早朝:ミレニアム寮区画/トリニティ代表者の部屋
「……んぅ」
目が覚める。
微睡を振り切るようにむくりと身を起こすと、窓外には藍と橙のコントラストが広がり、冬の朝を彩っていた。
(……5時ですか……)
いつも通り、身体に刻まれた生活リズムはここミレニアムでも健在のようだ。
毛布を軽く畳み、ベッドに乗せておく。
ルームキーパーはロボットがやってくれると聞いている事だし、まずは身支度を整えるべきだろう。
軽く伸びをしてナギサは化粧品ポーチを持ち出し、洗面台へと向かった。
20分後。
「───♪」
気分よく鼻歌を歌いながら、紅茶を回し注ぐ。
「たまには自分で淹れるのも、悪くありませんね……」
お気に入りの茶葉、完璧な蒸らし時間。
他者に淹れてもらうよりも、自分で淹れる方がやはり美味しい。
自分の味覚を真に理解できるのは、自身を置いて他にはないのだから。
「すぅ……ふふっ」
芳醇で高貴な香りを楽しみ、カップを口元に運ぶ。
「……ふぅ……」
"こくり"と嚥下すると、香りと共に暖かな熱がじわりと喉を伝って胸から広がり……ナギサの心に平穏を齎す。
────乙女の朝は忙しい。
毎日やるには余りに煩わしいそれらを片付けた自分へのご褒美として、このひとときに敵う物はないだろう。
(折角ですし、セイアさんもお呼びしましょうか……)
早朝ではあるが、彼女は昨日早めに床に就いている。
起こすには丁度いい頃だろう。
"コンコン"
セイアが使っている寝室の扉をノックする。
「セイアさん、おはようございます」
返事はない。
「……?」
(お休みになられているんでしょうか……)
"コンコン!" 「セイアさん?」
少しだけ強めにノックするが、返事は帰って来ない。
(……)
万が一の事もある。
不躾ではあるが……勝手に入らせてもらおう。
「……失礼します……ッ!?」
"ガチャ"とドアを開けると……部屋はもぬけの殻。
ベッドの上には、セイアの持つカードキーと、皴のよった毛布だけが残されていた。
「…………!!」
脳裏に過ぎる、悪い可能性。
残されたカードキーから、彼女が自分の意思で部屋を出た訳ではない事は推察できる。
(……襲われた!?この密室で、一体どうやって……!?)
「ふーっ……ふーっ……!」
紅茶で温まった身体に冷や汗が滲み、呼吸が乱れる。
叫び出したくなるような逡巡の最中────"ピンポーン"。
単調な電子音が、動揺と逡巡に沈むナギサの意識を現実に引き戻した。
「……!!」
……まだ早朝だ。
モーニングコールや連絡員にしては、タイミングがおかしい。
これは罠だ。玄関を開けさせて……。
あるいは、既に部屋の中に潜んで────!!
"ピンポーン"
再度、インターホンが鳴る。
「……はあっ……はあっ……!!」
護身用の拳銃に手を伸ばす。
普段構える事のないそれを握る手は、ぶるぶると震えていた。
(……来るなら、来なさい……!!)
寝室の扉を締め切り、死角へと隠れ……敵の動きを待つ。
携帯は机に置いてきてしまった。
部屋の外に出て、それを取りに行くリスクは計り知れない。
(ならば……ここで構えて時間を稼ぎ、外部が異常に気付く事を祈る────)
永遠のような、十数秒────不意に、声が聞こえた。
[……ナギサ?開けてくれないかい?]
「……へっ?」
気の抜けた声が喉から漏れる。
[ナギサさん、大丈夫ですか……?]
