アビドス高校に泊まり込みで仕事をし始めて、はや3日。
俺の心身の疲労は一向に加速するばかりであった。
やはり書類仕事が大変だと言うのもあるが、それに加えて生徒達とのコミュニケーションと、常に監視されていると言う意識が、俺に休まる時間を与えてくれないのだ。
その中でも、やはりと言うか特に体力を持っていかれるのが生徒達とのコミュニケーションだ。
誰と話すにも『それがホシノから見てどう思われるか』を意識しなければならないのは、やはり辛い。
その中で『何とかセリカとコミュニケーションを取ろうとしている』と言うポーズも見せなければならないのも負担だ。無謀だとわかっていたとしても、無視されたり拒絶されたりと言うのは、かなり心に来るのである。
恐らく、俺の許容量はもう限界にほど近いところまで来ているのだと思う。
昨日なんかは突然、訳もわからず涙が溢れて止まらなくなった。
もはや予断を許さない状況にあることは理解している。
しかし、そんな中でも俺は『先生』として気丈に振る舞わなければならない。
そんなわけで俺は深く刻まれた隈を化粧で、艶を失った髪をジェルで誤魔化し、アビドスの街へと繰り出していた。
この辺りにアルバイトをしに来るであろうセリカと接触するためだ。
一応のポーズとして、書類の入った封筒は小脇に抱えている。
これで「何でここにいるのよ」とか言われた時に言い訳をすることができる。
唯一恐るべき『すれ違い』に対しても、ワカモも周囲に配置しているので対策はバッチリ。
うむ、完璧な作戦だ。
「あ」
「お」
と、そんな風に自分の作戦を褒め称えていたところに、丁度よくセリカが現れた。
俺を発見したら強い彼女が、思いっきり顔を引き攣らせる。
「おはようセリカ」
「っ……な、何が『おはよう』よ! 馴れ馴れしくしないでくれる!? 私、まだ先生のこと認めてないから!!」
……うわー、嫌だー……。
そう思ってはいけないとわかってはいるものの、しかしセリカの突き放す物言いに、ついそう思ってしまった。
セリカはそんな俺の隣を、ズカズカと通り抜けようとする。
だが、身長的にも歩幅的にも、俺の方が圧倒的に上。横に並ぶのは簡単だ。
「いや何。奇遇だな、まさかこんな所で会うとは」
「……なっ、何よっ……!? 何でついて来るわけ!? 早くどっかに行きなさいよ!」
「こうして二人で話が出来る機会もあまり無かったからな。もう少し話そうぜ」
「………………っ!!」
セリカがぎしり、と歯を噛み締める。
この辺りには、彼女がバイトをしているラーメン屋、『柴関ラーメン』がある。
彼女は俺に、自分がそこでバイトをしている事をバラすわけにはいかない。
だから彼女は俺をこの場であしらうか、それともあの柴関ラーメンを素通りして、俺を振り解いてからここまで戻るしか無い。
前者ならばともかく、後者だと俺がいつまでついて来るか分からない以上、セリカが取る手段は必然的に限られる。
「で? お前はこれから何処に行くつもりだったんだ? 学校の方じゃ無さそうだが」
「……私が何をしようと、先生には関係ないでしょ。それよりも、あんたは学校に行かなくて良いの? 一応、ウチの顧問に就いたんでしょ? ダメなやつだと思われても知らないわよ」
落ち着いた、しかし棘のある言い方。
……あー……やっぱり嫌だなー……と、どうしようもなく思う。
ゲームだとこう言うのもただの『ツンデレ』として消化できるが、しかし現実になった今、『ツン』と言うのはただの言葉のナイフ、或いは針でしかない。
優しい一面があるとは理解しているが、しかしどうしてもそれは『痛い』のだ。
そう言うところも楽しんでこその『ツンデレ』と言えなくもないが、しかし今の俺に、そんな嗜好品を楽しんでいる余裕は無い。
しかし、そう考えると、ストレートに好意をぶつけてくれるワカモがいかに有難いか分かる。
やはりアイツを最初の段階でゲットしていて正解だった。
アイツがいなければ、今頃俺は精神崩壊でもしていたのではなかろうか。
「……いや、今も仕事中だぞ。この書類を今から連邦生徒会に郵送で送る所なんだが……郵便局が何処にあるのか分からなくてな」
沈む気持ちを澄ました顔で取り繕いながら、そんな事を言う。
「あの変なので探せば良いじゃない。そうじゃなくても、スマホを使えば一発でしょ?」
「アレは使うのが割と疲れるんだよ……スマホの方はアビドスのマップが使い物になら無さすぎて諦めた。あのマップ、どんくらいの期間更新されてないんだ?」
