深夜:アビドスブラックマーケット/倉庫
side:ホシノ
「……クソっ!」 "ガンッ!!"
ルイが去り、ノノミ達の乗った車両が到着する直前。
魔王の逃走を許し、一人残されたホシノは悔恨と怒りを拳に込め……目の前の壁を全力で殴りつけた。
(油断した。いや……驕った……!)
────ホシノの勝利条件は"援軍が到着するまでの足止め"。
ホシノには機動装置による逃走を追撃する手段は無い……つまり、"使われる前に制圧する"。
あるいは"使わせないように立ち回り、時間を稼ぐ"それが必須条件だった。
支援の要請は完了しており、あと数分もあれば頼れる後輩たちが駆け付ける。
その状況下、装備の相性は悪いが実力差はあると踏み……目先の数分に目が眩んで、強引に突っ込んだ。
……その結果がこれだ。
(……そもそも、魔王は私が援軍を待ってる事に気付いてた)
魔王の言葉通り……装甲車の逃走を許した時点で、ホシノの勝利条件が達成される事はあり得なかった。
「…………」
「……ホシノ先輩~?」
「先輩、大丈夫?」
先の戦いを想起し、悔恨を飲み下すために思考しているうち、ホシノの背後から声が聞こえた。
振り向くと、到着したノノミとシロコがホシノを心配そうに覗き込んでいた。
「ッ……ノノミちゃんにシロコちゃん……ごめんねぇ、こんな夜中に。」
煮える感情を抑え、ホシノは咄嗟に声色を取り繕う。
が、二人の表情は困ったような、哀しいような複雑な表情のままだった。
「ん、大丈夫。気にしないで」
「そうですよ~、緊急事態ですから~……」
優しく答えた二人に、ホシノはかえって苦しそうな表情を浮かべる。
「……ごめんね、逃がしちゃった」
俯き、小さくそう呟いたホシノに掛ける言葉に迷い……その場を重い沈黙が支配する。
────数秒の静寂を破ったのは、遠方より響き渡るサイレン。
「……ヴァルキューレの機動部隊が来たみたいですね~……」
何台もの車両が奏でる歪んだサイレンが、ホシノの無力感をさらに煽る。
(……私が、もう少し上手くやれていれば……!!)
"ぎり"と奥歯を噛み締める。
それでも目の前の後輩たちを安心させるため、なんとか言葉を紡ぐ。
「……ごめんね二人とも、夜中に呼び出して悪いけど……後は私が話すから、今日は帰っていいよ~。」
「「……」」
俯いたまま目を合わせず、そう告げたホシノに二人は黙って寄り添うのみだった。
深夜:トリニティ寮区画/ナギサの寝室
side:ナギサ
「────……」
時針が新たな周回を始めた頃。
眠れず、ベッドに横になっていたナギサの傍に置かれたスマホに明かりが灯る。
(……何ですか、夜中に。)
内心に多少の憤りを感じつつ、スマホを手に取って送り主を確認する。
(……情報部。メッセージという事はそう急ぎの情報という訳ではなさそうですが……)
この程度の重要度なら、普段は無視して眠り、起きてから処理するような案件なのだが……どうせ眠れていなかった。
ならば今のうちに目を通しておこうと考え、アプリを開く。
「……!」
その内容に、ナギサは息を呑む。
"夜分失礼いたします"
"本日未明、魔王がアビドスにて同校の対策委員会:小鳥遊ホシノ氏と交戦したという情報が入りました。取り急ぎ連絡までです"
"魔王は逃走したようですが、現在はホシノ氏の事情聴取中であり、受けた情報は全て提供するとヴァルキューレとホシノ氏両名の同意も取れています。
"聴取の終了後、ヴァルキューレより提供された書き起こしと要点を送付いたします"
"了解しました"
"差し出がましいようですが、ナギサ様はお休みください"
"ヴァルキューレの追跡は失敗したとの事です、そう急ぎの事案ではありません"
"何かご希望があれば、そのように致しますので"
"かしこまりました"
"出過ぎた真似でしょうが、僭越ながら書き起こしが到着したらモーニングコールを致します"
"ナギサ様はそれまでお休みください"
"最近はご無理をなされているように見えます"
"どうか、ご自愛ください"
「……はあ」
ナギサは一つ息を吐いて、ぼすんとベッドに身を倒した。
(……眠れるわけがないでしょうに)
怒り・悔恨・悲しみ・痛み・無力・罪悪感。
全ての苦しみがかき混ぜられた感情が、眠りという安寧を打ち払う。
────今日は忙しくなる。
昨日が忙しくなかったという訳ではなく、ただそれを凌駕する仕事が舞い込むのは間違いない。
休まなければ、眠らなければならない。
……眠れずとも、目は閉じるべきなのだろう。
「────……」
……目を閉じると、暗闇の中に不安だけが浮かび上がる。
(……なぜ、私がこんな目に合わなくてはならないのですか)
弱音という名の悪魔が隙を突き、ナギサの心を傷付ける。
無意識に流れ出した涙を拭う事もせず、ナギサは瞼に力を込め……目を瞑り続けた。
深夜:トリニティ本校/ナギサの執務室
────あれからおよそ2時間後。
トリニティの会議室にはナギサを始めとする数人の生徒が集まっていた。
ナギサの査読を待ちつつ、各部門に送る書類を作っている情報部の生徒たちは、目元を腫らしたまま書類を睨むナギサを心配そうに見つめていた。
(……見ていられません、あれは休ませるべきです、今すぐにでも)
(しかし今は私たちの言葉を聞き入れてくれるような状態でもないでしょう、やはりミカ様を連れてくるしか……)
(……以前そうしても結局こうなってしまったのですから、ミネ団長に報告して無理やりベッドに押さえつけてもらう方がいいのでは?)
