刃渡り2億センチ(後)
「さぁ、決着つけようぜ!!」
放たれた言葉を合図に、シルスと軍服の男は走り出す。一瞬で両者の間合いは無くなり、お互いが一撃を入れれる距離となった。左手の短剣をシルスが振り抜く。
男は武器ごと叩き潰すつもりで、短剣を持つシルスに巨大化させた左腕を叩きつけた。しかし、男の腕はシルスの短剣の一閃でまるで布を鋏で裁ち切る様に、するりと切断される。
「ッッッ!?」
呪物によって鬼の力を得た男の身体は、比喩でも何でもなく、文字通りに鋼と化している。それに強化された武装を持ってしても苦しめられたシルス。しかし、手に握られている短剣はいとも簡単に男の腕を切り落としてしまった。それに男が慄く。先程に感じていた恐怖にも似た感情は、正しかったのだと。
しかし、驚いているのはシルスもだった。握られている短剣には血は付いていない。刃には驚くシルスの顔が写っている。
「(これは……魔術どころじゃない)」
────魔術は聖遺物を模倣する為に生まれた代物である。
聖遺物とは、森羅万象を自己の領域で塗り潰し権能を行使する神秘そのモノであり、それを内包した道具だ。そうして生まれた力は千差万別、聖遺物一つで世界の理を、そのままにひっくり返せる。それが多数存在した時代があった。故に、人類はナユタは此等を蒐集し厳重に管理してきた。
しかし、人の持つ欲望は聖遺物という力を欲した。そうして、種そのものが破滅する可能性すら置き去りにしてしまう。ナユタが管理し、時には破壊しようとも人は、人類は、聖遺物の力を貪欲に欲した。そうして起こった争いは数知れず、人類のみならず多くの種の数多の血が流れていった。
こうして今の荒廃し変異した世界が今の世なのだ。そうした時代を幾度となく繰り返し、絶滅と繁栄が幾重にも起こり聖遺物は神秘が跋扈した時から、その数を大きく減らした。
しかし、そうして失われたその中で生まれたのが魔術だ。聖遺物の権能を解析し、人の技術から生まれた。概念を重ね合わせ精神と肉体に刻み、術式として魔術は行使される。聖遺物とは違い簡単な行使は出来ないが、それでもいつしか魔術は聖遺物よりも重宝されるようになっていった。
魔術は、その概念となる術式を刻印として血脈に代々刻みつけ継承する。非合法な実験や本にしてなど様々な形で、術式、魔術は受け継がれていく。そして、今では人の技術の結晶である科学の力によって、膨大なデータとして魔術は存在するのだ。
──ならば今、シルスが手にしている短剣はなにか?
魔術はそもそも、聖遺物が起こす権能の模倣だ。途方もない成功と失敗の末に、聖遺物に近い技術が生まれただけだ。超常神秘が跋扈した神代の時代ならば兎も角、奇跡が残滓となった今の時代に、形を持って新たに生まれてくるものではないのが普通だ。
同化によって折り重なった複数の概念たる術式が、天文学的な確率を持って呪物という物質を媒介にした事で、擬似的に聖遺物に近い神秘の品を生み出していた。
汎ゆる縁を断ち切る権能を有した神秘の模造品。魔術の粋を超えた奇跡の品。それが、シルスが持つ
人と人の繋がりだけではない。物理的な繋がりすら断ち切る事が可能なのだ。法則性を無視し、森羅万象に己の利を強制させる。──正しく
「ぐぅ……まさか……呪物が正しく権能を発揮したとでもいうのか?」
「……そうか、呪物もまた聖遺物を真似て造られた言わば、贋作、『同化』に寄って統合された術式が昇華されたってことか!」
「──馬鹿な!! 有り得ない!!」
男は吠えるやように叫ぶが、頭では吐き出した言葉こそが間違っていると考えている。何故なら目の前にある奇跡は否定しようがないからだ。
「魔術の基礎すら危なげな貴方が……カイナすら完璧なモノを造れないと言われている聖遺物を……」
動揺した男が、シルスを睨みつける。
「……(分が悪過ぎる。呪物によって進化せしめし我が肉体をいとも容易く切断する武器)」
────逃走。
それが思考の中に現れる。しかし、男は直ぐにソレを捨てた。そもそも、秘匿され続けてきたこの海底牢獄を破壊し、収容されていた囚人を暴れさせ、更にはカイナの呪物を自らに使用したのだ。既に逃走や戦略的な撤退すら、今の男には許されない。事を仕出かした時点で、男にあるのは闘争による復讐の成就のみ。
