昼:ミレニアム自治区/ビル街
────それからしばらく。
エイミの案内通りにマンホールの梯子を上がると、ビル街の裏路地に出た。
「……ふう、暑かった……」
地上に出たエイミは、ビル風を浴びながら大きく伸びをする。
……確かに、地下道は少し蒸し暑かった。
暑がりな彼女には堪えたはずだ。
「確かに、あそこから出た後では、このビル風が心地いいな……」
私も軽く腕を広げて、ビル風に身を当てる。
纏った熱気を風が吹き飛ばし、爽やかな気分だけが残った。
「ん……ふぅ。……じゃ、行こっか」
「ああ……」
エイミの先導についていき、到着した裏路地の更に奥、
物置に偽装された小さな裏口を抜けると……そこはビルの中。
その先のエレベーターホールに立ち止まり、エレベーターの到着を待つ。
「まさか……ビルに部室を移していたとはな」
感嘆交じりにそう呟くと、エイミは"ふふん"、と鼻を鳴らした。
「うん、今はこのビル全部が部室だよ。一応秘密にしてるから……言わないでね」
「わかっているが……このビル全てとは、大きくなったものだな」
1階の内装を見る限り、かなり立派なビルだ。
以前の隠れ家的な部室に比べると、段違いに環境が整っている。
私にとって古巣とも呼べる特異現象捜査部の発展は喜ばしいが……この部活が大きくなるということは、その必要性が高まったということでもある。
私がトリニティに戻った後、ミレニアムで何かが起きたか、あるいは……。
「ルイさんが帰った後、色々大掛かりな設備が必要になっちゃったからね……」
「リオ会長と色々話して、今後の拡大も見越したんだって」
どうやら、その予想は間違っていなさそうだ。
「……忙しくしているだろうに、私の訪問を受け入れてくれてありがとう」
「全然いいよ。……部長が無駄に勿体ぶるから、誰が来るのかと思ったけどね」
「……この状況だ、私の名を伏せる気持ちもわかるがな」
とはいえ、エイミの口調を考えるとヒマリはからかい半分で私の名を隠したようだ。
相変わらず、中々にいい性格をしている。
雑談をしている間に、到着したエレベーターへと乗り込む。
エイミがパネルを操作すると、エレベーターはすぐに上昇を始めた。
「……ところで、ここにはヒマリと君と……他に誰か居るのか?」
"人が見当たらないが"、と付け加えると、エイミはふるふると首を振った。
「基本は私と部長だけだよ。たまに"トキ"っていうC&Cの子が来るけどね」
「ふむ……そうなるとほとんど二人でここに居るのか。部室としては持て余すんじゃないか?」
「うーん、居住施設とかもあるから、部室ってよりは家の方が近いかも」
「部長はここで寝泊まりしてるし、私もほとんどここに居るから」
「……ルイさんもここに泊まるの?」
「いや、私は────」
会話のうちに、"チン"と小気味いい音を立て、扉が開いた。
真っ先に目に入ったのは、十数基並んだサーバーに、壁一面のモニター。
そして部屋の中心には、特徴的な形をした車椅子に乗った儚げな少女が一人。
「早かったで────おや、随分……変わりましたね」
「髪の色に……頭に何か刺さってますが……大丈夫なんですか?」
ゆっくりと振り向いたヒマリは少し驚いたように目を細め、心配そうに尋ねた。
「色々あってな……まあ、変装の一種だと思って気にしないでくれ」
「何にせよ、久しぶりだな、ヒマリ。応じてくれてありがとう、感謝する」
軽く礼をすると、ヒマリはにこりと微笑んだ。
「ええ……久しぶりですね、ルイさ……いえ、"魔王"さん?」
「ふふ……貴方から連絡が来たときは驚きましたが……とりあえず、話を聞く価値はあると思いまして」
ヒマリは車椅子を動かして、ゆっくりと私の目の前に来た。
「待ち望んだ再開がこんな形になってしまったことは、心から残念に思いますが……」
「私を頼ってくれたのに免じて、許してさしあげましょう」
ヒマリはそう不満げに伝え、ソファに座るよう促す。
「それは……すまない、こちらも切羽詰まっていてな。……早速、話を始めていいか?」
促されるままに座り、話を始めようとした私を、片手を上げてヒマリは制した。
「少し、待ってください」
「なんだ?」
「ひとつ、約束してほしいのです……」
「……内容によるな」
「嘘や誤魔化しはやめてください、お互いのためになりませんから」
いつも通りの微笑みを浮かべながらも、彼女の眼差しは鋭く私に向けられている。
……ヒマリの目的は理解した、私の提示する情報の真偽と……私の目的が知りたいのだろう。
「それなら、私からもひとつ」
「……何でしょう」
「ここで私がした話は外部に一切漏らさないと、約束して欲しい」
「ええ、もちろんです」
