主は、善をも悪をも一切の業を
隠れたこともすべて裁きの座に引き出されるであろう(Ecclesiastes12:14)
食堂の一画。
それぞれが布団の中へと向かったそんな時間。
賑やかな食事時を思えば嘘のように静けさに包まれた中で小さく金属が擦れる音。そして二人分の息遣い。
いつもの集中タイム、銃のメンテナンス。
どんなに忙しくても疲れていても欠かした事はないアズサの日課。
それを眺めているのは一人。
「……見てて楽しい?」
防火タオルケットを机の上に広げて洗い矢を使って銃身を丁寧に擦っては汚れを浮かし、落としていく。
慣れた手つきでそれを繰り返しつつ、真向かいに座りながらも何も言わずにじっと自分の作業を見ている少女にアズサが声をかけたのは、妙にその視線がくすぐったからだった。
「はい!とっても面白いです!」
「うん。ならいい」
キヴォトスの生徒にとって銃のメンテナンスというのはごく当たり前の光景だ。
幼い頃には習っているし、大掛かりなオーバーホールは専門店でしてもらっても基本的には自分の銃は自分で手入れをする。
「アズサは毎日手入れをしているんですか?」
とはいえアズサほど集中して、そしてほぼ毎日欠かさず行うという生徒も珍しい。
大抵は週に一度、弾丸を使う頻度が少なければ半月や一ヶ月に一回。
中には物臭なのか季節の変わり目に大掃除なんて怠け者もいる。
当然モモイは後者だ。
「うん。アリスのは……少し難しいよね」
アリスの愛銃はキヴォトス全土を見渡しても珍しい、というより唯一というべき艦載用大型電磁砲『光の剣:スーパーノヴァ』。
通常の銃器のようなガスや銅の汚れが付着せず、その構造は極めて難解。
当然、メンテナンスは製作者達が定期的に行なっている形を取るため、アリスからすると一見地味なアズサの手入れ作業は興味深い物だった。
何せモモイ達はその手の作業をあまりしたがらない物だから*1。
洗い矢と使い古した歯ブラシ*2を並べてからウエスを手に取り、防錆潤滑剤を吹き出し口に近づけてから吹き掛けてやる。
そうして湿らせたそれを片手に、幼い頃から変わらず共に戦い続けた
黙々と熟す姿に澱みはなく、いっそ機械を思わせる手つきだったが、頬についた煤汚れと銃身が白く艶めく度に無表情とは裏腹に僅かに翼がはためいている。
「アズサ、アズサ。今はヒフミと一緒じゃないんですか?」
そんなアズサの姿を何するわけでもなく惚と眺めていたアリスは、ふいにそう尋ねた。
その言葉にちらりと視線を寄越してから、またすぐに手元へと戻しつつアズサは答える。
「ヒフミならちょっと前に少し出ると言っていた。多分、今此処にはいない。会いたいなら連絡するけど……必要?」
「いえ!アリスは大丈夫です!」
「そっか」
喋りながらの作業というわけではない。
元よりアズサにとって銃のメンテナンスは毎日行う日課であり、自分の時間に没頭するという意味でも大切な作業。
それが分かっているから、アリスもあまり喋らず、話というのも二、三交わせばぽとりと落ちていくような淡々とした物だった。
時間にすれば三十分もないほど。
夕飯はどれが美味しかったかだとか、この前拠点の近くで猫の親子を見かけただとか、明日はいい天気になるらしいだとか。
どれも素朴な会話をポツリとポツリと途切れては数分置いてから繰り返す時間。
それはアリスという少女の自我が生まれてからは珍しい物だったかも知れない。
───天童アリスは多くの人から愛されている。
その出生がどうであれ、否。
どんな物であったとしても。
モモイに、ミドリに、ユズに、そして先生に。
多くのミレニアム生達に受け入れられ、可愛がられ、仲間だと手を繋がれて冒険をする日々を重ねてきた。
事実、その天衣無縫な可憐さは学内外を問わず多くの人の眦を和らげ、人気も高い。
だからアリスは、自我が芽生えてからずっと多くの人の笑顔に囲まれて育ってきた。
騒がしくも心地の良くて、毎日が冒険の連続。
そんな風な日常に過ごしているのも、勿論ミレニアムの学生達の優しさや気風もあって。
だが同時に、アリス自身が真っ直ぐに正面から多くの人と関わってきたからこそだろう。
だからこんな風に投げては止まって、また投げる、騒がしぐらいに賑やかな中で暮らすアリスからするとこういう会話をするというのは珍しくて。
けれど決してアズサが邪険にしているわけでも分かったから。
