もしもトレーナーがウマ娘になったら   作:ケンタ〜

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第二十話 ウマ娘の体で、レースをする。

「……いいじゃんか。走ってみようぜ」

 

 友人根岸は、そういってくれた。

 

 足が、カタカタと、うずいている。

 勝手に動いている。

 貧乏ゆすりのようなこの現象。

 理事長の時も一度あった。

 

 走りたいってことなのだろう。

 おなかの底から湧き上がってきた、今の感覚。

 きっとこれに由来するものだ。

 そう訴えている。

 

「わたし、ほんとに……」

 

 一度、自分の体に問うてみる。

 わたしは本当に走りたいのか?

 わたし、走れるのか?

 

 どうだ、私の体。

 答えはすぐに帰ってくる。

 

「うん、走りたい……走って、みたい」

 

 タナベさんも、言ってくれた。やりたければ、やってみればいい。

 おなかの底が、うずいてくる。

 あの三人の走りを、見て。

 

 どうしよう。教え子が負けた後だっていうのに。わたしは走りたがっている。独りよがりに走ろうとしている。

 いいのか、わたし。トレーナーとして。教育者として。

 

「え、先生、走りたいって言いました?」

 

 尋ねられて、顔を上げる。

 エアロちゃんだった。

 人の手ほどもある長い耳を、ぴょこんと頭の上で跳ねさせる。

 彼女は耳がいい。わたしのつぶやきをすぐに聞きつけてやってきたらしい。

 

 一瞬、戸惑う。

 まだ、決心がついていない。

 走りたいのは事実だ。体がうずいているらしいこともわかる。

 でも、生徒にそれを知られるのは、またいっとう違う感覚がする。

 

 すると、目の前の教え子の顔が輝いた。

 

「すごい、先生、やっぱり走るの!?」

 

 まぶしいくらいの笑顔が咲いた。

 彼女がわたしの両手をとる。

 

 そして、その場でぴょんぴょん跳ね始めた。

 

「ほんとに、ほんと!? 嘘じゃないよね、一緒に走れるの?」

「あっ……」

 

 え、エアロちゃん。

 いつも快活で、多少強引、さらに大胆。だけど、彼女のそれに嘘はない。

 

 彼女は歓迎してくれている、わたしという指導者が一緒にターフに立つことを。

 

「いいのかな……本当に走っても」

「「「いいよ!!!」」」

 

 目の前だけでなく、あらゆるところから声が返ってきた。

 

 先ほどと変わらぬ声量。

 

 みんな、歓迎してくれているんだ。

 

「アインちゃん、アウちゃん……」

 

 あの、二人のほうに目を向ける。

 

 タナベトレーナー、そしてフジキセキのすぐそば、そこに教え子二人がみんなで一緒に座って話している。

 

 耳を澄ます……聞こえてくる。

 すごい、この耳は。なかったころには絶対に聞こえなかったはずの声が、小さいけども入ってくる。

 

「いやあ、本当に、驚異的だったよ。あれだけ後ろにぴったりとつけられたのは初めてかな。ふたりとも、すごいレースだった」

 

 というのはフジキセキだ。ペットボトルを片手にしながら、アインちゃんたちに感想を口にしている。

 

「ほ、本当ですか」

 

 そう聞くのはアウちゃんだった。いつもまじめな彼女は興味深そうにフジキセキの言葉に耳を傾けている。

 

「もちろん本当だよ。ね、ナベさん」

「ああ。正直儂のフジにここまで短期間で食らいつけるとは思うとらんかったわい。短期間で急激にフォームが改善され、勝負心も研ぎ澄まされておるな。努力の結果の素晴らしい併走じゃったわい。軽々しく、負けたとは思わんことじゃ。得られたことのほうが多いぞ」

「は、はい」

 

 返事をするアウちゃんに、フジキセキが笑顔で言う。

 

「それに、私たちはもう同じチームメイトだ。遠慮せずに一緒にたくさん話そう。本番は敵でも、今は互いに高めあう仲間だ」

 

