もしもトレーナーがウマ娘になったら   作:ケンタ〜

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第二十一話 夢

「おーい理沙、土曜トレ行くぞー?」

「…………」

「おい? おーい、大丈夫か?」

「…………」

「おい、なんかしゃべれよ」

「…………」

「おい、なんだよ。腕持ってあげないと立てないのか? ほら、はやく」

「なあああああああああああああああ!!!」

「うおっびっくしりたぁ!?」

「いだあああああああああああああい!!!!」

「なにどうしたいきなり!?」

 

 痛い、痛い、痛い……! 体中が痛い……!

 ものすごく痛い、びっくりするほど痛い……!

 体中の神経がぶっ飛ぶくらい痛い………!!!!

 

「いだいいだいいだいいいだいいいだいーーーーーー!!」

「わっ、わかったからおい落ち着けって理沙!」

「いだいっ……!」

 

 ぱたり、と暴れる四肢をベッドの上に放り出す。

 

「……今日の勤務、無理か?」

 

 友人がうかがうように聞いてきた。

 

「ごめん理沙、みんなのことはよろしく」

「いきなり冷静になんなよ」

 

 あ、どうもみなさんおはようございます、利根田理沙です。

 この度わたくし、重度の筋肉痛と相成る形になりました。

 見通しの甘さをお詫び申し上げると同時に、体中が痛すぎるので誰か介護してください。

 

「……お前いっつもこんなだな」

「今に始まったことじゃないでしょ」

「ウマ娘の体になってもこうだとは思わんだろ」

「それはそう」

 

 関節の節々が痛い……筋のあらゆるところが痛い……もちろん筋肉全部痛い……。

 

「てかほんとに、起きれない……腹筋が……」

「さっき存分暴れてただろ」

「あれで全部気力使い切った」

「いったんひっぱたいていい?」

「どうか命だけは」

「……割とシャレにならないのやめてもらっていいかな」

 

 ていうかやり取りしてるだけでももう肺周りが痛い。

 これじゃただの横になった木偶の坊だ。今誰かに襲われたら余裕で終われる。

 

「こんな調子だとお前、勤務態度に問題ありとか言われない?」

「それは……うん、めっちゃ思ってる。いやでも、わたしを採用した上ではわかってるとは思ってると思うんだけど、たぶん、おそらく」

「言いきれよ……。まあ、あの理事長さんなら別に気にしなさそうだけど」

 

 ふう、と友人根岸がため息。

 

「じゃあ私行くけど、どう?」

「どう、って」

「なんかしといたほうがいいことある?」

「この痛みを消し去って」

「それ以外で頼む」

 

 友人が即答してくる。

 

「体を起こしてそこのミニちゃぶ台をベッドの上に置いてそこに冷蔵庫にあるペットボトルと作り置きタッパーと食器を置いてテレビをつけてほしい」

「……」

 

 根岸の目がものすごく細まった。

 ……めっちゃ慈しんでくる目だった。

 

「やめて、悲しくなる」

「……マジで限界なんだな」

「なんなら入院したい」

「帰ったら行くか、割とマジで」

「うん、ほんとに。筋肉痛だけだと思うけど」

 

 友人根岸がミニちゃぶ台を私の膝の上にかぶせるように置いて、それから冷蔵庫へと向かう。

 扉を開きながら、わたしに言ってくる。

 

「根拠は何だよ、その謎の展望の」

「今まで何回か死にかけてるから、経験則」

「あっちゃいけないだろそんな経験則は……」

 

 どんっ、と一リットルのペットボトルと、ひんやりした作り置きタッパーが身にちゃぶ台の上に置かれた。

 これで即席病室メシの出来上がり。わたしレベルになると自分の部屋で病室を再現できるようになる。ただし他力本願で。なんだこの空しい特技。

 最後に上体を起こしてもらい、ベッドの縁の部分に背をもたれかからせて、上体を固定する。

 

「ありがと、安里」

「………」

「どうしたの?」

 

 友人根岸がこっちをじっと見てくる。

 

「それ、ペットボトル無理じゃね?」

「あほんとだ、無理」

 

 とても持ち上げられそうにない、今の身体状況じゃ。

 

「もうちょっと悩めよ……」

 

 そんなわけでキッチンからコップを持ってきてもらった。それでいくらか注いでもらう。

 

