「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール――」
抜けるような蒼天の下、
彼女はトリステイン魔法学院の落ちこぼれだ。どんな魔法も行使できず、しかしプライドばかりは高く、公爵家という家の重みだけが、苦しみであり救いであった。
正しく貴族であろうとするルイズに対して、神もブリミルも決して優しくは無かった。
あらゆる努力を否定し、授けた魔法は爆発魔法だけだ。
「――五つの力を司る
朗々と紡がれるサモン・サーヴァントの呪文。
果たしてそれは、本日最後の召喚者にして、最も鮮麗された詠唱だった。
しかし、誰もそれをまともに聞こうとはしない。彼女を囲む同級生達からすれば、それはもはや『価値』として認められるものではなかった。濁った彼らの価値観には、ただの『見掛け倒し』に過ぎない。
魔法学院二年へとなる彼らにとって、『春の使い魔召喚』は、最後の進級試験のようなものだった。
ただし落ちることはありえない。一年間を魔法学院で過ごした魔法使いにとって、
まさに、通過儀礼のようなものだった。
「――我の運命に従いし――」
ルイズは周囲の嘲りを滲ませる表情や、軽い口調で交わされる罵詈雑言を意識の外へと追いやる。
目の前の魔法に集中する。
一度だって魔法を成功したことがない自分にとって、これは最後のチャンスなのだ。
家族に何度も落胆の表情をさせてしまった。どれだけ自分のせいで、偉大なるヴァリエール家の名を汚したことだろう。
一年間。たった一年間だ。それなのに、ヴァリエール領で過ごした十年よりもどれだけ苦しかったことだろう。涙を堪えて、悔しさと怒りをすべて自己鍛錬へと注ぎ込み、ともすれば歪み果てていた自己を律し続けてきた。
今日のために、何度も詠唱を練習し、精神統一で心も落ち着かせてから望んだ。
万全だ。すべて整っている。
――だから、だからどうか――一生に一回でもいい、この魔法を成功させてください。
祈る神を持たないルイズは、ただ今までに自分自身へと捧げたあらゆる努力と我慢に願った。
そして遂に、
「――使い魔を召喚せよ!」
召喚呪文の詠唱を完了した。
静けさが広場を覆う。
ルイズの視線の先に、楕円形の幾何学的模様の魔法陣が浮かび上がっていた。向こう側が透けて見えるそれは、今日何度も見た光景だ。
「やった……わたし、魔法……できたっ」
ルイズは感激の余りに腰を抜かして、その場に座り込んだ。
周囲で囀る同級生は口をへの字に曲げて黙り込む。
奇妙な沈黙は数分間続いた。
沈黙を破ったのは、鋭く風を切る音だった。
魔法陣が揺らめいたかと思うと、小さな何かが歪曲しながら飛び出してきた。何かは、ルイズの頭上を駆け抜けて、背後に立っていた樹木に衝突した。
「えっ、ええ? なに、なんなのよ?」
魔法が成功した喜びは既に遠く、奇妙な現象に、ルイズが戸惑いの声を上げる。
音と光を追って、広場に居た全員の視線が樹木に向けられる。樹の幹を見ると、何かがあたったらしい部分が凹んで、小さく煙を上げていた。
「
召喚の儀式の担当教師であったコルベールが、思い当たる魔法を口にする。
コルベールは魔法陣を振り返り凝視した。
「あの先に、魔法使いが?」
疑問を口にして考える。
果たして、そういう可能性もありえるのだろうか。今まで発生していなかったかといって、それこそ奇跡的な偶然が続いていただけなのだとしたら。
――魔法使いが魔法使いを使役する?