 そう言って、彼女は微笑んだ。

 

「それに二人とも、一応同い年なんだし、もっと砕けた口調でも構わないよ」

「「あ……」」

 

 ふたりとも、あっけにとられたような顔をした。

 そういえばそうだった、という感情と、でもさすがにいきなりは……という感情とがないまぜになった表情だった。

 しかし、そこでフジキセキがにこりと微笑む。

 それを目にした二人は、頬を染めずにはいられなかった。

 

「はい、いや、うん」

 

 こくり、とアインちゃんがうなずく。

 

「わかり……わかった」

 

 それに続いてアウちゃんも返事をした。

 

「うん、二人とも、改めてよろしくね」

 

 そういって、フジキセキが手を差し出す。

 

「よ、よろしく」

「よろしくおね……よろしく」

 

 アインちゃんとアウちゃんが、その手をとり、ぎゅっと握り締めた。

 

「あの二人は大丈夫みたいだし」

「はっ」

 

 あっ、友人根岸……。

 しまった、ぼーっとしていた。

 

「いいじゃんか、走ろうぜ。な、みんなも待望してることだし」

 

 根岸がみんなのほうを手で指し示す。

 みんな、きらきらとした目でわたしを見ていた。

 

「み、みんな……」

 

 ごくり、とわたしはつばを飲み込んだ。

 

「わたし……うまくはしれないかもしれないし、ぜんぜん邪魔しちゃうかもしれないよ……?」

「全然気にしないよ、そんなこと!」

 

 メンバーの一人が、そういってくれる。

 

「一緒に走ろ先生!」

「そんなことどうでもいいって!」

「べつにレースじゃないし、せっかくウマ娘になったんだから走らなきゃ!」

「きっときもちいいよ!」

 

 みんな、口々に明るい言葉をかけてくれる。

 

 ……いいんだね、わたし、走って。

 

 わたしは立ち上がった。

 頭痛、引いている。さっきまであったのがなくなっている。

 とんとん、と腿を上げ、足踏みをしてみる。

 痛み、なし。疲労は少し残っている。けれど、走るのに支障はない。

 関節をまわす……異常なし。

 筋は……張っているとかは、今のところなし。

 

「うん、オッケー。走れる」

 

 わたしはそう言った。

 

「安里」

「ああ、走ろうぜ」

「うん」

 

 こくり、とうなずく。

 

 そして、わたしはラチをくぐってターフに入った。

 

 そして、そこで気付いた。

 

「あ、蹄鉄シューズ履いてない」

「えっ」

 

 生徒の誰かが声を上げる。

 しまった。完全に忘れてた。

 いくらウマ娘でも、あれがなければちゃんとした走りはできない。

 というか、蹄鉄はウマ娘の普段の靴にすら組み込まれている基本的な部品だ。

 

 最初に靴履き替えてなかった……。

 

「えっ、先生蹄鉄の靴に履き替えてなかったの!?」

「う、うん……そのまま普通のスポーツ靴使ってたんだけど……」

「そりゃきついよ! 裸足で地面走るみたいなもんだよ!?」

「そ、そうなの……?」

 

 これもまた、私の知らないウマ娘の感覚、というものだろう。

 ていうか考えてみたら、舗装道路用の人間の運動シューズでレース用芝の上走ったらそりゃ疲れるなと。逆によくこれで練習に参加したものだ。オフロードをF1のタイヤで走るようなもの。

 

「先生の靴のサイズ、いくらでしたっけ?」

 

 と、アウちゃんが横から聞いてきた。

 いつの間に来てたみたいだ。

 

「フジキセキさんとはもういいの?」

「はい。いろいろ落ち着きました」

 

 どこか、すっきりとした表情で言ってくれる。

 感情をしっかりと整理できたのだろう。よかった。

 

「それで、靴のほうは?」

「えっと……23.5、だけど」

「わたしと同じですね。良かったら、貸しましょうか?」

「えっ、い、良いの?」

「もちろんです。先生のためですから」

 

 アウちゃんは地面にしゃがみこんで自分の靴の紐をほどき始める。

 