妻と子、第二の故郷となっていた妻の生まれた地を、ナユタに蹂躙された。あの忌まわしき日から百八十六年と少し、一度たりとも忘れていない。人をやめ、しかし、真っ当な怪異にも慣れずに、醜態を晒し続け半分死んだ身で復讐だけを魂に刻みつけて生きながらえて来たのが、男の人生だった。
そうしてやっと辿り着いた復讐の機会。この好機を活かさずしていつ事を成すと言うのか。
「ならば切り札を切るのも致し方なしッッ!!」
懐から取り出したのは新たな角だった。紅く禍々しい妖光を放っている。それを見た愛理が、コアからシルスに思念を飛ばす。
「(シルス、あれ結構やばいかも……)」
「ああ、使わせない!!」
「遅いんですよッ!!」
短剣の一閃が走る。しかし、男の腕が断ち切れる前に男はすでに角を自らの肉体に刺していた。男の身体が一度震える。そして、身体から魔力の奔流が放たれた。肉体は更に膨張し、赤と青が混ざったような肌へと変貌する。
「ガアアアアアッ!!!」
正しく鬼の姿となった男が叫ぶ。衝撃波と暴風の様な魔力が放たれる。そのあまりにも強大なエネルギーによって結界に亀裂が無数に刻まれてい行く。すでに結界は、相当なダメージを追っている状態だ。これ以上の維持は難しくなる。もし結界が崩壊すれば、シルスに注がれている魔力供給はなくなり、大幅な弱体化と言えるだろう。刹那の攻防を要求されるこの戦いでは致命的だ。
「クソッ!!」
「(シルス!! 来るよッ!!)」
愛理が叫ぶ。それと同時に地面が隆起する。
「(ウソー!! 結界に干渉してきてる!!)」
地割れによる揺れがシルス達を襲う。立ち止まるのは危険と判断してシルスが駆ける。光の軌跡を伴って、立ち塞がる壁とかした地面を滑る様に走り時には短剣を用いて、進路を切り開く。
視界に男の姿を捉えた。そこにシルスは一撃を叩き込む。狙いは男の頭部に生えた角、赤と青で別れた二本の角を断ち切る為に剣を振り抜いた。
しかし、それを予想していたとばかりに首を少し傾けるだけで避けてみせ、更には振り抜いて無防備になったシルスの身体に蹴りが突き刺さる。
「ゴホッ…………ッ!!」
左の肋骨が数本砕ける音がシルスの耳に響く。そして、一瞬の浮遊感の後に隆起した壁に受け身も取れずに叩きつけられた。
「(シルスッ!?)」
「だ……大丈夫だッ!!」
直ぐ様にコアと結界からのバックアップの魔力が注がれ、肉体が再生される。
「がああああッ!!」
「──チッ!!」
即時の回復が完了する直前に男の巨大な腕が迫る。それを横に飛び抜け、迫るものを的確に切り落として行く。
「なんて力だ!!」
「(───シルス、マズイかも……あの人、このまま戦い続けてたら呪物の負荷に耐えられなくなって死んじゃう)」
「ッ!! ……何か手立てはあるか?」
「(……確証はないけどさっきシルスが攻撃したように角を切り落とせば呪物による繋がりが断ち切れて負荷は消えると思う)」
「……やってみるしかないか」
攻撃の質量が増していく。まるで嵐の中を突き進んでいる用だった。それでもシルスは駆け抜け、己の身を死地へと飛び込ませていく。止むことのない死の嵐が肉を削り、彼の身体から血の霧が噴き出る。しかし、臆することなく前に、前にと足を動かす。
腕の軌道が一点に収束する瞬間、シルスは足の切り返しで急激な速度で横に無理矢理に曲がり、腕の触手を紙一重の所で躱す。そこから男の懐までかっ飛ぶと、先程と同じ様に角を狙ってシルスの左腕が動く。
男は同様に軽く躱してしまう。そのまま、シルスに致命を与えようと腕を動かす。遂に決着がつくと確信した男は、ニヤリと嘲笑うように笑みを浮かべたが、次の瞬間には目を見開く。男の視界に、短剣を持たないシルスの左手が映る。
「頼む!! 愛理ッ!!」
「コッチだよ!!」
「──────ッ!?」
シルス達の意図に気が付いた時には、男の額の二本の角が切断され、宙を舞った。シルスは振り抜く瞬間、短剣を頭上に投げ捨て、それに取り憑いた愛理が、上から男の角を斬り落として見せたのだ。嫌な経験だったが、愛理が包丁に取り付き現れたのを見て、シルスは実行した。勿論、愛理が刹那の攻防の中で、シルスの意図を理解してくれていたのは大きかった。
「馬鹿な……!! がああ!!」
