【完結】聖魔法少女マルタの一日   作:ほいれんで・くー

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プロローグ/第一章「あの、マルタさん。すみませんが」

プロローグ

 

 何かが私の中で動いている。何かが私の中から生まれようとしている。私の中身は風船のように空っぽなのに、何かが生まれようとしているその予感だけが満ち満ちている。

 

 船乗りたちが良い潮と風を待つように、書く者たちはこの予感を常に待ち続けている。いざそれがやってきたならば……あとはひたすらに書くだけだ。それは聖なる没入、浄福なる忘我である。書いている間は苦しみを忘れられる。苦しみだけではない。悩みも、怒りも、煩悶も、悲しみも絶望も……生きることさえも。

 

 だから私はこれまで書き続けてきた。私はもう長い間ずっと病気だった。今も病気は癒えていない。私が作品を書いてきたのは、心の平安のため、私の精神を蝕む病を癒すためだった。それは純粋に私自身に向けた執筆、私だけの物語だった。話の内容や出来などどうでも良かった。書くこと、語ることだけで私は救われてきた。

 

 だが、最近の私はずっと不安だった。堪えようもなく不安だった。書くごとに私は不安が募っていた。それは未知にして不可解な現象だった。不安を忘れるために書いているのに、今や私はいつも不安で、書き終えた後にはさらに不安が増している。私の病気はまた重くなった。

 

 これではいけない。私は考えた。考えている最中にも不安が募った。私は薬を飲み、神に祈った。どちらも私をそれなりに助けてくれたが、不安は消えなかった。

 

 これからは思いきったことをやらねばならない。やがて、私はそう結論した。それこそ、これまでどの書く者たちだってあえてやってこなかったような、そういう大胆で愚かな試みをしなければならない。それで不安が消えるのかは分からないが、今の私はそういうことをしなければ永遠に不安は消えないのではないかという新たな不安に駆られている。

 

 私はメモを広げた。そこにいくつかの単語を書き加えていった。「メタ・フィクション」「作中内存在」「猫としての作者」「主人公マルタ」「聖魔法少女」「大魔王」「不安」……「私自身が作中内存在として作中内に加わること」 そこまで書いて私はメモを閉じた。

 

 書けるだろうか? 不安は消えない。だが、書かねばならない。さもなければ、私は不安で死んでしまうだろう。書きさえすれば、きっと不安は消える。春の夢のように。

 

 本当に? ただ、変わったものを書きさえすれば、本当に不安が消える?

 

 もしこれでも上手くいかなかったら? それなら私は、やはり死ぬしかないだろう。

 


第一章「あの、マルタさん。すみませんが」

 

 横たわっている。そして待っている。

 

 物語はすでに始まっている。だが、まだ何も始まっていない。

 

 私は不安だ。たまらなく不安だ。この不安が何に由来するのか、私は知らない。しかし、不安ではあるけれども、事実として物語は始まってしまっているのだから私は書かねばならない。

 

 書かねばならないが、待たねばならない。

 

 いや、待つ必要などない。まったくない。なぜなら、私が「そこにいる」と書きさえすれば、それはそこにいることになるからだ。私にはそういう力がある。力があるからこそ今こうして、こうやって、なんとかして文章を書いているのである。

 

 だが、私は待たざるを得ない。なぜか? それというのも私がこれからここに書こうとしているものは小説であり、小説というのはつまるところ物語であって、そして物語というものはアリストテレスが『詩学』で言っているように「始まりがあって、真ん中があって、終わりがある」ものだからである。

 

 そして物語というものは必ず「主人公」が登場するシーンで始まるものと相場が決まっている。だから私は主人公の登場を待たねばならない。

 

 しかし、と私はこれから書かねばならない主人公について考えながら、またこう考えざるを得ない。アリストテレスの『詩学』などと偉そうなことを言うのではなかったな、と。なぜなら私はそれをロクに読んでいないからである。ロクに読んでいないものに寄りかかって何かを語るのは危険である。だが、私にはもはやどうすることもできない。それというのも、すでにこうして書いてしまったからだし、それに私はこれからもロクに読んでもいないものを利用して色々なことを語っていくであろうから。

 

 そうだ。ここでひとつだけルールを書いておこう。いやひとつだけというのはおかしな話だ。というのは、たぶんルールはどんどん増えるだろうから。今後、きっと私の手に負えないくらいルールは増え、自己増殖的に増え続け、最終的にはここにこうして書いた最初のルールさえ私は忘れるかもしれない。それでも、思いついてしまったものだから書かざるを得ない。

 

 そのルールとは、「書いたことは取り消さない」ということだ。私はいっさい取り消さない。どんなに展開に詰まったとしてもだ。ちなみに、言うまでもないが、このルールとは私が私に対して課すルールであって、他のルールもまた同様である。

 

 ここまででだいたい一五〇〇字以上書いてしまった。原稿用紙四枚分は書いている。そろそろ主人公を登場させないと話がおかしなことになってくる。だから登場してもらおう。計算が合わなくなるのは困る。こう言うと意外な顔をする人も多いのだが、物語を書くというのは常に計算が必要なのだ。計算! なんと嫌な響きだろう。私が今こうして享受している文明生活はほとんど計算によって成り立っていて、こうして文章を書いているのだってその計算の恩恵に拠るところが大であるのに、私は計算が嫌いである。大嫌いだ!

