別ける必要あったのかといわれると返す言葉もないのですが。
申し訳ない限りです。
早く次の展開に進みたいのですけれど……。
頑張ります。
◆ ◆ ◆
八意永琳は森を震わすような巨大な音を聞いて目を覚ました。
すわ、何事かと目を開き体を起こし、周りを見渡した。
――黒星さんが何処にもいない――
瞬間、彼女の脳は完全に覚醒し、そして現時点での事象の凡そを推測し、幾つかの過程を瞬時に考えた。
――手がかりは今のところ三つ――
一つ目は先程聞いた爆音のような地鳴り。いや、爆音そのものだろう。一般的に考えれば火薬かもしくは何らかの自然現象を疑うが永琳は微かに洞窟の外から神力が流れ込んでくるのを感じ取っていた。もちろん、永琳に神力を感じ取るような能力はない。しかし、その他の力――霊力や魔力や妖力など――とは違う。邪悪さや禍々しさと言う様な“穢れ”を発していない力となれば霊力又は神力が妥当。あれほどの地響きを鳴らし一般人である永琳でも感受してしまう様な強力なものとなると……。
――神力、それも相当高位なもの。となると少なくとも妖や人間の仕業じゃない。あの娘もまだここまで上手に能力を扱えてはいない。そこから考えられることは――
二つ目は黒星が居ないこと。彼は永琳が寝静まってから座るように、いつ外敵が侵入しても対応できるように壁に背中を預け入口側で寝ている。一ヶ月も同棲しているにも関わらず永琳は黒星の寝顔を見たのは片手で数え切れる程でしかない。(それでも寝顔をしっかりと見ているのは彼女の乙女心――というよりは愛とか執着心とかの代物だったりする。恋する乙女は強かである。)だから今までにも永琳が気が付かなかっただけで黒星が夜中外へ出かけていたかもしれないし、実際に永琳も黒星が夜中出かけていったであろう痕跡を何度か見つけていたりする。黒星自身別に隠しているわけでもなく理由を聞けば躊躇せずに答えてくれる。ただ、絶対彼女が目を覚ましたときにいなかったことはない。
――そう、黒星さんは私の意識があるうちは決して目を離さなかった。おかげで寝顔が全く見られなかったのだけれど――
黒星は永琳を信頼するとともに警戒もしていた。それは永琳が無能だからではなく有能で、場合によっては彼女一人で黒星の目をかいくぐりこの森を脱出しようとしかねないと考えたからである。無論、永琳からすれば杞憂と断ずることができる予測だが。
――黒星さんは少し心配がすぎるんですよ――
心の中ではそう非難しつつも自身の身を案じてくれる黒星のことを想うと嬉しさから彼女の口元がついつい綻んでしまうのは仕方がないことだろう。
――だけど、問題なのは黒星さんが外に出た理由よりも、この洞窟に戻っていないということ――
三つ目、それは黒星の様子が今日一日どことなくおかしかったことである。どこがおかしかったのかと問われると、永琳は答えに詰まるかもしれないが。彼女は黒星の態度に無視できないほどには違和感を感じていた。
――体調が悪いという感じではなかった。なんともいえないけれど、陰りがあったような――
隠し事や、考え事悩み事を抱えているような雰囲気が近い。
――隠し事というよりは、もう既に答えは出ていていつ伝えるかを迷っていたのかしら――
あくまでも推測の域を出ないのだが、彼女は確信にも似た自信を抱いている。
黒星と言う妖怪が決して人に頼らず信じず胸の内に隠すことはしないということを。
――彼は誠実だ。いつでも凛とした態度を崩さず、友情を最も大切にする――
これらのことを踏まえて彼女が導いた仮説はどれもこれも良くない状況を暗示するものばかり。
八意永琳は一旦目を閉じて思考を整理することにした。
――先ほどの爆音は人間や妖怪の起こしたものではない――
八意永琳と言う少女は聡明である。
――爆音の原因はあの方が起こしたものであることが最も可能性が高い――
それは人も妖も神すらも認め、一目置くほどだ。
――そして黒星さんがあの方と対峙していると考えてまず間違いない――
故に彼女は何時如何なる事態においても冷静沈着であり、決して安直な行動をしない。
――今私にできる最善策は――
永琳は直ぐ様立ち上がると壁に立てかけてある自分の矢筒と弓を身に着け、幾つかの薬品や道具を腰のポーチに入れ、靴ひもを結び直し颯爽と洞窟を飛びだした。
案の定、ここ一ヶ月使うどころか手に触れることすらしていなかった弓はしっかりと弦が張られ、矢筒には新しい矢が幾つか充填されており、いつでも使えるように誰かの手によってきちんと手入れをされていた。
