【完結】聖魔法少女マルタの一日   作:ほいれんで・くー

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幕間二/第三章「大魔王ヴァヴェル様にしかられるぅ」

幕間二

 

 黒猫に名前がついてしまった。私は意図せずしてマルタに「猫ちゃん」という台詞を言わせていた。そして、私である黒猫はコテクという名前になってしまった。

 

 いわば、マルタ自身が作中内存在の私に名前を付けたのだ。もちろん、それはマルタだけがやったことではない。マルタはいわば作中内存在の私と協同して、黒猫のコテクという存在を生み出したのである。

 

 これは私でも予想していなかった。作中でも書いている通り、私にはプロットがない。以前は私もプロットを書いていた。詳細に設定を詰め、話の骨格を書き、施すべき仕掛けについて書いてあるプロット……今は書いていない。今の私はあまりにも病気で弱っていてプロットを書くだけの体力がない。床から起き上がることもできない。

 

 弱った私は、いざ何かが書けるという状態になった時はいきなり本文を書き始めないと、結局何も生み出すことができないのだ。

 

 計画もなく書いている作品の中で、主人公のマルタが作者の意図から外れた行動をし、それに伴ってまた私であるはずの黒猫コテクの行動も影響を受けて変わっていく……これからどうなっていくのか、ちゃんと最後まで書けるのか、私は不安でたまらない。

 

 作中で私は、プロットがない方が不安を掻き立てられ、不安になるから書くことが促されると書いた。しかし、それは私の本心だったのだろうか? 私は、不安にならなければ書けない精神と肉体になっているのだろうか?

 

 それはやはり、私の精神が回復不能なまでに荒廃している証ではないだろうか?

 

 不安は消えない。脳に霧がかかっているようだ。それでも、私はこれから書かねばならないことを考えた。次章以降では聖魔法少女マルタとなった彼女が敵と戦い、己の力に目覚めていく過程を描かねばならない。書くべきことは多い。敵のこと、あるいは味方のこと、マルタの能力のこと……それをプロットなしで書くことはできるのだろうか?

 

 そう、敵だ。私は魅力的な敵を書くことができるだろうか?

 

 私はポーランドの怪物たちについて調べた。ヤコブス・ヴォラギネの『黄金伝説』も引っ張り出した。その他にも、まだ何か面白そうな怪物を出せそうだった。だが、何かが足りない。決定的な意味を持つ、この作品を象徴するような敵が必要だ。

 

 ふと、私は気づいた。私の原因の分からない不安、私を殺そうとしているこの不安、これを敵とすることができれば……?

 


第三章「大魔王ヴァヴェル様にしかられるぅ」

 

 魔法少女マルタは久我山駅のプラットフォームへと電車から降り立った。戸惑うように、あたかも薄氷を踏むかのように、それでいてそれを踏み割らんかのような荒々しさも同時に兼ね備えた足取りで、彼女は薄暗く細長いホームを歩いていった。「LIME LIGHT」という青色の看板が朝の雨に濡れて淡く光っていた。その横にはどこかの教会の看板もあった。「信仰・希望・愛」と、黒の背景に黄色い字で大きく書いてあった。

 

 ホームには学校の生徒たちが溢れていた。そろそろ学校が始まる時間だった。

 

 ひそひそ声がする。視線を感じる。見回すと、それは森の聖霊のようにどこかへ消えてしまうが、やはりいつまでも消えない。それはやはりマルタのせいだった。つい先ほど魔法少女になったばかりのマルタのせいだった。その時間帯、その駅に魔法少女がいるというのはやはり異常なことだった。

 

 マルタはいつもの久我山駅の風景を乱しているのが他ならぬ自分であることに気づいて、その美しい顔に苦しみの表情を浮かべた。それは被迫害者特有の苦しみだった。そこにいるというだけで指さされ、罪とされる者たちしか感じ得ない苦しみだった。

 

 マルタは昇りのエスカレーターのステップに足を乗せた。別の学校の、真っ黒の学ランに真っ黒なボタンの男子生徒たちが、彼女よりも先にエスカレーターに乗っていたが、彼らは不躾にも何度か振り返って、ちらちらと盗むような視線を送ってきた。その時、マルタは男子生徒の一人が言うのをはっきりと聞いた。

 

「やべぇ、コスプレイヤーだ……」

 

 それに応えるように別の男子生徒が言うのも聞こえた。

 

「いや、本物の魔法少女の可能性も……」

 

 マルタは顔が真っ赤になるのを感じた。それでも彼女の目の隈は真っ黒なままだった。

 

 エスカレーターを昇りきって、十メートルほど歩けばそこに改札があった。改札を出た先の正面には売店があり、その左右にはそれぞれ通路が分かれていて、左が北口へ、右が南口へと通じていた。マルタは北口へ向かわなければならなかった。北口を出て、住宅街を十五分歩けば高校に到着する。マルタはパスケースをかざし、改札を通過した。黒い制服の男子生徒たちは南口へと歩いていったが、それでも彼女へと周囲から降り注ぐ視線が止むことはなかった。

 

 マルタは内心で呻いていた。電車を降りてから改札を抜けるまで僅かに数分もかかっていない。それなのに、その短い時間に感じた羞恥は自分がこれまでの人生で感じたそれを数十倍にも濃縮したかのようだった。これで無事に高校へと辿り着けるのだろうか……?    このままでは恥ずかしさで死ぬかもしれない。

 

 ふと、彼女は手に持つカバンがいつもよりも重いことに気が付いた。その途端、彼女は沈静化しかけていた憤怒の感情が再び力を取り戻すのを感じた。腹いせに彼女はカバンを振り回した。

 

 ぎゃあ! 目が回る! やめてくれ、マルタ!

 

 と書いている私は、実のところまったく目が回っていない。いや、確かに目が回っている。私は振り回されている。しかし、そのことをこうして文章に書いている私は全然、まったく振り回されていない。私は机に座っていて、モニターを見ていて、文章を書くためにキーボードを叩いている。しかしまさにその文章を書くという行為によって、私はまた振り回されるようになり、ついには振り回されているという実感を得るまでになった。

 

 私はこの物語の作者である。私は今、打って変わって真面目に小説を書いている。いや、今というのはおかしい。今ではなく「第三章の十二段落までは」というのが正しいだろう。とにかく、私は真面目に小説を書こうとしている。というのは、私が疲れているからだ。疲れているから普通の、真面目な文体の小説を書いてしまう。新しいもの、なにか革新的なものを生み出すには、それなりに元手が必要だ。エネルギーがなければ新しいものは生み出せない。そして私は目下、エネルギー切れである。さらに白状をするならば、私は常に疲れている。これは私の持病のせいである。

 

 あるいは、と私は考える。私が疲れている方がこの作品の読者にとっては幸せなのかもしれない。おそらく読者は、この第三章の初めの十二段落に書かれたような文章で物語を全編綴って欲しいと思っているのかもしれない。なんだかんだ言っても普通の小説が一番だよ。書く上でも、もちろん読む上でもさ。それはそうだろうなと私も思う。それに、せっかくマルタが魔法少女になったんだから、さっさと彼女が魔法少女としてガーッと戦ってギューンと敵をやっつけるところが見たいよ。