 

 計算が嫌いだからこそ物語の世界へと逃げ込んだのではなかったのか? それなのに私はその世界が紛れもなく計算によって成立しているということに気づいてしまった。地獄からまた地獄へ、などと言うつもりはない。現実世界を地獄だと言う人はこの世に数多くいるし、私としてもそう言いたくなる気持ちは分からないでもないが(少なくともこの世が天国だと公言して憚らない人間よりは好感が持てる)、私自身はけっこう恵まれていて楽しく暮らしているので、とてもではないが地獄などと言いたくはない。

 

 気づいているかもしれないが、まだ私がこうして喋り続けているのはひとつには物語的な効果を狙っているからである。そろそろこれを読んでいる人たちは焦れているはずだ。早く主人公を出せ。しかし焦れれば焦れるほど先が気になるというのは人の本性であるし、作者としてはその本性を利用しない手はない。だが、本性を利用するというのはサディストの常套手段ではないか? そして私は決してサディストではない。他人を痛めつけるのは私の本意ではない。だから登場してもらおう。

 

 マルタが「それ」を見つけたのは、登校の途中だった。ちょうど彼女がポーランドから来日して二ヶ月と二週間と二日が経過した日の朝のことだった。

 

 それは横たわっていた。それは黒い路面にだらしなく大の字になっていて、仰向けで、もし車が走って来たら悲劇的事態は避けられないのが目に見えているかのような横たわり具合だった。たぶん人なのだが、なんだかぼやっとしていて正体はよく分からない。

 

 マルタは思った。うわ、朝から変なものを見てしまった。

 

 そう、マルタはそう思ったのだ。なぜなら私は作者であるから彼女の心の中は手に取るように分かるし、そう書かないと小説として成立しないからである。

 

 成立しないとはどういうことか? 私は作者であるからそれなりに小説の基本というものを知っている。小説とは登場人物の心情を描くもので、またその心情がどのような出来事を通じて、どのように変化していくのかを描くものである。たしかに、この世には心情がいっさい描かれていない小説というものがある。いや、私はその具体例を知らないが、きっとあるだろう。あるに決まっている。およそ想定し得るものはすべて存在するというのがこの世だからである。だから神もきっと存在する。神は人間の精神によって想定し得るものだからである。

 

 また話が脱線したが、これはいつまで経ってもマルタが喋らないからこういう事態になっているのである。早くも私は計算違いを起こしてしまった。マルタは主人公として登場した。ならばさっさと喋らなければならない。映像作品であるならばいざ知らず、これは紛れもなく小説であるのだから、主人公であるマルタは何かを喋らなければならないのだ。早く喋らせろ。それならば、さて、何を喋ってもらおうか?

 

 二。何の数字だ? これは私がこの小説を書き始めてから吸った煙草の本数である。だがそんなことはどうでもよろしい。煙草を吸ったことで私は重要なことに気が付いた。マルタについて、私はまだ視覚的な情報を何も書いていない! そうであろう、登場人物がどんな見た目をしているのか、どんな服装で、どんな姿形をしているのか、どんな顔でどんな髪の毛をしているのか、それを書かなければ想像力が喚起されないではないか。

 

 マルタは若かった。少し前に十七歳になったばかりだった。凍土の上を走る炎のような金髪は腰まで優雅に伸びていて、たっぷりと微風にたなびいていた。爽やかな青い目の下にはそれと対照的なまでのドス黒い隈があった。重度のホームシックのため常に疲れきっているからである。背はすらりとして高く、頭の先から足の先までひとつの優美なシルエットを有していた。白いシャツと黒いスカートの制服はどこまでいっても画一的なデザインだったが、そんな制服であってもマルタが着ていると魅力的なもののように見えた。

 

 安心しただろうか? そう、マルタは美少女である。私としては、ホッとしているのと同時に暗澹たる気持ちにもなっている。別に、主人公が美少女でなくても良いのだ。これは小説であり、そして私は誰にも書けないような小説、というよりも誰もあえて書かないような小説を目指そうと思っているのだから、ここはあえて主人公の見た目を冴えないものにしても良かったのではないかと思ったり思わなかったりする。三。四。続きを書こう。

 

 うわ、変なものを見てしまった。マルタはそう思いつつ、どうやって先へ進んだものかと思案した。道は狭く、それを避けることはできそうにない。大の字に横たわっているそれは完全に道路を塞いでいる。跨いで渡る? いやいや、変質者だったらどうする? こうして誰かが通りかかるのを待っていて、跨いで渡ろうとするその瞬間を狙っているのだとしたら?

