深夜:ミレニアム本校/第四部室棟廊下
「……ここで合っているかい?」
ヒマリの案内を受け、非常灯が照らす薄暗い廊下を進む。
[ええ。そこを右に曲がって、突き当りの壁です]
「……壁?」
[ふふふっ、すぐにわかりますよ]
「ふむ……」
会話しつつ、指示通りに歩みを進め……何の変哲もない、真っ白な壁の前に立つ。
すると、"ピピッ"と音が鳴り……真っ白な壁が横一文字に開き、隠された扉が現れた。
(なるほど……ミレニアムらしい仕掛けだ)
内心で感心しつつそっと扉を押すと、燭台型の優しい灯りに照らされたヒマリがセイアを迎えた。
「……こんばんは、セイアさん」
「やあ、夜中にすまないね」
「構いませんよ……改めて、お久しぶりですね」
言葉を交わしつつ、セイアはヒマリと向かい合うように座り、二人はリラックスした様子で話し始める。
「ああ……本当に、久しぶりに感じるね……」
「時が経つのは早いもの、とはよく言うが……私にとって、ここ数週間は永遠にも思えたよ」
"ふふ"と、自嘲するように笑い、セイアは小さく息を吐き出す。
「……それで、ルイはどうしているんだい?」
僅かに期待を滲ませたセイアの問いに、ヒマリはばつが悪そうに目を伏せる。
「残念ながら……ここには来ていません」
「……そうか。とはいえ、予想はしていたよ」
「……すみません」
「いや……君が謝る事はないさ。期待していなかった、というと嘘になるがね」
どこか寂し気に言ったセイアにゆっくりと顔を上げ、"では"とヒマリは続ける。
「その代わりに……最も貴方に謝るべき方に、直接謝らせましょう」
「か弱い乙女を寂しがらせた責任を取ってもらわなければなりませんから……ふふふっ」
ヒマリは含み笑いと意地悪な表情を浮かべ、車椅子に内蔵されたパネルを手早く操作する。
それと同時に、部屋の隅にあった何やら良く分からない機械に電源が入り……すぐに、テーブルに置かれたヒマリの携帯に着信が入った。
「どうぞ……言いたい事を、言ってあげてください」
彼女が差し出した画面には"非通知"とだけ表示されていたが……セイアがその相手を察するのに、直感など要らなかった。
「……ありがとう、ヒマリ」
「いえいえ……では、私は隣の部屋に居ますので……ごゆっくり、二人きりで話してください」
ヒマリは微笑みと共にそう告げて、部屋を出て行った。
「……ふふ」
ぱたり、ぱたりと尻尾を揺らし、振る舞いの節々に滲む喜色と共に、セイアは耳に携帯を当てる。
[……ヒマリ、何かあったのか?]
待ち焦がれたその声は、確かに想い人のもの。
セイアは無意識に口角を上げ、ゆっくりと答える。
「こんばんは……夜分遅くにすまないね」
[……セイア……?]
ルイは先のヒマリと同様に、驚いたように答えを返す。
「ああ、私だよ……ふふ、驚かせてしまったかい?」
「実は私も、ナギサに付き添ってミレニアムに来ていてね」
声を弾ませ、セイアはちょっとしたサプライズとでも言いたげに説明した。
[……そうか……君はもう、トリニティから出る事が出来ない物だと考えていた]
「ああ……正直、私もそう考えていたよ」
「だが、ナギサ曰く "直感による危機察知が可能なら……それを利用しない手はない"、と連れ出されてね」
「とはいえ……君が言ったように、私が現在厳しい立場にある事は事実だ」
「君との関係が疑われている者を、おいそれと校外に出すような事が、良しとされる訳がないからね」
「……まあ、要はお忍びだ。姿を見せずとも、そう不審がられる事は無いのはこの体質の恩恵とも言えるね?」
自嘲交じりに"ふふ"と笑った彼女の言葉は……甘えるような、とろりとした声色に変わる。
「……まあ、そんな事はどうだっていい。こうして君と話せている事が、今の私にとっては何よりも重要だ……」
「期待通りの再会、とはいかなかったが……君とこうして再び言葉を交わす事が出来たのなら、重畳と言うべきだろうね」