 なっ、なんていい娘なんだ……みんなそろいもそろってなんでこういい娘なんだ……。

 先生はうれしいよ……泣きそうだよ……。

 

「そしたらアウちゃん、先生と走れなくなるよ?」

 

 と、口を挟んだのはエアロちゃんだった。

 

「えっ……」

「あっ」

 

 ピシリ、とアウちゃんの動きが止まる。

 わたしも思わず声を出してしまった。

 

「靴ないと走れないじゃん」

 

 追い打ちにエアロちゃんがもう一発。

 

「たっ……」

 

 アウちゃんの顔に一気に冷や汗がにじみ始めた。

 

「たしかに……えっ、でも……走りたい……」

「でもそしたら先生の靴が……」

「えっ……」

 

 地面にしゃがみこんだままのアウちゃんが、ピシピシと動いては止まり動いては止まりを繰り返していた。

 

「えっ、どっ、どうすれば……でもみんな一緒に走りたいだろうしそれでもほかに靴のサイズ合う人は……」

「アウ、新しいのをとってくればいいじゃろうが」

 

 と、タナベさんが口をはさんだ。

 

「はっ!」

 

 アウちゃんがばばっとそちらを向く。

 て、天才か!? みたいなきらきらした顔でタナベさんを見ていた。

 

「なんじゃ……若いんじゃから落ち着いて考えろ」

 

 あきれたというふうにタナベさんは頬に汗を垂らす。

 

「予備の蹄鉄シューズの一つや二つ、ありますよ。持ってくるから待っててください」

 

 と、トレーナーモードに戻った友人根岸。

 さすが頼りになる友人根岸。

 そのあと十分くらいでわたしの脚にフィットする蹄鉄シューズを持ってきてくれた。

 その間、みんなの手を借りながら、適当に柔軟をする。

 

 そこで判明したのは、わたしの体がかなり硬いということだった。柔軟性があまりない。

 一般人レベルくらいで、みんなと比べれば硬すぎるくらいだった。

 とのことで、あまり長いレースは体に支障をきたす可能性があると考えられたため、距離は短めの800メートルということになった。

 あまり中央のレースでは聞かないが、地方では割とよくある距離感だ。わたしの初めてにはちょうどいいだろう。

 

「靴のほう、どうですか?」

「うん、ありがとう安里、ぴったり!」

 

 靴ひもを結んで、わたしは立ち上がった。

 

 何度か足踏みをしてみる。

 それほどズレは感じない。大丈夫だ。

 

「一回ウォーミングアップ兼ねて、ランニングしてみようか」

「うん、そうだね」

 

 ラチをくぐり、再びターフへ。

 

 これが蹄鉄で踏む、ターフの感覚……。

 つま先の下を支えるように蹄鉄はついているけど、それのせいですこしつま先が浮いているようの感覚がする。

 ざっ、軽めに脚を出す。

 すると、蹄鉄がザクッと芝を刻み込み、

 

「おっ」

 

 ぐんっ、と体を前に押し出した。

 

 すごい。

 まるでスパイクのような。いや、実際にスパイクなのか。

 地面をひっかいて走っているような。

 これが蹄鉄の力なのか。これは舗装された道路では出せない、まさにレースコースのための靴。

 原理は知っていたけど、こんな感覚だったのか。

 

「すごい……すごい。面白い」

 

 人間のそれとはまったく走り方からして違う……これがウマ娘のための靴。

 

「じゃ、はしろっか、先生」

「エアロちゃん」

 

 みんなが集まってきた。

 メンバーの、ほぼ全員。

 

 というか、なぜかフジキセキも入っていた。

 

「面白そうなので」

 

 うわ、エスパーか。

 疑問の視線を悟られていたのか、にこりとそう返された。

 

「ていうか、なんかみんな当然みたいに集まって来てるんだけど、全員で走るの?」

「え? そうでしょ?」

「あ、うん、そういう感じね」

 

 こてん、と首をかしげるエアロちゃん。

 

 まあ、いいか。みんな、全力で走るということはないだろうし。

 ……さすがに手加減はしてほしい。わたしはレース初心者どころかウマ娘初心者なのだから。

 

「ということで、スタートはわたしでーす」

 

 ターフの端っこに直立したのは友人根岸。

 その胸には、肩から掛けられた『スタート』の板が掲げられている。

 

 みんな、その前に並ぶ。わたしもその中に加わった。

 そして、なぜか当然のように一番内側。一応、それなりに有利なところをもらったのかな……?