 

 なるほどマルタがそう考えるのも尤もなことだ。そして私は、今マルタにそう考えてもらうことによって彼女の性格の一端を表現しているのである。マルタは思慮深く、実際的な思考をすることが可能な女の子だ。そうでなければならない。なぜならこれから彼女にはたくさん物事を考えてもらい、たくさん感情を動かして、たくさん喋ってもらわなければならないからである。もし枯れ葉のようにふわっとしていて穴だらけの虫食いのような精神の持ち主だとしたら、たぶんこの小説が最後まで完遂されることはないだろう。

 

 変なものに対しては声すらかけたくない。マルタはそう思った。声をかけるというのはやはり一種の働きかけであって、そして働きかけというのはつまるところ関係性を構築するということであるから、変なものに対して声をかけるのは変なものと関係を結ぶということである。そんなことを望む人間はどこにもいない。マルタはそう考えた。

 いいぞ、と私は思う。けっこうマルタが自然に動き始めている。自分の生み出したキャラクターが生き始めて、自然に動く。それこそが小説を書くことの楽しみだと言う人も多い。私もそれに同意する。

 

 しかし、私もけっこう焦っている。いつまで経っても話が進まない。このままでは本当にそれが車やら何やらに轢かれるという展開を用意しなければならなくなるかもしれないが、私としてもそれは避けたい。

 

 なぜなら、そこに横たわっているそれ、マルタの行く道を塞いでいるそれは、紛れもなくこの私であるのだから!

 

 五。これまでのわずか四〇〇〇字あまりの文章で私は数々の計算違いをしでかしているが、ここで作者である私が横たわっているのは紛れもなく私の計算によるものである。作者が物語の世界の中にいる。なかなか良いアイデアではないか? 六。

 

 いや、良いアイデアではないような気がしてきた。不安だ。考えてみればこんな発想のもとに生み出された小説はこの世にごまんとあるではないか。いや、その具体例を私は挙げることができないのだが、やはりそういった小説はいくらでもあるだろう。良いアイデアだと? 陳腐そのものだ! それでも私は先へと書き進んでいかねばならない。ルールその一だ。「書いたことは取り消さない」

 

 それでもマルタは声を発しない。彼女は今、懸命に考えている。迂回しようか? 迂回したらどれだけ余計な時間がかかるだろうか? いつもの電車には間に合うだろうか? この時間帯の武蔵境の駅は混んでいる。そう、彼女の住まいは武蔵境駅北口から徒歩五分の住宅街の中、小さなマンションの一室である。ポーランドからの留学生が一人で住むにはややセキュリティが心もとないが、彼女は賢明な性格をしているので取り得る自衛手段はすべて講じている。

 

 ともあれ、マルタは考えた。そして決めた。ここは無視をして迂回をしよう。時間的にはまだ余裕がある。

 

 いや、それでは困るのだ。ここで私が横たわっているのはひとえに、主人公であるマルタから声をかけられることによって、私がいわば物語の作中内存在として再登場するためである。私はすでにこうして姿を、というより私の文章を晒しているが、厳密な意味ではまだ物語世界に存在を確定させていないのだ。登場人物は、他の登場人物と関係を結ぶことによって初めてその物語世界に存在を確定させるようになる。

 

 つまり、マルタが声をかけるという出来事が起こらなければ、私がわざわざこうして自分を物語世界内に横たわらせたことも無意味になる。これまでに書いたことがすべて無駄になるということだ!

 

 だから私は自分からマルタに声をかけることにした。台詞を考える時間はたっぷりあるが、結局は月並みなところに落ち着いた。

 

「あの、マルタさん。すみませんが、私に声をかけていただけませんか?」

 

 私の声を聞くとマルタはくるりと体の向きを変えて、無言でその場から走り去った。

 

 それはそうだ。マルタは私のことを変質者か何かだと思っている。まさか作者が作中内存在として目の前にいるなどとは思うまい。ただでさえ彼女は孤独な留学生であり、重度のホームシックで、常に警戒しているのだから、そうするのは当然なことだ。

 

 当然なこと、だと? 自分で書いていて違和感を覚えた。このことについてちょっと考えてみよう。六、いや七。そろそろ忘れてしまった人もいるかもしれないからこの数字について再度説明をしておくと、これは私がこれまでに吸った煙草の本数である。さて、私は作者である。誰がなんと言おうとも私は作者であって、作者であるからにはこの物語世界を自由に操作することができるはずではないか? となれば、私にとっては当然なことも不当なことも存在しないはずである。なぜなら私はこの世界において全能だからである。

 

 例えば、天候だ。私はこれまでこの場面の天候について書いてこなかった。必要のない情報とまでは言えないが、優先順位の低い情報だったからだ。しかし「美しい女の子であるマルタの登校風景」という文章からは、なんとなくではあるが、天候は晴れで、雲は少なく、陽光は薄くも力があり、微風が吹いていて(そういえばそういうことをさっき書いた)、まことに良い感じの朝であると感じられるのではないか?