焦燥感、一抹の不安、しかしそれに勝る様な彼の自身に対する心遣いを感じながら、八意永琳は月明かりの照らす夜の森へと分け入っていった。
★ ★ ★
「――おかしいとは最初から思っていた」
黒星は川辺に背を向けて独り言のように、しかし不思議と響きわたる静かな口調で唐突に呟いた。
「いくらなんでもあそこまで人の力で発展と繁栄をなし、技術を高め、あまつさえ妖に対抗しうる力をここ数十年程度でつけられるものなのか」
いつも通り凛とした顔立ちで、焦りや疲れは見えず、ギラリと瞳に強い意志を灯している。
「あれは個体差や土地の豊かさで説明が付く情景ではない。あの街は普通ではなく異常だと断言できる」
その視線の先には中性的風貌の美男子が神々しい雰囲気を放ちながら立っていた。
「そして、八意永琳。彼女の話だ。彼女は聞けば親しい友も頼りになる親族もいないそうだ。あれだけの才覚と気遣いのできる気質を持ちながら生まれてから年齢の近しいものとの交流や家族そろっての団欒を経験したことが無く、彼女のために与えられた建物の中で好きなように研究に勤しんでいたと言っていた」
決して激しい声ではない。
何か特殊な力を出しているわけでもない。
しかし、その言葉は重く。
それでいて、深い。
「あのような少女が、だ。二十もいかない少女が、一人も友を作らず、家族とも離れ、外に赴くこともせず、部屋に籠り若き時代の貴重な日々を己がためでもなく、思い入れも親しみもない他者のために費やしている。これが異様なことでないというのならば何が正しいのだ?街の繁栄だって同じことだ。あれは人々が望んだのではない。初めから望むように、繁栄を正とし反感や違和感を感じさせず、あのような少女を平気で発展の礎として利用し、自然に生きる妖や獣たちを脅かし、人が生き残ることのみを素晴らしいことだと思わせた。そう仕向けさせたのだろう?――月の神、月夜見命」
月光に照らされながら、天衣無縫とも思えてしまうほど強烈な意志をひたすらに隠し通すかのように冷淡な口調で眼前に君臨する一柱を臆することなく見下していた。
理知的な表情の裏には決して抑えきることのできない煮えたぎるような激情が存在することを何も知らない第三者が傍から見ていても察することができるだろう。
黒星は憤っていた。
分かりやすくキレていた。
薄々、その存在のことを感づいていたのだろう。
あの壁が囲む街の発展には妖さえも寄せ付けないような巨大な何者かが裏にいることを。
妖を寄せ付けないとなると、同じく妖でありながら強大なる力を持つものか、若しくは妖を超える力を有する神の類か。
間違っても人間だけでは成し得なかったで有ろう躍進。
もし、八意永琳のような才能溢れる者が大勢いたとすれば、とも考えなかったわけではないが、かのような人間が多数生まれていれば間違いなく現段階で妖たちがあの街を潰しに動いていただろう。
永琳ほど賢ければまず妖とはできるだけ敵対しない道を選ぶだろうし、急激な進歩よりも安定した日常を考えるだろう。
だが、神と言う存在が後ろ盾になっていれば話が別だ。
街は安心して開発を進め、妖とも敵対し、神の下にいる自身と周りの者を差別するだろう。
神のおかげで人は栄え、人の信仰心によって神の力は存在の格は上がっていく。
そこに生じる軋轢を度外視して――だが。
急激な発展の裏には破壊された自然があり、進歩を遂げた人間たちは次第に妖たちに危険視されていく。
遅かれ早かれ、たとえ白河や朱啼が動き出さなかったとしても、いずれ人と妖の大規模な戦争が起こることは明白であった。
そして、本腰を入れた妖に人間のようなか弱い生き物たちが抗えるとはとてもとても黒星には思えない。妖たちは人間たちに容赦をしないだろう。食料程度にしか思われていない人間は逃げることも隠れることも出来ずに食い尽くされて終わるだろう。これが妖に対して全く対抗する力を持っていない人間ならばすぐに村ごと逃げ出したりなどするが下手に力を付けてしまったあの街の人々は恐らく逃げもせずに敵対してしまう。月夜見という存在があるせいで。
「……つくづく、その賢さにおどろかされますね。妖ではなく私を信仰する人間だとしたらそれ相応の地位と力と名誉を授けたところでしたが」
不敵な笑みを浮かべ月夜見は言う。
「私にとってはどれも要らないものだ」
「ええ、妖風情には微塵も理解できないでしょう。神々を崇拝する高尚さや地位や力や名誉の重みなど」
