夜:トリニティ本校/古書館
「…………」
時刻は深夜に差し掛かった頃。
黙々と机に積まれた書物を読み込んでいるセイアの背後に、"ゆらり"と大柄な影が近付いた。
"ぎし"と軋んだ床の音に、セイアは振り返る。
「……おや、ウイか。どうかしたかい?」
「うひゃあっ!!」
唐突に振り返ったセイアに、影の主……古関ウイは体をびくりと震わせ、大きな驚声を上げた。
「……あっいえ、そ、そのぉ……差し出がましいようですがセイア様……そろそろ良い時間ですので、お休みになった方が良いのではー……と、思いましてぇ……」
おずおずと、心配そうに尋ねたウイに、セイアは"ふふ"と笑って、小さく首を振る。
「……心配せずとも、自分の事は自分が一番理解している。」
「気遣いには感謝するが、それには及ばないさ。」
「そ、そうですか……では、ごゆっくり……」
「司書室にはおりますので……何かあったらお声がけをぉ……!!」
そう言って、すごすごと下がっていったウイに"はあ"とセイアは息を吐く。
("そう畏まらないでくれ"……と、何度も言っているんだがね。)
セイアはここ数日、古書館に籠りきりだ。
当然、その主たる古関ウイとの関わりも長くなる。
それどころか、実際の期間にして見るならば二人の付き合いはかなり長い。
セイア自身、"本の虫"という揶揄を受ける程に読書を好んでいる故に、ウイが図書委員から図書委員長になる2年と少しの間、彼女とは時折顔を合わせる程度の関係値は持ち続けていた。
……お互い3年に上がり、自身の無駄に大きくなった立場と、重い予知夢の代償に苛まれるようになってからは、ここに訪れる事も減ってしまったが。
とはいえ……短く見ても2年以上にもなる付き合いだというのに、彼女はいつまでたってもあのように恐縮した態度を取るのだ。
……彼女はいわゆる"人見知り"という物だろう。それも重度の。
それ自体は今に始まった事ではないが、流石に今更 "様" 付けは止めて欲しい。
……と、少しの寂しさを腑に落とし、セイアは手元の書物に目を戻す。
(────はあ。まったく、気が滅入るね……)
目に映るのは、何度も見た恐ろしい言葉。
"生命の樹" "色彩" "予言" "黙示録"。
やれ塩の柱だ破滅だなんだと気が滅入る単語の羅列に辟易としつつも、セイアはその全てを知識として頭に詰め込んでいく。
何が言いたいのかもわからない一見支離滅裂な話とて、知ると知らぬでは天地の隔たりがある。
故に、セイアは読み込む手を止める訳にはいかないのだ。
「……はあ」
……僅かな諦観を滲ませつつも、ぺら、ぴらと劣化した紙をめくり、識るたびに……かつて視た悪い夢がよぎる。
……特に、ステンドグラスに映った虹を纏う黒星は、脳裏に焼き付いて離れる事が無い。
(……"色彩"か。)
────"色彩"。
黙示録や生命の樹を始めとして、私の友人に余計な気を揉ませる存在の中でも、特にその"色彩"は異質だ。
そして……何よりも質の悪いことに、"色彩"。それはおそらく存在する。
微睡の中、眼に映った堕星にも似たその歪な光は、確かにあの紅躯のゲマトリアが求めていた物。
全てを歪め、変質させるその光がひとたび訪れれば……このキヴォトスは歪みの果て、終焉を迎える。
見るにも聞くにも悍ましいその予言に……セイアは夢の中で出会った一人の人間を思い出さずにはいられなかった。
(────大預言者・クズノハ。)
夢の中にあれど私と対話し、色彩の歪みより私を救い上げた恩人。
出会ったその風貌から、百鬼夜行の人間、という事は推察できた。
……かつてルイに、その名を持つ人物の調査を願った事がある。
しかし、ルイから帰ってきた答えは…… "クズノハという生徒は存在しない" 。
否。その名は一部にのみ知れていれど……今にも過去にも存在しない。という極めて不可思議なその答えに、私は狼狽し……どこか納得した。
予知夢も失った今、もはや逢う事が叶わないと判った以上……私は彼女を追う事を諦めるしかなかった。
「……彼女ならば、何か知っているのだろうか……」
そうひとりごち、やり場のない無力感を呼気に乗せて吐きだす。
「…………考えても仕方ないか。」