 一応腕を伸ばしてコップを手にし、口に運び、飲むことには成功した。

 

「……あのさぁ、理沙」

 

 友人がうかがうように話しかけてくる。

 

「ん、なに?」

「最近姉さんの子供が二つになったっていうから、見に行ったんだけどさ」

「え、なにいきなり?」

「その子がコップで危なっかしく水飲むときの光景思い出したよ」

「…………そんなひどかった?」

 

 友人は無慈悲にうなずいた。

 

「すごすぎて泣きたくなる。なんなら今日一日介護していい? 一人にしてたら死にそうだわ」

「いや、それは駄目だよ。みんなのこともあるし。あ、そうだ最後にカーテン開けていってもらえる? 暗いと精神やられるから」

「今は精神やられてない判定なん? 外面見たらよぼよぼのおばあちゃんレベルだぞお前」

 

 と言いつつも、友人根岸はしゃっとカーテンを開け放ってくれた。

 どうやらそれなりに快晴のようだ。

 

「うん、ありがとう」

「……じゃあ、行くけど……ほんとにマジで、大丈夫なんだな?」

 

 最後にテレビの電源を入れて、友人根岸は言う。

 やっていたのは朝のテレビ番組だ。

 リモコンはわたしのベッドの上に置いてくれた。

 

「うん、大丈夫だって。なんかあったら電話するから。ほら、電話は枕元にあるし」

「……わかった。じゃ」

「うん、本当にありがとね」

 

 という感じで、友人根岸はわたしの部屋を後にした。

 なんていい友人だ。毎朝尋ねてくれる上に介護までしてくれる。

 彼女がいないとわたしは生きていける気がしない。

 ……これが比喩じゃないことってホントにあるんだなぁ……。

 

 まあ、とりあえずテレビ番組でも見るか、と。

 えーと何々、今日のトピックは……。

 

『先日、中央トレセンに移籍した話題のウマ娘が、異例の速度で重賞初勝利をあげました。なんと、これが中央での初めてのレースなんだそうです。そこで、今回は――――』

 

 へぇー、移籍したウマ娘がいきなり重賞かぁ。すごいな、珍しい。

 ここ数日どたばたしてたから(控えめな表現)なんにも情報入ってこなかったな。トレーナーとして情報収集はしっかりしないと。

 あ、この顔、どこかで見たような……ああ、あの時学食で見た葦毛の娘か。へぇ、やっぱりすごいんだなぁ。食べる量がすごいとこうもなるのかなぁ。

 

 おなか減ってきたな。わたしも食べるか……。

 

「うわっ」

 

 タッパーひえっひえ……まあそりゃそうか。レンジでチンくらいしてもらったらよかったかな。

 まあ作り置きおじやだし別に少しくらい冷たくてもいいか。

 スプーンを手にして、

 

 じゃりっ

 

 うわ今じゃりって言った。

 まあともかくお味は。

 うん、おいしくない。

 やっぱりすこし放っておこう。もうちょっとだけテレビ見てよう。

 

『クラシック三冠挑戦を表明したフジキセキですが、現在はどのような同行なのでしょうか。ということで、今回は我々取材陣は、トレセン学園においてのトレーニングを取材――――』

 

 あ、こんなことしてたんだ。

 何々、フジキセキ、他チームと合同トレーニングを開始……。あ、これうちのチームのことか。

 あ、でも結構前の取材内容だな……。ま、そりゃそうか。そんなに簡単に取材陣がトレセン出入りしてもらっちゃ困るし。

 

『先日、トレセン学園の合格発表が行われました。新たな希望の星たちが今年も生まれようとしています。トレセン学園の合格倍率は今年も高水準を記録しており、年々の人口減少傾向にも関わらず、多くの希望を胸にしたウマ娘たちがその門戸を――――』

 

 その背後で合格発表当日の映像が流れ始めた。

 そういえば今日びインターネットじゃなくて古風な現地合格発表してるんだこの学園……。まあ古き良き文化だけど。

 ん、今めっちゃジャンプして喜んだ娘、いい脚してるな……周りにいる娘もなかなか。たぶんフリースタイルかどこかで走ってたなこれ。合格したってことはお目にかかることもあるんだろうな。

 

『皐月賞も残り二週間を切りました。フジキセキをはじめとした注目バたちが――――』

 

 なんか、レースの話しかないな。

 クラシック三冠開始直前の時期だから、こぞって話を盛り上げたい時期なんだろうか。

 

 画角が切り替わって、ニュースは有識者っぽいおじさんを映して何やら話し始める。

 

『もちろん主役はフジキセキで間違いないでしょうね。ほかにも二つのトライアルレースにおいて好成績を残した娘たちも注目ですよ。まずはスプリングステークスにおいてものすごいパワーある走りを見せたアウレリア――――』

 

 むっ……! うちのこだ!

