限界だ。
ハンヴィーの中の己の主人の姿を見て、ワカモはそう結論づけた。
────元より、ワカモは己の主人が疲労を溜めている事は分かっていた。
それも、決して無視ができないほどには重いものだ。
日を追うごとに、目に見えて体は痩せ、血色は悪くなり、目の隈が深くなってゆく様をまざまざと見せつけられれば、彼を愛し、彼を最も近くで見守る者として、彼女が彼の変化に気付かないわけがないというものである。
しかし、その事をわかっていて尚、ワカモは主人を止めなかった。
彼女は己の主人がどのような立場の人間であり、どのような振る舞いを求められるのか、そこに理解があったし、彼が一刻も早く最低でも書面に隠された悪意に気づける程度には成長すべきであるというのは彼女も同意見であった。
そして何より、愛する人が必死になって一皮剥けようと努力している最中に水を差すのは、無粋だと思ったからだ。
故に、ワカモは今すぐにでも主人を膝枕でも抱き枕でも、何を使ってでも寝かしつけて差し上げねばという焦燥と、己の主人と触れ合うような距離で仕事を教える主席行政官や、己の主人に舐め腐った態度を取る邪智暴虐の会社員どもをボコボコにしたいという衝動を我慢しつつ、主人の自身に銃を向けて欲しいだの、自身の事を撃って欲しいだのとか言う要望にたまに真っ白になりながら、ずっと主人の事を見守っていた。
それこそが主人のためになると、心の底から信じていたのである。
だが、もはやそのような事を言っていられるような事態ではない。
アビドスとか言う辺境も辺境の、ゴミのような砂漠地帯への出張から、あまりにも大きく事情が変わってしまった。
ワカモがあのような我慢をし続ける事ができたのは、彼女が極めて忠実かつ主人思いな僕というのもあるが、事態が快方へ向かっていたからでもある。
周辺の会社やら何やらへの挨拶は数日間で八割方が終わり、書類仕事も認めたくはないものの主席行政官のおかげか慣れ始めており、彼の言う『先生としての力の確認』とやらも大方済んでいるとのことだったので、もう数日もすれば彼も休息を取れるだろう、と。
そのような見通しが彼女の中にはあったのだ。
だが、今回の出張でその見通しは完全に無かったものと化した。
ワカモは出張の準備を進める主人のネクタイを締めながら、思った。
砂漠の劣悪な環境はただでさえ疲れ切っている彼の身体に容赦無く少なくない負担を強いる事になるし、新しい土地での暮らしは精神にも負担がかかるはずだ。
もうすでに倒れてしまってもおかしくないような状態にある己が主人に、それはあまりにも厳しいというもの。
主人の体のためにも、何としてでもここで主人を止めるべきだ、と。
そうして仮面の中で口を開きかけた彼女であったが、しかし、彼女は最後の最後で日和ってしまった。
少し前の彼女ならばともかく、今の彼女は男に懸想する一人の少女である。
ここで意見を出してしまったせいで、主人の心象を悪くしてしまったらどうしよう、というその不安が、開きかけたその口を塞いでしまったのである。
まぁ、アビドスとか言う学校はどうやら困窮しているようだし、きっと彼を素晴らしい待遇で、丁寧にもてなしてくれるだろう。
主人も、自らを英雄の如く讃えてくれる生徒たちに良い気分が出来るだろう。
そうであってくれれば、主人の身体的にも精神的にも、良い事ではあるはずだ。
不安と後悔に押しつぶされそうになる自分を、そんな言い訳を心の中で並べて誤魔化しながら、主人と共にアビドス高校へとワカモは向かう。
彼女が己の判断は致命的なまでの誤りであり、自分は失敗したのだという事を悟るのは、それから数時間後の事であった。
アビドス高校へと辿り着いたワカモと彼女の主人を待ち受けていたのは、間違えても素晴らしいと言えるような歓迎では無かった。
向こうからの最初の挨拶は、後頭部に突きつけられた銃。
誤解を解いて校内へ上がり、生徒たちへ自己紹介をすれば、返されるのは悲鳴と、今度は二丁に増えた突きつけられる銃。
その誤解を解くために支援物資を渡して、ようやく信じられたかと思えば、現れた木っ端の武力組織との戦闘の指揮を主人に取らせ、撃退したかと思えば本拠地に殴り込みをかけると主人を更に働かせる。
最悪も最悪である。
が、ここまではまだ仕方無いと言ってやることも出来た。
こちらからも一応メールは送っておいたとはいえ、それは委員会に対して。登校してすぐの生徒からすれば主人はいきなり現れたスーツ姿の男であり、警戒するのは仕方がない。
自己紹介の時に銃を向けたのも、話に聞く『先生』が自分たちと変わらない年齢であったという衝撃を考えれば、仕方ないと言えなくもない。
武力組織の壊滅は、手紙に書いてあった『どうにかして欲しい』の範疇に収まらないわけではないと考えることも出来るだろう。
しかし、この後の彼女らの主人への対応に擁護できる余地はない。
まず、セリカとか言う駄猫が彼女らの抱える問題の解決に、協力を申し出た己の主人の好意を拒絶し、そればかりか己の主人を役立たず呼ばわり。
