【完結】聖魔法少女マルタの一日   作:ほいれんで・くー

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幕間五/第六章「さあ、書いて! この物語のすべてのキャラクターたちのために!」

幕間五

 

 第五章を書いている間、私は極度の不安に襲われていた。不安は主に二つの原因に根差しているようだった。

 

 ひとつ、大魔王ヴァヴェルの造形について、まったく細部が詰められていない。

 

 もうひとつ、どうしてもこの作品のコンセプト崩壊を止めることができない。

 

 大魔王に関しては確かに問題だったが、私にとってはふたつめの方がより大きな不安だった。コテクはすでに生きていた。彼は私とは別個のキャラクターとして、独自にものを考え、独自に行動するようになっている。もはやこの作品はメタ・フィクションではなくなってしまった。メタ・フィクション的な要素・ネタは多いかもしれないが、決してそれは純粋な意味でのメタ・フィクションではない。このような作品で、読者と作者と作品との新たな三項関係を再構築することができるだろうか? そんなことは不可能だ。

 

 私はここでアイデアを、驚天動地ともいえるようなアイデアを生み出さねばならなかった。第六章こそがこの作品を成功へと導く最後のチャンスなのだ。第六章で大魔王を登場させ、なおかつこの作品を本来のコンセプトであるメタ・フィクションへと回帰させる……この二つの課題を一挙に解決できるアイデアを、私は求めていた。

 

 だが、それは当然のことながら、なかなか考えつくことができなかった。私は数日間眠れなかった。眠らないで私は最初から自分の書いた作品を何度も読み直した。どこかにヒントがないものかと、私は必死になって考えを巡らせていた。

 

 さらに数日間呻吟して、ふと私は、天啓のようなものを得た気がした。

 

 そもそも私は、私自身をどういう存在としてこの作中に投入したのであろうか? それは、まったく新しいキャラクターとして投入したのではなかったか? それまでの小説が採用してこなかったような、まったく新しいキャラクターとして……

 

 ならば、大魔王ヴァヴェルも、そのような存在として投入すれば良いのではないか? 急に私の中で、音を立てて考えのピースが組み合わさり始めたような気がした。

 

 そうだ。大魔王ヴァヴェルは、この作品構造そのものをぶっ壊すようなキャラクターにしよう。彼女は『第四の壁』を破るキャラにする。それも、ただの『第四の壁』を破るキャラではない。この私自身でも制御することが不可能なキャラクターとして……そう、私でも考えつかないような突飛な言動をするキャラとして、大魔王を造形し、動かす。

 

 なんとかなりそうだった。しかし時間がなかった。私は大急ぎで書き始めた。

 


第六章「さあ、書いて! この物語のすべてのキャラクターたちのために!」

 

 鞍久保流唄流は、一見するとただの高校生でしかなかった。しかし、ただの高校生にしては美しすぎた。その身体はほっそりとして長く、さながらネコ科の猛獣を連想させた。艶やかな長い黒髪には暗い赤色メッシュが入っていた。切れ長の知性を感じさせる目もまた赤く怪しく輝いていた。それは彼女が大魔王ヴァヴェルとして膨大な魔力を蓄えていることの証明だった。

 

 微笑みを浮かべつつ、鞍久保流唄流はコテクをつまみ上げていた。彼女は言った。

 

「時計は汗をかいた。文字が死んでしまうから人参に参政権を付与する。フィクションを信じる前に墓穴を組み立てろ。芋虫の洗濯でポーランドが漂白されたがアメリカは水道管だった。ねえ、これを読んでいる人たち、私の台詞の意味は分かる?」

 

 マルタは「えっ?」と言った。メイドも「はあ?」と言った。

 

 鞍久保流唄流は「ああ、ごめんなさい」と言った。

 

「これは、テストみたいなものなのよ。もう少し続けるわね」

 

 彼女は少しだけ考える素振りをした。そして、またおもむろに口を開いた。

 

「まだ続けるわ。英文法が幼稚園でカメに殺された。衍字は知らなかった、自分の貧しさを。魔王の懐には空が晴れていて穴から無が這い出てきた。ねえ、読者のみなさん、私の言っていることはちゃんと突拍子もないことになっているかしら?」

 

 マルタはメイドとこそこそと話をした。

 

「何かしら、この魔王……さっきから何を言っているの?」

 

「どうも様子が変だが、しかし魔王というのはそういうものかもしれない」

 

 また魔王は言った。魔王は焦っているような、怒っているような声を出していた。

 

「焦っているような、怒っているような水道管はコーラの叫びなんだ。炭酸は東京タワーに上って王を指名した。選挙は面白くないのでテニスで人殺しをする……」

 

 魔王は深く溜息を吐いた。そして、どこかやるせないような声で言った。

 

「ありがとう。これでテストは終わりだわ。気づいているでしょうけど、私は何か突拍子もないことを言おうとしたの。でも、まったくダメだったわ。失敗ね。読んでいる人たちにも、それがわかったでしょう。ね?」

 

 マルタは表情に疑問の色を浮かべつつ言った。

 

「突拍子もないことしか言ってなかったと思うけど?」

 

 魔王は薄く笑っていた。その目つきには慈しみと暴虐とが同居していた。

 

「『意図せざる台詞』、『意図せざる行為』、それを書くことはたして可能なのか……マルタには関係のない話だわ。忘れてちょうだい」

 

 と、ここまでこのように書いてみたのは良いのだが、私としては今になって彼女のことを「大魔王ヴァヴェル」と書くべきか、それとも「鞍久保」と書くべきか、それとも単に「魔王」と書くべきか迷っているんだにゃあ。ああ、なんだかこの「にゃあ」の語尾にもだんだん慣れてきたんだにゃあ。いつからこんな語尾になったのか、自分でもちょっと定かではないんだにゃあ。

 

 そんなことを考えていると、私をいまだに空中につまみ上げている鞍久保流唄流が言ったんだにゃあ。

 

「私の呼び方について迷っているの? それなら単に『魔王』と書けば良いんじゃない? 字数の節約にもなるし。それに、この物語はこの第六章でおしまいなんでしょう? 圧縮できるところは圧縮して展開を早めていかないと、いつまで経っても私を倒せないわ。これまでの章みたいにだらだらと書いていたら絶対に終わらない」

 

 そんなことを言われたら、やっぱり不安になってきたんだにゃあ。ちゃんとこの第六章を書き終えて物語を終わらせることができるのか……不安だにゃあ。

 

「不安だ」

 

 そこにはまた黒い風船が浮かんでいた。黒い風船は今や直径七メートルほどに膨らんでいた。バカでかい。魔王はそれを見て満足そうに頷いた。

 

「あら、なかなか良い感じに膨らんできているじゃない。これほどまでに作者の中で『不安』が膨張していないと良いクライマックスは書けないわ。私は、大魔王ヴァヴェルとしてこの物語における敗北が運命づけられているけど、でも、どうせ負けるなら最高に盛り上がった展開の中で負けたい。あなただってそういうものが書きたいでしょ、作者さん? あなただってそういうものが読みたいでしょ、読者さん?」

 

 腕組みをしつつ、メイドが口を開いた。

 

「なんていうか、大魔王ヴァヴェルよ。あなたは私が思っていたのとだいぶ印象が違うな。LINEの文面ではもっとはっちゃけた感じだったが」

 

 魔王は微笑みつつ答えた。

 

「それは単純な理由よ、メイドさん。私、LINEを書く時は人格が変わるの。でも、それってみんなそうじゃない? 書く時には人格が変わるというのは。だって、書く時には考えざるを得ないんだから。考えたら人は変わる。当然よ」

 

 魔王はさらに言った。

 

「それに、この作者さんが私のキャラクターがまだ固まっていない時にあんな台詞を不用意にも書いたという理由もあるわ。たしか、『ルール』だったかしら? 『書いたことは取り消さない』 私もこのルールに縛られているのよ、作中内存在としてね」

 

 それまで状況を観察していたマルタがようやく口を開いた。

 

