東方蟹異譚   作:蟹ノ鋏

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奈落という言葉は仏教用語からきているようで、それが転じて舞台やら歌舞伎の花道の下にある空間のことを呼ぶようになったとか。
舞台の方の奈落で役者を迫り出したりする装置があるそうですが、結構高くて舞台によっては三メートル以上あるとか。
落ちると危ないですよね。
某刑事ドラマではその落差を利用して殺害するなどというシーンがあったり。
一説に、華やかな舞台の裏には常に嫉妬があり、それが怨念となった魔物が薄暗い舞台下に潜んでおり、時折これが悪さをするから舞台事故が起こるとかつては信じられていたことによるもの(ウィキペディアより引用)
とか。
まあ、人の怖さは奈落の様に本当に計り知れないですけれど。
妖怪よりも殺人犯のほうが怖い現代です。


参話 小さな溝は奈落のように

 人間が呼ぶ“妖怪”は厳密にいえば黒星たちのことを指していない。いや、黒星たちが妖怪でないという訳ではもちろんない。黒星たちからすれば自分たちは“妖”という種族なのだが、人間からすれば“妖怪”という言葉で一纏めにしているのである。

 人間側の“妖怪”という定義は人知を超越した自然現象でもなくまた神の力でもない力を使う獣でもない怪異全て。それが“妖怪”である。

 

 人間でもなく、獣でもなく、ましてや神でもない。それは確かに妖怪である。

 

 だが、妖とは少し違う。多少のずれがそこには存在する。

 

 人間ではない妖たちにすれば別段自分たちのことを特別視していない。

 人間とは違うがそれだけで、彼らからすれば自然を超えているという感覚はない。者によっては自身を獣と思っている妖もいる。彼らはあくまでも自然の中に暮し、自然に流されるように生きて、自然と共に死んでいくだけ。自分たちが使う妖術の類も、自然現象と何ら変わりがない。

 故に、“妖怪”ではなく“妖”。

 怪異ではない。

 彼ら自身は妖という自然に生きる種族である。

 

 

 それでも、人間たちにとってすれば“妖”は“妖怪”と何ら変わりがない。それは間違いではない。

 人間は人間であり妖ではないのだから、

 

 

 ――だから当然、そこに認識のずれが生じるのは仕方がないことだった。

 

 それは人間か妖か、その視点の違いからくる考え方の齟齬にすぎない。

 

 “妖怪”も“妖”も同じことを指しているのだから。

 

 些細な認識の差違。

 

 例えば、海沿いに生きるものと山中に暮らすものの生活観の違い。

 例えば、温暖な島国の住民と寒冷な雪原の集落の価値観の相違。

 例えば、飢えに苦しむものと食に困らないものの命の差。

  

 言うなれば、それは溝である。

 

 とても小さいものなのかもしれない。

 何故なら、本質的なものは全く一緒なのだから。

 偶然とか偶々とかその程度で生じた差なのだから。

 敢えて取り上げる必要もないことなのだから。

 当然のことを騒ぐ者などいない。

 そ う い う も の は そ う い う も の。

 

 だから、無視される。

 誰もその小さき溝を埋めようとはしない。

 

 時間は止まることなく過ぎていき、ゆっくり根幹は深くなる。

 たとえ、溝に気が付くものが現れたとしても既に遅い。

 

 溝は一人では埋められないほどに深く開かれてしまっているのだから。

 

 

★ ★ ★

 

 

 ――次に少女が目を覚ましたとき、それは朝日が昇り切った後だった。

 目の前には知らない天井が広がっており、いつものふかふかする特注ベットの上で無く青臭いよく分からない葉をたくさん敷き詰めて作られた原始的な塒(ねぐら)の上である。此処がどこだかは分からないが、少なくとも使い勝手の良い自分の部屋や薬品の匂いが立ち込める研究室でもないようだ。

 

 段々と覚醒していく頭は自分が意識を落とす前に起きた出来事をゆっくりと思い出させていく。

(そういえば、妖怪にさらわれて確か川に落ちた後、滝から落下して……)

 その後、自分がどうなったのかは覚えていない。

 一瞬、また別の妖怪に攫われたのかとも考えたが、原始的だが背中を痛めないようにと塒を敷かれていることや恐らく骨が折れている左腕に添え木されて簡単に怪我の処置が為されていることから、敵意のある妖怪に捕まったわけではないと結論付ける。

 

 もう一度、落ち着いて自分の身辺の状況を確認する。

 

 朝日が差し込んできてはいるが暗い、それに湿っていてヒンヤリとしていることや天井が土であることからここは如何やら洞穴か洞窟のような場所らしい。空間は人が二・三人は横たわれるだろう。奥行きはそこまでもない。出口がすぐそこに見える。今のところ自身を連れてきた存在も確認できない。外出しているのかもしれない。