その後は小鳥遊ホシノが、もっとマシな場所を用意できたであろうにも関わらず、寝具の一つも無い適当な教室を主人の部屋として案内し、あろう事か隠しカメラを仕掛ける始末。
しかしそれにも負けじと、血色の悪い顔を化粧で隠してまで主人が必死に彼女らと向き合うが、疑いは一向に晴れそうになく、それでも散々に利用はされるばかり。
ワカモは酷く後悔した。こうなるのなら、あの時止めておくべきだった、と。
しかし、今更そんな事を嘆いてもどうにもならないというものである。
今更になって主人をD.U.へと帰す事はできないし、アビドスの連中を皆殺しにしても主人はきっと悲しむだけ。
もはやワカモにできる事は、完璧な仕事を以て失態を挽回する事だけだった。
故に、彼女は身を焼くような赫怒を抑えつけ、己の犯した過ちを心の底の底から嘆き、そしてあまりにも寛大で慈悲深く、優しさに満ち溢れた聖者の如き主人の姿に感涙を流し、主人からかけられる優しさと『信頼している』の言葉に大変なことになってしまった下着をどうするかと考えつつ、彼の身を案じながら、その身を伏して堪えていた。
そしてつい先日、彼が彼女に『休める場所を一つ見繕ってほしい』と頼んできた時、彼女が抱いた感情は二つ。
これでようやく休んでくださる、という安堵と、ここまで主人を追い込んだのか、あの連中は、という怒りだ。当然、その比重は圧倒的に怒りの方が重い。
ワカモは今すぐにでもアビドスを滅ぼしてやろうかと思ったが、しかし主人を休ませる事がまず先決。
己の持ち得る能力の全てでもって、主人の心置きなく休める場所を用意して、彼を案内した後は全力で彼を労った。
そこへ届いたのが、『助けて下さい』とか言うあの電話である。
先程まで身も焦げるかの如き怒りに震えていたワカモであるが、しかしそのメッセージを聞いた時、その怒りは何処かへと消し飛んだ。
もはや怒るとか、そんな領域を超越してしまったのである。
後に残ったのは、ひたすらな『驚き』と『疑問』。
どうしてここまで酷い事ができるのか? どうしてここまで恥知らずになる事ができるのか?
と、しかしいくら考えても一向に理由のわからないそれは、もはや『恐怖』の領域に片足を突っ込んですらいた。
そうして、半ば思考の海に浸りながら彼の戦場まで着いて行ったワカモであるが、そこで更に衝撃的な事が起こる。
ほんの少し、5秒にすら満たないような短い間だけのことであったが、しかし確かに主人は『怒り』の感情を露わにしていたのを、ワカモはハッキリと認識した。
あのクソみたいな会社員どもの嫌味やら皮肉やらに全て耐え、一切の怒りも不快感も露わにせず、笑顔の仮面を貫き通した、感情の抑制においては確実に一級以上であろう己が主人が、である。
つまり、それは感情の制御が出来ないほどにまで主人が追い詰められているという証左に他ならず、明らかな緊急事態であることに疑いようはない。
それを理解した時の衝撃は、ワカモの中にあった様々な思考と感情の一切合切を吹き飛ばし、悉くを『焦燥』へと塗り替えるに十分であった。
そして『自分こそが主人から最も信頼され、最も親密な関係にある、正しく主人にとっての運命の人である』という自認が、その『焦燥』をすぐに『使命感』へと変貌させた。
私が行動を起こし、主人の一大事を救わねばならない。
ワカモの心に新たな火が灯る。
「少々お待ちくださいあなた様……今、このワカモがあなた様をお救いします……!!」
そう呟いて、ワカモは行動を開始した。
全ては愛する主人のために。
合宿が終わって小説が書けると思うじゃん?
全然そんな事なかったよね。(多忙)
三年生の最後の大会が近いんですわぁ……ラストスパートなんですわぁ……しかも勉強も両立しなきゃいけないからもう大変なんですわぁ……
追記。
なんか感想欄で『お前の小説はオリ主とワカモを際立たせるために、わざとアビドス組の知能や性格を下げて書いてるからクソだ!』みたいなのを言われて⭐︎0評価まで付けられて「あっこれはまずいな」と思ったのでここで言っておきます。
俺は特定のキャラの知能や性格を下げて書いているような事は決して無いです。
もしそう見えたとしても、それはしっかりと原作から鑑みた上で「コイツならこういう事をする」「こいつならこういう事を言う」と俺が判断したその上で書いており、決してそこにそのキャラを貶めるような意図はありません。
『いや実際ホシノとかセリカとかを悪様に書いてるだろ』と言う意見もあるでしょうが、それも上記の通り「コイツならこういう事する」、「コイツならこういう事を言う」と原作から鑑みて俺なりに解釈、判断した結果です。
なのでもし『いやこのキャラはこう言う事しないし言わないだろ』と言うものが小説内あったとしても、それはあくまで様々な要因から起きてしまった事故のような『解釈違い』であるので、あんまり怒らないで貰えると嬉しいです。