プロローグ
正午:ミレニアム自治区/エンジニア部のラボ
「────臨時ニュースです!!」
傍らに流していたラジオが、物々しい言葉を伝えた。
ぴたりと作業の手を止め、続く言葉に耳を傾ける。
「本日調印予定の、トリニティ総合学園とゲヘナ学園による相互不可侵条約の式典会場が、何者かによって爆撃されました!!」
「現地のリポーターからの情報によりますと、
爆撃された"通功の古聖堂"周辺では無数の銃声が鳴り響いており、聖堂内部では激しい戦闘が繰り広げられている模様です!!」
「聖堂では爆撃による崩落、火災が発生しており、被害状況は不明」
「この式典には、各校の上層部や──────」
────がしゃん。
手に持っていた機材が床に落ちた音で、ようやく我に帰る。
(……何が、起きている?)
寒気に震える体を抑えるように、深呼吸を繰り返す。
(……調印会場が爆撃されただと? しかも、中で戦闘が起きている?)
爆撃だけならまだ理解できる。
だが、中で戦闘が起こっているとなると……どちらかが糸を引いたテロということになってしまう。
……だが、そうは思えない。
双方、ここまで来てちゃぶ台返しを……まして戦争を引き起こすような真似をする合理的理由がない。
ならば、第三勢力の介入?いったい誰が?
雷帝派の残党がテロでも仕掛けて来たか?
思考は募るが、結論は出ない。
(……とにかく、状況は芳しくない。ここで座して情報を待つ余裕はないか)
「……すまない、バイクを借りる!!」
衝動に背を押されるように、ラボの出口へと走り出す。
背後から聞こえる声を振り切り、体当たりで押し開けた扉の外には暗雲が立ち込めていて、
肌にはぽつぽつと雨粒が落ちてくる。
作業着に雨が沁み込んでいくのも厭わず、私はオートバイに飛び乗った。
午後:ヴァルキューレ管轄区/63号道路
「……出ろ、出ろ……!!」
ハンドルを片手で握りながら、何度も何度も電話を掛ける。
どれだけコールを鳴らしても、不通の電子音だけが虚しく鳴り響き、不安は全身を蝕んでいく。
「……クソ!!」
セイアに電話を掛けるも、応答は返らない。
ミカに電話を掛ける──電源が入っていない。
全身に吹き付ける雨粒に交じって、背筋を冷や汗が伝った。
ミネ、ハスミ、ツルギ、イチカ。
状況を知っていそうな者達に、手当たり次第に電話を掛ける。
しかし誰も、応答しない。
(……緊急連絡用の端末だぞ……!?)
ぎり、と端末を握ると、指先に鈍い痛みが走った。
まるで自分だけが蚊帳の外に置かれているような状況に、動揺が募っていく。
絶望的な思考と、叩きつけるような大雨が体温を狂わせていくなかで。
私はただ、アクセルを捻ることしかできなかった。
────"エデン条約事件"より数か月後。
正午:トリニティ本校/廊下
「…………雨か」
窓の外から聞こえた小さな音に目を向ける。
ねずみ色に染まった窓の外では、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
……なかなかに厚い雲だ。
一度降り始めたのなら、しばらくは止みそうにない。
(……あの時も、こんな雨だったか……忌々しい)
だんだんと騒がしさを増していく雨音に物思いを馳せ、ぼうっと外を眺めていると、
雨音に混じり、背後から"どたどた"と慌ただしい足音が近付いてきた。
「……?」
何事か、と振り返る。
そこには、ぜえぜえと息を切らした正義実現委員会の生徒が立っていた。
「はあっ、はあっ……! ルイさん! ハスミ先輩が呼んでましたよ……!」
どうやら私を捜していたらしい彼女は、肩で息をしながらそう伝えた。
(……呼び出しとは珍しい。明日の演習に変更があるのだろうか)
「わかった、すぐに向かう」
「手間をかけたようだな。すまなかった」
いまだ息を切らしている彼女にそう伝えて、私は正義実現委員会の部室へと向かった。
────30分後。
「……ふう」
"ぱたん"と会議室のドアを閉め、一息つく。
ハスミとのミーティングは何事も無く終わり、またしばらく時間が空いた。
(予定は……今から1時間ほどあるか。ならば、問題ないだろう)
腕時計から視線を外し、自分の部室へと歩みを進めた。
昼:トリニティ本校/相談室
────それからしばらく。
