おや?
これはこれは、ようこそお客様。
勿論だとも、ゆっくり楽しんで行ってくれたまえ。
……そうだね、ならとびっきりをご招待しよう。
ただ、一つだけ注意点ってやつを言っておこうか。
このお話は泡沫の夢。
観測できない小さな小さな泡の中。
だってそうだろう?
これはそもそもの話、必要のない話ってやつなのさ。
だから誰も記録しないし観測もしようとしない。
文字に残されなかった寂しい物語なんだよ。
ん?つまりどういう事かって?
要するに気楽に聞いてよね、お兄ちゃん♡って事だよ
一人である事をいつも自覚するのは、明かりを消す時ではなく閉めたドアノブの冷たさを指先で感じ取る時だった。
軋むような痛みを伴う冷えた金属を肌が知覚する度に、一人で帰る夜道を思い出すからかもしれない。
そうして今日も私は、帰路に着く。
古めかしく建て付けも少しばかり悪くなっているのが愛嬌な館を施錠して、待つ人もいなければ迎え入れる人もいない我が家へと足を向けるのだ。
「……寒い」
適当な店で見繕った投げ売りされた化繊のダウン。
そのジッパーを上げて滑り込んでくる外気に否を叩きつける。
安物らしく縫い目から白い綿帽子が顔を出しているそれが、酷く凍てる宵の風を相手取るには些か頼りないと感じるのはいつもの事で、だからといってたかが防寒着如きを買い直すのも面倒だった。
若者らしいお洒落なぞ、自分とは縁遠い。
何せ着飾る趣向もなければ、そういった手合いの友人というのもいないのだから。
あるのは本だけ。
それを恥じる事はない。
けれど。
いつ買ったかも忘れるほど長く使い続けるダウンコートが、変わり映えもしない自分の人生と重なる気がして帰りはいつも憂鬱だった。
別段と、帰りが遅くなるのは構わなかった。
古書が、本が好きだ。
本こそが、真実、私の友達だった。
古き叡智、キヴォトスでは既に廃れ、散り散りになった
そこに書かれた物語が、情報が、技術が。
連綿と続く人の記憶が愛おしくて、大切で。
だから古書に囲まれて過ごすのに苦痛は覚えた事はないし、先輩達が例年より少しだけ早い引退をしてからのこの一ヶ月。
業務の引き継ぎをしてからはずっと古書館で寝泊まりしていた。
とはいえ、全ての荷物を移し替えているわけじゃないから。
どうしても自宅に帰らなきゃいけない時はある。
それもまた、私の憂鬱の要因である事に間違いないだろう。
安いからと選んだその学生寮は、あまり好きじゃなかった。
なにせ、春に契約してからもうすぐ二年。
あの寮で誰かと会話した記憶なぞ、片手ほどなのだから。
最初は話しかけられたりしたけれど、最近の流行とかファッションとかそういうのに疎い私が誰かと仲良くなれるわけもなくて。
結局一人で過ごしているから、時折聞こえる談話室からの声がやけに嫌だった。
だから結局今日も、来週の講義で使う荷物を取りに行くためだけに、夜遅く古書館を私は出た。
「……雪」
別に感傷的になる事なんてない。
降り出したそれに思うのは、明日の朝に申し訳程度に雪かきをしないと滑る生徒がいるかもしれないな、なんてつまらない事。
大した人数が来るわけでもない。
とはいえ古書館にわざわざ足を運ぶ人間なぞ、大抵は面倒な立場の輩ばかり。
来館者なぞ、週に一人いれば良い方な古書館の雪かきをサボりでもすれば、後でどんな苦情が来るかは分からない。
少なくとも彼女達がアフタヌーンティーで舌鼓を打つ甘味とは正反対の、それこそ貴婦人気取りの殿上人が絶対に口にしないような苦りきった皮肉には間違いないのだけは理解している。
だからそう、なんの感慨だって浮かびはしない。私にとって雪なんてただ、面倒で、寒いだけ。
冷たい花弁が頬に当たって濡れるのを、伸ばし放題になっている髪に触れて溶けるのを。