 それで、この向きってことは、コースは右回り、ってことでいいのかな。

 

「ゴールはここじゃーーー!」

 

 向こうのほうからタナベさんの声。

 同じく胸から『ゴール』の看板を掛けているのが見える。

 結構ノリノリだなあの人……。何も言わずにゴール役を買って出ている。

 ここから直線を走り、すぐにカーブを曲がって、長い直線を走ってゴール、ということになる。

 

 友人根岸が合図をかけた。

 

「よーし、じゃ、位置についてー?」

 

 ふう……。

 はじまるんだ。これから、レースが。

 一度、深呼吸。

 ちらり、と左を見てみる。

 みんながいる。そしてみんなこっちを見ている……そこまで見られると恥ずかしい。

 いや、全員見すぎだって。面白いものなんてなんもないのに。

 

「よーい?」

 

 いや、わたしも切り替えよう、目の前のことに。

 スタートの体制……こう、だったっけ、みんなに教えたのは。

 ちゃんとできているかな。

 

「――――どんっ!」

 

 それと一緒に、上体をぐっとかがませた。

 その瞬間、片側から突風が吹いた。

 

「――――うえっ!?」

 

 えっ、これ――――みんなのスタートの突風!?

 

「くっ!」

 

 足に力を籠める。

 

「ッ!?」

 

 体が前方にはじき出された。

 脚の力、つよっ!?

 体が吹き飛ばされたかと思った――一気に、体が数メートル向こうへと弾き飛ばされるかのように。

 転ばないうちに、右足を前に出す。

 つま先が、地面に触れる。

 蹄鉄が地面をえぐる。

 その反動で、わたしの体は前へと押し出される。

 

「ぐッ!」

 

 そして、わたしの体は跳ぶ。

 なっ、なんて跳躍力。走っているんじゃなく、跳んでいるみたいだ。

 

 次にやってきたのは突風。

 ものすごい風だ。顔を吹き付けてくる。

 脚を踏むごとにびゅんびゅんと、目も開いてられないくらいに強い風。

 

 ――――ドッドッドッドッ

 

 ものすごい加速力、なんてパワー!

 体が前に押し出される!

 骨盤に乗った上体が問答無用に加速される!

 体が――――体ごと前に吹き飛ばされているみたいだ!

 すごい、これがウマ娘の走り! ものすごく速いっ!

 ドッ、ドッ、ドッ、と一歩ごとにおなかに響いてくる。ものすごく大きな衝撃がかかってきている。

 でも、不思議なことにそれがここちいい。その度に、体はどんどんと、ぐんぐんと前に押し出されていく。

 っ、すごい風っ! まるで車の外に顔を出したみたいに、風が顔を吹き付ける。

 いや、実際にそれくらい強い風なんだ。

 目の端の景色があり得ないほどの速度で後ろに流れていく。

 一体、どれくらいの速度で走っているのか見当もつかない。

 でもきっと、たぶん人間の限界を超えた速度で走っているのだろう。そう確信できる。

 なにせ――目の前には、教え子の後ろ姿があるのだから。

 あの子たちの後ろを、走ることができている。どう間違えても、人間では追いつけない彼女たちに。

 

「はあっはあっはあっはあっ」

 

 ものすごい呼吸。莫大な空気量。

 それが入っては出て、まったくすり抜けているかのようにぐんぐんと肺が縮んでいく。

 

「ッ!」

 

 カーブに来た。体を横に傾けて踏ん張らせる。

 

「ッーーーー!」

 

 ッ、すごい、遠心力!?