いや、魔法的に人間を束縛するのは可能だ。しかし、主従関係を魔法的に結ぶのは歴史を鑑みても記録には残されていない。残されていないだけかもしれないが。
召喚者がルイズであったのもまた普通のケースを考慮できない。魔法が使えないのではなく、あらゆる魔法を爆発魔法へと変えるのは、それこそ歴史上異例過ぎる。
普通じゃない人間が普通じゃないことを起こすのは、逆に普通なのだろうか。
その混乱のもとを生み出したルイズは、魔法陣に向かって杖を突いていた。
「なによ、ぬか喜びさせるぐらいなら、成功なんてしないでよっ!」
ルイズは、まるで魔法そのものに馬鹿にされているような気分だった。誰がお前なんかに使役されてたまるか、と無反応に浮かぶ魔法陣が言ってきているようだ。
無意味に何度も魔法陣を貫いた。
どこへとも知らないどこかへ繋がった向こう側の世界に八つ当たりをする。
「召喚される気が無いのなら、繋がらないでっ!」
気づけばルイズは、初めて学院に来て人前で泣いていた。
それを茶化す者は居なかった。ずっと強がって、弱みを決して見せなかったルイズの涙は、それだけの重みがあった。
怒りと悲しみと――すべての負の感情をごちゃまぜに、杖で魔法陣を深く貫く。
「えっ……」
今まで空を切るばかりの杖の先端に、何かがぶつかる。
思わず引き戻そうと力を入れるが、
「なに、なんなのよっ!」
ぐっと掴まれてしまったらしい杖はびくともしなかった。
ルイズは底知れぬ恐怖に駆られる。
「ひぃっ――」
短い悲鳴。
それがハルケギニアにおけるルイズの発した最後の言葉だった。
*
高い、ひたすらに高い場所にルイズは立っていた。
眼下の地上は輝きが覆っていた。
夜天には一つの月と、まるで怯えるかのように小さく灯る星の瞬き。
地面と天空がまるで入れ替わったかのような光景に、ルイズは本能的な恐怖を覚えた。
――ここはわたしの知っている世界じゃない。
理性は拒絶し、本能が理解する。
双子月も見返してやりたい同級生も、迷惑ばかり掛けた家族も、ほんの少しだけ居た優しい友人も――ここには無い。本当の孤独だ。
世界で独りぼっちならば、苦しみもない。そう考えたこともあった。
とんでもない。無限にして永久の責め苦がここにはあった。
「あ、あああ……ああっ」
訳も分からないままに、訳が分からないから、ルイズは自分が壊れていくのが自覚できた。
膝から崩れ、頭を抱える。精一杯の世界への拒絶。
カチリ――
何か機械的な音が背後から聞こえた。
トンと小突くように冷たい何かを後頭部に当てられる。
ルイズはガチガチに震えたまま、ゆっくりと顔を上げて、後ろを振り返った。
まず目に入ったのは、鈍く輝く金属。黒光りした筒状の先端は、真っ直ぐにルイズの額へと向けられていた。次に目を引いたのは、その黒い何かを握る透き通るように白い手。手を伝い視線を上へ、夜の闇を更に切り抜くように漆黒の髪が風に揺れていた。きつく引き締められた表情に、警戒の色が濃い黒の瞳が全身を射抜く。戦場を知らないルイズでも、その鋭い視線に一瞬死を予感した。
黒い少女の口がゆっくりと開かれる。
「――あなたは何?」
誰ではなく何。
それは最大限の警戒を表していた。
「反応からして、魔女ではない……」
――魔女ではない。魔女ではない。魔女ではない。
またなのか、とルイズは思った。
こんな別世界で、意味不明な状況で、それでも自分は魔法使いとして認められないのか。
恐怖や屈辱を通り越して、ただひたすらに怒りが込み上げてくる。
「ふざけんじゃないわよ……」
俯いてぼそりと呟いた言葉に、黒の少女は首を傾げた。
「何か言ったかしら?」
何気ないその言葉が、ルイズの沸点を超えさせた。
拳をぎゅっと握り締める。
きっと、ここで逆らえば、自分は死ぬだろう。それでも、もうこれ以上は許せなかった。
右手に握った杖をそっと胸に当てる。
「――――」
小さく相手に聞こえないように詠唱をした。
「動かないで」
警告を無視して、ルイズは立ち上がった。
幸いにも、それだけで命を奪われことはなかった。
「ふざけんじゃないわよって……言ったのよっ!」
ルイズは振り返り、眉間に向けられた何かと交差するように、杖を相手の額へと構えた。
相手は僅かに目を見開いたが微動だにしなかった。
それが一層ルイズの昂ぶりを激化させる。
「へ、へぇ、わたしの魔法なんて警戒に値しないと、ふふっ、そ、そう言うのねっ」
覚束ないルイズの言葉に、黒の少女は目を細めた。
「……魔法少女? いえ、それとも違う感じ」
「今更わたしを認めても、許してあげないわよっ」
「それとも――使い魔かしら」
ピキリ、とルイズの理性にヒビが入った。それは一瞬で全体に広がり、僅かに保っていた冷静さを一気にふっ飛ばした。
「使い魔? ……使い魔ぁ? 使い魔ですって……」
暗い笑いが呪詛のように紡がれる。
黒い少女は警戒からか、僅かに構えを取る。
二人の視線が交錯する。
そして、勝負は一瞬だった。
「使い魔はあんたのほうよっ!!」
眼前に迫る杖、それに意識を取られて、まさかの頭突きに体が硬直する。
「くっ!」
しかし、頭突きと勘違いしたことこそが黒の少女の最大の誤算だった。
ルイズにとってはその攻撃がすべてであり、全身全霊を込めた一撃だったのだ。
回避行動に合わせて全力で動く。
――歴戦の魔法使いでも、その予想外の攻撃だけは回避できなかったことだろう。
「――っっ!?」
瞳がゼロ距離で見詰め合う。
重なる唇。
時間が停止する。
黒の少女にとっては、己の能力が暴発したのかと思うぐらいの永遠がそこにあった。
黒の少女の思考が高速回転する。
――魔女の口づけ? いや、魔女の気配はない。使い魔がここまでの知性を持っているのも考え難い。
――じゃあ、これは一体"何"?
