もしもトレーナーがウマ娘になったら   作:ケンタ〜

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二十三話 自分

「…………」

 

 天井を見ていた。

 ただそれをぼーっと眺めていた。

 何もなかった。

 真っ白な天井だった。

 タイルが張られた滑らかな天井。

 それが光を跳ね返して奇妙な流線形の模様を浮かばせる。

 わたしの顔も、うっすらと映っていた。

 

 何も見たくない。

 

 そう思った。

 

 何も感じたくない。

 

 心が痛くなる。

 

 でもどれだけ心を真っ白にしようとしても、この天井のようにわたしの心に映してくる。

 

 それだけでももう嫌だった。

 それだけでわたしの心はこぼれてしまうほどだった。

 それも許容できないほどに今の私はぎりぎりだった。

 

 見たくない。

 わたしを見たくない。

 何があったのか、何を感じたのか、何があって、どうなってしまったのか。

 

 ただ嫌だ。

 何があったか、過去の自分が経験したそれを思い出したくない。

 わたしをうつさないでほしい。過去のわたし、出てこないでほしい。

 もうおなかがいっぱいだ。

 これ以上は、壊れてしまう。

 

「ッ」

 

 のどを突く。

 それは腹の奥底から湧き上がった感情。

 何度も何度も吐き出して、何度も何度も飲み込もうとした。

 その感情。腹から湧き上がってくる。どうしようもない。

 

「ぅあっ」

 

 がたり、と体が揺れる。椅子にもたれかかっていたからだが震える。

 押しとめようとすると、肺が跳ね上がり、体全体が痙攣する。

 

 飲み込めない。抑えられない。背を向けられない。

 それはどうしたって。どうしても、なんとしてでも、わたしの喉から這い出ようとする。

 

「ッ……ぁ」

 

 目から熱いものがあふれてくる。

 

「ふっ……ぁっ……」

 

 それが出てきてしまった。

 そうすれば、もうわたしは止められない。

 

「うっ、あっ……ああっ……あっ……」

 

 泣きたくない。

 もう泣きたくない。

 ずっと、わたしは泣いていた。

 外ではすでに夕日が瞬いていた。

 あれから十時間近く経つ。

 

 フジキセキは病院へ行った。

 

 腓骨筋腱炎だった。

 

 致命的な怪我だった。

 クラシックを目指すウマ娘として。

 脚は、もうしばらく動かせない。

 ギプスを巻き、固定する必要があった。

 練習はできない。

 あれだけ素晴らしい走りを見せたフジキセキが。

 二週間たてば、ギプスがとれる。

 だが、それだけだ。

 走れない。

 それ以降も、脚にテーピングをし、矯正して過ごすことになる。

 

「っ………」

 

 早期発見だったから、早く治すことができる。

 お医者さんはそう言ってくれた。

 あなたのおかげだと、幸運だったと。

 

 知るか。そんなこと、知るもんか。

 関係ない。どれだけ早く治ろうが。

 間に合わなければ意味ないんだ。

 

『はやく見つけてくれた優秀なトレーナーさんのおかげです』

 

 そう、フジキセキが。

 

 そんな言葉が愚かしいほどわたしの心をかき乱した。

 優秀。優秀だって。なにが優秀なんだ。

 優秀だってどうしようもないじゃないか。

 優秀だからって何もできないじゃないか。

 

 人生を掛けた一戦。すべてを費やして目指すその一戦。

 一生をかけるべきそのたったの2000メートル。

 そんな、たった優秀(そんな)程度で、その人生を。

 

 優秀。

 

 だからなんだ。だからどうした。だから何ができるんだ。

 何も、できないじゃないか。

 

 人生を掛けたその一戦を、走らせることすらできないじゃないか。

 

「――――――――」

 

 部屋に絶叫が木霊する。

 引き絞った弦がはじけたような声がする。

 それをわたしは止められない。

 いくら叫んでも止まらない。

 

 泣きたくない。もう涙を出したくない。

 でも足りない。心の中に溜まった呪詛は、それだけでもどれだけ吐き出しても足りなかった。

 どれだけ過去を恨もうが、自分の優秀さを憎もうが、それは止まってくれなかった。

 

 どれだけ泣いても。どれだけ後悔しても。どれだけ心に映して苦しんでも。

 

 結局いくら優秀で、何をして努力して、いくら未来を望んで祈っても。

 

 たった一つの出来事()で、夢は潰えるんだ。

 