凝った身体をほぐそうと、椅子にもたれかかって身体を伸ばすと……視界の端に、蒼い髪が映る。
「……セイアさん。」
「やあ、ミネ……古書館に来るのは珍しいね。」
セイアの言葉に小さく頷いて、ミネはゆっくりとセイアの傍に寄った。
「……お忘れですか。明日は定期健診の日です。」
「確認のために部屋に伺いましたが……古書館に籠っている、との事でしたので。」
ミネの言葉に、セイアは少し思案して……ぱちりと目を開いた。
「……ああ、そうだったね……すまない。忘れていた。」
「……明日は早いので、なるべく早く眠ってください、部屋までお連れしますので、さあ」
そう言ってミネが伸ばした手を取ろうとして、セイアは一瞬躊躇するが……ミネがその手首を掴み、引き寄せた。
「……おっと……驚かせないでくれ。」
「すみません、ですが……セイアさんの為ですので。」
ミネは片手でセイアを抱きかかえ、しおりを挟んで本をぱたりと閉じる。
「……ウイさんには後で私から伝えておきます。さあ、帰りましょう。」
────そうして、セイアは自身の部屋へと連行されていった。
夜:特異現象捜査部/医務室
「────貴方は他人を思いやる事をもう少し覚えるべきだと忠言しましょう」
「……すまない」
ルイはベッドに座り、ヒマリから懇々とした説教を受けていた。
「────そもそも、貴方が行ったような"立場と状況から逆算して相手の求める回答を"……というのは対人コミュニケーションとして大きく間違っています。」
「……いや、対人コミュニケーションではなく、取引だからそうしたんだが……」
「言い訳無用!」
ルイの弁明をぴしゃりと遮り、ヒマリは続ける。
「例え取引だとしても、立場だけではなく、会話を通じて性格を知って、相手の考えを理解し、お互いに慮り、歩み寄ってようやく!円滑なコミュニケーションを取る事が出来るのです。いいですか?」
ヒマリは捲し立てる。……こうなっては止まらない。
「……わかった。肝に銘じよう。」
ルイの言葉に、ヒマリは頷き、"さて"と続ける。
「このお説教の本題は、"相手の気持ちを考えよう"という点にあります。」
「…………」
無言を返すと、ヒマリはにこりと嫌味な笑みを浮かべた。
「貴方なら理解できると信じていますよ。というわけで……クイズ形式で行きましょう」
どうやら張り切っている様子のヒマリは、"ででん!"と口を開いた。
「第一問です。先の取引で何故、アビドス側は怒ったのでしょうか?」
(……先ほど醜態を晒した手前、ここは大人しく乗っておくべきか。)
「……小鳥遊ホシノが言っていたように、"知ったような口を利いたから"か?」
「はい、概ね正解です。……では、詳細な理由を説明しましょう。」
「結論として、貴方のあの持って回ったような言い回しに含まれていた"私はアビドスの苦難を識っている"という言葉、あれが致命的でした。」
「……アビドス校はたった5人しか在籍していない小さな学校です。つまり……全員が弛まぬ努力や、等しい苦難を共有しています。」
「それらを通じて、自らが帰属する"アビドス校"という群体への忠誠心……と言うとすこし語弊がありますが、概ねそのような強い連帯意識が醸成され、それがそのまま"誇り"として彼女達に宿っていたのでしょう。」
「そこで、自分達しか共有していない苦難や努力を、全くの部外者……それどころか"敵"である貴方が、"知っている" などと言って、自分たちの"誇り"を踏み躙られたように感じたから怒った。というわけです。」
ヒマリはそう結論付け、私の目をじっと見つめて回答を待つ。
「……言いたい事はわかった。彼女たちにとって、アビドスという学校は自分達が多大な犠牲を払って護ってきた物であり……それを侮辱、あるいは軽んじられるような事を言われて、腹が立った。とそういう事だな?」
「素晴らしい。そこまで理解できたのなら満点です……では、その調子で行きましょう。」
ヒマリはどこか上機嫌そうに続ける。
「二問目です。では、アビドスを救えるのは自分達だけ……と考えて弛まぬ努力を行って来たアビドスの皆さんが、唐突に現れた"敵"から、"お前達の事は知っている、よく頑張ったから助けてあげる"……なんて言われたら、どう思うでしょうか?」