続けて聞こえた声に、覚えはある。
……明星ヒマリだ。
[……何かがあったとすれば、事態は一刻を争うかもしれません。ここはハッキングして────]
「……す、すみません!!」
声を張り上げ、インターホン越しに謝罪を伝え────急ぎもつれる足取りで、玄関へ向かった。
────三人はテーブルを囲んで、紅茶と共に話し合っていた。
「……すまない。君は疲れているだろうから、そっとしておこうと思ったんだ……」
しゅんとした様子でセイアは言って、ヒマリも続いて"失礼いたしました"と小さく頭を下げた。
……セイアの説明はこうだ。
"夜中に目が覚め、携帯を見たらヒマリから渡した報告書についての質問が来ていた"
"眠れないことだし、折角だから口頭で詳しく解説しよう。と申し出たら、是非にと請われ、ヒマリの元に行って詳細な説明を行っていた"
"陽も出た所で帰ろうとするも、部屋を出る際にカードキーを忘れてしまったせいでオートロックが掛かっていた"
……と、言う事らしい。
「……はあ……セイアさん……」
気が抜け、ため息が漏れる。
「……すまない。あまり物を持ち歩く習慣が無い物でね」
……確かに、セイアは自室の鍵を含め、殆ど物を持ち歩かない。
そもそも、彼女がトリニティ外に宿泊する事はこれが初めてだ……強く責める事はできないだろう。
それはさておき、彼女は無事に帰ってきた事だし……今回は私の早とちりでもある。
「……次は、気を付けてくださいね……はあ、心臓に悪い……」
そう言って、ヒマリに向き直る。
「ヒマリさんも、ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ……むしろ、私がナギサさんへの連絡を怠った事も原因の一つです」
「以後は、ナギサさん宛に連絡を致しましょう」
「お願いします……」
吐き出すように言って、ナギサは紅茶を口に運ぶ。
それをこくりと嚥下し、ふうと息を吐き出して……セイアに鋭い視線を向けた。
「……さて、話は変わりますが……セイアさん」
「……なんだい?」
しょんぼりした様子のセイアは、僅かに顔を上げる。
明らかに雰囲気の変わったナギサに対して、二人は僅かに身構えた。
「先日から、考えていた事がありまして……」
「セイアさん。ミレニアムに貴方が居る事は公に出来ません」
「とはいえ、ここにずっと籠って貰うのも悪いですし……ヒマリさんと行動を共にしては?」
((……!?))
ナギサの提案は完全な予想外。
二人は一瞬呆気に取られ……しかし、すぐに平静を取り戻した。
「……ナギサさん?」
ヒマリが聞き返すと、ナギサはこくりと頷く。
「……もちろん。ヒマリさんが許すのなら……ですがね」
「……冗談、ではないようだね……意図を聞こうか、ナギサ」
「先に言った通りですよ。私は日夜四六時中、訓練の監督や会議がありますから……」
「情報共有やセイアさんが収集した資料の説明も兼ねて……どうでしょう?」
((………………))
問いかけられた二人は揃って思案するような仕草をしつつ、裏の意図を見破らんとナギサを観察、逡巡する。
(……ナギサは私がルイ側の視点にも立っている事を知っている。この状況で、私の首輪を外す事が何を意味するか……理解していないはずがない)
(……殆ど初対面の私に、トリニティの最高権力者を預ける。……そこまでの信用を築けているとは思えませんが……とはいえ、私を泳がせるにしては露骨すぎますね)
(……私はともかく、ヒマリへの疑いは薄いはずだ。なら……私を動かす事で、ミレニアム内の協力者を炙り出そうとしているのか?……あるいは……)
そして……セイアは数秒早く、一つの結論に行きついた。
「……他者をあまり巻き込む物じゃないよ、ナギサ」
「私を使って、協力者を炙り出そうと考えるのは悪くない案ではあるが……説明なしにヒマリを危険に晒すような真似は感心しないね」
「……なるほど……?意図をご説明頂いても?」
ヒマリはセイアの意図を即座に理解し、白々しさを感じさせない自然な表情で、ナギサに詰問する。
「……すみません、ヒマリさん。説明不足を恥じ入るばかりです」