 

 まあまあ、落ち着いて欲しい。私としてもそうしたいと思っているのだ。安心してください、この第三章ではマルタにガッツリと戦ってもらうから。たぶん。

 

 だが、そのためには一応前振りのようなものが必要になる。それに、後々の展開も視野に入れて伏線というものも仕込んでおかねばならない。だが、私はどうもこの伏線というものが苦手なのだ。魔法少女の異常なパワーによってブンブンと振り回されているカバンの中で、そういった複雑なことを考えるのは難しい。ジェットコースターに乗りながら四次式の因数分解を解くようなものだ。ちょっと待って欲しい。

 

 そんなことを考えている間にも私の手は勝手に文章を書いていた。

 

 マルタが叫ぶように言った。

 

「ちょっと、コテク! さっさとこの格好を元に戻しなさい! いい加減にしないと怒るわよ! イエス様は七の七十倍許せと言ったけど、私は許さないから!」

 

 マルタはさらにカバンを振り回した。

 

 もし私がスムージーならばとっくに飲み頃になっているだろうが、とにかく私は言った。

 

「いや、それはもう少し待ってください。そろそろ第一の敵があなたの前に現れるはずですから。それを倒したらきっと元の女子高校生の格好に戻れるはずですよ」

 

 マルタはさらにカバンをぶん回した。

 

「敵とかどうでも良いわ! あとニ十分で学校が始まっちゃう! 時間がないの! さっさとしなさい! こんな怪しげなコスプレして学校に行けるわけないでしょ!」

 

 仕方がない。それでは第一の敵に登場してもらおう。といっても、これを書いている現在でも私はまったくそれについて、アイデアの片鱗らしきものすら浮かんでいない。

 

 マルタがカバンをぶん回しながら、この世の地面という地面をすべてその足で舗装してやろうかとでも言わんばかりの歩調で北口のエスカレーターへと向かい、そして降りた、その時だった。

 

 そこに敵がいた。

 

 敵は丸かった。どこまでも丸く、形而上学的に想定される真球に限りなく近い球体だった。球体は直径二メートルくらいあった。デカい。球体にはびっしりと紫色の毛が生えていた。毛はごわごわで、おそらくスチールウールのような固さをしているであろうことは、その尖った先端が鋭利な刃物のように鈍色に輝いていることからも明らかだった。

 

 紫の巨大毛玉には手足があった。腕は四本あり、脚も四本あった。毛玉の真ん中には顔があった。男とも女ともつかない顔だった。顔は憎悪に歪んでいた。目は血走っていて、眼球表面に無数に走る細かな血管は非自然的な青紫色をしていた。鼻は潰れていて、口からは尖った歯が覗いていた。口と鼻から漏れている呼気には黒い瘴気が含まれていた。

 

 紫の毛玉は、マルタの姿を認めるや否や、久我山駅構内を崩壊させるかのごとき大音声で叫んだ。

 

「ついに見つけたぞ、聖魔法少女マルタよ! 我が名はアンドロギュノス! 大魔王ヴァヴェル様の尖兵なり! いざ、尋常に勝負!」

 

 どうだ、マルタよ。なんとか無い知恵と無い想像力を振り絞って、第一の敵をここに生み出してやったぞ。けっこう気持ち悪い造形の敵になったのではないだろうか。アンドロギュノスはプラトンの『饗宴』で語られている両性具有の存在である。手足が四本、顔が二つ、そして性器も二つある。

 

 ゼウスはあまりにも見た目が気持ち悪かったアンドロギュノスを縦に真っ二つにし、男と女のそれぞれ「半身」に分けた、らしい。人類はそれ以来男と女に分かれて生きることになった。知らんけど。それがプラトニック・ラブとかなんとかの語源とかなんとかかんとか……知らんけど。それにしても流石はオリュンポス十二柱の主神ゼウスである。器用なものだ。ゼウスが「ケーキの切れない非行少年」でなかったことに私たちは感謝しなければならない。

 

「きゃあっ!」とマルタが女の子らしい悲鳴を上げた。

 

「本当に敵が出てきた! しかも滅茶苦茶強そうな敵!」

 

 マルタの表情には純粋な恐怖と、驚愕があった。可哀想に、十七歳の女の子が直視して良い敵ではない。なぜならアンドロギュノスの二つの性器は剥き出しだったからである。私はここで作者としての権限を発揮して性器にモザイク処理を施しておく。これでこの小説は全年齢対応版になった。安心だ。

 

 私はカバンの中からマルタに言った。

 

「さあ、マルタ。記念すべき初陣を今、ここで飾ってください。ここでの戦い方如何によって今後の話の展開はおろか、この作品の方向性そのものも決まってくるので、どうかバッチリ決めちゃってください」

 

 さてさて、マルタはどう戦うのか。しかし、ここまで書いたところで今日の私の体力は完全に尽きてしまった。また明日にでも続きを書くことにしよう。明日の自分に期待するのは愚か者のすることだと世間ではよく言われるが、作者とは明日の自分を信じて託すからこそ創作活動を継続することができるのだ。

 

 次の日になった。マルタは叫んだ。

 

「そんな、戦うって、どうすれば良いの!?」

 

 確かに、マルタはどうやって戦うのだろうか。それについて私はあまり考えていなかった。それよりも私はもっと大事なことを……いや大事というと語弊があるから、ここは「もっと面白いことを」と書いておくが、私はもっと面白いことを昨日から考えていたのだ。マルタが自分の戦い方について知る前に、早速それを書いてしまおうと思う。

 

 突然、その場に別の声が響いた。

 

「俺もいるぞ!」

 

 声が終わった途端、何かが空から降ってきて、地響きを立ててアンドロギュノスの隣に着地した。路面の舗装が破壊され、濛々と土煙が巻き起こった。アンドロギュノスが「けむい!」と叫んだ。

 

 土煙が晴れた時、そこにいたのは新たなる敵だった。敵は巨大な亀だった。三メートルから五メートルくらいの大きさだった。なるほどこの大きさと重量感ならば舗装が破壊されるのもむべなるかなという感じだった。いや、しかし亀というには、それには些か違う特徴がありすぎた。その頭部は獅子で、胴体は豚で、腹から臀部にかけては魚だった。申し訳程度の大きさの亀の甲羅が背面に乗っかっていた。脚は六本あり、短く、がっしりとしていた。まるでひげ根がたっぷりと生えた大根のようだった。

 

 亀のような大根のような巨大な敵は名乗った。

 

「ついに見つけたぞ、聖魔法少女マルタよ! 我が名はタラスク! 大魔王ヴァヴェル様の第一の臣なり! いざ、尋常に勝負!」

 

 マルタが困惑したように言った。

 

「えっ、えっ⁉ 敵が増えた⁉ どういうこと⁉ しかもタラスク⁉」

 