詩人のように感慨深く思索に耽るだなんて高尚な事もなく、まだ辛うじて黒いアスファルトの地面を蹴って歩く。
誰もいない、真っ暗なトリニティを家路へ向かって歩いていく。
吐く息の白さをみつめて、僅かに道行を照らす街灯を浴びて、私は歩いていって。
「ひぃぇあ……?」
───その人を見つけた。
キヴォトスでは珍しい大人だった。
人通りを避ける為に選んだ、まばらに並んだ街灯に照らされる道。
少しずつ雪を被るベンチが並べられたその一画。
腰掛けているのは女性だった。
傍に置かれているのはファッションに疎い自分でもそう見かける物でもないと確信が持てるとんがり帽子。
私のような色気もへったくれも何もない防寒着どころか、落ちてくる初雪より白く絹のように艶やかなローブだけを着ている姿は冷えた夜には似つかわしくない。
真っ白な───魔女。
雪の白と夜の黒だけが街灯の明かりで浮かび上がる世界の中。
ぼんやりと空を見上げる彼女の背と肩に流れている朱色の長い髪だけがやけにはっきりしている。
そんな、まるで御伽話から抜け出したような美しい
「(ヘイロー……がない……?)」
分厚い雲に覆われた天蓋を見上げている横顔は憂いを帯びたまま、そのまつ毛に雪を乗せている。
一体いつから座っていたのか分からないけど、少なくとも今さっきの話じゃないのは、肩に腰を下ろした雪の精を見れば分かる。
その表情は悩ましげで、はっきり言えばその美しさもあってか近寄りがたい。
第一、ヘイローだってありはしない。
かといって、容姿はその美醜の差を別とすれば目鼻にしろ骨格にしろ私達生徒のそれと同じ。
───つまりは
だとすれば、だ。
いもしない学友とすら碌に喋らない己が出る幕はない。
大人の、女の人だ。
変わった格好をしている。
はっきり言って不審者だ。
物語なら間違いなく私は犠牲者第一号だ。
これ以上声なんてかけるのは馬鹿を見るだけ。
だからこれは私の人生での大きな間違い。
この先、思い出しては私は後悔するだろう。
だけど、それでも私は。
朱色の髪を揺らして、何も言わず、何もせず。
ただただ疲れて雪の中で埋もれるのを待っている、そんな風に見える彼女に。
ヘイローもないその人がどうしてだか気になって。
「あの……風邪、引きますよ?」
馬鹿する軟派な台詞を口から吐いていた。
言ってすぐに後悔する。
馬鹿じゃないかと、どんな間抜けだと。
外の人間だと思われる明らかな不審者に声をかけた。
荷物すら持っていない様子から見て訳ありなのかもしれない。
だとしたら私の手には負えないという。
私の声を聞いて、彼女はそこで初めて私に気付いたとでも言うようにその細めていた瞳を開いて私の方を見て、ふわりと疲れたように微笑んだ。
その顔を見て。
「……ええ、そうかもしれません」
「あ……はい……」
耳がのぼせるような感覚がした。
気の利いた言葉なんて出るわけがない。
あまり人と喋るのは得意じゃない。
それに、こんな風に疲れ切って今にもその足を止めそうになっている表情に、なにか掛けれる言葉を、私は持ち合わせていない。
革靴に雪が当たって水滴になって滑り落ちていく。
「あ、あの……」
「はい、何か?」
そんな彼女に何故だろう。
どうしても暖かい何かを渡したくて。
「───うち、来ます?」
私はまた、馬鹿みたいな台詞を吐いていた。
「粗茶、しかないですけど……」
借りてから一度だって誰も入れた事のない自宅に、誰とも知らない大人を深夜に連れ込んだ。
どんな三流恋愛小説だと自分でも笑ってしまいたいところだったが、そんな気持ちが湧いてきたのはリビングの一人掛けソファに腰を落ち着けた彼女にお茶を出した時になってからだった。
役職を引き継いでからというもの、自宅に帰るというのは珍しくなった。
