15:00:風紀委員会/会議室
「ごめんなさい、先生……逃がしてしまったわ」
会議室に戻ってきたヒナは、部屋に入るなりそこで待っていた先生に頭を下げた。
"ううん。撃たないで、って指示したのは私"
"ヒナの責任じゃないよ……怪我は大丈夫?"
「ええ……もう大丈夫」
"そっか……よかった"
先生が安堵したように頷くと、部屋の隅で待機していたハスミが申し訳なさそうに口を開いた。
「……申し訳ありません、狙撃ポイントを破壊されてしまい、援護に回れませんでした」
"……狙われるのが分かっていて送り出す事は出来ないよ。これも私の責任。自分を責めないで"
先生がハスミを宥めていると、"ガチャ"と会議室の扉が開かれた。
「失礼します」
その言葉と共に、指令室から抜けて来たのであろうアコが入室する。
彼女はピリピリとした雰囲気を纏い、苛立ちが見て取れた。
"ごめんね、まだ忙しいはずなのに呼んじゃって"
先生は申し訳なさそうに手を合わせる。
それに対して、アコは "はあ" とため息をひとつ返した。
「……全くです、手短にお願いしますね?」
アコは呆れたように肩をすくめて、会議室のソファにどかりと腰掛けた。
"イオリとミネは治療中で来れないようだし……これで揃ったね、それじゃあ、始めようか"
先生は "ぱん" と手を叩いて場を引き締めて、話し始める。
"まずは私から、今回の主犯……トリニティ二年生、天城ルイ"
"現ティーパーティー、百合園セイアの拉致及び暴行"
"それに付随した学生寮への襲撃……そして元ティーパーティ、聖園ミカの拉致"
"これが現状トリニティ・ヴァルキューレ・シャーレ間で発布されてる罪状だね"
「トリニティはずいぶん治安が悪いようですね?」
「アコ、今は黙って」
先生の言葉にアコが茶々を入れ、ヒナがそれを制止する。
ハスミもアコの挑発を受けてピクリと反応したが、一旦は飲み込んだように瞑目した。
"……それで、ルイが今回ゲヘナに来た理由だけど、アコ、説明お願いできる?"
「はい」
「すみません、少々お待ちください」
アコが返事をすると同時に、ハスミがポケットからスマホを取り出して、耳に当てた。
ハスミは声を漏らさないように少し屈んで、"はい、はい"と小さく答える。
それから少しして、"では、先生に変わります"。とハスミはスマホを先生に差し出した。
「会議中に申し訳ありません、ナギサ様からです」
"わかった、ありがとう"
先生はハスミのスマホを受け取り、何度か返事をして……スマホをテーブルの上に置いた。
そして、スマホからは声が聞こえ始めた。
[ 聞こえていますでしょうか、ティーパーティーの桐藤ナギサです ]
[ 同じくティーパーティの……百合園セイアだ ]
"うん、聞こえてるよ、二人には会議に参加してもらうけど、いいかな?"
先生が部屋を見回す。
「ええ、問題ないわ……特に、これは貴方たちが聞くべき話だから」
ヒナがこくりと頷くと、他の皆も同じように頷きを返した。
"ありがとう、話を切ってごめんね……話の続きをお願い、アコ"
「わかりました。では、これは天城ルイがこちらと通信を行った際の音声記録です」
アコは肩にかけた鞄からボイスレコーダーのようなものを取り出し、机に置いた。
"ガチャ"と音を立てて再生ボタンを押すと、ざらついた音質で会話が再生される。
[……ガンマ4、応答してください───]
[くだらん罠を仕掛けるのは止めろ、オペレーター]
[あら、あらあら……天城ルイ……自称、"魔王"でしたっけ?──プッ……恥ずかしくないんですか?]
[くだらないのは貴方です、自分の状況がわかっていないようですね?]
[……そうだな、散々痛い目を見させられた……]
[人の話を聞く前にマシンガンを撃つんじゃないと、風紀委員長に言っておけ]
[委員長の事を悪く言いましたね!?あんなにボコボコにされておいて───随分偉そうですね?貴方が捕まったらその顔を拝みに行ってあげると約束しましょう、感謝してくださいね?]