「はあ……まさか、この年になって道徳の授業を受けるとはな。」
そう呟くと、ヒマリは"むっ"とした表情を見せる。
「……私の授業は私語厳禁ですよ。……さあ、早く答えてください。」
「……"敵の支援など、受けられるものか"…………いや、私もそう思われる事は当然想定していた。だからこそわざわざあそこまでお膳立てをしたんだが。」
私がそう弁明……言い訳をすると、ヒマリはとびきり大きく、わざとらしいため息を吐いた。
「はあ~……大不正解です。落第ですね……」
「まずですね……そもそも、感情を天秤から除外できる人はそう多くありません。その前提から教えておくべきでしたね?」
「…………」
「貴方の悪い所ですよ、ルイ。"人は究極的には合理で動くもの"などと思っているんでしょうが……そのように愚かな考えは捨てるべきです。」
「いいですか?人が人足り得るのは感情あっての事です。それを軽視するその考えこそが、真に誤っていると断言しましょう。」
「…………」
(……技術者倫理は滅茶苦茶なくせに、人道的な感覚は随分まともなようだ。ヒマリらしいといえばらしいが。)
そんな事を考えつつ、ヒマリの言葉を咀嚼する。
……実際、私の考えが間違っていたからこそ、私はあのような醜態を晒した挙句、ここまでお膳立てした交渉に失敗したのだろう。
その事実から目を背けず、モデルケースの一つとして記憶し、反省する必要は大いにある。
……何より、あの明星ヒマリの言う事だ。
「……わかった。」
私の返答を聴いて、ヒマリはじっとりとした目を私に向ける。
「……まあ、貴方から"わかった"という回答を頂けたのなら、今日はそれでいいでしょう。」
そう言って、ヒマリは一つ息を吸い込む。
向けられた真剣な眼差しから、次が最も重要なのだろうと察しがついた。
「……では、最終問題です。」
「"なぜ先生は、アビドスの考えを支持したのでしょうか?"」
「……何故、か。」
────その問いは、私にとって真に理解の追い付かない物だった。
瞑目し、思考するが……その答えに至る事が出来ない。
とはいえ、ヒマリはその答えを持っているのだろう。
ならば……素直に教えを乞うべきか。
「……悪いが、それには心の底から理解が及んでいない。あれが無責任に責務を無視した、という答えならあるが。」
私がそう伝えると、ヒマリは複雑そうな表情を浮かべる。
「……まあ、貴方からすれば、そう取ってしまうのも仕方ないですね。」
「……では、この私が教示してさしあげましょう。」
おほん、と一つ咳払いして、ヒマリは説明を始めた。
「私が考える限り、先生の選択にはアビドス校の性質が深く関係しています。」
「そこで、追加の問題です……アビドス校は何故、災厄に見舞われながらも、今日まで存続してきたのでしょうか?」
唐突に私に飛んできた問いに、少し困惑しつつも答える。
「代償を惜しまず、存続という選択を────いや、違うな。アビドスの存続を諦めなかった生徒が居たから、か?」
「その通り。では……今や生徒が5名にまで減ってしまったアビドスが最も大切にしているのは、何でしょうか?」
……彼女達にとって最も大切なもの。……流石に、それには理解が及ぶ。
「…………仲間だろう。」
私の答えを聞いて、ヒマリは "ぱん" と手を合わせ、微笑んだ。
「はい。よくできました……では、仲間を失う原因として……学籍抹消や死のような極端な例を除き、最も大きな物はなんでしょう?」
「それは……仲違い、あるいは意見の相違……ああ、なるほど。」
「気付きましたか?……そう、アビドスを存続させていくには、あくまで生徒が残っている事が大前提。」
「そのためには、貴方が持ち掛けたようなアビドス側に利しかない支援に於いても、最終的な意思決定には在籍する生徒全員の意見が一致、あるいは理解が無ければならないのです。」
「支援を受けたとしても、それに対する意見の相違が原因で離反者が出ては本末転倒ですから。」
「……つまり、先生はそれを理解しているからこそ……私の支援を断った、と?」
「はい。おそらくそうでしょう。」
「……なるほどな……理解はした。」
……ヒマリの説明は、確かに"先生の選択"として理解できるものだった。
