朝:特異現象捜査部/医務室
血液検査の結果に大きな問題はなく、いつも通り"怪我人"と言った数値を示していた。
「……ふう」
安堵しつつ、再び椅子に座ろうとしたところで……背後で扉が開く音が響いた。
「……おはようございます」
聞こえた声にくるりと椅子を回転させ、顔を向ける。
視界に映ったヒマリは、珍しくパジャマ姿のまま車椅子に乗っており……わずかに赤らんだ鼻先から、寒さに耐えながらここへ来たことが伺えた。
「おはよう、ヒマリ……上着も着ないでどうしたんだ?寒かっただろう……ほら」
机に置いてあったリモコンで暖房をつけ、"こちらへ"と手招きをすると、ヒマリはゆっくりと車椅子を私の隣に寄せた。
ゆっくりと重ねられた彼女の手は冷たく、その手に私の体温を分け与えるように握ると、ヒマリもその手を優しく握り返す。
「……心配しましたよ」
「心配?────」
彼女の呟きにそう聞き返し、ふと机で光る携帯に目を遣ると……先ほどまでの通話の裏で、ヒマリから何度もメッセージが届いていたことに気が付いた。
[おはようございます]
[今どちらに?]
[大丈夫ですか?]
[すぐそちらに行きます]
メッセージから伝わる彼女の焦りが、私に罪悪感を芽生えさせる。
「……すまない、気付かなかった。先ほどまでウタハと話していたんだ……無視していた訳ではない。」
そう説明して、ヒマリに目を向けると……彼女はむっとした表情でこちらを見ていた。
「……起きたら部屋に居ませんし……連絡も着かないので、どこかで倒れているのではないかと心配で……」
「……まったく、いつもながら心配をかけてくれますね?」
呆れたように吐き出された言葉に、私は頭を下げる事しか出来なかった。
「……悪かった」
「はあ……あまり心配させないでくださいね」
私の謝罪にひとつため息を吐いていつもの調子に戻ったヒマリは、"ずい"と車椅子から身を乗り出し、モニターに表示されている私の血算結果に目を向ける。
「それで、見た限りの数値はいつも通りですが……問題ありませんでしたか?」
「ああ……問題ない。完治と言うにはまだ遠いが……そろそろ、多少動いても問題ない程度には治ってきている」
彼女の問いにそう答えると、ヒマリはにこりと微笑んで、椅子から乗り出した身を戻す。
「それは良かった……それで、ウタハさんとはどのようなお話を?」
「ああ、『作戦で使う兵器を選定したいから、少し話せないか』とね」
ヒマリは私の答えに納得したようで、"ぽん"と掌を打つ。
「なるほど。今日のお昼にその件で先生を交えて話すと聞いていますが……その件ですね?」
彼女の言葉に"そうだ"と頷く。
「……結論から言うと、天童アリスの使うスーパーノヴァを私が借り受け、作戦に用いる事になった」
私の説明に、ヒマリは少し驚いたように眉を動かす。
「……あれを撃つんですか?貴方が?」
「ああ。脚部装甲による重量負荷軽減に、義手による衝撃分散もあるからな。想定の限りでは、問題なく撃てる」
「何より、"アリスをデカグラマトンと接触させるべきではない"というウタハの提言もあってな……それで、最も有効に扱えるであろう私が撃つ事になったんだ」
怪訝そうな表情を浮かべるヒマリにそう説明すると、彼女はじっとりとした目を向けた。
「……危ない真似は止めてください。……と言っても、聞かないんでしょう?」
諦観の滲む彼女の言葉に小さく首を振って、"大丈夫だ"と続ける。
「安心してくれ、今回こそは一切の危険を冒すつもりはない」
「そもそもとして、私はフッ化酸素による攻撃で決着に至らなかった時のサブプランとして控えておくつもりだ。」
「それに、スーパーノヴァなら酸化ガスの影響範囲外、超長距離からの狙撃が可能だ。何より、私にはジップラインの機動力がある。不覚を取る事はないさ」
私の説明を聞いて、ヒマリは少しだけ考え込み……不満げに"わかりました"と返す。
……理解は得られたようだが、納得はしていないようだ。
「…………正直な話をするのなら、貴方は今のように裏方に回っていて欲しいのですがね。」
