深夜:ゲヘナ自治区/郊外
────ルイの死が発表された夜。
「────はあ……」
暴れている連中が居るという連絡を受けて、帰宅の道すがら放棄区画の制圧に向かったヒナは頭を抱えていた。
どうせ不良が喧嘩でもしているのだろうと高をくくって来てみれば、目の前に倒れている幾人もの不良たち。
そこまでは見慣れた光景ではあったものの、視界の端で蹲っている桃色の髪をした生徒がヒナを悩ませていた。
多少汚れてはいるが、その衣服や佇まいから、その人物が何者であるかの判断は容易についた。
(めんどくさい…………)
心の底からそう思いながら、刺激しないように近付く。
「……どうしてここに居るのかしら」
「ひぐっ、うう……」
小さく声を掛けるも、うつむいたままの彼女から帰ってくるのはくぐもった小さな声だけ。
(……泣いてる。訳ありのようね……)
ヒナは余りにも奇怪な状況に動揺しつつも、衝いて出そうになった溜め息を飲み込む。
流石のヒナも、泣いている生徒を放置するほど冷たくはない。
羽織っていたコートをミカに被せ、優しく声を掛ける。
「……安心して、私は敵じゃない」
「落ち着ける場所へ行きましょう、ここだとまた面倒な連中に目を付けられるわ」
少なくとも、こんなところで話すよりはマシだろう。
そう判断して、ヒナはミカの肩に手を乗せる。
それに対してぴくりと肩を震わせたミカは顔を上げ、初めて二人の視線が交差する。
「……ヒナ」
ヒナと目が合ったミカは驚いたようにぱちりと瞬き、掠れた声でその名を呼んだ。
「……ええ」
生返事を返す。
────最近はマシになってきたとはいえ、未だ良好とはいえない関係だ。
嫌悪もあろう。そう考え、ヒナは"ふぅ"と息を吐く。
「……もし嫌なら、トリニティまで送るわ」
「一応、トリニティに連絡してもいいかしら」
「だめっ!……トリニティへは、帰れない……!」
ヒナの言葉に対し、ミカは嗚咽交じりにそう返事をした。
「……そう」
余りにも大きな悲哀や絶望に満ちたその表情や声色に、ヒナは過去の自分を重ねてしまった。
かつて責を果たせずに先生を守れず、瀕死に追いやり……折れかけていた自分を。
本来なら先生に連絡を取り、助力を乞うべきなのだろうが……先生は今、連絡がつかない。
……ならば、あの時先生が私にしてくれたように、誰かが……私が。折れかけている彼女を支えてあげたい。
「……わかった。トリニティへは黙っておく」
「とりあえず、その格好では風邪を引くわ。……私の家が近いから、付いて来て」
ヒナはミカの手を握り、くい、と優しく引き上げる。
「……」
ミカはこくりと頷いて、とぼとぼとヒナに手を引かれて歩き出した。
深夜:ゲヘナ自治区/ヒナの家
「……あまり人を家に上げる事はないから、大した用意もしていないのだけれど……まあ、ゆっくりしていくといいわ」
そう言いつつヒナはリビングの電気を点け、ミカをソファに座らせる。
「…………」
ミカは無言で俯いたまま、どこか思案に耽るような、苦悩するような様子。
気まずい雰囲気が漂う中、ヒナは思考する。
(……今は話しかけない方がよさそうね)
「悪いけど少しだけ席を外すわ、何かあったら呼んで」
そう伝え、ヒナはキッチンへ向かった。
久しぶりに立つキッチンは生活感が薄く、道具も使用された形跡の無い綺麗な物が釣り下がっている。
……とりあえずポットの電源を入れ、いつまでたっても中身の減らない茶葉を取り出した。
「……」
あの様子だと相当に疲労しているだろう。
何か用意しようかと冷蔵庫を開けるも、中身はペットボトルや缶コーヒーばかり。
記憶に相違ない中身に、ヒナは小さく息を吐く。
「はぁ……今からは出前も呼べないし……」
そう呟いた所で、アコの勧めで買った保存食セットの事を思い出す。
シンク下から引きずり出した保存食バッグの中から、目ぼしい物を探す。
「……多分、これが良いはず」
粉末スープと乾パンの缶詰を取り出した所で、ポットが"ピーッ"と電子音を立てた。
────聖園ミカは深い絶望に沈んでいた。
彼女は再び、友を傷付けた。
その事実が止め処ない自罰を生み……内心を蝕む。
「……ぐすっ」
止まったはずの涙が再び溢れだす。
……だめだ、私には泣く権利なんかない。
