阿慈谷ヒフミは聖杯戦争に参加するようです   作:1じゃんね☆

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Trifolium repens.

牧草、蜜源、食用、地被植物として利用され、特に四つ葉の物はその貴重性からお守りとして珍重される。
原産地はトリニティやゲヘナ周辺とされるが現在はキヴォトス全土に帰化、分布する身近な植物。
花言葉は約束、私を思って、私のものになって。
そして小葉の数によっても変化し、四つ葉の物はそれぞれの葉に一ずつ願いが込められている。
その意味は。

───信仰、希望、愛情、幸運。



ラフメイカー

 

 乱暴に脱ぎ捨てた制服。

目が届かないようにサイドテーブルに置かれたオネストウィッシュは、その白い銃身が沈むように暗闇へと溶け込む。

そこに浦和ハナコはいた。

明かり一つ着けないまま倒れ伏すようにしてベッドに沈み込んでいる。

微動だにせずぐったりと、僅かに聞こえる呼吸音だけが唯一彼女がまだ死体になっていない証左のようにして。

誰もいない暗がりで何もしないでただ一人いる。

何もしない、それは違うかもしれない。

少なくとも今のハナコには()()()()()()のだから。

 

「(わたしは……)」

 

 気力が湧かない。

生きている事が苦痛だった。

死ぬ勇気なんて物もなかった。

過去を思い出せば喉輪を絞める思いだった。

未来に思いを馳せれば全身が凍る思いだった。

だから今、ハナコは何もしない、何も出来ない。

無機物のように無気力にただそこに()()

そんな時間を昨夜からずっと続けている。

 

 真っ暗な場所で一人蹲って、何も変わらないまま時間だけが無意に流れていく。

それが今のハナコの世界だった。

 

 

 

『───ねぇ』

 

 

 

 誰にも会えないそんな世界に変化があったのは、どれぐらい経ったからなのか。

控えめなノック音が、浦和ハナコの耳に届いた。

その音に肩を揺らしてからベッドに身体を投げたわっていたハナコは暫し逡巡して、返事をした。

 

「……はい、どなたでしょうか?」

 

声はすぐに返ってきた。

 

『私、コハル。調子、どう?……その、これからヒフミのとこにお見舞いに行くんだけど』

 

 コハルにしては随分と控えめだという思考が掠めてからハナコは嗤った。

どの口で言っているかと。

己の不調で心配させておいて何を考えているのかと。

そういう自嘲する笑みを薄く浮かべた時にはハナコは口を開いていた。

 

「ごめんなさい、コハルちゃん。なんだか身体が熱っぽくて♡下腹部も♡もなんだかズキズキしちゃって♡」

 

 いつもように戯けてみせる自分を、頭の片隅の冷えた部分でハナコは俯瞰する。

嘘つきめ。

何をいつもというのだろうか。

そうハナコは自身の様を見て滑稽だと自覚する。

何も喋らず何も相談できず、その果てにあったのは友に会いたくないからと一人引きこもってあろう事か心配してくれた友人へ嘘をつく。

 

『ふぅん。じゃあ、せめて顔、見せなさいよ……心配だし』

 

「うふふ♡寂しがり屋さんですねコハルちゃん♡でもごめんなさい、本当にちょっと調子悪くって」

 

 ベッド傍のサイドテーブルに置かれた愛銃へ、かつて縋るようにつけた名前はなんだったのか。

唾棄すべきとトリニティの風潮に諦観したのはなんだったのか。

結局自分はどこまでも嘘に塗れた女なのだと、己に対する失望で首を絞めていく。

起こした身体をそのままに膝を抱えてから、けど布団からは手を離せなくて。

こんな自分は誰にも見せられないとハナコは布団に包まる。

面倒だった。

口では平静を装って、その実もう喋ることすら億劫になっていた。

これ以上、嘘を重ねる己を直視する事が嫌になったから。

だからまた言うのだ、嘘を。

体調悪いとそう言って(嘘を吐き出して)、会話を終わらせようとする。

 

『そっ……ならいいわ』

 

 コハルはその嘘を()()()ようだった。

いっそ、そっけないほど短くコハルは返事をしている。

厚い扉越しには人の気配なんてハナコには分からない。

その向こうでコハルがどんな表情してるかも知らない。

ただ、今ハナコは。

コハルにこれ以上嘘を重ねなくて済んだ事実に胸を撫で下ろして、深々と顔にまでかけた布団の中で蹲る。

真っ暗なその空間で誰とも話さず誰とも関わらない。

 

 己の犯した過ちを、何もかも許してもらえるご都合主義(もしかしたら)という叶いもしないのに今もずっと苛んで止まってくれないifを見る己の醜さから目を背け続けられる事だけに安堵して。