[……誰だか知らんがお前はオペレーターに向いていないと忠言しよう、内容だけ伝える]
[はあ!?何を言うかと思えば……!!]
[トリニティを叩き潰す手立てを提供しに来た、協力しろ]
[……と、羽沼マコトに伝えてくれ、以上だ、ではな]
[はぁ!?なに────"ブツッ"]
────再生終了。
「……聞いての通りです。」
アコが呆れ声で言うと、先生は少し考えるような仕草をして、口を開く。
"……まずは、彼女の目的について……トリニティ側の意見を聞きたいかな"
先生が尋ねると、その場にいた全員が机に置かれた端末に目を向けた。
[……これが真実にせよ嘘にせよ、まずいことになりそうだね……]
すこし思案するような間を開け、セイアが呟くように言った。
[───これが本気だとは信じられません、何か他の目的があるのでは?]
わずかに震えた声で、ナギサが続ける。
「少しいいかしら」
すると、ヒナが小さく声を上げて、話に入った。
「追撃の時、彼女と少し話したわ……マコト……いえ、"万魔殿の議長と話しに来ただけなのに、不良に絡まれたから抵抗したら、こうなってしまった"と」
「でも、これは十中八九ウソね」
「ゲヘナ領内に持ち込まれた兵器は使用されただけで十数門の迫撃砲」
「更には郊外にトリニティモデルの榴弾砲が四門……撃墜されたミレニアム製の監視ドローンは二十を超えている」
「……マコトと話すだけなら、ここまでする理由にはならない」
「これは、戦闘になる事を前提にしていたと断言できるわ」
「風紀委員や万魔殿、貴方達トリニティに見つかって戦闘になる可能性を考慮にしていたと考えられなくもないけど────そもそも、あの機動力があるなら直接本校まで来られるはず」
「……少なくとも、マコトと話す以外に何か隠している目的があるのは確かね」
「それと……"トリニティを潰してどうするの?"と聞いたら……」
「"一度潰した方が、キヴォトスが今よりマシになりそうだと思った"」
「"トリニティは後ろ暗いものを抱えすぎた。その当然の報い"……とも言っていたわ」
「……これらは私の隙を突くための嘘、と言う可能性にも留意してちょうだい」
「実際に……私はこの会話の直後に不意打ちを受けて、逃げられてしまった」
ヒナは変わらぬ表情に小さな罪悪感を乗せて、発言を終える。
"ありがとう、ヒナ"
先生はヒナに感謝を述べて、トリニティ側の返答を待つ。
その沈黙に応えるように、セイアが口を開いた。
[ ふむ、そうか……ルイの……彼女の話が虚偽、という線で一旦考えるとしようか ]
[ 少なくとも、その"目的"は一人では達成不可能だと認識しているのは間違いないね ]
[ 両校の軋轢を利用して双校間に争いを引き起こし、それに乗じて彼女はトリニティ、あるいはゲヘナを攻撃し……なにかを達成、あるいは得ようとしている]
[ これは簡単な推論でしかないが、単純に考えるのならこんなところだろう ]
明らかに動揺しているナギサに代わり、セイアはつらつらと推論を述べる。
そこから数秒の間を開け……彼女の大きな深呼吸がスピーカーから聞こえた。
[……ルイの"目的"は、おそらく両校にとって大きなリスクになる ]
[……そこで、急な提案にはなるが……]
["天城ルイの確保に関するトリニティ・ゲヘナ間の一時的な協定"]
[ あるいは、"ホットラインの締結"を提案したいんだが……どうだろうか ]
セイアの提案に対しアコが何かを言おうとしたが、ヒナが片手で制止し、回答する。
「……悪いけど、私たちはただの法執行機関に過ぎないわ」
「政治的な案件の決定権は私たちじゃなく、議長のマコトが握ってる」
「その提案は合理的だけれど、組織単位での情報共有はクーデターを疑われかねないわ」
そう語ったヒナは、"個人的な意見だけれど"と前置きして、言葉を続ける。
「この件をマコトに伝えるのは天城ルイの狙い通りよ」