ぎり、と歯を食いしばり、生じた痛みに救いを願う。
しかし痛みは救いたりえず、救いを乞う浅ましい願いこそが次の自罰を生む。
そんな苦悶の坩堝の中、"がちゃり"とドアを開ける音が部屋に響いた。
小さな足音はゆっくりと近付き、"コト"と皿をテーブルに置く音が響いた。
「……口に合うかはわからないけれど、良かったら食べて」
ヒナが差し出したカップにはコーンスープが、皿には乾パンが盛り付けられていた。
「────……ふふっ」
数秒の思考、のち笑いが漏れる。
その事実に、自分で驚いた。
失礼であるとは理解しつつも、皿に盛られた乾パンが、どうにもおかしく見えてしまった。
トリニティを出てから1日以上が経って、不意とはいえ初めてミカの顔に笑みが戻る。
「ごめんなさい、もてなせるような物が無かったの」
ヒナは少しだけ申し訳なさそうに、そう言った。
「……ううん、ありがと」
涙を拭い、皿に盛られたパンに震える手を伸ばす。
ひとつ口に運ぶと、"がり"と砕けるような固い感触と共に優しい甘みが口に広がった。
ぱさぱさとしたそれらを流し込むようにコーンスープを一口飲む。
乾燥した口内に染みこむコーンの甘みと深い旨味が、ミカの身体を温めた。
「……ふぅ」
ミカはスープに温められた息を吐き出す。
「……落ち着いたかしら」
「……うん」
ミカの返事を聞いて、ヒナは小さく頷く。
「……私で良ければ、何があったのか聞かせて欲しい……もちろん、言える範囲で構わないわ」
「本当なら、私ではなく先生にお願いするべきなのだけれど……今は忙しいみたいで、連絡が取れないの」
ヒナはそう言って瞑目し、小さく首を振った。
そしてゆっくりと瞼を開き、続ける。
「……私も、貴方と同じように折れそうになった時があるわ」
「でも……私は先生に救われた。その恩返しという訳ではないけれど、私も、彼のように誰かの力になりたい」
ヒナはぽつぽつと、不器用ながらも真摯にそう伝えた。
「…………」
ヒナの問いに、ミカは無言で思考する。
(気持ちは嬉しいけど……ゲヘナの人に……こんな事、言ってもいいのかな)
当然の懸念。
しかし……ミカは、目の前で心配そうな目を向けるヒナを信じると決めた。
彼女の語った"誰かの力になりたい"という言葉に、一切の嘘はないと感じたから。
「……私ね、ナギちゃ……友達と喧嘩しちゃったんだ」
ゆっくりと話し始めたミカの言葉を遮らないよう、ヒナは小さく相槌を打つ。
「……私が悪いんだ。寝ないで……ううん、眠れないほど頑張ってた友達に、"そんな事は後にして"なんて……無責任な事言っちゃって」
「……当たり前だよね。だって、その友達が一人で頑張るしかなくなったのは、私のせいなんだから」
「……私は前にもトリニティの事をめちゃくちゃにしちゃって、そのせいでみんな大変な思いをして……っ!」
想起する自らの罪に耐えきれず、ミカはぽろぽろと涙を流す。
ヒナはそんなミカの隣に腰かけ、優しく背を撫でた。
「……ごめんなさい、辛い事を話させてしまったわね」
「……とりあえず、事情は分かった」
「今日はもう遅いし、泊まっていくと良いわ」
ヒナは優しくそう言って、ミカの手を引く。
「……うん、ありがと」
ミカはヒナに手を引かれ、部屋を後にした。
リビングを出た二人は、寝支度を整えるため脱衣所に立っていた。
「……お風呂は沸いてるわ、一人がどうしてもつらいのなら一緒に入ってもいいけど……」
「……ううん、一人で入れる。ありがと」
「ヒナちゃんこそ、私が先に入ってもいいの?」
「ええ、書かなきゃいけない書類がいくつかあるから」
「……それじゃあ、ありがたくお先貰うね」
「ええ、ゆっくり入ると良いわ」
「私ので悪いけれど……シャンプーとトリートメントは好きに使ってくれて構わないから」
「それと、脱いだ服は洗濯機に入れておいて、明日洗濯するから」
「うん、じゃあ……入るね」
────ミカの返事に首肯を返し、ヒナは洗面所を出た。
シャワー音が鳴り始めたの確認して、ヒナは小さく息を吐く。
(……見た所、身長は私より十数cm高い。体のサイズも少し大きめで……)
そう。この家は来客など一切想定していなかったが故、ヒナより一段体の大きいミカの着る服があろうはずもないのだ。
