前日譚 その1
澄み渡るような青空の下、一面を雪で真っ白に染め上げた地面に横たわり、雪原に溶け込むように塗装した装備一式に、同様に染め上げた長銃のスコープを覗き込みながら、彼女はスコープの先に見える対象物を睨みつける。まるで隕石でも衝突したかのように陥没した大穴の中央に、それはあった。
巨大な岩にしめ縄が縛られ、周りには四方に真新しい朱い鳥居が建てられていた。まるで、何かを封じ込めているようであり、彼女が知らせられていた情報では、実際にかなり危険な存在を一時的に抑え込んでいる。
「どう? 何か動きがあった?」
「いえ、今のところは何も」
スコープから視線は外さずに、ゆっくりと姿勢を低くしたまま、こちらに彼女と同じ装備を身に付けた少女がやって来た。目鼻の高い顔立ちで、日本人である彼女とは真逆である。その少女は、欧州の部隊から彼女の所属している連合国軍に派遣されて来ていた。
支給される装備一式、胸元のプレートに刻まれた刻印が連合国軍の証だ。もちろん、彼女の装備にも刻まれている。今回の作戦で臨時でバディを組んだ相手であり、ここ二週間もの間である程度は、気心もしれた相手になった。
「んーそっかあ……しかし長い事かかるよねえ」
「軍の方では各方面への協力要請が通らないことで時間がかかっていると聞いています」
「アライアンスやユニオンが手を取り合ってーなんて無理でしょ」
「世界の危機より打算で動くのが基本ですからね……どこも」
少女が観測用に持参した双眼鏡を大岩に向けて「代わるよー」と言ってきたので、地面に固定されているライフルの自動狙撃システムを起動させて、横にずれる。咄嗟の判断には心許ないが、緊急性のない現状なら問題はない。
「はあ……世界が滅んだらそれまででしょうに」
「ははは、そりゃあそうだ。まあ、でも仕方ないよ。今はどこも荒れに荒れてるんだ」
溜息が漏れ、隣の少女は諦めたような乾いた笑い声が吐き出される。それに何とも言えない感情が彼女の中で渦巻く。手を取り合ってが無理でも少しくらいは協力的でも良いじゃないかと彼女は思う。
「まー、今回は、アレでしょう? ナユタが全面的に協力するんでしょう? だとすると、どこも何とも思わないんじゃないかな?」
「…………」
────ナユタ。その単語を聞いて、心がざわつく。ナユタとは、人類の守護を目的とした。古くから世界中で活動する組織だ。統一目的である人類守護とは聞こえが良いが、そのために多くを切り捨てることを許容する異常な組織である。彼女とって思い出したくもないそんな場所だ……。
「……あ、ほ、ほら、溜息なんて吐かない吐かない! 日本にはため息を吐くとなんか良くないとかあるんでしょ?」
「…………幸せが逃げるんですよ」
「それは大変良くない!」
器用に小声でそう言われて、呆れて苦笑する。彼女が気を落としたために気を使ってくれたのだろう。この二週間で少女の人柄は大体把握している。欧州の部隊から派遣されたと聞いていたが、幼少期は日本で暮らしていたらしく。見た目に反して日本語が流暢で最初驚いた記憶がある。
「……15分ほど補給しますのでお願いします」
「りょーかい! しっかり休んで!」
監視を任せて、胸元の円形プレートに取り付けられたOSを搭載した、コアと呼ばれる水晶を半分に切り取ってくっつけた物に指で触れる。
この世界での基本の武装とも呼べる戦術武装兵器
MagicGirlStandard、魔法少女規格。魔術と科学を融合させて生まれたそれを身に付け、空と大地を駆ける存在、──通称、魔法少女と呼ばれ、そんな武装を身に付けたのが彼女だ。
魔術と呼ばれる異能を術式として確立させ、科学的にデータとして、OSであるコアにインプットし、瞬時に行使する。その手軽さが争いを加速させた歴史があるが、同時に様々な抑止力ともなったのも事実だ。
彼女は、出来うる限り争いを無くすためにこれを行使する選択をした。
「……きっとナユタに居たままではできない事だ」
呟くように、誰にも聞こえないように小さく吐き捨てた。そして、気持ちを切り替えるようにコアに取り付けられた術式を起動させる。すると、一瞬で掌に携帯用の食料が現れる。
コア内部の膨大な記録保有庫であるマギデータの中に入れておけば、大昔のような兵糧の問題は発生しない。取り出した食料を素早く口の中に放り込む、大昔からある四角い固形栄養食だ。この手軽に栄養補給できるこれを彼女は、一番気に入っている。手早く食事を終えて、双眼鏡を覗き込んでいるバディを視界の端に入れたまま、別の補給食を取り出そうと指を動かそうとした。
「……なんだろ……え、あっ──」
「ッ!」
──トサッと雪に物を落とした時の音が響いた。状況からして少女が持ってきた双眼鏡を落としたのだろう。監視対象からは二キロ以上は離れているが、目立つような事は極力避けるべきだ。慌てて少女の方へと近づく。
「ちょっと!? どうした──は?」
駆け寄った彼女の視界に横たわるものがあった。それは赤い液体を流している。流れていく赤が地面の雪を溶かしていた。溢れて、溢れて、止まらず流れて赤い川をつくる。
「な、なん……で、どこに? ああ……」
思考がうまくできない。理解することを、脳が拒否でもしているのか。周りを、少女の失った■を探して視線を彷徨わせる。しかし、周りには雪以外の物はないのだ。──ああ、どうしたらいいだろうか。これじゃあこの子が……。