 

『この子は力強い走りを見せてくれます。バ群をものともせず突き進んでいくんですね、ある意味一番レースに強い娘、ということもできそうです。ただ、まだ2000メートルには挑戦したことがないというのが心配ではありますね』

 

 うんうん、わかってんじゃんこのおじさん。

 

『ほかにも、このアインラーベルという娘』

 

 おっ、アインちゃん。

 この写真はわかばステークス勝った時にとられた写真か。いいじゃん写真写り。

 

『とてもしなやかな走りをするウマ娘ですね。わかばステークスにおいては、とても良い脚をみせて勝ってくれました』

 

 うんうん、その通り。いい脚なんだよアインちゃんは……。

 細くもない太くもない、最適型のコンパクト軽量カーなのよアインちゃんは。

 しなやかさを保ちながらのトレーニング。これがまた難しいけど、おかげでわかばステークスを勝てたんですよ。

 

『実力は申し分ないです。どこまでフジキセキに迫れる(・・・)か期待ですね』

 

 ……やっぱりそうなるのか。

 自分の耳がピクリと動いたことに気が付いてしまった。

 カメラが切り替わり、ニュースキャスターの女性に戻る。

 

『そこで今回は、それらを振り切る(・・・・・・・・)フジキセキの強さがどこから来ているのか、分析してみようと思います』

 

 キャスターの後ろの大きなモニターに、フジキセキの全身像が映った。

 そして、キャスターがその解説を始める。

 

『多段式ロケットともいわれるフジキセキの走りですが、その強さの秘訣は――――』

 

 ……やっぱり、フジキセキなんだな。

 戦績は変わらない、というか同じくらいと言ってもいい。

 でも、その中で、人々の認識には差がある。

 その変わらない戦績だからこそ、だろうか。

 走りの質、いやそれを超えた何かがフジキセキにはあり、人はそれに魅せられている。それは知っている。まるで、ターフの上でパフォーマンスをしているかのような。

 たった一人で魅せてしまう、レースという概念をぶち壊してしまうほどの圧倒的一着勝ち(主人公)

 すべてのウマ娘は、彼女が勝つための舞台装置に過ぎない、というような。

 

 圧倒的だ。もう言い飽きたぐらいだ。

 

『――――この脚の部分の爆発力が、フジキセキのあの走りにつながっていると考えられます。もちろん、それを支える体力も――――』

 

 全部知っている。そのことは。

 すべては知っている。フジキセキの走り方、レースの進め方、どこが強くて、どこが活かされているのか。もう飽きるほど分析して、そして観察してきた。

 

『――――そして、見逃されがちですが、どんなレースにおいても動じない精神力も目立ちます。このレース映像においても、彼女がレースにおいて全く動揺していないことが読み取れるでしょう。この強みが、ほかのウマ娘にはないところです。さらに――――』

 

 それも、知っている。

 

『さらに、この――――』

 

 なにも新しいことはない。すべてわたしは知っている。

 誰に言われるまでもなく、わたしたちが彼女に勝つために、積み上げる中で知ったこと。

 分析などしつくしている。仮にも同じチームにいるのだから。

 

 どこが弱くどこを突けるのか。どこを突くべきでどこが突かれやすいのか。

 そんなことはすべて知っている。

 そのうえで総じて言ってしまおう。

 彼女は圧倒的だ。

 

 でもそんなこと――――とっくに知ってるんだよこっちは。

 それで、勝とうとしてるんだ。

 それでも、勝とうとしてるんだ。

 何があっても、勝とうとしなきゃいけない。

 それがトレーナーなんだよ。

 

 アインちゃんだって負けたしアウちゃんも負けた。それでついでにわたしも負けた。

 でも、その中でいろんなことを探しつくして、勝とうとしているんだ。

 