 

 よし、それならばここで急に雨を降らせてみよう。ほら、雨が降った。突然空に暗雲が垂れこめ、怪しい風が吹き、大気は湿り気を帯びて、数秒も経たずに雨が降り始めた。どうせなら土砂降りの雨にしよう。ほら、まるでゲリラ豪雨ではないか。白い巨大な雨粒の丸みをはっきりと肉眼で捉えることができる。すでに私から数メートル分の距離を取りつつあったマルタもなにやら戸惑っている。よし、よし。大丈夫だ、私はしっかりと作中世界に対して絶対的な影響力を及ぼすことができている。

 

 そうであるならば、私はマルタの行動を制御することもできるのではないか? 場面を自由に設定することができ、天候を変え、出来事すらも自在に生み出すことができるのならば、当然作者である私はマルタの行動や思考、感情をコントロールすることができるはずだ。自分で立てた問いだが、これはけっこう重要な問いではないかと思う。作者は登場人物を完全にコントロールすることが可能なのか? しかしその前にマルタの様子について書きたい。

 

 マルタは今、雨に降られつつも私から遠ざかろうとしている。当然だ。雨よりも変質者の方が怖いし、それに私はポーランドの人々というのは激しい雨であっても滅多に傘を差さないと聞いたことがある。マルタは多少の雨ならば平気なのだ。

 

 マルタはさらに私から遠ざかった。いや、遠ざかっていないように書くこともできるのだが、私の感性としては「これだけのことを考え、これだけの文章を書いている間に、マルタはどんどん距離を取っているだろう」と思えてしまうのだ。だからマルタはどこまでも遠ざかっていく。作者としては遠ざかってもらいたくないのだが、それでもマルタはどんどんその姿を小さくしていく。何度目の計算違いだろうか、しかしやはりこれも計算違いの一つだ。

 

 ここでひとつ、嫌なことに気がついてしまった。正確には気が付きつつあると言うべきだろうか。私はこれまで、作者というものはその作中世界において絶対的な力を振るうことができると思っていた。「作者は登場人物を完全にコントロールすることが可能なのか?」 たぶんそうだと思っていた。

 

 しかしこれまでの文章を読み直してみると、私はやはり何かしらの影響下にある。必然性とか、合理性とか、論理性とか、あるいはそういうものを感じる感性とか思考とか、そういったものが私の文章の書き方に深い影響を与えていて、私は自由に文章を書いているつもりであっても、決して自由に書いていない。そうではないか?

 

 もし私が自由に書いているのならば……たぶんマルタはすぐに私に声をかけただろう。私にとってはそれが一番書きやすい展開だし、文の量も少なくて済む。マルタを思うままに操れればそれで良い。なんといってもマルタは私の生み出した存在である。私が生み出したのだから私が好きなように動かすことが可能なはずだ。それなのに私は自縄自縛のような状態に陥っていて、マルタにはマルタらしく動いて欲しいと思っている……つまり、私はまったく自由ではない。実際のところは自由なのかもしれないが、少なくとも自由を感じていない。

 

 ダメだ! ここで「自由に」という言葉を安易に用いるべきではなかった。どういう状態が自由で、どういう状態が自由ではないのか、そもそも人間は自由な存在なのか、それともすべては運命論的に決定されているのか、そういうことを考える知的能力は私にはないし、それにおそらくだが、そもそもそういう問いの立て方自体が間違っている可能性がある。だから、私はここで「自由」ということを考えてはならない。世の賢明なる哲学者たちよ、後は頼んだ。私は哲学者たちを信頼している。

 

 そうだ。もうひとつルールを決めておこう。「自由ということについて考えない」 これに付随して、もうひとつルールを決めよう。「あえて自由を意識して書こうとしない」 つまり、私はこれからその時その時に書けるだけのことを書くだけであり、それが「自由に」書かれたものであるのか、あるいは「何かに影響されながら書いたものであるのか」と考えることはしないということだ。よし、これでようやく心が楽になった。八。

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 なんと、そこにマルタがいた。自分で書いておきながらこれは意外だった。私の手は自然と、私に声をかけてくるマルタとその場面を書いていた。なぜだろう? しかし今更こうして問いを立てるまでもない。マルタはそういう子であるからだ。なるほど彼女は私のことを変質者であると思っている。しかし、彼女はもしかしたら私が変質者ではないかもしれないとも思っているのだ。この「もしかしたら」というのが重要だ。「もしかしたら」はこれまで数多くの人間の命を奪ってきた危険な考え方だが、それ以上にはるかに多くの人々を救ってきた。

 