ちなみに、郵便局の位置がわからないと言うのはガチだ。
アビドス高校までのルートは簡単に割り出せたので、他もどうにかなるだろ、とたかを括っていた俺が愚かだった。
あの駅からアビドス高校までの道のりは、アビドス自治区の中ではかなりイージーな方だったのだ。
他の場所だと、道があるべき場所に道が無かったり、逆に道がないはずの場所に道があったり、区画が丸ごと砂に沈んでいて、どこの上を歩いているのか分からなくなったりと……本当に全く使い物にならないのだ。
しかもたまに圏外になる。最悪だ。
「……郵便局ならあっちの方よ。あそこを左に曲がって、ずっと真っ直ぐいった後に大きい建物をさらに左。そしたら見えて来るわ」
「お、有難う。さすがは現地民」
……やっとセリカの優しさとも言える部分に触れることができて、俺は内心で喜ぶ。
だが、それはただ『やった』と言う感じではなく、『やっとかぁ』と言う、少なくとも純粋とは言えない喜びの感情であった。
……本当に疲れているんだな、と。改めて思う。
「うるっさいわね! わかったらさっさと行って! 私は忙しいの!」
「……学校じゃないなら何処に行くんだ?」
「だから、私が何をしようとあんたには関係ないでしょ!?」
そう言って逃げようとするセリカだったが、しかし走力では圧倒的に俺の方が上。
やはりヘイローの齎す身体能力は、走力には寄与しないようだ。
「ひゃあっ!? な、なんでついてくるの!?」
「……いや、危ない事に首突っ込んではいないかと気になってな」
「しないわよ! そんな事!!」
まぁ、そう言ってマルチ商法に引っ掛かるんだがな、コイツ。
と、内心で嘲笑してやる。
何だか虚しくなっただけだった。
「早くあっち行ってよ! 仕事中なんでしょ!? これじゃストーカーよ!」
「じゃあどこ行くか教えてくれ。そうしたら大人しく郵便局のほうに行くから」
「〜〜〜〜ッ! わかった! わかったってば! 行き先を教えれば良いんでしょ!? …………っ、バイトよ、バイト……! 私は、少しでも稼がなきゃいけないの!」
……はぁ、ようやくだ。
走るのを止め、立ち止まったセリカが、屈辱、と言った表情でそう話してくれた。
これでフラグが立った。遠慮なく柴関ラーメンに行くことが出来る。
「もう良いでしょ!? ついてこないで!!」
そう言って走り去るセリカを、俺は黙って見送る。
さて、後はアビドスのメンバーにこれを報告して、柴関ラーメンに行くだけだ。
……あっ、その前に書類も郵送するんだった。
危ない、危ない。忘れていたら、リンちゃんに怒られる所だったぞ……
これ以上メンタルに負担をかけると、それがどう転ぶのかわからんのだ。
防げるストレスの素は、防いでおかなければ。
■
さて、そんなわけでやって参りましたラーメン柴関。
俺がこの辺でセリカを見かけた、セリカはバイトをすると言っていた、と言った数秒後には、じゃあ、あそこかな〜、と特定を終えたホシノには、流石だと感服せざるを得ない。
やはりアイツのアビドスへの愛は本物なのだろう。
それはそれとして俺への扱いに関して思うことは勿論あるが。
しかし、今はその事について忘れよう。
ガラガラ、と。店の扉を開く。
「いらっしゃいませー! 何名様で……わわわっ!?」
「あの〜⭐︎ 五人なんですけど〜!」
「あ、あはは……セリカちゃん、お疲れ……」
「お疲れ」
店の中はかなり広い作りになっている。
その辺のファミレスに負けないくらいには広い。しかもそれでいて綺麗だ。
うむ、素晴らしい。これが数日後に跡形も残らず爆破されると考えると、残念でならないと言うものだろう。
「み、みんな……どうしてここを……!?」
「うへ〜……やっぱりここだと思ったよ〜」
「よう、お疲れ」
「せっ、先生まで……やっぱストーカー!?」
甘い。ストーカーなんかよりもっとタチが悪いぞ。俺は。
「うへ、先生は悪くないよー。セリカちゃんのバイト先って考えると、やっぱここしかないじゃん? だからみんなで来てみたの」
「ホシノ先輩かっ……!! ううっ……!」
セリカが頭を抱える。
「アビドスの生徒さんか」
と、そこへ現れるのは、腕を組んだ二足歩行の柴犬こと、柴関ラーメンの大将であった。
そのもふもふな体に食品衛生は大丈夫なのだろうかと疑問は湧いてくるが、しかし今もこの店に多くの客がいて、うまそうにラーメンを啜っていることから、問題ないと言う事は理解できる。
「気持ちは分からんでもないが、セリカちゃん。お喋りはそれぐらいにして、注文受けてくれな」