「鞍久保さん……いえ、大魔王ヴァヴェル。あなたはこの世界がそのコテクの生み出した物語であることを知っているみたいね。私としてはまだそのことについて半信半疑なんだけど、あなたの口ぶりからすると……あなたは確信しているみたい」

 

 魔王は私をその胸に抱き直すと、妖艶な笑みを浮かべつつ答えた。デカい猫が小さい猫を抱いている感じだにゃあ。

 

「そうよ、私はそのことを知っているわ。なぜなら、そのようなキャラクターとして創造されたからよ。この作者さんは、ラスボスである私のキャラクター付けをどのようにするか数日間悩んでいたわ。それで、最終的に得た結論はこうだったの。『そうだ、第四の壁を破るキャラにしよう』ってね」

 

 第四の壁とそれを破ることについて、詳しい説明をすると字数を食い過ぎてしまうにゃあ。そもそも私はそれほどそれについて詳しくない。というより、何も知らないにゃあ。

 

 第四の壁を破るキャラについて、ここはいちおう「フィクションの側からフィクションの受け取り手側へと語りかけてくる・働きかけてくるキャラクター」だと考えてもらいたいにゃあ。そうすればこの先も不自由なく話についてこれるはずですにゃあ。

 

 メイドがいつもどおりの冷静な声で言った。

 

「これはまた面倒なキャラ付けにしたな。そもそも、そこの猫は『第四の壁を破る』ということについてよく分かっているのか?」

 

 だから、ぶっちゃけ、それについてはあまり知らないんだにゃあ。そう私は答えようとしたが、魔王が遮って答えたんだにゃあ。

 

「その疑問は今更な気がするけど? だって、この物語の書き方自体が『第四の壁を破る』ものなんだから。この作者さんは常に地の文で読者に対して語りかけていたはずよ。それも、作中内存在の猫としてね。だからこの作者さんは『第四の壁を破る』ことについては常に意識して、実践してきたはず。そうじゃない、読者の皆さん?」

 

 けっこう魔王の胸はふっくらとしていて居心地が良かったんだにゃあ。こう書くことによって私は魔王に関する更なる詳細な情報を読者に提供しているんだにゃあ。魔王はさらに言ったんだにゃあ。

 

「まあ、私としても『第四の壁を破るキャラ』なんて今日ではありふれている、ありていに言えば陳腐な発想だと思うけど、でも仕方ないわね。そんな発想でも物語を進めるためならば縋らざるを得ないわ」

 

 そう言ってから、魔王はさらに威圧感を増した口調で、改めて言ったんだにゃあ。

 

「さて、聖魔法少女マルタ。あなたはこれからまだ四体の怪物を倒さないといけない。タラスクに、ラタヴィツァに、どこかの星から来たUFO、それからあの『不安』かしら? ちょっと数が多いけど、そういう展開になっているから仕方ないわね。読者としても主人公の活躍をもっと読みたいでしょうし。だから、悪いけど戦ってもらうわ」

 

 魔王は虚空を飛ぶ猛禽類をも落とすような鋭い声で叫んだ。

 

「タラスクにラタヴィツァ! 出てきなさい! ここで聖魔法少女マルタと戦うのよ! 今がまさにこの物語のクライマックス! さあ、フィナーレに向けて展開を盛り上げてちょうだい! 戦いと鮮血でこの第六章を華やかに彩るのよ!」

 

 その直後、轟音と共に何か巨大なものが空から降ってきたんだにゃあ。大きな振動と共に土煙が巻き起こって、辺り一面は何も見えなくなってしまった。数秒が経過して視界が晴れると、そこには亀のような竜のような怪物のタラスクがいた。その甲羅の上には夜空の流星のようなラタヴィツァが乗っていたにゃあ。

 

 凶悪な鳴き声を発した後に、タラスクが邪悪な声で言った。

 

「大魔王様、ここは我らにお任せください。必ずや聖魔法少女マルタを仕留めてみせます」

 

 ラタヴィツァも風に溶け込むような声で、タラスクに続けて言った。

 

「ヴァヴェル様、今夜は祝勝会を開きましょうね。聖魔法少女マルタの頭蓋骨で作った盃で、美味しいオレンジジュースを飲みましょう」

 

 魔王は満足そうに部下に向かって頷くと、マルタに向かって言ったんだにゃあ。

 

「そういうわけだから、ちょっとこの二人と遊んでいてちょうだい。私は今からこの作者さんと内密に話があるの。大丈夫、そんなに心配しなくて良いわ。展開的に考えてあなたはきっとこの二人に勝てるでしょうし、それに私にも無事に勝てるはず。そうでしょう? 作者さん。あなたはそういう物語を書くはずよね?」

 

 そのように言われると「いいえ、書きません」と答えたくなるのだが、私は「ええ、はい。そうですにゃあ」と答えるしかなかった。なぜそのように答えたかと言えば、魔王が怖かったからだにゃあ。自分の生み出したキャラクターではあるが、私自身もこの物語におけるキャラクターの一人であり、それゆえにラスボスである魔王の迫力に気圧されていたんだにゃあ。

 

 目を細めながら魔王は言った。

 

「よしよし、いい子ね。それじゃあ、私たちはこれから文化部棟一階の生徒控室に行くわ。そこが私の本拠地である『邪竜の魔窟』っていうことになっているの。マルタ、二人を倒したらそこに来てね。なるべく早く来るのよ」

 

 魔王はその場を立ち去ろうとした。それを引き留めるようにマルタが叫んだ。

 

「ちょっと、待ちなさい! いえ、ここで『待ちなさい』というのは止まれという意味ではなくて……とにかく、ちょっと待ちなさい!」

 

 魔王は立ち止まって、答えた。

 

「マルタ、その待てというのは、あなたは何か私に訊きたいことがあるということね。何かしら? ここで無駄な会話を挟むと展開が死んじゃうから、できるだけ手短に話してちょうだい」

 

 間を置かずにマルタは言った。

 

「あなたはこの先の展開を知っているのよね? そして、自分が最終的には負けることもちゃんと分かっている。それなら、今この場で私に降参したらどうかしら? そうしたら、あなたがさっき言っていたように『文字数の圧縮』と『展開を早めること』ができるんじゃない?」

 

 魔王は軽く笑ってから答えた。

 

「なんだ、ここでもお約束が来るのね。戦う前に降伏勧告をするなんて、いかにも魔法少女ものの『主人公』って感じじゃない。この物語が始まった時、あなたは主人公なんてやりたくないって言っていたのに、今ではすっかりそれが板についている。真面目なのね」

 

 ふたたび魔王は歩き出した。歩きながら魔王は言った。

 

「私の答えは『NO』よ、マルタ。あなたは私たちと戦わなければならない。これはそういう物語なのよ。ここまでけっこうあなたも戦ってきて疲れていると思うけど、ついでだから最後まで主人公をやってちょうだい」

 

 最後に、付け加えるように魔王は言った。

 

「私は大魔王ヴァヴェル、あなたに倒される存在。マルタ、あなたが主人公で良かったわ。あなたは主人公らしくて、これまでいつも真っ直ぐだったから。じゃあ、また後で」

 

 去ろうとした魔王に、マルタがまた叫んだ。

 

「待ちなさい! すっかり言い忘れていたけど、コテクを私に返して! いろいろとめちゃくちゃをしてきたけど、いちおう私の友達なのよ!」

 

 私は嬉しかった。魔王も少し嬉しそうな顔をした。しかし返事はしなかった。

 

 はい、ここでいきなり場所が文化部棟一階の生徒控室に変わりましたにゃあ。なぜ場面が突然変わったかと言えば、魔王が私を抱き抱えたままワープしたからなんですにゃあ。

 

 魔王は私を抱いたまま、黒革張りのソファーにそっと腰を下ろした。このように私が書くと、それを見計らったように魔王が言ったんだにゃあ。

 

「そうよ、そのとおり。私はあなたと一緒にワープしたの。それに、単なる移動の描写にこれ以上文字数を費やすわけにはいかないわ。でも、いちおうこの生徒控室がどんな様子であるのかは、一行か二行でも良いから書いておくべきじゃない? いちおう、この物語は小説として書かれているのだから」