 ズンッ、と上体が紐で引っ張られているかのような。

 体ごと外側に引っ張られているかのような感触。

 すごい、こんな力がカーブにはかかっているんだ。

 気を緩めたらはじけ飛んでしまいそうだ。

 でも、耐える。

 全身の体幹を使ってカーブの遠心力に耐える。

 そりゃ、ここで大きな順位変動が起きるわけだ。こんなにキツイ現象が起きているのだから。これで正常に走れるほうが異常だ。

 ましてやここで加速なんて、わたしには考えられない。

 

 一気に視界が開ける。

 直線に出た。

 長いようであっという間だ。タナベさんがラチの向こう側に立っている。

 

「っ!!」

 

 ぐんっ、と周りが加速した。

 アウちゃんも、エアロちゃんも、バウちゃんも、アインちゃんも。

 追いつかなきゃ、と脚に力を込めたその瞬間。

 さわやかな一陣の風が、わたしの頬を撫でた。

 

「――――えっ?」

 

 青いかげ(・・)が、わたしの横の風をさらっていった。

 きれいに飛び出すそのかげの名は――――フジキセキ、だ。

 

 いつの間に――――

 

 そう思ったのは、ただの束の間だった。

 わたしの後ろから、一気に飛び出して来たのだろう。

 その思考はすぐに吹き飛び、わたしは彼女の走りに目を奪われた。

 

 ――――すごい。とてもきれいだ。

 

 なんでこんなふうに走れるんだろう?

 こんな群れの中で――――まるで針の隙間を縫うように、するりとフジキセキは前へ向かっていく。

 その所作はとても軽やかだ。本気など出していない、そう感じられるけども、でも全く力は抜けていない。

 とても、心地のいい。そんな走り方だ。きれいだ、とてもうつくしい。

 きっと今のわたしの走りとは、比べ物にならない。

 

 ああ……あんな走り方ができればな。

 頭にそんな思考が生まれてくる。わたしにとっては不思議な感覚だった。

 なんてキレイ走り方なんだろう、うらやましい。

 その走り方、わたしも欲しい。少しでいいから、わたしにくれないかな。

 

「はあっ――――」

 

 自分の一呼吸。

 それを最後に、わたしの五感からすべての音が消え去った。

 まるで、太陽が消滅したかのように。

 視界は真っ黒になった。

 そんな中で見える、大地を照らすスポットライト。

 

 カンッ

 

 それが地面を照らす。

 何もない、ターフの上の一つの点だ。

 

 とんっ

 

 足を踏み入れた、一人のウマ娘。

 

 フジキセキ。

 

 カンッ

 

 またひとつ、光が差す。

 そこに、彼女は脚を下ろしていく。

 

 カンッ、カンッ

 

 つぎ、また次へと。

 

 とん、とんっ、とんっ

 

 そう、軽やかに。さされたスポットライトの光へと、彼女はただ脚を踏み出していく。

 

 それは一つ一つの彼女の軌跡へと。

 踏み出された脚は後ろへ残り、彼女の踏みしめた確かな足跡となる。

 そして彼女の前には新しいライトがともり、彼女が踏むべし未来の軌跡となる。

 そうして彼女は走っていく。

 ひどく美しく、きれいに、宝石のように。

 

 まるで彼女が主役のようだ。

 彼女の走りはとてもきれいだ。

 魅せられずにはいられない。目を背けてはいられない。

 彼女の足跡に誰もが目を向け酔いしれ、熱狂せずにはいられない。

 

 蹄鉄の一歩一歩を確かに地面に踏みしめて、彼女はそれを残していく。

 彼女の後ろを追いたいと思ってしまう。彼女の姿を見たいと思ってしまう。

 そう思っている瞬間に、すでに勝者は決まっている。その思考は、もはや前に立つ者の考えではないからだ。

 

