蟹ノ鋏です。
という訳で、挿話ということで無理矢理一話を書いてみました。
本来、仄めかす程度にしか書かないつもりだった永琳とのシーンですが、このまま永琳を放っておくのもなんだか寂しいと感じたので急遽苦手な会話をどうにかしてひねり出して作ったものです。
いつもより短くてすみません。
次話のつなぎです。
あまり大切な話でもないので、原作キャラのイメージとかけ離れるのことに嫌悪を感じたり、そういう甘い話が嫌いな方はブラウザバックをお勧めします。
次の投稿はいつになるのか……。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
「――黒星さんってこの森に住んでいらっしゃるのですか?」
ある日の昼下がり、食料調達と気分転換も兼ねて永琳と黒星は洞窟近くの小川で釣りをしていた。
もちろん、蟹の妖である黒星ならば釣竿を使うよりも元の姿に戻って魚を捕まえた方が手っ取り早い――手ではなく鋏を使う――のだが、のんびりと座して水面に糸を垂らし、あたりを待つのも一興と考え、永琳も誘いこうして釣りをしている。但し、永琳は左腕を痛めているために釣竿を持つことはなく、彼女自身はただ黒星の釣りの様子を眺めているだけである。
因みに釣り道具一式は全て黒星の手作りである。
蟹であるにも関わらず薬を調合したり、釣針のような細かい道具を作るとは奇妙なことだと永琳は思わずにはいられなかった。黒星の場合蟹の姿においてもそのような細かい作業が出来るため、永琳は何度か蟹が薬草をすり潰すといったシュールな光景を目の当たりにしていたりする。
それはそれとして、釣りを始めてから二十分ほどが過ぎた辺りで永琳は黒星に話しかけだした。
他愛のない会話である。
「いや、この森には一時的に留まっているだけにしか過ぎない。ついこの間までは大きな湖に住んでいたのだが、好奇心に駆られ旅を住処としているよ」
「旅を住処にですか、私には想像もつかない生活ですね」
「やはりと言っては失礼かもしれないが、旅の経験はないのか?」
「ええ、私はあの街の自分専用の広すぎる家で暮らす日々ですね。こうして外に出ているのも普段からではあまり考えられないことでした」
「外に出てみようと思わなかったのか?」
「ええ、なんだかんだで言って私の暮らしは充実していましたから。好きな実験も出来ましたし、欲しい物も実験の成果で得た財産でどうとでもなりましたから」
「そういうものなのか……」
黒星はふと遠い目をして視線を釣糸の先から空へと向けた。
青空は雲一つない快晴であり、透き通るように晴れわたっていた。
「八意、君は以前に友がいないと言っていたな。何故君は友を作らないんだ?君ぐらい賢く容姿に優れ気遣いもできるならば友が多くいても不思議ではないだろうに。」
黒星がそう尋ねると、永琳は少しだけばつが悪そうな顔をした。
「……友達なんて要りませんよ。私には必要ないです」
僅かに声のトーンを下げて答え、彼女は俯く。
何かしら言いたくない過去でもあるのか、その答えは黒星には分からないが永琳を慮って彼は一言だけ、
「そうか」
呟いて、数秒間だけ目蓋を閉じた。
「私は妖として未熟者の身なのだ。数年前に湖を出ることが無かったら、私はあの場所でただただ虚無な日々を送り続けていただろう。私は蟹として生まれた。自我を確立し自身を持った。本来ならばただそれだけで蟹として生涯を費やして朽ちていたところだった。だが、私はそうはならかった。私はそこで師に出会った。いや、正しくは私の師であり最初の友でもあった。師からは様々なことを教わったよ。あの湖では到底知りえることのできなかったことを師は教えてくれた。そして、初めて自分が妖であるということを知った。恥ずかしいことだが私は生まれて百年以上もの間自分の正体が妖だと気が付かなかったのだ。私は無知だった。愚かにも湖だけで自己を完結していた」
黒星は淡々と独白する。
永琳に聴かせるためなのか、自分に語りかけているのかは本人のみぞ知ることである。
