朝:特異現象捜査部/居住スペース
「ご馳走様。」
「ご馳走様でした……」
「うん、お粗末様。」
私たちは朝食を食べ終え、さて今日も頭を捻ろうかといった所。
エイミに片付けを任せて、私とヒマリは食後の歓談がてら、別室に部屋を移して考えを擦り合わせていた。
「……カイザーに渡す情報は纏め終わった。後は送るだけだ……そちらは?」
そう尋ねると、ヒマリはにこりと微笑む。
「ひとつを除き、概ね問題ありませんよ。とりあえずは"カイザーとの交渉に成功し、返還が認められた"という方面で報告するつもりです……」
「交渉内容についても、先日の交渉内容を"私が行った"という事にしようと考えています。」
「ミレニアムやアビドスから見た際の懸念点が無い訳でもありませんが……"カイザーから土地を取り戻した"という事を前にすれば、それらは些事でしょう。」
「"ビナーの情報を私の一存で渡した"……という点についてセミナーの皆さんから何か言われたとして……あのデータはそれ単体では何の意味もありませんし、それを説明すれば納得していただけるでしょう。」
「多少揉めそうな採掘権についても……アビドス側に文句を挟む余地はありませんしね。」
「そうだな……」
その辺りは、ヒマリの言う通り問題ないだろう。
……しかし、彼女が先に言った"ひとつを除き"という言葉が引っかかる。
「それで……ひとつ、とは?」
そう尋ねるとヒマリは悩ましげに"はい"と呟いた。
「唯一の問題は……貴方ですよ。"ヒポクラテス"。」
ヒマリは私と目を合わせ、カイザーに対して名乗っていた名を呼んだ。
「……その名で呼ばないでくれ。何と言うか……恐れ多い。」
私の言葉にヒマリは小さく笑う。
「ふふ……"魔王"と名乗っている貴方がそれを言いますか?」
……確かに。
「はは、それもそうだ……まあ、言いたい事はわかる。ヒポクラテスの正体に気付かれるとまずい、とそういう事だろう?」
至極尤もな意見に苦笑しつつ返答すると、ヒマリは頷いた。
「はい。此度の交渉の主導者であり、代用血液製剤を始め、カイザーに多大な利益を齎した存在……"ヒポクラテス"。」
「過去、カイザーが指揮を執ったビナー討滅作戦に参加していた過去からも、此度のビナー討滅作戦は"ヒポクラテス"が計画したものだとカイザーは考えているでしょう。」
「そして……その正体を探ろうとしてくるのは間違いありません。」
「その過程で、交渉相手が"明星ヒマリ"という事になっていると……いくつか、問題が発生します。」
一呼吸置き、ヒマリは続ける。
「私は全知の名を戴いてはいますが……恥ずかしながら、医学や血液学については専門外です。それは皆知るところでしょう。」
得心が行った。確かに……そこの矛盾を指摘されると、少し面倒だ。
「……なるほどな。何より、君があれを開発したとして……誇示こそすれ、偽名を使い、身分を隠すような事はしない。」
私の言葉に、ヒマリは小さく微笑み、"うんうん"と頷いた。
「ふふ……私のことを良くご存じの様で嬉しいですね……。はい、その通りです。」
「長い付き合いだからな……それに何より、君が手近かつ信頼のおけるミレニアムではなく、カイザーに製造販売を委託するようなことはあり得ない。君を知る者は皆、同じことを思うだろう。」
「……"交渉を行った人間は、明星ヒマリではない"。と」
私の言葉に、ヒマリは"その通りです"とばかりに頷いた。
────ヒマリでないとすれば、一体誰なのか。
ヒマリと行動を共にしているのはエイミと、たまにトキが来る程度。
その二人も、血液学を学んでいる訳ではない。
つまり……その空白に浮かぶ輪郭から、私に辿り着かれる恐れがある。
それを避けねばならない。という事だろう。
実際、ミレニアム関係者で医学を修めており、かつ特異現象捜査部に関係のある人間など、そうはいない。
ミレニアムや連邦側にヒポクラテスの存在が露見するのは致命的な事態を招くだろう……と、そう理解して小さく唸る。
「確かに、困ったな……」
「連邦側に内通者が居る以上、カイザーとその他で渡す情報に大きな差異は付けられない。」
「カイザー側が探りを入れてくるのを妨害するか、あるいはヒマリ以外の代役を立てるか……?」
「同じ事を考えましたが……どちらも、確定的にリスクを排除できる訳ではないのです……」
「そうだな……」
二人して頭を悩ませていると、"いい考えが浮かんだ"とばかりにヒマリが声を上げた。