 体調は思ったより悪くない。怪我の処置が割と的確になされていたことや、何かしら薬草らしきものを塗られてているようで良好とまではいかないものの動ける程度に回復している。川に落ちたので風邪をひいていてもおかしくないのだが熱や体の倦怠感はない。疲れもとれているため、今から体を起こしても大丈夫そうだ。

 

 自身の体調と状況を鑑みて、彼女は起き上がることにした。

 このまま、完全に回復するまで待つというのも有りではあるが、未だ自分が悪意をもつ妖怪に攫われていないとは限らないのならば、この洞穴の主がいないうちに抜け出してしまった方がよいだろう。

 そう考えた彼女は、音を立てないようにゆっくりと起き上り洞穴の出口を目指す。

 武器になる様なものは辺りに何もなかったので気休めで握り込めるような小石を一つ携えて歩いていくと、丁度出口の付近に彼女が愛用している弓と矢筒が立てかけられており、触って確かめると問題なく使うことができるため、彼女はそれらを持っていくことにした。

(もしかしたら、同じ人間が私を助けてくれたのかもしれない。それも薬学と医学にかなり精通した人が。)

 人であっても妖怪であっても助けられてはいるが、人間である彼女は人間である方が当然好ましい。

 彼女は別に妖怪が嫌いという訳ではないがそれでも常識の様に妖怪と人間は敵対するものという構図が頭の中に入っている。

 偏見ではないと思うぐらいには。

 

 それはさて置き、彼女の『此処から早いうちに抜け出してしまおう』という目論見は結果的に失敗であった。

 

 洞穴を抜けてすぐそこ。

 その洞穴の主である一人の青年が、洞穴の目の前にある池の方を向いて居座っていたのだから。

 

 しかも、墨染めのような黒い着物の上を肌蹴させて上半身が裸という状態で、だ。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 ――私は困惑していた。

 困惑というよりも混乱に近いかもしれない。

 

 年齢的に言えばまだまだ未熟な小娘である私だけど一般的な大人たちに比べれば様々な経験をこなしてきている。だからよく大人扱いをされてきたし、デリカシーの無い人から老けているとか考え方が子供じゃないとかそんなことを良く言われてきたものだけれど、一応私だって乙女の年頃である。

 それに、家柄はそれなりに良かったから生まれついてから蝶よ花よと育てられてきたのも原因かもしれない。

 このように男性の裸を見るのは初めてだった。

 思わずドキッとしてしてしまう。

 薬学や医学を仕事としている私は老若男女問わず診察や解剖という形で見てきたけれど、それは仕事として臨んでいるからこそのことであって、不意打ちの様に仕事以外で見せつけられたのは初めての経験だ。

 

 顔が熱い。

 動揺が最高潮に昇る。

 

 ――しかし、そこでふと状況を思い出す。

 おかしい。変だ。

 急激に熱が下がり、頭が冴えていく。

 恐らく私を助けてくれたのはこの人なんだろう。だけれど、ここは妖怪の縄張りだ。

 男性の周りには武器になるようなものはない。無防備でこんな場所に人間がいるとは思えない。

 素手でも妖怪を倒せるほどに強いか、能力持ちか、そのどちらかかもしれないけれどその可能性は低いだろう。

 

 じっと、目を凝らして男性を観察する。

 

 何やら作業をしているようで時折肩が動いている。

 特に周囲を警戒している様子はない。

 

 多分、いや確実にこの男性は人ではなく妖怪だ。

 上手く人に化けている。

 確か妖力が強い妖怪は人に化けることも可能ということを聞いたことはある。

 思えば霊力の類は感じられない。

 ならば、妖怪と断定して間違いはないだろう。

 

 私は静かに矢をつがえてから弓を構えると、人に化けている妖怪の後頭部に狙いを定める。

 左腕を折っているためにあまり強くは引けないだろうけれど、この距離ならば外すこともない。

 いくら妖怪と雖(いえど)も、頭に矢が当たれば重症だろう。

 逃げる隙ぐらいは生まれるはず。

 

 私は静かに弦を弾き――

 

「――ようやく目覚めたか。少女よ。」

 

 気づかれていた。

 

「動かないで!!動けば頭に穴が開くわよ!!」

 

 しかし、背後を取っているのはこちらだ。

 妖怪は振り向くか何かしらの行動をとらなければ私には襲い掛かれない。

 それならば私の矢の方が速く放てる。

 頭でなくとも足や腹部を狙うのは簡単だ。

 

「生憎と私は今、両手が離せないから君が矢で私の背後を狙っているのならば避けようも防ぎようもない」

 