大切な友達との繋がりが少しずつ希薄になる事なんて理解した上で現実から逃げ出して。

真っ暗な場所でハナコは布団だけじゃ足りなくて両手で耳を塞いで。

何もかも外の世界をシャットダウンした。

 

 

 

 

 

 

 もしも。

もしもifがあるのなら。

仮にここで下江コハルが浦和ハナコと会うのを諦めたのなら。

きっとハナコはこれ以上、耐えられない。

この場所に、耐えられない。

そしてきっとヒフミ達の元を去っていただろう。

 

『何か違うでしょうか?このまま戦い続ければ死ぬと知りながら何も教えず、何も明かさず、自分は安全圏で殺し合いを見て愉しんでいる。見たところ阿慈谷ヒフミの発症はまだのようですが、そうなるまで黙ったままでいるつもりでしたか?』

 

「ぅ……ぁぁ……」

 

『───ごぷっ』

 

「ぅぅ……ぅぅぅ……」

 

『早くAEDを!ハナコ、ハナコ!?動いて!!』

 

「ごめんなさい……ごめん、なさい……」

 

 それほどまでに昨夜の出来事は折れた心はハナコを傷つけたまま深々と抉り続けていた。

嘘に失望した浦和ハナコが今度こそ自分自身に絶望したまま離別する、そんなifがあったのかもしれない。

そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああもうっ!めんどくさいっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下江コハルが───その『選択』をしなければ。

 

『顔ッ!今だけしっかり伏せときなさいよ!』

 

 壊音。

コハルの叫びのすぐ後に破壊音が高らかに木霊する。その叫びは布団の中で閉じこもり目も耳も塞いでいたハナコの身体を通して響いてみせた。

 

「なっ……なん……っ!?」

 

 慌てて布団を放って上半身を起こしたハナコの目に飛び込む光景。

明かり一つ点けないままの自室に射し込むのは廊下から漏れる白熱灯。

その光を背にして硝煙漂わせて扉を開け放ったコハルの姿だった。

 

「あ。やっぱり鍵かけてるし。どうせそんな事だと思ったのよ。うん、やっぱり撃って正解ね」

 

 逆手、否。

銃を上下逆さまに持つ特殊な構えを解きコハルはしげしげと打ち抜いたシリンダー錠の残骸を手に取ってみる。

それを暫く眺めてから指先にハンドルをひっかけて手持ち無沙汰に弄ぶのように一回してから廊下へと投げた。

からりと、宙へと身を投げた鋼鉄があげた甲高い声はまるで目覚ましの鐘だとでも言いたげにハナコの耳へ届く。

 

「コハ、ルちゃん……?……あの、なに……して?」

 

理解できないといった様子でハナコは呻いた。

先ほどまであった諦観と嘲笑で化粧した顔にあるのは驚愕。

シリンダー錠があった部分が吹き抜けになった自室のドアとそれを成してみせたコハルの顔を茫然と見ているハナコに、心外だと憤慨しながらドアを壊した犯人は足音鳴らしてハナコの部屋へと入ってきた。

 

「なにって?私これでも正義実現委員会のエリートよ!物理的侵入路確保(ブリーチング)ぐらいちゃんと技術講習受けてるんだから!……この子でするのは初めてだけど」

 

 胸を張ってそう言うも最後の方は口籠るように視線を逸らして、左肩にかけてある愛銃を、染まる事のない正義(ジャスティス・ブラック)をコハルは揺らした。

その銃口は煙の残滓を匂わせながら、コハルの背中越しに浴びた光に黒い銃身が淡く照らせている。

 

「いえ、そうじゃなくて……」

 

 いっそ暴力的なぐらいのコハルの振る舞いにハナコの心中は疑問符が湧き出てくる。

浦和ハナコという少女はずば抜けて()()()()、本人がそれを望んでいるかどうかは別であってもだ。

言葉に、立ち振る舞いに、状況に。

好むと好まざるに関わらず、人の本質的な部分をその明晰な観察力は見抜いてしまう。

何よりコハルとの付き合いはまだ短くも確かに濃い。

浦和ハナコにとって下江コハルは間違いなく友達なのだ。

 

「お見舞い。それだけ」

 

 だからこそ、思うのだ。

こんなコハルは知らないと。

いつものコハルと違うと。

ぶっきらぼうにそう言ってコハルは肩にかけた銃をサイドテーブルの上に置いてからぽすっと小さな音と共に、憮然とベッドへと腰掛ける。

 