 そう、マルタはタラスクを知っているのである。なぜならタラスクは聖女マルタと関係の深い怪物だからである。断っておくがここに書いた「聖女マルタ」とは、ここまで私が書いてきた主人公にしてポーランドからの留学生マルタのことではない。新約聖書に登場するベタニアのマルタのことである。聖女マルタと怪物タラスクの話についてはヤコブス・ヴォラギヌスの『黄金伝説』を参照して欲しい。『黄金伝説』を知らないって? なら読まないで欲しい。私のネタ元がなくなってしまうから。

 

 この展開を読んで嫌な予感を覚える人もいるかもしれない。おそらくその予感は当たっている。そう、私はこれからどんどん怪物を出していく。私の想像力が続く限り、私は怪物を次々に書いていくであろう。想像力がなくなっても私はきっと怪物を書く。なぜなら、この先の展開がどうなるのかは分からないが、ここで一気に敵を出しておくことによって今後余計なことを考える必要がなくなるからである。

 

 だいたい八体は出したい。できれば十体くらいは出したいところだ。マルタにとっては災難な話だが、ここでそうしておかないと私にとってはさらに災難なことになるので、どうか我慢してもらいたい。十体も怪物を出してその後はどうするのかだって? 申し訳ないが、そのことに関しては私自身が訊きたいくらいだ。しかし今後のことは今後の私がなんとかするだろう。ルールを追加しておこう。「今後のことに関しては今後の自分に期待すること」 これは人生の鉄則でもある。創作のルールと人生のルールは似ている。

 

 困惑しつつも、マルタはアンドロギュノスとタラスクに向かって対峙しようとした。彼女のスレンダーな姿は凛としていて、聖浄な気配に溢れていた。しかし彼女の目の下の隈はますます濃くなっていくようだった。

 

 マルタは言った。

 

「どうやって戦ったら良いのかしら……?」

 

 その一方、怪物たちは何も言わなかった。それは私がまだ怪物たちをどう動かしたら良いものか今一つ掴みかねているからである。私が書かなければ彼らは何も言わないし、言えない。

 

 突然、その場にまた別の声が響いた。

 

「私もいるわ!」

 

 声が終わった途端、何かが空から降ってきて、地響きを立ててアンドロギュノスとタラスクの隣に着地した。路面の舗装が破壊され、濛々と土煙が巻き起こり、駅のすぐ横にあるラーメン店の暖簾が落ちた。アンドロギュノスとタラスクが「けむい!」と叫んだ。

 

 土煙が晴れた時、そこにいたのは新たなる敵だった。敵は女だった。ただし、死んでいた。それは死体の女だった。死んでいるにしては、その肌は怪しいほどに輝いていて色気があった。女の顔立ちは美しかった。長い金髪の生えた頭には小さなティアラを被っていて、衣装は金糸と銀糸で縫い取りがされた純白のローブだった。素足の爪は真っ赤だった。手の爪もまた真っ赤だった。

 

 死体の女の敵は名乗った。

 

「ついに見つけたわ、聖魔法少女マルタ。我が名はシチシガ。大魔王ヴァヴェル様の茶飲み友達なり。いざ、尋常に勝負!」

 

 マルタが驚きを隠さずに言った。

 

「また敵が増えたと思ったら、シチシガ⁉ なんでこんなところに⁉」

 

 そう、マルタはシチシガを知っているのである。なぜならシチシガはポーランドの妖怪……妖怪というとなんとなく雰囲気が出ないのでここは怪物と書いておくが、とにかくシチシガはポーランドの怪物である。日本人ならば河童とか天狗とか化け狸といった妖怪を必ず知っているように、ポーランドの人間は必ずシチシガを知っている。シチシガは古代の失われた王国の王女だと言われているが、もちろん私はこれ以上詳しいことを知らない。

 

 さらにルールを追加しておこう。「知識がなくとも書けば良い」 知識が創作を促すことはあるのかもしれないが、知識の多寡が創作の質を決定するわけでもない。大量の知識が却って想像力を阻害することがあるかもしれないし、名前しか知らないという程度のほんのちょっとの知識が無限の想像力を生み出すことがあるかもしれない。

 

 突然、その場にまた別の声が響いた。

 

「私たちもいるぞ!」

 

 声が終わった途端、何かが空から降ってきて、地響きを立ててアンドロギュノスとタラスクとシチシガの隣に着地した。路面の舗装が破壊され、濛々と土煙が巻き起こり、落ちていたラーメン店の暖簾がまた宙へと舞い上がり、落ちて、ラーメン店の向かいにある喫茶店の看板が右に傾いた。アンドロギュノスとタラスクとシチシガが「けむい!」と叫んだ。アンドロギュノスは何度も土煙を吸い込んでしまったためについに咳が止まらなくなってしまった。

 

 土煙が晴れた時、そこにいたのは新たなる敵だった。敵は二人いた。二人はいずれも小さな男の子で、古代ギリシャ風の服装をしていて、その見た目はまさに瓜二つだった。ちなみに「二人の人物の見た目がそっくりなこと」を表す「瓜二つ」という慣用句について、「瓜というのはどれも似通っているから『瓜二つ』である」という説明がなされることがあるが、これは間違いである。正確には「真っ二つにした瓜はどちらもよく似ているから『瓜二つ』」なのである。私はこのことを勘違いしていて、以前かかなくても良い恥をかいた。

 

 とにかく、二人の敵は瓜二つだった。敵は名乗った。

 

「我らはゲミニ! 大魔王ヴァヴェル様の何番目かの臣なり! ちなみにパート契約なので忠誠心はさほどでもない! 聖魔法少女マルタよ、いざ尋常に勝負!」

 

 マルタは叫ばなかった。この展開に慣れてきたからである。彼女は静かに言った。

 

「ゲミニね。ということはギリシャ・ローマ神話のカストルとポルックスかしら?」

 

 実際のところ、現代のポーランド人の若者たちがどの程度ギリシャ・ローマ神話について知っているのか、私はまったく知らない。日本の若者たちが日本神話や東アジア世界の神話についてまったく知らないことを鑑みると、案外ポーランドの若者たちも何も知らないのかもしれない。だが、マルタはそれについてよく知っている。なぜなら彼女はそういう子だからである。彼女は博識で、よく本を読む。

 

 マルタが言った。

 

「この様子だと、まだまだ敵が来そうな雰囲気なんだけど……」

 

 私はマルタに言った。

 

「そうですね、全部で十体の怪物を出したいので、あと六体は出したいところなんですが……付き合っていただけますか?」

 

 マルタがうんざりとしたような口調で言った。

 

「却下。あと一体も出しちゃダメ」

 

 そうは言っても、そういうわけにはいかないのが作者のつらいところなのだ。なぜなら私は先ほど「あと十体は出したい」と書いてしまったからである。だから書く。

 

 突然、その場にまた別の声が響いた。

 

「私もいるわ!」

 