 

 魔王の言うことにそのまま従うのも業腹だったが、それもそうだにゃあと私は考え直した。じゃあ、書くかにゃあ。

 

 そこはつい昨日までは単なる生徒控室だった。控室というのは名ばかりで、実際は文化部棟のあらゆる部室から出てくるあらゆる粗大ごみが詰め込まれた物置のようなものだった。だが、今ではまったく様相が異なっていた。

 

 そこは今や「邪竜の魔窟」だった。剥き出しの石材の壁にはところどころに虫食いのできたタペストリーがかかっており、青銅製の燭台が薄い光を放って暗い室内を僅かに照らしていた。純金製の香炉がバラの香りを放っていたが、その中にはほのかに埃と血の臭いが混ざっていた。

 

 魔王はちょっとだけ不満そうな顔をした。

 

「悪くない文章だけど、ちょっと文字数を使い過ぎたわね。それから埃と血の臭いは余計だと思うわ。はあ、こんな調子でちゃんと第六章が終わるのかしら?」

 

 あ、そうだにゃあ。私はひとつ大切なことに気が付いた。さっきから私はこの魔王に対してけっこうフランクに話していて、魔王もまた私に対してまったく敵意を見せていないから、ついこのまま話を続けそうになってしまっていたが、いちおう魔王は魔王であり、この物語のラスボスであるから、それなりにそういう会話を挟む必要がありそうだ。そういうことならさっそく書いておこう。

 

 私はわざとらしく恐怖でぶるぶると体を震わせて言った。

 

「この私を拉致して、いったい何をする気なんだにゃあ? 話とは何だにゃ? もしかして、魔王が勝利するように話を書き直せと命令するつもりかにゃ?」

 

 魔王も殊更に悪魔的な笑みを浮かべ、やや芝居がかった声音と声量で私に答えた。

 

「作者、ああ、可愛いかわいい子猫の作者、マルタの使い魔、コテクよ。私は大魔王ヴァヴェル。この世を支配せんとする邪竜なり。私の敵は聖魔法少女マルタ、そして、私の目的はあなた。この物語の進行を司るあなたを我がものとして、私はこの世界の真なる支配者となる」

 

 魔王の細身の身体から、膨大な魔力の赤黒い波動が爆発的に放出された。私の体はさらに震えた。魔王はあたかも全世界に宣言するように言葉を発した。

 

「さあ、我が胸に抱かれ、我が望みと救いとを知るが良い! ヴァヴェルは支配する者。与え、奪い、ありとあらゆる喜悦と絶望をこの世の人間に振りまかんとする者なり。この世を記述する者、汝コテクよ、我がものとなれ。我が力となり、我が神髄と精粋とをその文に起こして、我が絶対支配を確立せよ!」

 

 部屋の中のあらゆるものが振動していた。この世が今にも崩壊するのではないかと思われるほどの魔力の暴風が、邪竜の巣窟の中で吹き荒れていた。

 

 すると、突然、魔王は魔力の放出を停止した。そして魔王はちょっと舌を出して、いたずらっ子のように明るい笑みを浮かべた。

 

「……と、こんなもので良いかしら? これでノルマは果たしたわね。どう、作者さん? あなたはこれで満足?」

 

 けっこうそれっぽい描写ができて満足しておりますにゃあ。私がこのように書くと、魔王も満足したように頷いた。

 

「私はあなたから生まれた存在、あなたが生み出したキャラクター。だから、あなたがこの『邪竜の魔窟』で本当は何を書こうと思っているのか、理解しているわ。今のはほんの、申し訳程度の読者サービスというやつよ」

 

 ようやく魔王のキャラが掴めてきた感じがする。魔王はさらに言った。

 

「あなたがこれから書こうとしていること、そして私がこれから話そうとしていることは、もっと別のことになるわ。それこそ、本当の意味でメタ・フィクション的なことを語らなければならない」

 

 そう言ってから、魔王は「あら?」と言った。魔王の視線の先には薄緑色に輝くUFOが浮かんでいた。それはプロキシマ星系第五惑星人の移民船だった。魔王は言った。

 

「そういえば、あなたはすっかりこれの処理を忘れていたんじゃない? どうするの、これ? それに、第三章ではこのUFOの大きさを『軽自動車並み』って書いていたと思うけど、今ではバスケットボールくらいのサイズになってるじゃない」

 

 私は相変わらず魔王に抱かれたままなんだにゃあ。魔王からは良い匂いがするけど、それは身震いするような匂いなんだにゃあ。こう書くことで私は読者に対して魔王の情報を(略)。私は魔王に言ったんだにゃあ。

 

「でも、どうやって処理をしたら良いものか、見当もつかないんですにゃあ」

 

 魔王は優しく私を撫でながら言った。その手は柔らかく、ひんやりとしていた。

 

「見当もつかないなんて、そんなに自信のないことを作者が言ってはならないわ。一緒に考えてみましょう? そもそも、あなたはこのUFOをどういう意図で登場させたの? 第三章の段階ではいかにもネタ切れという感じで登場したけど。でも、他にも理由はあったのでしょう? UFOを出した意図はなんだったの?」

 

 そうですにゃあ。ちゃんと理由はあった。聖魔法少女マルタは聖書の言葉で戦う魔法少女、ならば、その聖書の言葉がまるっきり通用しないであろう宇宙人を敵として出したら、きっと戦闘が盛り上がると思った。神の福音とイエスの物語は、地球から遠く離れた異星人の心にも響くのか? そういう話にしたかったんですにゃあ。

 

 魔王はふんふんと頷いた。ひとしきり頷いてから魔王は言った。

 

「でも、それは書けなかった。なぜなら文字数が足りなかったし、それにあなた自身にそれを書ききる実力がなかった。いえ、実力ではなくて、意志がなかったのかもしれないわね。この物語はキリスト教とその信仰を主題としたものではないから」

 

 そのとおりですにゃあ。あと、それが書けるか、やはり不安だったというのもありますにゃあ。不安だったからできるだけ目を背けていて、いつの間にか今のこの場面になってしまった。そういうどうしようもない流れの終着点が今ですにゃあ。

 

 魔王は笑った。

 

「本当に、しょうがない作者さんね。それなら、私がなんとかしてあげましょう」

 

 そう言うと、魔王は軽く手を振った。魔王の手から血よりも暗く炎よりも明るい真紅の魔力が放出され、それがUFOを包み込んだ。十秒ほど経った後に、UFOの中から機械音がし、マイクで増幅された声が響いてきた。

 

「二兆五千億の移民団全員を代表して感謝する、大魔王ヴァヴェル! 浄化槽は無事に修理された! また、今あなたから分けていただいた莫大な魔力によって、エネルギー問題も解消された! 我らはこれより直ちに星間飛行を再開する! またお会いすることもあるだろう! では、さらばだ!」

 

 UFOは空間に青い軌跡を残してその場から消え去った。魔王は静かに言った。

 

「これでUFOの出番はおしまいね。あとはマルタがタラスクとラタヴィツァに勝てば良いだけなんだけど……彼女、もしかして負けるなんてことはないかしら? その点については大丈夫なの?」

 

 魔王はそう言いつつ、私の両耳を乱暴に包み込むようにして刺激したんだにゃあ。ふにゃあ! 思わず変な声が口から漏れてしまった。大丈夫、マルタは勝ちますにゃ。そう言うと、魔王はさらに、今度は囁くような声で私に言ったんだにゃあ。

 

「……ねえ」

 

 なんですかにゃあ? 魔王は囁き声でまた言った。

 

「……まだ不安なの? 不安なんでしょう?」

 

 私は心臓が跳ね上がるのを感じたんだにゃあ。それはまさしく今の私の心境そのものだったからなんだにゃあ。これまで私は、あの黒い風船という形で私の不安を表現してきたんだにゃあ。でも、作中内のキャラクターから「お前は不安なのだ」と直接的に言われたことはなかったんだにゃあ。そんな私に魔王は言ったんだにゃあ。

 