 その仕草に、その態度に。

ハナコは疑問しか浮かばない。

下江コハルは繊細な少女だ。

見栄を張って自分を大きく見せようとする、中々心を開けない小動物らしさがある。

そしてだからこそ心開いた相手に、自分に対してこんな行動をしてくるのが読めなかった。

体調が悪いと、言外に構うなと突き離すように言った相手に自分から迫るような姿に、ハナコはただ混乱していた。

 

「あの……ごめんなさい、私、その……体調が……」

 

 それでも、本人ですら自覚する前にハナコの口からは言い訳が飛び出していた。

頭の中の冷静な部分が嗤いだす。

なんて無様、なんて卑怯。

語り合う事もせず、事ここに至ってまで嘘を重ねるのかと、そう心の中の自分が糾弾するのをハナコは感じていた。

だがそんな言い訳にコハルは何一つ気にした様子もなくごく普通な調子で体調について尋ねた。

 

 

 

「ふぅん、どこら辺が?」

 

 

 

ちくりと、ハナコは胸が痛むのに気がつく。

普通の言葉だ。

普通の気遣いだ。

ただコハルは自分の体調を気にしているだけ。

そんな事、ハナコはとっくに理解している。

そして理解していても、『怖かった』。

 

「その熱ぽくって」

 

嘘だと思われているような気がする。

 

「それから?」

 

見透かされているような気がする。

 

「お腹も、痛くて……」

 

吐きそうになる。

 

「大変じゃない。後で薬貰いに行かなきゃ。それから?」

 

ぐるぐると頭の中で思考が巡って車酔いでもした気分にハナコは陥っていく。

 

「胸も……苦しいんです……」

 

吐き出す空気すら一杯いっぱいで、喉奥から絞り出すようにして霞んだ音をあげる。

 

「頭だって痛いんです……っ」

 

潰れたように低い声の中には棘がある。邪魔をしないでくれ、会話をさせないでくれと、威嚇するように。

 

「だから……っ!」

 

「だから?」

 

懇願にも似た拒絶をコハルへと叩きつけた。

 

「出てって下さい……っ」

 

常であればハナコが決して出すわけのない荒れた声だ。

コハルの知る浦和ハナコは優しくて穏やかで、少しばかりエッチな話の好きな、そんな大好きなところがたくさんある友達だ。

そんな彼女がこんな声を出す事に、自分が出させてしまった事にびくりと肩を震わして。

目を瞑って。

それから。

 

 

 

「───イヤよ」

 

 

 

 はっきりそう言い振り返ってハナコの顔を見る。

肩をすくめて思いっきりかっこよく、頼りになるように笑ってやる。

 

「体調悪いなら傍に看病する人がいるでしょ?」

 

 その言葉に、その態度に。

ハナコの中で火花が跳ねた。

どうして分かってくれないんだと、放っておいてくれと。

鈍い怒りが沸々と沸いては火傷のように胸の奥を蝕んでいく。

 

「……出てって下さい」

 

声を出す度にハナコの頭の中で冷静さはがりがりと削られていく。

その声には隠しきれない怒りすら顔を覗かせ始める。

 

「ハナコが今一番辛いところ話してくれたら出る」

 

 当然コハルもそれに気づいていた。

いつものハナコからは考えられない怒気。

怖い、と。

堪らなく怖いと。

嫌いだからとかじゃない、好きだから、仲がいいから。

だから戦う事よりもずっとそれが怖いと感じて。

()()()()()掌を固く握って、気づかない振りをして毅然とハナコに返事をしてみせた。

 

「……出てって」

 

 その返事すら今はただハナコにとって苛立ちを覚えさせる。

じりじりと理性を削り、鈍く重く思考は巡ることなく感情に支配されていく。

それでも最後の理性はあって、それをしてしまえば『もう友達じゃいられなくなってしまう』と泣き出す小さな自分の悲痛な叫びが聞こえてきて。

だから必死に声ごと怒りを押し殺してみせた。

 

 そしてその気持ちを分かった上で。

 

 

 

「イヤ。私はあんたの隣にいる」

 

 

 

コハルは全て蹴飛ばした。

 

 

 

出てって!!