「……そういえば一人、あらゆる秘密を抱えていてもおかしくない人が味方に居る事を思い出しました……」
「あまり頼りたくはありませんが……まあ、貴方の為ですし……いいでしょう。」
若干不満げに言ったヒマリに、私にもその人物の察しがついた。
"ビッグシスター"。彼女ならば、この局面においてワイルドカードとなるだろう。
「……確かに、調月リオが交渉に嚙んだというのなら、誰も追及できないだろう。」
「しかし、彼女はあまり表に出たがっていないようだが……了承してくれるだろうか」
私の言葉に、ヒマリは"わかっていませんね"とでも言いたげに首を振った。
「はあ……大方、あれは"合わせる顔が無い"とでも思っているんでしょう。」
吐き捨てるようにそう言って、ヒマリは手元のお茶を一口飲んだ。
「……ですが、今回ばかりは協力させます。可愛い後輩たちに心配ばかりかけている償い……とでも思って貰いましょうか。」
「"リオがミレニアムのために動いた"となれば、ユウカさんやノアさんも少しは安心するでしょう。」
珍しく語気強く語って、ヒマリは"すぅ"と息を吸った。
「さて、この件は例えリオが嫌だとのたまってもこの私が無理やりにでも首を縦に振らせます。これで決定という事にしましょう。ええ、ええ……そうしましょう」
そう断言して、ヒマリはふうと息を吐いた。
ヒマリは調月リオに対して並々ならぬ感情を持っている。
そのたびに伝わってくるのは"呆れ"と"心配"。
口にするほど、彼女の事を嫌ってはいないはずだが……ヒマリはそれを頑なに認めない。
ひとしきり捲し立てた後、ようやく落ち着いたようで、ヒマリは私の方を向き、答えを待つ。
……実際、リオを頼る事が最善であることは間違いない。
ミレニアムの最高責任者を加担させる事で、リスクを引き上げたくない……というかつての考えも、今更が過ぎるところだ。
そう判断して、頷く、
「わかった。リオへの連絡は任せていいか?」
とはいえ、私が話すとどうしても言葉に困ってしまう。
二人がどう思うかはさておき……結局、ヒマリが話すのがベストだろう。
「ええ、あれと話すのは不服ですが……仕方ありませんね」
「ありがとう。」
私は小さく礼を言って……ヒマリに向き直り、姿勢を正した。
「……それで、少し相談があるんだが」
────ここからが本題だ。
……昨日カイザーと行った交渉で、いくつか警戒するべき懸念事項が浮かび上がった。
それらを牽制し、抑え込むため……私はひとつ、小さな計画を考えた。
「相談、ですか?」
「ああ。単刀直入に言うと……アビドスの借金を私が肩代わりしようと思っている。」
「……本気ですか?……まあ、話を聞きましょうか」
「ありがとう。これは推測を多く含むが……聞いてくれ」
怪訝そうに尋ねたヒマリにそう返して、続ける。
「目的はカイザーの牽制だ。連中の悪巧みは今に始まった事ではないが……昨日の交渉中、奴らの言葉を聞いて……嫌な予感がした。」
「プレジデントが"アビドスと連邦生徒会は私たちが黙らせる"とそう言ったのは覚えているだろう。アビドスは借金の件で脅すなり出来るのだろうが……連邦を黙らせる事が出来るとなると、話が変わってくる。」
「奴の自信に満ちた口ぶりからして、あれは交渉の為のブラフなどではなく、事実として連邦への影響力がある事の証左だろう。」
「先日のヴァルキューレ高官の汚職に留まらず、連邦生徒会に内通者がいるとなると……想定より、連邦内部の腐敗は進んでいると見るべきだ。」
つらつらと説明する私に、ヒマリは黙って耳を傾けている。
「……さて、何故アビドスの借金を帳消しにする事がそれに牽制になるのかについてだが……」
「アビドスは連中にとって一大拠点だ。アビドス校が借金問題で首が回らないのをいい事に、PMCの拠点やら何やらを数多く建設、配置しており……それには違法な物も多く含まれている。」
「それらを追求できるだけの力は、治安維持能力をほぼ喪失した今のアビドスには無い。しかし、アビドス校にその責任を求めるのは酷だろう。」
「……それに、責任、という点で敢えて言うのなら、これはキヴォトス社会全体の責任でもある」
「かつて三大校ならぬ四大校として数えられた学校の一翼が、突如発生した天災によりみるみるうちに衰退していく事を静観し続けた我々のな。」
────正直、私はアビドスの生徒の事を"廃れ行く土地に尚もしがみつく、現実が見えていない者達"だと考えていた。