 ズルいよフジキセキ。

 観客にだけじゃなくて、走る当人にまで魅せてしまうだなんて。

 こんなの、勝てるわけないじゃん。勝とうとすら思えるわけないじゃん。

 きれいすぎるよ、フジキセキ。ズルすぎるよ、フジキセキ。

 少しくらい、走ったっていいじゃんか。あなたの前に立ったっていいじゃんか……。

 

 美しい、きれい、宝石みたい、フジキセキ。

 あなたが勝つのに納得感すら覚えてしまう。きっと勝つんだと、だから勝つんだと。

 勝っていいのだと、わたしは思ってしまう。

 でも皮肉だな。私はトレーナーだ。わたしにはわたしの教え子がいて、彼女には勝たせてあげなくちゃいけない。

 あなたの走りにあこがれたのに、もうわたしはあなたのそれを称賛できない。純粋にあなたをほめることができない。

 だってあなたは敵だから。わたしと競う敵だから。

 

 ああ、そういうことか。なんであなたがここにいるのと思ったけれど、なんで参加したのだと思ったけれど。

 なんでこんなちょっとしたレースですら、そんな走りをするんだと思ったけれど。わたしが幻覚を見ているわけじゃないんだ。

 

 あなたはわざと、見せているんだね。

 あなたと競うべき彼女たち、生徒たちを育てるこの私に。

 あなたと競えと、競わせろと、あなたはそう言っているんだ。

 あなたは、あえて私に見せる。わたしにあえて、魅せてきた。

 一度は観客として。二度はトレーナーとして。三度目は、わたし自身が当事者として。

 

 そういうことか、フジキセキ。

 あなたはすごいよ、本当に。

 でも、あなたもこんな、感情的になることがあるんだね。

 こんなレースで、わざわざ私に語り掛けるような。

 そうか、それがウマ娘か。それでしか、わからないことがあるんだな。

 

 彼女が踏んだスポットライトをわたしは踏もうとする――

 

 バツン、直前で消える。

 

 また踏もうとする。

 

 バツン、暗闇に紛れてしまう。

 

『わたしの後ろを追うな、わたしの走りについてくるな、わたしの走りに魅せられるな――――』

 

 わたしと、並べ。

 

 きっともしかしたら、そんなことは言っていないのかもしれない。

 そんなことを言うウマ娘ではないのかもしれない。

 でも、もしかしたら。あなたの心の奥底が、そう叫んでいるのかもしれない。

 

 わたしと、競え。

 

 わたしに、勝て。

 

 わたしに、魅せてくれ。

 

 ああ、フジキセキ。なんてズルいウマ娘。

 あなたのこれに気付くのは、きっとわたし一人だけ。

 不思議なことに、周りのみんながはっきり見える。

 どんな顔、どんな走り方、どんな呼吸、どんな脚運び。

 ああ、やっぱり、みんな私を見てしまっている。わたしの走りが気になって、わたしだけを見てしまう。

 そういうことか、フジキセキ。これをきっと、利用したんだな。それでわたしに伝えようと、わたしだけに言おうとしたんだ。

 

 いいよ、ありがとうフジキセキ。

 競って、走って、並んで、いいんだね。

 

 言ってくれてありがとう、走ってくれてありがとう。今、伝えてくれてありがとう。

 

 うん、気付いたよ、フジキセキ。

 あなたの走りもわたしは見える。一挙手一投足が、あなたの走りがすべて見える。

 とてもよく見える。意識は、こちらに向いている。

 

「うわっ――――」

 

 アウちゃん――――驚きの声を出す。

 

 わたしは跳び出て、彼女(アウ)の横を過ぎ去っていた。

 

「うん、わかったよフジキセキ」

 

 一瞬、一瞬。ほんの、一瞬。

 わたしは、彼女の横に飛び出した。

 

「――――」

 

 彼女の唇が小さく動いて。

 

 わたしたちは、ゴールした。

 

 

 

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」

 

 空気が入って、抜けていく。

 肺が縮んで膨らんでいく。

 それを繰り返して繰り返し、酸素が体に運ばれていく。

 その間、体は苦しい。息切れはそもそも欠乏を表しているからだ。

 順調に体中に酸素が運ばれ、呼吸が収まるまで、その苦しさは続いていくことになる。

 

