「はーい、しっかりしっかり! そこ、甘くなってるよ! しっかり背筋伸ばして骨盤に乗せるように意識して!」
「は~い」
「はいそこ! ルボちゃん! 地面しっかり蹴って! 最後までふんばりきれてないよ!」
「はぁぁ~い……」
「はいそこそこ! アウちゃん膝意識して膝! 体に負担かかっちゃってるよ!」
「はい! わかりました!」
太陽が傾いた午後の練習場。
たくさんのウマ娘たちが、ターフの上で走りの練習をしていた。
これはいつも最初のほうにやる、フォームの矯正だ。どんなにまじめな子でも、フォームは直さなければ、少しずつズレてしまう。
フォームは走るうちでも最も大事な要素の一つだ。
走りの質に直結し、そしてなにより、体の負荷に大きくかかわってくる。
ウマ娘は走るとき、人間とは比べ物にならないほどの負荷がかかっている。
いくらウマ娘が走るための体を持っているとはいえ。そこには限界がある。
車にたとえてみればいい。最高で百二十キロを出せるように設計されている一般車でも、実際にその速度を出し続けたらどうなるか。
もっとわかりやすく言えば、人間もそうだ。日常の中で、人間は全力で走ることなんてほとんどないだろう。
実際にそう走れるように設計されていたとしても、それがデフォルトというわけではない。つまり、本気で走るという事は、限界ギリギリを出しているという事。
常に限界ギリギリで加速しているF1レースを見てみればわかるだろう。タイヤはたったの一レースの中ですら摩耗して、取り換える必要がある。
なにより、車はいくらでも替えが聞くが、ウマ娘はそうではない。彼女たちの体は既製品ではなく、いつだってそれひとつしかない。
だから練習を始める前に、まずはフォームの矯正から入る。不調があればすぐにそれを見つけ、そうでなければ緩んでいるネジを見つけ、しめる。足りない
たっぷり三十分かけて、それをやる。
なぜそれだけの時間をかけるかというと、疲れてから初めて発覚することもあるからだ。
疲れて程よく力が抜けてきてから、見えることもある。
「はーい終わり! 三十分、おつかれさま!」
「おわったぁ〜〜〜!!!」
「やったぁ〜〜!」
「今日もやりきった〜〜〜〜!!」
その言葉に地面にへたり込もうとするウマ娘たち。
「ハイストップストップ! 急に止まらない! 心臓がびっくりするよ!」
「うぇ〜〜」
「つらい〜〜〜〜」
「やだ〜〜〜〜」
そういいながら、みんなへろへろと、ターフの上を歩き始める。
三分間のウォーキングが終わると、ちょうどわたしの後ろで音がした。
がしゃり、と重い音が。
ちらりとそれを顔だけ向けて確認して、わたしは声を上げ――――ようとしたところで、筋肉痛であることを思い出して、少し加減をして声を出した。
「はーい! きゅうけーーーい! お水取りに来て〜〜〜!」
わー、はやくよこせー! あっちょわたしがさきーーー!!
というふうに、ウマ娘たちが駆け寄ってくる。
ターフからあがり、コンクリートの上に置かれたクーラーボックスのなかに入っているスポーツドリンクやお茶を、素早い手つきで取っていく。
パキッ ぷしゅっ ごくごくぷはー!
「あんまり急に飲むとお腹壊すよ〜〜〜!」
「だっであづいんだも〜〜〜ん!!」
一人のウマ娘がしゃがれた声を上げる。
「毎回三十分のランニングはきついですって〜〜!」
また別のウマ娘が抗議する。
「でも、最初と比べたら楽になったでしょ?」
「きついです〜〜〜!」
そんな感じに弱音を言うウマ娘たち。
それを横目にわたしは抱えていたボードに目を移した。
そこに挟まれている紙には、ウマ娘たちの、ランニングのラップタイムがずらりと書かれてあった。
「おつかれ、利根田トレーナー」
ポン、とわたしの肩に手が置かれる。
その手は少しひんやりとしていた。
「うん、ありがとう」
振り返ると、友人根岸の顔がそこにはあった。
飲料水を用意してくれた手はちょっぴり濡れていて、重いものを持ったからか、少し息が切れていた。
「どうだ、この子たちのタイムは」
自分の疲労はお構いなく、わたしの手の中のボードを覗き込む。
わたしはうなずいて答えた。
「順調すぎるほどだよ。どんどん速くなってる。三十分で走れる距離がものすごく伸びてる」
「ふむ、フォームの矯正を徹底的にやった甲斐があったな。体力面の向上によるものも大きいだろうが、どうだろう?」
「うん、フォームに違和感はないよ。びっくりするほど順調に距離が伸びてる。ほかのチームのデータとも比較してみたんだけど、やっぱりフォームを改善するのとそうでないのとだと、走力の伸びがぜんぜん違う」
「個人差があるが、十二人もいるとなると、このデータは正しいと思ってよさそうだな」
「そうだね。貴重なデータが取れた」
わたしは、紙の端に今日の日付と時間と、『収集継続』の文字を書いた。あとでこの紙はファイリングして、貴重な情報源として保存する。
「せんせー、休憩時間あとどれくらいすか?」
新し紙をボードにセットしていると、一人のウマ娘が聞いてくる。
「あと十分だよ」
「うぇ~、きっつ~!」
そう言って、その子がペットボトルに口をつける。
「しかし気になるな、この子たちの疲労状態は大丈夫だろうか。普段の休息では取れない疲労がたまっている可能性もある」