「残念だけれど、マコトはルイの"提案"に乗りかねない……」
「つまり、風紀委員としては天城ルイの提案を万魔殿に知られたくないの」
「現状、この提案の内容を知っているのは、私とアコ……それと貴方達だけ、そうよね?」
ヒナはそう言って、アコに視線を送る。
その視線に気が付いたアコは、ぴん、と背筋を正した。
「はい。この通信内容と"提案"は、通信機越しに会話した私と、直接会話した委員長」
「そして、この場に居る皆さんのみしか知りません」
[……それでは、この件は内密にいたしましょう ]
[ ああ、私たちとしても……外部に知られると困るからね ]
ティーパーティの二人はそう答えて、ナギサが続ける。
[ では……そうですね ]
[ 天城ルイ関連の情報共有に関しては、"個人的に"、先生を介して行う……というのはいかがでしょうか ]
その提案に対し、ヒナはすこし考えるような仕草をして……"こくり"と頷いた。
「……それなら問題ないわ。先生は大丈夫?」
その言葉に、先生は頷きを返す。
"わかった、じゃあ何か進展があったり、新しい情報を手に入れたら私に送ってね"
"その後、"個人的に"……もう片方に教えてあげるから"
先生は少し微笑んで、部屋内の全員を一瞥する。
そしてすこしの間を開け、口を開く。
"……よし、それじゃあ、ゲヘナ・トリニティ……お互いの状況を明らかにしようか"
"話せる範囲で良いから、教えて欲しいな"
先生はそう言って、椅子に座り直した。
[ では、私達から ]
真っ先に発言したのは、ナギサだった。
[まず先に……遅くなりましたが、今回、救護騎士団のミネ団長がそちらに無断で侵入、戦闘を行ったこと……トリニティを代表して、お詫び申し上げます ]
[ そして、天城ルイがゲヘナ校に対してテロリズムを働いたことについても、同様に謝罪いたします。申し訳ありませんでした ]
ナギサはそう言って、通話越しに頭を下げるが如く沈黙した。
それから数秒、ナギサは続ける。
[……現在、天城ルイの動向については動員できるあらゆる部隊、組織を使って捜索しております ]
[ しかし、手掛かりがあまりにも少ないのです ]
[ セイアさんによると、かなり遠い所に拠点を構えているようだった、とのことですが…… ]
[ そうだね。正直、思い出したくはない記憶だが……ナギサ、手を握っていてくれるかい? ]
わかりました。とナギサの小さな声が聞こえた後……少しして、セイアは話し続けた。
[……襲撃を受けたあと、私はトリニティ郊外で目隠し等の拘束を受けた ]
[ それから体感で……3.4時間ほどかな。それほどした後、目隠しを取られたら……暗く狭い部屋だった、というわけさ ]
セイアは少し小さくなった声で、話し辛そうに語る。
[ 窓も無い部屋だった……ゆえに、彼女の拠点の場所も検討が付かないんだ、すまない ]
[……私たちが把握できているのは、これだけです ]
セイアに代わって、ナギサが締めくくる。
ふたりの発言が終わって数秒、先生が口を開いた。
"……じゃあ、"天城ルイ"という生徒が、普段どんな振る舞いをしていたか聞かせて欲しいな"
"恥ずかしながら、私は彼女と会ったことがないから……人伝てでしか彼女の事を知らないんだ"
[……普段、ですか。そうですね、私の印象としては……努力家で勤勉。誰かの助けになるのが好きで、請われれば誰の助けにでもなる……"根っからの善人"と言うべき方でした]
[……私も同じ印象だ。ルイはとにかく、多芸多才だったと記憶している ]
[]
[ 被害が出ているというのに、こんなことを言うべきではないでしょうが……我々の知る"天城ルイ"は、こんなことをする人物ではないと……今でも、そう思ってしまいます ]
先生はナギサとセイアの発言を聞いて、"なるほど"、と思案に耽っている。