「……とはいえ、サブプランとしてスーパーノヴァを用いることが有効策であることに疑う余地はありませんし、アリスをデカグラマトンに接触させるのもまた、避けるべきなのは事実です」
そう言って、ヒマリは交差していた視線をゆっくりと下げ、私の傷口……下腹部に目を向けた。
「……ですが、問題は貴方の身体です。……作戦の決行はそう遠くはないでしょう」
「……それまでに、貴方は回復できるんですか?」
「…………」
ヒマリの問いに、私は黙し、思案する。
"大丈夫だ"と、そう答える事は簡単だ。
だがしかし。私を想い、心配してくれている彼女に安心してもらうためにも、説明は練らねばならない。
……ただでさえ、私は彼女に対して幾度もの不義理を働いているのだ。
しっかりと思考を整え……口を開く。
「……私の知る限りの負傷例や、一般的な治癒速度、私自身の経過から考えて……あと1週間もすれば万全とはいくまいが、問題なく戦える程度の回復は見込めるだろう。」
「経過は概ね良好で、血算の数値も著しく改善しており……昨日今日は体感としても問題なく動けている。」
「大事を取って厳しく見積もったとしても、2週間もすれば完全に回復するはずだ。」
「……心配してくれてありがとう。」
そう付け加えると、ヒマリは小さく息を吐き、頷いた。
「…………わかりました、作戦の決行は2週間後を目安にするよう働きかけます。良いですね?」
私の言葉にヒマリは渋々納得したようで、そう言って車椅子にもたれかかる。
「……感謝する」
ヒマリは私の言葉に"まったく仕方ありませんね……"と小さく呟き、横目でちらりと私を見た。
「……」
すると、ヒマリは無言で私と視線を交わし……目を瞑って腕を広げる。
(……なるほど)
ヒマリは私に説教した後、決まって甘えてくる。
……これも、そういう事だろう。
彼女の無言のアピールに、わずかに湧いた嗜虐心から黙って見ていると……微かに、ヒマリのまぶたが開く。
「……ほら、わかるでしょう?」
彼女は耳を僅かに赤く染めながら、掠れるように小さな声でそう言って、広げた腕を突きだす。
「ふふ……すまない、少し意地悪をしたくなってしまった。」
彼女の背に腕を回し、優しく抱きしめる。
背に触れた義手の冷たさに驚いたのか、ヒマリはびくりと身体を震わせながらも、私に体を預ける。
「……もう……」
ヒマリも広げた腕を閉じ、私を抱きしめる。
彼女の薄い背から伝わる拍動や、ヘアオイルの香り。パジャマの薄布越しの体温……彼女から伝わる全てが、私に深い安息を齎す。
呼吸を重ね、お互いの感触に身を任せる。
────どれだけそうしていたかは判然としない。
「────……おーい」
……唐突に背後から聞こえたその声に、私達は反発するように密着させた身体を離した。
「……エイミ?!の、ノックくらいしてください!!」
「…………」
わたわたと慌てるヒマリと対照的に、私は無言で両手を上げ……誤解だと示す。
「えー、でもドア開いてたし……」
「そ、そうですか……ま、まあ……私達がそういう関係なのは周知の事実ですし?多少は睦みあっている所を見られた程度では恥じる事はないのですが────」
早口でヒマリが弁明もとい言い訳を重ねているが、必死すぎて余計に怪しさを増している。
これを赤の他人に聞かれてしまえば、私達が何かふしだらな真似をしていたと勘違いされかねないが……相手はエイミだ。大丈夫────
「……えっ、そういうことしてたの?……ふーん、医務室でやるのは良くないと思うなぁ」
……前言撤回。エイミはヒマリをからかう方向に舵を切ったようだ。
「はあ……していないし、君は少し落ち着いてくれ。」
口角を上げてヒマリをからかうエイミを制止し、顔を真っ赤にしているヒマリを諫める。
「……ふふ……わかってるよ」
「……もう。あまりからかわないでください」
あざとく頬を膨らませたヒマリに含み笑いを湛えつつそう言って、エイミは時計を指差した。
「で、もう8時過ぎてるよ。ご飯も出来てるし」
そう言われて時計を見ると、盤上の針は8を僅かに過ぎている。
「……もうそんな時間か」