友人根岸が顎をさすりながら、そう考える。
トレーナーモードの彼女の顔は、真剣だった。
「一回触診をしてみてもいいかもしれないね」
しゃべりながら、わたしは新しくセットした紙に、今日の日付など、必要な情報を書いていく。
「そうだな。マッサージはいつもやっているが、触診となるとまた違う事が得られるかもしれない」
友人はしゃがみ込んで、クーラーボックスからお茶を取り出した。
「ほら、飲んで」
「あ、ありがとう。でも、汗かいてないから大丈夫」
「乾燥してるから、飲んで」
パキパキ、と蓋を開け始める。
「ほら、利根田トレーナー」
トレーナーモードの彼女は、わたしのことをそうやって呼んでくる。
「わかったよ。ありがとう」
受け取って、ひとくち口にする。
意外と喉が渇いていたのか、かなりごくごく飲めた。
「ふうっ」
飲み終わってそれをコンクリートの上に置く。
わたしは再びボードの紙に書き込みを始めた。
「よしっ」
情報を一通り書き終わる。
次は――――
「おぉ、もう練習始まっとるのか」
後ろから、男性の声がした。
振り返ると、そこにはレザーの上着に身を包んだ、チョビ髭長白髪サングラスの、巨漢の人がいた。
その上着の左胸に、古く変色したトレーナーバッヂがついている。
この人は――――
「タナベさん」
わたしはその名前を呼んだ。
すると、その人は片手でひらひらと手を振る。
「じゃまするぞ、利根田トレーナー」
わたしはとっさに頭を下げた。
「お疲れ様ですっ、タナベさん」
「いい、いい。頭を上げてくれ。それなりの付き合いじゃろ」
「たっ、タナベさん!?」
友人根岸が、驚いてその人を見ていた。
「どっ、どうしてここに!?」
「なに、ちょっと訪ねてみようと思っただけじゃ。自分が設立に携わったチームの様子をな。どうじゃ、最近は?」
「そっ、それは、おかげさまで順調に……!」
「どうやらそのようじゃな。さっきの走りも遠目にみさせてもらったが、去年と見違えるようじゃの」
「た、タナベさんにそう言ってもらえるなんて、光栄です……!」
ぺこぺこと頭を下げる彼女の様子を見て、タナベさんが軽く笑う。
友人根岸が、これほどまでに緊張する相手なんて、この人か、理事長くらいしかいない。
この人は、それだけすごい人なのだ。
タナベトレーナー、といえば、ここでは知らない人はいない。
ベテランもベテラン、超ベテランのトレーナー。
その貫禄や、使い古したトレーナーバッヂからもわかる。
そしてこの人は――――
「フジキセキのレースが終わって、久々に暇ができたもんでな」
あのフジキセキを育てた、トレーナーでもある。
四戦四勝、二冠目前の、今最も来ているウマ娘。彼女を育てたその人が、ここに来ていた。
「先日のレース、わたし、現地で拝見させていただきました」
「ほう、わざわざ千葉まで行ったのか」
フジキセキが優勝した弥生賞は、中山競馬場において開催された。そして、その中山競馬場は千葉にある。
「はい。これは見なければいけないものだと」
「ほう、それで、利根田トレーナーの目からみてどうだった?」
「――圧倒的、の一言でした。それは、強さもそうですが、精神的な面で、特に」
「ほう!」
タナベさんが、驚きに目を見開いた。
「ウチのフジキセキの強みを分かってくれるのか。あの最後の直線の中で、フジキセキだけが、周りと自分の走りとを、冷静に見とった。そして、一気に場を支配して、一気にさらっていきおった。あれはもう、最高の走りとしか言いようがない。そうは思わんかの、利根田トレーナー」
「はい、まさに、その通りです。あの冷静さと場の支配力は、まさに彼女の抜きん出て並ぶものがない、素晴らしい武器だと思います」
「ほほう、いい目をしとるな、利根田トレーナー」
くしゃり、とタナベさんは顔をゆがませた。
タナベさんが、どれほどフジキセキが好きで、彼女に愛情を注ぎ、育て上げたのかがわかる。
そしてそのタナベさんの愛情が、昨日のレースに如実に表れているのだ。
「それでな、そんな利根田トレーナーに頼みがあるんじゃ」
「はい、なんでしょう?」
笑顔のまま、タナベトレーナーはわたしに言ってくる。
この人の頼みなら、断れるわけがない。というか、どんな頼みでも断るつもりはない。
「うちのフジキセキを、このチームで見てくれんか?」
「へっ……?」
わたしの顎が落ちた。
ウマ娘やトレーナーのステータス的なものは必要ですか?
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いる
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いらない
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ごかってにどーぞ
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そんなことより続き
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そんなことよりプリン食べたい