 声が終わった途端、何かが空から降ってきて、地響きを立ててアンドロギュノスとタラスクとシチシガとゲミニの隣に着地した。路面の舗装が破壊され、濛々と土煙が巻き起こり、落ちていたラーメン店の暖簾がまた宙へと舞い上がり、落ちて、ラーメン店の向かいにある喫茶店の看板が傾いた。牛丼店の店前に設置されている注文用端末が倒れ、勝手に牛丼並盛ひとつのテイクアウトをオーダーした。アンドロギュノスとタラスクとシチシガとゲミニが「けむい!」と叫んだ。咳が止まらなくなっていたアンドロギュノスはついに吐き気を催し、そして吐き始めた。紫色の液体が止めどなく二つの顔の二つの口から流れ出た。吐瀉物の飛沫がタラスクの背中の甲羅にかかった。タラスクは「汚い!」と悲鳴を上げた。

 

 土煙が晴れた時、そこにいたのは新たなる敵だった。それは女だった。さきほど登場した敵であるシチシガとはまた違った方向で美しい女だった。澄み切った夜空に一瞬だけ光芒を放つ流星、その光の粒子をすべて集めて女の姿として再構成したような美しさだった。ぞっとするような、それでいて目の離せない迫力を有していて、両眼は燃えるような赤に輝き、鼻は高く、口からは鋭く尖った牙が何本か見えていた。

 

 流星のような女は名乗った。

 

「我が名はラタヴィツァ。誘惑と破滅の魔女にして、大魔王ヴァヴェル様の配下の軍団のお色気担当なり! 聖魔法少女マルタよ、いざ尋常に勝負!」

 

 しかしマルタは、ラタヴィツァの名乗りをあまり真剣に聞いていなかった。カバンの中にいる私に向かって、彼女はこそこそと内緒話をするような小さな声で言った。

 

「ねえ、私はまだあなたのことを作者だなんて信じていないんだけど、仮に……仮によ。あなたがもし本当に作者だとしたら、どうしてこんなに一度に敵を出すわけ? 普通はもっと小出しにしない?」

 

 マルタがそのように話しかけてきてくれて私としても嬉しい。私は彼女に言った。

 

「それはですね、主に二つの理由があります。一つは作劇上の要請によるもの、もう一つは私の性格に由来するものです」

 

 マルタは言った。

 

「どういうこと? 詳しく説明して」

 

 私は答えることにしたが、しかし私たちの会話の間、敵たちをどうしておくかについて私はちょっとだけ考えた。長話の間に敵が攻撃しないというのは、ちょっとリアリティに欠ける。そして、こう書くことにした。

 

 私たちが話している間、敵は沈黙したままだった。

 

 なぜなら私が何も書かないからである。しかしほったらかしにしているのも良くない。何か動きを取らせなければならない。とりあえず、スマホでも弄らせることにしよう。

 

 私たちが話している間、敵は一斉にスマホを取り出すと、思い思いに時間を潰し始めた。

 

 これでよし。私はマルタへ返事をすることにした。

 

「ひとつめの作劇上の理由に関してですが、これは意外性を出すためなのです。意外性というものは難しいのですよ。最近はただでさえ目の肥えた読者たちが増えてきていて、それこそ序盤の展開から厳しい目で批評されることになります。『なぜ最初から魔王軍は全力を傾注してまだ弱い段階の主人公を抹殺しないのか』『なぜ戦力を小出しにするのか』『なぜ主人公が最初に戦う敵はどれも弱いのか』といったツッコミがなされるのです。そして、そういったツッコミに応えるために、世の中の物語作者たちはその知能と発想力と文才を振り絞って、なんとかして意外性を出そうとするのです」

 

 話が長くなったので、私はいったん言葉を切って、それからまた言った。

 

「しかしながら、作者は常に読者に対して勝ち目の薄い戦いをしなければならない。それは構造的にそう決まっているからなのです」

 

 マルタはふんふんと軽く頷きながら私の話を聞いていた。しかし相槌は短かった。

 

「それで? その、構造的にというのはどういうこと?」

 

 怪物たちはスマホを弄って遊んでいたが、時々私たちに対して視線を送ってきた。「話、長くなりそう?」 とシチシガが訊いてきた。そう訊いておきながら大して関心もなさそうにシチシガはまた言った。「私たち、退屈してきたんだけど」 アンドロギュノスは自動販売機へ行って水を買って飲んでいた。嘔吐した際に逆流した胃酸で焼かれた食道を癒すためである。

 

 私は話を続けた。

 

「界隈ではよく『読者と作者のどちらが強いか』などという一種の最強議論が行われるのですが、私からすれば読者の方が圧倒的に強いのです。なぜなら読者というものは常に心の中に『完全無欠の最強に面白いストーリー』を持っているからです。ただし読者は決してそれを言葉にして、文章にして語ることができない。だからこそ彼らは他人の書いた物語を読む、というより読まざるを得ないわけなのですが、ここで大いなる悲劇が生まれます。というのは、読者というものは自らが決して持ち得ない技能・能力を持つ作者を、それゆえに過大評価して、『作者たちはきっと自分たちの満足する物語を書いてくれるだろう』と期待している。それに対して、作者というものは所詮全能の存在ではなく、言ってみれば物語の奴隷でしかない。無限に存在する読者の願いに応えて、無限に存在する『完全無欠の最強のストーリー』を書くことは不可能なのです。ゆえに、この関係性に基づけば、作者が読者の期待を超えることは原理的に不可能です。作者の手持ちの資源は有限なのに、読者の期待は無限だからです。だから常に読者は作者に対していつも心のどこかで失望することになる」

 

 マルタはその処女雪のように白いウィンプルの上に疑問符を浮かべたような雰囲気を発しつつ、また私に言った。

 

「随分長いこと話してくれたけど、それ、ちょっとおかしくないかしら? 単純な例から考えてみましょう。『この作者はいつもこちらの期待を超えてくる』というような言い方はよくされるし、事実、本を読んでいてそう感じることは多い。作者が読者の期待を超える例はいくらでもある。私としては、作者の方が読者よりも常に強いと思うわ。これまで多くの作者たちが多くの作品を書いて、たくさんの読者たちを救ったり、救うことはなかったにしても、楽しい気晴らしをさせてきたりしたじゃない。その時、読者が作者に対して抱くのは失望感かしら? ねぇ、そのことについてコテクはどう考えるの?」

 

 マルタからわりと本格的な反論が返ってきて私は狼狽した。ここのシーンはもっと短く終える予定だったのだが。しかも、私の手は勝手に、さらにマルタの台詞を書いていくではないか。なんということだ。

 

 考えつつ、考えながら、マルタはさらに言葉を続けた。

 

「それに読者だって、コテクが考えているような気持ちで物語を読んでいるのかしら? 読者は別に、『完全無欠の最強のストーリー』なんて求めてないと私は思う。だって、私はそんな読み方をしないから。読者たちはただ単純に、物語が好きだから物語を読むんじゃない? 特に意味はないけど、ただ読んで楽しい気持ちになるから物語を読むって、そんなに変なことじゃないと思うんだけど」

 

 マルタはまた言葉を続けた。真剣な口調だった。

 

「ねぇ、言っていいかしら。あなたにはあなたなりの持論があって、それは一応議論の体裁をとっているみたいだけど、あなたのそれはちょっと粗雑じゃないかしら。あなたは議論をするために、まず『読者とはこういうものである』『作者とはこういうものである』という仮定を立てたけど、あなたは議論を始める前に、その仮定の正しさや妥当性を検討することはしたの? それをすることなしに、あなたは独りよがりに乱暴に議論を進めていってしまった。しかも最終的にはその結論によって自分自身を縛ってしまっている。私にはそう思えるんだけど」

 

 マルタはいったん言葉を切り、そしてまた言った。

 

「あなたが作者だとしたら……まだ私は、あなたが作者だなんて信じてないけど、もしあなたが作者なのだとしたら……随分と頭でっかちで、おまけに気弱な作者なのね。理屈に逃げ込まないで、もっと自分の創作の力を信じたら? 作者って、あなたが考えているより、きっともっと力がある存在よ」

 

 ぎゃああ! 耳が痛い! なんで私は自分の生み出したキャラによって論破されねばならないのだ! 自分の論理的思考力の欠如を指摘されたようで恥ずかしい! 脳がシェイクされる!