「……解せないな。何故貴殿は妖と人を争わせるような方法をとる?貴殿ほどの神ならば妖に邪魔をされることなく人の信仰心を得ることも出来よう。人と妖の戦いの先などどうあがいても人に勝ち目はあるまい。戦争が起きれば信者を減らし、破滅へ導く神として語り継がれるだけだろうに」
「いえいえ、私は繁栄と発展を司る神だと伝説に残るだけですよ。貴方には分からないことでしょうがもう既に対策はとってありますので」
月にも生えるような微笑みを見せる月夜見のその瞳に狂気が映っているように黒星には見えた。
その瞳を見て、体中を這う得体のしれない不安を黒星は覚えた。
月夜見の態度から何かしら企てていることは察せたが黒星はその内容に(が)皆目見当もつかない。
現段階において、少なくともこの頃の黒星に月夜見の考えを予想することなどできもしなかった。
もし、黒星があの街の中に入るなり、永琳からもっと詳しく実験や技術の知識を聞いていれば或いは完全にとはいかないまでも概ね推測できたかもしれない。
ただこの場において黒星が月夜見という存在を危機感を持って認識できたおかげで幸か不幸か月夜見の思惑は外れることになる。
「そうか」
気が付けば、少なくとも月夜見の感覚では反応することも出来ず、再び目の前に近付いてきていた黒星が左の鋏頭上より振り下ろしていた。
しかし、完全に月夜見の意識の外を突いたその一撃は当たることなく、宙に浮いた半透明の丸鏡のような物が間に入ることによって防がれていた。
「……妖術なのかはたまた別の何かなのか私には分かりかねますが、私の認識を操るにしろ空間に作用させているにしろ、私が反応できないというのならば最初から守りを固めておけばいいのです。簡単なことですね」
笑顔で言い放つ月夜見を見て黒星は内心で冷や汗を垂らした。
黒星は自身の能力について十全ではないにしろできることはしっかりと把握して使いこなしている。今まで敵対してきた妖や荒神などは対応出来ずにいたのだが、あろうことかこの月神はただ一度受けただけで仕組みも理論も理解せぬままに対応してきたのだ。確かに常に防御を張っていればどのような不意打ちにでも耐えることはできるだろうが、黒星の振るう巨木をなぎ倒し岩も砕くような一撃から守りきるためにはどれ程の力を常時守備に回しているというのか。滲み出るほど余りある膨大な神力を持つ月夜見によってできる芸当だ。
下手な小細工など意中にも置かない強大な力を持つ者の戦い方である。
黒星は自身よりも余程化物じみていると感じた。
追撃を入れることはせず、黒星は大きく飛び退いた。
「あらあら、せっかく近づいたのに離れてしまっていいのですか?」
「――近かろうが遠かろうが距離そのものは余り意味をなさないようだからな。小手先の技では通用しないことも分かった。戦い方を変えさせてもらおう」
余裕を見せて挑発する月夜見の文言に黒星は態度を変えることなく淡々と応答する。
そうして黒星は人型の姿から本来の巨躯を誇る蟹の姿へと変貌した。
「随分と大きいですね。それが本来の姿ですか。やはり、妖は妖。実に醜い」
黒星の体は月光を遮り、辺り一帯を影で覆った。
言葉は無く、蟹の瞳が月夜見を睨みつけている。
「まあ、思うようにはやらせませんが」
先手を取って動いたのは月夜見である。
黒星の一撃を防いだ半透明の鏡を三つに増やしそれぞれの鏡から蒼白い光線を放った。
箒星の弧を彷彿とさせる光線は吸い込まれるように黒星の体の中心を狙って突き進む。
動く間も与えないような速度で影の覆う闇夜を引き裂いていく三本の光線は一筋一筋が金剛石すらも貫くような貫通力を持ち合わせている。いくら妖怪と雖もこの光線を身に受けて耐えられる者はいない。
だが、
――直撃する寸前、黒星の姿は一瞬にして消えた。
「消えた?……いや違う、これは――」
月夜見は眉を顰め困惑する。
黒星に当たることなく終わった光線は彼方の方向へ抜けていき、木々や岩を貫通し、遥か遠くで漸く消滅する。
辺りは静寂が再び支配し、激流の轟音が流れるのみで、生き物の気配など全くしない。
見渡す限りでは虫一匹すらも見当たらないが月夜見は警戒を解くことはしなかった。
されどどれだけ注視しようとも黒星の姿らしきものを月夜見は捕えることができない。
「……何処へ消えた。逃げたのでしょうか?」
月夜見の呟きを返すものなどおらず、煌々たる輝きを放つ満月によって濁流が流れる川は水面で乱反射が起こり明暗の差から眩しいほどの光と墨汁のような闇を見せていた。
川の底どころか中の様子など殆ど見えない。