私の出した条件に、ヒマリは頷いた。
「……では、話を始めよう、いいか?」
「ええ」
「……まずは私の要求を」
ソファに浅く座り、腕を組んで彼女と目線を合わせる。
この場では私が下だ。
彼女の助けを得られなければ……私の計画は立ち行かない。
真摯に、合理に、お互いの互恵を示し、話し合う必要がある。
「ミレニアムでのしばらくの在留と……その間、匿ってほしい」
「あら、そんなことでしたら構いませんよ。好きなだけ居てくださって構いません」
あっけらかんとそう言ったヒマリは、にこりと微笑みを向ける。
────言外に、"真の要求を言え"と伝えるように。
「……次が本題だ、私の義手を作って欲しい……最悪、設備の貸与だけでも構わない」
「在留期間は、義手が完成するまで。その間、私は一切の問題を起こさないと約束しよう」
「ま、待ってください……義手、ですか?」
私の言葉に、ヒマリは怪訝そうに聞き返した。
「……ああ、今は偽装しているが……」
首から掛けていたギプスの留め具を外すと、ぶらりとギプスが垂れ、中に入っていた棒がからりと音を立てて床に落ちる。
「……っ!」
エイミとヒマリが息を呑んだ。
……空気が冷たく変わったのがわかる。
「驚かせてすまない。これだと、何をするにも不便でな」
「っ────そうなった事情を……詳しく話してください」
一度深呼吸を挟み、ヒマリはゆっくりと言った。
その瞳は泳ぎ、強い動揺が浮かんでいる。
「私が今どういう理由で指名手配を受けているかは知っているだろう?」
「……戦闘中、度を越える傷を負った。その結果だ」
「……それでも、大抵の傷なら治療を受ければ回復するはずです」
「いいや、状態はお前が思うより遥かに悪かった」
「確かに、即座に治療を受ければ何とかなったかもしれないが……」
「知っての通り、私は追われる身だ。撤退中に壊死が始まったゆえ、切断した」
「そう、ですか────はぁ……」
ヒマリは目を固く瞑り、眉間を抑え……思考する。
「……いえ、話を続けましょうか」
"ふぅ"、と息を吐き出して、ヒマリは続ける。
「つい、頭を抱えてしまいましたが……私は"詳しく話してください"と……」
「そして、最初に"誤魔化さないでください"と言ったはずですよ?」
ヒマリは睨むように私を見つめた。
「今のは必要な話だと思ったんだ、誤魔化す意図はなかった」
「私の目的が知りたいのなら、教えよう」
「────これは、私から君たち二人に対する最大の信頼だと思ってほしい、私の目的を知るのは、私と一人の友人だけだ」
「ええ。秘密は守ると約束しましょう、続けてください」
そう言ったヒマリと頷きを交わし……話し始める。
「わかりやすく説明するのなら……」
「私の目的はゲヘナ、トリニティ間の確執を解消することだ。……最悪、多少の緩和でもいい」
「そのためには、共通の敵が必要だと判断した……それが私というわけだ」
それを聞いたヒマリは、一度目を丸くして、深くため息を吐く。
「はぁ────困りましたね……」
「少し合わない間に、自分を神か何かだと勘違いしてしまったのでしょうか……?」
「それとも、夢と現実の区別が付いていないのでしょうか……」
「……そんな無謀な試みのせいで、貴方は腕を失くしたと?……ふざけないでください」
ヒマリは怒りを滲ませた表情で、ぎろりと私を睨んだ。
「……なんとでも言ってくれて構わない。しかしこれは必要なことだ」
「……一応、最後まで聞きましょうか……」
「より詳細に、私が納得できるように話してください」
真摯に言葉を伝えると、ヒマリは今日何度目かもわからない、大きなため息を吐いた。
その言葉からは、確かな呆れと失望が感じ取れる。
「……ヒマリ、君の言葉を借りるなら確かにこれは夢物語と言えるだろうが……」
「しかし現実に、エデン条約調印式の際にミサイルによる攻撃が起きた時。現場にいた正義実現委員会と風紀委員会が協力し対処に当たって────」
「それは緊急事態で、"不明な勢力の排除"……そして"先生の保護"という急務かつ"共通の目標"があったからです」
「貴方に言わせれば、自分がその"共通の目標"とでも言いたいようですが……貴方がそうなるのは、不可能と言わざるをえないでしょう」
私の説明を遮り、ヒマリは反論する。
「……私の目的を知るもう一人にも、同じことを言われた」
「だが無理を通す他に、両校を連帯させる方法があるのか?……無いはずだ」
「私はずっと考えてきた。その結論として、真っ当な手段ではゲヘナとトリニティが"ゲヘナとトリニティ"である間は不可能。これが結論だ」
ヒマリは固く瞑目し、少しの思案の後……口を開いた。