 

 先ほどまでのマルタの台詞は、ほぼ私の手が勝手に書き出したものだった。そして、それを書いているうちに、私はこの点に関してこれ以上議論をするのは紙面の無駄になるような気がしてきた。つまり、マルタの言っていることで一応の結論にすべきだということであろう。

 

 それにしても、自分の生み出したキャラに説教をされるとは。だがマルタは良いことを言ってくれた。ルールを追加しておこう。「自分の力を信じること」 もうひとつ、「なるべく議論っぽいことを書くのは避けること」

 

 だが、とも私は思う。先ほどの私の「議論」は、本当に私自身の考え、私の思ったことだったのだろうか、と。私は作中内の存在ではあるが、やはり作者である。作者であるから、私は紛れもなく私自身の考えをここに書くことができるはずである。

 

 それなのに、先ほどの私の「議論」は、やはり何らかの形で私本来の考えとは違っていた。それはマルタという私の生み出した存在によって私の議論に反論がなされたことからも明らかである。つまり私の、作者本人の思考というものは、作者であるコテクとマルタとの会話という形によってようやく表わすことができたわけだ。つまり私はあの議論の時、作者としてではなく、作中内存在の「コテク」として語っていたわけである。それは私ではあるが、やはり私ではない。

 

 訳が分からなくなってきた。だが、これはなんだか伏線になりそうなので残しておこうと思う。もちろん、忘れてしまっても構わないが。

 

 さて、私は結論を急ぐことにした。

 

「まあ、端的に言えば、私の作劇上の要請というのは、意外性を持つ展開を書きたかったという、ただそれだけのことなのです。だって、今後出てくる敵がすべて、最も序盤に一度に登場するなんて、そういう作品はありますか?」

 

 ごくあっさりとした口調でマルタは言った。

 

「あるんじゃない? そんなの、いくらでもあると思うわ。だって、この世にいくつ創作物があると思っているのよ」

 

 マルタにそう言われると、あるような気がしてきた。いや、きっとあるだろう。私はその具体例を知らないが。なんということだ。私はやる気を失いかけた。二十六。二十七。煙草を吸ったら落ち着いた。まあ良い。書いてしまったものは仕方がない。それなら書き方を工夫するだけである。

 

 私は言った。

 

「作劇上の問題に関してはとりあえずこれでよしとしましょう。それで、次の理由について、つまり私の性格に由来する理由に関してなのですが……それはまた次の怪物に登場してもらってから話すことにしましょう」

 

 マルタは見るからに嫌そうな顔をした。その瞬間だった。

 

 突然、その場にまた別の声が響いた。

 

「私もいるぞ!」

 

 声が終わった途端、何かが空から降ってきて、地響きを立ててアンドロギュノスとタラスクとシチシガとゲミニとラタヴィツァの隣に着地した。路面の舗装が破壊され、濛々と土煙が巻き起こり、落ちていたラーメン店の暖簾がまた宙へと舞い上がり、落ちて、また舞い上がり、ラーメン店の向かいにある喫茶店の看板が右に傾いて地面へと落ち、牛丼店の店前に設置されている注文用端末が倒れ、勝手に牛丼並盛ひとつのテイクアウトをオーダーしたので、店員が出てきて端末を元に戻した。アンドロギュノスとタラスクとシチシガとゲミニとラタヴィツァが「けむい!」と叫んだ。水を飲んだことで喉の調子が収まっていたアンドロギュノスはもう咳き込むことはなかったが、今度はタラスクが咳をし始めた。アンドロギュノスが残っていた水をやった。タラスクは「ありがとう」と言って水を飲んだ。ただし、その甲羅は先ほどアンドロギュノスが吐き出した吐瀉物で汚れていた。

 

 土煙が晴れた時、そこにいたのは新たなる敵だった。それは女だった。さきほど登場した敵であるシチシガとラタヴィツァとはまた違った方向で美しい女だった。女は若かった。若い人間の女だった。無論、女は生きていた。女の背は高かった。身長は一七〇センチくらいあった。女はメイド服をその身に纏っていた。あまり嫌らしくない感じのヴィクトリアン・スタイルのロング・ドレスのメイド服で、レース付きのホワイトブリムが長い黒髪の艶やかさを引き立てていた。

 

 メイドの女は男勝りの勇ましい声で名乗った。

 

「私はメイド! 名前などない! 大魔王ヴァヴェル様が求人募集をかけていたのでこれから面接に行くところだ! 時給がちょっと低いのが気になるが……とにかく、聖魔法少女マルタよ、いざ尋常に勝負!」

 

「あっ!」とマルタが叫んだ。

 

「もしかして、あなたは二年D組の手造さんじゃない⁉ 手造好さん! どうしてこんなところにいるの⁉」

 

 どうやらメイドはマルタと同じ高校、同じ学年の女子のようだった。メイドはぶんぶんと頭を振りつつ答えた。

 

「私でも分からない、混乱している!」

 

 メイドは頭を振り続けた。あまりにも振り方が激しいので、ラタヴィツァが「落ち着いて、首の筋を痛めちゃうわ」と窘めた。メイドは多少落ち着いた。

 

 落ち着いたメイドは語り始めた。

 

「今朝、高円寺の家を出た時は何も異常はなかった。予報にない急な雨が降って多少狼狽したが、その時は駅構内に入る直前だったから問題はなかった。荻窪駅で降りて、バスに乗り換えて、宮前の停留所で降りた後……気が付いたら、私はいつの間にかメイドになっていたんだ」

 

 微風が吹いて、メイドの長い髪を揺らした。メイドはまた言葉を続けた。

 

「メイドになったからには就職先を探さなければならない。仕えるべき主を持たないメイドなど、プリンのないプリン・ア・ラ・モードみたいなものだからな。それで求人サイトを見てみたら、ちょうど大魔王ヴァヴェル様が募集を出していたんだ。面接に行く前に、ふと聖魔法少女と交戦したという経歴があれば有利に働くだろうと思った。だからここに来た。さあ、マルタ。私と戦ってくれ! 私の就職のために!」

 