「アズサ」
「なに?」
「はい!アリスはアズサに質問があります!」
「うん。いいよ」
アリスはアズサに思い切って尋ねる事にしたのだ。
「はい!アズサはどうして戦うのでしょうか?」
ずっと自分の思考回路に積まれた、小さな、けれど答えの出ない疑問についてを。
アリスからの唐突な質問。
アズサは思わず手を止めて、それから持っていた布を机に置いた。
粗方拭き終わり、後は組み立てるだけ。
別に作業を終わらせてからでも、さっきまでのように作業をしながらでも良かった。
何より急な質問だ。
それ自体はさっきまでの会話と大差だってない。
「……変かな?」
「はい!変です!だってアズサはこの聖杯戦争で大きな怪我を負ったと聞きました」
けれど、なんとなく。
アズサは目の前の少女の声を聞いた時に思ったのだ。
答えなくてはいけないと。
片手間であってはいけないと。
きちんと向きあって、真摯に自分の気持ちを伝えなくてはいけないのだと、そう思ったのだ。
だからアズサはウエスを置いて向き直る。
アリスの澄んだアイオライトはアズサだけを見つめていた。
アリスは、ただじっとアズサの答えを待っている。
「うん。その情報は正しい。確かに私は一度、アサシンに負けてその時に怪我をした。それにこの前のライダーとの戦闘でも負けている」
「とても、大きな怪我だったとヒフミが言っていました。それを見て、ヒフミはすごく心が苦しかったとも」
「……そうだね。ヒフミは優しいから」
アリスがなぜ今になってこんな質問を始めたのか気になりはする。
予想はしてみるが今一つ明朗な答えをアズサは持ち合わせていないようで、アリスが質問をした真意は結局分からないまま。
だが、彼女の素朴な疑問に答える用意に対してはきちんとアズサの中に用意されている。
だからさっきまでとは打って変わって流れるように言葉は紡がれる。
「私達は生徒です。サーヴァントじゃありません。アズサは強いです。トラップマスターです。でも
思わず、アズサは苦笑いを浮かべてしまう。
アリスは優しいし真面目だ。
好意には隠す事なく好意で返すし、だからこそそんな彼女に安らぎすら覚えて、多くのミレニアム生は笑みを浮かべる。
優しくて、真面目で、そしてまだ幼くて、だからその物言いは良くも悪くも真っ直ぐだ。
そう、アリスは直球で物を伝える。
人の悪意、人間が生きていく中でどうしても抱えてしまうそういう物にほとほと縁のない娘なのだ。
そしてその自我が生まれてからの時間も年若い十代の生徒達に比べてもなお
だからその言葉は直球で不必要に飾り立てる事もなくて、思った事を口にする。
つまりはアリスの口から出る言葉はすべて、アリスが認識している限りの事実そのものだ。
当然、今さっきアズサに対して言った『サーヴァントより弱い』という言葉もまた、アリスにとっては双方の戦力を比較し計算した上で伝えた真実だった。
お前は弱い、なんて。
歯に衣着せぬその言葉は人によっては衝突の原因にもなるだろう*3
ただ今回の相手は白洲アズサ。
自分とサーヴァントの戦力差をしっかり現実的に見て伝えてきた年下の少女に、むしろ感心しながらアズサもさらりと返す。
「うん、そうかもしれない」
胸の内にあるのは後悔
白洲アズサは決して弱くない。
アリウス自治区。
エデン条約で明るみとなったトリニティ創立まで遡る古き因縁が現代まで残り続けた地で少年兵として生きてきた過去。
飛び抜けて卓越した戦闘能力という点で言えば確かに上はいるだろう。
ましてや、相手は異邦の地と言えど一つの知的生命体が数千年をかけて築き上げた人理の轍に刻まれた英霊の写し身。
これまでの戦いで二度も防戦を、その内の一度は単独で成し遂げたのは見事と言う他ない。
白洲アズサは紛れもなく客観的に見ても
ゲリラ戦、そして数多くのトラップを運用する技術、果ては経験と知識の両方に裏打ちされた戦術眼。何よりもその精神性。
万全の状態であれば、ともすれば、そういう話が出来る領域にいる。
そう、アズサは強い───阿慈谷ヒフミよりも。
「なら、どうしてですか?」
強いからこそあの晩、ヒフミを庇って前に出た。
強いからこそアサシンを相手に一人で粘り抜いた。
強いからこそセイバー達にも純粋な戦力という意味でも頼りにされている。
そして、強いからこそ……
阿慈谷ヒフミを泣かせた事を。
アサシンに勝てなかった事を。
