「っ……」
気絶、していた。
音が聞こえる。
みんながそばにいる、それがすぐにわかる。
「先生! 起きた!」
エアロちゃんの声。
目を開けると、みんなの顔がわたしをのぞき込んでいるのが分かった。
みんな、いる。
どれくらい気絶していただろう。
「みんな……」
体を起こすと、周りの状況が分かる。
わたしはベンチに寝かされていた。周りでみんながわたしを中心に群がっている。
友人根岸、そしてタナベさん……少し離れたところにいる。
「先生、もう起きて大丈夫?」
「また気絶って、大丈夫ですか」
「安静にしていたほうが……」
エアロちゃん、アインちゃん、アウちゃんがわたしを心配してくれた。
「うん……大丈夫」
それは嘘ではなかった。
頭は軽いし、体もなんともない。
そういえばなぜか……筋肉痛がなくなっている。
不思議なことに、倒れたとは思えないほど体が軽い。
「先生」
その声に、わたしは顔を上げた。
そこには、フジキセキののぞき込む顔があった。
「あ、フジキセキ……」
「大丈夫ですか」
その顔には戸惑いの顔が浮かべられていた。
わたしへの心配の言葉だけではない、と感じてしまった。
それはわたしの勝手な妄想かもしれない。
「うん、大丈夫。ごめん、本当に」
わたしはベンチから脚を下ろした。
それに合わせてみんなが少し離れてくれる。
「それで、その……」
フジキセキが口ごもる。
彼女らしくなく、目をそらしてから、彼女は口を開いた。
「先ほどの、ことは……」
「うん、もちろん。そこに座ってくれるかな」
わたしはベンチからどいてから、そこを指した。
そして、友人根岸と、並んでいるタナベさんのほうを見る。
友人根岸は、どこか煮え切らない表情をして、複雑な感情を見せながら私を見ていた。
タナベさんのほうはわからない。サングラスの下の目はどのような表情を見せているのだろうか。ともかく、口元はいつものタナベさんだった。
何も言ってこないし、何もしてこない。
好きにやれ、ということだろうか。
「これで、いいですか」
フジキセキはベンチに脚を下ろして、靴を脱いだ。
彼女の白い肌が白日の下にさらされる。
「うん、ありがとう」
わたしはその足元にかがみこんだ。
そして、その脚を見る。
とてもきれいな脚だ。
本当に無駄がない。つくべき筋肉があり、無駄なものはそこには一切ない。
かかとからきれいに下腿三頭筋がのびて、そこから美しい曲線を描いてふとももへと合流し、強く頑丈で、それでいてしなやかなそれが体操着の半ズボンの中へと吸い込まれている。
何にも不調は見られない。目でわかるゆがみなどはない。
「根岸トレーナー、ちょっといいかな」
わたしは友人をよんだ。
すると、腕を組んでいた彼女は眉を吊り上げる。
「……なんだ」
「消毒液持くれる? 手消毒したいから」
「おう」
少し離れたところから駆け寄ってきながら、友人根岸は懐から消毒液を取り出した。
「はいよ」
それを私の手に吹きかけてくれる。
「ありがとう」
手を揉んで消毒をして、わたしはフジキセキの脚にとりかかった。
「失礼します」
「……はい」
彼女の右脚に触れる。
まずは脚の先から見ていこう。
彼女の指に、わたしは触れた。
「っ……」
フジキセキが息を詰まらせる。
その表情を見て、わたしは聞いた。
「痛い?」
「い、いや、その……くすぐったくて」
「ごめん、ちょっと我慢してね」
足の隅々を、手で触れて確認していく。
指の関節は問題ない。土踏まず付近にも異常は見られない。痙攣などはもちろんなし。
次は足首。
「回すね」
つま先を手にして、ゆっくりと足首を回していく。
「どう?」
「いや、特には……」
「そう」
ならば足首の関節は問題ない。
次は脚と足をつなぐ腱を見る。
ゆっくりと曲げ伸ばしをしたり、要所を押してみたり、軽くなでてみたり、いろいろな角度から手の感覚とフジキセキの触覚を頼りに診断していく。
「右脚は問題ないです」
それが結論だった。少なくとも膝から下には何もない。
太ももから上は後で取り掛かることにする。よりプライベートな場所だから。
「じゃあ、次は左ね」
同じように、足のつま先から、上のほうへと。
すこしずつ、すこしずつ。
考えられる脚の怪我の症状を、大学で学んだすべての知識を引っ張り出して、どこを押せばいいのか、どうだったら怪我なのか、どのような怪我なのか、それとも異常なのか、判断する。
脛上部……よし。脛中部……痛みなし。下部……異常なし。
じゃあ、次、脚部裏……。
「ッ!」
「――――!」
わたしはとっさに顔を上げた。
フジキセキ。彼女の眉を寄せる顔が、そこにはあった。
どよめきが上がる。
とくに、友人根岸とタナベさんの息をのむ声が。
「フジキセキ……」
ここは……。
足と脚の筋肉を結びつける、重要な場所。