 

 

 

 振り切れたようにハナコは叫ぶ。

常のハナコなら有り得ないような絶叫。

普段声を荒げないからだろう、その声は音も外れて裏返っている。

耳を塞ぎたくなるほど痛々しい、ただ自分の喉を引きちぎろうとしないばかりの怒声。

コハルがハナコと知り合ってからこれまで一度も聞いたことのない悲惨な叫びだった。

そんな叫びにコハルもハナコへ向かって身を乗り出して応える。

 

 

 

「イヤ!私、ここにいたいの……出ていくなんてしないもん……!」

 

 

 

ここにいたい。

貴女の傍にいたい。

貴女を一人になんて絶対にさせない。

その想いを真っ直ぐな視線に込めてハナコへぶつける。

 

「ぅぅあ……なんでっ!なんで分かってくれないんですかっ!!出てって!言ってるのっ!!」

 

その力強さに、ハナコはたじろぐ。

自分よりずっと小さな身体の、年下の女の子が見せた意地(勇気)にハナコは悲鳴を上げるように言葉をぶつける。

泡を飛ばし、横たえたままの下半身すらまるで童女が駄々をこねるようにばたつかせて、ままならない物を全部めちゃくちゃに否定するように叫ぶ。

そんなハナコの姿にコハルはただの少しも退くことをよしとせずに言ってのける。

 

「出てなんていかない!私が心配なのは!私がっ……私が今いたい場所はハナコの隣なの!」

 

 叫ぶ声に比べたらずっと小さい筈の声が、ハナコのそれを吹き飛ばすぐらいの勢いと存在感がハナコの目へ確かに映し出す。

 

「……っ!うるさいッ!」

 

 それに何とも言い難い感情が湧いて、まるで小さい子どもが怒りに身を任せるように叫んだ時にはハナコの身体は動いていた。

 

 ハナコは、身を乗り出していつの間に自分の目の前にいるコハルを突き飛ばすようにベッドの上に押し倒す。

馬乗りになって荒い息を漏らしながらコハルの手首を押さえつける。

そうやって動きを止めればきっとコハルは口を閉じてくれるんだと、ありもしない幻想に縋ってハナコは躍起になって上に乗る。

 

 ベッドシーツはめちゃくちゃだ。

スプリングが軋む音は悲鳴にも似ている。

荒い息と共に視界がぶれてハナコは自分の下にいる筈のコハルがぼやけて見える。

肩で息をして、何か喋ろうとしても言葉は全部喉の奥でつっかえて。

どうにもならない時間が流れていく。

 

 それをぼんやりとハナコは熱い頭の中で認識して『嗚呼もう終わりだな』という事実だけを理解した。

心配してくれた友達を勝手な八つ当たりで怒って叫んで挙げ句の果てに突き飛ばして。

 

「(なにを……してるんでしょう……私は……)」

 

 気づいた時には冷めていく。

冷えていく。

あれだけ煮えたぎった油のような粘つく怒りは鎮火して、ハナコの残ったのは黒く濁った泥だけ。

失望が胸の中を埋め尽くして、己を恥じて、これからどう言い訳して繕えばいいとのろのろと考え始める己とそれを見て蔑む自分がいる。

思わず、ハナコの手から力が抜ける。

どこまでもどうしようもないと自分への嫌悪が全身に重くのしかかる。

ハナコの世界は真っ暗に、ひとりぼっちに。

 

 

 

 

 

 

「馬鹿ね……そんなぼろぼろの顔して、あんた一人置いてけるわけないでしょ」

 

 

 

 

 

 

そんな事、 下江コハル(友達)が許す筈がない。

 

「放っておいて……下さい……」

 

力無いその声に、明朗とコハルは返す。

何バカな事を言ってるんだと。

そう笑って返す。

 

「無理よ。だって私、ハナコの友達だもん」

 

 当たり前でしょと軽い調子で。

でも何処までも優しい温もりと共に。

そんな声がハナコの耳朶へするりと飛び込んできた。

 

「う、うぅぅぅぅ……っ!」

 

 力が抜けたハナコの手のひらから、いつの間にするりと抜け出した細い手首。

そこにしっかりと紅い跡を残したままそっとコハルはハナコの濡れた頬を拭ってやる。

その小さな手に春の温もりも感じてハナコは、ぎりりと奥歯を噛み締める。

 

「友達なら……!友達だって()()()()()()()()……わたっ、私の気持ちを、汲んで下さいよっ……こんなの……こんなのっ!ありがた迷惑ですっ」

 

先ほど前での勢いは、もうない。

それでも続きのように自分の下で横たわる少女へと吐き出していく。

なにに怒ってるのか、なにに悲しんでいるのか、もうハナコにも分からない。ただもうこんな情けない自分を見て欲しくなくて、必死に弱い自分をハナコは取り繕う。

 

「知らないわよ、そんなの」

 

 ()()()知らないのだと。

 

 

 

───“友達でも言わないと伝わらないからね”

───『はい!今度こそはっきり言ってみせます!』

 

 

 

そう、コハルは言う。

 

「言わなきゃ分かんない。教えてくれなきゃ分かんない。だって私、バカだし……みんなみたいに頭も良くないし強くもないし。でも……うん、でも!」

 