 もしかしたら、あの人は変質者ではないのかもしれない。体の具合が悪くて路面に倒れていて、今は雨に打たれているのかもしれない。彼女はそう考えた。

 

 自分で設定しておきながら、私はマルタがそういう性格をしていることに気づいていなかった。彼女は、たとえそれが変質者だと見做していたとしても、「もしかしたら」と思って声をかけるような優しい子なのだ。

 

 それにしても、なんというか、あっさりと私はこの作中世界に再登場を果たしてしまった。もっと劇的な感じに、もっとダイナミズムに富んだ感じに私を書くべきだったのではないか? だがこうなっては仕方がない。

 

 私はマルタを見た。作者である私が見るということは、つまりマルタについて書くということである。

 

 マルタは突然の雨でけっこうしっかりと濡れていた。金色の髪が顔に張り付いていて、寒さで唇は紫色になっている。目の下の隈と合わせて、なんとも可哀想な様子だった。制服のシャツも濡れていて、薄手の白い生地は肌にぴったりとくっついていた。ここで私はまた迷う。凡百な作者はここで下着が透けて見えるのか、それとも見えないのかについて書こうとするだろう。私は凡百な作者かもしれないが(そうでないことを祈っている)、あえてそのことについては書かない。趣味ではないからだ。だが、「見えない」とまでは私は書かない。

 

 そうだ。またひとつルールを決めておこう。通算で四つ目のルールになるだろうか? 私は「人間の想像力を信頼する」 そうだ。私が小説を書くことができるのは想像力を働かせているからであり、また、私が私以外の人間の書いた小説を読むことができるのは私に想像力があるからである。そして私が他の人間と何ら変わりがないただの人間である以上、他の人々もまた私と同じように想像力があるはずである。想像力こそが小説を成り立たせている根本的な力ではないか?

 

 いや、結論を急ぎ過ぎた。とにかく、マルタの下着の描写からこうして色々と考えることができた。ありがとう、マルタ。濡れてくれて。そしてこれ以上濡れるのは可哀想だから雨は止ませることにしよう。はい、止んだ。マルタは変な顔をした。

 

 しかし、例によって私は考えすぎてしまった。作中でどれだけの時間が経過したのかちょっと分からないが、私の感性としては、マルタが声をかけたことを後悔してまたその場から離れることを決心するのに充分なほどの時間が経っていると思われる。ほら、マルタは「やっぱり」というような顔をしてここから去ろうとしているではないか。だから私は声をかけなければならない。

 

「ありがとう、マルタ。私なら大丈夫です」

 

 マルタは軽く頷きつつも怪訝な顔をした。彼女が頷いたのはどうやら本当に私が大丈夫そうだと分かったから、それが軽い頷きなのは私がまだ変質者である可能性が残っているから、そして怪訝な顔をしたのは「なぜ私の名前をこいつは知っているんだろう?」と感じているからである。九。なぜ煙草を吸ったのか? 展開に詰まったからである。いや、詰まったというのはちょっと違うかもしれない。私はちゃんとこの先の展開について考えている。だが、なかなか言葉が出てこないのだ。マルタはこの後、何と言って、どういう態度を示すのか?

 

「それなら良かったわ。それなら、これで」

 

 うん、こうだろう。マルタとしてはこのように言うほかないだろう。そしてマルタは私から再度離れる。これでは元の木阿弥ではないか。

 

 しかし、これは知っておいて欲しいのだが、小説における会話文というものは次に起こる出来事や場面展開の前段階、言うなれば跳び箱の踏み台のようなものなのだ。よく「会話文がだらだらと続くだけの中身のない小説」という評価をする人がいるが(私もそういう小説がこの世に存在することを認めざるを得ない)、だからといってその小説の作者までもが中身のない人間だと思ってもらいたくはない。その作者はその作者なりに、知能と精神力を振り絞って、一生懸命出来事と場面展開について考えているのだ。ただ、上手く踏み台を踏んで跳躍をすることができないために、いつまでも何回も会話文を繰り返さざるを得ないだけである。

 

「マルタ、ちょっと待ってください」

 

 私もまだ跳躍の前準備が必要だった。どうでも良い会話文をここにひとつ入れる。立ち去ろうとしていたマルタは、また立ち止まった。そして彼女は(相変わらず雨に濡れていて至極気の毒な雰囲気を纏ってはいたが)堂々と背筋を伸ばした。彼女はきっぱりとした口調で言った。

 

「あなたがなぜ私の名前を知っているのか、私はその理由を知りたくないし、それに大まかなところは予想ができるわ。私、このままだと学校に遅刻しちゃう。じゃあね」

 

 私はマルタが何を考えているのかすぐに分かった。分かるというのは、分かるということである。どこかで聞いたような邪悪なトートロジーだが、作者に限って言えばこれはちゃんと成立する。作者は登場人物の心情について分かっているのだ。どうして分かっていると言えるのか? 作者がそれについて文章という形で書くことができるからである。分かっていない人間は決してそれについて文章を書くことなどできないだろう。

