめんなさい、本当なら私も行きたかったけれど現場の指揮があるので……。」
「問題無いですよ。僕たちが寝てる間はここを頼みます。」
「ふふ……会わないうちに頼もしくなりましたね。雅、彼をお願い。」
朱鳶の言葉に隣のシートの雅が小さく親指を立てた。
ちなみに彼女の胸には無尾が固く握られている。
装置の準備が完了すると、スズツキ達を除いた全員がシミュレーションルームを出て、ガラスを挟んだ隣の制御室へと移る。
[では、シミュレーターを起動します。カウント開始、ダイブまであと5、4、3……。]
スピーカー越しに聞こえる朱鳶のカウントが途切れた途端、スズツキの意識は途切れた。
いや、正確には意識を保ったまま、五感が全てブラックアウトしていた。
ヘルメットの内側の景色も、機械の駆動音も、プラスチックの匂いも、寝ている感覚も。
何もかもが消失した。
そして、次の瞬間——。
「……っ!?」
寝ていた筈の両足が地面に立っていた。
身体全体に重みを感じたかと思えば、視界が一気に開ける。
オレンジ色の四角だけで構成された無機質な空間だった。
[……ツキ君?聞こえてる?]
「ん……。」
足元を見ると、見慣れたイアスの姿があった。
いくら表面的な偽装を施しても、電子上では元に戻ってしまったらしい。
「うぅ……変な気分です……そっちは大丈夫ですか?」
[うん、いつも似たようなことやってるしね。それより他のみんなは……。]
イアスが周りを見渡した時、複数の人影が次々と生成され始めた。
六課の全員が出揃う。
「よし、全員いるな。」
雅は腰の刀に手をかけると、刀身を引き抜く。
だが違和感を覚えたのか、首を傾げた。
「む……おかしいな。無尾の力を感じ取れん。」
「ここは仮想空間です。流石に戒具としての無尾を再現することは不可能だったのでしょう。」
「そうか……。」
ただの刀と化した無尾を眺めながら雅はへにゃりと狐耳を垂らす。
彼女らを尻目にスズツキとイアスは周囲を探索していた。
どうやらここはスポーン地点のようだった。
「リンさん、そこの緊急脱出装置ってのは?」
[有事の脱出手段。もしも個人の権限が無くなって、外部からも操作出来なくなった時の保険だね。]
「つまり、非常口ってことですか?」
[そゆこと。VR黎明期に人が仮想空間に閉じ込められた教訓から作ったやつだね。]
「なるほど……なら安心ですね。」
スズツキはホルスターから17式拳銃26型を引き抜く。
サイトもサイレンサーも付いていないシンプルなそれ。
スライドを引くと、現実と同じように薬室へ初弾が装填される。
「スズツキ、行けるか?」
「はい、いつでも。」
「こっちだ。柳が異変を見つけたらしい。」
雅に続いて向かった先には、ひとつの出口があった。
その先には見慣れた新エリー都の街並みが広がっている。
しかし人や車は全く見当たらず、都市の喧騒は欠片もない。
試しに柳が境界へ手を伸ばしてみるが、何ら問題なく向こうの空間へ入った。
「プロキシさん、ブリンガー氏の反応は?」
[この先だね。暴動鎮圧用のシミュレーション空間に繋がってるみたい。]
「なるほど……今のところ誰も居ないようですが……あっ、課長!?」
雅は境界を超えて街の中へと入る。
するとどこからともなく何人もの人影が周囲に生成され始めた。
顔も服も無い、まるでマネキン人形のようなボット集団。
しかしその手には角材やパイプなどの鈍器が握られている。
「ふむ……そういうことか。」
次の瞬間、ボットたちの顔が一斉に雅へ向くと、手に持った武器を振りかざして突っ込んできた。
雅は身体を屈めると、無尾の柄に手をかける。
そして刀身を引き抜き、勢いのままボットを斬りつけた。
左の脇腹から右の肩にかけて、刃先が敵の身体を斬り裂き、返す刀で別の1人を斬り伏せる。
斬られたボットはその場へ倒れ込み、跡形もなく姿を消した。
「課長!」
「おっかないなぁ、ホント。」
「よーし!やっつけるぞー!」
柳と悠真、蒼角もそれぞれ薙刀と弓矢、刃旗を持って戦闘に参加する。
スズツキもイアスを連れて外に出た。
[副総監の反応は交差点の向こう側から来てる!取り敢えずここを渡らないと!]
「あいわかった。全員、ついてこい。私が血路を切り開く。」
そう言うと、雅は敵集団へ向かっていく。
スズツキ達も後に続き、一気に交差点を渡る。
文字通り終わりない戦闘の始まりだった。
⬛︎
同時刻、VRの外では治安局の技術班が経過を見守っていた。
そこへ朱鳶が室内へと入ってくる。
ガラス越しに見える雅達を目にして、彼女は安堵したように息を吐く。
「状況は?」
「現時点において問題は見られません。全員のバイタルも正常値を維持しています。」
「そうですか……けれど、もし危険域に入ったらすぐにベイルアウトさせてください。副総監に加えて虚狩りを失うことは何としても避けて。」
「分かりました。」
朱鳶は最後にスズツキへ視線を向ける。
VR内の状況はモニター出来ないが、少なくともその心拍数からして戦闘を行っていることは明白だった。
心なしかシートに横たわる小柄な身体が時折り僅かに跳ねているように思えた。
「……では、ここをお願いします。」
朱鳶は再び部屋を後にした。
制御室に詰める技官数名と、ガラスの向こうで眠るスズツキ達だけが残される。
VR内で繰り広げられている激しい戦闘とは裏腹に、静かな時が過ぎていた。
真っ白なシミュレーションルームの中は、機械の駆動音とエアコンの風の音だけが響く。
しかしある時、どこかから衣擦れの音がした。
もぞりと、大きな腕が動く。
「……ん。」
雅の隣のシートに横たわっているブリンガー。
その頭に被せられた装置の内側で瞼が反応した。
ギョロリと、2つのギラついた瞳が天井を捉える。
そして、それらはバイザー越しに隣を見た。
雅の胸の上に置かれた打刀。
対ホロウ災害鎮圧用特殊戎具指定第1号——通称『無尾』を。
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