ライダーの前で倒れた事を。
マリーの逃走を阻止できず、ハナコに倒れるほどの苦悩を長い時間与えてしまった事を。
それを自分は何もしてやれないでコハルに任せきりになった事を。
なにより───。
「どうして、どうしてっ、アズサは前に出るのですか?戦闘ログを確認しました……アズサは戦いの時、必ず誰よりも、アリスよりも前に出ます。サーヴァント達と肩を並べようとします」
白洲アズサは後悔という形で自分の弱さを背負っている。
弱いと自覚しても、けれどヒフミ達より強い事も理解している。
だから必然、前に立ってきた。
それはきっとこれからも変わらない。
「それはいけない事、なのかな」
アズサは静かに尋ねた。
本人も意識はしていないだろうが、その声色は常よりも柔らかかった。
それはきっとアズサにとってこのやり取りが嬉しかったからだろう。
年下である以上に幼い目の前の少女が全力でぶつかってくる。
考えた末に答えの出なかった事を『教えて』と助けを求めてきてくれている。
それがアズサは嬉しくて、まるで
だから、優しくアリスに問いかけた。
「いいえ。でも一度大きな怪我をアズサはしました。反省すべきです」
「うん。敗北して、でも生きている。なら反省して次に活かす。正しい考え方だと思う」
アリスの言葉は誰かを想う物だった。
アズサに向けられた疑問であり贈り物。
だから不快さの欠片もない。
澄んだ、でも揺らいでいる湖面のような言葉。
心配するその気持ちが、アズサは素直に嬉しかった。
たとえそれが、少しばかり屈折しながら自分へと向けられた物であったとしても。
それをぼんやりと理解した上でアズサは心配してくれる気持ちを受け取った。
「はいっ、アリスは学びました。どんなに小さな怪我でも油断してはいけないとスミレから教えてもらいました。怪我をしたならその行動を振り返って原因を回避すべきだと風気委員長から教えてもらいました……誰かが怪我をするのは苦しい事だと、怖い事だとアリスは覚えました。アズサは怪我をしました。それで心配もさせました。だからアズサは戦わなくてもいいはずです」
そして同時に、と彼女はようやくこの子の質問にきちんと向き合わなくてはいけないと思った理由を察した気がした。
「誰かが傷つく事はいけないことです。誰かが苦しいのは見ている仲間も辛いことですっ。また怪我負ってしまったらと考えたら怖いはずです……っ」
綴られるのは『恐怖』だった。
淡々と声を押し殺して話すアリスの目に浮かんでいるのは『疑問』だった。
怪我をしたら痛い事。
怪我をさせたらいけない事。
怪我をした友達を見るのは辛い事。
失う事は……恐ろしい事。
アリスはそれを生まれから今日まででしっかりと学んでいる。
その上で疑問を抱いて、それに恐怖しているのだとアズサは理解する。
「それにアズサは、アズサ達は人間です。怪我をして、血を流して……最後には死んでしまうかもしれません」
「そうだね。戦争だからそういうことも……もしかしたらあるかもしれない」
「ではどうしてでしょうか?どうして、アズサは戦うのですか?サーヴァントの武器は生徒の命に届きます。戦っても勝てないかもしれません。戦う中でまた大きな怪我を負うかもしれません。夢を描いて走っても、届かないかもしれません。なりたい自分を追いかけても、そんな未来はやってこないで死んでしまうかもしれませんっ」
分からない、そう言うアリスの顔に浮かぶのは困惑だけでなかった。
焦燥と不安と疑心。
悩んで困って、どうしたらいいのかぐるぐると一人迷子になっている少女の顔だった。
「それでも……それでもっ、アズサは前に出て戦うというのなら……それは一体どうしてですか?」
だからアズサは。
まず、結論から入る事にした。
「ヒフミが、コハルが、ハナコが。私の友達が戦っている。なら私は一緒に戦いたい。ヒフミが苦しんでる。ハナコが傷ついてる。コハルが困っている。だったら私は隣にいたい。だって友達だから」
「友達だから戦う。はい、アリスはそれを理解できます。でもアズサ達の命は一度限りです。死んだら……っ、死んでしまったらっ!……コンティニューできません……っ」
「確かにアリスの言う通りだ。私達に命は一つしかない」
そう、命は一つきりだ。
人生は一回だけだ。
死んでしまったらもう二度と大切な人には会えず、愛する日々を繰り返していく事は出来ない。