 悔しい、なぁ。

 

×

 

『フジキセキまさかの腓骨筋腱炎発症。皐月賞出走は絶望的か』

『希望の一番星フジキセキ 急遽けが 皐月賞出走は?』

『主役なしの皐月賞? フジキセキ腓骨筋腱炎』

 

「どこもかしこもフジキセキ大好きだな」

 

 まったく世の中はいつもこんな調子だこと。

 トレーナーじゃなかった頃はこんなこと全く気にもしてなかったし、まさか当事者になるとは思ってもみなかったが。

 なってみたら、こんだけ世間様のご意向がキツくなるとは。

 まあ、当事者からすれば何の悪気もないんだろうが。

 

 とりあえずこれ一個もらってっか。

 最後にきれいなお姉さんの写真乗ってんだよな。知り合いに見つかったらまずいけど。

 

「おっさん、これください」

「誰がおっさ……って安里ちゃんじゃないか。久しぶりだなぁ」

 

 目の前の背の高いおっさんが新聞紙を手にして、レジをぽちぽち会計を始める。

 その顔にはニコニコとした表情が浮かべられていた。

 傍から見ても、すぐにいい人相だとわかる。

 

「久しぶりって程でもないでしょ。この商店街よく来るし」

「いつも通り過ぎてあいさつするだけじゃぁ、おっさんさみしいよ。今日は珍しいな、それに今時新聞紙買うなんて。はい180円」

「うん。利根田がまいっちゃってるからな。会いに行く気にもならんし、とりあえず暇を潰せるものをと」

 

 がま口財布から二百円玉取り出しておっさんへ。

 それを回収してレジが会計をする。

 

「ほー、利根田って相方だったっけ。なんかあったのか? まいどあり」

「鈍いなおっさん。だから奥さんと別居なんてするんだよ」

 

 新聞をおっさんの手から奪って一言。

 おっさんは面食らったように目を見開いた。

 

「なっ、それは関係ないだろ。別に俺だってあいつを愛してるし、あいつだってまだ実家から戻って来てないだけだからな!」

「半年も?」

「ぐっ…………」

 

 いい奴なんだけどなこのおっさん。

 絶望的に気が使えないからなぁ……。

 一緒にいて気持ちのいいタイプだけどずっと一緒にいると気が滅入るヤツ。

 

「まあそのうち帰ってくるっしょ。まだ不倫とかしてないんでしょ?」

「そーーーりゃあ、もちろんっ。そんなことぁするわけないからな!」

「だろ。なら大丈夫だ。たぶんそのうち帰ってくる。そんで」

 

 とりあえず、新聞を開いて中を見る。

 ……ずっとフジキセキのことについて書いてある。くどいくらいだ。

 フジキセキを知ってるこっちからすれば、どれも目新しい情報じゃない。

 たぶん来週には記者会見あるんだろーな、たぶん。

 

「このフジキセキは一応うちのチームで面倒見てんだから」

「えっ!? そうなの!?」

「前言っただろ……フジキセキがうちのチームに入ったって」

「あれっ、そうだっけ……!? いつ言った?」

 

 やっぱ鈍いなこのおっさん。

 ずっと性格いいけど一緒にいると割とこっちが気を張る。

 

「先週話したろ。あ、そん時奥さんと電話で話した後だったな。なんかすっごい落ち込んでたけど」

「あ……そうだった……。まだ帰ってこないっていうから……。それで耳入ってなかったかも……」

「はあ……よく結婚できたねおっさん」

「そんなにおっさんおっさん言うなよぉ……。あんなにかわいかった姪っ子がこんなになっちゃって……トレーナー試験受かった時もお祝いしてやったのに……うっうっ」

 

 大の男が腕を目元に当ててウソ泣きしてると気味悪いな……。

 

あいつ(家内)が思春期だからそのうち治るって言ってたのにそのままもう二十代後半じゃん……」

「年齢は関係ないだろおい」

 

 言っててめっちゃ『お前が言うな』案件だったことに気付いた。

 さっきさんざんおっさんの年齢いじってたのに。

 

「あれ、でも、安里ちゃんも同じチームだったよね確か」

 

 急に切り替えて話始める。

 やっぱウソ泣きだったか。

 

「おーん。てか私がチーフトレーナーだよ」

「利根田さんがまいってたって言ってたけど、そういう安里ちゃんは大丈夫なの?」

「そりゃ。表に出してないだけだよ。こっからどんなことがあるかわからんしな……記者会見とかトレセンに続々やってくる迷惑記者だとか……」

「なるほどね」

 

