「おーい、ゼウ! 体の向きが内ラチ側に縒れとる! もっと重心をしっかり意識するんじゃ!」
「はっ、はいっ!!」
フジキセキとタナベトレーナーを交えたトレーニングがはじまった。
いつもと同じ、フォーム矯正の三十分ランニングだ。
「さすがタナベトレーナー。あれだけ離れたところからでも、しっかり見定めて指導をしている」
「うん、すごいよね。わたしたちじゃ、足元にも及ばない」
「アウ! 走りやすいバ場をしっかり見極めるんじゃ! ずっしりした走りができるのはいいことじゃが、無理に走るでない!!」
「はいっ、わかりましたっ!」
「あれだけしっかりと、目ざとく指導されると、やることがなくなるな」
「うん。チーム設立当時に戻ったみたいだね」
仮設ゴールの前を、ウマ娘たちがびゅんびゅんと通っていく。
その時間を、ゴール横のタイマーを見てボードに書き込んでいく。
うちに所属しているウマ娘の数は十二人。その子たちが絶え間なく、ゴールを通過していく。
一瞬でも目を離せない。この三十分は、ウマ娘たちだけではなく、わたしにとっても気を使う時間だ。
ウマ娘は、そのかるいランニングでも、一般道で走っている乗用車を超える。文字通り、風を切って走っていく。
ゴールを通過するのはほんの一瞬。その時間を、一秒単位で記入する。
――――今。
今通ったのはルボちゃんか。また少し早くなったな――――と考えつつ、すぐに書き込む。
そして顔を上げれば、またすぐに別の娘が。
休みがない。腕の中のボードと、ターフの向こう側のタイマーを絶え間なく交互に見るから、眼球運動にはいいかもしれない。
ちら、とボードの一番下側を見る。
そこには、タイムが段違いのウマ娘がいた。
一人だけ、ものすごく抜きん出ている。冗談のように。
言っておくと、これは、ウォーミングアップとフォームチェックを兼ねた、ランニングだ。
みんなのタイムが伸びている、というのも、わたしが意識してやらせているわけではない。いつものトレーニングによって結果的に、伸びているだけ。
しかし、これではまるで……。
そこにある名前は、『フジキセキ』
「おさきに失礼するよ」
「っ――――はやっ、フジ先輩――!」
うちのウマ娘の隣を、颯爽と通り抜けていった。
倍、とまではいわない。しかし、1.5倍くらいはあるかもしれない。
すこし全力を出している、などというわけではないのはわかる。
なぜならば、その速度で、ランニングのフォームを崩していないからだ。そして、それでいて、周りの娘よりも、涼し気な顔で走って見せている。
――次元が違う。
うちにも皐月賞に出場できるような子はいるのに、こうもレベルが違うのか。
「――タナベトレーナーも人が悪い。ただでフジキセキとトレーニングできるなんて、甘い話はないみたいだな」
友人根岸が、後ろで愚痴るように言った。
「うん……ランニングフォームも、完璧に近い。そりゃ、長い間タナベさんの下で走ってきたんだから、こうもなるよね」
「私たちも、まだまだ未熟だな。何が天才女性トレーナーだ。周りの評価なんて、そんなものだな」
トレーナーになってたった数年で、このチーム『ホトオリ』を立ち上げた天才トレーナー。それが友人、根岸の評価だった。
わたしも、彼女を天才だと思っている。
だが、決して驕ることはない。
一度、わたしたちは、タナベさんのもとで、トレーナーとしての研修を受けたことがあった。
――あれをひとたび受ければ、二度と、自分が『天才』だとか、『優秀』だとか、言うことはできない。結局、その二つの誉め言葉は、相対的なものに過ぎない。それがよくわかる。
そのタナベさんの教え子、フジキセキを久しぶりに見て、再び実感する。
「……たぶん、欄がたりない」
腕の上のボードの紙には、上からずらっ、とウマ娘たちのタイムが書いてある。
周りがまだ空欄のところを、フジキセキのタイムだけが、一列だけ飛び出るように書かれてあった。
「……あと残り時間どれくらい?」
友人はターフの向こうのタイマーをちらと見た。
「十分か……微妙なところだな」
「まあ、足りなくなったら余白に書くよ。それにしても、ここまでとは……」
「ああ……こんなことは言いたくないが……次の皐月賞――――どうなるか……」
いっしゅん、友人が、このチームのトレーナーとして言ってはいけないことを言いそうになった。
わかる。気持ちはものすごくよくわかる。
だが、絶対に口に出してはいけない。
それを言ってしまえば、トレーナーではない。すくなくとも、このチームのトレーナーでは。
「ふーむ、みんな完成度がたかいのぉ」
タナベさんが、高い位置であるこちらへとやってきた。
「タナベさん」
「利根田トレーナー、やはりこのチームは完成度が高い。うちのフジキセキにとっても、やはりいい練習相手になるじゃろう」