ようやく意識が現実へと引き戻されて、思考も正常に回るようになった。
黒の少女はすぐさま距離をおいて、得体の知れない少女を睨みつけた。
「何を――」
したの? と言いかけて、左手に激痛が走った。焼きごてを押し付けられたかのように、手の甲が熱くなる。
(くっ……私としたことだ、どうして、こんな)
そこまで自分の無用心を罵って、その疑問の答えを見つけた。
似ているのだ。余りにも相手の存在が。
「――まどか」
黒の少女は、世界で最も大切な最高の友達の名を呼んだ。
「ふんっ、これでどっちか使い魔か理解できたわね?」
尊大に構える踏ん反り返る姿、傲慢な口振り、強気に釣り上がった眼口――どれもこれも全く似ていない、それどころか正反対にあるすべてを持った少女が、どうしても大切な友人を想起させる。
理解不能。
意味不明。
説明不可。
それでも、ただ、感じる。
理解も意味も説明も不要だった。
*
黒の少女――暁美ほむらは、始まりを思い返す。
魔女捜索中、高層ビルの屋上に立っている時にそれは起こった。
突如目の前に出現した、楕円形の鏡に似た何か。
魔女の結界かと警戒して、銃弾を撃ち込んでも反応は無し。
時間停止を使って侵入してみると、中は暗く、何も見えない。一筋の光を追ってみれば、また入るのに使ったのと同じ鏡のような何かがあった。
潜るかどうか考えていると、鏡は水面へと変わり波紋に弛んだ。すっと抜け出てきたのは、一本の木の棒だった。木の棒はこちら側を探るようにグルグル回ったり、ツンツンと押し込まれたりした。一定の距離以上は近づいてこないのを把握してから、近付くと、予想外に一気に木の棒はこちら側へと入り込み、胸を突かれた。
反射的に先端を掴み取り、引っ張ると、向こう側で抵抗があった。
人間的な反応を感じ取った。
それと共に遅れ馳せながらに不可解な点に気付いた。
――どうして時間停止中なのに動いているの?
最大限の警戒を持って、ほむらは木の棒を引っ張り上げた。
気付くと、元の世界に戻っていた。
そして、目の前にはまるで似ていないのに、最高の友達にそっくりな桃色髪の少女が居た。
最大にして唯一の能力である時間操作が利かない少女。
だというのに、対峙する自分は不抜けていた。
警戒しようとしなくては警戒できず、
攻撃の意思がまるで湧かない、
最初から敗北していた。
一瞬の勝負。
気づけば、なぜか唇を奪われ、そして敗北していた。
それがすべての始まりだった。
こうして時空間の悪戯が巻き起こす、桃色髪の魔法使いと黒髪の魔法少女の『ありえたかもしれない世界』の戦いが始まった。
知っている人は知っているかもしれない、にじファンで書いていたマイナー作者です。
以前に、ルイズがほむほむを召喚した話を限りなくギャグテイストで書いたので、今度はシリアス成分多めで、ほむほむがルイズを逆召喚(?)する話を書いてみました。
ただの一発ネタが、中々に面白いストーリーが浮かんで、続きが書きたくなってしまったのは、いつものことです。『営業マンと魔法少女はピンクがお好き』とクロスさせて、二つの世界を繋ぐ壮大な物語をっ! とかも考えましたけど、やはり時間がないので断念しました。
ぱぱっとプロットも無く書き上げた作品ですが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
誤字脱字まつり☆ワロス、というわけで、後ほど加筆と共に修正致します。