過酷な地を文字通り生き抜いてきたアズサにとって『生きる』という事は小さな奇跡の連続で成り立っている。
戦場に、その前線に自ら立って銃を手に取るという事はそんな奇跡を手放すような話だとも思っている。
「だったらおかしいです!……聖杯戦争はサーヴァント同士の戦いです。生徒が……マスターは……戦いの場に出ないでサーヴァントに戦いを任せる。生徒は戦場に出ず後方から支援する。バッファーだってデバッファーだってヒーラーだって大切なジョブです。直接インファイトするだけが攻略手段じゃありません!」
押し殺そうと穏やかに話そうと、そうでもしないと溜まったナニカが爆発してしまうから。
だから努めて静かに話していたアリスの声に激しい勢いが籠る。
それはアズサにではなく誰かに向けられた、或いは自分に向けた、がむしゃらに塗りたくった激情。
その感情にアズサは。
───“そんなに真剣に悩む必要はないんじゃないかな?”
───“今日は……そうだ。ねぇ、アズサ”
───“試しに最善でない選択をする練習をしてみようか”
ある日の昼下がりを思い出してくすりと笑ってから、ゆっくりと話し始めた。
「私は一度、姉のように思っている人を殺そうとした。それしか道がないと思った。誰も彼も遠ざけて、一人で戦おうとした。私はヒフミが伸ばしてくれた手を掴まなかった」
それはアズサの中の冷たい記憶。
どうしようもなく藻搔いて苦しんで、辿々しくてもその中で必死に歩いていた時の記憶。
曇り切った鈍色の空に押し潰されながら足掻いた時間。
「そんな私にヒフミ達はもう一度手を差し伸べてくれた。一緒に戦ってくれた。ううん、それだけじゃない」
そして澄み切った青空とそれを指差して自分に新しい選択肢を見せてくれた右手が今も眩しく自分の道を照らす温かな青い春の記憶。
忘れない。忘れはしない。だからこそ。
「ヒフミ達は私に思い出をくれた。虚しい現実を前にして、その背中を支えて進んでいける拠り所をくれた───なら今度は私の番」
アズサは向き合って伝える。
自分の気持ち、自分の理由をしっかりと悩んでいる後輩に届くように。
「私を助けてくれた友達が今困っている。だから助けたい。少しでも力になりたい。みんなと一緒にいたから。だから私は戦うんだ。今度は、私がヒフミを助ける番だから」
それがアズサの戦う理由。
けれどそれをアリスは受け入れるわけにはいかなかった。
「……でもそれは前線で戦う理由になりません。傷つく理由になりません。傷ついても死んでしまいそうになっても、苦しくても戦う理由になんかなりません!」
弱いのに、死んでしまうのに。
なのに果敢に戦おうとする。
そんな事をしてしまえば死んでしまう。
なのに、なぜ。
そう、アリスは問うて。
「確かに私はセイバーに比べたら弱い。膂力ではキャスターにもバーサーカーにだって勝てない。ツルギほどの力があればまた違っただろうけど、でもあんなに強くはまだなれない」
「……なら」
『戦いを止めさせる理屈』に追い縋ろうとしたアリスの瞳をアメシストが真っ直ぐに射抜き、微笑んだ。
「だけどそれは、私が私の出来る事をしない理由には───ヒフミが戦っている今この瞬間に最善を尽くさない理由にはならない」
アリスは思わずと息を呑んだ。
あまりにも鮮烈な輝きだった。
手を伸ばしても擦り抜けていく彗星の軌跡を思わせるほど、アズサの瞳には、表情には決して退かない『決意』の灯火が宿っている。
「私が前に出るのはそれが一番効率的で効果的だからなんだ。サーヴァントは確かに強い。でも私はやっぱり前に出て戦うのが一番上手くやれるから、それが一番ヒフミの為になるって私は思うから。私はハナコやコハルのように物知りじゃない。だから戦う事ぐらいには全力を尽くしたい」
「……アズサの言う事が分かりません。理屈は理解出来ます。でも理由が、アリスのデータベースに該当する単語が一つも出てきません。何故ですか、どうしてですか?どうしてみんな自分の体を傷つけても誰かの為に戦うのを選ぶんですか?……義務、なんでしょうか?助けてもらったから、恩があるから。だから戦うんですか?」
怯むように一度口を噤んだアリスはそれでもと反論を返す。
アズサが前に出る理屈は理解できた。
確かにアズサは陣営内で頭抜けて強い生徒だ。
セイバー達と共に戦っても十分に傍で連携やサポートを行えるほど熟練された技術を持っている。