「あ、うう……はい、大将。それでは、広い席にご案内します……こちらへどうぞ……」
顔を真っ赤にしたセリカに6人がけのテーブルへと案内され、奥にホシノとアヤネ。そしてホシノの隣にシロコ、アヤネの隣にノノミが座る。
そして、俺も座ろうと思ったのだが……しかしこれだとどうしてもシロコかノノミとほぼ密着する形になってしまう。
席の広さの関係上致し方ないとは言え、しかしホシノがどう反応したものかわからない。
ここは近くのカウンターにでも座っておくべきか、なんて思っていると、ノノミがポンポンと自分の隣を叩いた。
「はい、先生はこちらへ! 私の隣、空いてます!」
「お、ああ、じゃあ……」
「……ん。私の隣も空いてる」
ノノミの好意に甘え、隣に座ろうとしたところで、反対側のシロコからも誘いが来た。
二人はほんの一瞬だけ互いに目を合わせると、再び俺の方を向き直り、俺は両側から、こっちに座れと言うそこはかとない圧を孕んだ視線に晒される。
……そう言えば、原作にこんな流れあったな。忘れてた。
で、どっちに座るか、と言う問題だが……
「……まぁ、先に誘われたし、こっちにしよう」
ノノミの方の、出来るだけ椅子の端の方に座る。
しかし、それでもノノミとはほぼ肩が着くくらいの距離になってしまった。
「ん……大丈夫ですか? ちょっと狭いですか?」
「俺は大丈夫だが……いやすまんな。俺がだいぶスペース取ってる」
「いえいえ〜……わぁ、本当にすっごくがっしりしたお身体ですね! 先生は何かのスポーツをやっておられたのですか?」
「あー……基本的には水泳で、他もまぁ、色々とな」
サッカーとかバスケとか、バレーとか。あとたまにハンド。
……そう言えば、先生に就任してからまともに体を動かしていないな。
体が鈍らないようにはしたいのだが、さてそんな余裕が生まれるかどうか……
「そうだったのですか! すごいですね……! もっと、他のお話をお聞きしても?」
「ん? 別に構わんが……」
「ちょっとそこ! 人の店で変な事しない!」
「……む」
怒られてしまった。
いや、別に変な事をしているつもりはなかったのだが……
「え〜? 何も変な事はしてませんよ〜?」
「側から見れば変なことの見えんのよ! それと、他にも空いてる席はたくさんあるんだから、狭いなら他のところに座って!」
「ふぅむ……じゃあ、俺はやっぱりカウンターの方に────」
「……あっ……」
「……………………………………」
隣から聞こえたか細い声に、少し浮いた腰を再び席へ下ろす。
やっぱりここに座っていよう。うん、そうしよう。
「……ところでセリカちゃん、そのユニフォーム似合ってるねぇ。もしかして、ユニフォームでバイト決めちゃうタイプだったりする?」
「ち、ち、違うって! 関係無いし! こ、ここは行きつけのお店だったし……」
「ユニフォーム姿のセリカちゃん、写真撮っとけば一儲けできそうだね〜。どう? 一枚買わない?」
「いや、買わないが……」
俺が己の判断は本当に正しかったのかと心の中で自問自答をしていると、いきなりホシノから話が飛んで来たので、反射的に答える。
勝手に商品にされたセリカには申し訳ないが、普通に要らない。
「変な副業はやめてください、先輩……」
「バイトはいつから始めたの?」
「い、一週間ぐらい前から……」
「そうだったんですね⭐︎ 時々姿を消していたのは、バイトだったと言うことですか!」
シロコからの質問に、セリカは明後日の方向を向いて、どもりながら答える。
当然、そんなものは事情を知らない人間にも『私は嘘をついています』と大々的に宣言するようなものであるし、前々からセリカが何処かへ行っていた事を知るノノミなら尚更だ。
「も、もういいでしょっ!? ご注文はっ!?」
顔を熟れたリンゴのように真っ赤にして、セリカは叫ぶ。
「『ご注文はお決まりですか』でしょー? セリカちゃ〜ん、お客様には笑顔で接客しないとね〜?」
「ああう……ご、ご注文は、お決まりですか……」
しかし、にやけ面のホシノに窘められ、セリカは顔から湯気を上げながら、しかし大人しく改めて注文を尋ねる。
「私は、チャーシュー麺をお願いします!」
「私は塩」
「えっと……私は味噌で……」
「私はねー、特製味噌ラーメン! 炙りチャーシュートッピングで! 先生も遠慮しないで、ジャンジャン頼んでねー。この店、めちゃくちゃ美味しいんだよー! アビドス名物、柴関ラーメン!」
これだけ大きい店でこれだけ繁盛しているのなら、それは事実なのだろう。