それは一面では事実であるが……他方で、アビドス校が砂嵐に見舞われながらもなんとか存続している事で、土地権力の空白地帯が生まれず……結果としてカイザーのような大資本が横暴を働くことをある程度抑止できていた側面も否定できない。
そう考えると、アビドス校と、そこに未だ在校している者たちは利用価値が、支援するだけの価値がある。
小鳥遊ホシノを始めとして、残る生徒も精鋭揃いと聞く。
アビドスでカイザーが影響力を増していく今、彼女達を援ける事は、大きな意味を持つはずだ。
……運が良い事に、私には資金がある。
微力ではあるが、私が代わりに責任を果たそう。
「……とはいえ、アビドスが砂嵐に呑まれたのは数十年も前だ、当時の対応を今更になって責めるまい。生徒の受け入れ等、出来る事はやっていたらしいしな。」
「さて……話が逸れたが、借金を消す事で彼女達は資金繰りに奔走する必要が無くなる。正規の事業であったり、治安維持活動であったりも行いやすくなるだろう」
「その過程でカイザーの不法行為を発見、訴訟して賠償を請求すれば良い資金源になるとも忠言するつもりだ。いくら土地の権利が無くとも、不法行為を自治区内で行っていたのなら訴訟理由としては十分だ」
「……まあ、散々御託を並べたが……要はアビドス砂漠の権利返還を機に、アビドス校の背を支えてカイザーの暗躍を阻害しよう、という考えだ。」
「これまでの計画と比べて、非常に迂遠な計画ではあるが……我々の活動目的であったり、支払う代償と得られる成果という面で見ても十二分に釣り合っているだろう」
「……君はどう思う、ヒマリ。」
私が長い説明を終えてヒマリに尋ねると、彼女は少しだけ思案に耽った。
「……ふむ……」
……2.3分ほどの思考を終え、ヒマリはゆっくりと顔を上げる。
「……目的と得られる結果としては、とても意義深い事であることは理解しました」
ヒマリはそう言って、"ですが"、と続ける。
「資金面については一度置いておくとして……まずカイザーが黙ってはいないでしょう。」
「取り返せると確信して返還した土地が、突如降って湧いたミレニアムからの資金で借金を完済し、対等な立場に立った。」
「"アビドスの借金は絶対に返せない"と踏んでいたカイザーとしてはたまった物ではないでしょう。謀られたと判断し、報復に乗り出してくる可能性すらあります」
「この状況でカイザーという大資本を敵に回すのは……リスクが高過ぎると考えます。」
「それに、ヒポクラテスという存在に対して強い追及が起こるのは間違いありません。」
「……リオなら追及を躱せるでしょうが……万が一を考えるなら、負いたくないリスクである事は否定できません」
ヒマリはつらつらと懸念点を説明してくれたが……、一つ、私の考えと食い違っている。
これは私の落ち度だ、重要な主語を欠落させてしまっていた。
「すまない、説明不足だった。借金を代わりに支払うのはミレニアム経由ではなく私……いや、"魔王"だ。」
「……はぁ……?」
私がそう告げると、ヒマリは驚いたように声を上げた。
説明不足を重ねて詫びて、再び説明し直す。
「君の言う通り、ヒポクラテスがミレニアムの人間だとカイザーに認識されている以上、ミレニアムを仲介した支援は行えない。」
「そこで"魔王"という訳だ。明確に三校連合と敵対している相手である以上、カイザーも共謀だとは疑わないだろう。」
「そして、アビドス側が肩代わりを受け入れるかだが……いくら魔王からの資金提供といえど、目的の説明をきちんと行えば理解してくれると考えている。」
「アビドス砂漠で何やらきな臭い真似をしているカイザーを排除したい……というのはミレニアムやアビドスが想定する"魔王"及び"デカグラマトン"の立場としても矛盾ない。」
カイザーやアビドス目線で見れば、デカグラマトンと共謀している魔王が、アビドス校に権利が返還された今を好機と見てカイザー排除に動いた、としか思えないだろう。
カイザーは魔王の切っ先が自分たちに向いているとは、よもや思っていない。
アビドスから見ても、願っても居ない状況だ。
「魔王から多額の資金を巻き上げ、カイザーからの借金を完済し……砂漠の土地は戻る。」
「アビドスから見て、これほど美味しい話は無い。しかも、私が出す資金は返済不要だ。断る理由はない。」
「……私の考えとしてはこんな所だが……何か懸念があるのなら考え直そう。どうだ?」