だけどそれでもアリスには分からない。
アリスには『死ぬかもしれないのに戦う理由』が分からない。
だから必死にログを遡ってそれらしい単語を参照する。
『私の番』、『助けてもらった』ならばそれは義務感からなのか、と。
それにアズサは小さい子へと諭すように、ゆっくりと言葉を尽くした。
「違う。違うよ、アリス。義務だとか、義理だとか、恩返しだとかそういう話じゃない。私がやりたいんだ。助けてもらった、沢山の思い出をもらった。してもらった事が沢山あるんだ。返せないぐらい両手に一杯の温かい時間をもらった。だから私はヒフミにそれを返したい。返して、また貰って。そうやってずっと続けていきたい。だって」
Diliges proximum tuum sicut te ipsum.
アズサが言った言葉、その真髄、その本質。
それは奇しくもトリニティに伝わる経典に刻まれた一節に通ずる考え方。
アズサはその言葉をアリウス自治区にいた頃に学んだ訳ではない。
ただそう思ったのだ。
これまで生きてきた時間の中で、そしてヒフミ達と過ごした温かい日々の中で。
アズサが出した一つの考え方。
大好きだから、大切だから。
誰かに寄りかかるだけでなく、寄り抱えられることだけを良しとするでもなく、共に手を取り合って支え合う。
人は一人では生きていけないから、必ず誰かと助け合っているから。
だから自分も誰かに支えられて、そんな自分も誰かに支えられている。
手を取れないまま一人で背負おうとして、それでもその手を掴んでくれた誰かがいてくれたから見つけたアズサの気持ち。
そしてそれが、たとえ最善でなくとも『今』アズサがしたい事。
自分のしたい事をすればいい───そういう教えを受けた彼女が選んだ結果が今なのだ。
「……アリスは、分かりません」
「だって……間に合うかわからない」
「死んで、しまうかもしれません……」
「喪ってしまうかも、しれません……!」
「ハッピーエンドなんて、そんなご都合主義は……本当は……画面の向こうだけなんじゃないかって……!」
だがそれでも分からない。
悩んでしまう。
天童アリスには理解出来ないし、
それはなにもアズサだけじゃない。
ヒフミも、ハナコも、コハルも。ミドリも、ユズも。そしてモモイも。
誰もが戦場に立とうとする。
一つしかない命を、本当に奪われてしまうかもしれない相手を前にしても先生に頼れない中で、ハッピーエンドという見えもしない結果を求めて走っている。
アリスだってそれは同じだ。
だけど、それでも。
アリスは───。
「いいんだ。それで」
「……えっ?」
それでもいいと、そんな事はもう気にしていられないんだと。
そう発したアズサの顔は言葉に込められた決意とは裏腹に穏やかだった。
「Vanitas Vanitatum et omnia Vanitas───たとえすべてが虚しくても。凡ゆるすべてが徒労であろうと。決してそれが諦める理由になりはしないんだよ、アリス」
「……諦める、理由にならない」
「うん。どんな事があっても、どんな辛い現実が待っていても。誰かにその先は地獄に続いていると言われても。だからといって私やアリスが諦める理由にしなくていい。そんな言葉も現実も、私達の足を止める枷にはならない」
アズサには本当のところでアリスが抱えている『問題』には触れられない。
最後の最後、一番深い『きっかけ』に、亀裂が走った記憶に触れられない。
それが出来る少女は『一人だけ』。
けれど今この瞬間だけは、確かに届いているのだ。
「やりたい事、やらなきゃいけないと信じた事、信じたい事。大切な友達、大好きな人達。たとえ私の周りにある世界がどんなに私を嫌ったとしても、それを理由に負けてなんてやれない」
世界も環境も境遇も状況も事実すらも、関係ないと言い切る
それは問題を解決する明瞭なマスターキーではないけれど、でも確かに傷ついた誰かに寄り添える優しさで。
聖杯戦争が始まって生まれた『苦悩』を抱え続けた少女の冷えた心に勇気を灯す言葉。
「たとえ虚しくても私は最後まで足掻く。ヒフミ達の力になる。だってそれが私のやりたい事だから。だって私は」
「───ヒフミが好きだから」
大好きな誰かの為だから頑張る。
そのシンプルなその答えは、桜色に淡く色づいて笑顔は、確かにアリスの中で鳴り渡る鐘のように波紋を立てる余韻を残していったのだ。