 軽々しく言うな、圧倒的だとか、強いだとか、誰が勝てるのかだとか、なんだとか。

 そんなことはこっちが一番知っている。

 どこが、どこが、どこが。

 あらゆるところを観察して、どこが理由か発見して、そのうえで圧倒的だと知っている。

 

 だから、挑むんだ。だから戦うんだ。だからレースをするんだ。

 勝てるかてないだなんて問題じゃない。

 負けたらどうしようなんて誰も考えていない。ましてや誰が勝てるのかなんて、考えることなどあってはいけない。

 わたしが、わたしたちが勝つ。

 そう思って、そのうえで、どう勝つかを考えているんだ。

 

『――――それでは、次は――――』

 

 レースの話が終わった。

 自分の中の興味が急速に冷めていくのを感じた。

 そこで、自分がかなり強く手を握り締めていたのに気が付いた。

 結構、熱くなっちゃったな。

 

「ふう……」

 

 体の力を抜いて、体重をベッドの縁にあずける。

 

 あう……これだけで筋肉痛がギシリと痛む。

 

 フジキセキ……。

 まるで目の敵、みたいに考えてしまった。

 これじゃだめだ。あくまでレース場の敵であって、それ以外ではチームメイトだ。

 にしても、初めてだ。

 これだけのライバルが教え子にできるとは。

 まだわたしもトレーナーになって五年経っていない。まだ浅すぎるのだろう。これからいろいろと、もっとたくさんのことが待っているんだろうか。

 

 おじや、食べるか……。

 

 スプーンを手に取りおじやをすくって、口にする。

 ぬるい。けどさっきよりはマシだ。おいしい。

 

「ん……」

 

 ぱくぱくと食べていくうちに、たった五口くらいで全部食べ終わってしまった。

 この体になってからというもの、燃費がすこぶる悪い。トレーナー用の食堂が食べ放題じゃなかったら今更財布が壊滅的なことになっている。

 

 この作り置き作った時、ウマ娘じゃなかったときと全く同じ感覚で作っちゃってたから、全然量が足りてない。

 

「…………うーん」

 

 からだ動かないしどうしようか……。

 

 ぐぎゅるるるるる……。

 

 ダメだ、おなかが減りまくっている。

 食べなきゃかなりやばい。そう確信できる。

 こんな、運動している常人ならばそもそも物足りないであろうおじやタッパーひとつで、この800メートル走った後のウマ娘ボディを満たせるとは当分考えられない。

 動かなかったらもしかしたら飢餓で終われる可能性がある。

 なんとか動かなければ、わたし。

 

 ベッドに手をついて、体を――――

 

「ふぐっ!」

 

 ピシィ――――ッ

 

 そんな効果音がきっと空に躍り出た気がする。腕が死ぬほど傷んで動かなくなった。

 

 ちょっと、おかしいじゃん……腕だよ? 別にそんなに使ってないじゃん……。

 なら、脚……。

 

 ギシィッ!

 

「グッ……!」

 

 いっ、痛い……!

 こ、これは……。いや、でも、脚のほうならなんとか……!

 

 ベッドの上のミニちゃぶ台の下に入っている脚を、何とか抜かねば……。

 

「ッッッ……!」

 

 腹筋っ……! どうなってんだこの体……! 筋肉痛の八方ふさがり! 四面そか!

 筋肉痛があるのは健康な証拠なんだろうけど、ウマ娘の体っていうならもうちょっとサービスしてよ……! だれがこんな体にしたか知らないけどさぁ……!

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 な、なんとか脚を地面につけた。

 

 よ、よし……ゆっくり、そのままゆっくり……。

 

 立っ、た……!

 

「ふぐおっ……!」

 

 あ、脚が震える……! やばいめっちゃ震える! 冗談じゃないくらい!

 う、生まれたての小鹿みたいになってる……!

 

「く、くっ……!」

 

 うっ、うごけっ、脚ッ……! おいなんとか動けこの体……! いい年した大人でしょ……!