「おや……すみません」
なるほど。エイミは朝食に現れない私達を迎えに来てくれたようだ。
折角用意してくれたのに、申し訳ない事をした。
「……ほら、冷める前に行こう」
エイミの言葉に私は立ち上がり、ヒマリは車椅子を出口に向けて転回させる。
「そうだな、急ごう」
「ええ」
────そうして、私達は3人で朝食へと向かった。
昼:ミレニアム本校/会議室
定刻通りに始まった先生とユウカを交えた会議で、ウタハは先程ルイと話した内容を二人に説明していた。
「────という訳で、欺瞞用のミサイルもいくつか用意しておくべきだと判断してる、どうかな?」
ウタハの説明に、先生は通信越しに口を開いた。
"……そうだね。ウタハの言う通り、あれの手の内を完全に把握したとは言えない現状では、できうる限りの対策を用意すべきだと思う"
ウタハの提言に先生が同意を示すと、ユウカは得心したように頷いた。
「なるほど……了解しました。追加の予算を勘定します」
さらさらとメモに記帳しながらそう告げたユウカは、数秒ほどして記入を終えたようで、ゆっくりと顔を上げた。
二人の視線が交差し……ウタハは意を決したように口を開く。
「……それで、これはあくまで提案なんだけど……」
そう切り出したウタハに、先生とユウカは黙し、傾聴を示す。
「……私は今回の作戦に三校協定を適用し、協力を要請するべきだと考えてる。」
「デカグラマトンが魔王との関連性を疑われているのは周知の事実だし……何より、デカグラマトンの全貌が把握しきれていない今、その脅威を知らせ、啓蒙する事にも繋がると思うんだ。」
「……それに、現地のみでの連携には少なくとも砂漠を高速で移動できる車両や、非通信式の伝達方法に特化した部隊が必須だし……そのいずれにも、高い練度が求められる。」
「有線ミサイルによる狙撃じみた攻撃も同じくね。……それら全てを私達ミレニアムの人員で行うのは、少し無理があると思うんだ」
「……何より、ミレニアム自体の防衛も考えなきゃいけない以上、ミレニアムの人員の大半を外部に向かわせるのは……危険じゃないかな」
「……って、ヒマリと話してて思ったんだけど……どうかな?」
ウタハの提言に、ユウカは顎に手を当て、"ふむ……"と小さく思案の声を漏らした。
ユウカが考え込んでいる様子を察したのか、先生が"私の考えだけど"、と前置きして口を開く。
"良い考えだと思う。ウタハの言う通りミレニアムの単独ではどうしても限界があるからね。"
"特に、今回のような状況はミレニアムの戦術理論から大きく外れてるし、私の指揮も届かないかもしれないから"
"それで……もしトリニティとゲヘナを頼るなら、今回の様な事案の対応に優れていそうな部局にいくつか心当たりがあるよ"
そう言って、先生は続ける。
"まず……ゲヘナの機動部隊。あそこはバイクや高機動型の装甲車を使った偵察や捜索、追撃を得意としてる。この間イロハに……万魔殿に行った時に、訓練の様子を見せてもらったんだ"
"彼女達なら、比較的安全にビナーを砂漠の中から見つけ出す事が出来ると思う。戦車や装甲車は使えなくても、バイクなら砂漠も問題なく走行できるだろうからね。"
"それと、トリニティの砲術科には、有線ミサイルも部門の一つとして存在する。以前演習を見学させてもらった時に、数キロ先の目標に何度も命中させていたから……腕は私が保証するよ。"
"化学兵器を用いる以上、超遠距離からの攻撃が前提となるからね。……彼女達の協力を得られれば、作戦の成功率は大きく上がるはずだよ"
キヴォトス中の学校を渡り、その力を目の当たりにしてきた先生の言葉からは、語られた者達への確かな信頼が感じさせた。
"それと……アビドス砂漠は皆の想像以上に広い。その環境下で通信が使えない以上、絶対に、非通信式の情報伝達手段が必要だ。あの砂漠で規律を欠いてしまえば……致命的な事態になりかねないからね。"
声色を変え、深刻に、真摯にそう伝えた先生は"そして"と続ける。
"でも、通信を使わない伝達手段に詳しい子たちは、ユウカが良く知ってるでしょ?"