 語り終えるとメイドは腕を組んだ。ただでさえ大きな胸がそのことによってさらにその大きさを強調された。マルタがひそひそとした声で私に話しかけてきた。

 

「あなたが作者だったとして……という前置きをするのがだんだん面倒になってきたんだけど、あなたが作者だったとして、どうしていきなりここでメイドを敵として投入したの? しかも私の知り合いを。これにも何か、作劇上の理由があるんでしょ?」

 

 私は答えた。

 

「それはやはり、魔法少女といえば『敵によって操られているお友達と戦う』という展開が必須だからですよ。あのメイドとマルタさんは友達同士でしょう? 昨日は教室でヤン・ポトツキの『サラゴサ手稿』について話し合っていたくらいですし。彼女とのバトルはきっと熱い展開になりますよ。作者にも読者にもおいしい展開です」

 

 突然、マルタは私の入っているカバンを振り回した。

 

「冗談じゃないわ! さっさと手造さんを元に戻しなさい! 可哀想に彼女、あの格好じゃ高校に行けないじゃない!」

 

 振り回されながら、私はマルタに向かって叫ぶように言った。

 

「待ってください!」

 

 私の声にどこか必死なところがあるのを感じ取ったのか、マルタはすぐにカバンを振り回すのをやめた。彼女は言った。

 

「何? どうしたの?」

 

 私は言った。

 

「大変申し訳ありませんが、そろそろ第三章が終わりに近づいているのです。でも、あと三体は敵を出さないといけない。これからはちょっと展開を早めていくので、できればご協力していただければありがたいのですが……」

 

 マルタは首を傾げた。

 

「あと三体? えっと、あなたはさっき、最低でも十体は敵を出したいと言ったわね? 今ここにいるのは、アンドロギュノス、タラスク、シチシガ、ゲミニ……ゲミニは二人でひとつの扱いで良いのかしら?」

 

 二人のゲミニはうんうんと頷いた。マルタはさらに数えていった。

 

「それで、ラタヴィツァに、メイドの手造さんに……」

 

 メイドが言った。

 

「これからはメイドと呼んでくれて良いぞ」

 

 マルタは言った。

 

「メイドに……これで六体ね。あと三体だとしたら、合計で九体にしかならないわ。あと一体足りないじゃない」

 

 少々投げやりな口調で私は言った。

 

「その九体に、大魔王ヴァヴェルを加えれば合計で十体になりますよ」

 

 正直なところ、私は疲れているのだ。最初の頃は良かった。アンドロギュノスとかタラスクを書いている頃は楽しかった。怪物というものは作者の想像力を膨らませてくれる。ホルヘ・ルイス・ボルヘスが『幻獣辞典』を書いたのは、おそらく彼が幻獣や怪物が好きだったからというのもあるだろうが、きっと幻獣や怪物について書く時に想像力が爆発的に膨らむ、その快感がたまらないものだったからに違いない。

 

 話が逸れた。しかし私は、タラスクを書いたあたりで疲れてきた。シチシガに関しては前に何かで読んでいたので発想は楽だった。「ポーランドの怪物」でネット検索をかければけっこう情報が出てくるし。ゲミニに関しては、もう発想力と想像力が貧しくなってきたのを目の当たりにしているようで嫌になる。それでも一応、彼らにはそれなりに活躍をしてもらうつもりでいる。ラタヴィツァの段階になると私は疲れきっていた。

 

 それで、今回のメイドである。次に出すのは何にしようかと考え、そしてそれを書くにはどうしようかと考えると、面倒くささと先行き不安とで頭がおかしくなりそうになる。こういう時には酒を飲むに限るが、酒の飲み過ぎはもちろん危険である。物語作者が酒を飲みすぎることについて、イギリスの作家ロアルド・ダールは以下のように述べている。

 

「……世界じゅうのほとんどすべての小説家が、体によくないほど酒をたくさん飲むという現実がある。彼は自分自身に信念と希望と勇気を与えるためにそうするのだ。作家になる人間は愚か者である。作家であることの代償といったら絶対的な自由だけである。彼には自分の魂のほかに従うべき主人はいない。だからこそ作家になるのに違いない」(ロアルド・ダール『少年』永井淳訳より)

 

 そして私は酒を飲むことができない。以前はまあまあ飲んでいたのだが、今はやめている。持病のためだ。だから私は酒によって自分自身に信念と希望と勇気を与えることができない。代わりに私は煙草を吸う。スティーブン・キングも筒井康隆も煙草を吸っているから、やはり作者というものは煙草か酒か、そのいずれかがないと難しいのかもしれない。

 

 マルタが私に話しかけてきた。

 

「じゃあ、さっさと残りを出しなさい。あと三体でしょ。あなたの言う『第三章』というのはよく分からないけど、急いだほうが良いんじゃない? 私も遅刻しそうだし。ていうかもう遅刻確定よ。あーあ……」

 

 私は言った。

 

「それなら、残りの怪物をちゃっちゃと出しちゃいます。ちょっと待ってください」

 

 しかし、白状するが、私は完全なるネタ切れである。なんとかしなければ……仕方がない。ここは最近読んだ本に頼るしかない。

 

 突然、その場にまた別の声が響いた。「ヒヒーン!」 声というより、それは鳴き声だった。馬の鋭い嘶きだった。嘶きが終わった途端、何かが空から降ってきて、地響きを立ててアンドロギュノスとタラスクとシチシガとゲミニとラタヴィツァとメイドの隣に着地した。路面の舗装が破壊され、濛々と土煙が巻き起こり、落ちていたラーメン店の暖簾が……(書くのが面倒だ、中略)……アンドロギュノスとタラスクとシチシガとゲミニとラタヴィツァとメイドが「けむい!」と叫んだ。怪物たちが一斉に咳き込み始めたので、メイドは機敏な動きでのど飴と水とマスクを配って回った。

 

 土煙が晴れた時、そこにいたのは新たなる敵だった。それは馬だった。純然たる馬だった。サラブレッドのように大きな馬ではない。ちょっと見慣れない種類の馬だった。それはオルロフ・トロッター品種の馬だった。ほどほどに速いスピードと、類まれなほどのスタミナ、そして「不気味なほどに人間の表情と感情を読み取れるほどの感受性」を有していると評される品種である。

 

 私は言った。

 

「彼は馬なので名乗れません。私が作者として彼の紹介をします。名前はハンス、通称クレバー・ハンス。ここに来たのは大魔王ヴァヴェル様の乗馬となるためだそうです。聖魔法少女マルタに対して、彼はこれといって敵意らしい敵意は有していません」

 

 ハンスはその左前脚の蹄でこつこつと路面を叩いた。マルタは冷ややかな口調で言った。

 

「ああ、そう。なんだか、いよいよネタ切れって感じね。次は?」

 

 クレバー・ハンスは観察者期待効果という非常に重要な現象によって動物認知学に貢献した偉大なる馬である。だから私はこのことについてもっと語りたいのだが、マルタが明らかに興味を失っているので、これに関しては次章以降に書くことにしたい。

 

 マルタは言った。

 