 

 

─── みんなのこと、信じるよ

 

───声をかけて、手を握って、話を聞いて、気の利いた言葉なんていらない

 

 

 

「お節介でもありがた迷惑でも私、ハナコの友達だから」

 

 

 

 人の心なんて言葉にしなくては分からない。

考えてることなんて理解できない、だけど。

それでも。

それでも自分は友達だから、と。

ちっぽけで飾らない、ただそれだけの当たり前の理由をコハルは口にする。

思い出すのはその背を押してくれた二人の少女の言葉。

怖いのは、不安に思うのは当たり前。

だから信じればいいんだと背中を押してくれた。

決して難しく考えなくていいんだと教えてくれた。

 

 背中に背負った言葉が、コハルに力をくれる。

見栄なんて張らずに真っ直ぐ。

理屈でも大義でもなくただ友達だから心配しているのだという自分の想いをぶつける。

 

「この部屋でハナコを一人にするなんてイヤ。ハナコが痛いのを放っておくなんてもっとイヤ」

 

 扉を開けて初めにコハルが胸に抱いたのは一つ。

それは()()だった。

真っ暗な部屋で、周りの物だって散乱して、服だって脱ぎ散らかし放題になっていた。

そんなハナコの部屋を見て、こんな場所にハナコを一人でいさせてしまった自分に。

こんな場所で一人でいようとするハナコに。

コハルは小さな怒りと、それから傷ついている友を助けたいという気持ちで心の中は溢れかえったのだ。

 

「私はハスミ先輩みたいに強くない。勉強だって苦手。お医者様じゃないからハナコが今傷ついてる場所も、痛がってる場所も治せない」

 

 下江コハルは決して強くはない。

未だ未熟で経験も浅い。

勉学だって補習授業部の中でもよく出来るわけではない。

何よりただの学生だ。

心を癒せる専門家なんて物ではない。

それでも、とコハルは続ける。

 

「でもそれに知らんぷりするのだけはイヤ。私はハナコと一緒にいたいの。私は───」

 

 下江コハルは決して傷ついた友達を放っておくなんてできない。

そっと頬を包みながら揺れるハナコの瞳を真っ直ぐに見つめながら、胸の内を何一つ臆さずに正面へとぶつける。

ハナコが叫んだのと同じように、その心の中で想い続けた激情を、力強くも温かさに包まれた親愛を。

 

 

 

 

 

 

私は今!痛がって!苦しんで!そうやって泣いてるハナコをひとりぼっちにするのが嫌なの!!

 

 

 

 

 

 

 

どうか目の前の少女の心へ届けと、力一杯に叫んだその声は。

 

「ぁ……ぅ……ぅ、ぁぅぅ……っ」

 

 噛み殺しても漏れる嗚咽と倒れ込む友の重みを感じて。

 

「ほんと、ばかなんだから」

 

ちゃんと届いたと気づかれないようにコハルは安堵の息を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……重いわよ、バカ」

 

「知りません……そんなの……こんなの知らない……」

 

 目を瞑って悪態をコハルがつけば、ハナコは呻く。

わからないと、自分の中の黒い感情をこれでもかとぶつけたのにそれを正面から受け止められて、どうしたらいいかわからないと鳴く。

それにコハルは幼子に物を教えるようにゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「ふぅん、知らなかったんだ。いい?ハナコはね、とっても()()のよ。だって私の大事な大事な……大好きな友達だからすっごく重たいの」

 

 覆い被さった自分よりずっと大きな友達の背中をコハルは優しく摩る。

そっと壊れ物を触れるようにしてコハルは彼女を撫でる。

大丈夫だよと、心の中の傷を包み込んで少しでも癒してあげられるように。

少しでも自分の体温が冷えたこの子の心を温められるように、そう祈りながらゆっくりと撫で続ける。

 

「でも私は正義実現委員会のエリートで、補習授業部とゲーム開発部の仲間で、ハナコの友達だから」

 

 下江コハルは弱いだろう。

確かにそれは真実だ。

だがコハルには自負があった。

かつての虚勢ではない、小さくとも譲れない宝物のような───気高い誇りがある。

弱くても、頭が悪くても、何も出来なくても。

下江コハルは浦和ハナコの友達だと、何一つ疑わずに言い切る。

 

「───だから、どれだけ重くてもハナコの事は全部私が背負ってみせる」

 

 友達だから、大好きだから。

何があろうと信じられるから。

だからその重さこそが愛しいのだとコハルは言い切る。

その背中に手を回した腕に籠った優しい力強さこそが、ハナコにとって全てだった。

 