トリニティ総合学園、本校舎。
軽く眉間を揉んでいた桐藤ナギサの耳に政務室の扉を叩く音が聞こえたのは酷く遅い時間になってだった。
「……どなたでしょう?」
沈黙の後、彼女は一人きりの政務室から向こう側へと声を掛けた。
あまりにも遅い時間、同僚や部下は皆、揃って夜食の買い出しや仮眠取りに外出していた。
ティーパーティの主宰たる生徒会長である百合園セイアは体調の面から早々と床に就かせられ、もう一人、今なお後任が決まらない宙ぶらりんのまま茶会を囲ませてしまっている聖園ミカは夜間パトロールに出向いていた。
彼女は。
桐藤ナギサは今、一人きりだった。
───なるほど、それは突然の来訪だった。
叩く音は四度。
夜更けだからか、それとも普段からか。
丁寧に叩かれて数秒間を開けてから、扉の方を見たナギサの耳に控えめな呼び声が届く。
『軽食をお持ちしました。扉を開けてもよろしいでしょうか?』
分厚い扉の先からくぐもった声が聞こえる。
聞き慣れた部下の声。
休めと伝えたというのに気を利かせて何か用意してくれたのだろうと察したナギサは一言返事をする。返答代わりに重たい音と共に扉は開き、見慣れた少女がそこにいた。
「お疲れ様です。ナギサ様」
「えぇ、貴女も……冷えますね」
「……失礼しました」
「いいえ、貴女の不手際について言っているわけではありません。下がって構いませんから、その後は温かいミルクでも飲んでご自分を労わって上げてください」
そっと微笑むナギサに、ティーパーティの行政官を勤める少女は唇を噛む。
「ナギサ様……お言葉ですが、忠言を」
「……構いませんよ、どうぞ」
「連日の騒ぎにさぞ気を揉んでおられる事かと思います。ですがどうか、ナギサ様もお休み下さい」
少女は知っている。
あの列車事件から一週間以上。
まともな睡眠を桐藤ナギサが取っていない事を。
その化粧の下に薄くない隈が出来ているい事を。無理をしてでも、ティーパーティの盟主
少女は、否。
少女だけでない。ティーパーティに所属する生徒の誰もが知っている。
「夜番を連日勤められて、昼もセイア様と共に政務に励んでおられるのは誰もが知っております。セイア様はいまだお身体が万全のご様子ではなく……それにミカ様の後任も候補すら決まっておりません。ナギサ様、ティーパーティの柱は貴女です。その貴女が今倒れられては───」
「問題ありません」
ぴしゃりと遮ったナギサは、すぐに少女の反応を見て言葉を和らげた。
「セイアさんも本調子でないのに関わらずその身体を押してホストの務めを果たしてくださっています。ミカさんも自粛期間でありながら奉仕という建前で私達への助力を惜しまず……まぁ多少は私心があるようですがシャーレにも私達の代理として協力姿勢を他校に示してくれています。そして当然貴方達も」
ですが、とナギサは続ける。それはたった一言。
「───
だがその一言には、吐き出す言葉には。
髪を掻きむしりたくなるような苦悩が怒りが満ちていた。
「未曾有の事態です。既に25名。我が校だけでも25名の生徒が『犠牲』となりました。それは職務中の正義実現委員会の生徒を除いた数です」
それはミレニアムには既に
聖杯戦争に尽力するヒフミ達には余計な心労を増やさない為には伏せるよう願い出た情報。
既に25名の生徒が『原因不明で意識を失い』、内密に病院へと送られている。
その事実にナギサは忸怩たる思いを隠せずにいるのは固く握り締められた拳の震えを見れば誰であれ分かるだろう。
「……幸いにもミレニアムではまだ確認されてないようですが、昏睡状態となった生徒がトリニティ、ゲヘナの両自治区で発見されている。事実確認すら遅々として進んでいません。先生も動いてくれていますが……」
「例の、シャーレの御仁ですか」
「えぇ。先生はこの件については今夜が山場だと仰っていました。ですがどうなさるおつもりか……」
シャーレをして原因の特定が困難。
その事実がナギサの心を曇らせる。
何よりナギサの言う通り事実確認がどういうわけか進みが悪い。
何を調べようとしてふわりふわりと雲を掴む思い。
25人という犠牲者の数すら、本当にその数が正しいのか。
病欠している生徒の中にもいるのではないか。
休学や停学している別の学校の生徒の中にはそういう生徒はいないのか。
その確認すら何故か『ない』の一言で片付けられていく。