しかし、困った。最近どうにも食欲が無いのだ。
恐らくストレスから来るものなのだろうが、しかし生徒達の手前、気丈に振る舞わねばならない。だが、だからと言って下手に注文するわけにもいかない……
「……じゃあ、取り敢えず俺も味噌を頼もう」
こうなればもうなるようになれだ。
大丈夫だ。他の客の器のサイズを見たが、キヴォトスに来る前の俺なら、あの程度ならば余裕で二杯は食えてた。
今の俺にも、食えない道理は無いはずだ。
「……ところで、みんなお金は大丈夫なの? もしかして、またノノミ先輩に奢ってもらうつもり?」
「はい、私はそれでも大丈夫ですよ⭐︎ このカードなら、限度額までまだ余裕ありますし」
そう言ってノノミが取り出すのは、金色のカード。
いわゆる、ゴールドカードというやつだ。
しかし、ホシノの視線はカードを取り出したノノミにではなく、俺の方へ向く。
「いやいや、またご馳走になるわけにはいかないよー。きっと先生が奢ってくれるはず。だよね、先生?」
「初耳だが」
「え? ……あはは、今聞いたからいいでしょ!」
……コイツ、都合のいい時だけ俺を……
俺は、内心で憤りを感じずにはいられなかった。
きっとこれはホシノなりのセリカに対する、『この人のことはこういう風に利用するんだよー』と言うデモンストレーションのようなものであり、俺は先生として、これに喜んで応じるべきであると理解はしていたものの、しかしどうしてもそう思う事は止められない。
「ふぅー…………」
昂った気持ちを抑えるべく、歯を噛み締めながら大きく息を吐く。
幾分か気分の落ち着いたところで、チラリと生徒達の方を向いてみれば、ノノミとシロコが期待に満ちた目でこちらを見ている。
その期待に応えるべく、俺は手をポケットに突っ込んで、一枚のカードを取り出した。
「……おお〜、それが大人のカードかぁ。やっぱり持ってたんだねぇ〜……」
「う、うーん、大人のカードを使うような場所でもなさそうですが……先輩、最初からこうするつもりで、私たちをご飯に誘ってくれたんですね」
「先生としては、カワイイ生徒達の空腹を満たしてやれる絶好のチャンスじゃーん?」
「……ははっ、そうだな」
ビキリ。
歯を噛み締める力が強まる。
……ああ、クソ。駄目だ、駄目だ。このような感情を生徒に持ってしまっては。
俺は『
「…………っ」
だが、それでもやはり憤りは抑えられない。
きっと今、外から見た俺は、それはそれは漢気に溢れた、良い笑顔をしている事だろう。
しかしその薄皮一枚下には、煮え滾ったマグマが如き憤怒が今にも噴き出そうとしていた。
「……あの」
と、そこへ隣から小さい声が聞こえてきた。
見てみれば、ノノミが机の下で俺に向けてゴールドカードを差し出している。
「先生、こっそりこれを使って支払ってください……」
その一言に、なんだか救われたような気分がした。
スゥーッ、と。全身に満ち満ちていた怒りが引いていく。
「いや、いい。折角だからな。俺が払う」
「え? 大丈夫ですか? でも……」
「いいから」
「あ、はい……」
俺の言葉に、ノノミはゴールドカードを懐へしまう。
「じゃ、そんなわけで注文は以上だ」
「はーい、承りましたー!」
────と、その後は皆でラーメンを食い、会計を済ませて、学店の外へ出る。
「いやぁー! ゴチでしたー、先生!」
「ご馳走様でした」
「うん、お陰様でお腹いっぱい」
「おう、そりゃあ良かった」
「何にも良くない! 早く出ていって! 二度と来ないで! 仕事の邪魔だから!」
と、店の少し外で話していた俺たちに、店の中からセリカがそう喚く。
「あ、あはは……セリカちゃん、また明日ね……」
「ホント嫌い! みんな死んじゃえー!」
……ああ、クソ。やっぱりイラついてしまう。
良い加減、本当に心の余裕が無くなっているのだろう。
この程度も笑い流せない自分の余裕の無さが情け無くて、また自分に腹が立つ。
「あはは、元気だねぇ〜」
「……さて、それじゃあ学校に戻るか」
「はーい!」
食事の際に緩めたネクタイを直し、学校までの帰路につく。
そろそろ、どこかで休まなくてはならない。
この体たらくでは、きっとどこかでミスをやらかしてしまう。
ワカモにでも何でも頼って、さっさとこの疲労を回復させなくては。
と、そう思う俺であったが、セリカが攫われた、と取り乱したアヤネが報告して来たのは、その翌日の昼頃のことだった。
プライドなんて、何の役にも立たなければ、邪魔にしかならない。
分かるだろう?