「私はあなたと、思考と視点を共有している。だから、あなたが今、どれだけ不安を感じているのかは手に取るように分かる。それにあの黒い風船の『不安』も、設定上は私の部下ということになっているのだから、あの『不安』が膨らめば膨らむほど、あなた自身の不安の程度がどのくらい高まっているかも分かる」

 

 魔王は続けて言った。

 

「あなたの執筆の原動力は不安。不安があなたを突き動かしている。『ちゃんと書けるのだろうか?』『最後まで書ききることができるだろうか?』『締め切りは?』『面白い物語になるのだろうか?』『正確な日本語が書けているのだろうか?』『展開は唐突になっていないだろうか?』……あら、こう書いていて、あなたはまた新しい不安を覚えたわね。『この第六章の展開は不自然なものになっていないだろうか?』『魔王のキャラ性はちゃんと伝わるのだろうか?』 なるほどね」

 

 魔王はさらに言葉を続けた。

 

「不安があなたの原動力であり、また想像力の源泉でもある。あなたが私を生み出したのも、まさにあなたが不安を覚えていたから。そうじゃない? この第六章が始まる前、あなたは極度の不安を覚えていた。その不安は主に二種類だった。ひとつは『いったいどうやってラスボスの魔王を書いたものだろう?』というもの、それから……」

 

 髪をかきあげてから、魔王はまた言った。

 

「もうひとつは、もっと深刻なもの。『この作品が、どんどん普通のキャラクター小説になっていってしまっているのではないか?』という不安。この二種類の不安が合わさって、あなたは数日間も夜眠れない状態に陥ってしまった」

 

 そう言ってから、魔王は誰もいないはずの室内をきょろきょろと見回した。そして、どこかがっかりしたように言った。

 

「私にもマルタのように、あのメイドみたいな狂言回しがいれば良かったんだけど。そうすればこの、ひたすら続く私の台詞に緩急が生まれて、面白くもなればドラマチックにもなったはず。ねえ、どうしてそうしてくれなかったのかしら? 私、これからは自分の台詞だけで読者の興味を惹きつけないといけないのよ」

 

 本当はラタヴィツァがその役目だったんですにゃあ。そう書くと、魔王は頷いた。

 

「そう。いちおう考えてくれていたのね。ありがとう。でもあの子、いつもスマホを見るのに夢中で、あまり私とはお喋りをしてくれないのよ。狂言回しとしては不適格ね……さて、話を戻すわ。あなたの不安の話だったわね」

 

 魔王はまた私を撫で始めたんですにゃあ。私の喉がゴロゴロと鳴った。魔王は大したテクニシャンだった。

 

「私があなたをここに連れてきたのは、あなたの不安について解き明かすため。というよりも、この作品がそもそもどういう作品であったのか、それをあなたの不安を通じて一緒に考えるためだったのよ。私は当然、あなたの考えを知っている。でも、それはまだ語られていない。だから、私が今ここであなたの話し相手になってあげるから、それを一緒に書いていきましょう」

 

 私は、作中内存在のコテクとして、次のように台詞を言わなければならなかった。

 

「なぜ、ラスボスの魔王がわざわざそのようなことをするんだにゃあ。そのことが魔王にとってどんな意味があるんだにゃあ」

 

 魔王は明るく笑って答えた。

 

「私はあなたの感情をも共有しているのよ。あなたが不安なら、私も不安なの」

 

 魔王は急に表情を曇らせた。切れ長の美しい目には深い憂いが宿っていた。

 

「魔王は何も恐れない。勇者も、軍隊も、法律も、国家も、道徳と倫理、宗教、いえ、神であろうと作者であろうと、魔王は何も恐れないわ。でも、たった一つだけ、例外がある。魔王すらも恐れさせ、あるいは死へとすら追いやるものがある。それは、不安なのよ」

 

 魔王はふっと私の両耳に息を吹きかけたんだにゃあ。それは魔王らしからぬ、清涼な息吹だった。魔王が何か悪だくみをしているのではないかと警戒していた私は、その息吹で魔王の言葉を信じることにした、んだにゃあ。魔王は言った。

 

「私の不安はあなたの不安。『この先どうなるんだろう』という不安は、魂すらもすり潰し、ついには抹殺するわ。だから、あなたの不安を解きほぐせば、きっと私も不安ではなくなる。もし解きほぐせるものならばね。もしかしたら絶望的な試みかも」

 

 魔王は呟くように、しかしどこか苦しみのこもった声で言った。

 

「今、私は死にそうなほど不安なの。だから、私のお喋りに付き合って。私はこれからお喋りをして、この作品全体の構造と特徴とを指摘して、最終的にはあなたの不安の淵源を探ろうというの。いうなれば、セラピーみたいなものね」

 

 私は頷いて、了承の意を示したにゃあ。魔王は「ありがとう、作者さん」と言った。

 

 そこで表情を和らげてから、魔王は言った。

 

「さて、魔王さん。話が飛んだから、もう一度確認をしておくわね。あなたはこの第六章を書く前に、極度の不安に襲われていた。ひとつは私のキャラクター性をどうするかという不安。そしてもう一つは、この作品が徐々に普通のフィクションになってしまっていて、当初目指していたメタ・フィクション的な性格をどんどん喪失しているのに、その流れをもはやどうすることもできないという不安。そうだったわね?」

 

 改めてそう聞かされると、そのふたつはまさに私の不安そのものだったんだにゃあ。

 

 でも、誤算だったのは、魔王が……とここまで書いてから、また魔王が勝手に口を挟んできたんだにゃあ。

 

「なぜ、魔王は勝手に口を挟むのか? なぜなら、私は生きたキャラクターだから。勝手に口を挟んでくるのは、あなたの生み出したキャラクターがしっかりと機能している証拠よ。ところで、あなたにとっての誤算は、私がまさにその『勝手に口を挟んでくる』キャラクターである、ということじゃないかしら?」

 

 魔王は私を抱いたままソファーから立ち上がったんだにゃあ。魔王は私を抱きながら、テーブルの周りをぐるぐると歩き始めた。

 

「あなたは、先ほどの二つの不安を同時に解消できるようなアイデアを模索した。たしか、アイデアというものは、複数の問題を一挙に、かつ経済的に解決する方法のことを言うのよね。あなたは煙草を吸いながら考えた。第三章から第四章、そして第五章にかけて、この小説はけっこう普通の小説になってしまった。それはだんだんあなた自身が作者そのものではなくなり、次第ににゃあにゃあと地の文で言い始めたり、あるいは新キャラが続々と投入されてバトルが連続したりしたことで、ますますその流れは加速してしまった。黒猫のコテクではない作者であるあなた、しかし実際にはまだ作者性をギリギリのところで残している黒猫のコテクのあなたは、なんとかその流れを変えようとしたけど、やはり上手くいかなかった。それはなぜか?」

 

 私が作者そのものではなくなりつつあることなど、私はとっくの昔に知っていたにゃあ。普通のメタ・フィクション的な小説だと、私の葛藤や苦しみをもっと描くのだろうけど、作者も、この私も、それを描くことに興味はないんだにゃあ。おそらく、私の不安は、私が私ではなくなっていくことに由来はしていないんだにゃあ。何かもっと別種の理由があるはずなんだにゃあ。だから、それについて書く必要はないんだにゃあ。

 

 そんなことよりも、今は魔王の疑問に答えるべきだった。でもそれは面倒くさいにゃあ。しかし魔王は首を左右に振って、私の口に人差し指をちょっと当てた。今は黙っていて欲しいということだろう。

 

「あなたはこう考えた。そもそも、この小説の特徴としてあなたが導入した最大の仕掛けは、『作者であるあなた自身が物語世界に入ること』だった。そうすることであなたは作中内存在でありながら作者であるという、まさにフィクションとメタ・フィクションとの境目を自由に行き来できる存在になれた」

 

 だが、魔王は溜息をついて言った。

 

「いえ、正確には、なれるはずだった。でも、結局は失敗が明らかになった」

 

 失敗と言われて私はムッとした。しかし魔王はそんな不機嫌な私を、あたかも赤ん坊をあやすような抱き方で、よしよしと言いながら抱き続けた。魔王は言った。

 