 おっさんが『心底納得した』みたいな感じで言ってくる。

 

 ……ムカつくな。

 見透かされてる。

 

「じゃ、お菓子でも食べてく?」

 

 やっぱばれてんな。

 癪だ。逃げよ。

 

「……いや、もうガキじゃないから。オヤ……おっさんの気遣いはいらん。今日は本当に新聞買いに来ただけだ」

「ふーん、そっか。じゃあ、また」

 

 そんな感じで笑顔で言ってくる。

 相変わらずだ。変なとこには気を回してくるんだから。

 

「ん」

 

 適当に返事をして、店からはなれる。

 ……適当に商店街でも歩くか。

 

 ……んー、この商店街も、人少なくなったな。

 昔はもっとデカかったと思うんだけど……。

 

 ま、いっか。トレセンがある限りはなくなるってこととかはないだろ。

 

 コロッケでもかってくか。利根田食うかな。

 

×

 

「おーい、利根田ー、はいるぞー」

 

 ………。

 ………。

 

「おーい? いいか? 入るぞ?」

 

 ………………。

 

 返事はなし、か。

 

 合鍵合鍵っ、と。

 

 ガチャッ。

 

 よし。

 

「お邪魔しまーす」

 

 ガチャリ、と。

 

 んー、片付いてるな。

 いや、何もしてないだけか。

 

「おーい、利根田。持ってきたぞいろいろと」

 

 テレビの前のミニちゃぶ台に置いておくか。

 

 そんでそのそばにどかっと腰を下ろす。

 

 そして、後ろのベッドにもたれかかる。

 

「おーい、利根田。起きてんのか? 生きてるかーーーーー?」

 

 ……返事ねーな。

 ……この膨らみ、利根田のだよな?

 心配になってきた。虚空に向かって話しかけてたら大ごとだ。誰もいない中で一人悶絶する未来が見える。

 

 手を伸ばす。

 

 ばふっ、と手で布団をたたく。

 

 びくぅっ!

 

 布団が揺れ動いた。

 そして内側から手を弾き飛ばして来た。

 

 しっぽだ。

 いるみたいだなこれは。

 てか、いま触ったのたぶんおしりだな。

 

 それ以外の反応はなしか。

 ……マジで参っちゃってんな。

 わたしが来ても何にもしない、って。

 いつもはそれなりに迎えに来てくれるんだけど……。

 何も言わないか。

 

「そんな調子だとすぐに日曜日終わるぞ」

 

 はあ……。

 

「筋肉痛は大丈夫か?」

 

 ……返事なし。

 

「メシは食ってんのか?」

 

 …………。

 

 ここまで無視されるともうキツイな。

 

「おい、すこしぐらい話を……」

 

 急にのどに詰まった。

 

 っ、あ、やべ。

 くそっ。

 

 急に来た。

 

「っ…………」

 

 やめろ。だめだ。とまれ。

 

「ッ…………」

 

 っ………。

 

 …………。

 ………。

 …………。

 

 …………あぶね。

 

 さすがに今、利根田の前でやらかすわけにはいかん。

 慰めに来た側がこんなんでどうする。

 

「……なあ、テレビつけていい?」

 

 ……何も言わないか。

 

 リモコン、そこにおいてあるな。

 つけるか。

 

『皆さんおはようございます。お天気のお時間です。今日は午後から曇りはじめ、夜までには――――――――』

 

 あ、雨降んのか。洗濯物取り込まんと。

 

 利根田のベランダも一応見とくか。洗濯機にも干すものあるかな……。

 

 ……ここまで無視されるといっそうすがすがしいな。

 

「なあ、理沙……」

 

 聞くだけならバチはあたらんか。

 

「わたし、そんな話し相手になれないか……?」

 

 ……ダメか。

 

 なにぶん初めてだからな、こんなこと。

 理沙にこんな接し方されるのも慣れてないや。

 

 ……いや、でも、さすがに無視しすぎだろ、友達のこと。

 いやそれなりに親友だろ。だって大学から院経過してここまでずっと一緒にいるんだよ。

 

 さすがに無視はひどいだろ。

 うん、これはちょっとやりすぎだろ。

 それに、うん、これも親友としての役目だ。

 落ち込みすぎている友人をなんとかしてやらなければ。

 

 思い立ったが吉日。

 

 立ち上がる。

 

 そして、布団に手をかける。

 

 そんで、一気に……!

