チュンチュンと、鳥の囀りが聞こえてくる。
酷く重たい窓を開ければ、カーテンの隙間から日の光が差し込んでいた。
枕元を探り、スマホを取って見れば、画面に表示されるのは『6:32』の数字。
カチリとスマホを切れば、光を失った黒い液晶に深い隈の刻まれた顔が映る。
「……………………あぁ……………」
ぼふり、と。ベッドに落ちた腕からスマホが溢れる。
小鳥遊ホシノは、今日も睡眠に失敗したのだ。
元より、彼女に不眠症の症状はあった。
それは彼女が過去に経験したとある凄惨な事件の影響によるものだ。
しかし、それはあくまでも軽度のもの。
事件の当時はそれこそ目も当てられないような状態であったが、しかし事件から一年以上が経過した今となっては、そこまで生活に支障は出ない程度。
精々がちょっとした眠気くらいのものである。
しかし、今現在においてホシノを苛む不眠症は、それを由来とするものではない。
今回の原因は、『シャーレの先生』の訪問、並びに対策委員会顧問への着任から現在に至るまでの、『自分の行動』である。
まず大前提として。
ホシノは外部の人間……特に、大人というものを信用していない。
それはホシノが今まで散々悪い大人達に騙され、そして奪われてきたからである。
『大人達の目には己の利益しか映っておらず、利益のためとなれば平気で私達を騙す。平気で私達を利用し、平気で私達から搾取し、そして平気で私達を殺す』
それが、小鳥遊ホシノの抱く大人像であった。
無論、遍く大人たちが全てこのような守銭奴であるとはホシノも考えていない。
とは言え、事実として今までホシノはこうした守銭奴たちのせいで砂に塗れ、黄金色に乾いた青春を余儀なくされ、その果てに自分の一番大切だった人は遥か遠くへ逝ってしまった。
このような考えに至ってしまうのも、それこそ当然の帰結というものであろう。
故に。彼女は当初、アヤネから『最近話題のシャーレの先生に助けを求めてはどうか』と提案を受けたとき、即座に却下するつもりであった。
しかし、このまま何も行動を起こさなければ1、2週間と保たずアビドスに限界が来る。
そうなって仕舞えば、可愛い可愛い後輩達はどうなってしまうだろうか?
普通ならば他校へと転校するだろう。しかし、自分に負けず劣らずの強いアビドス愛を持った彼女達のことだ。何としてでもアビドスに残ろうとしてしまうだろう。
であれば、不良に身を落とすか、傭兵にでもなるか……少なくとも、ロクな青春は送れないだろう。下手をすれば、自分以上に。
それだけは阻止しなくてはならない。
普段は無気力な様子を見せる彼女であるが、彼女はアビドスの、ひいては後輩達の将来を誰よりも案じている。
後輩達のためであるのならば、彼女は自分の感情など幾らでも殺す。
彼女は内心では渋々であるものの、アヤネの提案にGOサインを出した。
大丈夫だ。もし『先生』とやらが連中となじみ邪悪な大人だとしても、私が守れば良い。
利用されそうになったとしても、その前にこちらが利用し尽くしてしまえば良い。
もし騙されそうになったとしても、私が疑い続けてさえいれば最悪の事態にはならない。
絶対に私が好き勝手にはさせない。
アヤネが手紙を出してから数日間。
後輩達に悟られることなく、ホシノは心の中でそのように覚悟を決めていた。
だが、ここで想定外の事態が起こる。
『やぁやぁ初めまして、ホシノ君。俺がシャーレの先生だ。よろしく』
先生は子供であった。
どうにも大人のように見えるような努力の跡が見えるが、後頭部の寝癖が、捻れたネクタイが、幼さが未だ残る顔立ちが、明らかな未熟さを醸し出している。
『…………』
終わった。そう思わずにはいられなかった。
元より、ホシノは先生が善であれ悪であれ『力のある大人』であるという事を前提としていた。
どのような形であれ、大人のアビドスの現状を打破してもらう。その際に後輩達やアビドスに何もさせない。それがホシノの想定していたものだ。