 う、動いてはいるが……テレビのすぐ横の冷蔵庫に行くのに何年かかるんだこの亀の歩みってくらいゆっくり……。

 し、仕方ない。ゆっくり行こう。もうどうしようもない。耐えることには慣れてるから大丈夫だ。

 ウマ娘じゃなかった頃とはまた別の痛み方だ……。あの時は体全身が全く弱弱しくて、気を抜いたら支えを失って転んでしまいそうな感覚だった。

 でも今は、全身がぎっちぎちの縄で締め付けられているような感覚だ。動かせるが、しばりつけられているような感覚。安定感はあるけど、縄の表面に細かいとげがついててそれが突き刺さりまくってる。

 

 て、首もいたいな……やっぱりレースの筋肉痛だ。あのカーブのせいで首の筋肉変にやっちゃってる。

 

 よ、よし。冷蔵庫の前まで来たぞ……。

 しゃ、しゃがめるかこれ。

 

「くっ……!」

 

 脚を曲げた瞬間に唇が「へ」の時に曲がった。

 地球の重力は強すぎる。そう思った。

 しゃがむって行為こんなにキツイの、ねえ?

 腹筋、インナーマッスル、バランス力……なんかの拷問か、これ?

 

「ふうっ!」

 

 よし……地獄の重力への格闘を経て、なんとかしゃがむことに成功した。

 

 あとは冷蔵庫を開けて、タッパーを取り出すだけ……。

 

「よかった……」

 

 中には一週間分の作り置きタッパーが置いてあった。いつでも自宅療養できるために作っておいたやつだ。ウマ娘の体になってからは必要ないかなーとが思ってたけどそんなことないようだ。これからしばらくまたお世話になります。

 とりあえず、全部食べるか……。

 両手にとりあえず二つずつ持って、タッパーで冷蔵庫の扉を閉める。

 

「ふっ……!」

 

 そして背筋と腹筋への痛みをこらえながら、立ち上がる。

 よし、あとはベッドへ……。

 

 ばんっ

 

「あっ!?」

 

 手にしていたタッパーの一つが手を逃れた。

 そして、落ちて行ってしまう。

 しまった、強く握りすぎた。

 くるくると宙を舞いながら、タッパーは重力に従って落ちていく。

 ていうかやばい、落としたらこぼれてしまうかもしれない。

 そして、とっさに手を伸ばした。その手も、タッパーでふさがれていることを失念しながら。

 

「あっ――――――」

 

 そして、全身がギシリと悲鳴を上げた。

 バランスを崩したわたしは、鈍いを音を立てながらひっくり返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……いや、まさかタッパーを落としてすっころぶとは。

 一瞬意識とんでたな……。あと何回気絶しなきゃいけないんだろう。

 

「ん……?」

 

 あれ、筋肉痛取れてる?

 体が軽い……。

 

「え?」

 

 いや待って。ここどこ?

 部屋ん中じゃない。

 

 て、いうか……。

 何、この……きらきらした、不思議空間…………!?

 

 とっさに立ち上がって、周りを見回す――――何もない。

 誰もいない。

 え、死んだ? ここ天国?

 それとも――――

 

「――――――」

 

 え、声……?

 誰、だ?

 

 振り返る――――誰もいない。

 

 なに、これ。ホラー?

 

「――――て」

「え……?」

 

 また、声が……。

 

「―――――を、――て」

「どっ、どこ?」

 

 後ろから――じゃない。

 上、違う。下? 違う。

 あちらこちらから聞こえる。でも、振り返っても誰もいない。

 

「―――――。―――――が、――――い」

「ど、どこにいるの!?」

 

 意味が分からない、恐ろしい。

 一体何が起きているの? 何もわからない。

 ただ、あちらこちらから、不鮮明な声が――――

 

「フジキセキが」

 

 えっ。

 今、フジキセキって――――

 

「フジキセキが、――――い」

「何!? なんていってるの!?」

 

 フジキセキが、なに?

 

「フジキセキが――――」

「何!? もっとはっきり言って!!」

「フジキセキが、危ない」

「――――――!!」

 

 

 

「はあっ!!」

 

 へ、部屋……!

 戻ってきた! 部屋、だ!

 間違いない。テレビ、ある。ベッド、ある。ちゃぶ台が乗ってる。

 テレビもまだ映ってる。あんまり、時間たってない。五分くらいだ。

 

 いや、それよりも、フジキセキ……!

 

「うわっ!」

 

 何、すべっ――――

 

「ぐっ!」

 

 体が床に転がった。

 すぐに原因はわかった。

 タッパーの中身がこぼれていた。

 

「っ……!」

 

 片付け、は……後で良い!

