とうとう十二月です。師走です。遅くなってごめんなさい。
なんと気が付けばこの小説は初投稿から二年以上時間がってしまっているという事実。
驚愕です。
いつになったら完結するのやら。いや、絶対にさせますけど。それが目標ですし。
まあ、ただ今年中には絶対無理だと言っておきます。
あと一度二度くらいは今年中に投稿できると思いますがどうなることやら。
少し早いですが来年もよろしくお願いします。皆様に読んでいただけることが何よりの幸せです。
「水が欲しい」
黒星がそう一言発したことにより、ついに出発すると思っていた幽香とルーミアは肩透かしをくらいながらも、特に反対する理由もなく黒星の先導のもとで近くを流れる川へと向かっていた。漸く体を締め付けて肉に食い込んでいた茨の蔓の拘束から解放されたルーミアは抵抗らしい抵抗はせず従いながらも、なんでこいつ(黒星)は水なんかを求めているのか疑問に思った。別段、黒星は三重苦を背負った少女が家庭教師に発した言葉と同様に水が欲しいなどと言ったわけではなく(三重苦を背負った少女はそもそも水が欲しいとは言っていないが。当たり前だが黒星はそんな少女の話など知らない)、これから起こりうることに対して万全な準備を整えるために黒星は水を欲したに過ぎない。
黒星の妖術には水が入用である。
黒星は水を扱う妖術を得意としているがしかしながら水を操ることはできても水そのものを生み出すことはできない。大量の水を扱うには近くに川や湖などの巨大な水源がなければ不可能だが、竹筒に入れて持ち運べる程度の水量でも扱い方によっては有能な武器となる。
それに水を被らなければ生きていけない訳ではないが水生生物である黒星にとっては水は必需品だった。もっと言うならばけがの治療のため長く地上にいたことに対する本能的な反動が黒星を襲っていた。
いずれにせよ切迫したこの状況ではあまりのんびりしているわけにもいかず、黒星自身のもつ蟹としての生物的勘を頼りに最も近い位置にある川へと黒星は向かっていた。
そして目的の川の畔で流血しながら倒れている一体の猿の妖怪を発見したのは作為的なものではなくただの偶然である。
「――――」
最初に発見したのは黒星等のうちの誰だったのか、最初に言葉を発したのが誰だったのかを黒星はよく覚えていないが、最初にその血塗れの猿の妖怪へ駆け寄ったのは黒星であった。
黒星の根底には種族種類問わず生物を助けるような優しさあるいは慈愛のようなものがある。しかしまた、敵対するものや害するものを容赦なく排除するような冷酷な一面もある。襲い掛かってくるような者は躊躇なく殺すが地に伏して倒れているようなものにはわけ隔てなく手を伸ばす。誰をも助けるような善行と殺生を平然と行う悪行は矛盾し二律背反で言うなれば偽善的でエゴのようなものだが黒星にとっては善悪などなく公平であるのだ。助けたいから助けるし殺さねばならないから殺す、一種の狂気じみた短絡な考えだが化け物である彼にとっては特に悩むべきでもない精神性であった。
人間からすれば悍ましいことなのかもしれないがそもそも生物として違うのだから人間の尺度で測るべきではないのだろう。
「あら、やっぱり助けるのね。助けても仕方がないでしょうに」
幽香があきれたようにそういった。幽香は黒星とあまり長い時間を過ごしているわけではないがそれでも何となしにその精神性を理解し、だいたいの行動を予測できていた。
黒星のその優しさのような行為は幽香が好む黒星の特性の一つではあるが幽香自身では気まぐれで誰かを助けることはあってもまず倒れている者を助けるなどということはしないと思った。甚振ることはあるかもしれないが。
勘違いしてはいけないのは幽香はこういった黒星の美点のような行為や性格に好意を持ちこそすれど恋心を抱く理由ではないということだ。たとえ黒星が今のように誰かを助けずに見捨てても、剰(あまつさ)え無残に虐殺したとしても変わらずに黒星に恋慕しその愛を伝えるだろう。
行為でも性格でもましてや容姿でもない。では、外見も中身も理由ではないとするのならば何故黒星を愛しているのかと言えばこう答えるだろう――
『――存在全て――』
盲目ともとられかねないような言い分だが風見幽香らしいと言えばらしいのだろう。
彼女もまた自分のやりたいように生きているのだ。
「…………たるい」
妖怪を手当し始めた黒星を気怠そうな目でルーミアは見ていた。
おそらく黒星が助けようとしなければこの妖怪はルーミアの食事となっていただろう。
黒星とはまた違う意味でルーミアには区別も容赦もない。生まれながら捕食者として闇の中で生きてきた彼女には基本的に自分以外のすべての生物が捕食対象である。そこにあるのは美味いか不味いかの差であり、黒星も幽香もただの食材でしかない。幽香はあまりおいしそうではないと思っているが。同時に黒星は蟹であるから美味いだろうとも思っている。