アビドスをどうすることもできないような子供が送られてくるなど、想定外にも程がある。
『あぁ、キミがシャーレの先生? 思ってたより若いんだねぇ〜』
連邦生徒会に騙された。連邦生徒会に切り捨てられた。
彼の存在が暗示するそれらの可能性に、沸々と湧き上がる怒りの感情を抑えながら、気だるそうな表情を保ってそんな軽口を叩く。
もしかしたら見た目がアレなだけで、中身はちゃんとした大人かもしれない。
そんな一縷の望みにかけたそんな言葉であったが────
『……まぁ、流石に判るか』
現実は非常なものであった。
『そうだ。俺はお前の一つ下。そこのシロコやノノミと同年代だ』
ふざけるな。
いよいよ怒りに抑えが効かなくなる。
心がかつてない程に熱く燃え上がり、反対に全身がスゥッと冷え込んでゆくのを感じる。
気付けば、彼に銃口を向けていた。
『…………もしかして、私達を騙した?』
『返答次第じゃ、ただじゃ置けないかなぁ〜……?』
ホシノは彼がキヴォトス外の人間である事も、引き金を引いた瞬間に彼はその脳漿をぶちまけて死ぬであろう事も知っていた。
だが、だからなんだと言う話である。非常に運の悪いことにアビドスは極めて広大な砂漠がその自治区の殆どを占めている。街中での遭難とて、そう珍しい話ではない。
人一人が失踪したのなら、見つかるにはどれだけ時間がかかるか。見つかったところで、どのような状態か。それはホシノが一番よく知っていた。
返答次第では本当に撃ち殺してやろう。そう考えて、ホシノはトリガーに指をかける。
しかし、そのトリガーを引くことは終ぞ無かった。
彼の先生という肩書きは、伊達ではなかったのだ。
質量と体積をほぼ完全に無視する、あまりにも常識から逸脱した物資の運搬が可能で、圧倒的すぎる生徒の性能強化。
先生は確かに子供であったが、大人のそれを大きく上回るほどの力を持っていた。
ホシノは、先生の価値を正しく理解した。
そして、利用するべき存在だと認識した。
それがアビドスの、ひいては後輩達のためになると、本気でそう思ったからだ。
だからこそ彼女は先生に教室の一つを貸し与え、そして彼が下手な事ができないような環境を整えた。
この時の彼女の失敗は、先生のあまりの強さに、先生も彼女達と同じく人間であるという事を忘れていた、という点であろうか。
つまり、彼女はまざまざと見せつけられたわけである。
彼が日に日にやつれていく姿を。そして、彼がそれを必死に誤魔化す痛々しい姿を。
最初の頃はまだ良かった。まだ何も気兼ねすることなく先生を利用できた。
だが、目の下の隈を化粧で隠すようになってからは、そうもいかなくなって来た。
蝕むのだ。彼女を。罪悪感が。
彼が気丈に振る舞う様を見ては、心が痛くて痛くて仕方がない。
彼が時折、誰にも見せないようにため息をつくときなど、このまま死んでしまいたくなる。
そうして心を痛め続けて、彼女はいつしかまた眠る事ができなくなっていた。
この段階で、彼女は先生に全てを打ち明け、そして謝るべきであった。
それこそが最善であり、それこそがホシノにとっても、先生にとっても、そして後輩達にとっても最良の選択であったに違いなかった。
しかし、現実にそうはならなかった。
彼女は『自分が先生の現状を知っている事を先生に悟られない事』を選択したのだ。
そうさせたのは、彼女の持つ責任感に他ならなかった。
自分だけでも絶対に先生を疑い続けなければならない。
自分がアビドスを先生の好き勝手にさせないようにしなくてはならない。
半ば強迫観念めいたその責任感が、彼女にその選択を強要したのだ。
しかしまぁ何にせよ、それは最悪と言っても良い選択に違いなかった。
ホシノの選択は、先生だけでなく、自分の心も深く抉り取ってゆく。
ホシノも、先生も、精神的にも肉体的にもどんどん追い詰められてゆく。
事態は日に日に悪化の一途を辿ってゆくばかりであった。