そう言ってヒマリを見遣ると……困ったように瞑目し、再び思考に耽っているようだった。
「ふむ……」
ヒマリは小さく唸り、ゆっくりと口を開いた。
「…………アビドスがそれを了承するかは置いておいて……実行する事自体は問題ないでしょう。」
「ただ、資金に関してはどうするつもりなんです?それだけの現金をすぐに……というのはいくら私でも難しいです」
「当然、貴方は外を出歩けませんし……」
「その点は問題ない。カイザーとの取引に使っているブラックマーケットの銀行は本人確認が甘い。私の指紋とカードがあれば問題なく引き出せる。」
「エイミには苦労を掛けるが、彼女に回収してきてもらうつもりだ。」
そう言って、上着の内ポケットから抜き出したカードを見せると、ヒマリは納得したように頷いた。
「なるほど……わかりました。」
「それならば、この計画は十分に実行可能でしょう」
「資金調達の件は後でエイミに確認を取るとして……アビドスと話すのはいつにしましょうか」
「魔王名義ですから、ある程度状況は選ばないといけませんし……事前準備は早めに始めたいですから」
「そうだな……明日か明後日、カイザーが土地を返還した後が望ましい。出来れば明日だ。」
そう伝えると、ヒマリはさらさらと電子メモ帳にその旨をマークした。
「わかりました。なら、明日の夜、あるいは夕方にしましょう……交渉の場は、何とかして整えます。」
「了解した。……急な話ですまなかった。」
「いえ……今に始まった事ではありませんから……ほら、顔をあげてください」
頭を下げた私に対し、ヒマリは呆れたように"ふふ"と小さく笑って……私の頬に触れた。
ゆっくりと顔をあげても、ヒマリはすりすりと私の頬を撫で続ける。
「……どうかしたか?」
「ふふ……何でもありませんよ。ただ……そう気を張らなくてもいいのに、とそう思いまして」
「……別に気を張っているつもりは無いが……」
そう返すと、ヒマリは少しだけ甘く、声色を落とした。
「もう少し噛み砕くのなら……もっと、気安く話してくれても、と思いまして。」
「…………」
("気安く話す"か……)
……私の口調は確かに、気安くは感じられないだろう。
以前の話し方を忘れて久しいが、少しだけ……期待に応えてみよう。
「…………私は十分、君に気安く接しているつもりだ、ヒマリ。」
「私の口調が気に入らないとい……なら……ふむ……いや、難しいか、な?。」
エイミの口調を想起し、無理やり口調を組み立てるが……どうにもうまくいかない。
「……おほん。やっほー、ヒマリちゃん……元気?……今日は……その、曇り……だね……?」
今度はミカの口調を真似てみるが……抑揚が上手くいかない。……これも、どうにも難しい。
「……やめだ。治せる気がしない」
「……!ふっ、ふふふ……!」
口調を何とかしろと言った張本人に目を遣ると、口を押えて大笑いしていた。
「……君が言い出したんだろう。意地が悪いぞ」
「うふふっ……!あは……ふう……っ……ふふ……!すみません……っ!」
「……まあ、似合わないという事は自覚している。」
「ふっ……ふう……!おほん……はぁ……失礼しました。」
ヒマリはようやく追いついたのか、一つ咳払いをした。
「本当に、失礼しました……心の底から愉快だった事は否定しませんが……似合いませんね。」
「……そうだな。似合わないのもそうだが……気付けば、この話し方を使う以前どのように話していたか忘れてしまった。今更戻すというのも難しいな。」
「ふふ……先ほどあのようなことを言っておいてなんですが、貴方はそのままで居てください。」
「すでに気安く接しているつもりだった……という事も聞けましたし、今はそれで充分です。」
ヒマリはそう言って、私に微笑みかけた。
「……ありがとう。」
そう返して、椅子に座り直したとき……時計の針が予想以上に進んでいることに気付く。
「……良い時間だな。そろそろカイザー宛の書類を出してこよう。」
「おや、本当ですね……私もそろそろ、やる事をやらなければ」
「では……エイミには私から話しておく。君はリオへ話を通しておいてくれ」
「わかりました……では、一旦こんな所にしましょうか?」
「そうだな……連絡事項は以上だ。何か進展があれば、また連絡する。」
「わかりました……では、また後で。」
「ああ、また。」
食後の歓談にしては少し長すぎる情報交換を終え、私はエイミの元へ向かった。