「あと二体ね。さっさと出しなさいよ」

 

 どこで用意をしたのか、メイドが紅茶のセットを銀色のお盆に載せて持ってきた。メイドは恭しい態度と丁寧な手つきで大きな磁器製のポットを傾け、ティーカップに紅茶を注いだ。湯気が立ち、馥郁たる香りがあたりに漂った。

 

 メイドは言った。

 

「どうぞ、マルタ」

 

 マルタはちょっと驚いたような顔をした。そして、すぐに言った。

 

「ありがとう、手造さ……じゃなかった、メイド」

 

 マルタは即座に紅茶を飲んだ。メイドは少し不満そうな顔をした。

 

「少しは警戒した方が良い。私が毒を盛っていたらどうするんだ」

 

 そう言われたマルタはきょとんとした顔をして、それから笑顔を見せた。あ、そういえばマルタの笑顔を書くのは初めてだった。

 

 ともあれ、マルタは笑顔を見せてメイドに言った。

 

「あら、それは心配してないわ。だって、あなたと私は友達じゃない」

 

 メイドは未だに不満そうな顔をしていたが、やや口の端をあげて、ほんの少し嬉しそうな声で言った。

 

「そうだな、私とマルタは友達だからな」

 

 よし、こういうキャラ同士の交流を書くことによって時間稼ぎができた。次の敵に登場してもらおう。

 

 突然、その場にまた別の声が響いた。

 

「我らもここにいるぞ!」

 

 それは声というより、機械音だった。それは上空から響いていた。声が終わった途端、何かが空から高速で落下してきた。しかしそれは、地面に衝突する寸前になって動きを止めた。アンドロギュノスとタラスクとシチシガとゲミニとラタヴィツァとメイドとハンスの隣の空間にそれは静止した。その何かの高速移動のせいで濛々と土煙が巻き起こり……(中略)……アンドロギュノスとタラスクとシチシガとゲミニとラタヴィツァとメイドが「けむい!」と叫んだ。ハンスも嘶いた。

 

 土煙が晴れた時、そこにいたのは新たなる敵だった。それはUFOだった。軽自動車並みのサイズだった。いかにも漫画チックなデザインをしたUFOで、平たい円盤の上に半球型のドームが乗っている構造をしている。薄緑色に輝いていて、どうしてそんな機能が必要なのかは分からないが、円盤の下部には各種のライトが設置されていて、あたかも場末の学生向けカラオケボックスのカラーボールのように、安っぽくて軽薄な光のシャワーをばら撒いていた。

 

 UFOは名乗った。

 

「我々はプロキシマ星系第五惑星よりやってきた第七次開拓宇宙移民団なり! 船内の浄化槽破損のため緊急修理を必要としていたところ、当地を支配する大魔王ヴァヴェル様より支援の申し出があった。早急に修理に取り掛かりたい。どうか大魔王ヴァヴェル様のところへ案内してくれ。船内にはミクロ化して冷凍睡眠している二兆五千億の同胞がいる。この修理に失敗するとその命がすべて失われる。あと、聖魔法少女マルタ。お前はなんかすごいエネルギー資源になりそうだから我が移民団が接収する」

 

 さっき注がれたお茶を飲みながら、マルタは言った。

 

「あー、はいはい、宇宙人の移民団ね。しかもどこかで聞いたような設定だわ」

 

 メイドがおかわりを注ぎながらマルタに言った。

 

「ウルトラマンに出てくるバルタン星人だな。私は世代ではないのでウルトラマンをまったく知らないが」

 

 マルタは私に言った。

 

「あと一体ね。さあ、さっさと出してちょうだい」

 

 私は言った。

 

「分かりました。少しお待ちください」

 

 そうマルタには言ったが、私はこれを出そうか最後まで迷っていた。私はこの作品をお気楽なものとして、言い換えれば風変りだが読んでいて楽しく、そして知的好奇心もそれなりに満足させられるような作品として書こうと思っているが、もしこいつを出すとすると、この作品はちょっと雰囲気が変わってしまう。というより、たぶん書くことが増えるだろう。果たして私に書ききることができるかどうか……不安だ。

 

 と、私が書いたその瞬間、それはそこにいた。

 

 誰もそれがそこに出現したことに気づいていなかった。それは真っ黒な風船のようだった。子ども用の小さな風船のようだった。それには顔が書いてあった。白い丸の眼球の中に紫の瞳が描かれており、その下には三日月形の口があって、ぎっしりと並んだ四角くて健康的な歯が剥き出しになっている。泣いているような、あるいは笑っているような微妙な表情をしていて、しかしどこか憤怒しているような、何か憎んでいるような様子も見える。だが、その感情の全体的な基調としては、おそらく焦慮と、それ以上に不安であろう。

 

 それはアンドロギュノスとタラスクとシチシガとゲミニ、ラタヴィツァとハンス、宇宙人のUFOのすぐ横に、音もなく浮かんでいた。それは声を発した。平坦な、まったく感情のない声だった。

 

「不安だ」

 

 そして、また声を発した。

 

「不安だ」

 

 その声を聞いた他の怪物たちは、一斉に身震いをした。「なんか、怖い!」とアンドロギュノスが悲鳴のような声を発した。

 

 これまでの展開に飽き飽きしていたマルタは、突然現れた異質な存在に対して、今更ながら警戒心をマックスにまで高めたようだった。マルタは私に言った。

 

「ちょっと、見るからにヤバそうなやつが出てきたんだけど。あれ、いったい何なの? 私の勘としては、かなり強敵な気がするわ」

 

 メイドも頷いた。

 

「風船みたいな見かけに剥き出しの歯。どう考えても強敵だな、これは」

 

 そう言うなり、メイドは黒い風船に近づいていって、ポケットから縫い針を取り出すと(メイドは常に裁縫道具を持っているものである)、それを風船に刺した。

 

「あっ!」とマルタは叫んだ。マルタだけではなく、その場にいたすべての怪物たちが「あっ!」と叫んだ。

 

 しかし、黒い風船は破裂しなかった。またその平坦なまったく無感情な声で言った。

 

「不安だ」

 

 縫い針をケースに戻しながらメイドが言った。

 

「私も何だか不安な気持ちになってきたな」

 

 マルタは私を見た。しばらく、マルタは私をずっと見ていた。マルタは何か、迷っているようだった。認めたくないことを認めざるを得ないというような、そういう苦渋に満ちた心情が、わずかながら彼女から見てとれた。やがて、マルタは静かな口調で私に言った。

 

「あれも、あなたが生み出したものなの? 作者であるあなたが生み出した怪物?」

 

 私は答えた。

 

「ええ、そうです」

 

 マルタは言った。

 

「それなら、あれは何?」

 

 私は答えた。

 

「あれは、『不安』です」

 

 私がそう言っても、マルタは何も言葉を返してこなかった。彼女はその視線で、私にもっと説明をするように要求をしていた。だから私はさらに言った。

 

「ほかに説明のしようはありません。あれは『不安』なんです。不安という感情そのものに対して私なりに形を与えた結果、あのようなものになったのです。あの『不安』は作者の抱えている不安そのものです。私が強く不安を感じていればあの黒い風船のような『不安』はどんどん大きくなっていきますし、逆に私がリラックスして落ち着いていれば『不安』はどんどん萎んで小さくなっていきます。そのはずです」

 

 マルタは言った。

 

「それで、その『不安』は私たちにどういう攻撃をしてくるの?」

 

 私は答えた。

 

「いえ、特に攻撃らしい攻撃はしないはずですよ。今だって、メイドが縫い針で刺しても反応すらしなかった。ただそこに浮かんでいて、たまに『不安だ』と呟くだけです。無害とは言えないでしょうが、直接的な脅威にはならないと思います」

 

 私はそう言ったが、というよりそう書いたが、私自身でもこの『不安』が今後どうなるかはまったく分からない。第二章で私は述べた。「不安こそが私の創作の原動力だ」と。そうすると、この黒い風船のような「不安」が大きくなればなるほど私の創作活動は捗るのだろうか?