 

 まずは、外へ――――!

 

 あ、パジャマ――――いや、着替えもいい!

 

 とにかく、靴だけ履いて外へ出る。

 

 涼しい風が吹きつけてくる。いつの間に曇りだ。いや、今はそんなことどうでもいい。

 どこ、どこにいるフジキセキは。

 

 今日、今日の練習は――――思い出した、練習コースだ。今日は、ウッドチップでの坂路練習日だ。

 

 急げ……!

 

 全力で地面を蹴って駆けだす。

 途端に突風がびゅうびゅう吹き付けてくる。

 

 そんなことは気にしない。

 階段を一気に駆け下りて、玄関まで来て、トレーナー寮を飛び出す。

 

「えっ、利根田さん、どうし――――」

「ごめんなさい時間がないんです!」

 

 寮の警備員さんの横を駆け抜ける。

 パジャマ姿に驚いたのだろう。

 でも今はそれどころじゃない。

 でも、なんで?

 いや、わからない。

 ここまで今更だけどなんで自分が走っているのかわからない。

 でも、走らなきゃいけない。なぜかそう確信できる。

 

 門と校舎を横切るところに来る――――たくさんの生徒がいた。

 

「えっ、先生!? どうしたんですかそのかっこ!?」

「パジャマで全力疾走って――――」

「ていうかウマ娘――――!?」

 

 生徒たちの声が後ろに通り過ぎていく。

 恥ずかしいが、気にしている暇はない。

 

 そして、校舎を回り込む――――

 

「えっ、利根田さん!?」

「むむっ、利根田トレーナー!?」

 

 たづなさんと、秋川理事長――――

 

「ごめんなさい今フジキセキが!」

「えっ!? なにが――――」

 

 そして、校舎を回り込めば、コースが見えた。

 芝、ダート、それにウッドチップコース。

 土曜日だ。いろんなウマ娘たちが練習をしている。

 目算、五十以上はいるだろう。日曜日のターフはそれだけ混む。

 いろんなチームが、いろんなウマ娘たちがあつまり、そして練習をする。

 どこだ、どこにいる? わたしのチームホトオリは。そして、フジキセキは――――

 

「利根田さんっ、何してるんですか!?」

 

 うしろから、たづなさんが追いかけてきた。

 なんで追いつけるんだ――そう思ったのもつかの間だった。

 ぐんっ、とわたしの横に並んでくる。

 

「寝間着のままじゃないですか! いきなり何を――――」

「ごめんなさい、答えられないです!」

 

 それは事実だ。なぜか、わたしにもわからない。

 ただ、何か。何か、走らないとまずい。

 そんな予感だけが心に渦巻いている。

 わからない。でも、ただ――――

 

 見つけた! フジキセキ、ウッドチップコースの向こう。

 並んでいるのはチームのみんな――――走りだそうとしている。

 

 それを目にした瞬間焦燥が体中を駆け巡る。

 ダメだ、走っちゃ。今、走ってはいけない。

 走ってしまえば、何かがまずい。何かが大きく狂ってしまう。

 

 わたしは、大きく息を吸い込んだ。

 

「フジキセキ――――――!!」

 

 自分でもびっくりするほどの声が出た。

 思えば、ウマ娘になってから全力で声を出した。肺活量が甚大になっていた。

 

 びくり、とその肩が震えた。

 そして、こちらをとらえる。

 かなり離れていた、が、ウマ娘の耳ならば聞こえたのだろう。

 

「利根田さん!? 何を――――」

 

 たづなさんの動揺する声。

 

「いや、止めるなたづな、今は――――」

 

 それを止める理事長の声。なぜか一緒に追走してきている。

 

 それを意識の端に追いやって、わたしはフジキセキのもとへとかけていった。

 

「はあっ、はあっ、はあっ、はあ――――」

 

 そこに来てようやく自分の呼吸を自覚した。息が切れている。喉が苦しい。心臓がとんでいる――――

 

 わたしはフェンスを飛び越えた。ウッドチップに着地して、そしてまた走り始めた。

 ウッドチップが強烈に体を押し戻してくれる。

 そして、わたしはチームの群れの中に飛び込んだ。

 

「きゃあっ!?」

 