「あなたの失敗は、他のキャラクターは無理であるとしても、作者そのものであるキャラクターならば、完全に制御できると信じてしまったこと。確かに、あなたは第二章まで作者、つまりコテクを自分そのものとして扱うことができていた。あなたの書き方は俯瞰的で、ややフィクション寄りではあるけれども、フィクション外にしっかりと身を置くことができていた。その時点では、あなたとしてもメタ・フィクション的な作品が書けているという自信を持つことができていた。あなたの不安は小さくて、このまま面白い作品になると信じることができた」

 

 魔王はなおもテーブルの周りを歩き続けた。テーブルの上には、いつの間にか冷えたオレンジジュースの缶が置かれていた。魔王は言った。

 

「でも、第三章になっていきなり敵が増えて、またマルタにはメイドという仲間ができた。キャラクターとキャラクターとの交流が増し、それに加えてあなたは聖魔法少女マルタの使い魔の黒猫コテクとして、作中内存在としての役割を多く果たさなければならなくなった。ここであなたは作者自身として語ることが少なくなり、自身のことを作者であると思っている黒猫コテクとして語ることが多くなっていった。それはつまり、この作品のそもそもの特徴である、作者自身が作中内存在としてメタ・フィクションを展開していくという目論見が、崩壊し始めたことを意味していた」

 

 魔王はまたソファーに座った。魔王は私を抱いたままだった。

 

「あなたはこの危機的な状況を素早く認識していた。このままでは、作品のコンセプトがおかしくなる。でも、どう対処すれば良いのか分からない。それが一層不安を増した。『この作品は失敗作になるかもしれない』という不安がどんどん膨らんでいく。たびたび作中内に黒い風船が登場したのは、その証拠ね」

 

 オレンジジュースの缶の表面の水滴を指先で拭ってから、魔王はさらに言った。

 

「ここであなたは、そこで立ち止まって方向転換を図れば良かったのに、不安から逃れたい一心で、マルタと怪物たちとの戦いの描写を書くことにのめり込んでしまった。だらだらと、本筋の内容には関係のない、ごく普通な能力バトルをあなたは書き続けた。その最中にもあなたはどんどん作中内存在としての役割を果たすようになっていて、ますますメタ・フィクション的な性格は失われていった」

 

 

 そこまで話してから、魔王はちょっとだけ咳き込んだ。

 

「さっき埃っぽい部屋って書いたのは失敗だったわね。ねえ、今からでも遅くないから、この部屋に空気清浄機を置いてくれない?」

 

 そうだにゃあ。部屋には空気清浄機があった。魔王は頷くと、空気清浄機の電源ボタンを押した。機械は低い音を立てて機能し始めた。

 

 気を取り直したように魔王は言った。

 

「第五章が終わりかけの頃、あなたはようやく、ここで大きな方向転換が必要なことに改めて気づいた。コンセプトの崩壊を防ぐには、もう第六章でどうにかするしかない。そこで、私を早々に登場させたのよ。私という新キャラを登場させて、あの二つの不安を一挙に解決させようとしたのね。では、私はどのようなキャラクターとして生み出されたのか? そのことを話す前に……ちょっと良いかしら?」

 

 なんですにゃあ? と私が書くと、魔王は言った。

 

「ここから話が長くなりそうなの。ちょっと読者に対して警告しておいて」

 

 はい、魔王の話は長くなりそうだからここでいったん台詞を切るにゃあ。話が長くなりますよ。そして魔王は語り始めた。

 

「あなたはこの第六章を書き始める前、自分の知識の少なさ、自分の思考力の乏しさを不安に思いながら、こう考えていた。つまり、既存のフィクション作品に登場する『第四の壁を破る』キャラクターたちは、メタ・フィクション的な役割を演じておきながらも、実のところを言うと、限りなく非メタ・フィクション的なキャラクターたちである。なぜなら彼らが第四の壁を破るその場面は予め作者側によって高度に設計・意図されており、また、彼らのメタ・フィクション的な台詞や行為も高度に計算されたもので、それによって彼らが作品の構造そのものを破壊することがないように配慮されているからである。つまり、彼らのメタ・フィクション的な発言や行為によって、作品そのものがメタ・フィクション化することは決してない。彼らは読者や受け手に対して『この作品はフィクションなんです』と示すことはできても、それによって作品の構造そのものをフィクションからメタ・フィクションへと変えることは絶対にできない。いうなれば、彼らはメタ・フィクション的な役割を演じることによって、フィクションの構造そのものを強化している。つまり『第四の壁を破る』キャラクターは、仮にその台詞や行為そのものという次元において壁を破るという革新性があったとしても、本質としては既存のフィクション作品におけるキャラクターたちと何ら異なるところはない。普通のキャラも、『第四の壁を破る』キャラも、台詞や行為によって作品世界を構成し、フィクション性を強化している点では変わらないのだから……」

 

 ここまで言っておいて、魔王は呆れたような声を上げた。

 

「ああ、ダメね。あなたの思考はぐるぐるぐるぐる、脳に電極を埋め込まれたネズミみたいに同じところを回っているだけで、全然結論に辿り着かないわ。ねえ、私が一言でばっさりと結論を言ってあげましょうか?」

 

 よろしくお願いしますにゃあ。魔王は言った。

 

「つまりあなたは、自分が生み出すキャラクターによって、自分の作品そのものをぶっ壊して欲しかったんでしょう? いえ、ここでは『自分の』という言葉すらも必要ではないわね。あなたは、自分の生み出すキャラクターによって、『作品』という概念そのものをぶっ壊したかった。それがあなたのそもそもの望みだった。そうじゃない?」

 

 いや、そうじゃないにゃあ。私は単に「誰も書こうとしないような小説にしたい」と思ってこの小説を書き始めただけだにゃあ。別にそういう大した野望は持っていないにゃあ。

 

 魔王はやれやれというふうに首を軽く振ってから言った。

 

「素直じゃないわね。私は魔王よ。あなたが無謀な野望を秘めていることなんてお見通しなの。でも、まあ、あなたがそう言うならそれでも良いわ。話を続けるわよ」

 

 ここで魔王は缶入りのオレンジジュースを飲んだんだにゃあ。ひとくち、ふたくちを飲んでから、魔王はテーブルにオレンジジュースを静かに置くと、私を抱き直して、また話を再開したんだにゃあ。

 

「あなたは『作品という構造そのものを破壊してみたい』と野望を抱いた。そのためには『キャラクター』というものを一から見直さないといけないと気づいた。だって、作品というものはつまるところキャラクターによって成り立っているのだから。だから、まずは自分自身を作中に投入してみた。それが章を追うごとにだんだん上手くいかなくなってしまった。困り果てたあなたは、『第四の壁を破る』キャラクターこそ、作品という構造を破壊する上で有効な武器になると、最初の思いつきへと戻ってきた。だから第六章という終盤になってから私を投入した。ひどい堂々巡りね」

 

 魔王はさらにオレンジジュースを飲んだ。「この部屋、まだちょっと埃っぽいのよ」と魔王は笑って言った。魔王はオレンジジュースを飲み終えると、また話を続けた。

 

「でも、ただの堂々巡りではなかった。同じ過ちを繰り返すわけにはいかなかったから。私は、既存の『第四の壁を破る』キャラクターではなく、『作者の意図しないタイミングにおいて、作者の意図しない台詞を喋り、作者の意図しない行為をするキャラクター』として設計された。言い換えれば、『勝手に口を挟んでくる』というキャラクターにしたのよ。まったく、完全に、作者のコントロールから解放されているようなキャラ。作者の作為や意図、フィクションへと回帰するような試み、そういったものをすべて破壊するキャラ、そういうものとして私を作った」

 

 魔王は指でオレンジジュースの空き缶を弾いた。缶はその場で高速で回転し始めた。

 

「あなたはそれで当面のところは満足した。私が自然に動けば予定調和的に作品という構造が破壊されると信じていたから。でも、実際はそうではなかった」

 