 

 もしかしたら、面白いギミックとしてこの『不安』は今後の展開に役立たせることができるかもしれない……この作品を破滅させる可能性もあるが。

 

 マルタは頷いた。頷きつつも、どこか納得していないような顔をしていたが、とにかく彼女は頷いて、カバンを覗き込んでいたその顔を上げた。彼女は改めて、自分の前にいる怪物たちを見た。怪物たちは今やスマホをしまっていて、次なる大きな展開に備えているようだった。

 

 いよいよ、バトルが始まる。

 

 私としてはようやくここまでこぎつけたことにホッとしている。

 

 すると、黒い風船が一回り小さくなった。「不安だ」という声が聞こえた。

 

 マルタは私に言った。

 

「さあ、これで十体の怪物が出揃ったわけね。それなら次の展開はバトル、ということで良いのかしら? 私としては、さっさと学校に行って授業を受けたいんだけど」

 

 私は「ええ」と言った。しかし、こう言わざるを得なかった。

 

「でも、もう第三章はおしまいですね。それは次の章のお楽しみということで」

 

 私の言葉を聞くと、アンドロギュノス、タラスク、シチシガ、ゲミニ、ラタヴィツァ、メイド、馬のハンス、二兆五千億とちょっとのプロキシマ星系第五惑星人たちが一斉に不満そうな声を上げた。

 

「えー!」

 

 えー、ではない。ただでさえこの章は繰り返し・反復の表現を多用したせいで、残り少ない貴重な文字数を食っているのである。ここでさらに文字数を無駄にするわけにはいかない。作者にとって文字数とはやっつけるべきノルマではない。それはHP(ヒットポイント)とかライフ・ポイントのようなものである。

 

 そうだ。ちゃんと私の台詞として言っておこう。

 

「えー、ではないです。次の章をお楽しみに」

 

 私の言葉を聞くと、アンドロギュノス、タラスク、シチシガ、ゲミニ、ラタヴィツァ、メイド、馬のハンス、二兆五千億とちょっとのプロキシマ星系第五惑星人たちが一斉に不満そうな声を上げた。

 

「えー!」

 

 いかん! また繰り返し・反復をしてしまった! また貴重な文字数を失ってようやく気づいたのだが、この怪物たちはどうやらどうしてもここでバトルをしたいらしい。しかしそれでは困るのだ。マルタには高校に行ってもらい、高校を舞台にしてバトルをしてもらいたい。そういうのを私は書きたいからだ。

 

 仕方がない。ここは作者としての特権を行使してしまおう。もちろん、怪物たちの心を無理やり動かすようなことはしない。怪物とはいえ、それは私のキャラクターだからだ。

 

 では、話を締めくくろう。

 

 聖と魔の両者は道一本を挟んで対峙した。

 

 久我山駅南口に立つのは聖魔法少女マルタとメイド、そして、その外の道に立つのは怪物たちだった。アンドロギュノスが言った。

 

「メイドよ、お前は俺たちの側に立って戦わないのか?」

 

 メイドは首を左右に振って否と示した。

 

「大魔王ヴァヴェル様には後で断りのLINEをしておく。友人を手にかけるなどメイドにあるまじき行為だからな。仮にマルタの命を狙うことがあるとすれば、それは誰かの命令としてではなく、私自身のごく個人的な問題として取り組むつもりだ。尤も、そんなことは犬が一朝にして猫になるくらいありえんことだが」

 

 怪物たちはその身から邪悪なる波動を発して周囲を圧していた。久我山駅前は戦場であるかのように破壊されていた。他に人の気配はなかった。あらゆるものが死に絶えた世界であるかのようだった。

 

 マルタの方も戦意を高めていた。彼女もようやく戦う意志が固まったようだった。両者の緊張が高まり、正と邪の波動は荒れ狂う冬の北海の大波のようにぶつかり合い、砕け散り、飛沫と破片を大気中にまき散らした。

 

 勝負は、次の瞬間に始まる。その場にいた全員がそう感じた、その時だった。

 

 一斉に、怪物たちのスマホが通知音を発した。

 

 怪物たちは一様に驚きの表情を浮かべ、スマホを取り出すと、その画面を見つめた。全員の手が震えていた。

 

 マルタの隣に立つ、メイドのスマホも通知音を発した。メイドはポケットからスマホを取り出すと画面を見つめ、そして言った。

 

「ふむ。グループLINEの通知だな。発信者は……大魔王ヴァヴェル様か」

 

 メイドはそのメッセージを読み上げた。

 

「『どこで何をグズグズしているの!』『学校はとっくの昔に始まっているわ!』『さっさと登校しなさい!』」

 

「遅刻だぁ」と悲鳴混じりの声が怪物たちの中から漏れた。

 

「大魔王ヴァヴェル様に叱られるぅ」

 

 泣きながら怪物たちは登校ルートを歩き始めた。どの怪物たちも、とぼとぼとした、みじめ極まりない足取りだった。

 

 マルタは驚いたように言った。

 

「もしかして、この怪物たち、みんなうちの学校の生徒なの?」

 

 メイドは軽く頷いて答えた。

 

「どうやらそのようだな。何年何組なのかは分からないが」

 

 メイドはそれまで組んでいた腕を元に戻すと、マルタに言った。

 

「さあ、私たちも早く学校へ行こう」

 

 マルタは頷いた。そして、彼女は私に言った。

 

「ねえ、これで第三章はおしまい? 書き終えて、あなたはどんな気持ち?」

 

 私は答えた。

 

「ええ、これで第三章はおしまいですね。書き終えてホッとしていますよ」

 

 実際のところは、ホッとしている半面、不安を覚えてもいる。ちゃんとこの後バトル展開を書き終えて、作品を完成まで持っていけるのか……

 

 怪物たちが去り、マルタとメイドと私たちが去った後、そこには「不安」が残っていた。「不安」は一気に二回りほど大きくなった。

 

「不安だ」

 

 そう呟くように言うと、黒い風船はマルタたちの後を音もなく飛んで追い始めた。

 

(つづく)




 次章もどうぞお楽しみに!

・2025/07/25/金
※幕間二を追加しました。
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