それこそ今日のように用事がなければ、もう随分と留守にしてきたし、用事があっても必要な荷物を掴んだらそのまま古書館へと戻るのが当たり前。
寝るのだって古書館にあるソファで済ましてきた。
当然、掃除なんてここ一ヶ月はまともにしていない。
ゴミを溜め込む
いくら他者と関わりが薄いからと言っても、客人をそんな場所に連れ込むのは憚れる、という良識ぐらいはある。
何より埃臭い、なんて目の前の美しい女に思われるのが嫌だった。
『あああああのでふね!ちょ、ちょっと!ちょっとですからここで待っていてもらえます!?』
だから連れ帰ってきたというのに玄関で5分ほど待たせては必死に部屋の換気と、モップがけぐらいはしてみた。
そうしてなんとか見てくれだけは整えてから、誰を呼ぶわけでもないのに毎回期限が切れる度に買い直した茶葉の蓋を開けたという始末。
我ながらなんとも不恰好な様だ。
けれど、そんな私が出したお茶を彼女は。
「……ありがとうございます、見知らぬ方」
しゃらりと髪を揺らしながら、品良く微笑んでくれた。
佳人。
そんな言葉と共に慌ただしさに早鐘を打って痛む心臓の奥に、灯るような温かさを感じた。
誰かに感謝された事のない人生だ、等と己のそれを悲観する程には客観的に自分を見れないわけでも悦に浸る趣味もない。
仕事柄、その十文字を耳にするのは別に慣れていないわけでもない。
けれど、なんて事はないただのお茶を。
勇気を出して寒空の下にいた誰とも知らない彼女に差し出したそれを指してありがとうと言ってもらえた事が。
今の自分には満ち足りるような、そんな感覚を注がれる気分になった。
それが如何にもくすぐったくて、自分の家だというのに居心地悪くなってしまう。
だからといって、その空気を改善する為に目の前でゆっくりとカップを傾けている彼女へ話しかけられる手札というのはまるでない。
「(ひぃぇぁ……ど、どうして私は……)」
情けない話だが、古関ウイに気の利いた洒落や諧謔を嗜めるだけの会話力という物はないのだ。
私にあるのは書の知識だけ、手元にあるのは明日の講義で使う教材とお気に入りの
なるほどそこから話を広げてみようか。
たとえばそう、こうだ。
『ご、ご存じでしょうか?こちらの本は百鬼夜行に伝承されている幾つかの地方民話を収めた書になるんですが、そうですその中でも私が心惹かれるのはこの章に書かれている物です。内容の区分としては異類婚姻譚になるのですが、見るなのタブーと言った要素もあって地方で語り継がれてきた物語として考えた時に、そこに住まう人々が何を思っていたのかの時代背景が大切になるわけなんですが私は別に民俗学に精通しているわけではないんですけどごく単純な寓話もそういった視点から見る事で大人の方も楽しめると思うんです』
私は古関ウイ。
歴史も後ろ暗い噂もあるトリニティ総合学園の図書委員会委員長で古書館の管理人。
読破した冊数は数知れない本の虫。
良好な人間関係構築についての本とて読んでいる。
勿論、その役職柄、最低限の人付き合いだってあるし、噂話と紅茶好きな生徒が多いトリニティに学籍登録しているのだ。
それなりに同学年とのお喋りに興じようとした事だってある。
知識と経験に偽りもなければ不足もなし。
その上で先の
───百点満点中の零点ってところだ。
「……ごめんなさい」
ああでもない、こうでもないと己の対人能力の低さに頭を抱えていれば、静かなそよ風が私の耳に届いた。
雪のようにしんとしていて、けれど冷たさよりも柔らかさを先に感じる、そんな声だった。
「……あ、あいぃ……?ぇ、えっと、その……ですね……ぇ゛ぇぇ……っと、なにが、でしょうか?」
声は嫌いだ。
特に図書館で煩くするような女学生達の喧騒は耳に触る。