 不思議と妖怪の声は穏やかだった。

 低く何処か理知的で、夜の月の光を綺麗に反射する水面の様に冷静だった。

 

「一つ君に忠告をしておこう。君のその左腕は損傷が激しかったから最低でも後一週間は動かさない方がいい。無理に動かしたり負荷をかけると直ぐに使えなくなる。――例えば弓を支えるなどという行為は控かえるべきだ」

 

 諭すような声に何故か私は耳を傾けてしまう。

 事実として左腕は鋭い痛みを発している。

 何度も弓を弾くのは無理があるかもしれない。

 この森を抜けるまでに何度も弾けるとは思えない。

 沈黙が長く続く。

 私は相変わらず妖怪の後頭部を狙ったまま、妖怪は私を気にせず作業を続けている。

 

「…………さてと、此方の作業も終わりだ。では、まず君に先に伝えておくことがある。私は君を襲ったりはしない。人間とも敵対する気もなければ、食料とすることもない。もちろん、そちらから襲ってきた場合はそれ相応の仕返しはさせてもらうけれどね。君みたいな少女が襲われていたら助けるくらいのことはする。しかしながら、人間の味方はしない。妖怪だからね、私は。人間が喰われようが憑かれようがしったことではないというのが本心だが、これまで様々な人と関わってきたし、その恩もあるから助ける人は助ける。気まぐれだが。――おっと、長く語ってしまって済まない。先に尋ねるべきことを失念していた」

 

 黙々と作業を続けていた妖怪の手が止まり、ゆっくりと立ち上がった。

 背丈は私よりも頭二つ分ぐらい大きい。長身だ。

 背を向けたまま、語り続けてい妖怪は唐突にこちらに振り向いてきた。

 

 このとき私は矢を放っていればよかったのかもしれない。

 私は()に敵意や悪意がないと感じて矢を放つことを躊躇い迷っていた。

 もし、この場で矢を放っていれば。明確に敵対していれば。

 思い悩むこともなかっただろうに。

 

「少女よ、君の名は何という?」

 

 凛々しくも何処か幼さが抜け切れていない顔立ち。

 つり目であるが攻撃性は感じ取れず、冷静で思慮深い印象を与える。

 体格も細めではあるが決して華奢という訳ではなく筋肉質で引き締まっている。

 

「……へっ?」

 

 口から今までに出したことの無いような気が抜けた声が出た。

 見蕩れていた。魅了されていた。

 有り体に言えば格好いい。

 

「ぬ!?」

「あ!」

 

 肩すかしというか、不意を突かれたというか、どちらにせよ私は緊張が切れて思わず弦を離してしまった。

 当然、矢は放たれて、狙いは定まっていなかったが彼の胸元へと吸い込まれるように飛んでいく。

 

 しまったと、思ったがもう遅い。

 

「あぶな――」

 

 危ない。そう、口に出すよりも速く彼の左腕は動き始め、飛来してきた矢を素手でつかみ取った。

 

 彼は何も言わずに掴み取った矢を片手でへし折り、私の方を向いた。

 

 殺される。素直にそう思ったが、彼の表情は変わらない。

 

「ふむ、その腕で弓を構えるのは辛いだろう。大丈夫か?」

 

 どことなく温和な声で労わりながら、彼は私に近付いてくる。

 そして、そっと私の左腕を支えた。

 恐怖かそれとも他の何かによって私は放心に近い状態となり、握力が抜けて弓を落とす。

 彼はそんな私の左腕を見て、怪我の状況を診断する。

 

「……うん、酷くはなっていない。順調に腫れも収まってきている。とあえず、薬を付け直すとしよう。――ああ、そういえば私もまだ名乗っていなかったね。私は黒星という。君の名を、良かったら教えてくれないだろうか?」

 

 これが私と黒星さん(・・・・)の出会いで、深い深い幸福と悲劇の始まりだった。




目と目が合う瞬間に~♪

いや、まあ、まだ分からないですけれど。

そういえば、少女の名前を出す忘れていましたが東方に詳しい読者の皆様ならば前回のお話でお気づきなられたと思います。

彼女です。

手を振り上げて召喚する彼女です。
恐らく、最年長である彼女です。
まあ、この話では精神も肉体も乙女なのですが。

乙女らしい彼女を書いてみたいというのと、「~さん」とか言わせてみたいので。
単純に作者の願望と妄想全開というだけですが。

次回は蟹回です。
そういえば、鍋が美味しい季節になってきましたね。
蟹鍋とか……食べたことねえな。
まあ、蟹はたまに出るのが美味しい食べ物ですから頻繁に食べていたら飽きてしますね。秋ですし。

……応援よろしくお願いします。
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