無論それなら構わない、それが確かであるなら問題はない。
だが、ナギサの中で沸々と湧き上がるのは不安。
本当に?本当に25人だけなのか、と。
そしてそんなナギサの不安に、そして何より一人言にいつまでも付き合わせてはいけないとナギサは切り替えて少女を見る。
「ふふっ。いけませんね、休みなさいと言った手前だというのに上司の長話に付き合わせてしまって」
「そんなっ!ナギサ様、私共は……私共のことなぞお気になさらないで下さい。それよりも御身のことが一番です」
「ありがとう。ティーパーティを、こんな私を、そしてトリニティの事を考えてくれて。私たちの世代は果報者です……では、
「承りました。必ずや」
「よしなに」
その言葉を皮切りに少女は政務室から退室した。
そうしてまた部屋は静寂に包まれる。
時計の針が動く。
動く。
動く。
ちく、たく、ちく、たく。
秒針が忙しなく時を刻み、短針がそれを追いかけ、長針は微睡む。
ちくたく、ちくたく。
動く、動く、動く。
ナギサは一人、その音を聞きながらペンを走らせ続ける。
一人で、一人で、一人ぼっちで。
───それは突然の来訪だった。
叩く音は七度。
どこか調子外れて疎に揃わず。
少し乱暴に叩かれた扉の先からは何も聞こえない。
「……?どうかしましたか?」
返事はないまま重たい音と共に扉は開き、見慣れた少女がそこにいた。
柔らかな髪はミルクティーのよう。
華やかな瞳は瑞々しさを隠す事のないシトリン。
真っ赤な唇に湛えるのは困ったような微笑み。
急いでいたのか少しばかり息を切らせて、けれどその吐息すら愛らしい。
「あはは……遊びに来ちゃいました」
そこにあったのは他でもない阿慈谷ヒフミの姿。
ナギサにとって夕方に会ったばかりの大切な人の姿が扉の向こうにあった。
「……ぁ、え?」
思わず、目を見開いて息をするのも忘れてしまう。
こんな夜更けに会うとは思わなかった相手に、ナギサの頭は白く染まる。
けれど少女はそんな事は気にせずに。
「───ナギサ様!」
大輪の笑みを浮かべた。
1じゃんね☆
みんな内心では色々しんどいよねって話じゃんね☆
だからこそ、先に立つ人間が自分が学んできたことを後輩に伝えて助けて、それがまた繰り返されていくっていうのが社会だと思うじゃんね☆
というわけで次回はナギサちゃんのお話じゃんね☆
深夜のドキドキお話タイムじゃんね☆
夜に抜け出して……定番のシチュじゃんね☆
あと今回最後に出てきたパテル派の行政官ちゃんは時々前書きで登場してはナギサちゃんにツッコミしてた子じゃんね☆
Part6スレでは言えなかったけど、この行政官ちゃんは、ミカちゃんが苦労人で生真面目なナギサちゃんのフォローが出来るようにっていう形で推薦した子っていう裏設定があるじゃんね☆
まあ言った通り名前ありのオリジナルキャラは出さない予定だし、本当に今更な裏設定。
それだけじゃんね☆
次回更新は1/18に多分なるじゃんね☆
違ったらごめんなさい……じゃんね☆
ちょっとそろそろストックがやばい……じゃんね☆
1話ごとの文字数で望ましいのは?
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3000文字〜4000文字
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4000文字〜5000文字
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6000文字〜7000文字
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8000文字〜90000文字
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9000文字〜10000文字
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10000文字〜12000文字
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12000文字〜15000文字
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15000文字以上