何よりその会話に入り込めない己に疎外感を与えられている気になって、なのに書に向き合うことすら邪魔されている気分になる。
だから人の話し声を、私は嫌う。
だというのに、彼女の声はどうしてだかするりと耳に入ってきては人肌で溶ける雪のようになんの蟠りも残さないでいてくれる。
そんな音に心地よさすら覚えてしまって、結局五文字が意味するところを尋ねるのは随分と不恰好かつ遅れてになってしまった。
「急に押し掛ける形になってしまいましたから。それにお茶まで用意して頂いて」
対する彼女の返事はどこまでも淑やかだった。
落ち着いた大人の雰囲気に毳毳しい学生達のそれとは似ても似つかない。
湯気がまだ微かに立っているカップを置き、真摯に、心から申し訳なさそうに彼女が頭を下げてしまう。
「えっと……その……いや、あのぉ……」
「一宿一飯と言いますが、見も知らぬ私に貴女のよう御若い方が下さった温かな一茶の恩。この冬空の下で頂戴した温かな情け、何よりも有り難かったです」
「いぃぃ、えぇっと、いやぁ……そのぉ……」
静々と朱色の髪を揺らして頭を下げる彼女に何を言っていいのか分からないで、私はただ吃るように何かを言おうと試みる。
何を言えば良いのかなんて事は当然のように分からなかったが、それでも返事をしなくては、と。
必死に絞り出そうとしてみるが、事ここに至っても出てきてくれるのは言葉にならない音だけだ。
この時の私は間違いなく如何かしていた。
今なら分かるし、今ならはっきりとそう言える。
この時、この瞬間の古関ウイは間違いなく自身のキャパシティを超える状況の連続で、脳が茹っていたのは間違いない。
だからだろう。
「ありがとうございました、素敵なお嬢さん。ですが、あまり長居をしてはいけませんから。そろそろ御暇致しま「もっ!」……も?」
口から出たのは最早悲鳴に相違なかった。
そして間違いなく、これもまたこれから先の人生で後悔した言動に違いなかった。
「もうちょっと居ませんか!?」
否だ。
後悔したのはこれから先だなんて呑気な未来展望ではなく、口にしたその瞬間からだった。
誰が聞いても軟派な言葉。
少なくとも私が口にするのは憚れるような誘い文句なうえにそもそもの出来が悪過ぎる。
はっきり言って聞いていられる物じゃない。
だけれど、私の口はそんな風に俯瞰する思考とは別に、熱に浮かされたように言葉を紡いでいく。
「……いえ、ですが」
「ゆゆゆっ夕飯!夕飯食べるんです私!」
再度言うのも躊躇いたくなるが、聞けた物ではない。
あまりに唐突すぎる宣言に彼女もまた困惑の声と表情になっていく。
「……はぁ」
こうなれば私も最早勢い任せだ。
まるで別れ話で追い縋る情けない真似のように必死に捲し立てるのは彼女を引き留める為の言葉。
そんな私の無様なぐらいの必死さが伝わったのだろうか。
「ひっ、とりじゃあ!ちょっとこう!アレじゃないですか!なので!その!……ええっと……」
「……ふふっ、はい」
初めて、彼女の口元が綻んだ。
別に笑っていなかったわけではない。
大人びた微笑みも、草臥れたような枯れた笑いも既に目にしていたのだから。
だけれどこの時に見せてくれたその艶やかな笑顔は。
「……よ、よければなんですけど、いや断りたかったら全然断って頂いて構わないんですけど……そのですね……」
月夜を照らす銀盤のように、気品がありながらあまりに華やかで。
私は柄にもなく見惚れながら、つい、下らないぐらい浅ましい考えを持ってしまったのだ。
───どうかこの人をたくさん笑顔にしたい、と。
「たべっ、食べて、いかれませんか?……お夕飯」
だから結局、私は口説くように夕食の誘いを口していた。
まるで説き伏せるような形になったその誘い。
それを彼女も可笑しそうに目を細め、紅を塗ったように濡れる唇で緩やかに弧を描いた。