部室で携帯を黙々と操作していると、"こんこん"とノック音が響いた。
「……ルイさん? いらっしゃいますか?」
厚い扉越しながらも、透き通る声。
(この声は……)
スマホをしまって、"どうぞ"と返事をする。
そっと扉を開けて入室してきたのは、
ティーパーティーの一人にして、私の友人……桐藤ナギサだった。
「連絡もなしにすみません。……ルイさん、いまお時間よろしいですか?」
物腰は柔らかいが、纏う雰囲気はどこか重い。
……厄介な相談事があるのは、態度から明らかだった。
「ああ、時間はある。立ち話もなんだから座ってくれ」
「折角だから紅茶を淹れよう。先日、君から頂いたアールグレイを……」
そう言って立ち上がると、ナギサは"いえ"と首を振った。
「そう長くなる話ではないので、お気遣いなく」
誘いを丁重に断り、ナギサはソファへと腰かけた。
「そうか。それでは……話を聞こう」
私も椅子に座り、視線を合わせる。
すると、ナギサはゆっくりと話し始めた。
「近頃、"ブラックマーケットでトリニティの生徒が頻繁に目撃されている" という情報がありまして……」
「ティーパーティーとしては、この情報には調査の必要があると考えております」
「しかし、その内容が内容のため、表立って調査するのも憚られるのです」
「このようにセンシティブな話題には、過剰反応がつきものですし……」
「結果によっては、大きな分断をもたらす可能性もありますので」
語り終えたナギサは困ったように眉を下げて、ふうとため息を吐いた。
(……"ブラックマーケットにトリニティの生徒"、か)
「……ふむ、それは穏やかではないな」
「それで、私にその調査を依頼したいという事でいいか?」
尋ね返すと、ナギサは静かに頷いた。
「その通りです。もちろん、我々にできる協力は惜しみません」
「わかった、任せてくれ」
了承すると、ナギサは安心したように微笑んで、そっと頭を下げた。
「……ありがとうございます。いつもいつも、苦労を掛けますね」
「気にしなくていい、それが私の職務だからな」
「むしろ、君の助けになれて光栄だ」
微笑みを作って返答すると、ナギサも"ふふ"と笑みを返してくれた。
"さて" と話を区切って、詳細の聴取に入る。
(……ここで情報を取り損ねるとまずい。引き出せる全てを引き出そう)
「……ひとくくりにブラックマーケットと言っても、そう呼ばれているエリアはいくつもある」
「具体的に、どこのブラックマーケットかはわかるか?」
「……それと、情報源について聞いておきたい」
そう尋ねると、ナギサはつらつらと答えていく。
「場所はアビドス自治区近郊のブラックマーケットです」
「情報源は先生ですが……彼も"他の生徒から目撃情報を聞いた"、という形ですので……」
その言葉に、"ふむ"、と思案して見せる。
(アビドス。……これは、困ったな)
内心穏やかでないながらも、表情に出さずメモを取っていく。
ひと通り状況を把握したところで、"ぱたん"と手帳を閉じた。
「よし……大体は了解した。私の方で調査してみよう」
「助かります。……ですが、ルイさんおひとりでは危険なのでは? 」
「必要なら、他の人員も用意できますが……」
ナギサは心配そうに指を交差させながら、おずおずと尋ねた。
その問いに小さく首を振り、"いいや"と続ける。
「……あそこはアビドス生徒会の手が回らないのを良い事に、無法地帯と化している」
「下手に人員を増やしては、かえってリスクが上がるだけだ。調査の人員は、私一人が適当だろう」
"心配してくれてありがとう"と付け加えると、ナギサはしぶしぶと頷いた。
「……わかりました、くれぐれもお気をつけて……」
「何か必要な物があれば、連絡してくださいね」
「ああ、その時は遠慮なく頼らせてくれ」
そう返事をすると、ナギサはそっと立ち上がり……流麗な動作で、こちらに一礼を送った。
彼女はそっと顔を上げて、私と再び視線を交わす。
「それでは、私はこの後に予定がありますので……すこし早いですが、失礼いたします」
「わかった。また何かあったら相談してくれ」
"ええ"、と微笑んで私に背を向けたナギサは、部屋の扉を開けようとして……ぴたり、と立ち止まった。
「……そういえば、本日の15時半ごろからお茶会をしようと思うのですが……折角ですので、ルイさんもいかがでしょう?」