「……私も一度、似たようなことを考えたことがあります」
「その際はシャーレの……いえ、"先生"の旗下ならば、キヴォトス全体が連帯することも不可能ではないと私は想定しました」
「……それは、考えなかったんですか?」
ヒマリの問いに、私は首を振る。
「"先生"……あれは駄目だ」
「確かに、君が言った通り当初はシャーレの力を利用することも考えたが……結論として、頼るわけにはいかない」
そう告げて、理由を続ける。
「……例えるのならば、連邦生徒会だ」
「連中は"連邦生徒会長"という偉大な頭一つ失っただけで実質的に崩壊し、現状の腑抜けた日和見主義者の集まりになってしまった」
「それと全く同じことが、いいや……より酷い事態が、先生を頼り続けた果てには起こるだろう」
そう伝えると、ヒマリは露骨に眉を顰めた。
「……何故、と聞きましょうか」
「少し話は逸れるが……これは例え話で、想定の話だ」
「私が先生の"排除"に動いたとしよう、状況を選べば正面から行っても成功率は90%、奇襲ならば確実に成功すると言っていい」
一応は"シャーレ"所属である二人の逆鱗に触れないよう、重ねて"想定の話だ"と付け加える。
「────"だから頼れない"と?」
「そうだ。私でなくとも彼を本気で、手段を選ばずに排除しようと思えば……このキヴォトスに居るほぼ全ての生徒が成功するだろうな」
「そんなものに頼って、失った時はどうする?」
「現状ですら、私たちは"先生"を頼りすぎている……これ以上は頼るべきではない」
「例え生徒に非ずとも、"ゲマトリア"なる組織やカイザーグループ。先生に対して敵意を持つ者は少なくない。彼を護ることは前提としても……彼を失うこともまた、想定しなければならない。そうだろう?」
私がそう問いかけると、ヒマリは苦しげに頷いた。
「確かに、それは一理ありますが……はあ、貴方の理屈はわかりました」
ヒマリは車椅子にもたれかかり、"ふぅ"と軽く息を吐いた。
……必要な説明は果たしただろう、話を進めよう。
「────では、対価として私から提示するのは……アビドス近郊で確認されている"ビナー"の行動パターンのデータ。加えて、実際に遭遇した際の記録から推察された装甲厚に、レーザーの出力推測……更に潜航中の推定最高速度のデータだ」
「……そして、"ビナー"から剥がれ落ちた装甲の一部……その実物もある」
そう言って、小包を机の上に置く。
……これは極めて有用な情報だ。
ヒマリの考えがどうあれ、これを交渉に持ち出されれば、彼女は呑まざるを得ない。
友人である彼女に損得勘定で接するのは気が引けるが……こちらも切羽詰まっている。
「……部長」
黙って私とヒマリの話を聞いていたエイミは、ヒマリに小さく声を掛けた。
「……わかっていますよ、少し待ってください」
「……うん」
その意図は私には理解できなかったが、二人は口にせずとも通じ合っているように見える。
「失礼しました。確かにこの情報は、対価として十二分と言えるでしょう……」
ヒマリは神妙な表情でそう言って、ゆっくりと続けた。
「……しかし、もう一つ聞かせて欲しいのです……」
「ああ、良いだろう」
「なぜ、貴方がそのような代償を支払ってまで両校の和解を達成する必要があると考えているんですか?」
「……お前と同じだ、いずれ来たる脅威に対抗するため、両校の確執は解消しておくべきだと考えている」
「……脅威、ですか……私達が追っている異常な機械群とはまた別の物なのですか?」
「そうだ……トリニティの聖典には"黙示録"という項目がある」
「要約すれば"世界の終末の予言"だ、私はそれを恐れている。」
「……はあ。」
気の抜けたような相槌を打ったヒマリを遮るように、私は続ける。
「まあ、言いたいことはわかるさ。それでも、私はそれを警戒し対策するべきだと判断した」
「……更に砕いて言うのなら、そもそも相手が黙示録であれなんであれ……」
「何が起こってもいいように、"できることをやろう"という話だ」
「お前の追う"異常機械群"にしろ、私の言う"黙示録"にせよ、な」
「三大校とまで呼ばれる内の二つが連帯できずに内部抗争が起こり、敗北した────そんなことがあってはならない、そうだろう?」
私の問いかけにヒマリは答えず、沈黙を保っている。
「先ほども言ったが……主戦派を抑えて融和派の立場を強めるのには、共通の強大な敵を用意し、"お互いが協力し、敵を撃破した"という実績、結果を作り出すのが最も迅速かつ効果的……という判断だ」
「……異論や対案があるのなら……是非、私に知恵を貸して欲しい」
そう尋ねると、ヒマリは重い口を開いた。
「……確かに、手段の一つとして合理的ではあります」
