朝:トリニティ本校/ナギサの部屋
────酷い頭痛と共に目が覚める。
「うぅ……」
ゆっくりと身を起こすと、私一人のはずの部屋に、優し気な声が響いた。
「……やあ、おはよう」
セイアさんは小さく手を振り、そっと私の傍に寄る。
「……セイアさん、どうしてここに」
答える前にセイアさんは"ぼふ"とベッドサイドに座り、私の手を取る。
「君が思い詰めていないか……とね」
セイアさんのその言葉に────微睡で霞んでいた、思い出したくない記憶が蘇る。
「……あっ、ああ……わたっ、わたしは…!!」
「……落ち着くんだ、ナギサ」
握った手を引き、セイアは取り乱したナギサを抱きしめる。
「……君が打ち明けてくれた事は、確かに驚いた……けどね」
「……それでも、ルイは君を赦すだろう」
聖母のように優しく私を抱きしめるセイアさんは、耳元で小さく囁く。
「……ルイはもう居なくなってしまった、故に隠しておく理由もない」
「私も、真実を話すべきだろう」
そう前置きして、セイアさんは話し始めた。
「監禁されている間、ルイが私に暴行を加えた……というのは、嘘だ」
「ッ……」
ナギサはセイアの言葉に息を呑む。
それを知ってか知らずか、セイアは続ける。
「実は……ルイが憎まれるように仕向けたのは、ルイ自身なんだ」
「実際は、ルイは私に手を上げるどころか……丁重に扱ってくれていた」
セイアの声からははっきりとした悔恨が滲んでおり、ナギサはそれを感じ取ったのか、縋るように抱く力を強める。
「しかし……ルイは身柄の解放と引き換えに、私に自身の悪評を広めるよう指示した」
「理由はわからない。ただ"トリニティに敵視される、あるいは決別する必要があった"のだろう」
「……目論見通り、トリニティは、私たちは……彼女へ憎悪を向けた」
「トリニティへの襲撃も、目的はそれだったんだろう」
「……つまり、この結果はルイの自滅に過ぎず、君に責任はない」
「例え君がルイを追い詰めたのだとしても、それはルイの本意のうちだったはずだ」
「……言い方が悪くなるが、君は踊らされただけだ」
「……嘘か本当かはわからないが……監禁中、ルイは私にこう言った。」
「"立場上敵対する事になっただけで、別に君達の事を嫌いになったわけではない"……と。」
「この言葉を真実だとするのなら、ルイは私達を嫌いになったわけでも、憎んでいるわけでもない」
「ルイとしても……君が悔やみ、嘆きに沈み続けるのは望んでいないはずだ」
「ナギサ……ルイの為にも、前を向いてくれ」
そう締めくくり、セイアは背に回した腕を離し……ナギサの目を見つめる。
「………………」
しかし、ナギサの目に浮かぶのは悲哀に満ちた大粒の涙。
────セイアは一つ、重大な勘違いをしていた。
「……ルイは、死んだんです。例え私に責任が、罪が無かったとしても……それは変わりません」
……当然だろう。
生存を知るセイアにとっての偽りの死と、ナギサにとっての真実の死は、酷く乖離している。
ナギサの中で、"天城ルイは死んだ"のだ。
セイアの拙い慰めによって、"裏切り者"ではなく……"想い人"に戻った天城ルイが。
零れた涙がシーツに吸い込まれ、"ぱた"と音を立てる。
ナギサは顔を伏せ、目元を拭う。
「……セイアさん、しばらく、一人にしてください」
"とん"と弱弱しくセイアの胸を押し、ナギサは拒絶を示した。
しかし、セイアは悲しげにナギサの手を取る。
「……ナギサ、今の君を一人にするのは────」
「出て行ってください!!」
淀み、濁り切った感情が噴き出るかのような金切り声が上がる。
ナギサ自身も驚くような、酷く醜い声。
そんな叫びに、セイアは一瞬驚き、哀しげに目を伏せた。
「ッ……わかった、私の近くの部屋に居るから、何かあったら呼んでくれ」
「……気に障ったのなら、すまなかった」
そう言って、セイアはとぼとぼと部屋を出て行った。
"ばたん"と音を立てて閉まった扉に、ほんの少しだけ冷静さが戻る。
「ぁ……」
心配してくれたセイアさんにまで八つ当たりのような真似をした自分が、孤独の中でいやに客観視される。
「ちがう……そんなつもり、では……」
悲しげなセイアさんの顔がフラッシュバックし、罪悪感と悲壮感がこみ上げる。
(……私は、何度過ちを繰り返せば……!!)
ナギサは枕に顔を押し付け、せめて誰の迷惑にもならぬよう、くぐもった泣き声を上げる。
「……ごめんなさい、ごめんなさいっ……!!」
縋るもののない謝罪が、一人きりの部屋に静かに木霊した。
セイアはナギサの部屋を出て、とぼとぼとゲストルームに向かっていた。
「……ナギサ様は、どうしていましたか?」
心配そうに尋ねた警備の生徒に、セイアは小さく首を振る。
「……しばらく、一人にして欲しいそうだ。そっとしてあげてくれ」
「食事は、もう少ししたら私が持っていくよ」
「手間だろうが、私が待機しているゲストルームに一度持って来てくれ」
セイアは努めて普段通りにそう伝えたつもりだったが、警備の生徒は悲しげな顔をして、恭しく頭を下げた。
「……そうですか、かしこまりました……」
「……ああ、頼んだよ」
セイアはそう答えて、ゲストルームへと戻った。
「────はあ」
執務室より持ってきた書類の束に、嘆息は吸い込まれる。
(……メンタルケアは、私には向いていないようだ)
そう考えて目を瞑れば、瞼の裏に残ったナギサの悲壮に濡れた顔が浮かぶ。
(こういう時こそ、ルイが居てくれればいいんだがね……)
ルイは"相談室"の名の通り、メンタルケアも行っていた。
彼女なら、今のナギサを上手く支えられたのだろう。
……そのルイ本人が全ての原因なのだから、救えない話だ。
小さく息を吐いて、書類に向き直る。
何十、あるいは百もの書類はその一部に過ぎず、執務室に戻ればその倍以上の量が待ち構えている。
暫くは椅子に縛られる事になりそうだと自嘲し、セイアは書類へと向き直った。