そう言って、ナギサはにこやかに私を"お茶会"へと誘った。
時間的には、アフタヌーンティー。
つまり、正規の会合ではなく……ただ純粋に"友人としてお茶会をしよう"という提案だろう。
彼女達と話せるのは、私としても嬉しい。
"是非に"と反射で答える直前。
今日は私の部活……"相談室"に予約が入っている事を思い出した。
「……すまない。嬉しい申し出だが、少し待ってくれ」
メモを開いて、急いで次の予定を確認する。
覚え通り、来客予定は17時30分から。
……書類仕事を後に回せば、充分に余裕が作れる。
「よかった、予定は空いている。喜んで伺おう」
高揚感に声を弾ませると、ナギサはにこりと微笑んだ。
「ふふ、お二人も喜ぶでしょう。それではまたのちほど、お待ちしていますね」
「ああ、また後で。楽しみにしているよ」
ナギサは小さく手を振って、部屋を出て行った。
"ぱたん"という小さな音と共に、私は外界と隔絶され……ひとつ、ため息を吐き出す。
(……あまり、悠長に構えてはいられないか……)
私の胸中では、複雑な感情が渦を巻いていた。
"困ったな"と内心で呟きながらスマホを取り出し、画面に目を落とす。
[ 用意はできた、受け渡しはいつがいい ]
画面に映るのは、"業者"から送られてきたメッセージ。
[ 今日の24時前後に取りに行く ]
そう返信すると、1分も経たないうちに [ 了解した ] と短いメッセージが送られてくる。
既読が付いた数秒後、チャットルームが削除された。
……そう。ナギサの言った"ブラックマーケットに出入りしている生徒"とは、おそらく私のことだ。
現在私は、ある事情のため、あらゆる手段を通じて物資調達を行っている。
それは……あの忌々しい "エデン条約事件" から準備してきた "計画" のため。
それを一言で語るのならば……"黙示録の回避"。
トリニティの聖典には、"黙示録"という予言がある。
おぞましい過程を経て、世界が滅び……神の元に再誕するという内容だ。
そこに記された予言は、"封印"を解いてしまった子羊……私達が辿る末路を示す。
"赤き馬"から始まるそれらの予言は、偶然と片付けるにはあまりにも符合が多すぎた。
エデン条約事件で発生したいくつもの事象が、かの予言との関連を示している。
……時間がない。
未来に訪れる危機……"黙示録"は既に始まり、進行している。
かの事件が大団円を迎え、全ての真相を知ったあと。
偽りの平穏に気が付いた私は訪れる破滅を超克するため、幾つもの計算、想定、思考を重ねた。
……そして。
私は最も有効で、最も確実で、最も時間のかからない……ひとつの結論に行きついた。
それは、"トリニティとゲヘナの講和"。
これを人に語れば夢物語と嗤われるだろうが……我々は既に、その光明を見ている。
大聖堂に巡航ミサイルが撃ち込まれたあの日。
その場に集まっていたゲヘナとトリニティの生徒は手を取り合った。
"先生"を死地から救出し、不明な勢力の撃退に尽力。
複雑な過程を経るも、結果的にあの事件は大団円を迎えた。
……つまり。
団結のため私達に必要なのは、"平和"などという綺麗ごとではなく、"共通の敵"。
あの事件はそれを如実に示している。
……今のままでは、キヴォトスは滅ぶ。
三大校と呼ばれ、その名の通り圧倒的な力を持つミレニアム、ゲヘナ、トリニティ。
その内の二校が対立していては、有事が発生した際に致命的な事態を招くだろう。
それを阻止するためならば……私はトリニティを裏切り、ゲヘナ共に討つべき"敵"となろう。
これは誰でもない、私がやらなければならないことだ。
────しかし、長く準備してきた計画にも、ひとつの綻びが生まれてしまった。
(……秘匿も偽装も、上手くやってきたつもりだったが……)
ここに来て、尻尾を掴まれるとは。
都合よく私に調査依頼が来たおかげで、ある程度の遅延は見込める。
だが "トリニティの生徒"という所まで露見しているのなら、これ以上は悠長に構えていられない。
疑われ、監視を付けられてしまえば、追及をごまかしきる自信はない。
(……こうなれば多少のリスクは割り切ってでも、計画を前倒す必要があるか……)
焦燥に頭を悩ませながら、私は苦慮に耽るのだった。