「師と出会って暫くしてから、私は初めて妖と出会った。私にとって初めて目にする妖だった」
「黒星さんの師匠は妖怪ではないんですか?」
「さてな。私の師は大きな亀だった。言葉を巧みに話し、様々なことを良く知っていた。博識で思慮深い方だった。結局のところ師が妖なのかただの亀なのかは分からずに亡くなってしまったが」
「……お亡くなりになられたのですか、それは――」
「君が気にすることではないよ。命あるものはいずれ死ぬ。師もその摂理違わず、天寿を全うしただけさ。さて、そうその妖のことだが、初めて会ったときはお互い警戒していたのだがゆっくりと打ち解けていった。今では掛け替えのない友だ。そして、私を旅に誘ったのもまた彼らだった。思えば私は友に恵まれていたのだろう。そうでなければ、私は矮小で愚かな蟹であり続けていた」
そこで、黒星の持つ竿が大きくしなる。
竿の動きを直ぐ様感じ取った黒星は慌てることなく、しかし機敏な動きで立ち上がり竿を引き揚げた。
妖である黒星の腕力はとても強く、抵抗されることもなくいとも容易く魚影は水面から飛び出し、水飛沫を上げながら宙を舞い、黒星と永琳の丁度真ん中に落下した。
「きゃっ!!」
可愛らしい永琳の悲鳴が上がる。
地べたをのたうち回るその魚は三尺近い体躯を誇る大物であった。
「ふむ、鯰か。随分と大きく育ったものだな」
黒星は感心した様にその姿を見やると、そのまま永琳を見つめた。
「私は旅して様々なことを知った。こうして釣りができるのも旅から得た知識の賜物だ。私はな恵まれすぎている。師に出会い、友に出会い、旅を行う。これは奇跡と言っても過言ではない幸運だ。故に、私には君の立場など分からない。君の経験してきたことも君の日常も君の考えも何もかもが分からない。君にとって友が必要ないものだというのならばそれはそうなのだろう。私はそれを否定しようとは思わないし、君の考えが間違っているとは思えない。だから、これはただの私の我が儘なのだが――」
永琳もまた黒星のことを見上げていた。
永琳から見える黒星はとても大きくて頼もしく映った。
「もしよかったら、私の友人になってはくれまいか?」
永琳は思わず顔を逸らしそうになった。
そうでもしなければとてもではないが耐えられなかった。
黒星が浮かべていた表情は年頃の乙女である永琳を赤面させるようなものであったのだ。
「え、あ、あのっ!わ、私でよろしければ……」
「敬語は要らない。敬称も不要だ。私は黒星だ。よろしく頼む、永琳」
「はっ、はい!」
と、そこで釣り上げた大きな鯰が一際激しく飛び跳ねた。
「きゃっ!!」
「おっと」
黒星は事もなげにその身を避けたが、永琳は驚き腰を抜かす。
暫く一人と一体は茫然とし場には穏やかな静寂が流れた。
「ふっ、はははははははっ!!」
黒星は高らかに笑った。
ひたすら無邪気な、純粋な笑みとも言えよう。
そして、永琳に近付いて自身の右手を伸ばした。
黒星の手は野山で生活しているためかお世辞にも綺麗とは言えず、所々に傷痕がありごつごつとしていた。
それでも、掌は大きく頼りになる男らしい手をしていて、気になるどころか魅力となっている。
その手を見て、永琳もおずおずと自分の手を伸ばした。
怪我をしていない色白の綺麗な右腕は、汚れも傷もない無垢な手だ。
ただ、黒星に比べて非常にか細く力強く握れば折れてしまいそうなほど華奢な手であった。
黒星はその手をつかみそっと持ち上げる。
永琳はそのまま立ち上がり再び黒星の顔を見る。
漸く、永琳は気が付いた。
自身がどうして妖である黒星のことを忌み嫌わないのか。
初めから、出会ったときから永琳は分かっていたことなのだろう。
だから、永琳は自身の感情を正確に認識して、ほんの少しだけ前に進む覚悟を決めた。
彼の側に居たい。
でも、彼と一緒に旅をするのは無理だろう。
だったら――
「――黒星さん、いえ黒星。……もしよかったら、もしよかったならば私と一緒に暮らしませんか?」
透き通る青空には何もない。
ただただ、遥か向こうまで色鮮やかな空色と穏やかな日差しが降り注ぐだけである。