あの疲れ果てた様子こそが演技なのかもしれない。
ホシノはそんなまるで陰謀論のような言い訳で以って自らの心を守るも、そんな絆創膏よりも薄い装甲で守れるものなどありはしない。
むしろその分、より自分と先生の心を削るだけであった。
「はぁ………………」
もはや完全に憔悴しきっている彼女。
しかし、ここまで来てなお彼女は先生を疑う事を止めることはできない。
彼女の抱く責任感がそれを許さない。
「………………………………………………………………ぇ?」
たとえ、彼が自殺を試みる場面を目の当たりにしたとしても。
彼女の抱く責任感は、決してそれを許してはくれないのだ。
■
「こっ、これより、緊急会議を始めます!」
アビドス高校廃校対策委員会の会室には、異様な雰囲気が漂っていた。
困惑と焦燥が入り乱れたまま司会進行を続けようとするアヤネ。
剣呑な雰囲気を纏い、愛銃を膝に置いたままホワイトボードを見るノノミとシロコ。
椅子に座り、青い顔をして俯くセリカ。
そして、普段通りのホシノ。
少なくとも、只事でない。それは誰の目から見ても明らかであった。
「え、え〜と、まず現状を改めて……今朝、ノノミ先輩が先生に割り振られていた教室の窓ガラスが割れているのを発見。教室には睡眠薬のボトルとその中身が散乱していました」
「ッ」
ホシノの表情が、ほんの一瞬だけ歪む。
しかし、残りの四人は誰もそのことには気付かない。
「普段先生が着用しているスーツがラックにかけられて放置されていること、連絡を試みても成功しなかった事、割られた窓、そして床に散乱した睡眠薬から、今回の件を誘拐事件と断定します。今回の議題は、この件に関して我々がどう行動するか、になります」
「助けに行く。それしかない」
アヤネがそう締め括った瞬間、半ば食い気味にシロコが発言する。
その目に浮かぶのは、必ず助けるという強い意志か、それとも下手人を絶対にボコボコにするという闘志か。
何にせよ、行動を起こすことは彼女の中では決定事項であるようだ。
「そうですね⭐︎ みんなで助けに行きましょう!」
隣で頷きながらノノミが同意する。
にこやかな表情であるが、細められた目から覗く瞳は、全く笑っていなかった。
「まぁ、それしかないよねぇ〜……でも、どこに行ったかなんておじさん達わからないよ? セリカちゃんの時は先生がいたからまだなんとかなったけど、今回はその先生が攫われちゃったからねぇ……?」
「……ッ!」
いつも通りの様子のホシノの発言に、セリカが大きく肩を跳ねさせる。
「はい。今回の一番の
「……ちょっと、時間がかかりすぎますね〜……それに、先生がアビドス自治区の中に留まっているとも限りませんし〜……」
「その通りになります、ノノミ先輩。それに、利息の回収もかなり近いですし……時間を割けない、人員を割けないと、我々の手で行うとなるとあまりにも……」
アヤネが肩を落とす。
実際問題、対策委員会が今回の先生の捜索、および救出を行うことは、まず不可能だ。
その大きな原因が、アヤネの言った通り、時間と人員の大きな不足だ。
元々アビドスの生徒数が五人と言う事もあるが、そこに足を引っ張ってくるのが大きすぎる借金と、それに伴う利息の返済。
アビドスメンバーは兎にも角にも金を稼ぐ必要がある。
それは利息の返済ができなくなった瞬間にアビドスの校舎を借金の形に取られてしまうからであり、それを避けるためにはメンバー全員で働かなくてはならない。
そこに先生の捜索のために割ける時間も人員もない。
「……じゃあ、仕方がない。本当は先生にも手伝ってもらいたかったけど……」
「え?」
「これ、着けて」
シロコが何かをメンバー全員に配る。
それは、色とりどりの目出し帽であった。
「……シロコちゃん? これはなんのために使うのかな?」
「金がなくて先生を探しに行けないのなら、金を手に入れればいい」
「……つまり?」