 

 というわけで、私はマルタが何を考えているのかについて書けるわけなのだが、つまりマルタは私のことを単なる変質者ではなくストーカーの一種だと見做し始めているのであった。なんということだ。しかし見ず知らずの他人が自分の名前を知っているというのは、やはりストーカーが何やら術策を弄して名前を調べたからであるという可能性が高い。

 

 マルタの頭の回転は速い。「教えたわけでもないのに自分の名前を知っている=そいつはストーカーである」という図式をこうまで速やかに生み出すことができるとは。たぶん作者である私が同じような状況に置かれてもそう易々とはいかないだろう。私はきっとパニックになる。「あの、その、えと」 こういう言葉を発するだろう。言語学でいうところのフィラーというやつだ。マルタは決してこのようなフィラーを口にしない。あるいは、私はマルタの頭の良さを示すために、あえて彼女の台詞からフィラーを排除しているのかもしれない。

 

 「マルタ、ちょっと待ってください」

 

 踏み台を何個も重ねれば高い跳び箱だって跳べる、などと考える者がいればそいつは小学生か、または単なる大馬鹿者であろうが(これは小学生が大馬鹿者だと言っているのではない、小学生はただ未熟なだけだ)、文章を書く者の悲しい宿命として私は踏み台を何個も重ねるという愚行をここで犯さざるを得ない。滑稽なまでに惨めだ。しかしこれが却って作品の味になるという可能性だってある。それに、マルタは優しい子だ。私が何度も問いかければきっと振り返ってくれるだろう。

 

「マルタ、ちょっと待ってください」

 

 だが、マルタは何も答えなかった! 彼女はサーっと、まるで舞台の上を走るスポットライトのようにその場から音もなく離れていった。そうか! 私にはその理由が分かった。マルタは優しい子だが、その優しさには芯が通っている。芯があるというのはつまり、彼女は他人に対して優しいが、それはまず何を措いても自分を大切にする、つまり自分に優しくするという基本的な態度があるからこそなのだ。彼女は今、ここで彼女自身に優しくすることを選択した。彼女はもはや、私が声をかけたところで二度と戻ってこないだろう。私としてはここで打つ手がなくなってしまった。十!

 

 しかしながら打つ手がない、ここでどん詰まり、もはやどうしようもないという状況にこそ創作の醍醐味がある。というか、そういった状況を作者が自分自身で作り出さない限りその作品が魅力を持つことはない。どん詰まりを打開するというその展開こそ物語の面白さである。登場人物たちが力を合わせたり、あるいは知恵を出したり気力を振り絞ったりして、何とかして先へ先へと進んでいく。そうでなければならない。そうでないと、少なくとも私の手はページを捲らない。

 

 そんなことを考えている間にもマルタは視界から去りつつある。どうしようか? 実を言えば、私にとってこの状況はどん詰まりそのものではない。というのも私はまだ完全なる意味でキャラクターではなくて作者であるから、いかようにもこの状況を変えることができるのだ。だが、私は先ほども書いた。私はマルタが「マルタらしく」この世界で動いて欲しいと思っている。そうだ、ルールを追加しておこう。「キャラクターがそのキャラクターらしく動くように書く」

 

 マルタが突然ここで振り返って私のところへダッシュで戻ってくると書くことはできる。だが、そんなことを書いた瞬間、この作品はもはや書く意義を失うであろう。十一。

 

 読むうえではほんの数秒の間のことかもしれないが、直前の文を書いてから実は一時間が経過している。十二。十三。何も打開策は思い浮かばない。仮に時間が無限にあったとしてもこのままでは埒が開かないだろう。仕方がない。こうなったら奥の手を使うしかない。この手は使いたくなかったが、話を進めるためにはやむを得ない。知っておいてもらいたいのだが、作者にとって最大の使命とは「話を進めること」である。雨が降ろうが槍が降ろうが、それこそ核ミサイルが降ろうが、作者は生命が尽きるその瞬間まで話を進めなければならないのだ。

 

 私は叫んだ。もちろん、ただ叫んだのではない。私はポーランド語で叫んだ。

 

「マルタ、助けてください!」

 

 さらに大きな声で、そしてポーランド語で、私はもう一度叫んだ。

 

「マルタ、戻ってきて私を助けてください!」

 

 マルタは立ち止まった。そうだろう。そうでなければおかしい。彼女がポーランドからの留学生であると書いたのは私である。彼女がポーランド恋しさのあまり重度のホームシックになっていると書いたのも私である。日本などという異国の地で遠く離れた母国の言語が聞こえてきて、しかもそれが自分の名を呼んで助けを求めていたら? それがたとえストーカーのような変質者(いや、変質者のようなストーカーか)であっても、聞いた者は絶対に足を止める。物語はどこまでも架空のものであるが、それは一般的な人間の心理、普遍的な法則に則っているから成り立つのである。