「ふう、ふう、ふう、ふう」

 

 気持ち少しだけ、呼吸が収まってきた。

 少しだけ、歩く余裕ができる。

 

 汗が頬を伝う。滝のような汗だ。

 体中、全身がぐっしょり濡れている。少し、気持ちが悪い。

 とても暑い。暑くて苦しい。全身からまるで熱が噴き出しているかのようなそんな感覚。

 まだ冷えぬ汗が全身を支配し、その瞬間だけくらくらするくらい熱くなる。

 

 でも、なんでだろう。

 

 どこか、心地いい。

 

 こんなに苦しくて、暑いのに。

 体中が熱くて、めまいがするのに。

 

 とても嬉しいのは、なんでだろうか。

 

 うん……。

 

「理沙、おつかれ」

 

 聞きなれた声。振り返る。

 根岸だ。その手に、大きなタオルとペットボトルが握られている。

 

「ありがと、安里」

 

 わたしはその名前を呼んで、彼女の贈り物を受け取った。

 

 タオルで顔をふき取る。とても気持ちがよかった。

 汗でまみれていた顔が、一気に涼しくなる。

 ペットボトルを開けて、口にする。

 

 冷たい液体の流れが、口を満たす間もなく、そのままごきゅごきゅと音をならす喉に吸い込まれていく。

 その感覚がいくらか心地いい。

 そして、止まらない。

 

 パキパキと、ペットボトルが握り締められていく。それにもかかわらず、わたしは液体を取り込んでいく。

 ぐしゃっ、と音がして、ペットボトルの中身が消えたことを告げた。

 

「ぷはっ」

 

 全部、飲んでしまった。

 それだけ、汗を搔いたのだろう。一本じゃ、足りないくらいだ。

 でも、おいしかった。

 これだけ、水がおいしいと感じたことはない。

 物欲しげにみていると、安里は肘に抱えていたもう一本のペットボトルを渡してくれた。

 

 その蓋を開け、再び口をつける。

 今度はすこし落ち着いたおかげで、半分くらいの量で体は満足してくれた。

 

「ありがとう、安里」

 

 ペットボトルから口を離して、わたしは友人に言った。

 

「ああ。いいレースだったぞ、理沙」

 

 ぽん、とわたしの肩に手を当ててくれた。

 

「すごいじゃん、三着だぞ、三着」

「え、そうだったの」

 

 そういえば、順位。まったく気にしていなかった。

 

「三着、って、わたし、すごいじゃん」

「ああ。一位はフジキセキ、で二位はアインだな。四着にはアウ」

 

 そう言って、根岸は周りを見渡す。

 

「このメンツではさすがだな。にしてもまあ、全力じゃ無かったろうけど」

「はあ、一言、多すぎ、安里」

 

 息継ぎをはさみながらも、わたしは友人に抗議した。

 

「ああ。めちゃくちゃなフォーム、めちゃくちゃな脚運び、めちゃくちゃな腕の振り方で、よく三着までこぎつけたもんだ」

「ね、ねえ、多すぎ、って」

 

 相変わらず、だ。根岸は、根岸だ。

 

「先生、すごかったじゃないですか」

 

 そう言ってやってきたのは、エアロちゃんだ。

 彼女の頬にもいくらかの汗の筋が見える。

 

「はい、とってもすごい走りでした」

 

 と、追随してくるのはバウちゃん。

 

「最後、すごい伸びだったね先生! びっくりしちゃった」

「はい、力抜いて走ってたから、いきなりびっくりしちゃいました」

 

 あ、やっぱり全力じゃなかったんだ……。

 まあ、いいか。

 そんなに不貞腐れるよりも。

 

「うん、ありがとう。とっても、楽しかった」

 

 こうしたほうが、よっぽど気持ちがいい。

 

「先生、あの」

 

 と、アウちゃんがやってくる。

 少し、顔に物憂げなものが浮かんでいた。

 