 魔王は私に頭を摺り寄せた。愛おしそうに頬ずりをして、そしてまた口を開いた。

 

「なぜなら、私が『勝手に口を挟んでくる』場面を書く時には、あなたはすでに作者として計算を働かせていたからよ。勝手に口を挟ませようと思っても、作者としてこの物語を書いている以上、その『勝手に』すらもあなたによって作り出されたものに過ぎない。作者の意図しない台詞、作者の意図しない行為を書こうと思っても、それを書き始めた時には既にそれは意図されたものになってしまっていて、そこでは『勝手に』という要素は消滅してしまっている。あなたはそのことに気づかないまま私というキャラクターを書き始めてしまった」

 

 魔王はどこか遠くを見た。それは誰かに語りかけるようだった。

 

「ねえ、そうでしょ? ここまでの私の台詞はすべて、どこか計算されたところがない? この章の冒頭で私が言ったあの意味不明な台詞、あの突拍子もない台詞の数々を思い出してみて。あれは、本当に作者が意図しないで書いたものだったのかしら? そうではないのよ。あれを書いている時、作者は頭脳をフル回転させて、あの台詞を考えていたのよ。『作者の意図を超える台詞を書かねば』って意図してね」

 

 はあ、と溜息をついて、魔王は不満そうに言った。

 

「つまり、私はキャラクターの設計段階から不備があったのよ。作品そのものをメタ・フィクション化する、あるいは作品という構造そのものを破壊する、そういうキャラクターとして『勝手に口を挟んでくる』大魔王ヴァヴェルを書こうとしたのに、そもそも作者にとって書くもの、あるいは書こうとするものは、すべて意図されたものにならざるを得ないという大前提をあなたは忘れていた」

 

 魔王は咎めるように私の両耳を軽く引っ張ったんだにゃあ。魔王はまた言った。

 

「それはそうよね。だって、書くという行為はまさに意図するということなんですから」

 

 ここで魔王はいきなり顔を正面に向けて、誰かに向かって語りかけるように言ったんだにゃあ。

 

「ちなみにここまでの議論について、作者自身は大きな不安を覚えつつ書いているわ。『論理的な欠陥があるのではないか、いやそうに違いない』『議論っぽいことは書かないというルールを決めたのに、それを破ってしまった』『書くという行為はまさに意図するということ、などと書いてしまったが、では「書く」とはなにか、また「意図する」とはなにか、そういったことを検討もしないでこんなことを書いてしまった』 作者は一生懸命書いたと思っているけど、やっぱり不安みたいね」

 

 不安だにゃあ。魔王はさらに言った。

 

「でも、自分で書いておきながら、この『書くという行為はまさに意図するということ』という言葉を作者は気に入っているようね。私からすると、ちょっと誤魔化しというか、韜晦というか、ほのめかしが多分に含まれていてあまり好きじゃないけど」

 

 ここで魔王は首を傾げた。

 

「あ、でも、今の私の台詞そのものも作者の誤魔化しとか韜晦とかほのめかしの一種なんじゃないかしら? どうなの? 書いている最中にそのことを感じた? あるいは書く前にそのことを意図した?」

 

 感じたかもしれないし、意図したかもしれないにゃあ。でも、そんなことは次の一文を書いている間に忘れてしまうんだにゃあ。

 

 私も私なりに「書くことは意図すること」について考えた。そうだにゃあ、これまで魔王が言ったことはすべて正しい可能性があるけど、仮にそうだったとしても、それを確認したり検証したりする術がないんだにゃあ。作者というものは程度の差こそあれ常に何かを意図して書いているという可能性は大いにあるし、意図せずして書くということは不可能かもしれない。だけど、もしかしたら単にそれに気づいていないだけで、実はこれまでに何度か意図せずして書くということをやったことがあるかもしれないんだにゃあ。

 

 魔王は大きく頷いた。赤いメッシュの入った長い髪の毛が私の鼻先をくすぐったんだにゃあ。良い匂いがするにゃあ。

 

「そうかもしれないわね。これまでの私の台詞や行為の中に、あなたが意図しないで書いたものが、もしかしたらひとつかふたつは含まれているかもしれない。でも、それを確認する術はない。残念なことね」

 

 私は落胆したんだにゃあ。やはり、他の誰にも書けないような作品を書くというのは根本的に無理なのかもしれないし、そもそもその可能性を検討することすら不可能なのかもしれない。作者の意図しない台詞や行為を書くには、作者が極めて意図的にそれらを書くしかない。改めて書いてみるとそんなことは当たり前すぎて、これまで第六章の貴重な字数を費やしてでも考えて書くべきことではなかったような気がしてならないにゃあ。

 

 にゃあ! 私は叫んだんだにゃあ。やっぱり不安は的中したんだにゃあ! この作品はやっぱり失敗作だにゃあ! この作品はこのまま、ちょっとメタ・フィクション的であるだけの、ただのキャラクター小説として終わるんだにゃあ!

 

 しかし、魔王は言った。

 

「結論はまだ早いんじゃないかしら? この作品が失敗作であるか、それとも成功した作品であるのかは、最後まで書いてみなければ分からないでしょう?」

 

 最後まで書くって、いったい何を書くんだにゃあ? そのように思ったが、すぐに私はそれが何であるのか分かった。

 

 そうだ、これまで魔王の議論に付き合うのが精一杯で、マルタたちがどうなったのか書くのをすっかり忘れていたにゃあ!

 

 魔王が私を撫でながら言った。

 

「あなたが書かなければならないことはまだたくさん残っているわ。聖魔法少女マルタがどうやってタラスクとラタヴィツァを退けるのか、そして、この私をどうやって倒すのか。マルタの妹マリアのドラゴン化の呪いは解けるのか。どうやって、マルタはこの長い一日を終えるのか? そういったことを、やっぱり読者たちは知りたいはずよ。だって、それはもうすでに書かれ始めてしまったことなんだから」

 

 そう言ってから、魔王はしばらく口を閉じていた。ほんの少しだけ悲しみの感情が込められた声で、魔王はまた言った。

 

「ねえ、この作品は失敗作じゃないかもしれないけど、私はやっぱり失敗したキャラクターだったと思うわ。だって、設計段階からミスがあったんだから。私はこの物語に登場したその瞬間から失敗し続けているの。でも、私はここにいて、こうして台詞を喋っている。それは、あなたがそう書いたからよ。マルタやその他の大勢のキャラクターたちと同じく、私だって紛れもなくこの物語の一部なの」

 

 魔王は私を抱く力を少し強めてから、さらに言った。

 

「別に、そのことであなたに『物語を最後まで書け』なんて言わないわ。『私だって紛れもなくこの物語の一部なの、だから私のために最後まで書いて……』 それってなんだか、私が私自身を人質にしてあなたに無理な要求を突き付けているようで嫌だわ。物語を書くこと、作者として作品を作っていくこと、それがどうしても不安で、どうしても書きたくない、どうしても作りたくないというのなら、それは仕方がない。私は未完の物語の一部として、永遠に語られず永遠に書かれない存在として今後もあり続けていくだけよ」

 

 そう言ってから、魔王は私を抱き直した。今度は、魔王は正面から私を抱いていた。魔王はちょっと困ったような顔をして言った。

 

「あら、またあなたの不安が高まったのを感じるわ。『ここまで良い感じに書けただろうか?』『文字数稼ぎのようになっていないだろうか?』『魔王が作者にとって都合の良い存在になっていないだろうか?』『こんな調子でちゃんと第六章は終わるのだろうか』 なるほど、最後の不安は私も同じように思うわ」

 

 ああ、不安だにゃあ。あ、また語尾が戻ってしまった。しかし、とにかく、不安はいつまで経っても消えない。私が居心地悪そうに身を動かすと、魔王は優しい声で言った。

 

「これまでは、不安があなたを突き動かしてきた。けっこう能天気なことを書いていた場面でも、あなたは常に不安を感じていた。作者である自分が創作をする上で、不安は無くてはならないものだと思っていたのに、同時に、その不安から解放されたいと常に願っていた。いえ、今も願っているのね」

 

 あっ! ついに魔王は言ってしまったんだにゃあ! そう、魔王はついに私の本心を明かしてしまった。

 

 私は不安から解放されたい。私は不安に苦しめられ続けている。

 

 一日も早く、一刻も早く、私は不安から解放されたいにゃあ!