[……そうだな。私達が言葉を交わせる機会が失われて久しい。こうして話せるのもいつになるやら、と思っていた]
[君の顔を見る事が出来ないのは残念だが……君の言う通り、今はこの語らいを喜び、楽しむべきだろう]
「ふふ……なら、今日は夜更かしに付き合ってもらうよ。話すべき事と、話したい事……どちらも積もっているからね」
そう言ってセイアは ぎし、とソファに深く体を預ける。
ゆっくりと目を閉じ、聞こえる声だけに精神を向けるのだった。
[────あの演説は素晴らしかった。私の代わりに、ナギサを褒めてやってくれ]
「ふふ……わかったよ」
互いにゆったりと言葉を交わし、話題は何度も変遷する。
近況、怪我の具合、ナギサの事、ミネの事。
時間にしておよそ1時間強。長いようで短い会話の端に、セイアはぽつりと呟いた。
「……言葉を交わせるだけで十分だ、と思っていたが……人とは欲深い物だ」
「欲が満たされ、慣れてしまえば……すぐにそれ以上を求めてしまう」
「……会いたいよ、ルイ」
[…………セイア]
セイアが零した言葉に、ルイは悲しげに名を呼ぶ。
「……今の私達には言葉しかない。だから……強がらずに、素直に伝えさせてくれ」
[……ああ]
切なく、真摯に伝えたセイアの言葉をルイは小さく肯定して、続く言葉を待った。
「……あの日、君が倒れ、私達が離れてから……私はずっと、君の事を想っている」
「……毎夜、寂寥感に苛まれる。あの時、君と共にした時間と比べると……広い部屋に一人、というのはどうにもね……」
寂しげに語ったあと、セイアは少しだけ間を開け……ぽつりと言った。
「……ルイ。私を……攫いに来てくれないか」
「私は、君の側にいたいんだ。例えトリニティと袂を分かとうと……私は、君と同じ道を歩みたい」
[…………]
「情けない話だ……心の底で、私は君を信じきれていないのだろうね」
「一時なれど、君から離れたくない。"置いて行かれてしまうのでは"、と悪い未来がよぎってしまう」
「……ナギサ達のようにね」
[ッ……]
その言葉が、ルイの胸を深く抉った。
ルイは返す言葉なく、セイアは悲しげに声を沈ませる。
「なあ……ルイ、私を……置いて行かないでくれ……」
小さくそう呟いたセイアの目尻から、ひとすじの雫が流れる。
電話越しゆえ、それが見えようはずもないルイは……しかし何かを決意したように、はっきりと答えた。
[……セイア]
[少しだけ、待っていてくれ]
[……言葉だけでは、伝えられない]
「ッ……待ってくれ、まさか────」
"プーッ、プーッ"
セイアの言葉は、繰り返される冷たい電子音に遮られた。
「……ルイ……」
言葉は虚空に消える。
彼女はきっと……ここに来るつもりなのだろう。
……私の我儘に付き合って。無理をしてまで。
"治癒しきった訳ではない"と先に語っていた人間に、あんなことを言ってしまった私は……何と愚かなのだろう。
……以前も、私の焦りが原因でルイが深手を負った。
その時に負った傷に、彼女は今も苦しんでいる。
彼女だけではない。ナギサも、ミカも、ヒマリも……皆、私のせいで……。
「……ああ……」
ぽたり、と再び雫が落ち、自責と後悔が押し寄せる。
────そんな中、揺らめく暖色のみが照らす薄暗い部屋に、"ぱっ"と眩い光が灯った。
「……ヒマリ」
「……すみません、急に入ってしまって」
ヒマリはそう伝えて、そっと机に向かう。
「……構わないさ。だが少しだけ……そっとしておいてくれ」
セイアはふいと顔を背け、赤くなった目元を袖で拭う。
「……わかりました」
(……まったく、罪深いひとですね……)
セイアのその仕草と垂れた耳、たった今届いた短いメッセージから……二人に何があったかは察しが付く。
ヒマリは内心で小さくため息を吐いて、額に上げたアイマスクを車椅子のポケットにしまった。
深夜:ミレニアム自治区/上空
"────バシュッ!! バシュッ!!"