――――純粋な賞賛だろうが、幾分か心に突き刺さる。
タナベさんは、間違っても、嫌味を言うようなことはしない。
褒められるのなら光栄だ。
「いえ、フジキセキ相手には、やっぱりかないません」
「そう謙遜するな。まだこのチームでできてから一年も経っとらん。これからじゃ。すぐに花咲くウマ娘の方が少ない」
――――謙遜なんてしていない。全力で、対抗しているつもりだ。
確かに、設立一年でこれだけのウマ娘を、と、賞賛されたことは何度もある。わたしだって自慢したい。
でも、こんなものを前にしてしまっては。
「まだまだ未熟です」
どうしようもない。
こればっかりは。
日々、ただただ研鑽を積んで、上を目指すほかない。
タナベさんやフジキセキとともにトレーニングを行えるというのは、今できる最高の近道。タナベさんもそれを分かって、提案してくれたのだろう。
再びフジキセキがゴールを通過する。
どれだけ見ても、やはり崩れない、きれいな姿勢だ。
長距離でなく、マイルの適正ウマ娘だというのに、この長い時間で、この安定感。
あのレースで見せた支配力は、この安定感から来ているのだろう。
これを目指さなければ、勝てない。
次の皐月賞、フジキセキは必ず一番人気をとり、最高の仕上げでのぞんでくることだろう。
それを相手に、わたしたちは勝たなければならない。
すくなくとも、この練習で上回らなければ。
でなければ――負け戦だ。
練習後、トレーナー室において。
机に広げたA3の紙に、わたしはペンで線と文字を書き込んでいく。
そこに書くのは二人の名前。今回皐月賞に出れる二人、ラーベルちゃんとアウちゃん。
ふたりをそれぞれ左右に書き、それぞれの適性や長所、課題を書き込んでいく。
そこに、友人根岸がのぞき込んでくる。
「もしかして、皐月賞の対策?」
「そう」
お構いなく、わたしは紙に書き続けた。
ラーベルちゃん、フルネームはアインラーベル。距離適性は皐月賞の2000メートルちょうどの中距離。今まで出走してきたレースもほとんど2000メートル。
対してアウちゃん、フルネーム:アウレリアは、距離適性は厳密には1800メートルのマイラーだ。皐月賞トライアルのスプリングステークス(1800メートル)こそ勝てたけれども、皐月賞2000メートルを走るにおいてはやはり不安がある。
「皐月賞対策のミーティングはもうしたよね?」
紙に書き続ける私の隣に、友人根岸は座った。
「うん。でもうかうかしてられない。このままじゃ――――無理だ」
断言する。
心臓がおおきくどくんとはねたけれども、そんなこと気にしてられない。事実なのだから。
「フジキセキもアウちゃんもラーベルちゃんも……同じクラシックウマ娘……」
体格も、三人はあまり変わらない。本格化(レースウマ娘としての成長期)のタイミングはそれぞれだろうが、それは言い訳にはならない。
これは、ウマ娘としての差ではなく、トレーナーとしての差。
フジキセキを見てようやくわかった。ひさしぶりに見て、差を実感させられた。
「ここでちゃんとできなきゃ、この先に大きくかかわってくる。勝てなきゃ、その先で――――」
皐月賞の先。
全ウマ娘の夢。全トレーナーの夢。
全てのレースの中で、特別なもの。
そして……タナベさんでも、未だたどり着けていない場所。
日本ダービー。
クラシック級のウマ娘のみが出走できる、一生に一度の大舞台。
全てのウマ娘とその関係者にとって、最高の栄誉。
皐月賞で優秀な成績(五位以内)を収めれば、その日本ダービーにおいて優先出走権が得られる。
そして、フジキセキならば、かならずそこへとたどり着くだろう。
だが、打ち破らねば。
日本ダービーに出るということは、フジキセキを打ち倒すこと。
そうでなければ戦えない。皐月賞で五位以内にはいれれば、なんて妥協は存在しない。そこで勝たなければ、ダービーで勝つことなんてできない。
三週間後の皐月賞で、示さなければ。
ウマ娘やトレーナーのステータス的なものは必要ですか?
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いる
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いらない
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ごかってにどーぞ
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そんなことより続き
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そんなことよりプリン食べたい