 

 ところで、私は今、小説という創作形式のありがたさを心の底から感じている。なぜなら、私が「ポーランド語で」と書けば、それはれっきとしたポーランド語になるからだ。これが他の表現形式だったらそうはいかないだろうが、小説ならば何でもできる。初めに書いたとおりである。私が「そうだ」と書けばそのとおりになる。

 

 そう、またひとつルールを追加しておこう。「小説ならば何でもできると信じる」こと。しばしば作者自身がこのことを忘れてしまうから、これはルールというよりもどちらかといえば心得のようなものであろうが。さて、いい加減マルタについて書かねばならない。

 

 戸惑うようなそぶりを見せたマルタだったが(遠く離れているのになぜそのような有様が分かるのかといえば、私が作者だからである。作品内のことはすべて手に取るように分かるのだ。分からなければ新たに書くだけである)、やがて踵を返し、またこちらへと戻ってきてくれた。マルタは五メートルほどの距離に来た時、私に声をかけてきた。もちろん、ポーランド語で、である。

 

「唐突に祖国の言葉で呼ばれたから戻ってきてあげたけど、あなた大丈夫なの? ていうかさっきは『私なら大丈夫です』って言っていたけど」

 

 ああ、そうか。私は自分が犯した間違いについて思い至った。あの会話パートで私は「私なら大丈夫です」などと深く考えずに返答をしてしまったのだが、あれがすべての間違いだったのだ。あそこで私は「ありがとうマルタ。でも私は大丈夫ではないのです。あなたの助けを必要としています」と言うべきだったのだ。それなら話がスムーズに進んだはずである。だが今更言ったところで詮無きことだ。それに私にはルールがある。一度書いたことを取り消すことができない。

 

 だから私は遅まきながら言った。

 

「戻ってきてくれてありがとう、マルタ。実を言うと、私は大丈夫ではないのです」

 

 私はさらに話を続けようとした。だがマルタは私の機先を制するように言った。

 

「待って。久しぶりのポーランド語の会話で私もテンションがちょっと上がっているけど、もう時間がギリギリなのよ。はやく電車に乗って高校に行かないと……」

 

 マルタは真面目な性格である。時間厳守は彼女に染みついた習慣である。作者としてはいつどこでどのような過程を経てマルタにその善き習慣が身についたのかを書きたいところであるが、マルタが遅刻しそうなので先へと話を進めなければならない。さて、次の台詞は誰に言わせるべきか? 私が言うよりも、ここは彼女が言った方が良いだろう。

 

「だから、はっきりと、手短に言って。あなたはどういう助けを必要としているの?」

 

 やれやれ、ようやく話が進んだ。そしてそろそろ第一章が終わるだろう。私はやっとのことで自身の要求を伝えられることに早くも満足感を覚えながら、彼女に言った。

 

「マルタ、あなたの一日について私は書きたいのです。私を連れて行ってください」

 

 マルタはようやくフィラーを発した。

 

「はぁ? えっ? なに? 何のこと?」

 

 私はもう一度彼女に言った。

 

「私を連れて行ってください」

 

 マルタは沈黙した。私はマルタがその沈黙の裏にどういう感情を隠しているのかがよく分かった。彼女は今や私のことをストーカーからさらに別のもっとヤベー感じのカテゴリーへと分類を移しつつあった。しかし彼女はまだ混乱の中にいることも私には分かっていた。この混乱を逃す手はなかった。私はさらに畳みかけるように言った。

 

「実は、私は作者なのです。そして、私は今、非常に困っているのです。あなたの話を書かないと私は……死ぬことはないにしても、やはり死ぬかもしれません。作者にとっての死というものをあなたには想像できないかもしれませんが……いや、あなたはやはり私が生み出した存在であるから、無理やり書けばあなたに作者にとっての死というものを分かってもらえるかもしれませんが……いや、ダメだ。無理やり書くというのはそれこそ作者にとっての死ではないか? しかしここで一からあなたを説得するとなるとそれこそ膨大な字数が必要となって、いつまで経っても第一章が終わらない。そろそろ第一章を終えないといけないのです。とにかく私は作者で、今非常に困っています。不安なのです。でも、あなたの話を書けば私はきっと救われるのです。どうか私を連れて行って、あなたの一日を書かせてください」

 

 初めのうちこそマルタは静かに話を聞いていたが、最後の方になると彼女は腕を組んで、ちらちらと腕時計に視線を走らせていた。私が話を終えるとマルタは言った。そう、彼女は途中で遮るようなことをしなかった。私は長台詞を書くのが好きなのだが、その途中で誰かが台詞を遮るような展開は書かない。それにマルタは育ちが良いのだ。

 

 とにかく、マルタは言った。

 

「作者って何? あなたは作家ということ?」

 