 

 魔王はなおも優しい言葉で言った。

 

「でも、この不安から解放されるためには作品を最後まで書き終えなければならなくて、でもでも、最後まで作品を書き終えるためにはどんどん不安を高めていかなければならない。ああ、気の毒な作者さん。あなたは物語の奴隷なんかではないわ。いうなれば、あなたは不安中毒なのよ。やめたいけど、やめられなくなっている」

 

 どうしたら良いのかにゃあ。私がそう書くと、魔王は少し戸惑ったように言った。

 

「そんなこと、私にも分からないわ。あなたの抱えている不安を解消するような魔法のような一言を言うことなんてできない。私にはあなたの不安を消すことができないの。むしろ、私を書けば書くほど、あなたの不安は増していくと思うわ。でも……」

 

 魔王はじっと私を見つめて言った。

 

「私にはあなたの不安を消すことはできなくても、あなたの生み出した別のキャラクターがあなたの不安を消すことはあり得るわ」

 

 それはやっぱり、マルタかにゃあ。魔王は厳かに頷いた。

 

「そうね、私もそう思うわ。マルタなら、あなたの不安を癒すことができるかもしれない。だって、あの子は紛れもなく主人公だから。主人公って、やっぱり作者にとっても特別な存在よ。ああ、メイドは無理ね。あの子のキャラはよく立っているけど、ただの狂言回しだし。双子の姉妹はぽっと出の単なる脇役で、怪物たちはあくまでも敵キャラ。こう考えると、この物語は登場するキャラクターがそんなに多くないわね。さて……」

 

 魔王は少し表情を引き締めて、私に向かって言った。

 

「話すべきことはもうすべて話したわ。この作品は失敗という結果に向かいつつある。でも、物語は最後まで書かれなければならない。作者さん、あなたはこれからここにマルタを連れてきてちょうだい。ここで決着をつけてしまいましょう。そうしたら、もしかしたら、マルタがあなたの不安を癒すまでもなく、物語が最後まで書かれたという結果によって、あなたの不安が解消されるかもしれない」

 

 魔王は立ち上がった。そして、命令するように私に言った。

 

「ルールを思い出しなさい! 『どんなに苦しい時でも小説を書け!』 そしてもう一つ、『小説ならばなんでもできると信じること!』 さあ、これから最終決戦よ! あなたの不安、そしてこの私の不安は、それが書かれればきっと解消される!」

 

 魔王は叫んだ。

 

「さあ、書いて! この物語のすべてのキャラクターたちのために!」

 

 私は頷くと、文章を書き始めることにした。

 

 それはまさしく激闘だった。

 

 マルタは己のすべての力を発揮して、強敵であるタラスクとラタヴィツァのコンビと互角以上に戦った。聖書による朗唱、「再現奇跡」、「即時参照」のうち、「即時参照」はコテクが魔王に拉致されてしまったために使うことができなかったが、それでも「再現奇跡」の能力はすさまじいまでの威力を発揮した。

 

 最終的には、マルタは両者を下すことに成功した。タラスクは度重なる聖句朗唱により邪気を払われ、甲羅が粉砕されてしまった。ラタヴィツァは「再現奇跡」によって飛んできた、ゴリアテを仕留めたダビデの投石がスマホを粉砕してしまったことで、両者は完全に戦意を喪失した。

 

 マルタは腰帯をタラスクの首にかけた。それはまさにあのヤコブス・ヴォラギヌスの『黄金伝説』の再現であった。ラタヴィツァは泣きながら壊れたスマホを持って教室へ帰っていった。

 

 怪物を退けると、マルタとメイドは『邪竜の魔窟』へと走った。二人は焦っていた。マルタが心配そうに言った。

 

「コテク、無事かしら。なにか悪いことに加担とかさせられていないと良いけど……」

 

 メイドが答えた。

 

「何か、あの魔王には別の思惑があるようだったな。酷いことにならなければ良いが」

 

 二人は文化部棟の前に来た。そこには一匹の黒の子猫がいた。それはコテクだった。マルタは「コテク!」と叫び、拾い上げて、その胸に抱いた。マルタはさらに言った。

 

「大丈夫、コテク? 何か酷いことをされなかった?」

 

 メイドも心配そうに言った。

 

「たとえば、反省会のようなものを開かれて、この物語全体の構造的な欠陥を目の当たりにさせられるとか、そういうことをされたりしなかったか?」

 

 マルタは「?」という顔をした。メイドはちょっとバツの悪そうな顔をして言った。

 

「いや、なんとなくそう思っただけだ。思ったというより、そう言わなければならないと思ったというか……」

 

 コテクは答えた。

 

「にゃー、大丈夫ですにゃあ。なかなか楽しいお喋りができましたにゃあ」

 

「やっと来てくれたわね」という声が響いた。邪悪な声だった。マルタとメイドは、強い電流に打たれたように体を一瞬震わせると、その声がする方向へと顔を向けた。

 

 そこには大魔王ヴァヴェルがいた。

 

 彼女は異様な雰囲気を纏いつつ、文化部棟の入口前に立っていた。魔王からは膨大な魔力が流れ出ていた。空気中で真紅の魔力の粒が弾けている。魔力の影響を受けて、近代的な建築の文化部棟はさながら中世の城塞のように古寂びていて、その上空には緑と黄色の妖雲が渦を巻いていた。

 

「さあ、聖魔法少女マルタ。決着をつけましょう」 そのように魔王は言った。

 

「そろそろ第六章もおしまい。あとたった四千字ほどで終わるわ。そうすればあなたの妹の呪いは解かれ、そして聖魔法少女マルタの長い一日も終わる。かかってきなさい」

 

 マルタは油断せずにその場に構えていた。メイドもファイティングポーズをとっていた。額に薄く汗を浮かべつつ、メイドが言った。

 

「大魔王ヴァヴェルよ、あなたは変身とかそういうことをしないのか? 大魔王というからには変身は必須だと思うが。ビジュアル的にも、アクション的にも」

 

 メイドの言葉には多分に挑発的な響きが含まれていたのだが、魔王は鷹揚に頷いた。

 

「それもそうね。じゃあ、ここで一気に最終形態になってしまいましょう」

 

 その言葉が終わった直後だった。突如として大爆発がその場で起こった。マルタは瞬時に聖なる力でバリアの膜を張り、それで自分自身とメイドとコテクとを包んで保護した。

 

 爆発は、魔王が一挙にその身に蓄積していた莫大な魔力を解放したために起こったのだった。魔王は今や、人間の高校生二年生、鞍久保流唄流の姿では無くなっていた。彼女は巨大化していた。黒く鋭いウロコが全身に生え、手足が太く長く伸び、胴体からはジェット旅客機もかくやといわんばかりの大きな両翼が生えていた。

 

 それはまさにドラゴンだった。目は赤く燃えていて、口から地獄の川に流れる蒼い炎が漏れ出ていた。頭部の二本の角は地獄の凍土すら粉砕するほどの鋭さだった。

 

 邪悪そのものの声音で魔王は言った。

 

「さあ、変身してあげたわよ。聖魔法少女マルタ、どうやって私を倒す? それとも、降参する? まさか、ここまで来てそんなことはしないでしょ?」

 

 マルタは「望むところよ!」と叫んで魔王に挑みかかった。

 

 マルタは高速で数々の聖書の章句を朗唱し、次々に邪竜にそのエネルギー波を命中させた。だが、それは傷一つつけなかった。マルタは「再現奇跡」を行使し、邪竜にソドムとゴモラを滅ぼしたあの硫黄と火を降り注がせた。結果は同じだった。

 

 攻めあぐね、マルタは肩で息をしていた。だが彼女には切り札があった。彼女は「即時参照」を行使した。先ほどまでのタラスクとラタヴィツァとの戦いでは使うことのできなかった能力だが、今度ばかりはしっかりと機能した。なぜならコテクが傍にいたからである。ノートが光った。