「……しかし、なればこそ私は、あの場で先生がアビドスの面々を説き伏せ、皆を納得させたうえで支援を受け入れさせるべきだったと考える。」
……真にアビドスの今後を考えるのならば、今を生きる生徒の時間を浪費させてまで、先細りしていくアビドス校に迂遠な道を歩ませる道理などあろうものか。
「……まあ、それは立場の違い、といった所でしょう。」
私の言葉に困ったように眉を下げ、ヒマリは答える。
「例え先生の力で説き伏せたとしても、わだかまりは大なり小なり残るでしょう。特に、あの場ではホシノさんが強く反発していましたから。」
「……そこが、致命的なミスだったか。」
つまり、"小鳥遊ホシノに強い反感を抱かれた時点で、私の負けは確定していた"。という事のようだ。
私の言葉にヒマリは "はい" と小さく頷いて、ぽつりと呟く。
「……とはいえ私も、一応は貴方と同じ考えです」
「我々の視点からすれば……あの時、アビドス側を説き伏せてでも先生は支援を受け入れさせるべきでした。」
「アビドス側にとって、カイザーが最も執着しているアビドス砂漠の土地を取り戻した今こそ、カイザーを退かせ、立て直しを図る最大の好機であることは間違いありませんから。」
ヒマリはつらつらと語って、"ふう"と息を払う。
「しかし、それはあくまで全てを把握した我々の視点で状況を俯瞰した場合の話です。」
「何度も言うように、アビドスからすれば貴方は不倶戴天の仇。アビドスの皆さんが最も信頼を置く先生の命を狙った者からの支援など、受け入れられようはずもありません。」
「そして……先生からすれば、万が一にでもそれが原因でアビドスが瓦解するようなことに繋がるのであれば、絶対に避けるべきだと判断するはずです。」
「……正直、アビドス校の連帯がその程度で崩壊するとは思えませんが……窮してこその団結、という所もありますから。先生もそう考えたのでしょう。」
そう説明しつつ、ヒマリはゆっくりと車椅子をベッドの傍に寄せた。
「さて……ルイ。先生と貴方の考えが相反する事は理解します。彼の選択に貴方が憤りを覚えるのも当然ですが……ある程度は、酌むべきかと。」
ヒマリは諭すように言って、私の手を取った。
「…………」
……じっと私を見つめる彼女の目線が、荒れた内心を鎮めていく。
彼の選択に納得は出来ない。だが……理解はした。
ならば……怒りを持ち越す事も、また不合理だろう。
「……わかった。君がそう言うのなら。」
そう呟いて、繋がれた手を優しく握り返した。
「……ふふ、それは何よりです。では、お説教は終わりです……」
そう言って、ヒマリは意地悪な笑みを浮かべた。
……嫌な予感がする。
「さて……この私がここまで丁寧な授業をしてあげたのですから、何か言う事があるのでは?」
ヒマリはそう言って、ニコニコと含みのある笑みを向ける。
「……教示に感謝する。」
「ふふ……もう一声欲しいところですね……例えば、"ありがとうございました、ヒマリ先生"なんてどうでしょう?」
「…………」
無言で白い目を向ける私に、ヒマリは更に口角を上げる。
「そうですね……"お姉ちゃん"でもいいですよ?」
「……はぁ……」
ぐい、とヒマリの手首を引き……背に手を回し、抱え込むようにして、耳元で囁く。
「……きゃっ!」
「────"ヒマリお姉ちゃん"」
「ひっ……!?」
ヒマリの身体がぶるりと震え、目の前の耳が段々と赤く染まっていく。
(……意趣返しは十分だろう。)
そっと力を抜いて、ヒマリの身体を車椅子へと戻す。
「……これに懲りたら私を辱めて遊ぶのはやめてくれ。私にだって恥はある。……特に、君の前では。」
顔と耳を真っ赤にして、何か言いたげに口をぱくぱくと動かしているヒマリにそう呟いて、小さく続ける。
「……とはいえ、先ほど醜態を晒した私に、ここまで手厚い教示をくれた事は心より感謝している、ありがとう。」
そのまま粛々と感謝を述べると、ヒマリは動揺を誤魔化そうと "おほんおほん" と咳ばらいをした。
「…………わ、わかればいいのです。ふ、ふふ……!」
(……いくら何でも動揺しすぎだろう。)
────その後……"もう一回"とせがんでくるヒマリを落ち着かせながら、私は今後の事を考えるのだった。