「……重ねて、になってしまいますが」
耳に触れるのはやはりまた申し訳なさそうな音。
けれどそこには聞きたかった音があった。
それはとても温かく、優しくて。
「御心遣い有り難く、お誘いお受け致します……ありがとう、お嬢さん」
───上品に感謝を伝えてくれる声。
それを聞いて私は返事も出来ず、ただ、夢中で首を縦に振るだけだった。
もっとも、これまで碌に帰っていなかった家なのだ。
冷蔵庫に何もない事が分かって、転がるように家を出たのはそれから数分後のことだった。
「なに、やってるんでしょう……私は……」
コンビニ出て暫く。
より正確には恥ずかしさから飛び出すように家を出てコンビニで
私は我に帰ったように自宅への道のり、その半ばにある公園の真ん中で立ち尽くしてしまっていた。
本当に何をしているのか。
私の右手にはビニール袋が二つ、もう片方の手には安売りのシールが貼られたケーキ箱が一つ、固く握りしめられている。
それを見て今更ながら今日が聖夜である事を思い出すのは思考の逃避に他ならない。
「本当に何をやっているのですか私は……!」
それしか言いようがない。
今になって漸く、茹だる熱が引くように茹だってばかりだった頭が明哲な思考回路を取り戻す。
名前も住所も年齢も立場も知らない外の人間を、家主である己すら碌に帰らない自宅に連れ込んで、挙句にコンビニくんだりまでわざわざ出掛けて食材を買い出して夕飯を振る舞おうとしている。
しかも財布こそあるが、自宅に見知らぬ人間を放ってだ。
客観的にどう考えても余程の馬鹿か軟派女の行動に他ならない。
こんな状況、他人が見たらなんと思うか。
由緒正しいトリニティの図書委員長が深夜に女を垂らしこんだ。
ゴシップ好きな生徒が新聞部やメディア同好会に垂れ込むだけで主文後回しは間違いないだろう。
少なくとも、生徒指導という名目でティーパーティ事務局からの呼び出しは免れない。
そうなれば今の立場は当然、安泰とは口が裂けても言えない状況になる。
「……まぁ、私のことを気にするどころか名前と顔が一致してる生徒なんて数えるほどでしょうけど……ははっ」
なんとも情けない声が出たところで、私はまた重たい足取りで歩を進め出した。
帰らない、等という選択肢はない。
当然だ、夕食を一緒にするという約束を口にして出て来たのだ。
そうである以上、今更それを反故するほど薄情でもなければ粗忽者でもなく、ましてや軽挙な人間でも自分はないと思っている。
だから、帰るのだ。
「ぅ、ぅぁ゛ぁぁ……」
とはいえ、気持ちは重い。
夢から醒めたような気分だ。
マグマのように高揚して気持ちもすっかり冷え固まっている。
言い出しておいてなんだが、これから全くの初対面である人間と共に食事をする。
自分にとってあまりにも無謀かつ大胆な取り組みがこれから行われるというのだ。
「勘弁して……」
口に出しては先ほどまでの己を呪い、のろのろと鉛のように鈍く錆びつく足を動かしていく。
一歩、また一歩と。
そうやって、自宅へと。
「……は?」
もし、彼女との出会いを不運だったとするならば。
「ぇ、ぁ……へぇぁ?」
今晩、下を向かずに歩いていたのは間違いなく幸運だっただろう。
何せ、人通りなんて全くない夜の物陰がどろりと現れたそれに気づく事が出来たのだから。
「ぃ……ぁ、え?……な、なんですか、貴方……?」
一見して、それが異様な存在である事を理解したのは脳が程よく冷えていたおかげかもしれない。
───顔のない人間。
潰れているのだ。
人の顔面に当たる部分だけがにぽっかりと孔のようになっている。
その全身もまた青い影のような靄が掛かっている。
辛うじて、トリニティではあまり見ない翅のような物がその背から生えているのだけは理解できた。
「スゴイ!スゴイ!」