そこで視界の端、先程まで少女が見ていた先を見た。そして、それを見た。
────彼女は、全力で逆方向へと駆け出していた。
「ああああ!!」
コア起動させ、パワーアシストの機能を全開にして逃げる。コアに標準で搭載されている術式の一つである肉体強化の術式。これを起動したことで、彼女の身体能力は通常の三倍にもなる。コアから送られてくる魔力が、全身の血管を通って筋肉を保護し、人体の耐久力も底上げする。一瞬にして景色が吹き飛ぶように後方に流れていく。
ひたすらに体を前に、前にと動かしていく。一分、1秒とできるだけ速く。あの場所から遠ざかりたかった。
悍ましい死の感触が背筋を這い回るのを感じ取り、さらに速度を上げる。コアから急激な稼働によって警告音がなるが、それを無視して走る。肺が悲鳴を上げ、口の中で鉄の味がする。肉体的な限界が近い。無理な術式の起動は肉体にも精神にも危険な行為だ。だが、迫りくる恐怖が彼女の肉体を、本能を衝き動かす。──“止まれば死ぬぞ”、と。
「……本部! 本部!! 応答を!! バディがやられた!! 封印がッ!!!?」
搭載された通信機に急いで連絡を入れようとした矢先、前方に受け身も取れずに吹き飛ばされた。同時に、後方に展開されたバリアコーティングが割れたガラスのように、粉々に砕け散った。
もし、防護機能がなければ、数秒前に、先程の少女のようになって地面に転がっていただろう。それが、容易に想像できる馬鹿げた威力が先程の一撃にはあった。
防寒用に被っていた寒冷用の帽子が、吹き飛ばされる途中で脱げて転がり落ちる。それによって彼女の長い灰色の髪が垂れる。背中に激痛が走り、身体の動きが鈍る。
「はあ……はあ……死んで……死んでたまるか」
激痛を耐えて無理やりにパワーアシストを使って、その場から離れる。地を這う芋虫のように、生きるために手足を動かす。いきる。生きる。生きたい。
──まだ死ねない。まだ、何もなし得ていない。こんなところで終われないそう思い懸命に手足を動かしていく。
「死ねない……ナユタも抜けて……やっと、やっと自分のやりたいこと……が……ッ!!」
顔を上げた時、横に何かがいた。それは、白い。まるで馬の脚だった。毛のないツルツルとした表面がそこにある。視線を上げていく。見るなと脳内で警鐘がなるが止まらない。それは、すべてが真っ白で雪原に溶けてしまいそうだった。馬の胴体に、人間の上半身を無理やりに繋げた異様な姿をしていた。そして、人で言う頭の部分を見て、彼女は絶句した。
そこには、髑髏があった。いや、それは、問題ではない。その眼、眼窩から止めどなく。黒い液体が流れている。綺羅びやかにも感じる光を内包し、中で爆ぜては消えてを繰り返して明滅していた。それが、流れる黒と混じって、ヘドロのように地面に垂れていく。
それは、まるで宇宙そのものが流れているように感じた。同時に、恐ろしいまでの根源的な恐怖が彼女を襲う。カチカチと噛み合わない歯が音を立てている。早鐘のように心臓の鼓動が聞こえて、息を吸っても吸っても全く持って足りやしない。眼前の吸い込まれそうな明滅する流れる黒に、彼女の精神が、魂が、悲鳴を上げている。
「ああ……駄目だ。私……死ぬんだ……」
それが彼女に視線を向ける。悍ましい黒が彼女を捕らえる。無限にも見える泥の眼が私を飲み込もうと近づいてくる。
彼女は、まるで金縛りにでもあったかのように、その場から動くことができずにいた。明確な死が彼女に触れようと手を伸ばしていく。それをどこか他人事のように眺めながら、最期の時が来るのを眺めていた。──視界を、極光が塗りつぶした。
「かはっ!?」
突然の衝撃と閃光、コアの防護機能が視力を護ってくれていたために、失明するという事態は避けられた。しかし、一体何事かと、あの場から数メートルほど吹き飛んだ後、顔を上げて確認する。
「……ナユタ……ナユタ・アマネッ!!」
空を見上げ、そこにいる人物に驚きで目を見開いた。
蒼穹に浮かぶのは全人類守護の要、最強の巫女、ナユタの異端児、様々な異名を持ち、絶対的な力で他を圧倒するナユタが生み出した最強の魔法少女、──ナユタ・アマネ。
そんな遥か雲の上のような存在が、目の前にいた。彼女と同じ灰色の髪を後頭部でまとめ、溶けるように空に浮かぶ姿は神秘的で、真紅に輝く双眸は細られて、まるですべてを見透かしているかのようで、絶対的な圧を感じた。
一目見て彼女は、自分はこの存在と同じ位置には立てない。立ち並ぶ資格すら手に入れることはかなわないと思い知らされる。圧倒的な存在の格が違うのだ。
「ど、どうして貴女が」
口から自然と言葉が漏れ出る。先程まで死ぬ寸前で指一本も動かせなかったというのに。
「少し、離れたほうが良いわよ」
そう言ってナユタ・アマネは彼女専用の魔法少女モデルである。ヘブンズハートアカツキのコアから魔力を肉体に循環させる。あまりにも洗練された魔力循環、肉体に一切の淀みなく魔力を行き渡らせる。
「──────シッ!!」
アマネは、細く絞るような短い息が吐き出した瞬間、一筋の光となって駆けた。そして、先程の極光に焼かれて、無惨にもボロボロと崩れていた怪物へと肉薄すると、右手を突き出した。すると、先程の極光を収縮させたようなエネルギーが放出され、怪物を焼き貫く。
(───────!!?)