夜闇の中、ミレニアム校へと急行する。
不甲斐なく焦燥に駆られる心に冬の逆風が沁みて、どうにも息苦しい。
(……落ち着け────)
軌道が逸れようものなら、私は全てを失う。
今も腹で疼く傷を抱えての飛行だ。精細を欠いては怪我では済まない。
……だが、これ以上彼女を待たせてなるものか。
"ぎり"と歯を食い縛って焦りを制し、視覚に意識を集中する────。
────10分ほどして、ついにミレニアムの部活動区画が視界に映る。
(セイアの現在地は部室棟、旧特異現象捜査部……)
そこへの侵入経路に当てはある。────ヒマリなら、私と同じことを考えるはずだ。
そう判断して軌道を変え、部室棟の側面へと回る。
(……あれだ)
三階外縁部、クレーン搬入ゲート────よし、解放されている。
"バシュッ!!"
正確に狙いを着け、ゲート内部に鉄鉤を打ち込み────最大出力で巻き取る。
"ギュルルルル!!────ガッ!!ギャリガリガリッッッ……!!"
暗い部屋に火花が散り、急速に勢いが殺され、減速していく。
「……よし」
……無事に着地が完了して、制動体勢を解き……鉄鉤をランチャーへ巻き戻す。
着地の衝撃にも関わらずアラートが鳴っていない辺り、警備システムは問題なくヒマリの手の内にある。
この時間なら部室棟には誰も残っていないだろうし、堂々と向かっても問題ない。
そう判断して、体当たりするように扉を開け、廊下へ飛び出した。
side:セイア
「────セイア!!」
扉が開く音と同時に聞こえた声に、はっと顔を上げる。
私が状況を認識する前に勢いよく駆け寄ってきたルイに、私は抱きすくめられた。
「……わっ……!?」
彼女の胸元に顔を埋め、驚愕で先ほどまでの悲哀は押し込められる。
私を包んだ彼女の外套はひやりと冷たく、伝わる冷感と共に激情も冷え込んでいく。
「……すまなかった……!」
そう言って抱く力を強める彼女の表情は伺い知れないが、その声からは強い感情が滲む。
「……ルイ……すまない、私のせいで……」
互いに謝罪を交わすと、その言葉を否定するようにとんとんと優しく私の背を叩く。
「君が謝る事などない……謝罪するべきは私の方だ。君を蔑ろにしてしまっていた……許してくれ」
「違うんだ……君に、我儘を言ってしまった……傷はまだ、治っていないと聞いていたのに」
私の言葉を聞いたルイはゆっくりと右手を私の耳のに回し、優しく撫でる。
「……私は医者だ、ある程度は自己判断ができる。……心配しなくていい」
「それに、ここに来たのは私の意思だ。……どうしても、君に会いたかった。電話を切ったのも……君なら止めるだろうとわかっていたから」
「……身勝手な判断で、君を傷付けてしまった」
「私は君に、不義理を働いてばかりだ……本当に、すまない」
深く謝罪を告げて、ルイはそっと口元を私の耳に寄せる。
「再び誓おう、セイア。……私は君と共にある。それは不変だ……絶対に、君を置いて行ったりなどはしない」
「……愛している」
「っ……ほんとうに、きみは……っ」
埋めた目元から感情が溢れ、彼女の服に染みていく。
ぐすぐすとみっともなく鼻をすすり、溢れる全てを彼女の胸元に擦り付ける。
「…………」
その間、ルイは何も言わず……ただ優しく、私の頭を撫でてくれていた。
「ぐすっ……ルイ……」
涙と共に激情が流れ落ち、ほんの少しだけ戻ってきた落ち着きを勇気に変え……ゆっくりとルイの胸を押す。
彼女はそっと抱く腕を解き、身をかがめて私と目線を合わせた。
そうして私の言葉を待つ彼女は、慈愛を湛えた微笑みを向ける。
それはかつて私が、私達が接してきた……"魔王"などではない、天城ルイのものだった。
「…………」
そっとルイの右手を取る。
するりと抜けた手袋が床に落ち、"ぱさ"と音を立てた。
「……外は寒かっただろう。手が冷たいよ」
「……君に会うためだ、気にならないさ」
「……強がらないでくれ。特に……私の前では」
小さくそう言って、握った彼女の手を私の頬に添える。
触れた肌からだんだんと体温が混ざり、感触だけが残る。
「……ルイ、また会えて嬉しい」
「……私もだ、セイア」
交わす言葉に細めた目が、とても美しく見えた。