灯台下暗しではないが、月夜見の視界に映る光景の中において最も死角となる。
カツン、と何処かで鋏がなる音が聞こえた。
轟々とした川の音に消されてしまったその音は月夜見の耳にも届くことはなく、場の静寂を打ち消すような音でもない。
ただ、その音を合図に川の水面(みなも)に小さな渦が五つ現れ、次の瞬間その渦の中から樹木のような太さの水柱が突如として上がり、それぞれが意志を持っているかのようにしなやかに曲線を描き激流の威力をそのままにして月夜見へと襲い掛かった。
くねらせながら進むその水流はさながら蛇の動きに類似しており、直線的ではなく蛇行しながら不規則に空を突き進む動きは予測しづらく避けづらい。厭らしい蛇そのものである。
言うまでもないことだが、この水流は黒星の仕業である。
種明かしをすれば何ということもないが、月夜見の放った光線が当たる寸前で自身の体を急激に縮小し、あたかも消えたかのように見せかけ、月夜見が姿を見失っている間に川へと潜り、妖術を使って水柱を作り出したのだ。
巧妙とまではいかないにしろ初見で見抜くのはほぼ不可能と言ってもいい偽装と隠形である。
黒星は身体的能力だけではとても月夜見を打ち破ることはできないと先ほどの応酬において即座に判断し、自分の苦手な妖術を使うための時間を稼ぐためにワザと一度巨大な元の姿へと変わり直ぐ様縮小し川へ隠れた。目論見は成功し黒星は時間を掛けて妖術を練り上げた。
黒星は自分が妖術が苦手であることを自覚しているが別段使えないという訳ではない。
確かに朱啼や白河に比べると未だ妖術を使い始めて日が浅いこともあり拙く劣っているのだが、実のところ単純な威力だけでは黒星の妖術は二体よりも格段に上である。技術や速度や多様性では朱啼に劣り、質や妖力の効率などでは白河に劣るのだが、シンプルな威力それも水を使った特に大技では二体では遠く及ばないほど優れている。
大雑把で粗雑で発動が遅く、細やか制御は出来ないのだが戦いにおいては有力な武器となる。まだまだ未熟で稚拙ではあるが黒星はそれを補うがために策を要し戦闘で使える段階まで引き揚げたのだ。
余談ではあるが黒星が大雑把であるのは何も妖術だけではなく日常生活でもそうだということを朱啼や白河の二名や、一ヶ月の付き合いである永琳も身に染みて分かっている。もっと言えば自らのことに対して黒星は幾分粗雑に扱っている面がある。永琳は特に無防備にも胸元を肌蹴させるのことは止めて欲しいとも止めて欲しくないとも思ったことが何度もあったそうだがここでは割愛する。
絡みつくかのごとく迫りくる水流を見て月夜見は防ぐことは困難だと判断し、咄嗟に自分の周りを包み込むように半透明な神力の膜を造り、左右上下から襲ってくる水流を遮断する。
「かなりの威力ですね。ここまでの妖術を扱えるとは、もしや大妖怪と同格の力を有しているのかもしれませんね」
言いながら神力を更に籠め、より強力な防御を構える。
ただの鉄砲水とは違い濁流を使っているためか土砂や木々の残骸が紛れ込んでおりその分重みと圧力が増している。自然災害よりも激しく厳しい攻撃がしかも四方向から絶え間なく襲い掛かってくる。
それでも、月夜見の体に傷の一つも付けることは叶わない。守りを崩せない。
神の中であってもより高位に位置する月夜見の格がありありと窺える。
この程度ならば容易に受け止められる。
余力を持つ者の思考が月夜見の頭をよぎったのとほぼ同時に、突如として辺り一帯が暗くなった。
そして気が付く、妖術によって作り出された水流は四方向からのみ、残りの一本は明後日の方向――上空へと延びていることに。
思い至ることと上空を見上げる動作は寸分たがわず一致した。
驚愕と恐怖によって月夜見は口を引きつる。
回避が間に合いそうにもないこともそこで悟る。
上空から、月夜見が先程見たときよりも更に一回りは巨大化した蟹の姿の黒星が左の鋏で月夜見を押し潰すよう落下していた。
文字通り大地を揺らしながら黒星は地面に激突し、強烈な破壊音が鳴り響いた。
戦いなどせずに黒星は逃げ出せばよかったのかもしれない。
もしくはもう暫く後に月夜見と対峙していたならば結果は変わっていたのだろう。
激情に駆られていたにせよ黒星は少々未熟だった。
考え方も、戦い方も、駆け引きも、思慮も、経験も、妖術も、何もかも未熟。
本来敵対しているのは神と妖ではないということを、彼は少しばかり失念していたのだった。
2015/06/17(水)誤字脱字修正