 みんなの叫び声。

 そしてわたしはブレーキをかけた。

 

「はあっ、ぜえっ、はあっ、はあっ」

 

 止まった瞬間、どっと疲労が押し寄せてきた。

 膝に手をついて肩で息をする。

 

「ふじっ、き、せき」

「せ、先生、いきなりどうしたんですか」

「あ、のね」

 

 声が、出せない。

 顔を上げる。

 目の前にはフジキセキ。

 彼女の動揺いっぱいの顔が、わたしの視界を支配していた。

 

「ごめ、いいたいことっわかる、でも、ちょっと、聞いて」

 

 かおにどっと汗が噴き出す。

 塩水が目に入って痛む。

 それをぬぐって、わたしはフジキセキの肩をつかんだ。

 

「っ!? 先せ」

 

 彼女が大きく目を見開く。でもわたしはかまわなかった。

 

「ふじ、きせき」

「っ、な、なんですか」

「はしっちゃ、だめ」

「えっ……? なん、で」

「それはっ…………」

 

 わからない。でも、なぜか――――

 その時、頭の中に何かがはじけたような感覚がした。

 なんだこれは。

 一瞬理解ができなかった。

 

 見たことのない世界だ。見たことのない生き物、見たことのない――――

 いや、これは。

 

「脚、折れてる」

「えっ?」

 

 フジキセキの高い声が響き渡った。

 

「走っちゃ、だめ。脚――――」

 

 フジキセキの顔が、ますます暗くなっていく。

 

 でもわたしは、頭に溜まったすべてを吐き出した。

 

「はあっ、フジキセキ、脚、疲労たまってる。走っちゃダメ、折れる。どこかしら、悪くなってる」

「ど、どうしてそんなこと――――」

「わかんない、いや、でも、わかる。から、ちょっと、触診、させて」

「理沙っ!」

 

 友人根岸の声。

 

 強く肩をつかまれる。痛みが走るくらいに。

 

「お前どうした!? 筋肉痛なんじゃなかったのか!? どうしてここに、しかもパジャマって」

「ごめん今、それどころじゃないっ!」

「なっ――――」

 

 理沙の顔が蒼白になった。

 そしてまた別の声が聞こえる。

 

「せ、先生っ、おかしいですよ。パジャマじゃないですか」

 

 生徒の誰かが声を上げる。

 

「な、なんでそんな状態で……ていうか、これから併走ですよ」

 

 ああ、みんながわたしを見ている。すごく、怪訝な目つきで。

 恥ずかしい、怖い、おかしいことをしている。わかっている。でも、なにか、確信がある。

 

「利根田、どうした」

 

 後ろからの、声。

 それは。

 

「タナベ、さん」

「大丈夫か。まずは離れろ、落ち着け」

 

 わたしの手が、優しく握られた。

 そして、ぐっ、と引っ張られる。

 

「っ……は、はい」

「大丈夫か」

 

 タナベさんはわたしの顔を覗き込んだ。

 

「すごい汗じゃ。アウ、タオル持ってこい、トレーナーの顔を拭け」

「は、はい」

「タナベ、さん」

 

 わたしは再び呼びかける。

 

「なんじゃ」

 

 タナベさんが低い声で、しっかりとわたしの目を見た。

 しかしわたしはその顔に向けてまくし立てた。

 

「はあ、フジキセキ、っ、診させてください。おねがいです。なんでもしますから、あとで全部説明しますから、とにかく――――」

「利根田」

「っ!」

 

 タナベさんが、がしっとわたしの両肩をつかんだ。

 その名前の呼び方は、まだわたしがサブトレーナーだったころのものだった。

 何を言われるのか――――わたしはいったん身構えた。

 しかし、実際はそうではなかった。

 タナベさんのサングラスの向こうの目は、やさしくわたしを見つめていた。

 

「わかった。大丈夫じゃ。いったん併走は中止しよう。フジキセキもいったん休ませる。だからまずは、いったんお前が休むんじゃ。よいな?」

 

 その目が、じっとわたしの目を見据えた。

 

「――――はあ、はあ、は、い」

 

 途端、わたしは自分の体から、力が抜け落ちるのを覚えた。

 

 

ウマ娘やトレーナーのステータス的なものは必要ですか?

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  • いらない
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  • そんなことより続き
  • そんなことよりプリン食べたい
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