唐突に投げかけられた先生の言葉に、"はっ"とユウカは顔を上げる。
「えっと……まさか……」
……先生の言葉に、ユウカは心当たりがあった。
ミレニアムには、確かに非通信式の情報伝達方法を研究している部活が存在する。
その名も"情報伝達研究部"。
日夜、妙なポーズや信号弾等を用いて、古式の伝達方法を研究している……"珍奇な部活"だ。
とはいえ、ミレニアムプライスのような成果発表の場には、エンジニア部と共同で "手話やパターン化された指先の動作を認識し、合成音声に発話させる機械" を提出するなど、一定の成果はしっかり出している。
しかし……"珍奇"というその認識は、ユウカも例外ではなかった。
白昼堂々と校舎の窓から信号弾を打ち上げ、狼煙でボヤ騒ぎを起こし、ホイッスルを何度も鳴らして授業を妨害するなど、彼女達の活動はそれなりの苦情を招いている。
それに、ユウカの元に送られてくる予算申請書の内容には"フレアガンを買うので" "高ルーメンライトを買うので" "発煙筒買います"などと適当……もとい簡潔な理由とともに、読めもしない謎の独自言語が添えられていたり。
……とまあ、ユウカにとっては良くも悪くも印象深い部活の一つである。
内心で"あの子たちが本当に頼りになるのか"と思いながらも、ユウカは答える。
「本当に情報伝達研究部の子たちに依頼するんですか?」
半疑の滲むユウカの言葉に、先生は"うん"と答える。
"この間お邪魔した時に、彼女達の活動内容を教えてもらってね……手旗信号や信号弾のような方式を想定するなら、彼女達に協力して貰うのが適切だと思う"
先生の言葉に続き、ウタハも"そうだね"と同意を示す。
「確かに、彼女達なら通信なんかなくても上手くやれる方法を考えてくれそうだ」
存外に彼女達の事を信頼している様子の二人に、ユウカは自分の先入観を恥じる。
例え珍奇に見えても、彼女達は真面目に学生としての、探究者としての本分を果たしているのだ。……多分。
と、内心の歪んだバイアスを振り払い、ユウカは答える。
「わかりました。情報伝達研究部の子たちに連絡してみます」
「そして……トリニティとゲヘナに協力を要請する件も了解しました。諸校の返答次第ではありますが……先んじて、手続きを進めておきましょう」
そう言いながら素早く手帳に予定を記したユウカは、ちらりと先生の声がする端末を見遣る。
「……それにあたって、先生に仲立ちをお願いしたいのですが……いいですか?」
伺うように尋ねたユウカの言葉に、先生は優しく"もちろん"と返す。
「……ありがとうございます」
先生の返答にユウカは安堵したように感謝を述べて、ぱたんと手帳を閉じた。
「では、それについては追々諸校を交えて話すとして……いったん、この辺りで切り上げようと思いますが……どうでしょう?」
ユウカがそう言って目を向けると、ウタハは"うん"と頷きを返した。
「そうしたいかな……各校と連携するのなら、それに合わせて考えたいこともあるし。」
"わかった。じゃあ私からマコトとナギサに話は通しておくから、準備が整いしだい代表会議……って事で良いかな?"
ウタハに続き、先生が頼もしい返事を返す。
「……何から何までありがとうございます、先生」
"ううん、私は先生だからね。"
"生徒の為なら私に出来る事は何でもするよ。……何でもね。"
何処か自嘲するように答えた先生は、"じゃあ、早めに話を通してくるから……ここで失礼するよ。またね"と続けて、通信を終えた。
「……よし、じゃあ私も失礼するよ。また何か決まったら教えてね」
ウタハはそう言って席を立ち、資料の入った鞄を首からかける。
「わかりました。また何かあったら連絡しますので、よろしくお願いします」
「うん、じゃあ……またね」
ウタハはにこりとはにかみ、ユウカに小さく手を振りながら退室した。
一人残されたユウカは "はあ" と息を吐いて、椅子にもたれかかる。
「……流石に、疲れるわね……」
ひとり呟き、大きく伸びをする。
通常通りに行われるセミナーの業務に、計画に割く予算の見積もり、さらには今回のような会議。
山積みになったそれらに向き合っていれば、疲労が溜まるのも当然だった。
(……駄目ね、私だけ苦労してるわけじゃないんだから)
ウタハ先輩だって、ヒマリ先輩と一緒に作戦の音頭を執ってくれている。
彼女達だって苦労しているのだから、自分だけが弱音を言っていられない。
"ぱちん"と頬を叩き、気合を入れる。
……と同時に、ユウカのお腹から"くぅ"となんともかわいらしい音が鳴った。
「……あ……」
空腹を自覚し、ふと見遣ると時刻は1時前。
昼休みの真っただ中、混んでいる学食に行くには時間が惜しまれる。
「今日くらいは、いいわよね……」
携帯を取り出し、出前アプリを開く。
(今日はノアと一緒に食べよう)
とそう考えながら、ユウカは昼食を物色するのだった。