「人間ダ!人間ダ!」
「飼ワナクチャ!食ベナクチャ!」
幽鬼。
そんな言葉が頭を掠めた時には私は駆け出していた。
キヴォトスには確かにオカルト話なぞいくらでも転がっている。
安い話は誰もが口にする物だ。
だけど。
「聞いて……ませんっ……あんなの……っ!」
それを目の当たりにして安い作り話だと言える度胸なんて私にはこれっぽっちもなくて。
「大事ニ!大事ニ!」
両手に荷物を掴んで、肩から下げた愛銃を揺らしながら、私は目の前の幽鬼から逃げ出した。
「───遊バナクチャ!」
その声が意味する事を脳が理解するのを拒んだのだけを、どこか俯瞰するように見ている自分がいるの自覚しながら。
結論から言えば、私が決死の思いでした逃避行に、なんの意味もあってはくれなかった。
這う這うの体で茂みを駆けていく。
隠れる、という選択肢はなかった。
嫌な勘が働くのだ、隠れても無駄だと。
そうして見つかったら如何なるかだなんて、ホラー小説を読んでいない活字離れした今時の学生にだって分かるだろう。
だから駆けた。
自然公園の名前なだけはあって無駄に茂っている木々の中へと潜むように私はがむしゃらに走る。
それが無駄なのは薄々勘付いていても走るのをやめられない。
「人間ダ、人間ダ」
「待テ待テ、人間」
「何処行ク、人間」
「遊ンデアゲルカラ、逃ゲナイデ」
「ひっ……」
自慢ではないが、運動は得意じゃない。
走るのだって苦手だ。
出来たらゆっくり日がな一日ソファに座って読書をしていたいのが私だ。
だけど、今はそんな事を言ってはいられない。
そんな事をしてしまえばどうなるかなんて、今まさに耳にしているのだから。
「手ヲ千切ロウ、指ヲ捥ゴウ、楽シイ、ソレハキット楽シイゾ」
「遊ンデアゲル、コッチニオイデヨ」
「待ッテ、待ッテ……待テ」
「ちっ、近寄らないで……!」
耳鳴りのように声が木霊する。
どこから聞こえているのかも分からない。
振り向くのだって恐ろしい。
木々の枝が擦れる音に混ざって聞こえてくるその嗜虐心が、周囲全てから私に針を刺しているような錯覚すら感じさせる。
それでも走り続ければきっと必ず出られると。
必ずこの恐ろしい声から逃れられると信じて。
「……うそ」
見覚えのある景色が目に飛び込んだ。
自宅がある学生寮が並ぶ場所も見えている。
そう、ここに来て私は。
あろう事か行き止まりにぶつかったのだ。
がむしゃらに走っていたからだろう。
広い公園だ。
いつの間にか公園の出口へではなく、真横に向かって真っ直ぐに突進していたらしい。
あまりにも馬鹿みたいな結末に、渇いた笑いが出そうになって。
この時の私は何を思ったのか。
それとも、もう限界だったのか。
「ふぅぅ……ふぅぅ……くぅっ……っ!」
震える呼吸を無理やり抑えて、無茶苦茶に叩く心臓の鐘を黙らせてフェンスの前まで行くと両手の荷物を手放した。
「はぁぁ……はぁぁ……ふぅぅ……」
フェンスを越える、という選択もあった。
けれど私の身の丈、その数倍はあるそれを震える手足で登るというのは今の状況だとあまりにも自殺行為に思えたのだ。
だから、覚悟を決めて足を止めて思い切って振り返った。
そこには誰もいない。
「……こ、来ないで下さい……」
愛銃を構える。
撃つ機会はこれまでそう多くはなかった。
けれど必修の講習は受けていたし、何より自分でつけたその名前に負けないように手入れだけは欠かしてこなかった。
いつでも使えるように、と。
だから、私は「鬼ゴッコ、オ仕舞イ?」ようと。
「うあぁぁぁああ!」
それが聞こえ「遊ボウヨ」た時、私はもう耐えきれなかった。
目を開けるのす「ネェ、ネェ、遊ンデヨ」ら怖かった。
ただ遮二無「私ガ鬼ダヨ、捕マエタラ頂戴ネ」二に引き金「遊ボ、遊ボ」とボルトを引くだけの機械になった。