 どっとハナコから力が抜ける。それでも縋り付くように、コハルの上からハナコは退くことが出来ないでいる。

そんなハナコの耳元で、コハルの小さな唇は動く。

 

「どこ、痛いの?」

 

その芽吹きを待つような暖かな声に導かれてハナコはひきつけるように辿々しく心の扉を開いていく。

 

「熱っぽいんです……ずっとぼんやりしてるんです……していたいんです……」

 

この瞬間が嘘だと思いたくなくて、身体を起こす気にはならないのにしがみつくハナコの掌だけは力が篭る。

 

「他には?」

 

 それを感じ取ってコハルは両腕に力を込めたり、背中を撫でたりする。

大丈夫だよ、聞いてるよ。それがちゃんとハナコに伝わるようにと。

 

「おなかもずっと痛いんです……じくじく痛むんです」

 

吐きそうなんだと、寒いんだと。

そう必死になって訴えるハナコに、聞いているよとコハルは応える。

 

「うん、うん。他も、ある?」

 

我慢しないで全部吐き出せるように、コハルは促していく。

それにハナコも止めどない雫と共に零していく。

 

「胸が、胸の奥がずっとずきずきするんです……っ」

 

囁くようにか細い声はひどく濡れてしまっていた。助けてと、たくさん聞いてと、祈るように。

 

「そっか、もうないの?」

 

だからコハルはふっと笑ってからハナコの髪を撫でて言う。まだ言い足りないなんて分かっているのだから。

 

「あとは……あとは……っ」

 

迷うようにして絞り出したのは。

ようやく口に出来たハナコの痛みだった。

 

 

 

「頭、痛いん、です……ずっと、ずっと……うそつきだって、弱虫だって責められてる気がして……いたいです……こわいんです……っ」

 

 

 

心の中でずっと抱えてきた物。

あの日、あの夕方にマリーと対峙した時に気づいてしまった事とその答え合わせ。

 

「ヒフミちゃんの……聖杯戦争のマスターになったら……死んじゃうんだって……もう何日もまえから知ってて……っ」

 

ヒフミが死ぬ、マリーが死ぬ、モモイが死ぬ。

マスターに選ばれたばかりに、殺し合いに参加させられた挙句の果てに、身体にまで大きな負担をかけられて死んでしまう。

ハナコは空気を必死に吸い込みながら、その事実をずっと前から知っていたのだと告解する。

 

「……うん」

 

 その言葉に、目を瞑ってからコハルは一言だけ返した。

今じゃない、叫ぶのも焦るのも困るのも悲しむのも、友達が傷ついて泣いている今じゃないと胸の内でコハルは己に刻む。

だから黙りこくるのでもなく、相槌を打ちながらハナコの話を受け入れていた。

 

「それで……それで……だから早く聖杯戦争終わらせて、マスターを辞めてもらわなきゃって……じゃないとヒフミちゃんもマリーちゃんも……!」

 

告解は続く。

浦和ハナコは知ってしまった。

阿慈谷ヒフミと伊落マリーが才羽モモイが、聖杯戦争のマスターになってしまった人間が遠くない将来、死んでしまうという事実を。

だからこそ必死に動いていた、ヒフミが少しでも戦わない、身体に負担とならない選択肢を探してそれを提案して。

どうか、どうか死んでしまうなんて馬鹿な話は嘘でありますようにと毎晩震えながら眠りについていた。

そして、浦和ハナコはその事実を誰にも話す事が出来なかった。

 

「でもそんなの言えなくて……!マスターでいたら体に負担がかかるって……ならどっちにしてもサーヴァントと、セイバーさんとの契約を破棄しなきゃいけなくて……!」

 

 言える筈がなかった。

友達に対して誰が言えるだろうか。

お前はもうすぐ死ぬのだと、その原因はお前が仲良くしている仲間のせいだぞと、そんな事を浦和ハナコに言える筈がなかった。

 

 契約を破棄すればセイバーがキヴォトスから退去してしまう(どうなるか)なんてとうの昔に知っている。

けれど契約を破棄しなくてはヒフミは魔力供給の負担で死ぬ。

ヒフミを優先すれば良かったか、嗚呼まだセイバーを召喚して日が浅い頃に自分が気づいていれば契約の破棄(それ)を選べたのかとありもしない夢想をする事もハナコはあった。

そしてそんな妄想すら、黒服からの話で意味がないと突きつけられた。

 

 なにより浦和ハナコに、その実、内心で誰よりもセイバーという新しい友達が出来たことを、新しい仲間が出来たのを喜んでいた少女に。

そんな事を言えるような冷酷さなんてありはしないのだから。

 