ではどうして黒星と幽香をここで襲わないかと言えば単純な実力差の前に食べる気力がわかないからである。夜ではないため調子は落ちており、何よりも闇を好む陰の妖怪であるルーミアは恐怖や不安を抱くものを好むため無警戒でこちらに何の感情も抱いていないこの二体の妖怪を今すぐとって食べようという気にならなかったのである。食事をしたいときに食事をする。そういった生き方をしている彼女からすると黒星のやっている行為はつまらない――味気ない行為だった。
この三体は思考も性格もバラバラだが自分のやりたいことをやるという妙な共通点があった。
もっと言うなれば状況によって選択を選ぶのでなく自身の意思で選択をしているのである。
共に行動こそすれど自身の意思にそぐわないことであれば決してやらない。
温厚で誠実な黒星も優雅で超然な幽香も享楽で悪辣なルーミアも根本的には似通っている。
方向性の違いが生き方の違いを生み出しているのだろうが彼らがその類似点に気が付くことは恐らくないだろう。
なんだかんだでこの三者は他者の在り方を許容こそすれど意見や批評を申したり手本や憧れにしたり理解や共感を得ようとはしないのだ。他者に興味がないともいえるし、自身の在り方を確立していて揺るぐことがないとも言える。誰かから影響を受けることはないがしかし彼らの持つ強烈な個性は否応なく周りを巻き込む。巻き込まれたほうは堪ったものではないかもしれないし寧ろ良い刺激となるかもしれない。この三体が行動を共にしている状況は奇妙ではあるが案外理にかなっているのかもしれない。彼らはお互いに影響を受けることもなければ及ぼさない、一種の対等な関係が出来上がっているのだ。
★ ★ ★
倒れている猿の妖怪への治療はかなりの時間を要することになった。
黒星の見立てでは死んでいてもおかしくないほとんど致命傷を複数負っており、まず助からないだろうと予測できた。
そこで黒星はまともに治療を行うのをやめた。
「……幽香、次に言う花や薬草を用意できるだろうか?」
黒星はいくつかの植物の名前または特徴を挙げた。
黒星は幽香との一月を超える生活で幽香の能力を目にする機会があった。彼女の能力は花を操る程度の能力である。それを黒星に教えたりすることはなかったが隠しているわけでもなかった。目の前で堂々と花を咲かせてみたり種から植物を成長させてみたりと様々なことを看病がてら黒星の暇をつぶすために見せびらかしていたのである。それに対して黒星が賞賛し気分が乗ってしまった幽香が黒星が疲れ果てて眠るまで見せ続けたのはまた別の話。こうした経緯もあって黒星は幽香の能力を十全にまでとはいかないまでもある程度は把握していた。だから、黒星は幽香の能力を使って傷を癒すために使う薬草を用意してもらおうと聞いてみたのである。
「――できなくはないわ。どれも見たことのある植物でしょうし、これといって生やすのに難しい子たちでもない。でも、黒星のために私が力をふるうことは吝かではないけれど、その死にぞこないの猿を助けることは果たして必要なことかしら?別にその猿が死のうと関係ないでしょうし、助かったところで何の意味もないでしょう?」
幽香の一言は率直でなんの衒いもない言葉ではあるがしかし彼女の心境をよく表していた。
どうでもいいことをしたくない。
黒星が倒れていたなら一も二もなく助けて彼女の持てる能力を使って傷を癒しただろう。もしくは黒星の知り合いならば手助け程度ならば少しはしたかもしれない。黒星の邪魔をするわけではないが黒星以外を助けるような慈悲を持ち合わせているわけでもない。百歩譲って小鳥が怪我をして地に落ちていれば飛べるようになるまで手当てをすることはあるかもしれないが、図体がでかく醜い猿の妖怪を助けようと思うほどの価値はないと幽香は思った。
黒星はそれを聞いて少しだけ沈黙し、考え、答えた。
「……一つ気がかりなことがある」
黒星は先ほど手当をしたときに摘出した小さな石ころの破片のようなものを幽香に見せた。幽香は見たことがない形状をしていたが、薔薇の棘よりも鋭く、菱のようなそれは良く刺さりそうであると思った。実際のところ黒星が見せたものは矢じりであった。それも石ではなく鉄製であり、返しが付いていて一度刺されば抜くのは容易ではない。しかもそのうえ血を止まりにくくする類の毒が塗られている。
「これは恐らく矢じりだろう。石ではない何かでできていて、それでいて加工が細かい。まず間違いなく妖怪のものではなく、人間のものだ」
妖怪は武器をあまり使わない。己の肉体が石をも砕くような強靭さを兼ね備えていたり、あるいは強力な妖術を使うものがほとんであるからだ。それにたいていの武器は妖怪には通用しない鉄の刃程度では傷すら付かなかったり、そもそもまともな肉体を持たないような妖怪が多い。まだ丸太のほうが使い勝手がいいくらいである。一部の妖怪は自分の肉体に妖力を流し込み強化するのと同じように武器に妖力を纏わせるがそのような七面倒なことを行うならば殴ったほうが早いのが現実。特に飛び道具など石を投げつけることで済んでしまうわけで。弓矢を使う妖怪などは黒星は聞いたこともなかった。