 

「理沙あああああああ!!! 

 

 布団を引っぺがす!!

 

「きゃあああああああああああああああ!?」

 

「起きろおお――――――――えっ!?!?」

 

 握りつぶされたみたいな声が出た。

 

 心臓が止まるかと思った。

 時間が停止したみたいに、一瞬すべてが硬直。

 そして、止まったそれをとりもどすように、口が素早く勝手に動いた。

 

「ラーベル!?」

 

 理沙じゃ、ない!?

 

「と、トレーナー、すみませんっ……!」

 

 布団の中に縮こまるラーベルが、涙目で懇願していた。

 

×

 

「利根田が逃げたぁ!?」

「はっ、はひっ、そのっ、身代わりになってくれとかでっ」

「どこ行ったあいつ!?」

「そっそれはっ、わかりませんっ」

 

 理沙の部屋の中。

 ちゃぶ台の向こうに正座するアインラーベルとわたし。

 

「ていうかあいつ、普通に規則違反だぞ。ウマ娘を本人の意思なしで無断で上げちゃだめだろ」

「いえっ、事前に申請はわたししてたんです。ついでで身代わりになりまして」

「くそっあいつこういうとこはしっかりしてんな」

 

 なんでわたしの周りはみんなこんなばっかなんだ。

 話によると、実はこの日(今日)にアインが利根田を慰めようと自室でお話しの予定立ててたらしく。

 つまりまずその時点で部屋に入る許可は寮から貰っていて規則違反じゃなく。

 それで、理沙が『根岸が来た時のために身代わりになっててくんない?』って言ったらしい。

 

「くそっ、やられたっ!」

 

 わたしは頭を抱えてちゃぶ台にうつぶせになった。

 

「ひっ」

 

 ラーベルが小さな悲鳴を上げる。

 

「いや、ラーベルに怒ってるわけじゃないから気にしないで」

「い、いや、その、いつものトレーナーと全然違うというか」

「あーもうそれはこの際いいから慣れて」

 

 もうモードの切り替え全然忘れていた。

 ていうか今日は利根田と話すモードではじめっからやってるから今更もう切り替える気分にもならない。

 

 とりあえず某有名漫画のポーズを解いて、正座状態に戻る。

 深呼吸、ひとつ。

 よし、冷静になったぞ。

 

「ラーベルちゃん、ほんとに利根田がどこ行ったか見当ない?」

「い、いえ、ほんとに……」

「……あいつ遭難とかしないだろうな?」

 

 そもそもウマ娘の体じゃなかった頃はウォーキングすら危うい身体状況だったんだ。

 ウマ娘の体になったから多少はマシになったんだろうが……ちゃんと帰ってこれるかな。大人だからちゃんとはしてんだろうけど。

 

「……まあ、とりあえず」

 

 ちゃぶ台のそばから立ち上がる。

 

「いったん出るぞ、寮から。ほら、ラーベル」

「あ、はい」

 

 わたしの手を取ってラーベルちゃんが立ち上がる。

 そのまま玄関へ。

 

 まさか教え子をおとりに使うとは……。

 利根田らしくない。それともそこまで参ってたのか。

 ていうか、マジでどこへ行ったんだろう。

 あいつ、こんなことするタイプだったんだな。

 それともウマ娘になってから行動様式が変わったとか。

 うーん、わからん。

 

「んっ?」

 

 なんだ、これ?

 

 玄関、郵便ボックスに、何か挟まってる。

 不自然な挟まり方だ。外からじゃなく、内側から挟み込まないとこうはならない。

 

 取って手にする。

 

「ど、どうしたんですか、トレーナー?」

「………なんか、変なものが……」

 

 ………。

 手紙? いや、ただのコピー用紙を半分に折り曲げただけの奴だ。

 中身は……何か書いてある。

 

「…………マジか、こいつ」

「えっ……?」

 

 ラーベルが、後ろからのぞき込んでくる。

 そしてそれを、読み上げた。

 

「ひがえりで、ちゅうきょうけいばじょうにいってきます……えっ、日帰りで中京競馬場行ったんですか!?」

 

 マジか、こいつ……。

 新幹線、乗りやがった。




利根田 実家 愛知

ウマ娘やトレーナーのステータス的なものは必要ですか?

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  • いらない
  • ごかってにどーぞ
  • そんなことより続き
  • そんなことよりプリン食べたい
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