「最後、すごい伸び方でした。あれ、何だったんですか。初めて走るようには見えませんでした」

「え、そうだっけ?」

 

 そういえば、そんなことがあったような気も。

 でも、あっという間だった。あっという間すぎて、レース展開がどうだったか、あまりよく覚えていない。

 

「はい、とても。そのまま抜かされてしまいましたし」

「いや……わたしも、よくわかんない。勝手にああなった、みたいな」

「そう、ですか」

 

 煮え切らない様子で、アウちゃんはうーんとうなる。

 

「うわー、先生速かったなー」

 

 と、ほかの誰かが口にした。

 それに追随して、みんな口々に感想を述べ始める。

 

「うん、そうだよね! すごいよね、人生初レースで三着って」

「うん、すごかったよね。やっぱり先生が走るところに見とれちゃった!」

「定点カメラあったらよかったのにね~」

「走ってるところ撮影して家宝にしたい」

 

 みんな、一応それぞれに楽しんでくれていたようだ。なんか最後不穏なの混じってたけど。

 

 でも、かわらないのは、みんながそれほど疲れていないということだった。

 みんな、手加減をしてくれていたのだろう。

 

 あのたった二人を除いては。

 

「……」

 

 視界の向こうに、フジキセキが立っていた。

 どこか、涼しげな表情。すがすがしそうな顔だった。

 それを、アインちゃんが膝に手をつきながら眺めている。

 

 最後、目算が正しければ、一と半バ身ほどの差をつけられて、二人には先行されたことになる。アインとフジキセキとの着差は僅差に見えた。

 そもそも、800メートルほどのレースでその途中から競い合うのは難しい。しかし、みんながゆったり走っていたのもあって、あの二人だけで十分な着差を作れた。二人とも途中から競い始めたのだろう。

 フジキセキの走りに触発されたのか。

 あの中で、アインちゃんはそれほどわたしを見ていないように感じられた。

 どちらかというと、レース全体をしっかりとみていたようだ。図らずも模擬レースのような形となったこの状況で、しっかりと彼女は自分の能力を研ぎ澄ますことに使っていた。

 そのなかで、もしかすると、フジキセキの走りに気が付いたのかもしれない。フジキセキの走りが意味する、そのところを。

 それにこたえるかのように、アインちゃんは走ったのだろう。

 もしかしたら、見当外れかもしれないけど。

 でも、理由はどうあれ、競っていたのは事実だ。アインちゃんも、フジキセキも。

 

「ふう……」

 

 呼吸が、落ち着いてきた。だいぶ良くなってきた。

 のどの奥が若干痛いけど、別に大丈夫だ。人間の体だったころ、よくあった話だ。

 かつて10メートルが発生原因だったそれが、800メートルにまで伸びた。めちゃくちゃ嬉しいことだ。

 人間からすれば余裕で中長距離走に分類されるその距離を、わたしはウマ娘にとっての最短距離で駆け抜けることができた。

 とても、楽しかった。

 

 そしてそれ以上にも、意味はあった。

 いろいろな要素が、この一つのレースにはあった。

 

 レースの女神のいたずらか。

 

『彼女たちの未来のレースの結果は、誰にもわからない』

 

 それがこんな普通の模擬レース、それにわたしの例にも当てはまるだなんて。

 結果は、その勝利だけじゃない。より多くの結果が、レースによって残される。

 きっとそうなのだろう。

 なにかしらのイベントが、レースにはついてしかるべきなのかもしれない。

 

「はあ……っ」

 

 ぐぐーっ、と体を大きく伸ばしてみる。

 全身の筋が軽い悲鳴を上げる。それが、すこし心地いい。

 

「ふうっ」

 

 体を戻すと、一気にそれらが弛緩して、じんわりとした心地よさを生み出してくれる。

 

 何とも言えない。言葉に、うまくできない。

 いろんな意味がある。それがレース、ウマ娘たちのレース。

 

 この体になった。それには大きな意味がある。

 このレースを走ったことで、そう、確信できた。

ウマ娘やトレーナーのステータス的なものは必要ですか?

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