「ん。銀行を襲う」
つまりそう言う事であった。
「わぁ⭐︎ いいですね、それ!」
「……う、や……やるしか、やるしか…………ない…………?」
「う〜ん、却下かな」
ノリノリで目出し帽を被るノノミと、震える手で目出し帽を見つめるセリカであるが、ホシノがあっさり却下する。
アヤネがホッと息を吐き、シロコは心底残念そうに目出し帽をしまった。
「でも、それならどうやって先生を助ける?」
「そうだねぇ……」
瞬間、ホシノの脳裏に過るのは、自分に与えられた最後の手段。
しかし、ホシノは首を振ってその考えを吹き飛ばす。
「……ここは素直に、連邦生徒会に報告しよっか。連邦生徒会なら先生の捜査をやって置いてくれるんじゃないかな?」
「…………まぁ、最善手はそれであるかと……」
アヤネが肯定する。
事実、今現在のアビドスが取れる手段はそれしかない。
「でも…………」
とは言え、理解はできても納得ができないのが人の情というものである。
彼女達が先生に受けた恩義は、あまりにも大きすぎる。
彼を捨て置いて自分たちのためだけに行動するなど、恩知らずもいいところだ。
先生ならばきっとそれでも赦してくれるのだろうが、彼女達が彼女達自身を赦せない。
故に、彼女達は先生のために行動を起こしたい。
「…………………………」
しかし、やはり現実は非常なのである。
どうしようもないのだ。
アビドスだけの力では、先生は助けられない。
そう、アビドス
「お困りのようね!!」
ドアが、勢いよく開かれた。
■
「────で? 俺は戻る時はどうすりゃあいいんだ? 命からがら逃げ出したような格好でもすればいいのか?」
アビドス自治区の端あたりの、とあるビルの最上階。
まるでホテルのスイートの如き部屋の中でベッドに横たわりながら、俺はワカモに問う。
それは、俺がアビドスに戻るときの方法に関する事であった。
今まで誘拐されていた奴が「いやー、誘拐されてたわー」とか言って無事なまま、めちゃくちゃ気楽に帰ってきたら「お前本当に誘拐されてたか?」と思わざるにはいられないだろう。
しかも今はホシノにめちゃくちゃ疑われている状態。
ボロを出せば確実に面倒なことになる。
その辺もしっかり徹底しておきたいのだ。
「ご安心くださいませ、あなた様。連中から救出に来させますので」
「来れるのか? 正直結構な無理ゲーだと思うんだが」
情報的に見つけられねーだろこんな場所。
いやまぁ場所だけなら監視カメラの映像でも片っ端から漁れば何とかなるんだろうが、時間がかかりすぎるぞ……
「もう既に手は打っております。あと2日もすればこの場所を発見できるでしょう」
「その時に椅子にでも縛りつけられてりゃあいいのか?」
「いえ、軟禁されているという体で通しますので、自然体のままでいていただければ。……あ、念の為にタブレットはダミーを別室に保管させていただきますので、脱出の際確保していただければ……」
「あ〜……」
まぁ、普通に考えて外部との連絡手段を断たないとか可笑しいもんな。
「じゃあ、そうしよう」
「ありがとうございます」
「ところで、ワカモ」
「何でございましょう」
「並行して壊滅させたヘルメット団を張れるか? そこに怪しい四人組が来たら俺に教えてもらいたいんだが……」
原作的に、便利屋イベントが始まる前にはアビドスに戻っておきたい。
確かカイザーの命令で便利屋がカタカタヘルメット団を制圧するのが合図だったと思うから、もしアイツらが間に合わなかった場合、そのタイミングで何かしらのアクションが起こせれば……
「あっ」
「………………え?」
冷や汗をかきまくったワカモに、俺は何か冷たいものを覚えずにいられなかった。
お前が今までに吐いた罵詈雑言を鏡の前で言ってみろ。
……面白いだろう。酷く嫌な気分になれる。
ところで、お前はさっき言ったそれを今まで誰にどれだけ言ったか覚えてるか?
さぁさぁ変なことになって参りました。