「うい、っ……うい、さんにぃっ……文献あたってもらって!……調べてもらって……!でも、言うのが怖くて……!ヒフミちゃんに、死んじゃうかもしれないなんて言えなくて……!」

 

 必死だった。

ウイに頼み込んで、でもそれ以上誰に頼んで相談すればいいのかハナコには分からずいた。

迷路の袋小路にあたってどこにもいけないまま思考をぐるぐると空回りさせるしかなかった。

 

「ヒフミちゃんもモモイちゃんもマリーちゃんも!!死ぬのなんて嫌で!でもそれを伝えるのも考えるのも全部嫌で……!」

 

 魔力の供給による負担がどれほどの物かなんて何もわからなかった。

いつ発症するかも分からなければ、症状だって確認できたのはマリーの物だけ。

だから早く聖杯戦争を終わらせなくてはと考えて、そうなれば今度はセイバー以外のサーヴァントを犠牲にしなくてはいけないと気づいてしまう。

どこまでいっても袋小路。

それを抱えたまま、せめてこの秘密を当事者であるヒフミに気づかれないようにと隠し続けた。

 

「そしたらトキさんの口から……ヒフミちゃんはその話聞いて」

 

そう、昨日までは。

 

 

 

「そしたら……そしたら……ヒフミちゃん……血を……吐いて……倒れちゃった、んです……」

 

 

 

隠して、隠して、隠した先にあったのは血塗れになって倒れる大好きな友達の姿だった。

 

「わたっ……わたしのせいなんです……もっとはやく……もっとはやく言っていれば……あんな風にならなかったかもしれないのに……」

 

 決壊した扉から溢れたのはどこまでも続く後悔だった。

堰を切ったように止まることなくシーツを濡らしながら告解は続く。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……わたしが弱虫だから……なんにも言えなかった……本当は知ってたのにぃっ!……もっと早く伝えたら……もっと早くっ!すぐにでもちゃんと言えてたらっ……!」

 

弱虫だと、嘘つきだと。

浦和ハナコは何度も何度も己を詰る。

肩を震わしてしゃくりあげながら、謝り続ける。

 

「ヒフミちゃんの身体のこと調べれたかもしれない……血を吐く前になんとかできたかもしれない……っ!」

 

それが浦和ハナコの後悔。

 

知っていた事を『誰にも打ち明けなかった』。

 

 その結果倒れてしまったという『偶然の結末』にハナコは昨晩から囚われていた。

ハナコだって分かっている。

例え自分が早く話をしていても、魔力の供給負担に対してどこまで対処の処置が出来たかなんてわからない事は、分かっている。

分かっていて、だけれど思わずにはいられないのだ。

自分のせいだと、責めなくては息すら出来ないのだ。

 

「こわ、こわいよぉ……ごめんなさぃ……わたしが、もっとちゃんとしてたら……やだよぉ……死なないで……死なないで……いなくなるなんてやだよぉ……ひふみちゃんも、ももいちゃんも、まりーちゃんも……もっとずっと一緒にいたいよぉ」

 

 友達、なのだ。

浦和ハナコにとって、願い続けた、ずっと欲しかったかけがえのない大事な友達なのだ。

胸が焦燥感と虚無感でめちゃくちゃになるほどに、欲しいと請い願い祈り続けてようやく手に入れた友達なのだ。

誰一人であっても欠けてほしくないのだ。

 

「おともだちなんです……大事な……大事なっ!……やだ、やだやだ……死ぬなんて、傷つけあうなんて、死んじゃうなんていやですよぉ……」

 

 そんな友達が死んでしまう。

そんな友達が殺し合わなきゃいけない。

そんな、そんな事実がハナコはずっと怖くて、嫌で、耳を塞いでいたかった。

なのにヒフミは倒れてしまった。

それをハナコは全部自分の弱さのせいだと、打ち明ける『勇気』を持てなかった己に失望して、絶望して。

今、こうしてやっと、そうやって自分を苦しめ続けた後悔をコハルへと吐き出した。

 

「たすけて、たすけてよぉコハルちゃん……!辛いです……わたし、わたし……どうしたらいいんですか……っ?どうしたら……どうしたらよかったのぉ……?」

 

助けてと抱きついて、怖いと目の前で泣く、傷ついた友を見て。

 

「たすけて、たすけてよぉ……こはるちゃん……」

 

コハルはそんな彼女の顔をそっと自分の方へと向けさせた。

 

笑え、と自分を奮い立たせるようにコハルは自分へと心の中で言う。

 