とにかく無心で、その恐ろし「遊ボウ、遊ボウ」い声が聞こえなくなるの「ダカラ」を祈って必死に、何度も、何度も。
実践「目ヲ開ケテ」を披露する場はなくとも練習を怠る事はなかったから、目を瞑っ「開ケテ、開ケテ」ていてもマガジンの交「ネェ、ネェッタラ」換も、ボルトを引くのだって出来た。
そうして、何度も、何度も、引き金を引き続けた。
音がしなくなったのは暫くしてからだった。
引き金を引くだけの軽い音だけが僅かに耳に届く。
それ以外、まるで世界から音が全て死んでしまったようにしんとしている。
忙しなく自分のダウンコートのポケットへと手を突っ込んで、けれどもう予備の弾倉が尽きたのだけは理解した。
「いなく、なった……?」
それから私は黙りこくって、ゆっくりと目を開いた。
一面、酷い有様だった。
硝煙の香りが咽せるほどに立ち込める空間には誰もいなくて、私が残した銃撃痕だけが色濃く残っている。
滅多矢鱈、考えなしに撃ち込んだからそれは当然だった。
あれだけあった木は枝葉を散らし、いつの間にか倒れている物もあって随分と開けた様相になっていた。
少なくとも広がる景色には誰の姿もありはしない。
その事実に私はようやくここに来て、詰まったように止めてしまっていた息を吐き出した。
怖気が走るよう、悲鳴が喉を迫り上がるより先に自分の死を自覚したのはこれが初めてだった。
「ヤァァァァァット、アケタァァァ」
瞬きをするその瞬間まで誰もいなかった筈なのに。
鳥肌を立てる声と共に現れた
「ヤッパリダ!ヤッパリダ!」
浅い呼吸が心音をより早くする。
痛いほど顳顬が痙攣し、手足に痺れに似た震えが馳しる。
「奇麗ナ目!素敵ナオ目目!イイナ!イイナ!」
目の前のソレが何を言っているのか理解できない、したくない。
その言葉が何を示すのか、容易に想像できてしまう自分の脳を呪ってしまう。
「なん、なんですか……!?なんなんですか、これ……!?」
もつれる舌で何かを喋る。
自分でも何を言っているのかも、何を言いたいのかも思考できない。
「欲シイ!欲シイ!頂戴!頂戴!」
ただ一つ。
ただ一つだけ。
願う事があるとすればだった一つ。
「だれ、か……だれか……!」
怖いのです。
恐ろしいのです。
人の形すらない目の前のソレが愉しげに自分へと危害を加えようとしているこの現状が、この悪夢のような状況が。
「クリ抜コウ!エグリ出ソウ!ソウシタラモット近クデ見レルモノ!」
だから、願うのは一つだけ。
「助けて……っ!」
ただ、それだけでした。
「───ごめん下さいまし」
しんと、雪が降る音がした気がした。
「そこな御両人、こんな夜更けに如何なさいましたか?」
目の前のソレから嬌笑が止まる。
同じように私の身体からも震えが止まった。
「なんて、分かりきった話をしてもいけませんね。回りくどい言い方、平にご容赦なさいませ」
私が頭上を、フェンスを見上げるのと。
ソレが私の目の前から飛び退いたのは。
そして彼女が私の前に降り立ってその
「……巻き込んで、しまいましたね。怖かったでしょうに……ごめんなさい」
そっと彼女が頬を撫でてくれる。
転んで擦りむいた膝を痛がる小さな子を宥めるように、優しく、丁寧に、暖かく。
その視線同様に、白雪のように細く美しい掌には色とは違う血の通った温もりがあった。
「さぁぁぁぁう゛ぁぁぁぁんとぉぉぉ゛ぉ゛ぉ゛?なぁんでぇぇぇ゛ぇ゛ぇ゛?」
「ひっ……っ!」
喉輪もようやく自分の役目を思い出したのだろう。
先ほどまでの嗤い声とはまるで違う太く悍ましく、憎々しげな音に、私の喉は思わずと短い悲鳴をあげた。
そんな私を庇うように彼女を背を向け、両手を広げる。
「仰る通りで御座います。我が身はサーヴァント、嘗て主人より承りしクラスの銘は」