「……私も、概ね同じ印象です。優秀かつ多才な方だった、と」
「彼女が敵に回ったというのは、正義実現委員会の副委員長として受け入れがたいことであると同時に……強い危機感を覚えています」
黙って話を聞いていたハスミも、二人に同調する。
トリニティ側の話を聞いていたヒナは、"ふうん"と相槌を打って、机に置かれた携帯に視線を向けた。
「……多才、と言ったけれど、具体的にはどんな事ができるの?」
「戦術や戦力の把握に役立つかもしれないから、聞いておきたい」
ヒナがそう尋ねると、セイアは"ううん"と小さく唸る。
[……何でも、と言って差し支えないかもしれないね ]
[主なものでも諜報、潜入、医学に作戦指揮、工学やIT、果ては料理からガーデニングまでできた ]
[ はい……彼女は教わった技術や知識を身に着け、自分の物として行使するまでがとても速いんです ]
[ つまり、私たちが "彼女に出来ないことを知らない"、と言う方が正確な表現かもしれません ]
二人がそう言葉を終えると、"本当か"、とばかりにヒナたちがハスミへと視線を送る。
真偽を問う視線に、ハスミは黙って頷きを返した。
「……わかったわ。」
"……うん、大体の事は分かったよ"
"じゃあ、一旦話を戻してゲヘナ側の状況について話してほしいな"
そう語った先生と目が合ったヒナは、小さく頷いた。
「……風紀委員としては、あの発言があった以上、あまり事を荒立てたくないわ」
「今の会議を踏まえた上で、現状の私の構想としては……普段と変わりない、"些細な事件"として覆い隠し、情報収集に徹するつもりよ」
[……そうしてくれると、私達としてもありがたいよ ]
「ええ……現状は万魔殿の目に付かないように手配の発布だけして、負傷者の治療、被害の全貌の把握を優先する」
「それが終わったらゲヘナ側からも調査、捜索するわ。火種は消さないといけないから」
ヒナの発言が終わって、先生は"わかった" と頷いた。
"じゃあ、これで両校の現状は把握できたかな"
"最後に、天城ルイの現状……怪我や損耗について教えて欲しいな?"
先生はそう言って、部屋の全体を見回す。
最初に発言したのは、ヒナだった。
「……最後に会話したのは私だけど……かなり深手を負っているように見えたわ」
「応急処置はしていたようだけど……私の射撃を受け続けた以上、暫くは動けないはずよ」
「そして、兵器の損耗だけど……使用していた大剣は破壊、ショットガンは風紀委員が回収」
「領内に設置されていた迫撃砲十数門と、ゲヘナ近郊に配置されていた遠隔操作式の榴弾砲が四門。私が確認したのと、報告を受けたのはこれで全部」
ヒナはそう締めくくると、セイアが話し始めた。
[……それほどの戦力を失ったのなら、彼女もすぐには動けないだろう ]
[ 現在地を特定できれば、すぐにでも追撃に動きたい所だが……しばらくは身を隠すだろうね ]
"……ルイの為にも、早く捕まえたいんだけど、そうもいかなさそうだね……"
先生は顎に手を当てて少し考えた後、口を開いた。
"……うん。これで、だいたいの情報共有は終わったかな"
"他に何もなければ、一旦この会議は終わりにしようと思うけど……どうかな?"
[ 私達からはありません ]
「……私からも無いわ」
両校の代表がそう答えると、先生は部屋の中を一瞥する。
"よし、じゃあ一旦ここでお開きだね、みんな、時間をくれてありがとう"
先生の言葉を最後に、会議は解散となった。
通話は終了し、残された面々は互いに会釈をして、部屋を後にする。
そして、先生一人が部屋に残された。
皆が退出したのを確認し、先生は肩から下げた鞄から一枚のタブレットを取り出す。
"……アロナ、少しいいかな?"
彼が誰かの名を呼ぶ。
かと思うと、彼の手に握られたタブレットに光が灯った。
side:先生
[はいはーい!スーパーAIのアロナちゃんですよーっ!]