男が額を両手で押さえて暴れる。角からは禍々しいエネルギーが吹き出ており、男の身体に張り巡らされていた魔力が抜け落ちていく。
「はぁ……はぁ……分かっていたというのか……角を斬り落とせば力を失うと」
暫くは暴れていたが、男はその場に蹲る様にして頭を垂れている。膨れ上がった肉体も最初に出会った時の様に戻っていた。
「……鬼にとって角は力の象徴みたいなもんだろ? 此方もそういう感じかと思っただけだ」
「……怪異……取り分け名のある怪異は一般的に現存する文献には記録がない。昔に滅んだか忘れ去られたか……ナユタの人間である貴方が鬼を知っていたとは……」
男が訝しむ。シルスは内心焦るが顔には出さないように努めた。
「……いや、そんな事はどうでもいい」
男が地面に転がる自身から切り離された角を見やる。呪物としての機能を失ったのか、それらはまるで灰のようにボロボロと崩れていた。それを掌で包むように掬う。
「……私の復讐は達成できなかった……せめてコレだけは失うわけには行かない」
「あんた……」
「…………待っていただき感謝する。さぁ、トドメを刺すといい神官殿。最早、私に抵抗する力はない」
次には覚悟を決めた顔で男がそう宣うので、シルスは呆れて溜息が出た。
「誰がするかよそんな事……」
「……尋問にかけますかな? 残念ながら、その時間は私にはありませんよ」
「どういう……」
「……シルス! この人身体が!!」
シルスの背後から愛理が叫ぶ。見れば男の身体は端のほうから灰のように崩れている。
「なッ!? ──おい、あんた悪いが『同化』を使うぞ!!」
「……無駄です。私の精神は、そこの怪異とは違い呪物によって完全に汚染されている。取り込めば神官殿、貴方だけではなく怪異の精神までも死ぬ可能性がある」
「そうか。なら、ハレルの所まで連れて行く!! 愛理手伝ってくれ!! ───な!?」
シルスが男の腕を掴んだ瞬間、先ほどの角のように灰となって崩れてしまう。男の崩壊は急速に進行している。このまま、連れて行くのは不可能だろう。
「ッ! ……待て、結界を解いて……いや、結界を崩す時に座標がズレたらマズい……魔力を注ぐ。────クソッ!! 注いでも注いだ瞬間に抜けやがる!! 擬似コアは愛理の分で限界。……何か、何かあるはずだ!!」
「…………ははは。貴方は……本当に……お人好しでありますね」
「笑ってる場合かよ!!」
どうにか救う方法はないかと、シルスは思考する。しかし、自身が持つ現状の手札では、残念なことに救う手立てはない。しかし、諦める事はしない。シルスには、自分の目の前で誰かが死ぬのを看過するなど出来ないのだ。現状維持で男に魔力を注ぐ。無意味な事は明白。続けて行く内に、結界が限界を迎えたのか崩壊が始まる。
シルスの顔から血の気が引いき、玉のような汗が額から零れ落ちる。無理もないといえた。これまでの死闘と呼べる連戦に同化による精神の高負荷。既に限界は迎えている。動けているのが不思議な程に。
「もう良いのです神官殿、呪物を同時に、二つも使用した時点で私は死んでいてもおかしくなかった」
「──うるさい!! 簡単に諦めるんじゃねぇ!! 俺はもう誰かが目の前で死ぬとこなんて見たくねぇんだよ!!」
「……シルス」
悲痛な叫びが崩壊する空間の中で悲しく響く。少しの沈黙の後、男は独り言のように呟く。
「ああ───貴方の様な人が、あの時にもっと居てくれれば」
「何を言って」
「……ごめんね。シルス」
「愛理? ……あ」
男がシルスの後ろに目配せする。すると、突然愛理がシルスのコアに消えると、シルスも糸が切れた人形のように、その場で倒れた。
「……助かりますよ」
「……愛理は、シルスが心配だからやっただけ」
「ええ、理解しています」
「…………あっちで会えるといいね」
「ッ!? …………そうですね」
「……さようなら」
愛理は結界の維持を切る。瞬間、世界は光によって包まれて崩壊する。シルスが危惧した様に、結界が崩れると、その衝撃で男の身体が崩れ、光に飲み込まれていく。男は消えていく世界を、シルス達の遠く離れていくその背中を、最後まで見つめ続けた。
────その瞳に暖かな光を灯しながら。
決着、次で海底牢獄編は最後。戦闘もないのでササッと書きます。