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ゆっくりと左手を虚空に伸ばす。
私が先輩の事を好きなのかというとそんなことはない。
別に嫌いではないが好きでもない。普通というやつだ。
ただ、一つあるとすればムカつくのだ。先輩が他の女性と話しているのを見るとモヤモヤする。先輩が他の女性の事を見ているとムカムカする。
昔、彼の妹ちゃんと三人でご飯を食べに行ったことがある。
私がお手洗いから帰ってくるときに聞こえてしまったのだ。
正確にはわからなかったが先輩が昔付き合っていた人関係の話なのだと予想がついた。別にそんなこと他の人では流せるがこの時だけは違った。こんな感情は彼に対しても思ったことはない。腹いせで帰り際に先輩のお金でいっぱい買い物をしたものだ。
このことを一回だけアクアとルビーに話したことがある。話すつもりは無かったが酔った勢いでポロっと零れてしまった。
アクアには鼻で笑われて、ルビーには呆れられてしまった。なんでそんな反応を返されたのかはわからない。
私はもうあの頃とは違う。アクアとルビーに「―――――」と言えたのだ。私はそれがどういったモノかを理解できたのだ。
でも、先輩に対するものは違う。
アクアやルビー、彼に対する者は明るくて嬉しくて暖かいポカポカしたモノなのに、先輩に対する者は傲慢で自己中心的で独善的なドロドロとしたモノだ。
私はその名前を知らないけれどただ一つだけわかっていることがある。手放したくないのだ。この思いだけは先輩の事だけは私は決して手放したくはないのだ。
入り口から扉を開く重い音が聞こえてきた。
アクアもルビーもちょうどさっき出かけて行った。なら誰が帰ってきたのはすぐにわかった。
私は振り向いて口を開く。
毎日言っている言葉をゆっくりと紡ぐ。
先輩と出会い、先輩と再会していくつもの月日が過ぎた。
私は手放さない為にその言葉を言った。
「どうよ八幡!この新作“初恋=好き”は!」
材木座は高笑いをしながらふんぞり返っている。
「まあいいんじゃないか。話も面白いしこれなら十分出して売れるレベルだと思う」
俺の言葉に材木座はさらにテンションをあげていった。
実際、話の完成度は非常に高くて面白い。これなら会議に通って売れるだろう。ただ唯一問題点をあげるとすれば一巻で終わりなのが少し寂しいような気はする。
ガハハハッと笑う材木座に俺は一つため息を吐く。
「でもな材木座。俺は新作を見に来たのではなく次刊の進捗を見に来たんだぞ」
「い、いや、それは……」
材木座の慌てふためく姿にため息を吐く。なんやかんや材木座とも十年以上の付き合いだ。こんなことは今までに何度もあった。
「とりあえず書けな」
「は、はい」
俺は腰を持ち上げる。
「それじゃあまた来るから死ぬ気で書けよ、剣豪将軍義輝先生」
材木座、ようやく帰ったかという表情は俺がいなくなってからするもんだぞ。
書斎を出て廊下を歩いていく。玄関向かう途中にあるリビングで奥さんに軽く挨拶をして材木座宅から出ていく。
「にしても声優と結婚ねー。夢って言っていれば叶うものだな」
二年ほど前に結婚式を挙げて俺もそれに参列したが未だに現実味はやはり薄い。
時刻は午後七時。会社には直帰と言ってあるのでよる必要はない。
外は真っ暗だが奥には微かに茜色が見える。
材木座宅から十分ほど歩くと駅に着いた。タイミングがちょうどよくそのまま電車に乗るがやはり中は満員状態。
満員電車に乗る事三十分。最寄りの駅についてぎゅうぎゅう詰めからやっと解放された。
人の波に紛れて改札を出る。
改札の向かいではケーキのワゴン販売が行われている。たまにはいいだろう。
ショーケースの中を覗き込むとちょうどショートケーキが四つ残っていた。
「ショートケーキ四つください」
「ありがとうございます」
ショートケーキを買って荷物は増えたが右手だけで持てそうだ。
駅の構内をゆっくりと歩いていると前から見知った顔が来た。こいつも昔は小さかったのに今ではちゃんと大きくなっている。中学時代なら寝る前に呪詛をぶつけていただろう。
「八幡、今帰り?」
「ああ、アクアは何処か行くのか?」
「監督の所。演技で見てもらいたいところがあったから」
「五反田監督によろしく伝えといてくれ。気をつけろよ」
俺の言葉にわかった、と言い改札に吸い込まれていった。
人混みに紛れているが金髪のお陰ですぐに見つけることが出来る。
昔から大人びていたが今ではそれも板についてかっこよくなっている。
止めていた足を再び動かして駅から出ていく。
交差点を渡り住宅街を歩いていく。
閑散とした住宅街を十分ほど歩いていくと家に着いた。ここに越してくるときは出ていく、一緒に来るで言い合いになったが今ではいい思い出だ。だがそんなことも五年ほど前の事だ。
扉を開けようとすると内側から勝手に扉が開いて飛び出してきた。
「わッ!」
「おっと、危なっ!」
家から出てきたのは肩で息をしているルビーだった。
ぶつかるぎりぎりで止まることがお互いできてぶつかることはなかった。
「危ないぞルビー。慌てすぎたら転けるぞ。ソースは俺、焦りすぎてミスしたことなんか両手でも足りない」
「忘れ物取りに来ただけ。今からレッスンに戻らなくちゃいけないの」
「壱護社長とミヤコさんによろしく伝えといてくれ。気をつけろよ」
「わかったー!」
先輩にどやされるー、と言いながらルビーは走っていった。
辺りは真っ暗になっているが家々から漏れ出た光と街頭のお陰でルビーの髪は光り輝いている。
昔から可愛かったが今ではあの頃の星野と瓜二つだ。
斎藤夫妻の事務所兼自宅が近所だからって危なっかしいと感じるのは歳のせいなのか。
扉を開けて玄関に入る。
玄関には二枚の写真が飾ってある。一枚は二十年くらい前に俺達が中学生の時にファミレスで撮った皺がついている写真。もう一枚は数年前にここに越してきた時に家をバックにして四人で撮った写真。気が付けば一瞬だったと感じることに笑みが零れる。
廊下を歩いてリビングに向かう。
重い音と共に扉を開けると彼女がいた。
いい年のはずなのにその美貌も可愛さも未だに健在だ。
スラっと伸びる手足に黒く艶やかな髪。小さな顔についている誰もを魅了する瞳。誰でも着ている部屋着のはずなのにそれも彼女を可愛く彩る物でしかない。
向かい合うと彼女の魔力にいつも吸い込まれそうになる。
「おかえり、八幡」
彼女は言う。今までと変わらず今まで通りに言う。
「ただいま、アイ」
俺も言う。これからも変わらない為に俺も言う。
「ほらケーキ買ってきたぞ」
「やったー!食べよう!」
俺も彼女も未だにその言葉は口にしていない。多分これから先も口にすることはないだろう。
これをあの頃の俺が見たらどう思うか。欺瞞だと嫌悪すべき関係だと吐き捨てるのだろうか。
だけど、悪いな俺。
知っているから彼女の想いも彼女の言葉も聞かなくても言われなくても知って、伝わっているから。多分それで十分なのだ。
こつんと手と手がぶつかった。
その事実がおかしくてお互い目を合わせてクスリと笑ってしまった。
お互いがお互いの熱で包み込む。
こうして俺は、俺たちはいつも通りに帰宅した。
先輩と後輩はこれにて完結です。
読んでいただきありがとうございました。