「ご説明させて頂くと、セイアさんは天城ルイ……魔王にその身柄を狙われているのです」
「ここミレニアムなら監視の目も強く、警備システムもトリニティとは段違いに優れていますから……この部屋に一人残しておくより、誰かと行動を共にさせるべきではと考えまして」
「……失礼ながら、ミレニアム生が魔王に協力している可能性もゼロではありません。協力者の炙り出しに寄する可能性も兼ねて、ご提案させて頂いたのです……改めて、申し訳ありません」
……そう語ったナギサの言葉に嘘は無さそうで、彼女は申し訳なさそうに深く腰を折り、説明不足を詫びた。
「ふむ……そういう事でしたら、構いませんよ」
にっこりと清廉な笑みを浮かべてヒマリは答え……セイアはぱちりと目配せする。
「……ヒマリ、本気かい?」
「ナギサの言う通り、魔王は私を狙っている。君が巻き込まれては……」
セイアの言葉を遮り、ヒマリはゆっくりと首を振った。
「おや、この私を誰だと思っているんでしょう?……現在このミレニアムで最も安全な場所は、私の傍ですよ」
「エイミも居ますし……ドローンやタレットを始め、侵入者撃退用の設備はいくらでもあります」
「それに、他校の代表者が、ミレニアム内で襲われるような事はこの私が許しません」
「セイアさんさえ良ければ、しばらく私の元にいらしてください。頂いた資料について、話の続きもしたいですしね?」
そう言ってウインクを送り……セイアは頷いた。
「……ナギサ。私としては構わないが……本当に良いのかい?」
「私の首輪を解く事に付随するリスクの全てを、君は知っているはずだ」
再度、セイアが問いかけると……ナギサは手元の紅茶を飲み干し、こくりと頷いた。
「……清濁を併せ呑む覚悟はあります」
確かな決意が、言葉と眼差しから伝わり……セイアは"わかった"、と重く返した。
「では、私はしばらくヒマリの元へ行くとしよう……ミレニアムの力があれば、調べ物も捗るだろうしね」
セイアの言葉にナギサは深く頷き、"それでは" とヒマリが続ける。
「私の個人的な連絡先を伝えておきます。これならいつでも連絡が着きますので、御気兼ねなく連絡してください」
ヒマリはさらさらと紙ナプキンに電話番号とアドレスを記入して、差し出す。
ナギサはそれを受け取り、懐にしまった。
「……ありがとうございます、ヒマリさん」
「いえいえ……乙女の貴重な個人情報ですので、漏らさぬようお願いしますね?ふふふっ……」
小さく笑って、ヒマリはそっと車椅子を後退させる。
「さて、私はまだやる事がありますので……ここでお暇させて頂きます」
「セイアさんは準備があるでしょうし、1時間ほどしたらエイミを迎えに送りますね?」
ヒマリが時計を見ながらそう伝えると……セイアも時計を一瞥して、"わかった" と頷いた。
「……では、失礼します……お紅茶、ご馳走様でした」
「ええ、お粗末様でした……では、またお会いしましょう」
「ああ、また後でね。ヒマリ」
丁重な挨拶を交わし、この場は一度の解散を迎えた。
「────セイアさん」
ヒマリの元へ行くため、少ない荷物を纏めていたセイアに……背後から声が掛かった。
セイアはぴたり、と手を止め……振り返らず、答える。
「……そう短い付き合いじゃない、言いたい事はわかるよ。ナギサ」
「君が、私をここに連れて来た本意も……ね」
"協力者の炙り出し"……実際のところ、それは口実に過ぎないのだろう。
ルイを討たんとしながらも、真相を見極めるために、ナギサはここにセイアを連れてきた。
両者の視点を持ち、その両方を救わんとするセイアのため、道化を演じる覚悟を決めて。
二律背反。矛盾したナギサの感情を……セイアは読み取っていた。
セイアから帰ってきた言葉に、ナギサは"ふぅ"と微かな溜め息を吐いた。
「……なら、いいのです」
「……そうかい。なら……互いに、役目を果たすとしよう」
諦観、あるいは悲壮。
互いの感情が空気に溶け……音もなく意思を伝えた。
「……信じていますよ」
その言葉を最後に、ナギサは部屋を出た。
一人残されたセイアは、悲しげに息を吐き出す。
「……はぁ」
懐から取り出した一枚の羽根を握りしめ、祈るように目を閉じた。