目の前で友達が泣いてる、大好きで大事な友達がだ。

弱音を吐いて縋りついている。

泣きっぱなしになんかさせないと、コハルは決意する。

自分も不安だと、だけど友達がいるから大丈夫なんだと教わった。

一人ぼっちで怖い時は、誰かに隣にいてほしいのだと教わった。

コハルがどうするべき悩んでいた事は、今からしようとしてる事は。

 

「(ありがとう、ミドリ、ユズ)」

 

 間違っていないのだと背中を押されたから。

だからもう迷わない、躊躇わない。

目の前で後悔の念に押し潰されて、真っ暗な迷路でひとりぼっちになってる彼女を。

ハッピーエンドというゴールが見えなくなって不安にかられている彼女を。

 

 

 

───『言いたいことは伝えないとですね』

 

 

 

いつか他ならぬハナコ自身が言っていた癖に忘れている、そんな単純な解決方法を思い出させる為に。

 

「ばーか。そんなに頼まなくたって」

 

もう大丈夫だよ、と言い聞かせて安心させる為に。

 

 

 

 

 

 

───助けるに決まってるでしょ

 

 

 

 

 

 

ハナコは見惚れるほど鮮やかにコハルは笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その部屋に明かりはもう、必要なかった。

 

「あのね、一緒に考えるの。」

 

「……どんな、ことをですか……?」

 

「ばかね、ハナコ。ハッピーエンドに決まってるでしょ!」

 

 酷い顔だとにやりと笑ってシャワー室へと連れ込んでから。

濡れた髪に手早くドライヤーを吹きかけつつ小柄な少女は笑っていう。

それを真っ白なセーラー姿の少女は困惑して返す。

 

「そんなの……」

 

「あるの!ヒフミが目指すって言ったんだから!あの子は一人にしてると、いっつも勝手にするから!……だから私達も一緒にしっかり考えなきゃ」

 

少女は乾いたぞと言わんばかりにもう一人の背中を軽く叩く。

それは道に迷った友の背を押すようで。

 

「みんなでやればきっと上手くいく。大体、あの時だって私の成績あげてくれたのはハナコ、あんたじゃない」

 

「それは……コハルちゃんが頑張ったから……」

 

「ああもう!だぁかぁらっ!ほんっと辛気臭い!そういうことじゃなくて!」

 

 ぱちんと少女の手に黒い銃が、もう一人には白い銃が渡される。

それから少女は、手を引いて立ち上がる。

 

「私一人じゃ力不足!あんたも一人じゃ泣き虫!でも二人ならそんなのだって補える!二人でそれなら八人……ううん、十人ならもっとすごい事だってできる!だって私達補習授業部は、あの時だってそうやって乗り越えたんだから!」

 

さあ行こうと、笑いかける。

きっと上手くいくと信じてみせる。

それは安直な考えなんかではない。

怖くても、大好きな人を信じる事。

大好きな人の隣にいる事。

そうやって弱くても、一歩を踏み出す事。

その結果が、大切な物に繋がるのだと少女は、下江コハルはもう知っているのだから。

 

「ほら行くわよ!ハナコ!ミドリとユズ、待たせてるんだから!」

 

「……ふふっ、はい。コハルちゃん」

 

 コハルに手を引かれて浦和ハナコは歩き出す。

助けてと言えた、助けると言ってもらえた。

これからどうなるかなんてハナコには結局わからないままだった。

なんとかする、その為に今から話し合いだ、なんて。

 

「あっ!それから!仲直り、ちゃんとするの!いい?」

 

それでも今、明るい場所へと連れ出してくれた少女の小さな掌から感じる温もりが、全て吐き出してぽっかりと空っぽになったハナコの心に染み渡って収まっていく。

 

「あっち着いたらまずはヒフミにちゃんと言うの!黙っててごめんって!そしたらきっと上手くいくから!」

 

「……言えるでしょうか、わたし……それに許してもらえるか……」

 

「何言ってるのよ、許すも何も私達友達なんだから!悪いことあったら謝って、それで何度だって仲直りできるんだから!」

 

「……その時、一緒にいて……手を、握ってくれますか……?」

 

「当たり前でしょ!」

 

 少女たちは歩いていく。

その歩みを肩にかけられた黒と白の銃身を見ている。

暗い部屋の中に沈んでいた銃はようやく光を受けて輝きを魅せる。

その銘は『オネストウィッシュ』。

 

 そこに込めた願いはきっと、とてもありふれた、真っ直ぐな願いで。

いつかその願い()が開きますようにと祈ったの一人ぼっちの少女で、だからもう此処にはいない。

だってそれはきっともう叶っているのだろうから。

 





1じゃんね☆
コハルちゃんとハナコちゃんのお話はこれにて決着。
次回でヒフミちゃんともしっかりお話しするじゃんね☆

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