快活な声と共に、ニコニコとした笑みを浮かべた青髪の少女が画面に映る。
彼女こそは、"シッテムの箱" のOS、"A.R.O.N.A"。
私の持つ最大の切り札にして、生命線。
[ どうかしましたか?先生? ]
画面の中の少女は、私の言葉を待っている。
"……天城ルイのこと、改めて調べてほしい"
"交友関係とか、公的記録とか……あんまり良くないけど、今回は表に出てない情報も含めてお願いできるかな?"
そう伝えると、アロナは"ぱあっ"と満面の笑みを浮かべた。
[わっかりました!すこし待っててくださいね!]
袖を捲り、誇らしげに力こぶを作って見せたアロナはそう言って、腕を組む。
[ むむむ…… ]
アロナが唸り始めて十数秒。
気付けば、彼女の手には書類のようなものが握られていた。
[ トリニティの内部記録から生徒さんのデータを持ってきましたが……思ったよりも情報が多いので、まずは時系列順に読み上げますね? ]
"うん、お願い"
[ ではでは……彼女は去年の4月、トリニティに入学して、その日に救護騎士団へ入部 ]
[ その後6月に、全学年の教育課程を全て修了して、救護騎士団を退部しています ]
[ 同6月にトリニティ戦術部の諜報科、砲術科、工学部、特殊作戦科の教育を受けたみたいです ]
[ そして同年の9月ですが……正義実現委員会を始めとした12の部活、委員会に加入していますね ]
"…………"
中々に迫力のある経歴。
"天才"。脳裏にはその2文字が浮かぶ。
このような事件を起こしてなお "こんなことをする人間ではない" と言われる人間性。
そんな他者からの評価を裏付けるかのような、異常とも言える優秀さ。
……しかしそれは、まだ始まりに過ぎない。
アロナはまだ、言葉を続けている。
[ それから……今年の4月。ティーパーティの下部組織として新設された、"相談室"の室長に就任 ]
[ 活動内容の正式な記録は残っていませんが……SNSや各委員会の行事記録から推察するに、正義実現委員会やティーパーティーの依頼を受けながら活動していたみたいです ]
[ そして、6月末に相談室の業務を一時休止、ミレニアムに外交官として1か月半駐在していたと記録に残っています ]
[ 本来は年度末まで駐在する予定だったみたいですが……今年の8月半ばに、外交官を辞めてトリニティに戻ったみたいですね!]
[ 両校の記録を参照する限り、本人から辞意を表明したとのことですが……時期的には、エデン条約事件が関係しているんでしょうか?]
そう言葉を終えて、アロナはこちらに視線を送る。
アロナと視線が交わると、私は、"はあ"と小さな息を吐いた。
"……なんというか……すごいね"
[ そうですね!すごく優秀な生徒さんです!]
[ 素行も極めて良かったようですし……こんなことをするような生徒さんには思えませんが、なにかあったんでしょうか?]
"うん……できるなら、直接聞きたいところだけど……"
沈思する。
そんな時、胸ポケットに収められた一枚のカードのことを思い出した。
"……ねえ、アロナ"
"このカード、使えるかな"
取り出したのは、"大人のカード"。
代償はあるが……今回の事件は、これを使うべき時かもしれない。
あの怪我で、まともな治療も受けずに逃げ続ければ──最悪、命に関わる。
これから彼女は逃げ、隠れるつもりなのだろう。
その先で、片手で。適切な対処ができるとは思えない。
万が一を考えるのならば……それを用いるのを厭うつもりはなかった。
[……先生、残念ですが……]
しかし……アロナはそう首を振った。
["大人のカード"を使った生徒さんの召喚は、生徒さんがそれに応じなければ発動できません]
"……そっか、わかった"
失意は隠せない。
それでも一縷の望みを賭けて、カードを掲げる。
"……ルイ、君のことが心配だ"
"もし助けを必要としているのなら……どうか、応じてほしい"
彼女の姿を思い浮かべ、願う。 願う。
窓からの陽がカードに反射して、黒い輝きを放つ。
しかし────なにも、起こらなかった。
"…………"
ゆっくりと掲げたカードを下ろすと、無力感を煽るように窓から風が吹き抜ける。
"はあ"。小さく吐いた溜息が、風に流されて消えていった。