その右手はいつの間にか身の丈程もある杖を掴んでいる。
真珠のように淡く輝く宝石を金細工の豪奢な針で挟んだ装飾を頂点に掲げるそれを、使い慣れたようにくるりと回してから。
彼女は己が字名を告げる。
私に、目の前の敵に。
「そして欠片なる貴方様の敵に御座います」
そしてこのキヴォトスという世界に対して己の名前を赫赫と刻みつける。
「我が盟友との誓い、そして一茶の恩に報いん為」
杖を振るうその姿に私は見た。
このトリニティでもそう見ない、大きく美しい純白の翼がはためいて、羽が舞い散るのを。
そうして彼女は初めて会ったその時と変わらず静かに。
けれど怒気を隠さずそう言ったのだった。
戦い、そう呼ぶべきかすら分からなかった時間が終わった。
へたり込んで、呆気に取られていた私の側へとやって来た彼女はいつの間にか積もり始めていた雪に埋もれてしまうのも気にせず、膝を着いた。
「改めてご挨拶を───我が身はキャスター」
再度、私は言わなくてはいけない。
この時の選択を未来の私はきっと後悔する、と。
「どうか不肖な私の願いを一つ、聞き届けては頂けませんか?」
膝を着いた事で重なる視線の先に吸い寄せられた。
彼女の深い紫紺の瞳に私の顔を映されている。
その色を見つめていて、あろう事か私はその願いとやらに首を縦に振ってしまっていた。
「ありがとうございます。それでは、古関ウイさん」
───私と契約を結びましょう。
これが私と彼女の物語、その始まりで。
私のファーストキスが奪われるまでの1週間、そのカウントダウンの始まりだった。
1じゃんね☆
ハッピーシャイニーメリークリスマース!!!!!!
……12/26?1日遅れてる?
な、ななななーんのことじゃんね?
というわけでクリスマス特別短編じゃんね☆
1の大ボケでマスター候補から外れちゃったウイちゃん、なのでお詫びにはならないかもだけど『もしもウイちゃんがマスターだったら』っていう形でスレ終わりにいつも書いてたやつを改めて今回設定を(根っこは変えずに)一新させてみたじゃんね☆
本編時空とはまた別のお話じゃんね☆
ちなみにウイちゃんのサーヴァントに関してはクラスはもちろんサーヴァント自体もダイスの結果でこうなったじゃんね☆
11騎の候補からダイスで決まった美人で頼りになるキャスター……一体何者じゃんね?
ちなみにウイちゃんの魔力、というかマスター適正値は1d100で脅威の98!
ウイちゃん→キャスターの初期好感度はびっくりどっきりなんと1d100で100ぴったし!
どうしてこうなった、じゃんね☆
1話ごとの文字数で望ましいのは?
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3000文字〜4000文字
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4000文字〜5000文字
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6000文字〜7000文字
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8000文字〜90000文字
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9000文字〜10000文字
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10000文字〜12000文字
-
12000文字〜15000文字
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15000文字以上