「……よし」
コートを羽織り、気付かれないように家を出る。
目的地は近所のエンジェル24。
最近は衣服も取り扱い始めていた、きっとミカの着るサイズの服もあるだろう。
────そうして肌寒い夜の中、ヒナは駆けだした。
「……ふう」
10分ほどして、ヒナは家に戻ってきた。
未だシャワー音が鳴っている事に安心しつつ買ってきた服を開封し、わずかに香水を振りかける。
「……サイズが合うと良いけれど」
そう呟き、買ってきた服を脱衣所に畳んで置く。
ついでに買ってきた歯ブラシ等も添え、ヒナはミカへ声を掛ける。
「着替えはかごの中に入れておくわ。歯ブラシもあるから使って」
「ありがと!」
お湯が彼女の苦悩を洗い流したのか、先ほどより少し元気になったミカの声にほっとしつつ、自分の歯ブラシを持って脱衣所を後にする。
キッチンで歯を磨き終わり、ヒナはミカが上がってくるのを待つことにした。
────それからしばらく。
ヒナもお風呂から上がり、いよいよ眠る事になった。
ひとつしかないベッドに対し、ヒナが"私はソファで寝るから、貴方がベッドで寝て"と固辞した事に対する折衷案として……どういうわけか、ヒナとミカは同衾する事になった。
「……おやすみなさい」
「……おやすみ」
あまり広くはないベッドの中、二人は疲労に呑まれ……微睡の中に意識は消えた。
朝:ゲヘナ自治区/ヒナの部屋
「ん…………」
むくりと体を起こす。
ふと隣を見遣ると、ミカはまだ眠り続けていた。
枕元に置いた携帯を取り出し、先生から連絡が来ていないかを確認する。
……残念ながら、既読は付いていない。
「……はあ」
やはり忙しいのだろう。特に"魔王事案"を経た最近は、連邦生徒会や一部の生徒による先生に対する警護や現在地等の情報封鎖が行われている。
その一環で生徒との連絡がある程度遮断されるのも仕方がない。
更には"魔王の死"だ。優しい彼があの事件を経てどう考えるか、想像に難くない。
そう納得し、隣で寝ているミカをどうするか考える。
……聞くに、トリニティの内情は相当にまずい事になっているようだ。
彼女が言いかけた"ナギちゃん"とは唯一残された一人、桐藤ナギサの事だろう。
現状、トリニティ三頭政治の内、1名は失脚し代理不在、もう1名は現状行方不明。
……つまり、現状は桐藤ナギサ一人に全ての職責や裁量が圧し掛かり、忙殺されている。
推測だが……その結果、ミカとナギサは仲違いを起こし、ミカはトリニティから離反し……ゲヘナに流れ着いた。
「……うぅん」
思考に耽る中、ミカが小さな声を上げる。
目覚めるか、と思いきや寝返りを打っただけで、私が退いたことで空いた毛布を抱き枕にして、再び眠り始めた。
(……何にせよ、今のミカをトリニティに帰すのは避けるべきね)
本人が望んでいない上、今のトリニティは彼女と"仲違いした"という桐藤ナギサが単独で指揮を執っている。
"喧嘩"と彼女は称したが、これは著しい矮小表現だろう。
ただの喧嘩でトリニティを離反する訳がないし、わざわざ桐藤ナギサの名を隠した事も怪しい。
それを踏まえると内紛が起きている可能性すらある。
……とにかく単独で決定権を持ち、暴走を始めた人間のやる事はろくな物じゃない。
うちのトップを見るに、それは自明だ。
そこに"離反した"というミカを送り帰すのは余計な波風を起こしかねない。
普通なら大々的に捜索するべきところを、それら一切の情報が出ていない所からも不穏な気配を感じる。
しかも私は、ゲヘナの立場ある人間。
"謀反の共謀"などと空言を言われてはようやく落ち着いてきた情勢をひっくり返される恐れすらある。
本来なら先生に介入して貰うべき事案だが……その先生も今は連絡が取れない。
つまり現状取れる最良の選択肢は、"先生と連絡が取れるまで私の元で聖園ミカを保護し、その事実を隠蔽する"。
面倒事を増やさないためにも、現状は先生待ちをするしかない。
とりあえず、今後の方針は決まった。
後はミカがどう言うかだが……余程疲れていたのか、本人はまだ起きてこない。
「……はあ」
(朝ごはん、どうしようかしら)
ミカを置いて登校する訳にも行かなくなったヒナは一旦状況の考察を置き、今日の朝食に思考を巡らせるのだった。