「それで、人間だからどうしたのよ?人間に退治された妖怪なんて珍しくとも目新しくはないわ。ただ間抜けなだけ」
「この矢じりはかなりの技術がなければ作れない。少なくとも私はどうやってこの矢じりを作成したのかさっぱり分からない。そして毒がこの矢じりには塗られている。大したものではないが、妖怪にだって通用する毒だ。――つまり、この矢じりの持ち主である人間の集落は技術がかなり発展しており尚且つ妖怪に対する知識もそれなりにあるということになる――そして私は――」
そこで黒星は言葉にするのを躊躇った。躊躇う程度には確信していたのかもしれない。それでいて因果のようななにかを感じ取ってしまっていた。
「私はそれができる人間の集落を――人間を知っている」
「――それが、“エイリン”なのでしょう?なるほどね、黒星が悩んでいることは凡そ分かったわ」
そして黒星のためらいを見抜けるほどに幽香は鋭く聡く、遠慮をしない性格である。間髪入れずに繋げた言葉は図星であり、俄かに驚きを露わにしている黒星の表情を見て幽香はそれが事実だと断じた。
幽香は“エイリン”のことは聞いていた。名前は知っていた。他ならぬ黒星の口から零れ出た人間の名前であり。それが女の名であることも幽香は聞いてすぐに分かった。直感的に理解した。
「……概ね幽香が考えている通りだろう。私はこの者から聞き出したいのだ、この矢じりを受けた詳細を。欲している答えが出るとは限らないが、そもそも私が考えているのとはまた別の集落の人間が使っているのかもしれないが、聞くことができるのならば聞いておきたい。永琳のことを差し引いても得ておきたい情報であると私は思う」
黒星がこの妖怪を助けようとしたのは別段打算があってのことではなかった。血塗れで死にかけている妖怪を見つけて助かるのならば助けてみようと思ったからに過ぎない。黒星にできる範囲でやるつもりであったし、助からないならば諦めていただろうし、幽香の力を借りようなどと微塵も考えてもいなかった。それが治療をしていくにつれて変わっていった。状況も心境も。
幽香に助ける理由を問われたときに沈黙したのはその打算が原因であった。
打算を抱く自分の卑しさを恥じたからではなく、黒星のみに関係している事情を幽香に話すべきか否かを考え、話さないほうが自分でも許せないと結論に至り、それから話し始めたが故の沈黙であった。
人間の集落も八意永琳のことも黒星が考えるべき事案であって幽香とは無関係なものだ。彼にとっては幽香を巻き込んでしまうことが嫌で、しかし何も知らせずに蚊帳の外に追い出してしまうようなこともまた耐え難いものだった。黒星自身が経験しているため尚更に。誠実な彼が口を閉ざしかけるほどには深い葛藤があった。
「そう、……いえ、別に力を貸さない訳ではないわ。大した手間でもない。ただ、黒星は誰でも助けようとするでしょうし誰だって救おうと手を伸ばすのでしょうけれど、それでも自分の勝手のために誰かに手を伸ばそうなどしない――と私が勝手に思っていただけ。――だから疑問に思っただけ。ちょっと気になっただけよ。助からないなら助からないで手厚く葬ってあげるのかと思えば、私に頼ってまで助けようとするほどの価値が、その猿の妖怪にはあるはずがないもの」
幽香の洞察は黒星の性格を作り上げている根幹に近いものを見抜いていた。だから掘り下げたというのが幽香の考えだった。そもそも、黒星に頼みごとをされた時点で幽香は一も二もなく従うつもりでいたのである。ただ、気になっただけだ。黒星のことをその行為の真意を、そして名前が挙がった永琳のことを。
「ごめんなさい。意地悪をしたわね」
それでも、黒星には確かに打算があったのかもしれないが、純粋に助けたいと思っていたことに違いないと幽香も分かっていた。それを敢えて聞き出し、恐らくあまり話したいことでもない事情を聴きだしたのことにほんの少し罪の意識を持った。その卑しい自分を醜く思った。しかしながら後悔するほど愚かでもない。
「――私が勝手に迷惑をかけただけだ。謝ることではないし、寧ろ初めから悩むことなく理由を話せばよかった。私の落ち度だよ」
「なら、お互い悪くて痛み分けね。謝りあうのは馬鹿々々しいし止めにしましょう」
そういって幽香は優しく微笑んだ。
そんなこんなで治療は続いていったわけだが、やり取りを見ていたルーミアは終始あきれた様子だった。
『何でコイツらは確認作業でもするように話し合ってんだろう』と、そう疑問に思いながらもそれを口に出すことすら怠く感じていた彼女は、適当に川岸の岩に座りつつ素手で捕まえた鮎を頭から喰いちぎって食べていた。
それから一行が目的地である“地ノ底”に向かって進み始めたのは日が真上辺りに達した後であった。
時間が過ぎていくと果たして誰が得するのか。このときはまだ誰も分からなかった。時間に対して疎い妖怪たちは特に。