(気持ちはわかりますが、冗談が過ぎますよ……とりあえず、事情を説明してミカ様を連れてくるよう警備課の同期に頼んでおきます)
(了解しました、私たちは迅速に業務を終わらせ……ナギサ様をミカ様に引き継ぎましょう)
……ナギサを心配した情報部の生徒たちはそう小声で話しつつ、手を動かし続ける。
────それから数分後、ナギサが書類を机に置いた。
「……概ねは把握しました、手配や公示の書類は私自らが────」
"バァン!!"
執務室の扉がかつてない程勢いよく開けられる。
「ナギちゃん!?今日はちゃんと休むって言ってたよね!!?」
怒号にも似た叫びが執務室に響き渡る。
「ちょっ、ミカ様……外で待っていてくださいと……!」
突入して来たミカの後ろから、ミカを呼んで来たであろう正義実現委員会の生徒が駆け込んでくる。
制するポーズは取っているが、しかし抑えようという気は全く感じられない。
「……ミカさん、申し訳ありませんが、これは緊急を要する事態で────」
ナギサの冷たい弁明をミカは遮る。
「聞いた。ルイちゃんがアビドスに居たって……もう逃げちゃって追跡も失敗してるって」
「じゃあもういいじゃん、明日やりなよそんな事!ナギちゃんが体壊しちゃったら────」
「……"そんな事"?」
ミカの言葉にナギサはぴくりと眉を動かし、がたりと椅子から立ち上がった。
ナギサの中にはふつふつとした感情が湧き上がっていた。
今まで抑え込まれたストレスと怒りが束ねられ、ミカに向けられる。
「……では、私以外に誰が今このトリニティの指揮を執れるのですか!?」
「……実質的にティーパーティーは私一人。パテルもサンクトゥスも未だ代理を立てず私一人に全て押し付けて!」
「朝から晩まで椅子に座ってトリニティ中の書類や承認書を見続け、やっと終わったかと思ったらトラブルの後処理、更には魔王!」
「……今日の早朝までに状況説明の公示を作成し、トリニティ内部や他校に送らなければなりません」
「少しでも遅れてしまえば、それが原因で更に致命的な事態を招く可能性があります」
「……わかりますか?今言った全て、私が対応しなければならないのです!!」
「……ミカ。貴方に"そんな事"などと言う資格はありません。」
「────"裏切り者"として任を解かれた貴方には!」
感情に任せて叫んだナギサは少し頭が冷えたのか、はっと顔を上げる。
「…………っ」
……数メートル先に居た幼馴染の顔は悲哀に満ち……これまでにない深い溝を、傷を感じさせた。
「────そうだよね、ナギちゃん。ごめんね……!」
ミカは俯き、涙声でそう呟いてとぼとぼと部屋を後にする。
「ミカ様、待っ──!」
引き留めようとした生徒は、この言葉はナギサ自身が言うべきだと判断し……ナギサの方を見た。
「……違っ、ミカ、さ……」
しかしナギサの伸ばした手は空を切り、謝罪の言葉は届くことなく消え去った。
「違う……違うんです………!わたしは、こんな事が言いたかったわけでは……!」
"がたん!!"
「……ううっ……どうして、私は……!」
ナギサは膝から崩れ落ち、蹲って自分の言葉を否定する。
「ぐすっ……違う、私は、私はぁっ……!!」
ぐすぐすと声を上げて泣くナギサはティーパーティーなどではなく、"ひとりの少女"で……それが酷く、哀れに見えた。
「「「………………」」」
その場に残された情報部の生徒たちは、余りに重苦しく……居たたまれない空気に動揺を隠せず、ゆっくりと顔を見合わせ、ナギサを刺激しないように小声で話し始めた。
(今すぐミカ様を連れ戻して、仲直りさせないとまずい事になるのでは?)
(……いえ、まずはお互い冷静にさせるべきです……その為には、まずナギサ様を休ませるべきでしょう)
(……救護騎士団に連絡を取ります、当直の生徒に事情を説明すれば医務室の使用許可が下りるはず……いえ、下ろさせます)
(では……ミカ様の方は、"先生"にお願いしましょう、こちらも何とかできないか動いてみます)
(……ナギサ様がこうなってしまったのは絶対に外部には漏らせません、余計な真似をしでかす連中に聞かれないよう……最低限の人員にのみ知らせましょう)
(勿論です)
(では……迅速に事を済ませましょう)
話は纏まり、情報部の生徒達は頷き合った。
……全ては、目の前で泣いている"一人の少女"の為に。
深夜:トリニティ本校/廊下
side:ミカ
(……考えてみれば、皆に迷惑をかけてばっかり)
よかれと思った考えは全て裏目に出て、心配して放った言葉は幼馴染を傷付けた。
ぽたぽたと滴る涙が廊下に落ちる。
「……私が、全部悪いんだ……」
そう呟いて、唯一引きこもれる自分の部屋へと歩む途中……ふと一つの考えが浮かぶ。
(……私はもう、ここに居ない方がいいんじゃないかな)
どこかへ消えてしまおうか。……裏切り者の私にふさわしい末路だ。
ふらふらと寮へ戻る道から外れ、トリニティの外へと向かう。
(いっそのこと、ゲヘナにでも行こうかな)
そう考え、外壁を乗り越えようとしたとき……ミカのスマホが激しく震えだす。
発信者は"先生"。
────優しい先生の事だ、先ほどの事を聞いて……心配してくれたのだろう。
(でも……裏切り者の私には、先生に合わせる顔なんてない)
「……ばいばい、みんな」
"────カシャン!"
震え続けるスマホをその場に投げ捨て……夜闇の中、一人の天使がトリニティから去った。