「しかし、それは貴方のような外圧ではなく、政治で何とかするべき分野では……?」
ヒマリの問いに、私は小さく首を振った。
「いや……君はトリニティを、ゲヘナの内情を知らないだけだ」
「そもそも、政治でどうにかできる問題なら今頃"エデン条約"は締結されている」
「……お互い、敵対心を抑えきれない連中を抱えているんだ」
「始末の悪いことに、その多くは中枢にいる。政治だけでは、解決に時間がかかりすぎる」
そう断言し、捕捉するように続ける。
「つまり……例え表面的な和解が成功しようとも、抱え続けた敵対心までは消えない」
「いずれ噴出し、また敵対関係に逆戻り……そうなるのは容易に想像できる」
「そうならないために……上から下まで、全てを "魔王を討つ" という目標で一度纏め上げ、共に戦った戦友とするのが一番効果的だ」
話を聞き終わったヒマリは10秒ほどたっぷり思案して、呟くように言った。
「……話はわかりました、最後に一つだけ、簡単な質問をさせてください」
「……これで最後にしてくれ」
「ええ……ルイさん。貴方の計画を聞く限り、貴方は最後に"討たれる"おつもりのようですが────まさか、命まで投げ捨てる気ですか?」
「……そうする以外に道がないのなら、その覚悟を持っているつもりだ」
そう言うと、ヒマリは深く息を吸い込み、数秒……目を瞑った。
「……わかりました、エイミ」
ヒマリがそう言って片手を上げる。
"ガシャ"とフォアエンドを操作する音と同時に、後ろで立っていたエイミが私にショットガンを突き付けた。
「……動かないで」
「……交渉は決裂か?……君に、この話を断る理由はないと思っていたが」
両手を上げ、無抵抗であることを示す。
「ええ、協力するつもりでしたよ」
「……ですがひとつ、良いことを教えてさしあげましょう……」
「…………」
「私はとても善良で、優しい……ミレニアムの誇る天才病弱美少女ハッカーです……」
「……知っている、その名乗りを聞くのも久しいな」
「ですから、お断りいたします……」
「正直にお伝えしましょう、私は今、感情を抑えるので精一杯です。単刀直入に申し上げるのなら、怒っています」
ヒマリは見たこともないような表情で、私を睨みつける。
「……気分を害したのなら悪かった。しかし、私を拘束する理由はないと思うが?」
「私に交戦の意思はない。開放してくれるのなら大人しく出ていき、ミレニアムには二度と迷惑をかけないと誓おう」
「それと、私の持ってきた情報も渡そう。これは元より君達に使ってもらうためのものだからな」
命乞いにも似た交渉を仕掛けるも、ヒマリは溜め息ひとつでそれを一蹴した。
「わかりませんか?そういう話をしているのではありません」
「一度頭を冷やして下さい……ということです」
「その機会を提供してあげようというのですから……感謝してくださいね?」
嫌味ったらしい笑みを私に向け、ヒマリは言った。
「うん、良い判断だと思うよ、部長────ルイさん、膝をついて」
私の後頭部にショットガンを突き付けながら、エイミは私に指示する。
「………………」
指示通り、大人しく両膝を着く。
(……まずいことになった。……ここからどうにかできるか?)
「ルイさん、失礼しますね……」
抵抗できない私の体を漁り、ヒマリは次々と私の武器を奪っていく。
「……ヒマリ、考え直してくれ。私の考えは理解できるはずだ」
「おや……理解したから今こうしているのがわからないのですか?」
「……なにが望みだ、私に用意できるものなら────」
膝をついて下を向いているせいで、目の前で車椅子に座っているヒマリの顔は見えなかったが……その瞬間、空気が凍った気がした。
「────これ以上聞きたくありません。エイミ」
「なっ────!?」
"ガンッ!!"
後頭部に強い衝撃を受けて、私はの意識は途絶えた。
side:ヒマリ
「……どうするの?部長」
「少し待ってください、今、考えています……」
乱れた感情を抑えるように目を覆い、何度も深呼吸をする。
エイミは床に倒れているルイを抱え、ソファに寝かせた。
「……私は、トリニティに引き渡した方がいいと思うけど」
エイミはそう言いながらルイの右手首を拘束し、動かせないように留める。
「……今のトリニティの内情がわかりません」
「安易に引き渡してどのような結果になるか予想できない以上、いったん様子を見ようと思います」
「……そっか、じゃあ縛って寝かせとこう」
「ええ、彼女には一旦冷静になって頂かなくてはなりません」
「……その上で、もう一度話しましょう」
「……そうだね」
特異現象捜査部の部室には、重苦しい空気が漂っていた。