 私は答えた。

 

「いえ、それは似ているようでまったく違います。私は作者ですが作家ではありません。作家という言葉の意味には『職業性』というものが含意されていますが、私は今のところそれを職業としているわけではないので」

 

 マルタは言った。

 

「じゃあ、何なのよ? もっとはっきりと、端的に言って。十歳の子どもでも分かるくらいはっきりと言って。時間が押しているのは私も同じなの。あと二分でここを離れないといけない」

 

 どうしたものか、やはり私は迷った。十四。ここでバシッと、決定的な手段を取らなければマルタは絶対に私を連れて行ってくれない。十五。だが悲しいかな、私は作者であり想像力を働かせることができる存在であるはずなのに、やはりそれが思い浮かばない。

 

 ふと、気づくことがあった。そもそもマルタにとって私は今、どのように見えているのだろうか? そういえばこれまでの文章で、私はそのことについてまったく書いていなかった。いや、まったくというわけではないが、力点を置いて書いたわけではなかった。はたして作中内存在となった私はどのような姿形をしているのであろうか?

 

 私はマルタの心の中を覗いた。私が覗くということはつまりそれについて書くということなのだが、マルタは私のことを何か黒くてぼんやりとしたシルエットのようなものとして見ていることが分かった。幽霊のような、亡霊のような、というより風の強い日に道路上を舞っている黒いゴミ袋のような、そういうものとしてマルタは私を見ているのだった。なるほど、それも当然だった。私が書いていないことについてマルタが知っているわけがなく、仮にマルタがそれについて知るということがあるなら、それは私が書いたその瞬間になってようやく知ることができるはずである。

 

 だが、これは突破口になり得る。要するに、私の見た目がマルタにとって無害だと感じられるものになれば良いのである。そうすれば彼女は私を連れて行くだろう。私としても、できれば人間としての見た目で作中に留まりたかったのだが、こうなったらやむを得ない。何か無害そうな小動物として私の見た目を書こう。無害な小動物を出してお茶を濁すのは私の好みではないが、もはやここに至ってはどうしようもない。

 

 私は……いや、吾輩は猫である。名前はこれから付けられる。黒猫である。まだ生まれて間もない小さな子猫で、喉の下に僅かに白い毛が混ざっている他は全身が真っ黒である。

 

 ほら、みるみるうちにマルタの表情が変わっていった。まだ半信半疑というか、自分の見ているものが信じられないというような顔をしているが、それでも前よりははるかに私を受け入れてくれそうな表情になった。

 

 マルタは言った。

 

「目がおかしくなったのかしら。直前まで目にしていたはずの謎の人物が、いきなり無害そうな小動物になったんだけど」

 

 私は言った。

 

「大丈夫、いずれ慣れます。それよりも、どうですか? 私を連れて行ってくれますか?」

 

 マルタは言った。

 

「姿形を変える上にポーランド語まで話す謎の子猫なんて、どう考えても学校へ連れて行ったら何か問題を起こしそうなんだけど」

 

 いや、それこそが私の狙いなのだ。色々と問題が起こってもらわないと困る。私はこれから大いに問題を起こすつもりだし、それを通じてマルタがどうなるのか、そしてマルタの周りにいる人たちがどうなるのかを存分に書いてやろうと思っているのだ。それが小説というものであろう。しかし私はそのような考えをおくびにも出さずにマルタに言った。

 

「あなたの害にはなりませんよ。むしろ、ものすごく楽しくて、ハッピーで、絶対に忘れられない一日になると思います。さあ、私を連れて行ってください」

 

 マルタは色々なことを考え始めたようだったが、結局は彼女の優しさと慈しみの感情が勝利を収めた。彼女は学校のカバンを開くと、乾いた空色のタオルを取り出して私を軽く拭いた。そして私を両手で包むようにして抱え上げると、カバンの中へ入れた。十六。

 

 ああ、ここまで長かった。十七。いつもはなんとも思わない煙草もけっこう美味しく感じられる。ようやく第一章が終わる。そうだ、章が終わる前に、マルタに締めくくりとなる台詞を言ってもらわねばならない。マルタは言った。

 

「あなたが作者なのか猫なのか、それとも悪霊のような何かなのかは、今は詮索している時間がないから訊かないわ。でも、とにかく悪さをしないでね。約束よ?」

 

 私は答えた。

 

「ええ、約束します」

 

 ところで、第一章を終える前にひとつルールを追加しておこう。「創作は約束を破ってこそである」 本当に申し訳ない、マルタ。

 

(つづく)




『聖魔法少女マルタの一日』、始まりました。以前書いた『都立西方浄土高校』と世界観、舞台、キャラクターを共有していますが、内容的には直接のつながりはありません。

 次章もどうぞお楽しみに!

※2025/07/25/金
プロローグを追加しました(ギリギリ1,000字に足りなかったので第一章と合わせました)。
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