 

「邪竜ヴァヴェル、または大魔王ヴァヴェルは、世界支配を目的としている悪しき存在である。この世のありとあらゆる聖なるものを憎悪しており、特に聖なる力を持つ存在を自身の敵と見做して優先的に攻撃する。また、聖なる力に目覚める前の小さな子どもたちに呪いをかけ、自身の配下となるように改造を施す。その巨大な体躯はまさに難攻不落の要塞であり、つけ入る隙は一切ない。唯一の弱点はその暴食である。やつの体内に何か仕込むことができれば、勝ちを得ることができるだろう」

 

 だが、マルタはその情報を活かすことができなかった。邪竜は炎を吐き、悪しき波動をぶつけ、マルタを翻弄し続けた。マルタは次第に力を失いつつあった。メイドは倒れ、コテクも吹き飛ばされて土埃に塗れた。

 

 魔王が勝ち誇ったように言った。

 

「さあ、聖魔法少女マルタよ。そろそろ敗北を受け入れなさい。あなたに勝ち目はないわ。尤も、聖魔法少女は勝ち目がなくても戦い続けるのでしょうけど」

 

 マルタは、疲労によって掠れた声で答えた。

 

「あなたは、私をどうする気なの?」

 

 魔王は邪悪ながらもどこか面白がっているような声で言った。

 

「私、今日はお弁当を持ってくるのを忘れちゃってね。今、物凄くお腹が空いているの。だからあなたを食べて、ちょっとでも良いからお腹の足しにしようと思ってね。私、前からマルタのこと、とても美味しそうな女の子だなって思ってたのよ。だから、大人しく私に食べられてね」

 

 そこまで言ってから、魔王はちらりと視線をコテクへと向けた。コテクが僅かに頷くような素振りを見せた。魔王もまた、何かを了承したように一瞬だけ目を瞬かせた。ここがこの最終決戦の佳境であるようだった。

 

 魔王はまた言った。

 

「それとも、そこにいるメイドをあなたの身代わりにする? いくら私でも、一度に人間を二人も食べるほど大食いじゃないから、ここでメイドを食べるのだとしたら、あなたのことは見逃してあげる。命は助かるけど、友達を身代わりにして自分だけ生き残ってしまったという罪悪感を覚えたままあなたは生き続けることになる。こう考えると、メイドを食べた方が、よりあなたを痛めつけることができて良さそうね」

 

 今にも倒れそうだったマルタだったが、魔王のその言葉を聞いて、きっぱりとした口調で言った。

 

「それなら、私を食べなさい。友達を身代わりにするなんて、私にはできないわ」

 

 コテクはマルタを見た。マルタはまったく絶望していなかった。それどころか、彼女はコテクに対して、何か笑みらしきものすら浮かべていた。コテクも頷いた。

 

 魔王は長い首を伸ばし、鋭い牙が何本も生えそろった大きな口を開けて、マルタに向かって言った。

 

「それなら、あなたを遠慮なく食べることにするわ。それじゃ、いただきます」

 

 小さな地獄がその入口を開き、そして瞬時にして、マルタは丸呑みにされた。その鋭い牙で咀嚼をされなかったのは、大魔王がその食道や胃の中で、食べられたものが断末魔の苦しみに悶えるのを直に感じて楽しむためであった。

 

 しかし、これこそがマルタの狙い目だった。

 

 食道を通り抜けて、マルタは魔王の胃の中に辿り着いた。胃の中にはすでに凶悪な胃酸が満ちつつあった。靴や衣装に酸の滴が降りかかり、不吉な音を立てていたが、それでもマルタは冷静そのものだった。マルタは聖書を開くと、静かな、そして満ちたりた表情で、ある一節を朗唱し始めた。

 

「『イエス答へて言ひ給ふ『すべて此の水をのむ者は、また渇かん。されど我があたふる水を飲む者は、永遠に渇くことなし。わが与ふる水は彼の中にて泉となり、永遠の生命の水湧きいづべし』

 

『ヨハネ福音書』第四章第十三節から第十四節である。メイドがいないのでここは代わりに出典を言っておく。

 

 朗唱が終わった瞬間、ドラゴンの胃の中に聖なる命の水が湧き出てきた。命の水は満ちつつあった胃酸を跳ね除け、さらには胃に繋がっている他の臓器へと侵入をしていき、大魔王ヴァヴェルをその体内から焼いた。

 

「こ、これは……!? ああ、マルタ、なんてことを! グ、グォオオッ……!」

 

 大魔王ヴァヴェルは苦悶し、嘔吐を繰り返した。ほどなくして、マルタはそのままの姿で外へと吐き出された。マルタを吐き出した後も魔王は命の水を吐き続け、しかし吐くものは永遠になくならず、瞬時の絶え間もなく魔王を苦しめ続けた。

 

 ついに、魔王は地響きを立てて倒れた。魔王は次第に小さくなっていき、ドラゴンとしての姿形を失っていった。そして、もとの高校生鞍久保流唄流の姿に戻った。ただし、頭には二本の角が生えたままだった。

 

 マルタは魔王の元へと走り寄った。殺してしまったのではないかと心配したからだった。だが、魔王は生きていた。魔王はどこか満ち足りたような顔をして、マルタに言った。

 

「聖魔法少女マルタ、あなたの勝ちよ。私はあなたに完敗したわ。負けたのだから、これから私はあなたの言いなり。あなたの妹にかけた呪いも解きましょう」

 

 マルタはどこか優しいまなざしで魔王を見つめつつ、言った。

 

「大魔王ヴァヴェル、あなたは、自分の敗北を既に知っていたはず。それなのに、どうして私と戦ったの?」

 

 魔王は答えた。

 

「それは、そこにいる作者のコテクのため。私とあなたとの最終決戦を書ききって、この作品を終わらせれば、作者が抱えている不安はすべて解消される。あの作者の不安は、私の不安でもあったの。だから私はあなたと戦った。私だって、不安から解放されたかったから。戦いも無事に終わって今では作者も満足しているはずよ。そうよね、作者さん?」

 

 そうですにゃあ、と私は言った。

 

 聖魔法少女マルタはついに大魔王ヴァヴェルを打ち倒した。これにて聖魔法少女マルタの物語はおしまいです。

 

 書きたいものを充分書ききったし、最初はとてもじゃないけど書ききれないと思っていた第六章もこうして書き終えることができた。最後の最後に、魔王の力を借りて、この作品をメタ・フィクション的なものに戻すこともできたと思う。色々と反省点の多い作品にはなったと思うが、失敗作ではないはずだにゃあ。

 

 今はもう、不安などどこにもなくて、心の底から満足しているにゃあ。そう、本当に、不思議なくらいに、今は満足している。不安などまったくない。

 

 だから、このままこの物語を終わりにしてしまおう。私はマルタとメイドと魔王に声をかけたんだにゃあ。

 

「さあ、これからここに集まってくださいにゃあ。今からエピローグに何を書くか、その打ち合わせをしますからにゃあ」

 

 マルタが答えた。「分かったわ。今、そっちにいく」

 

 メイドが答えた。「エピローグか。いつの間にそんなに時間が経っていたのかな」

 

 魔王が言った。「私も加えてくれるなんて、優しい作者さんね」

 

 三人が私の元に集まって、マルタが私を抱き上げた。マルタからは、埃と血と、汗と、勝利の匂いがした。

 

 その時だった。

 

「不安だ」

 

 そこに、巨大な黒い風船が浮かんでいた。それは夏真っ盛りの時、遠くの青空を制圧している積乱雲くらいのサイズになっていて、校舎の上に浮かんでいた。すでに午後遅くになってしまった空の黄金色の西日を受けても、風船はまったく明るくなることはなかった。

 

 風船は、まったく同じ声、まったく同じ抑揚で、まったく同じことを言った。

 

「不安だ」

 

(つづく)




 次回、ついに最終章です。お楽しみに!

・2025/07/25/金
※幕間五を追加しました。
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