怪物は声すら上げないが、アマネの攻撃が効いているのか仰け反るように悶えている。もちろん、それだけで済ませるつもりはないとばかりに、極光のレーザーをたて続けに怪物へと浴びせていく。怪物は避けることも叶わずに喰らい続けて、その肉体を小さくさせていく。そして、反撃らしい反撃すらできずにグズグズになった肉塊が、その場に残る。
「た、倒した」
「まだよ」
「えっ?」
安堵した瞬間、怪物の身体が、まるで逆再生したようにゆっくりとではあるが再生し始める。まさか、再生能力持ちかと考えたが、それならば映像を逆再生するような、再生はおかしい。普通なら肉体を新たに作り補うような形で戻るはずだ。これではまるで、何もなかったかのような形だ。
「……今の装備だと完全に滅ぼすには至らないか……厄介」
装備があればなんとかできるのかと、若干顔が強ばる。
「とりあえず再封印する」
言ってアマネは両手を組み合わせると特殊な印を組み上げる。そして、数秒後には彼女が監視していた場所にあった大岩が、怪物を押し潰すように落ちてきた。もちろん、鳥居もである。グチャっという音が聞こえてきて吐き気を催す。
「アマノイワト……一番強力な封印なんだけど、やはりアレには効果が薄いみたい」
「……これ、アマノイワトだったんだ」
ナユタが管理する聖遺物の一つ、神話においても有名な代物である。正確には洞窟だったりするが、細かいことはどうでもだろう。これにはそういう力と逸話が込められている。それを回収、管理、場合によっては行使するのもナユタの人間であれば普通だ。特にナユタ・アマネは大半の聖遺物を自由に使用できる権利を持っているはずである。
「遅くなってしまったわ……ごめんなさい」
「……え?」
アマノイワトでの封印処理を行っていたアマネは、そう言って、謝罪の言葉を述べた。
「……バディの子」
「ああ……」
彼女は逃げてきた方角に顔を向けた。そして、自分の行動の情けなさに視界が滲む。──なぜ、逃げたのか? 。
立ち向かいもせずに敵討ちも考えずに、不様に逃げた。なんのために自由をナユタを抜けたのか。自分の意思で戦う道を選んだにも関わらず、死にたくないと、逃げた。
「…………処理を終えたら死体を回収するわ。すぐに救援部隊のヘリが来る。それに乗って体を休めなさい」
「……貴女は?」
「私はこれを相手にする。そのために一旦準備を整える」
「……怖くないの? ──あ、ですか?」
「敬語は不要よ。貴女はナユタから抜けているんでしょう? …………怖くはないわ」
「……」
聞いて顔を俯かせた。あんな化け物を相手にしてなんともないと言える。アマネに恐れと尊敬、そして嫉妬心が心の中で渦巻く。そして、それの醜いことかと。彼女は自分自身に対する嫌悪感で、吐き気がさらに加速する。
「恐怖なんてものは怒りに比べればなんてことはないわ」
「……怒り?」
ゾクリと背中が粟立つ、こちらに背中を見せるアマネから溢れんばかりの怒気を本能で感じ取ったからだ。──怒っている。ナユタ・アマネは怒りに狂っている。理不尽な人の死に、それをなす異形の怪物に、何よりも“間に合わなかった自分自身”に。
彼女の、今までのナユタ・アマネに対する印象が変わる。この人は、誰かのために本気で怒りを抱き悔む。そんな優しい人間なのだと。絶対的な力を持ち、傲慢に生きるような人間では決してないという事に。
「……もっと早く貴女に出会いたかった」
「……終わったわ。遺体の回収はお願いする」
「はい、それとありがとうございます……貴女のおかげで生きることができた」
彼女は、ほんの少しでもアマネの