そして、ウマ娘が最もよく怪我をする場所の一つ。
腓骨筋腱炎、腓骨筋腱脱臼……。
体から血の気が引く音がした。
嘘でしょ。
「せ、先生」
後ろから、アインちゃんが話しかけてきた。
体が勝手に素早く振り返る。
彼女は口を開いた。
「ふ、フジキセキさんは、大丈夫なんですか」
低くうかがうような姿勢で彼女は聞いてくる。
ぎゅっ、と握られた手が、彼女の胸には置かれていた。
「どこか怪我、とか……」
その目が、わたしの顔をじっと見つめる。今にも泣きだしてしまいそうな、血の気の引いた顔をしながら。
顔に出てしまったのかもしれない。
いや、この場合は耳かもしれない。
わたしの耳は、不安をそのまま表すように、後ろに伏せられていた。
恨めしい。こんなときに、ウマ娘の体は言うことを聞かない。
アインは、途中できゅっと口をつぐんでしまった。
「腓骨筋腱、です」
ざわり、とどよめきが広がった。
知っている子は多いはずだ。一番恐れるべき怪我、一番人生を揺らがし、一番避けるべき現象。
「しばらく、走らないほうがいいです。一度、病院で診察してもらうべきです」
わたしは地面に目を落としながら言っていた。
ぎゅ、とのどが引き締まる。
次に来るべき言葉をわたしは知っていた。
「じゃあ……」
それはアウちゃんの声だった。
「皐月、賞は……」
もう見ずともわかる。
口をつぐみ、不安に心臓を高鳴らせている。
そして、わたしのすぐそばのフジキセキ。
彼女が一体、どんな表情をしているか。
途端、わたしは自らの耳を引きちってやりたい衝動に襲われた。
トレーナーという立場のくせに、表に出す感情すら制御できない。
何のためにこの体になったのか。そんな疑問が心底から湧いてきた。
「わっ…………」
声が震えた。
自分で言い出そうとしたことが喉でつっかえて、言い出せなかった。
くそ。動け、この体。
せっかく健康になったんだろうが。声ぐらい出せなくてどうするんだ。
なったのなら、せめて役目ぐらいは果たせ。
「わかり、ません。まだ、あと、三週間、あります」
心臓が高鳴る。鼓動が早まる。
どくどく、と血流があたまを叩く。
「あっ、あんせいにしていれば、間に合うっ、かも、しれません」
呼吸が荒い。手が震える。視界が勝手に狭まっていく。
ふらふらする。体中がぴりぴりする。
ぐらぐらと、視界が揺らぐ感覚すら覚えた。
生まれて初めて経験する。
いくら優秀でも、いくら主席卒業のトレーナーでも。
絶対的に足りない、経験の差によって生まれるもの。
「だっ、だから、今ははやく、……っ、びょういん、へ。診察、して、もらいましょう」
どうしようも、できない。
「っ…………」
フジキセキが、ついに息を詰まらせるような音を出した。
わたしはそれを頭上の耳で受け止めた。
あのフジキセキが。
受け入れられない。
初めて自らが手掛けるウマ娘が。
それも未来へはばたくウマ娘が。有望どころじゃないウマ娘が。
こんなことで、ただのことで。
ここで膝をつかざるを得ないなんて。
受け入れられない。あってはならない。わたしが神様なら、こんなこと絶対に起こさせないのに。
「ごめん、っ、もう一回診させて」
再び彼女の脚にさわる。
ほかのところには何の異常もみられない。
しかし足の裏のくるぶし付近に触れた途端、ぴしり、と彼女の脚は痛みに震える。
ぎっ、とわたしは歯を食いしばっていた。
なんでこんな簡単なものを見つけられなかった……!?
「ッ…………!」
腹の底から、湧き上がってくる。
――――ダメだ。当事者じゃないくせに。教え子とも、思ってなかったくせに。
敵だと思ってたくせに。
いきなり飛び出してきて、こんな触診だけして、自分が気付いただけなのに。
泣くな、わたし。
まだ、終わったと決まったわけじゃないだろ。
早期発見したんだ。
治るかもしれないだろ。
あと三週間もあるんだぞ。
大丈夫かもしれないだろ。
「うあっ………」
くそっ、くそ、くそっ……。
「ごめんなさい………」
なんで、こんな、ところで。
泣くな、よぉ。
ウマ娘やトレーナーのステータス的なものは必要ですか?
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いる
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いらない
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ごかってにどーぞ
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そんなことより続き
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そんなことよりプリン食べたい